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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

はるのうた

作者: がめ

雨が好きだった。

激しければ激しいほどに。

呼び込みの声、乾いた笑い。

全てを消してくれるから。



毎日毎日うるさくて、街も人も汚くて、涙も笑顔も嘘ばかり。

やたらとネオンが明るくて、夜の方が眠りづらい。


そんな所で私は生まれた。



昼も夜も薄暗い通路、乱雑に貼られた女だらけのポスター。

香水と油の匂いのするエレベーター、所々インクが剥がれた5つのボタン。

吐き気がするような欲望が積み上がった雑居ビルの5階。

風俗店とヤクザの事務所が並ぶ倉庫のような粗末な部屋。


そんな所で私は育った。



親はいない。


母と名乗る女はいたけれど、いつもどこかで喘いでて、朝方煙草の匂いを連れてくるだけ。


「まだ居たんだ。」


そう言われ続けた。



食事を作れない女だった。

全てコンビニで揃う家庭の味。

冷たくて代わり映えの無い味。

それでも私は待っていた。

服と靴と化粧品が散らかる部屋で。


「雨降らないかな。」


そう呟いて。



女は私を「春」と呼んだ。


「そろそろ売るか買われるかしたら?金にならなきゃ名が泣くよ。」


中3になった私に女は言った。


醜く笑ってそう言った。



その日の晩に私は売られた。



朝、目が覚めると、髪から煙草の匂いがした。


「同じ…同じ……」


繰り返す言葉は涙と下腹部の痛みが伴った。



私からすれば、売るでも、買われるでも無く、ただ奪われ、傷つけられ、汚されただけの春。


毎夜毎夜。


いつしか痛みは無くなって、涙を流す理由も見つからなくなった。



日に日に機嫌が良くなる女。

嬉しくも悲しくもなかった私。

ただ、食事の品が少し増えた事に安心していた。


そんな生活が続いたある日、女は帰って来なかった。

どこぞのホテルで冷たくなっていたそうだ。


ご飯どうしよう。


そう思った。



“薬物の過剰摂取によるショック死。”



