1 この時期に新入生?
次の日。
怠惰を極めていた休日から一転、憂鬱な気分で正門をくぐる。
連休中のバイトの忙しさで身体がだるい。調子に乗って多くシフトを入れたせいだ。
その分給料は増えたが……比例して全身が悲鳴をあげていた。
一年の教室は校舎の最上階にある。ただでさえ億劫な階段を疲労が蓄積した状態で上るのは普段以上に面倒だ。
手すりを巧みに使いながら必死に足を上げる。
ようやく階段を上がり切り、教室へ入る。中にいるクラスメイトも心なしかどんよりとしていた。
横目で見ながら大人しく自分の机に座る。
昨日は普段より早く寝たがそれでも疲れが取れない、ので今から寝ることに決めた。
そう心の中で勝手に宣言して、俺は教科書を枕にする。
「お前ら席に着け。ホームルーム始めるぞ」
夢の世界に旅立とうとしていると担任が邪魔してきた。
仕方がないので顔だけ見えるようにする。
立っている奴らもその言葉に従って自分の席に戻った。
全員が席に着いたのを確認した担任は教卓に手を置き、軽く俺たちを見回した。
「全員いるな。よし、今日の予定は――――の前に少しだけ、話しておきたいことがある」
そう言うと担任は難しい表情を浮かべ、話を続けた。
「このクラスに一つ、空いている机があるだろ? 本当ならそこにも生徒がいるはずなんだが……家庭の事情で入学式に間に合わなくてな」
担任が俺の隣にある空席に向かって指先を合わせる。
入学したときに気になっていたが……そんな理由があったとは。
「で、その用事が昨日で終わり、今日から学校へ通うことができるそうだ。というわけで今から紹介するぞ」
「入ってこい」と担任が外に向かって声をかける。
その数秒後に扉が開き、一陣の風が教室を駆け抜けた。
ひらりとなびく黒髪とスカート。どこからか甘い匂いが漂ってくる
彼女の登場はクラス全員の視線を釘付けにした。
「三崎優香さんだ。お前たち、仲良くしろよ」
腰まで届くストレートヘア。髪色とは対照的に肌は真っ白でシミ一つなく、整った顔立ちと特徴的である青い瞳も相まって西洋人形を思わせた。体躯は小柄ながら出ているところはきちんと主張され、その全てが完璧と言える。
簡単に言えば凄い美少女だったが……はて、どこかで見たような。
既に寝ている脳みそを使って記憶を辿る、がそれはすぐに消されてしまった。
怒号ともいえる歓声。男子だけでなく、女子までも叫んでいた。
この状況を阻止すべく担任が手を叩く。
「はいはい静かにしろ。三崎にはあそこにいる目つきの悪い――――おっと間違えた、相模裕也の隣に座って貰おうか。おい相模! 寝てないで彼女のこと頼んだぞ」
適当に聞いていたことを看破され、担任から小言と共に命令される。
不服だがこれだけは聞いておきたい。
「……なんで俺なんですか? 委員長とか、適切な奴がいるだろ」
どう考えても俺では役不足だろう。
賛成した男子共がそうだそうだ、と声を荒げ、女子はやれやれといった様子で冷たい視線を送っていた。
「ほう……そんな態度するか相模。せっかく特例でバイトの許可を出しているのに……恩を仇で返す奴だったとは思わなかったよ」
右腕で目元を隠しながら担任が上ずった声を出す。せめて笑顔を隠してから演技して欲しい。
しかし、担任の言うことはもっともだ。
俺は特例でアルバイトをしている。
それには色々と事情があるが……アルバイトが禁止であるこの学校で許可が認められたのは現在鳴きまねをしている担任のおかげだ。
そんなわけだからこいつに対して頭が上がらない。
俺は観念して肩を落とした。
「……分かったよ」
「ありがとう、相模。っと、ごめんな三崎。ついお前を放置してしまった。もう席に行っていいぞ」
無言で彼女は頷き、こちらに向かって歩き出した。
全員が彼女を凝視している。
空いている机の元へ来ると、丁寧に椅子を動かし、お手本のように背筋を伸ばして座った。
それを見届けた担任が軽く頷き、
「よし、これでようやく全員が集まった。それではホームルーム始めるぞ」
今日の予定を説明した。
それを聞き流しながら横を見る。
蒼い瞳。先程は思い出せなかったが昨日見た不審者とそっくりだった。
正体は隣にいる彼女だったりして――――
「流石に考えすぎか」
自分自身でそれを否定する。
これ程の容姿であれば友達なんていないはずがない。
他人の空似だろう。
視線を窓に切り替え、空を見上げる。
彼女と同じ、雲一つない綺麗な青空だった。
このとき、僕はまだ気づいていなかった。
無表情で座っている彼女の本当の素顔に。