交わる色-前編-
そこは不思議な空間だった。意識だけがそこにあり、身体の感覚はない。それなのに手足も動かせるし、視界も普段通り。違うのはまるで無重力空間にあるようで、真っ白で何もない場所にいるということだけだった。最初にここに来たときはかなり戸惑ったが、4回目となると慣れもあって何も感じなかった。この後のお説教を考えると面倒なだけだ。そう考えていると真っ白い空間に小さな黒い染みが浮かび上がり、それが1つから3つに分裂し、球体をかたどった後で人型に形状を変化させた。来たか、そう思う男に苦笑が浮かぶが、身体はあれど表情は全く変わらなかった。ここはそういう場所なのだから。
「真宮寺くん、これで4度目、だね」
正面に位置する人型が黒から青白く明滅するように言葉を発した。いや、言葉なのか、それは直接頭に届いているような不思議な感じだ。
「はい、で、御用件は?」
真宮寺と呼ばれた男も淡々と返事をする。それを受けて、人型は男性か女性かも分からぬ声で言葉を続けた。
「分かっているはずだよね?」
「閲覧の件、ですか」
「そう、さっきも言ったがこれで4度目だ・・・私的利用は違反行為。つまり、仏の顔も3度まで、だ」
神気取りが仏とは、その言葉を聞いてそう思いつつも真宮寺は無表情を貫いている。いや、苦笑を浮かべたはずだが、誰もそれを認識できなかった。意識だけの世界のせいだろうか。
「クビ、ですか?」
淡々と言葉が出る。諦めなのか、覚悟なのか。だからか、左側に位置する赤い人型がゆらりと揺れた。感情のせいかはわからないが、敵意を感じる。
「そうだよ、お前はクビ、アカウントも削除、永遠に出入り禁止だね」
子供の様な声が頭に響いた。これにももう慣れている、何せ4度目だ。こうなることは覚悟の上、ではなく、漠然とした安心感が心を埋めている。そうはならない、そういう確信があったからだ。だから真宮寺は何も言わない右側の緑の人型を見やった。実際は真宮寺自体もモヤのような曖昧な状態で認知されている。いや、相手にはデータとしての自分が見えているはずだ。ここはそういう場所なのだから。EDENにある末端の、知る人のみが知る、そんな空間なのだ。一般人が知らないのは当然として、EDENの運営や整備、その他、ここに関わる者の中でごく一部の者だけが知る特殊な空間である。
「そう、本来ならぁ、ねぇ」
言い回しがねちっこいが、右側の人型がそう口にした。
「と、言いますと?」
自分の感覚に間違いがなかったとほくそ笑む真宮寺だったが、何故自分自身が大丈夫だと感じたのか、その理由が知りたかった。勘、ではなく、感覚で大丈夫だと思っていただけで根拠があるわけではない。
「あのお方の意向だよぉぅ・・・・君はEDENに関わる者、またぁ、プレイヤーとしてもぅ、かなり重要度の高い人物だそうでねぇ・・・私たちはぁ、その御意思にはぁ、逆らえないぃ」
やはりあの人の意向か、そう思う。だからこそこの安堵感なのだと納得できた。このEDENにはあの方の意思が充満していると言っていい。その思考を感じ取れただけのことかと。いや、何故それを感じられたのか、とすれば、答えはかなり絞られる。
「では?」
そう問い、真宮寺は正面を向いた。何故ならば、正面の黒い人型が大きく揺らめいたからだ。
「権限を制限して業務以外のアクセスには上司の許可を必要とする以外、今まで通りの処遇とする。ジゴマとしてのアカウントもそのまま、だ」
「緩すぎます!と何度も進言したのだけど、何故こんなヤツをあのお方は・・・」
左側の人型はその処遇に納得できていないようだが、決定を下したのはこのEDENの最高責任者だ、逆らうことなど出来ない。
「以上だ」
「ありがとうございました」
真宮寺はそうとだけ口にし、意識が遠のくのを感じる。目の前から彼のパルスが消えたのを確認した3人は揺らめく人型のままでその場にとどまっていた。
「しかし寛大というか・・・何故、あんな奴をあのような処遇で終わらせるのか」
「アレらしいよぉ・・・EDEN創設から10年、これまで懸念された事象は起きていないがぁ、危機は必ず来るとのお考えだそうだぁ」
「そうだな」
「だからといって、あんなクソみたいなやつ1人残して何になるのさ?」
「今は10周年記念イベントが各ワールドで催されている・・・ハンターワールドの7vs7、マネーワールドの5vs5、スペースワールドの10vs10、スピードワールドの2vs2、アドベンチャーワールドの3vs3、スポーツワールドの4vs4、そしてプレイイングワールドの8vs8、全てが予期される最悪の事態への、いわば訓練のようなものだ」
「介入される危機に対しぃ、チーム戦で挑むとぅ?そもそも連中がこちらの土俵に立ちますかねぇ?」
