2度目のはじめまして-前編-
仮想空間と現実世界における恋愛のお話です。
仮想空間の設定は適当ですので、そこに重きを置いていません。
ですので、軽い気持ちでお読み下さい。
あくまで現実世界がメインになります。
黒い巨体が暴れ狂う。巨大な翼がはためくその姿はまさに黒龍。異形なその6本の足が大地を踏みならして飛ぶ態勢に入るものの、傷ついた翼にはもう飛行能力はない。その時、飛来する数本の矢がさらにその翼に傷を与える。もだえる黒き巨龍は大きく咆哮し、矢の飛んできた方向へ首を向けた。西洋の龍がそこにいる。6本の脚に巨大な翼、そして長い首に長い4本の角を持つ龍が。だが、龍は傷つき、怒りに瞳を赤くしているものの弱っていることは明白だ。戦闘が始まって20分は経っただろうか、力の入らなくなってきた足元にふらつきが見えた。
「仕上げだね」
金髪の美少年が舌なめずりをして巨龍に向かって走る。肩に担いだ銀色の、自分の身体ほどの大きさを持つ巨大な斧を手に一気に巨龍の腹の下に入ると、真ん中左側の足首に狙いを定めてその大きなその斧を振りかぶった。一閃する刃が足首に埋まり、固い強固な鱗を持つそこから血を噴出させた。
「ムジ!アシュちゃん!左重点でよろしく!」
そう叫ぶや否や、再度斧の刃を足首に叩きつけた。強固な鱗を引きはがし、粉砕し、皮膚が裂け、紫の色をした血が舞う。少年はもう既にそこから移動し、腹の下から出て2本の長い尾の方へと駆けた。真ん中の左足に力は入らなくとも残る足で踏ん張ることが出来る龍が忌々しそうに少年の方へと長い首をもたげた時だった。10本の矢が左前足に、そして大きめの矢が左後ろ脚に突き刺さる。痛みの咆哮を上げつつバランスを大きく崩した龍が尻尾で大地を支えて倒れるのを踏ん張るが、その尾に対して狙いを定めた者がいる。
「ナイスアシストだよ、お二人さん!」
ニヒルな笑みを浮かべたその口もとの髭が濃く、しかも少々長い。屈強な筋肉を張らせたその腕は鎧越しにもパワーを感じさせるものがある。長大な剣を振りかざし、その黄金の刃を2本あるうちの1本の尾に叩きつける。そのまま素早く移動してもう一本にもダメージを与えた。巨体を支えられない龍は咆哮しつつその口に赤い炎を宿らせた。
「フォローする」
冷静な声が飛んだ矢先、白銀の刃をした剣を手に、1人の男が宙に舞った。通常ではありえない、10メートルの大ジャンプでその龍の、今にも炎を吹き出そうとしているその口の前に出る。そしてのその白銀の刃が閃光を走らせた。2度、3度と。固い皮膚があっけなく裂かれて血が吹き出し、炎が消える。着地を決めた男に対し、黒龍はバランスを崩した体を厭わずに右前足で踏みつけに入った。
「フォロー!」
誰かが叫ぶと、大きな矢と数本の小さな矢が龍の顔面にヒットする。傷口に刺さった何本かの矢に苦悶の呻きをしつつ顔を天に向けた時だった。
「チャンスです!」
そう言うと、胸元が大きく開いた赤い鎧をまとった銀髪の女性が駆けてくる。
「あー、また?」
金髪の少年が斧を肩に担いで大きなため息をついた。これはもう恒例行事だ。
「後方支援しろって言っても、無理か・・・・アシュリー、ムジ、撃ち続けてくれ」
困ったように顎の髭を触りながらもどこか楽しそうにそう言い、男が金色の刃で龍の腹を斬りつける。遠くの岩肌から身を出し、大きめの弓矢を構えた短くも青い髪の女性と、対照的な赤い髪の少年が右腕に持ったクロスボウを龍に向けた。
「あのバカ女!弓もって突貫するの、いい加減にしてほしい!」
赤い髪の少年は左手に持った5本の矢を瞬時に装填して龍に向けて連続で矢を放つ。
「言うだけ無意味」
青髪の女性が貫通スキルを持つ矢を放ち、すぐに次の矢を構える。もう毎回これだとうんざりしつつ。愚痴られているとも知らない赤い鎧の女性は龍のすぐ近くで矢を構える。斧に剣、そして無数の矢に射られる中で暴れ狂う巨大な龍は図らずもその女性に向けて右足をぶつけるような形になった。それでも女性は矢を放つ。迫る足が見えていないのだ。横なぎに蹴られる、誰もがそう思った時だった。女性の姿が掻き消えて、龍から離れた位置に現れる。白銀の刃を口にくわえた男に抱きかかえられながら。
「あらマスター、なんで?」
「ミラージュ、毎回言うけどさ、君は後方支援なの」
「だってもう弱ってるでしょ?」
「弱ってるからこそ遠くから矢を撃つの、毎回言ってるけどさ、理解して」
「つまんないもの・・・」
このやりとりも何回目か、男はミラージュにここから矢を射るように指示し、龍の近くで安堵の表情を見せた斧の少年と髭の剣士に何やら合図をした。
「おっしゃ!ザナドゥ!俺が奮発するか、お前が奮発するか、どっちだ?」
「俺だよ」
そう言い、笑ったザナドゥが自慢の斧を振りかざした。同時に髭の男も剣を横なぎに振るい、龍の腹部を裂いた。痛みと無数に降り注ぐ矢のせいで首が垂れてくる。
「待ってました、この瞬間を!」
