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クラッシュトリガー  作者: 御崎悠輔
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第六章 出逢い

 赤く錆びれていく惑星。それが地球だった。

 ガイア暦0999年の地球は、公害と「アスラの雷」と呼ばれ、伝説となった核戦争による放射能汚染に覆われて、日下達が生きている青い惑星の面影は微塵もなかった。

 日下らは、その赤い地球を傍観していた。体の中に怒りが奥底から湧き上がってくるのを覚えた。

「これが、地球? 未来の地球なのか?」

「これが、地球なんですか?」

 轟が呟く日下を責めるような目で見た。

「この惑星が、本当に地球なら、だったら許せない」

 コンソールに向き直りコンピュータによる照合を行った結果、地形もまるで変貌しているが、この惑星は紛れもなく地球だった。

「いずれにしても、間もなく大気圏に突入する。轟、カズキさん、シートについてくれ」

 ラグマ・リザレックの両舷から翼が展開した。


「緊急指令、緊急指令、全艦隊に告ぐ。ポイントSW24Aに、国籍不明の巨艦が出現。迎撃体制に入れ」

 アナウンスが何度も繰り返される。それに反応し、兵士達は命を省みない戦鬼と化す。

 デリバン連合王国の軍事作戦室。あらゆる情報がモニターに映し出されている。その中に、ラグマ・リザレックが映し出されていた。

 デュビル・ブロウ中佐も、そこにいた。

「迎撃ミサイル、発射」

 オペレータの指示で、デリバン連合王国のミサイル基地から巨大なミサイルがラグマ・リザレックに向けて発射された。

 だが、ラグマ・リザレックはその直撃を浴びながらも、全く無傷のまま、なお侵攻してくる。

 それを見たデュビル・ブロウは、黙って作戦室を後にした。


「轟、どうだ。見つかったか?」

 シート越しに、カズキが問いかけた。

 轟はコンソールを操作して、アレック・アルベルンの残したメモリーディスクを検索していた。

「あ、ありました」

 轟はそう言って、見つけた情報をメインモニターに映し出した。轟は日下の指示で、艦内に、地上攻撃用の兵器がないか捜していたのだ。

 そこには、戦闘機と戦車をミックスしたような兵器が映し出されていた。

「これは変わった兵器だな。戦車みたいだけど、空も飛べるのか」

「ファイアードレイク、という名前がついていますよ」

「どこに格納されてるんだ?」

 というカズキの問いに、日下がコンソールを操作しながら答えた。

「後部のラグマ・レイアに専用の発進デッキがあるようだ。それに、もうひとつ見つけたぞ」

「なにを見つけたんだ?」

「艦載機だ。八咫(やた)(がらす)というらしい」

 日下はそう言って、その艦載機をモニターへと映し出した。

 シンプルなフォルムを持った艦載機だった。スペック上の性能は、日下の時代の航空機の能力を遥かに凌駕していた。

 日下達は、肚を決めた。この時代の軍事基地を攻撃して、少しでも侵略の足を止めようという考えだ。

「よし、これを使って、地上攻撃をする。基地上空をこのラグマ・リザレックで陽動し、その間に、この戦車タイプのファイアードレイクと、八咫烏という艦載機で地上攻撃を援護する。叩くべき目標の軍事基地はここだ」