「想定される未来、来るべき未来、そして、必ず来る近い将来への専守防衛だ」
「・・・・結局、EDENの住人に託される、ってこと?」
「そうならんようにあのお方も頑張っておられる・・・あいつの処遇もそれに関するものだ。人柄は褒められたものではないが、ここでの業務内容はアレだが高い技術を持っている。プレイヤーとしても優秀だし、特定のデータの閲覧だけで改ざんもせずに実力でのし上がっているのは確かだ」
正面の人型の言葉に他の人型も黙り込んだ。予想される最悪の未来は意外と近いのかもしれない。いや、10年の間なにもなかったことが奇跡なのか。
「とにかく真宮寺十真殊遇は下された、解散だ」
正面の人型がそう告げ、揺らめいて消えた。ため息のようなものを漏らして右側の人型も消える。真っ白い空間に残ったのは左側の人型だけだ。
「来るべき未来・・・・・ヤツらとの戦争、か」
そう呟いて左側にいた赤い人型も揺らめいた後で消えるのだった。
*
いやにそわそわしている兄を横目で見つつ、明日海は平静を装っていた。ここ最近は過度なスキンシップも控えており、遊馬にしてみれば当初はそれが不気味だったとはいえ今はその状況にも慣れてきている。つまり油断しているということだ。
「あら、お兄ちゃん、お出かけ?」
美智子がそう言いながらにやけ顔をしているのも今日の遊馬の予定が筒抜けな証拠だった。きっちりと服装をきめて髪形もセットが完了している。誰がどう見てもデートに行きますといった感じだった。本人は気付かれていないと思っているのだろうか、美智子に、まぁね、とだけ返事をして玄関に向かった。一瞬だけ明日海を見てから、だったが。だが明日海はそんな遊馬に一瞥もくれずにテレビを見ていた。スマホをいじりながら。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
そう言い、出かける遊馬を見送った美智子がリビングに戻ると、明日海がソファから立ち上がった。
「探偵ごっこもほどほどにねぇ」
娘の行動などお見通しなのかそう言うが、明日海は澄ました顔で自室に戻っていった。慌てる風でもなく、ただ淡々と。
「えらく静かで不気味ね・・・」
美智子はそう言うとソファに腰かけるとテレビのリモコンを手にくつろぎだすのだった。
*
照明が暗めの喫茶店での待ち合わせは、小枝子にとっては憧れていたシチュエーションだった。少女漫画を読んでは想像していたことが、今、現実になろうとしている。ここは小枝子のお気に入りの小さな喫茶店だった。初老のマスターが1人で運営している喫茶店であり、情緒のある、どこかレトロな雰囲気の漂う場所。小枝子は週に1度はここに来てココアを飲みながら読書をしたり、EDENの情報を見たりして過ごしている。自宅より落ち着くし、何より地味な自分には似合っていると思っていたからだ。学校では友達もいない。いわゆるコミュ障であり、対人関係は皆無だ。だからこそ自由な姿になり、自由に過ごせるEDENはその名の通り天国であり、今では心を許せる友達もいる。そして、最近気づいた自分にはないと思っていた感情も。男子のように短い髪形も、本当は長かった髪が地味さの元かと思って高校入学時にバッサリと切ったのが発端だ。それでも中身が伴わず、結局は暗い雰囲気が拭えずに地味な自分に変化はないと思い知らされた。だからこそ自分はムジなのだと、EDENでもリアルでも変化させないようにムジでいたのだ。だが、今は違う。今日はムジではいられない。木皿儀小枝子でなくてはならないのだから。ぼんやりしながらも緊張している不思議な感覚の中、店の扉に取付けてある開閉を告げるベルが鳴る。マスターと同時に小枝子もそちらに顔を向けると、自分を見つけてにこりと微笑む遊馬がそこにいた。軽く手を挙げる遊馬は会釈しながら小枝子に近づくとそのまま向かい側の席についた。
「すごいね、ここ・・・・なんかいい雰囲気だ」
にこやかにそう言う自分に照れた笑みを浮かべる小枝子を見つめる。ムジの時とはまるで別人だが、確かに彼女はムジだ、そう認識できる。見た目は全く違う、雰囲気も違う、なのに彼女は間違いなくムジだった。遊馬はメニューを手に取ったが、小枝子が既に何かを頼んでいるのか確認もしていないことに自嘲した。
「え、と、何か頼むよね?」
「うん」
消え入りそうなその声に苦笑し、ムジと小枝子では全く性格が異なるのだなと実感した。明日海や樹理亜が言っていた通りだと思いつつ、それでも彼女はムジなのだというよくわからない状態に戸惑いはない。見た目も性格も違うが、ムジであり小枝子なのだから。
「ケーキセット、どう?」
「うん・・・チーズケーキと、ミルクティで」