ザナドゥが降りてきたその頭部に目掛けて渾身の一撃を叩きつける。4本の角が折れ、額が裂けた。頭部を割られた龍は天に向かって首を上げたが、それも一瞬のことで、その巨大な身体を地面に倒れさせた。瞳から光は失われ、地響きを残して倒れた巨大な黒龍は完全に動かなくなった。死闘25分、ここに討伐は成功したのだった。
「うっし!」
ガッツポーズを取るザナドゥの頭をわしわしとする髭の男。近づいてくるミラージュ。そして岩陰から飛び出した2人も倒れて動かなくなった巨龍に近づくと腰のナイフをその体に突き立てる。
「んー・・・・レアは出ず、か」
アシュリーがそう言い、空中に出した小窓に表示された素材を確認した。黒鬼龍バルザルからの剥ぎ取り報酬は3種類だが、どれもイマイチだったようだ。残るはランダムに与えられる成功報酬に賭けるしかない。
「あ、宝玉出た」
「え?」
横に立つムジの画面をのぞき込んだアシュリーが大きく口を開いたまま動かない。宝玉をゲット出来ればかなりの上位武器が製造可能だったらだ。
「あげないから」
「い、いらないし」
そう言いながらも欲しそうなアシュリーだったが、目の前にあったバルザルの身体がすぅっと消えたと同時に目の前の空間に現れた小窓に成功報酬が表示される。ナイフを突き立てた際の剥ぎ取り報酬とは別に討伐の成功報酬が表示されたのだ。最高で20個の素材が手に入るが、その中に1個の宝玉を確認する。飛び上がって喜ぶアシュリーを見つつ、ザナドゥもまた自身の報酬画面とステータス画面を表示させた。
「まぁ、いい防具が作れそうだ。それより、ランクとレベルがかなり上昇だ!ブレイズのおっさんに近づいたなぁ」
「ん?そりゃぁ残念だな、俺、ランク600台突入だ」
「ラ、ランキングは?」
髭の男、ブレイズの言葉に焦る声を上げるザナドゥに対し、ニヤリと笑ったブレイズが空中のステータス画面をザナドゥに向けてやる。
「32位?・・・・・・なんでだよ!トドメ、俺だったのに!」
「貢献度は俺が高かった、っつーこったな」
ブレイズのステータス画面を凝視し、その数値を記憶する。ハンターレベル520、ハンターランク602、総合ランキング32位という数字に苛立ちが隠せない。対する自分はレベル455、ランクは550、総合ランキングはようやくの2桁の99位だった。まだまだ追いつくには遠い存在だ。睨むザナドゥに対して余裕の表情を見せるブレイズは少し離れた場所でわいわいと騒ぐアシュリー、ムジ、そしてミラージュへと目をやった。半年前までは初心者及び初心者同然だった3人も順調に成長しているようだ。
「ランキングは99万5501位・・・100万台から出た」
「おお!やるね!僕は、レベルが150を超えたよ」
喜んでいるのだろうが表情の無いムジに対し、アシュリーは実に嬉しそうだ。
「私はレベルが20しか上がらなかった・・・・なんで?」
ミラージュが不服そうにそう呟くが、アシュリーにしてみれば後方支援攻撃型の弓を装備しておきながら敵が弱るとすぐ前に出て危険な目に遭うせいだと言いたいところだ。だが、それは毎度のことなのでもう何も言わない。
「ギルドレベルが43に上がったな」
全身にまとう黒い鎧はどこか禍々しさを醸し出しているが、いかつい兜を取って首の後ろに下げたその男は腰に下げた赤と金の鞘を持つ長剣と、白銀の輝きを持つ鞘に納められた2振りの剣を腰から下げている。茶色い髪に赤い瞳をしたその男はにこやかに微笑みながら全員を見つめている。
「あんたはどうだったの?」
「それ聞く?」
アシュリーの質問に笑ってそう言うザナドゥに笑みを返し、その男、ロストワンは何も言わずに空を見上げた。戦闘中は黒雲で覆われていた空が徐々に晴れだしはじめている。
「レベルもランクもMAXな上に、総合ランキング不動の1位に変化なんかないっしょ」
ザナドゥにそう言われ、アシュリーは小さく頷いた。このハンターワールドで最強の存在であるロストワン、その彼が率いるこのギルド『ペッパーズ』は発足してまだたった半年だ。かつてソロでしか戦わず、余り人数のあるギルドに助っ人として入るしかしなかった彼が突発的にギルドを起ち上げて先着5名にて結成されたこのペッパーズはまだまだ下位ギルドであり、与えられたギルドの館も簡素なものでしかない。なにより半数がほぼ初心者なのだから当然でもある。
「ギルドレベルが50になると2階建ての館になるんだし、次でいけるかな?」
「あと2、3回とこだろうね」
「さて、その貧相なアジトに帰りますか」
ザナドゥとロストワンの会話に割り込むブレイズの声に反応し、全員が小窓にある操作キーにタッチしてクエストは終了となるのだった。
*
簡素な2つの部屋しかここにはない。大きめのテーブルに6つの椅子を置いたら部屋がいっぱいになる程度の広さしかなかった。隣の部屋には小さなベッドとテーブルしかなかい簡素な小屋のような家だ。6人はラフな格好になると疲れた様子もなく椅子に腰かける。それぞれが決められた場所に座るのは、各々が用意した椅子を置いているからだ。街で買ったその椅子を見れば手持ちのお金がどれぐらいかが分かるのだが、それは各自の強さには比例しない。