 そう言って示したポイントは、デリバン連合王国の首都デリグレードの軍事司令部だった。

「迎撃ミサイルが飛んできた方位を分析した」

「ラグマ・ブレイザムが使えたら、てっとりばやいんだがな」

「そう言うな。あれは、先の戦闘で翼をやられてしまった。飛べない武器をあてにはできない。さて、役割分担だが」

と、日下は一旦言葉を切って二人を見比べた。轟が、僅かに目を伏せた。

「俺が、ファイアードレイクで出る」

と、カズキが言った。

「最前戦だぞ。カズキさん」

「任せろ」

「轟は?」

「…………」

 轟は無言のままだ。この少年を最前線に送るわけにはいかない。

「轟は、ラグマ・リザレックに残れ」

 日下の言葉に、轟は幾分安堵したようだ。

「八咫烏は、俺が乗る。だかな、轟。敵の攻撃はこのラグマ・リザレックに集中するはずだ。俺とカズキさんが帰ってくる唯一の場所なんだ。しっかり守ってくれよ」

 彼はゆっくりと小さく頷いた。

「ワーニングメッセージ。熱源反応、接近」

 コンピュータガイダンスが、警報を告げた。

「迎撃部隊だな」

 カズキが熱くなって叫んだ。

 モニターに目をやると、そこに機動要塞が1機映っていた。

「機動要塞だ」

 彼等は立ちすくんだ。彼等が最も苦手とする兵器なのだ。

「くそ、予定変更だ。ブレズ1で出る。あれは、並みの艦載機一機じゃ倒せない」

「よし、出るぞ」

「轟、頼んだぞ」

 日下達は、それぞれのコクピットに走っていった。

 ラグマ・リザレックの中央格納庫より、ラグマ・ブレイザムへと変形合体する超大型戦闘機のひとつブレズ1が、後部専用デッキからファイアードレイクが、それぞれ発進した。

 そして、その空域に機動要塞が接近していた。しかし、それは実戦配備されたザゴンとは、少し形状が違っていた。それは、ザゴンの開発ナンバー時代のプロトタイプなのだ。そもそも機動要塞は、ギネル帝国のオリジナル兵器である。それがデリバン連合王国にあるのは、軍事同盟の所以であった。

 軍事同盟を機に、両国は戦力の均衡と補強を行ったのだ。デリバン連合王国からは大量の武器弾薬と戦艦が、ギネル帝国からはそれに匹敵するものとして機動要塞のプロトタイプが受け渡しされた。

 今、そのプロトタイプザゴンが、ラグマ・リザレックに挑みかかる。

 そのコクピットには、デュビル・ブロウ中佐がいた。


 マリコ・クロフォードは、デリバン連合王国軍事基地作戦司令部の通信オペレータだ。

 しかし、彼女はこの仕事に望んでついている訳ではなかった。戦争が激化するに連れ、定期的に適性検査が行われるようになり、マリコはこの作戦司令部に徴用された。

民間徴用制度。その任期は2年。そして、今年が2年目だ。

 彼女に両親はいない。彼女は、生まれたときから施設で育った。ある意味マリコは不幸な育ち方をしたが、彼女は健気にも優しい気持ちを常に持ち続けていた。

 彼女は小さな子どもたちが好きだった。マリコは幼児教育に携わって、小さな子どもたちに囲まれて、青春を過ごしたかった。歪み、擦り切れてしまいそうになるその気持ちを彼女は忘れまいと、必死に抱きかかえていた。

 だが、運命は血生臭い報告をさせる女性兵として、彼女を通信席に強引に座らせた。そして、現在も殺戮の報告を、殺戮する人間に告げていた。

 ふと、マリコは自分の肩まで伸びた亜麻色の髪に触れてみた。ふわりと軽くカールした柔らかい髪。だが、それに艶がなくなっていた。

 通信オペレータになる前まで、彼女は陽気で明るく、子どもたちばかりか誰からも愛されていた。もちろん、その笑顔を忘れてはいない。が、春風にも似た自分の性格が、この職務で徐々に変化していくのを、彼女は自覚していた。

 マリコは嫌だった。たまらなく嫌だった。マリコは、子どもたちが好きなのだ。大好きなのだ。その子どもたちと過ごす自分の夢を叶える事無く、自分の夢も自分の性格が変わっていく。そんなことにならないように、マリコは自分らしさを必死に維持しようとしていた。

 突然、作戦司令部の近くに爆発が起こった。それは二度三度と誘爆を伴った。

 敵の攻撃なのだろうか?

 マリコは、不安が重なってゆくのを感じた。

「着弾は、どこだ?」

「避難民収容所の付近です」

 その声を聞いたとき、マリコはいても立ってもいられなくなった。避難民収容所には、未来ある子どもたちがたくさんいるのだ。

 マリコはヘッドフォンを外し、通信席を離れた。後でどんな処分を受けても構わない。子どもたちの安否を確かめたい。

 マリコは微弱ながらサイコシールドを張り、作戦司令部を抜け出した。

 今のマリコ・クロフォードには、まだ子供を思う優しい気持ちが充分にあるのだった。


 機動要塞ザゴンプロトタイプは、実戦配備されたものに対して二周りほどサイズが小さい。形態も微妙に違い、両翼と垂直尾翼が大きく張り出しており、爆撃機のイメージが強い。だが、内部は完全に要塞化され、その機動力はデリバン連合王国のどの戦闘艦よりも他を圧倒していた。