「俺もそうしようかなぁ」
メニューを見つつそう言う遊馬を見つめる小枝子の頬が少々赤くなった。まるで恋人同士の会話のようだったからだ。漫画や小説などであるシチュエーションが今、現実として目の前で展開されている。それは憧れであり、夢であり、自分では一生経験出来ないと思っていたものであった。だから嬉しく、恥ずかしく、そして少し悲しい。遊馬は彼氏ではないのだから。オーナーにオーダーをしている遊馬を見つめつつ、自分の気持ちを再確認した小枝子だが、今日の一番の目的はその気持ちを伝えることではない。だからメニューをしまう遊馬を見つつ、しっかりと目が合ってから口を開いた。
「先日の7vs7でね・・・自分の力不足を感じた」
唐突にそう切り出す小枝子を驚く目で見つめつつ、遊馬は水を一口飲んでから頷いた。だが、それは小枝子の言葉の意味を理解したというものではない。彼女の気持ちを受け止めたというものだ。
「アシュリーのスキルに救われた感はあるし、ミラージュも自分の仕事を全うしてた。リライさんはもう次元が違うし、ブレイズもザナドゥもレベル以上の働きをしてた」
「それを言うならムジもだよ。あれは全員の力で勝ち取ったんだから」
「そう。全員の力・・・・でも私の力はみんなの全力に及んでいない」
「そうかな?それは戦い方1つで変わるし、状況でも変わる。全員がベストを尽くしていた、俺はそう思ってるよ。じゃなきゃ、勝てるわけないからさ」
引け目を感じるその理由がわからないが、ムジはムジで一生懸命、全力を尽くしていた。それは分かっている。だからこそ彼女がそう思う理由が知りたかった。
「努力の差、を感じてる」
「努力?」
「7vs7のためにアシュリーはスキルを習得したりリライさんに教わったり・・・ミラージュはリアルで揺さぶりをかけたり・・・なのに私は、決闘を受けようと言いながら何もしなかった」
「あの状況じゃぁ、どうやっても受けたよ。そういう面子揃いじゃないか」
微笑む遊馬に対しても硬い表情しかない。あの戦いでそうまで思い詰める要素があったかといえば、心当たりはある。絶体絶命だったのは間違いなく、アシュリーのスキルと機転が起死回生の一打になったのだから。彼女は諦めかけたのだろう、それも理解できた。悪あがきを決めたのは自分とリライぐらいだったのかもしれない。
「7vs7をけしかけられて、それでも受けた。記念イベントはソロでしたいって言ったことを後悔しているなら、それは違うよ」
遊馬の言葉にますますムジの表情が強張った。やはりそこかと思う遊馬は運ばれてきたケーキを見つつ、小枝子に向かって優しい笑みを浮かべて見せた。それは作った笑顔ではない、素直な笑顔だ。それが理解出来る小枝子はその笑顔を凝視できずに俯くしかなかった。
「俺たちのギルドは上のランクを目指すものじゃない、楽しむだけのもの。その楽しみを奪おうとしてきたセルバンテスたちを叩きのめした、それだけだよ」
「でも、勝ち目のない戦いを受けようって言ったの、私だし」
「ムジが先か、明日海が先かって話だよ・・・・いや、ミラージュかもしれないし、ザナドゥかブレイズかも。つまり、誰が先に言おうが関係なくああなってた。それを見越してのセルバンテスからの挑戦状、挑発だったって思ってるよ、俺はね」
「でも・・・」
「受けて、戦って、負けて解散なら納得出来るよ、俺は。精一杯やって負けたならしょうがない」
「ギルドも失って、引退にもなるのに?」
「それなぁ・・・・なんでそんな風に思えたのか不思議だったんだけどさ、戦う直前に理解出来たんだ」
にこやかにそう言う遊馬に対し、ますます怪訝な顔をする小枝子だが、遊馬の次の言葉に興味があるという顔をしていた。あの戦い、受けた時点で負けはほぼ確定していたはずだ。相手の面子を考えれば当然だし、ギルド自体の熟練度もレベルも違いすぎる上に向こうの助っ人は規格外の速度でのし上がって来た得体のしれない者だったのだから。
「何を?」
どこか恐る恐る、それでいて興味津々といった声色で尋ねる小枝子。そんな小枝子を見た遊馬が笑みを濃くした。
「勝てるんじゃないかって、いや、きっと大丈夫だって・・・・だから精一杯やったら勝てるって思って、だったらそれで負けても全力を、死力を尽くした結果なら受け入れられるってね。それにギルドは解散になって引退しても、リアルでこうして出会えるんだから、それならそれでいいんじゃないかって。だって、本当の世界はここで、EDENは所詮は虚構の世界なんだから。ここの世界でこうしてみんなに会えるんだったら、EDEN以外の楽しみ方もあるんじゃないかなって。みんなどこでも変わらない、必要不可欠な友達だし」