「ミラージュさぁ、なんでそんな私服に課金するわけ?意味わかんない」
テーブルの上に自分がストックしている飲み物を出したザナドゥが呆れたようにそう口にする。薄いブルーの豪華なドレスは有名なファッションデザイナーとコラボした際に期間限定にて販売されていたものだ。値段もそう安くはない。
「戦闘の防具は課金レベルのものじゃ今日みたいなバルザルクラスにはスキル的に意味ないもの。だったらこういうのにお金を使った方がいいでしょ?」
「うっわ、金持ちウゼー」
くるりと回って微笑むミラージュにニコニコ顔を見せるブレイズを睨みつつ、ザナドゥは自分と似たようなうんざりとした表情をしているアシュリーに苦笑を浮かべた。
「ムジだって、新作でしょ、それ?」
ミラージュが椅子に座ったままじっと自分を見ているムジにそう問えば、ムジは自分の服を見やる仕草を見せた。戦闘に参加する際にはその地形やモンスターに合わせた装備をして戦いに臨むが、こうして街や村、ギルド内では各々が好きにコーディネイトした服でいられるのだ。勿論、それは購入するのだが。
「アイドルグループ『ドーナツ』の新作衣装コラボ。制服スタイルの進化系だし、燕尾服みたいな上着のコレがいい感じだもの」
普段から無口なムジだったが、こういう面ではよくしゃべる。ギルドに入った当初からアイドル風コスチュームに身を包んでおり、仲間にすればこれぞムジ、というような状態だ。対するミラージュはすぐに衣装を変えてくるのだ。ブレイズもよく衣装を変えてくるが、こちらは常にダンディーさを強調したものだった。残るアシュリー、ロストワン、ザナドゥは当初から変化はなく、このワールドではオーソドックスな旅人風な衣装だった。元々戦闘の武器防具以外に衣装を変える必要性を感じないからだ。
「個性派ぞろいってことだよ」
ブレイズがそう言い、ミラージュにウインクする。頷くミラージュはそのウインクを軽くいなし、ザナドゥは露骨に嫌な顔をしてみせる。
「あとさ、一昨日の別れ際にした話、どうする?」
思い出したかのようにそう言うブレイズの言葉に激しく動揺したのはアシュリーだが、それを表には決して出さない、出してはいけない。心臓の音が早鐘のように鳴り響く中、平静を装うしなかなった。
「あー、オフ会?俺は別にいいよ」
「そうね、私も。みんな1時間以内で集まれる場所に住んでる奇跡だし、結成半年で仲良くなったし」
「リアルでも仲良く出来そうだもの」
最初から好意的なザナドゥに加え、ミラージュもムジも異議はないようだ。そうして横に並んで座っているアシュリーとロストワンに視線が注がれる。アバターなのだから心臓の音も聞こえるわけがないと分かっていてもそれを悟られまいとしている自分がいる。
「まぁ、みんながみんな苦労しないで集まれる場所に住んでるってことだし、俺は別にいいよ」
ギルドマスターであるロストワンが断るはずもない。何故こうなったと思うアシュリーはもう覚悟を決めるしかなかった。元々、こうしてハンターワールドに登録して真っ先にこのギルドに入った目的はそこにある。しかし心の準備が必要なのも確かだ。
「僕も別にいいけどさ・・・・・いつ?いつ集まる?」
準備期間は長い方がいい。そう思っての質問だ。
「来週末、連休だし、土曜日でいいんじゃね?」
ブレイズはそう言い、個々に予定を確認する。どうやら全員空いているようだ。来週末ということは、今日が水曜日なので1週間半しかない。覚悟を決めるには短いと思うが、ここで自分だけが意見を言う気になれず、アシュリーもまた頷いた。
「じゃぁ、来週の土曜日だな。店とか場所とか任せてくれや、時間はまた決めよう」
「ブレイズの旦那、任せたぜ!」
「おうよ!」
グッと親指を突き出すザナドゥに同じように返すブレイズ。
「じゃぁ、そういうことで、今日は帰るよ、お疲れさん」
「私も帰る。じゃぁね」
ロストワンに続いてそう言ったムジの身体が歪んで消えた。
「帰るとなると早いね、相変わらず」
ブレイズの言葉に苦笑を返し、ロストワンも手を振ってから消えた。
「ブレイズはもう帰るの?もうひと狩り行かない?」
「んー、どっちでも」
「僕は、帰るね」
まだ続けるらしいザナドゥとブレイズをよそにアシュリーがそう告げてからミラージュを見やった。
「私も行くわ、狩りに」
「今度はずっと後方だからな!俺もおっさんも近接戦闘なんだから!」
「わかってるって」
「その言葉が信用ならないんだよなぁ」
わいわいと騒ぐ3人にまた明日と告げてアシュリーも消えた。視界が真っ暗になり、遠くへ意識が飛んだ瞬間、またすぐに戻って来る。閉じていた目を開くと薄いブルーの視界が広がっており、現実世界に戻ったことを意識させた。ブルーのバイザー付きヘルメット型端末を外し、髪を整えてからそれを机の下に隠す。自室に戻ったことを再度認識し、そして来週末のことに意識を集中した。