その日、話を聞きに来た警察が私にそう告げた。



およそ人らしくなかったあの女が、ショックを受けて死んだらしい。



可笑しかった。


良かったじゃない、最後くらい人になれて。


そう思うと、笑えてきた。



棺から覗く女の顔。


どこか穏やかで、幼く見えた。


少し、私に似ていると思った。


その時初めて、母だと思った。


彼女の死に何の感情も沸かなかった私が、その時ばかりは胸が痛んだ。


血を引いている。


そう思うと悲しくて、嫌になったから。



程なくして、親戚を名乗るおじさんに連れられた私は、雪の降り止まぬ地へやってきた。



真っ白だった。


綺麗だった。


私が居てはいけないような気がした。



雨は振らなそうだな。


そう思った。




・・・・・・・・・・・




冷たい。

バス停からここへ来る数分の間でズブ濡れになったスニーカー。

つま先がジンジンと痺れて痛かった。

柔らかく、いかにも優しそうな雪でさえ私を痛めつける。


「粗末でごめんな。」


少し前を歩くおじさんが、四軒並んだ長屋の一番奥を指差しながら言った。


私をあの小部屋から連れ出してくれたおじさんはあの女の弟だと言う。

あの女とは似ていない。

寡黙だけど、時折向けてくる笑顔はとても優しい。

だけど、この人もきっと雪と同じ。

だって、世界は私に優しくないんだから。


「いいえ。よろしくお願いします。」


もう、どうでもよかった。




・・・・・・・・・・・




「帰ったぞ。」


「はーい。早かったね父さん。おみやげ、、、え?誰??」


「春だ。姉さんの娘。お前のいとこだ。今日から一緒に住む。」


「はぁ?!ここで?!俺らと??ちょっ…あれ?お前スニーカーで来たの?早く上がれよ、足痛いだろ?」


玄関に入るやいなや、知らない男の子にそう言われた。

驚いた。

道中何も話さないおじさんにただついてきた私。

てっきり、二人で暮らすものだと思っていたから。

まさか、同年代の男の子も一緒だとは…。


イジメ。

私が暮らしていた地域には、私と似たような境遇の子も少なからずいたけれど、その中でも私は異様に映ったようだ。

暗く、いつもみすぼらしい格好をした私は標的にされた。

だから私は学校へはほとんど行っていない。

誰しもが私をイジメる訳ではないけれど、同年代の子が近くにいるだけで怖くなってしまう。

私は、彼を見た途端に縮こまり、固まってしまった。


そんな、下を向き、動けなくなっていた私の手を取り、「手も…」心配そうな面持ちでそう言った彼。

気付けば靴と靴下を脱がされ、タオルで足を荒く拭かれたかと思えば、そのまま手を引かれてストーブの前に座らせられた。


「お前、あれか?喋れない系か?不便だろね、こんなに足しゃっこくさせて。言えなかったんだろ?可哀相に。父さんは気が利かなくてごめんな!」

そう言って、彼は申し訳なさそうに笑う。


ストーブの温風が出る口は床から少し高い位置にあったので、足に直接暖が当たるように彼は私の足を少し持ち上げてくれた。

まだ足はジンジンとしていたけれど、暖かくて、気持ちが良かった。


「私、話せる。話せるよ。驚いてしまって声が出なくて…。ありがとう。暖かい。」


「だっ!話せた!」


今度は彼が相当驚いたようで、私の足を持ち上げていた手を急に離してそう言った。


「痛っ。」


急に手を離されたもんだから、足が床に落ちてかかとをぶつけてしまった。


「だー!わりぃ!びっくりして離しちゃった!」


そう言って屈託なく笑う彼。


「大丈夫。」


そう言って彼を見つめる私。


「…………。」


「…………?」


「なんだよ。また持って欲しいの?」


「ち、違う!」


…何でだろう。

私は彼が当然足を持ってくれると思い込んでいた。

そして、持ってもらいたかった。

知らない内に「早く。」みたいな気持ちで彼を見つめてしまっていた。

おおらかな雰囲気で、嫌な顔一つせず、有無を言わさず私に構ってくれる彼に、私は知らず知らずの内に甘えてしまっていた。

出会ってまだ数分も経たない彼に…。

今まで誰かに気を許す事なんてなかったのに…。


『持って欲しいの?』そう言われて我に返る。

急に恥ずかしくなってうずくまった。


結局、彼は私の足を持ち上げてくれていた。

うずくまっていた私が後ろに倒れないように、そっと背中を支えながら。

……顔が…近くにあった…


「俺、陽人はると、中3。お前も春なんだろ?ややこしくなるな!」


「わ、わたし、私も中3だよ、陽人…くん。」


陽気な声で話しかけてくれる彼。

恥ずかしくて目を見れなかったけれど…嬉しくて、ドキドキしていた。


「陽人。風呂沸かしてやれ。」


「ちょっと父さん。先に言ってくれよな?携帯持ってるんだからさ。春が来るって知ってたら飯も風呂も用意したのに。」


「あぁ。そうだな。」


「……ダメだこりゃ。春、ごめんな。今風呂沸かすからな。お腹空いてないか?おでん食べるか?」


「あ、ありがとう。おでん食べたい。」