微笑みながらそう言う遊馬を見つめる小枝子の瞳が潤みだす。やがてそれは溢れ出し、頬を伝い始めた。それを見た遊馬は焦るものの、小枝子は流れる涙をそのままに小さな笑みを浮かべて見せた。
「初めてかもしれない・・・・そんな風に言われたの」
「初めてって・・・何が?」
「友達だって、必要不可欠だって・・・・私、ずっと1人だったから」
そっと涙を拭う小枝子は自身の流したその涙がついた指先を見つめている、不思議そうに。
「それって・・・・」
遊馬の言葉にそちらを見た小枝子は再度涙を拭うと、しっかりとした目で遊馬を見つめた。
「私は両親からいらない子と言われ、友達も出来ずにイジメに遭っていた。だからEDENに安らぎを求めたの、仮想の、虚構の世界に」
そう言うと、小枝子は長くなるから簡単にと告げて、自分の過去を話始めるのだった。
*
彼女の両親は田舎の良家であり、幼馴染でもあった。仲が良く、小さい頃からずっと一緒だった。だからか、22歳の若さで結婚となっても皆から祝福され、そして幸せな家庭を築いたはず、だった。父親の浮気が発覚するまでは。子供は25歳になってからという2人の決め事があったにも関わらず、結婚わずか1年で男の子を出産した。だが、その半年後に父親の浮気が発覚、しかも相手のお腹には子供がいた。絶望する母親が離婚を切り出すものの、田舎の良家のメンツもあって本家から離婚は認められず、その本家の仲裁で父親と浮気相手、これもまた幼馴染であったが、2人は別れることとなった。だが、浮気相手は出産と同時に亡くなってしまい、小枝子は生まれた瞬間から1人ぼっちになってしまったのだ。浮気が原因で性行為を嫌悪する母親は今後そんな男の子供を産みたくないと言い張り、それを了承して離婚を踏み留めさせた本家の面々は血の存続を優先し、母親の気持ちも考えずに小枝子を彼らの子として育てることを命じたのだった。母親は半分は自分の血が入った兄だけを溺愛し、浮気相手の子供になど愛情はなく、父親も既に壊れた家庭に興味ないため、戸籍上は2人の子供となった小枝子だったが実質は本家の者たちによって育てられた。家事は何でもこなせるよう教育され、両親からは愛情をもらえず、やがて都会に出ることになった父親と、都会で自由に生きることを選択した母親に着いていく形となったのは中学2年の時だった。母親の教育の賜物か、兄も自分を空気のように扱うこともあって自分の世界にこもるようになっていた小枝子は1人でも楽しめるコンテンツとしてアニメやゲームを好み、やがてオタクと呼ばれる部類に足を踏み入れていく。人付き合いもろくにしてこなかった小枝子は田舎ですら友達も出来ずにいた。それもそうだろう、狭いコミュニティの田舎では噂は広まっており、同級生だけでなく、みんなが小枝子の生い立ちを知っているのだから。陰湿なイジメも慣れれば苦痛ではなくなった。それは都会でも同じだ。イジメはやがて無視に変わり、それが心地いい小枝子は一生1人でいいと思っていただけに、1人きりの生活を送っていた。しかし、高校に入った途端、またイチからのイジメに変わる。それにも耐える中、小枝子が心の拠り所としたのがEDENだったのだ。だがEDENですら上手く人間関係を構築出来ない中、奇跡が起こった。それがペッパーズとの出会いだった。
*
「あなたたちと出会えて、私は私でいいんだと言われた気がした。アシュリーやミラージュは本当にいい人で、すごく仲良くしてくれる。もちろん男性陣も」
微笑むその言葉に嘘はない。もちろんそれは遊馬も理解している。壮絶な過去を背負いながら、やっと見つけた自分の居場所がここなのだから。
「だから無地、か」
「そう、私には色なんかない・・・・生まれてはいけない子、色を出してはいけない子、そっと地味に、1人で生きて1人で死んでいくだけの子、だと思ってた」
「でも無地でも色は色だよ」
「色がないから無地なのに?」
「そうさ」
無色透明、それが無地だと思っている。白ですらなく、色ですらない。だから小枝子は怪訝な顔つきになった。そんな顔を見ても遊馬は笑みを崩さない。
「無地色のムジ、それが君だから。色はあるんだ、ムジという名の、木皿儀小枝子という人間のね」
なんと説得力のない言葉か。だが、それでもその言葉は小枝子の心に深く深く突き刺さった。居場所のなかった自分の唯一の居場所をくれた人。自分を認めてくれた人。友達、仲間、そして初めての感情を持った人。遊馬は小枝子にとって特別な存在だ。その特別な存在のその言葉は自分に生きる力を与えてくれた。
「ありがとう」
不思議と涙は出ない。出るのは心からの笑顔のみ。感謝を素直に伝えるその言葉となんともいえないその笑顔にどきどきしつつ、遊馬は一口ミルクティを飲んで心を落ち着かせるのだった。