「どうする?どうしよ?マジ、どうする?」
両頬を両手で包むようにしたアシュリーは天井を仰ぐと、あの時、リアル世界での家の場所を聞かれた際に遠くだと言わなかった自分を呪うのだった。
*
目覚まし時計の音はわずかな時間しか鳴らない。音で目覚めてすぐに意識が覚醒してそれを止めるからだ。二度寝もしたことがないぐらいに寝起きがいい黒瀬遊馬はベッドの上に座るとすぐに上着を脱いで着替え始めた。梅雨のせいか曇り空で明るさが半減している気がする中、通っている咲森高校の制服に着替えると机の上に置いている腕時計をはめて部屋を出た。出てすぐの階段を下りてリビングダイニングに入れば、母親である美智子が朝食の準備をしていた。
「おはよう」
「おはよう、今日はお兄ちゃんの方が早い」
そう言い、美智子はテーブルの上に置かれた皿に目玉焼きとパンを置いた。
「ま、あちらは先に顔を洗うんだろうけど」
「かち合わないように、ね」
意味ありげに微笑むこの顔はもう見飽きている。といっても、まだ5年しか経っていないが。いただきますと告げてパンをかじると、美智子がアイスコーヒーを用意してくれた。軽く頭を下げるのはまだどこかに他人行儀な部分が残っているせいだろうが、美智子は気にしない。遊馬の父と再婚して5年、こういう細かい部分はあれど、もう立派な家族だ。
「おはよう」
部屋に顔を出した愛らしい容姿の美少女が遊馬を視界に入れないようにいつつ美智子だけそう挨拶をした。これももう毎日のことだ。
「明日海、洗面所は早く空けてね」
「努力するー」
気だるそうにそう言うとそのまま洗面所に向かう。明日海は美智子の連れ子であり遊馬の1つ年下だ。同じ咲森高校に通う1年生で、その可愛さから学年問わずに人気がある存在だった。アイドルやモデルにならないかと声をかけられることも多い。
「昨日も10時まで?」
「10時になったら強制終了だから、10分前には帰ってるよ」
「明日海もかしら?」
「彼女もEDENに?」
「そうじゃないの?遭わない?」
「どこのワールドにいるのかも知らないし、ネームも知らないし、まぁ、知ってたらなおのこと寄って来ないでしょ?」
「まぁ、そうか」
質問しておいてその回答で納得した美智子は明日海の朝食を準備していく。どうしてこう仲が悪いのか、それが再婚してから続く最大の悩みだった。歩み寄ろうとする遊馬に対し、頑なにそれを拒絶する明日海。遊馬の何が気に入らないのかは知らず、聞いても答えない。だからか、遊馬ももう歩み寄る姿勢を止めてお互いに空気のように過ごしている。理不尽に毛嫌いされて無視されても、それが明日海だとして何も言わないし怒らない遊馬に申し訳が無い気持ちでいっぱいだ。
「ごちそうさま」
「いいよ、置いといて。片づける」
「まだ洗面所が使えないし、するよ」
そう言い、皿を持って立ち上がった遊馬は美智子の横に立って洗い物を始めた。
「何で毛嫌いするのかねぇ」
口に出さずにそうつぶやいた美智子は年頃だからかと思うものの、再婚相手の遊馬の父である颯馬には懐いているだけに疑問視か残らない。何かしらこじらせているのかもしれないと2人で何度か話し合ったこともあったが、生理的に無理という回答しか戻って来なかった。だからもう2人の仲は自然に任せるしかないとしていた。
「お母さん、パン頂戴」
洗面所から戻った明日海の言葉にため息をついて皿をテーブルに置く。遊馬は洗い物を終えると入れ替わりに洗面所に向かった。化粧品やらなんやらが雑然と置かれているが一切触れず、自分の歯ブラシと歯磨き粉、そしてコップだけを使用する。家族になった当初に片づけてあげたら烈火のごとく怒り狂われたあの時から触れることもしなかった。存在すらなかったことにしてさっさと顔も洗うと、ボサボサの頭を適度に整えただけで洗面所を後にする。そうして自室に戻って鞄を取るとリビングに向かった。明日海はまだ朝食中だ。
「お兄ちゃん、毎日のことだけど、本当に少しはおしゃれしたら?」
「んー、別にどうでもいい」
容姿にこだわりはないし、好きな女性もいないせいで無頓着だ。リアルで着飾る意味を見いだせないし、かといってEDENでも同じだ。
「デートの時ぐらいは口出しするからね」
美智子がそう言い、一瞬ピクリと反応する明日海。目だけで遊馬を見るが、ソファに座って朝の情報番組を見ているボサボサの後頭部が見えているだけだ。睨むようにしている憮然とした表情はいつものまま。
「デートなんてしないし」
「いつか、の話。友達と出かける時とかも、ね」
「出かけるって、そんな面倒な・・・・・・」
そう言いかけて止まったため、美智子はニヤリとした笑みを浮かべ、それを見た明日海は無表情でアイスティーを飲んだ。もう視線は遊馬から外れている。
「出かける予定、あり、かな?」