お風呂を沸かしている間、陽人君は温めたおでんを出してくれた。

「味噌を付けると美味しいよ?」

この地方ではメジャーな食べ方らしい。

コンビニにはなかった食べ方だけど、熱々で、ちょっとしょっぱくて、美味しかった。


おじさんは居間で座椅子に座って新聞を読んでいる。

私の隣りには陽人君が座り、自己紹介とか、この地方の事をアレコレと話してくれている。

「それでね、それでね」って。

何だか可愛らしく思えた。

お腹が空いていた私は、おでんを頬張りながらそれを聞いていた。

彼は自分の事は話すけど、私の事はあまり聞いてこない。

何を聞かれても構わないけれど、楽しい話なんて一つもない私。

ありがたかった。



外は雪。


古くて、けして広くはないけれど暖かい部屋。


寡黙な父と明るくよく喋る息子。


熱くて甘辛い味噌おでん。


彼の瞳に映る私は、嬉しそうに微笑んでいた。




・・・・・・・・・・・




それからはお風呂に入り、陽人君が作ってくれたシチューも食べた。

おじさんはお酒を飲むと少しだけ口数が多くなった。

おじさんが何かを呟いては、それに陽人君がツッコむような会話をしていた。

私はほとんど見ているだけだったけど、微笑ましくて楽しかった。

何だか、ポカポカとしていた。

心も、体も。


今朝まであの部屋にいたのがまるで嘘のようだった。


ただ、あの女の死がこの環境をくれたと思うと、少し複雑な気持ちになったけれど…。




・・・・・・・・・・・




その夜のこと。


沢山お酒を飲んでいたおじさんはそのまま居間で寝てしまった。


「父さんのイビキ、煩くてごめんな。」


「ううん。大丈夫。」


そこら中から聞こえてくる大げさな笑い声や怒鳴り声達を子守唄にして育った私には、イビキの一つや二つなんてなんともなかった。

ただ、おじさんの眠る居間と襖一枚を挟んだこの部屋で、これから陽人君と二人で眠る事を考えると少し落ち着かなかった。

あれだけ男と共にしてきた夜の筈なのに、今日の私は何だかおかしい。


「なぁ、俺緊張して寝れないかもしんない。」


「私のせい?」


「そうだよ。へへっ。俺、女の子と一緒の部屋で寝た事なんかないし。」


(私は……私は…男の人と…)


「だいたいさー、春は綺麗すぎるもん。緊張しない訳ないよ。」


「私が…綺麗……」


並んだ布団に寝そべる私達。

壁側を向いたまま、照れくさそうに彼は言った。

最初は彼と同じように緊張していた私だったけれど、「女の子と一緒が初めて」の言葉で動揺し、『綺麗』その言葉を聞いた途端に完全に心が乱れた。


(私は汚い。汚いんだ。)


ゾワゾワとした何かが、私を襲った。



「私は綺麗じゃないよ。」


「え、ちょ、春?!」


気づくと私は彼の布団に潜り込んでいた。

彼の背中にぴたりと体を寄せ、いやらしい手つきで彼をまさぐる。

あの女とそっくりな、夜の私が顔を出した。


「ねぇ、わかる?私は汚いの。」


「春、ちょっと…。」


「ねぇ、しよ?」


私の中から湧き上がる下卑げひた感情の赴くままに、醜くい笑みを浮かべながら彼を誘う私。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ)


「あ、あのさ、春…よく分からないけどお前…泣いてない?」


「え…」

(泣いてるの?私…)


こちらに振り向き、私の頬に手を伸ばす彼。

彼の指が、涙をなぞるように頬を優しく撫でた。


見つめ合う私達。

そして…



「綺麗だよ。春。」



彼は、目に涙を浮かべ、微笑みながらそう言った。



私は泣いた。

泣きに泣いた。


まるで私の中にある全てを吐き出すかのように、泣き乱れた。


彼は私を胸に抱き寄せ、優しく優しく撫でてくれていた。


一通り泣きやんだ後は、洗いざらいを彼に話した。


とにかく聞いて欲しかった。


どうしようもなく許されたかった。


気持ちがグラグラとしていたから、きっと支離滅裂だったし、話していると辛くなって、何度も泣いてしまった。

そんなめちゃくちゃな私の話を、ただ「うんうん」と聞いてくれた彼。

どんな顔をして聞いてくれていたのかは分からないけれど、私を抱きしめる腕に時折り力がこもった。

その度に私は安心し、頭を擦り付けて甘えた。


ネオンも、街の喧騒も無く、おじさんのイビキも治まった今は静かで、豆電球の小さな明かりだけが灯す六畳間。


腕、胸、匂い、呼吸…彼の全てから伝わる優しさと温もりが私に安心感をくれた。


鼓動の音が子守唄のように心地よくて、私は子供のように眠った。




・・・・・・・・・・・




今日、突然父さんが女の子を連れて帰ってきた。


「姉が死んだらしい」


そう言って出て行ったのが2日前。

その人は確か昔から荒れていて、迷惑ばかりかけるから親戚中から嫌われている、とおばさんから聞いた事がある。

死亡の知らせが届いても、父さん以外は関わろうとしない辺りは噂通りの人だったのだろう。

じいちゃんやばあちゃんの葬儀にもその人は来なかったし。

名前は…確か真梨さん…だったかな?