*
「そろそろかなと思ったけど、違ったか」
スマホの時計を見た明日海はそうつぶやくと人ごみの行き交う通りに立ったままで小さく微笑んだ。それは傍から見れば実に愛らしい笑みだ。だが、彼女を良く知るギルドのメンバーが見たならば、よくないことを考えていることを意味する笑みだとすぐに気付いただろう。それもそのはず、明日海は遊馬と小枝子が入った喫茶店を見ているからだ。車道を挟んで通りの真反対の歩道に立って。
「告白する気はない、か」
さっきまでの深刻な雰囲気はなく、今は和やかに会話をしている。その様子からして、小枝子の告白が今日でないことを悟ったのだ。小枝子からはあの7vs7の翌日にいずれ遊馬に告白をする気でいると伝えられている。それは自由にしていいと思っているし、遊馬がそれに応えるとも思っていない。遊馬の恋愛感情の薄さは同じ屋根の下に住んでいれば分かる。大きくそれをこじらせた自分が言うのもなんだが、遊馬のそれも相当こじらせている。
「告白次第ではスキンシップのやり方を考慮するつもりだったけど、さて、こうなると作戦を練り直しか」
心の中でそう呟くとその場を後にする。小枝子の告白次第では自分の戦略も練り直しだった。過剰なスキンシップで振り向かせようとしている自分に対してはそう意識していない遊馬でも、あのムジの告白となればそれ相応の反応を見せるだろうし意識もするだろう。そうなると戦略を変える必要があったからだ。
「意外とモテる自分を自覚して欲しいよ」
そう小さく言葉にする明日海は寄る場所もないために家に帰ることにした。どうせ暇だと出て来たはいいが行く場所もない。だったらEDENで遊んでいた方がいいと思ったのだ。そこそこのクエストに出かけてスキルの練度を上げる方が遊馬の好感度を上げることにもなろう。現に7vs7では勝利に大きく貢献したのだから。
「ご褒美をねだってもいいぐらいだし」
そう考える明日海だったが、ここは普通に安いものでもねだろうと考える。あまりぐいぐい押すのは控える戦法だからだ。時には引くことも大事、そう思っている。まぁ、実際には実行出来ていないのだが。
「先生でも誘うかぁ」
そう呟く明日海は駅へと向かいながらスマホを取り出すのだった。
*
ギルドの合宿のための水着を買うということで、駅前の広場を集合場所としたそこに立っているのは高そうな服に身を包んだ樹理亜だ。つば広の白い帽子をかぶり、有名ブランドのバッグを肩からかけた彼女はその美貌もあってかなり目立つものの、お嬢様のオーラのせいか声をかける強者はいない。早く来すぎた樹理亜はスマホをいじるしかなく、暑くなってきた日差しから逃れるように木陰に移動した。チラチラと刺さる男性からの視線には慣れている。小学生の頃から大人びた少女だった樹理亜はモテたものの、男子にあまり興味がなかった。思春期となった中学、高校時代には彼氏はいたものの、せいぜいキス止まりであっさりと関係を終わらせていた。いや、例外がただ1人だけ。高校3年の時に付き合った彼氏は見た目も普通で成績も普通。だが優しくて気の利く人だった。そんな彼の人柄に惹かれて8ヶ月付き合ったものの、結局は別れることとなったのだった。それは大学進学や喧嘩が原因ではない。お金だ。人はお金で変わる、そう知った交際の果てだ。彼は優しかった。だから惜しみなく彼に貢ぎ、それでも最初は彼も遠慮していた。プレゼントも高価な物を与えたが、見返りは安いものだ。それはそれで別によかった。彼の嬉しそうな顔、彼が選んでくれたものが大切だったからだ。だが、慣れは怖い。いつしか彼はより高価なものを強請るようになり、樹理亜に対してのプレゼントはほぼなくなった。それを咎めると彼は激昂し、金目当てで付き合っていたと暴言を吐いて暴力をふるったのだ。それでも付き合うことを止めなかった樹理亜に対して親身になってくれた親友が色々動いてくれた結果、別れはあっさりと訪れた。だが、同時にその親友も失ってしまったのだ。今となっては何故あんなに彼に執着していたのかわからない。だから無理矢理別れさすような行動を取った親友が許せなかった。その親友も、もうこの世にいない。時間が経って自分の愚かさをようやく理解出来た時、心から謝ろうと思った時には既に遅いのが世の中だ。彼女は交通事故で呆気なくこの世を去り、お礼も謝罪も出来ぬまま樹理亜の心に大きな傷を残すことになったのだった。それ以来、男性に興味がなくなった。いや、恋愛することが怖くなったのだろう。どんな素敵な人に出会っても心がときめくことはなかった。それもあって、今はEDENで遊んでいる時間が楽しい。気の知れた仲間とこうして現実世界で会うことも楽しい。過去の傷から友達には素直でいようと思うだけだ。だから明日海にも、小枝子にも、そして千佳にも自分を隠さずに接している。彼女たちは自分を羨む気持ちはあれど、だからといってどうこうしようだとか、お金を無心しようとかも思っていない。仲間であり友達、それだけだ。それが嬉しい。