どこか嬉しそうにそう言う美智子にしてみれば、EDENにばかりこもって出かけない遊馬を心配していたのだ。出来れば明日海とでも買い物に行ってくれればと思うが、今の言葉に興味など欠片も見せずに無表情でパンを食べている明日海を見るまでもなくそれが無理だと理解している。
「あー、来週末、オフ会がある」
「へぇ、EDENの?」
「そう」
「女の子も来るの?」
「アバターに女もいるけど、リアルじゃ男かもしんないなぁ。あ、でも2人は多分、女」
その言葉に美智子の目がキラキラと輝いた。明日海はくだらないとばかりに深いため息をつくと食べ終わった皿をシンクに置いて再度洗面所に向かった。
「そういう時こそおしゃれだよ!」
「別にいらないでしょ?」
「特別な仲間に会う時だけの限定!そうそう会うわけじゃないんでしょ?」
「まぁ、多分」
「だったら!」
「考えておくよ」
めんどくさそうにそう言ってテレビに集中する遊馬をよそに、美智子は勝手にコーディネイトを考えてウキウキするのだった。
*
冴えない容姿の男子生徒というのが大半の女子生徒からの遊馬に対する評価だろう。ただ成績は抜群で学年で常に10位以内だからか、敬遠されてはいなかった。かといって仲のいい女子生徒などほんの数人しかいないのだが。今日も早めに登校して席に付けば、すぐ後からやって来た佐々木当麻が遊馬の横に立った。
「バルザル、狩ったみたいだな」
「あぁ、ギルド仲間が素材欲しいってのと、レベルアップしたいからって」
「あんなの、お前1人で楽勝だもんな、中級レベルのモンスターだし」
「だから俺はほとんど何もしてない」
「ハンターワールドの絶対的チャンピオン、無敵の総合ランキング不動の1位がなんであんな連中と結成したんだ?」
「半年前にも言ったろ?ソロでやり尽くして別のワールドにでも行こうと思ってたけど、リライに先着順でギルド結成でもしてみたらって言われたからだよ。まぁ、結構面白い連中だから、辞めないでよかったと思ってるよ、今は」
遊馬はそう言い、机に肘をついた。ロストワンとしてEDENのハンターワールドに君臨する絶対的チャンピオンはそのランキングを維持すること数か月、もうそのワールドにも飽き飽きしていたのだった。それが半年前で、いつでも辞める覚悟でギルドを結成し、今に至っている。初心者もいるが、それがまた新鮮だし、何より気が合う仲間に楽しいと思える日常が嬉しかった。
「ランキング不動の2位、リライさんかぁ・・・お前を辞めさせときゃ1位になれたのに」
「あの人はいずれ抜いてくるよ」
「あー、お前がロストワンだって言いふらしたい」
「それやったら別ワールドに行くからな」
「メンバーほっといて?」
「説明してから」
その反応からギルドメンバーに心を許しているのがわかる。仮想空間で出来た仲間など希薄なものだと思っている当麻だったが、そこで彼女を作ろうとしていることは内緒だ。アバターが女性でも現実では男性の可能性も高いわけで、そのスリルを味わっている節もある。遊馬がロストワンだと知っている唯1人の友人としては、それはいつか切り札にしようと考えている。そもそも、EDENに誘ったのも、ハンターワールドに誘ったのも当麻なのだから。まさかメキメキと実力を上げて1年半ほどで最強無敵のチャンピオンになるとは思わなかったが。
「オフ会とかしねーの?」
当麻の言葉に反応を見せず、ないよとだけ答える。来週集まると言った日には部外者のくせに絶対に加わる気だからだ。
「そっか、まぁ、全員が集まれる場所に住んでる確率も低いわな」
それがそうでもなく、全員が意外と近くに住んでいることは告げない。EDENとう仮想空間には世界中から人々が集まっている。そこで仲良くなってもブラジル人では現実世界で会うだけで一苦労だ。
「そういや、近いうちに発表になるみたいだぞ、EDEN誕生10周年記念イベント。どのワールドも一斉に
って話だ」
「そうなの?」
「きっととんでもなモンスターと戦えるんじゃないか?」
「それは燃えるなぁ」
嬉しそうにそう言う遊馬に苦笑がもれる。ハンターワールド内で幻の最強モンスター『極黒龍グランドフェルム』、ソロでは絶対に倒せないとされたそのモンスターを制限時間1時間ギリギリで討伐した唯一無二の存在ロストワン。だからこそ彼はチャンピオンであり、伝説のプレイヤーになったのだ。総合ランキング3位のセルバンテス率いる上位ランキング者ばかりが集うこれまた上位ギルドの『バビロン』の6人が挑んでも倒せないその最強モンスターはロストワン以外の者たちを全て返り討ちにしている。ロストワンの戦い方は真似出来ない。彼特有のスキルがあったからこその勝利であると言われているからだ。
「オフ会・・・・おしゃれ、ねえ」
今朝、美智子に言われた言葉をつぶやくものの、おしゃれというものがどういうものかがわからない。
「おはっぴー!」
元気な声でそう挨拶をし、自席に鞄を投げるようにして置いた見た目ギャルの横澤紅葉が当麻を押し退けて遊馬の横に立った。当麻は紅葉を苦手としているため、今やって来た友達の傍に逃げるように去っていった。