今日父さんが連れ帰った女の子。

その人の娘だと言う彼女は、荒れていた人の娘とは考えられないくらい、ザ・大人しい子って感じだった。

女っ気が全然なくて、そこらにある物を集めて着ました、みたいな格好だし、髪もボサボサだった。

目が凄く綺麗で、声も可愛かったけれど、意見とかは言えなそうだし、どこか寂しそうで、ほっとけない感じだった。

年は同じだけど、なんか妹って感じで接している自分がいた。


だけど、お風呂から上がって来た彼女は別人のように美しくてびっくりした。

バスタオル1枚で出て来たことにも驚いたけど、全体的に白くて細くて…でも胸がふっくらしていて…。

濡れた長い黒髪、ほんのり赤くなった頬、「温まったー。」ニッコリ笑ってそう言う彼女。


和風ヴィーナスが現れたかと思った。



「服着てから出てきなさい。」


「あ、はい。」


俺は父さんがそう言うまでポーッと見惚れていた。


その後も、あ、そうだ…今日から一緒の部屋で寝るんだ…そう思って夕飯を作りながらドキドキしていた。


でも、彼女は全然料理が出来ないようだし、箸も上手に使えない様子を見ていると、何だか子供に見えてきて、やっぱり妹っぽいなって思った。


そう…だったけど…、いざ寝ようと部屋に入るとめっちゃ緊張した。

妹っぽいとは言え今日初めて会ったし、同い年だし…。

パジャマ持ってないから俺の長袖シャツ貸したんだけど…足がスラりとしててね…ブラジャーもしないからあの……。

と、とにかくやばいからそそくさと布団に入って壁ばっかり見てた。


それから…何を話していたのかは覚えていないけど…春が急に布団に入ってきて、『私は汚い』とか『しよう』とか言って…。


ドキドキするし、妖艶な感じが凄くて、訳が分からなかったけど…なんか泣いてて…可哀相だった。


振り返ってみたら、苦しいような、悲しいような、助けを求めるような顔してて…。


何でそんな表情をするのか全く分からなかったけど、きゅーって胸が締め付けられて…俺も泣きそうになった。


春の言う「汚い」が何を意味するの知らないけれど、汚い人間がこんな表情をするなんて到底思えなくて、素直に綺麗だと伝えた。


すると、急にわんわんと泣き出した春。

びっくりしたけれど、お母さんが亡くなったばかりだし、きっと辛かったんだな…。

そう思って頭を撫でていた。


段々と泣き声が小さくなってきたから、やっと落ち着いたかなーっと思っていたら、今度は早口気味で話し始めた。


話していると時々泣いちゃって、所々よく分からなかったけれど、それはとても現実とは思えない家庭環境と春の仕事についての話だった。


母を亡くしたから辛いとかじゃ全然無くて、むしろ死んで良かったと思える程に、聞いているだけで胸が苦しいし吐き気がする内容だった。


思い出すだけで辛いだろうに、全く止めようとしなかった春。


まるで、話す事で体の中から全てを吐き出してしまいたいように思えた。


そんな春が不憫で可哀相で仕方がなかった。


うちは貧乏だし、片親だし、春とそう変わりのない家庭だけど、特別辛いと思った事は無い。

父親は俺を大事にしてくれるし、友達もいるし、近所の人も良くしてくれているから。


だけど春は……親はめちゃくちゃだし、元々イジメで不登校気味だから友達はいない。

近所にまともな生活をしてる人はいないようだし、親のせいで頼れる親戚もいない。


孤独。


どうしようもない程の孤独。

そんな所へ、追い討ちをかけるようにあの仕事が始まったと言う。


たぶん、俺の想像なんかよりも遥かに辛い毎日だったと思う。


春は何一つ悪くないのに。


想像出来る範囲の事でさえ、俺だったら生きている自信が無いくらいだ。


なのに、なのに何故君は笑うことが出来るの?