「早いですね」
不意にそう声をかけられた樹理亜が声のした方を向くと、ジーパンにポロシャツ姿の小枝子がそこにいた。
「ムジ、おはよう。今日は小枝子ちゃんなんだ?」
「みんなは私でもムジだと認識してくれるので」
「そりゃぁね」
そう微笑む樹理亜に笑みを返す小枝子は少し以前とは雰囲気が異なっている。いい方向に進んでいるなと思う樹理亜は遊馬争奪戦を繰り広げているであろう明日海との決着にわくわくする。他人の恋路ほど面白いものはないのだから。そういう自分はもう随分と恋愛をしていないと思う。今は恋人がいなくても楽しいし、欲しいという気持ちも湧いてこない状態だ。それならば今、この仲間たちと一緒に楽しもうと思う。
「おうおう、早いねぇ」
おっさん口調はEDENのせいなのか、それとも馬が合うブレイズのせいか。千佳はそう言うとにんまりした顔を2人に向けた。ノースリーブのシャツに短パン姿はその胸の無さもあって少年のように見える。わずかばかりのおさげを揺らしてはいるが、パッと見た目で性別の判断は難しいかもしれない。
「ムジ、今日は本体なの?」
千佳はそう言うとまじまじと小枝子を見やる。こうしてムジではない小枝子に会うのは初めてのはずだからか。
「あんま変わんないね」
「そう、かな?」
「すぐわかったよ、ムジだって」
「そ、そう」
樹理亜の横に立っていたからとはいえ、やはり千佳もすぐに小枝子をムジだと認識している。それが嬉しい小枝子はこのギルドで良かったと改めて思い、存続出来たことに心底ホッとしていた。千佳にとってはこうして女子だけで会うのは初めてで、今日はかなりわくわくしている。ボッチな千佳にとってはギルドメンバー以外に友達はいないのだから。
「ゴメン!遅くなっちゃった!」
息を切らせて走って来た明日海が汗を滴らせて膝に手をつき、うなだれた。時間にすれば2分の遅れで、こんなものは誤差にすぎない。それを謝る明日海を明日海らしいと3人が顔を見合わせて微笑む。7vs7の最大の功労者なのだ、2分の遅れなど気にもしない。もっとも、功労者じゃなくとも同じだが。
「これで遅刻だったら、もう私なんかどうなるか・・・毎日学校に行ってないレベルだよ」
笑ってそう言うが、遅刻の常習犯を暴露した千佳が千佳らしい。ボッチとはいえちゃんと学校には通っているらしい。その割には時折平日の昼間もログインしていることを樹理亜は知っている。千佳というキャラクターは基本的にザナドゥと変わりがないことをはっきりと認識させれらた感じだ。メンバーも揃ったので樹理亜の先導でお店へと向かう。事前に樹理亜の金銭感覚でお店を決めないように段取りはしているものの、やはりそこは少し怖い感じがしていた。かといって明日海にしろ小枝子にしろ、水着に関してはサイズとデザインが良ければ値段は安くてもいいという感じだ。千佳に至ってはスクール水着でいいというぐらいだった。そもそも適当なものでいいという3人の認識を改めさせたのは樹理亜の放った一言だった。
「やはり男性、それも思春期の男の子が女性の水着姿に心を揺らさないわけがない」
これに鼻息を荒くしたのはこの合宿で兄の心を掴む決意を固めている明日海と、遊馬への恋心を自覚した小枝子であった。千佳は普段自分を小馬鹿にしてくる太陽に一泡吹かせたいという思いを固める。そんな3人を見て微笑む樹理亜はその美貌とスタイルの良さを認識していないため、明日海と小枝子の想いに横やりを入れることになるかもしれない可能性を全く考えていなかった。
「おお、なかなかの種類」
千佳にしてみればショッピングモールの大規模水着コーナーを想定していたのだが、樹理亜が連れて来たのは有名デパートの特設水着コーナーだ。サイズも豊富でデザインもいい。これはと思う水着が多いため、明日海はその中でも遊馬が気に入りそうなものを物色していった。小枝子はここでも地味目のものを選ぼうとしていたが、その手を樹理亜ががっちりと掴んだ。
「明日海はほっといても大丈夫だろうけど、あなたは私にプロデュースさせて」
「え?でも・・・・」
「大丈夫!あなたの意見も取り入れつつ、明日海に対抗出来るものを選んであげるから」
「別に対抗なんて・・・・」
「あの子、合宿で色々やる気満々だけど、いいの?」
にこやかにそう言う樹理亜の言葉に少し考え込む小枝子。そんな2人を近くにいた千佳がにんまりした顔をしつつ見ていた。