「昨日さぁ、1時までEDENにいたからもう眠いんだよね」
遊馬の机の上に座って足を組めば、健康的な太ももが目の前に現れる。だが遊馬はそんなものに視線もやらず、ため息をついて紅葉を見やった。
「逆によく学校に来たな?」
「そりゃ、黒瀬に会いたいじゃん?」
「そくそんなウソをつけるもんだ」
「あっはっはっは、ウケる!」
笑いながら遊馬も肩をバシバシと叩く紅葉とは入学してからの腐れ縁だ。2年間同じクラスであり、何かと絡んでくる紅葉のせいで付き合っていると思っている生徒も多い。だが2人の間にそんな感情はなく、紅葉には大学生の彼氏がいることも知っているし、もっぱらEDENでデートを重ねていることも知っている。
「あんたもマネーワールドにおいでよ。私、結構な金持ちだし」
「へぇ、さすがカジノだなぁ」
「あんたはハンターワールドだっけ?楽しいの?怪獣倒して」
「まぁなぁ」
「マネーワールドに来たらお金貸してあげるし、案内するよ?」
「いらねー」
「えー?つまんないヤツ」
ケラケラと笑う紅葉に苦笑し、遊馬はすぐ傍の窓へと顔を向けた。梅雨空が広がっているが、まだ雨は降りそうになかった。
「学校もEDENにあればなぁ」
「リアルとEDENの境界がなくなったら体は意味ないし、意識だけがEDENにいて、飲まず食わずだと結局、肉体が疲弊して死ぬだけ」
「つまんない言い方するけど、実際そうだよねー」
そう言うと紅葉は教室に入ってきた女子生徒に挨拶をしながらそっちへと行ってしまった。ようやく静かになったと思う遊馬はEDENが開設されてもう10年になるという現実に少し怖さを覚えるのだった。
*
仮想空間EDENは、これまでのどの仮想空間をも超越したものだった。専用のゴーグルなどを装着して視覚的に仮想世界を旅するものではなく、意識そのものを電脳空間に飛ばし、あたかもそこで生きているように実在する感覚を味わえる画期的なものであった。10年前に開設されたこのフルダイブ型ネットワーク仮想空間EDENは、天才量子物理学者シュルツ・ウォーカーが開発し、7つのワールドに分類された世界となっている。ヘルメットタイプの専用ギアをEDEN専用の回線に接続することで衛星軌道上にある巨大コンピューターをサーバーとし、そこに構築された世界で自由に活動できるのだ。シュルツはアメリカ最大企業の技術者であり、当時から仮想空間に興味を抱いていた政府からの補助も受け、それに賛同した4つの国が補助する形で衛星軌道上に超巨大なサーバー施設を造り上げた結果、今に至っている。意識だけを完全に飛ばし、仮想の肉体を得てその世界を満喫することが出来るが、連続接続時間は24時間までと規制され、それを超えると強制的に接続が解除されてしまう安全装置も装備されている。開設以来、軽微な問題しか起こっていないことに反発する者もいたが、今では世界の総人口の実に8割が利用している状態にあった。現在、都市伝説的に噂されているのはシステム構築時に未来世界と繋がり、そこから人と技術を得て完成させたというものが流行していた。また、別次元や並行世界と繋がったことによるものとも噂されているのは、その完成度の高さからだ。EDENは開設から軽微なシステム障害しか起こしていないし、いつどうメンテナンスをしているのかも謎だった。運営に関わる人数は数千人と言われており、サーバーも強固な防衛機能を持っているとされている通り、ハッキングされたことも一切ない鉄壁の防御を誇っている。EDENに反発する組織が起こすテロも未然に防いでいるというし、謎が多いのもまたそういう噂を広める理由になっていた。接続されても無事に意識が戻ることも当然となっているが、小さな子供を持つ親は心配をしつつも自分たちはEDENを楽しんでいる現実がある。また、子供がEDEN入り浸ることを懸念した日本政府はガイドラインを設け、各年代別に利用時間の制限を設けるなどしているが、実際は違反者も数多い。遊馬にすれば始めたのは中学に入ってからだったが、あまり興味を持てずにすぐに止め、結局のところ2年前に当麻の強引な勧めで再度ログインし、よりアップグレードされたハンターワールドに興味を持ってそこを居場所に決めてからはその実力を発揮していったのだ。遊馬にしてみればカジノ世界のマネーワールドや、任意の歴史に介入して冒険するアドベンチャーワールド、自作のレースマシンで競い合うスピードワールド、あらゆるスポーツを極めるスポーツワールド、本格的RPGを体験出来るプレイイングワールドからなるEDENの中で、興味が湧いたのがハンターワールドだっただけのこと。まさかそこで不動のチャンピオンになるとは自分でも思ってもみなかった。
「オフ会、かぁ」