 おそらく、デリバン連合王国の兵器開発のメンバーはこのプロトタイプを徹底的に分析して、これに匹敵する兵器を作り出すだろう。釣り合いがとれないほど大量の武器弾薬と艦船をギネル帝国に提供し、その見返りとしてザゴンのプロトタイプを強引なまでにラナス・ベラ皇帝に要求したガルフラン・ジュダック首相の狙いはそこにあるのだろう。

「マクレガー少佐率いる先発隊を葬って、尚すぐに逆襲に転じてくるとは思い切った奴だ」

 レーダーレンジに捕らえたラグマ・リザレックを認めて、デュビルが呟いた。

 流れ弾や撃墜された炎の塊をかいくぐって、デュビルの搭乗するザゴンプロトタイプは、滑らかな運動性能をみせてラグマ・リザレックへと急激に接近していく。

(どこを狙う? ブリッジか、エンジンか)

 緊張感と高揚感が混ざり合い、デュビル・ブロウの血液の温度が一瞬沸き立った。テンションが張り詰めたとき、彼はトリガーを絞った。

 ミサイルとレーザーが、着実にラグマ・リザレックへと破壊の軌跡を伸ばしてゆく。

 それと同時にラグマ・リザレックより超巨大戦闘機が、こちらに向かって来るのを視認した。

その後、少しの間をおいて、後部デッキより爆撃機とも戦車ともとれる形をした飛行物体が飛び出してきた。両翼に各一門、小さな2枚の垂直尾翼の間に一門の計3門の長い砲塔がある。その底部には、キャタピラが覗いている。武骨なキャタピラに、シンプルな機体。アンバランスな組み合わせだが、何故かよく似合っていた。その兵器ファイアードレイクは、降下体制に入り、徐々にスピードを落としていく。

 狙いどころだと思うと同時に、デュビル・ブロウはプロトタイプザゴンを反転させ、ファイアードレイクへの攻撃体制を確保した。その射線上にロックし、まさにトリガーを引く瞬間に左舷に衝撃が伝わった。

 デュビルは最高速でそこを離脱する。コンソールを抜けた彼の手は、後方監視レーダーレンジを最大に広げ、モニターを最望遠にする。

 巨大戦闘機ブレズ1の攻撃だった。

 デュビルは、目標をそれに転じた。二連装主砲にそれを狙わせ撃つ。が、それを敵は紙一重でかわして、左へと方向を転じた。

「やるな」

 無意識に言葉がついて出る。

 敵の巨大戦闘機は方向転換した先に飛行していたガーガン・ロッツを撃墜し、再びこちらを補足したようだ。レーザー機銃の光が見えた。

 デュビルは下部ノズルを開き、上昇して敵の火線を回避し、なおかつ攻撃ラインをとった。

 ミサイルを撃つ。三連射。敵は、二射まではかわしたが三射目のミサイルは直撃をうけた。

 しかし、それで撃墜できなかった。一瞬目を疑ったが、デュビルは高速移動する。だが、その先にミサイルが飛んできた。慌てて右舷のノズルを噴射させて、それをかわした。

「あたりはせん」

 デュビルはそう呟いた。

 日下とデュビル。二人が激烈なドッグファイトを演じている間に、カズキは既に軍事基地付近に着陸していた。


 ファイアードレイクのコクピットは二つある。一つは操縦、一つは砲手のコクピットだが、操縦の方がメインとなっていて、そこで攻撃システムもコントロールできるようになっている。最大3名が搭乗できる。

 メインコクピットは、通常の戦闘機よりは広く作られている。だが、カズキの体躯でそこに座り見渡せば、計器やメーターばかりのさながらメカの缶詰である。

 着陸するとカズキ・大門は、飛行モードから戦車モードへとシステムを切り替えた。キャタピラが始動して、荒々しい振動が伝わってきた。時速六十キロで進行する。前方のモニターに、デリバン連合王国の軍事司令部の姿が映った。

 各砲塔の照準をとる。

 トリガーを絞った。

 ゴゥン!