「なかなか策士だねぇ、ジュリーは」
こういうのを狩りでも活かせないものかと思うものの、合宿はかなり面白くなりそうだと思う。明日海と小枝子のバトルも然り、遊馬の反応も然り。
「ん?」
そんな中、明らかに不審な視線を感じた千佳がそっちに目をやれば、スーツ姿で目つきのやらしい男がこっちを、正確には樹理亜を見つめているではないか。面識はないものの、その纏っている変態的なオーラによって、千佳はそれがセルバンテスだと一目で見抜いていた。とうとうストーカーにまで堕ちたかと思うと悲しくもなる。7vs7の敗北を受けてギルドの解散を迫られた中でも逃走し、ギルドとしては活動を停止しているものの解散はまだしていない。そういう面でも、元からの人柄からも嫌われすぎているセルバンテスはここ最近はろくにログインすらしていない状態だった。世間が忘れるのを待っているのかもしれないが、ランキング3位の上位者がそうそう逃げることは不可能だ。
「ジュリー・・・・ストーカーが来てるぞ」
小声でそう言う千佳の言葉に反応した樹理亜が水着コーナーを見渡せば、左側の方に見覚えのある顔を認めてしまった。目がばっちり合うとセルバンテスこと英はにこやかに微笑み、樹理亜は社交界で得た万能スキルである限りなく自然な愛想笑いをさく裂させた。それは英をますます勘違いさせ、女性水着コーナーにも関わらずずかずかとやって来るではないか。樹理亜は小さくセルバンテスと呟き、その言葉に千佳は一瞬驚いた顔をしたが悪そうな笑みを口元に浮かべた。
「ああいうとこ、リアルでもアホなんだな」
「ええ・・・・腹立つでしょ?」
英に背中を見せつつそう呟く千佳に対し、愛想笑いをそのままに器用にあまり口を動かさずにそう答える樹理亜。そんな樹理亜は小枝子から離れるようにするとあたかも1人で来た風を装って英向かってに2、3歩進む。
「あら、英さん・・・・ここは女性用水着売り場ですわよ」
うわ、ですわよ口調だよ、そう思う千佳は水着を選ぶ振りをしながら少し離れた位置にいる小枝子に近づき、何事かとこっちを見やった明日海に目で合図を送った。明日海も何かを感じ取って自然に千佳の傍に寄る。
「セルバンテスの本体だよ」
「・・・・イケメンだけど、中の下?」
「普通にしか見えない」
「いやぁ2人とも何言ってんのさ、普通に普通の下の下でしょ」
陰で辛辣な評価をされているとは露ほども思っていない英が大げさな感じで両手を広げた。
「樹理亜さん、言ってくれれば私が水着を選んで差し上げたのに」
「いえ、父の命令で知り合いのプールに行くことになりまして」
「ああ、そういうことですか。だったら地味な感じなものをチョイスして頂きたいなぁ」
その物言いは様子を伺っている3人の背筋を凍らせた。
「キモイ」
3人が声を出さず、同時にそう思う。
「元よりそのつもりですわ。英さんは、今日は?」
「ああ、付き合いでね、ショッピング」
「あなたがこういうところに来るなんて」
「私も来ますよ、こういう場所に」
「でもここは女性水着売り場ですよ、ほら、他の方の目が・・・」
どこか恥ずかしそうにそう言う樹理亜に対して目がハートになった英を見て、自分には真似できないと思うその樹理亜の言動に敬意を表する3人。
「ははは、あなたにも恥ずかしい思いを、これは失礼。そうだ、今度お食事にでも、2人で」
「ええ、私もそう考えておりましたので、是非」
嘘つけと思う3人だが、これはこれで楽しそうだ。顔を見合わせてにんまりと微笑む明日海と千佳を見て嫌な予感しかしない小枝子。
「そうですか!ではまた連絡しますね、それでは」
そう言うとそっと樹理亜の右手を掴むとその手の甲に軽くキスをし、キメ顔を作った英が軽い会釈をして去って行った。うわぁ、といった顔をする3人に対し、笑顔でその右手を振る樹理亜はそのまま小さく呟いた。
「洗ってくるけど、時間かかるから」
3人は力強く頷き、お嬢様も大変だと心底思うのだった。
*
明日海も小枝子も樹理亜のアドバイスで気に入った水着が買えて満足し、千佳は千佳で3人に選んでもらった水着を買えて嬉しそうにしていた。ちょうどお昼時ということもあってデパートを出た4人は樹理亜が予約をしている有名なイタリアンレストランへと向かう。5分ほどで着いたそこは明らかに高そうな店で3人は尻込みするが、樹理亜はにこやかな顔をして入口のドアに手を伸ばした。
「心配しないの、今日は奢るから」
「え?マジ?」
「年上だし、金持ちだし、何よりそうしたいからね」
最後の言葉の際に見せた笑顔は英に見せたものとは違う愛らしいものだ。だから3人はゴチになりますと言い、店の中に入った。そこはお洒落で、高級感溢れる店だ。テーブルについてメニューを見ても分かる通り、値段も高級だった。気にせずどうぞという樹理亜の言葉に各々が注文をして一息つく。