極めに極め尽くしたせいで惰性でしかログインしなくなった遊馬がギルドを結成すること半年、仲間の成長が嬉しいし、何よりみんなの笑顔が見たいという気持ちになれたことが嬉しかった。それもこれも、総合ランキング2位のリライの助言があったればこそだ。好青年なアバターらしく中身も男前で、気持ちが沈んでいた遊馬に遊び半分いいから先着順で適当にギルドを結成するよう助言してくれた恩人だ。2人だけで狩りをしたことも多く、EDENの中でもかなり気の知れた友人である。そんなリライ自身はギルドに所属せず、また結成もしないで自由気ままにプレイしている状態だった。てっきり先着で自分のギルドに入ると思っていた遊馬にとって意外なことであった。
「最初がアシュリーで、次がムジ、だっけか」
ギルド開設とほぼ同時に入会登録申請をしてきたアシュリーには驚いたが、その後すぐに申請をしてきたのがムジだった。あとは立て続けにブレイズ、ミラージュ、そしてザナドゥが申請をしてきてすぐに結成となったのだ。メンバーの半分が初心者という中、上級者のブレイズとザナドゥが入ってくれたことは心強かったし、何よりコミュニケーション能力の高い2人のおかげで綺麗にまとまっている感じがある。喧嘩もするし言いたいことも言える、そんなギルドになったことが喜ばしい。だから、全員が現実世界において意外と近くに住んでいることが分かった時は嬉しかったものだ。
「おしゃれ、ね」
美智子に言われた言葉を思い出した遊馬は、かといっておしゃれな服など持っていないためにどうすればいいかを悩むのだった。
*
背後から不意に声をかけられた遊馬は振り返り、軽く頭を下げた。
「あいかわらずのボサボサ頭ねぇ」
そう言い、腕を伸ばして遊馬の髪をわしゃわしゃとするのはこの春からこの高校に赴任してきた新任教師の掛梨来美だ。遊馬のクラスの数学を担当している小柄なのに胸が大きい上にアニメ声で人気の先生だった。身長177センチの遊馬に対し、147センチの来美は中学生にしか見えない。
「そうっスか?」
「もっとおしゃれすればいいのに・・・黒瀬君、元はイケメンだと思うんだけどなぁ」
「先生が生徒を狙ってるパターン?」
「なんでそうなる!」
怒った感じでデコピンしようと背伸びをするため、遊馬は軽くひょいとかわした。
「おしゃれってのがよくわかんなくてさ」
「あら、妹さんに、明日海さんに聞けばいいのに」
「仲、サイアクなんスよ、俺たち」
「そうなんだ?」
「口もきかないし、無視されてるし」
「エロいことでもしたんでしょ?」
「そういうものがあっての嫌われっぷりならまだ納得できるわ」
苦笑する遊馬に困った顔をする来美。黒瀬家の家庭の事情はわからないが、連れ子同士というのは知っているために色々複雑なのだろうと理解できていた。しかし義理とはいえ兄と妹、仲がそこまで悪いとは思っていなかっただけに困惑する。明日海は学校では積極性もあって社交的だし、来美にしても他の教師にしてもウケはいい。明るく真面目で、何より可愛いのだから。
「岡村君にでもアドバイスもらえば?」
「幸彦、か」
「現役アイドルなんだし、いい方向にアドバイスくれるって」
「それもアリ、かな?」
「そうそう!じゃ」
そう言い、来美は遊馬の背中を2度ポンポンと軽く叩いて去っていった。
「幸彦、ね」
岡村幸彦は遊馬と仲がいい同級生だ。ご当地ながら現役のアイドルをしており、現在はSNSを通じて全国的に名の売れ出した感じがある。校内でも人気が高いイケメンだが、裏の顔はEDENのスピードワールドのレーサーで総合ランキング3位の実力者だ。ただし、そういうもので人気を取りたくないとして遊馬たち極一部の親友にしかそれを明かしていなかった。逆に遊馬は自分がハンターワールド総合ランキング1位のロストワンであることは明かしていない。言いたくないというか、リアルとバーチャルを分けていたいだけの話だ。明日にでも早速幸彦にアドバイスをもらおうと昇降口に来れば、ご都合主義的な偶然か幸彦が1人で靴を履き替えているではないか。
「幸彦!ちょうどよかった」
「遊馬、なんだ?」
「ちょっと、アドバイスを、さ」
「ん?」
校門を出つつ要件を話す遊馬に対し、自然とニヤニヤが表に出る幸彦はどういう心境の変化でアドバイスを求めてきたのかが気になった。女関係に関しては遊馬は興味がないはずだ。彼女を作るということをめんどくさがっており、もっぱらEDENで楽しんでいるという認識なのだから。
「まぁ、色々アドバイスは出来るけど、どういう心境の変化なわけ?」
「今度さ、オフ会やるんだよ、EDENのさ」
「へぇ、そうなの?お前がねぇ」
「リアルでは初対面だし、ちゃんとした方がいいのかなって」
「そりゃ社会人の人もいるだろうし、美女も来るかもしれないしな」
「そうなんだよな。社会人の人だとやっぱ印象大事だもんな」
「美女はいいのかよ・・・・」
やはりそこはどうでもいいのかと思うが、元々遊馬のそのボサボサ頭はどうにかすべきだと思っていた幸彦にとってこれは好都合だ。ちゃんとすれば遊馬はかなりのイケメンに変化するはず。そうなれば一緒にアイドル活動も出来るかもしれないのだ。気の知れた遊馬となら一緒にやりたいと思っていた幸彦にとってもこれはチャンスだ。