 衝撃音が伝わって、ファイアードレイクの各砲から、ビーム弾を発射した。

 蒼白い光を放ち、命中した箇所を粉々に破壊した。

 それと同時に、兵士がわらわらと溢れて、建物や瓦礫の影に身を隠したのが見えた。すぐに、対戦車砲弾が発射された。

 カズキは、ビームを撃ち続けた。

 人々の阿鼻叫喚が渦巻き出した。

 カズキは侵攻を続けた。瓦礫の山を乗り越え、しだいに軍事基地の中核へと押し進む。

 ファイアードレイクのキャタピラ音が、しだいに大きく響いていた。


マリコ・クロフォードは愕然として、その場に佇んだ。

 避難民収容所の建物の半分は破壊され、無残な屍がそこら中に転がっていた。

ビーム砲によって灼けただれた屍は凄じい悪臭を放ち、熱気とともに陽炎のように揺らいでいた。

 女性兵になる前ならば、とても平静を保っていられない光景だった。だが、マリコはそれに耐え、生存者を捜しにその奥へと駆け出した。

 散々声をからし、探し回った甲斐あって、マリコは瓦礫の奥まった所で、重軽傷者含めて十二名の生存者を見つけた。それぞれに逃げ場所を指示して、泣き叫ぶ負傷者の肩を担いで、マリコは列のしんがりについて誘導した。

 突然、一人の女の子が列を離れて、もとの避難所へ舞い戻ろうと駆け出した。

「アッ」

 マリコは、担いでいた人の肩を隣の前の人に預け、すぐさま女の子の後を追いかけた。

 七、八歳であろうか。「ママ、ママ」と泣き叫びながら、女の子は一目散に瓦礫へと走ってゆく。

 マリコは必死になって、その女の子の後を追った。

 瓦礫の向こうでは、時おり小爆発がおきている。何かに引火して、いつ大きな爆発を起こさないとも限らない。危険だ。

「待って。待つのよ。そっちへ行っては駄目」

 だが、少女にはマリコの声が届かないのか聞こえないのか、一向に止まらない。

(待って。お願い。そっちへ行かないで。危ないから、行ってはダメ)

 マリコはテレパシーを送ったが、少女はパニック状態で全く伝わっていない。

 マリコは走った。


 カズキは応戦に出てきた歩兵の中、身動きの取れない状況に陥っていた。進めないのだ。

 モニターには、レイガンや対戦車バズーカを手にした兵士が、それを撃ちまくっている姿が映っていた。

 ファイアードレイクの装甲は頑健だが、それもこの状態が続けば保証の限りではない。

 カズキの、レバーを握る両の手がじっとりと汗ばんでくる。

 歩兵は次々と増してゆく。

 カズキは、その兵士を踏み潰したい衝動にかられたが、必死に堪えた。

「ええーい、これじゃあ、何もできないじゃないか」

 カズキの怒りは頂点に達した。ファイアードレイクの主砲を撃ち込んだ。

 破壊ビームが兵士達を吹き飛ばした。

 だが、それは更にデリバン兵士達の怒りと憎悪を増幅したようだ。敵は増え、カズキへの攻撃は更に激しくなる。

ファイアードレイクは、完全に包囲された。

 バズーカの破壊エネルギー弾が一気に集中し、それがファイアードレイクの飛行モードシステムに損傷を与えた。

(まずい)

 カズキの心臓が早鐘のように鳴り出した。

 警告ランプとメッセージが飛行モードへの変形ができないことを告げた。

 何かが、カズキの胸の奥に大きな渦となって広がり始めた。それを振り払うように、カズキは大声で叫び声をあげていた。


 この状況を最初に捉えたのは、日下だった。

 だが交戦しているデュビル・ブロウのザゴンプロトタイプが、彼を押さえ込んでいた。とても、援護に向かえる状況ではない。

「轟、応答してくれ。轟」

「ハイ」

「轟、カズキさんのファイアードレイクが、完全に包囲された。援護を頼む」

「冗談は止めてください。僕にあの中に行けって言うんですか?」

「頼む。カズキさんが、やられてしまう。轟、お前しかいないんだ。カズキさんを救えるのは」

「そんなことを言ったって、僕にどうしろっていんですか?」

「うわー」

 轟の問いに返ってきたのは、日下の叫び声だった。モニターに目を転じると、日下のブレズ1は、デュビル・ブロウのザゴンの攻撃に損傷を受け、バランスを崩している。

「みんな、勝手な事を言って。勝手なことを僕に押しつけて。僕は軍人じゃないんだぞ」

 轟はその場に座り込んだ。右のモニターには、立ち往生して集中砲火を受けているファイアードレイク。左のモニターには、ザゴンに完全に補足されたブレズ1。轟の心臓が爆発しそうなほど早く脈打った。

 緊張が、轟の全身を包み込んだ。眩暈と嘔吐感が交互に押し寄せてくる。

 状況は日下の言う通りだ。ここで轟が援護に出なければ、カズキ・大門の命はないだろう。だが、それが自分の生命の危険と引き換えにしなければならないものなのか? 他人のために、自分の命を差し出すような覚悟をしなければならないのか。それを僕がしなければならないのか? 