今日、春は笑顔を見せてくれた。

何度も、暖かいと言っては笑っていた。


凄い…凄いよ春…。


よく、よく頑張ったね。



もう、この子は泣かせたくない。


絶対に。



泣き疲れ、話し疲れたのか、胸の中で寝息を立て始めた春。


俺の中に芽生えたこの感情は同情か、恋か、愛なのかは分からない。


ただ、俺は春にとっての居場所になりたい。


家族なのか、恋人なのか、友達なのか、今は形なんて何でもいい。


春がいつでも帰ってこられる場所。

そんな存在になりたいんだ。


俺は頭を撫でながら、そう思った。




・・・・・・・・・・・




朝、目が覚めた私は数秒の間状況が分からなかった。

見慣れたいつもの小部屋はそこに無く、目の前には男の胸があって、私は優しく包まれるように腕の中にいたから。

少しして、ハッと昨晩の事を思い出し、顔に火がついたかのように熱くなった。

恥ずかしくて、ちょっと逃げたくなったけど……けど…本当はまだこのままで居たくて…少しよじ登って顔を見たくなったりして…悶えていた。

そうやって人知れず一人で戦っていた私だったけれど、彼が寝返りを打って私の体から腕が外れてしまった。

寂しかったけど、顔を見たくもあったので、体を少し起こして陽人君鑑賞に勤しむ私。


あぁ…触れてみたい…。

頬に、鼻に、唇に…。


実は私はキスをした事がない。

今まで沢山の男が私の上に乗って来たけれど、唇だけは許した事がなかった。

何故と聞かれても上手く答えられないけれど、とにかく嫌だった。

顔が近づくだけで気持ち悪くなった。

だけど…だけど今は……。


寝息を立てる度に少し震える彼の唇。

見ているたけで胸が爆発しそうになるくらいに音を立ててしまう。

今唇を重ねられたら…そう考えると身をよじる程にどうにもこうにもならない自分がいた。


そんな自分が卑猥で、どうしようもなく淫乱な気がして嫌にもなったけれど、とにかく夢中で目が離せなかった。


そうして、モジモジと身をよじっていたら、私の膝が彼の…あの……固くなった所に…ぶつかっちゃって…


「ぐあっ!」


「ご、ご、ごめんなさい陽人君!大丈夫?大丈夫?」


「な、なんだ?!なんだ?!」


「ごめん!ごめん!ぶつかっちゃったの!ワザとじゃないの!」


「は、春!そっか、春居たんだ!な、なんかハズい!違うの!これはその…違うから!」


「大丈夫、落ち着いて陽人君、大丈夫だから、ね?ふ、ふふふっ、あははは!」


「あー!笑った!あー!もうっ!ダメだ、ちょっとトイレ!」


「ふふふっふふっ、いって、、いってらっしゃい、、ふふふっ」


思わず笑っちゃった。

彼には悪い事しちゃったけれど…慌てる彼が可愛くて、可笑しくて…。

はぁ、それにしても、こんなに笑ったの何年、いや、何十年?ん?もしかして始めて?かも。


さっきまであんなにドキドキしていたのに、今はとても楽しい気持ちでいっぱい。

こんな生活がこれから毎日続くと思うと、なんか…ニヤけちゃうな…。


「なんか、楽しそうだな。よく眠れたか?」


「はい!とても、とっても寝心地が良かったです!」


「そうか。おはよう春。」


「おはようございます!おじさん!」


陽人君が襖を開けっ放しで出て行った所から、おじさんが顔を出して挨拶をしてくれた。

陽人君によく似た、優しい笑顔で。


その後、トイレから戻った陽人君は私に「おはよう」と言った。

「さっき言いそびれたから」って照れ笑いしながら。



「まだ居たんだ。」



もう、その言葉を聞く事は無いんだ。

嬉しくて、涙が出た。


陽人君はそんな私を見つめて、「綺麗だよ」ってまた言ってくれた。


思わず駆け寄り、キスしてしまった。


初めてのキスは歯磨き粉の味がした。


美味しいな…と呆けていたら、「春、父さん居るから…」少し困った顔をして陽人君が言う。

ハッとしておじさんの方へ顔を向ける私。

「嬉しいなら、いい。」

優しく笑ってそう言ってくれた。



世界は私に優しくなかった。

窓の外は今日も雪。

音はしないし、やたらと冷たい。

けど、悪くない。


そう思った。



「春、今日はパジャマ買いに行こうな。」


「うん!」



シチューは今日も温かかった。






「しゃっこく」は北海道弁です。

冷たくなって、という意味です。

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