「何人来るの?」
「俺入れて6人」
「男女比は?」
「アバターだと4:2だけど、女2人はリアルでも女だと思ってる」
「ふん・・・・年齢は?」
「年上が2人かなぁ・・・1人は男の人だけど確実に年上だ、女性も1人は多分年上。あとはわからん」
「なるほど」
遊馬の言葉を分析すれば、やはり身なりはちゃんとしておいた方がいいと思う。来た人の中に廃人がいても、それはそれだ。だから幸彦は的確なアドバイスをした。床屋ではなく美容院に行き、だいたいのイメージを伝えるだけでいいと。元がイケメンだと分かる美容師に当たれば後は上手くそのイケメンぶりを強調してくれるだろうから。そのイメージも幸彦が遊馬に抱くものを伝授した。
「まぁ前日に行って、セットの仕方も教えてもらえ。1日前ならやってもらった手順なり、イメージも残ってるだろうし」
「そうする、ありがとう」
「明日海ちゃんと仲がいいならいいアドバイスもらえただろうに」
「・・・・・あいつとは一生わかりあえないわ」
その言葉に笑うしかない幸彦は遊馬と明日海の仲の悪さを熟知している。可哀そうだがずっとそのままの関係でいるのだろうと思う。あれはツンデレなのどではない。もしあれが演技で本当は遊馬を好いているのならば相当な役者だ。今すぐにでも女優になれるだろう。
「じゃ」
「おう、また明日な」
駅で別れた2人はそのまま左右に分かれる。遊馬はバスで、幸彦は地下鉄だ。ちょうどやって来たバスに乗り込んで席に座った遊馬がスマホを取り出した時だった。乗り込んできた明日海が真横を通り過ぎる。視線も合わせずに。ため息も出ない遊馬だったが、何故か真後ろに座った明日海の気配を感じて自然な感じで車内を見やる。知り合いを探すていで見渡すが、車内は他に席が空いている。どうして真後ろに座ったのか気になるが、考えても答えが出ないので鞄からイヤホンを取り出して音楽を流した。そのままスマホでEDENに接続して自身のステータス画面を確認するのだった。
*
バス停から家までは歩いて5分程度の距離である。遊馬は明日海よりも先に降りて家路を歩く。数メートルを開けて明日海が後ろを歩いているがこれはこれで珍しい。バスで乗り合わせた際はどちらが先に降りようとも明日海が先に家に帰るからだ。何か怖い感じがするがそういう日もあると思う遊馬が玄関のドアを開けて先に階段をあがる。
「ちょっと」
すると背後から棘のある言い方で呼び止められた。1年ぶりぐらいの自分に向けられたその言葉に恐怖心がこみあげてくるが、階段途中で止まって振り返った。明日海は睨みながら自分を見ている。
「なに?」
努めて自然にそう聞いたが実際にはかなり緊張している。兄妹になって5年、会話など数回しかないのだから。
「やっぱいい」
そう言うとため息をついて遊馬を追い越した明日海はさっさと自分の部屋に入っていった。意味がわからず困惑するだけの遊馬だったが、考えても仕方がないために自分も部屋に入った。着替えを済ませ、パソコンを起ち上げてEDENに接続する。仮想空間に入らずともネットワークを繋げばアバターを操作してプレイは可能だ。ただ今回はイベント情報などを確認するのみで、EDEN自体にはいつものように夕食後に入浴してから入るつもりだった。
「へぇ、ベルナンドとコラボ・・・・・機動武装アーマー・・・・20万?」
コラボアイテムとしてモンスターを狩る際に使用出来る武装アーマーが期間限定、数量限定で販売されているのが目に入った。機動武装兵器ベルナンドという人気アニメに登場する主人公が乗るアーマーのベルナンドは重火器やヒートサーベルという劇中で使用可能な武装も完全再現されているかなりの高性能だ。これがあれば初心者でも操作次第で希少モンスターとも互角に戦えるぐらいのものだった。ただ、こちらは現実のお金で20万円もする。EDENの通貨やワールド通貨は使用不可となれば、遊馬などには到底購入不可能だ。EDEN通貨なら30万円はあるし、ワールド通貨は1億目前まで迫っている。もっとも、最強の武器防具を持っている遊馬にとってワールド通貨はアイテムを買うぐらいしか意味はない。ワールド通貨は各ワールド内限定で使用出来る通貨だけに意味もなく、EDEN通貨は現実の金額に換算出来るのだが、100分の1の価値にしかならない。つまり遊馬のEDEN通貨は現実では3万円程度だった。当然ながら現実のお金に置き換える必要はない。EDEN内で欲しい物を買うためにあるのだから。かといってEDEN内で売られている商品は基本的に高いのが相場だ。
「コラボねぇ、こんなのに課金するヤツ・・・・」
そこまで言いかけて言葉が止まった。購入しそうなギルドメンバーが2名ほどいる。
「今日ログインするの、なんか怖いな」
そう呟く遊馬は他のイベント情報を検索するのだった。