「ところでさ、言い出しっぺが言うのもなんだけど・・・・合宿って何するの?リアルで楽しむだけっしょ?」
千佳の言葉に全員が小さく微笑む。ギルドのための合宿とはいえ、現実世界で遊ぶことばかりを考えていたからだ。簡易的にEDENにアクセス出来る端末を持っているのは樹理亜と太陽だけで、あとは自宅にある据え置き型のものしかない。
「別荘に準備させるから心配なく。ちゃんと全員分ね」
「いいのかな?」
「いいのいいの・・・・お父様もこの間の7vs7の結果に大満足だったしね。CM効果絶大だって」
「ああ、ロストワンの件もあるし」
その言葉にいち早く反応したのは明日海だった。
「お兄ちゃんとの恋人解消は伝えたんでしょうね?」
強い口調の明日海に苦笑を漏らすが、樹理亜は平然とした顔でまだと言い、明日海の表情が鬼に変化していく。
「さっさと解消してよね」
「父には合宿後に言うわよ、そこで色々あって別れ話になったってね」
「まぁ、今言うのも不自然かも」
「だよね、あれだけ一致団結した7vs7の後だし」
「ほんっとうに合宿後にちゃんとしてよね!」
きつく念を押す明日海に頷く樹理亜だが、明日海は一切の油断をしていない。小枝子にも、樹理亜にもそういう面では警戒をしていた。
「合宿、楽しみすぎるんだよね」
どこか凍った空気を溶かす千佳の言葉に明日海の表情も和らいだ。こういうことが自然と出来る千佳を一番評価しているのは太陽で、その次が樹理亜だ。
「そうね。まぁ主旨はより親睦を深めて狩りにもそれを生かすことだしね」
明日海がそう言い、小枝子の表情が鈍る。
「でもギルドで親睦は深まってるし、リアルでもこうしてるし、そういう意味ではどうなのかな?」
「私たちは互いにもう知っている。マスターもブレイズも含めて全員がもうすべてを知っている、風に思ってる。でもそれはあくまで仮想の中。こうしてリアルでの人柄も知ればさらにそれが深まるもの」
「確かにそうだよね。アバターのみんなとリアルのみんな、全部知っているわけじゃないか」
千佳の返しに頷く樹理亜はそういった意味でも今回の合宿にはちゃんと意味があると力説した。そうしていると食事が運ばれてきて、明日海はそれらをスマホで撮影し、千佳はすぐにがっつき始める。樹理亜はみんなを写してから自撮りで全員を入れて撮影をしてから食事を堪能する。普段の話題からEDENの話をしつつ食事楽しんだ後、デザートをどうするかを吟味していた時だった。不意にテーブルの傍で佇む男に4人が目を向ける。そこにいるのは見た目50台の男で、4人をにこやかに見つめていた。
「いやすまない・・・・実に楽しそうにしていたので、つい足を止めてしまった」
流暢な日本語だが、日本人ではない。その顔立ちからヨーロッパではなくアメリカ人だと思う樹理亜が軽く会釈をし、それから驚いた顔をして見せる。その顔を見て、にんまりとした顔を見せた男はそのまま軽く頭を下げると取り巻きと思しき4人の男女に先を促されたが、片手を挙げてそれを制した。
「なんか、どこかで見た気が」
千佳がそう呟いた時だった。
「シュルツ・ウォーカー」
樹理亜と同時にそう言葉を発したのは明日海だ。そう、この男こそEDENの開発者であり、世界的な有名人、そして神出鬼没でどこに住んでいるのかもわからない人物である。それはEDEN反対派や、権力を欲する者たちにとっては邪魔な存在であり、常に命を狙われている人物でもあるからだ。誰もが写真でしか見たことはない。
「7vs7、拝見しました。実によかった・・・・EDENの未来はあなたたちを選んだのかもしれません」
「ありがとうございます。でも、どういう意味ですか?」
明日海の言葉にさらに深く微笑むシュルツに対し、樹理亜は何故自分たちがペッパーズのメンバーだと分かったのかが不思議だった。運営の頂点に立つ人間がいちいちユーザーの情報など仕入れているはずがない。EDENの利用者は地球の総人口の8割を超えているのだから。
「深い意味はありません。そう思っただけのことです・・・・日本語は難しい」
そう苦笑したシュルツは邪魔しましたと告げて奥の個室に消えていった。緊張した様子を見せる小枝子と明日海、興奮したままの千佳に対し、樹理亜は世界で一番の大物は何故こんな店にいるのか、何故自分たちを知っているのか、その疑念で頭がいっぱいだった。
「EDENの未来が選んだ・・・?」
意味ありげなその言葉が妙に引っ掛かる。だが考えても答えが出るはずもなかった。ここは切り替えてデザートの話題に戻しつつも、その言葉はこの後しばらくの間、樹理亜の中で残り続けるのだった。