 醜いと思いながらも、轟の中で自分自身の保身と、カズキの命とを秤にかけていた。

 頭を掻きむしり、やがて轟は叫んだ。

「戦争なんか、戦争なんかあるからいけないんだ!」

 彼は、ファイアードレイクの格納庫へ走り出した。


 マリコ・クロフォードは、少女を追いかけた。パニック状態の少女は、もといた避難所へと走っている。だが既にそこは破壊され、死体が転がる惨劇の場所だ。

 そんな場面を、幼い少女の目に触れさせるわけにはいかない。マリコは必死になり、ようやくの思いで追いついた。

「見ちゃダメ!」

 マリコは少女に飛びついて、その視界を遮った。

「ママ、ママ」

 マリコの胸の中で少女は泣き叫んでいた。

「泣かない。泣かないの。ここは危ないから、お姉さんと一緒に行こう」

 いつ攻撃が来るかわからない。もしかしたら、この足元から誘爆が起きるかも知れない。この周辺は、あまりにも危険だ。はやる気持ちを押さえて、マリコは少女のパニック状態を沈めたい一心で、努めてゆっくりとした口調で話しかけた。

「ママ、ママが、ママがいないの。キャシィのママがいなくなっちゃったの」

「キャシィ? そうか、キャシィっていうお名前なのね。キャシィ。いい。ママはお姉さんが、後で必ず捜してあげる。だから、キャシィ、ここはとっても危ないからお姉さんと一緒にあっちへ逃げよう。わかったね」

 マリコはキャシィという少女を抱きかかえると、硝煙と熱風にむせ返りそうになるこの場所を離れた。

「ママは、どこにいったのかな」

「きっと先に逃げて、今ごろキャシィを捜しているかもね」

 涙にしゃくり上げながら、キャシィは不安げな目でマリコを見つめていた。その顔が煤で汚れていた。

「きっとそうに違いないわ」

 キャシィに向かって、そう答えたものの自信はない。いや、むしろ状況的にはキャシィの母親は爆撃の犠牲になった可能性の方が高い。

 マリコ・クロフォードは、キャシィという少女を抱きかかえて走り続けた。


 轟・アルベルンの搭乗したファイアードレイクが、カズキのポイントに到着した。飛行モードから戦車モードに切り替わり、ファイアードレイクはすぐに攻撃を開始した。いつの間にか、カニグモが砲手のコクピットで、轟のサポートをしている。

 轟の乗ったファイアードレイクをモニターに捉えたとき、カズキの胸中に安堵の気持ちと、轟に助けられたと言うなんとも情けない気持ちとが交互に押し寄せた。

 陸戦部隊の兵士は、新たに登場したファイアードレイクを見つけたことで、攻撃対象が分散し、カズキへの集中砲火が一時緩まった。

「カズキさん、大丈夫ですか?」

 モニターに顔面蒼白の轟の顔が映った。

「轟か。すまん。ありがとう」

 恐怖を押し殺して、よくぞ助けにきてくれた。カズキは、轟の顔を見て素直にそう思った。

(しぼ)みかけた気持ちを奮い立たせ、カズキは攻撃を再開した。

 轟の増援で、陸戦部隊との交戦は一気に形勢逆転となった。

 次々と砲撃を加え、施設を破壊する。

「終わりにするんだ。こんなこと。早く終わりにするんだ」

 轟は繰り返し繰り返し、コクピットでそう呟きながらトリガーボタンを押し続けた。

 二台のファイアードレイクは、更に進撃を開始した。


 マリコは走り続けた。

 だが、そのさなか彼女は聞き慣れない武骨なキャタピラ音を聞いた。

(敵が近くにいる)

 そう感じ悟ったとき、彼女の全身からドッと汗が噴き出した。

(どこ?)

 自分の置かれている状況を確認するため、マリコは立ち止まった。感覚を研ぎ澄ます。あのキャタピラ音はいったいどの方向から聞こえたのか、耳をそばだてた。だが、それが聞こえてこない。

 嫌な予感がした。

 先に避難しているグループとは、完全にはぐれてしまった。周囲が破壊されて、見覚えのある施設がすっかり変わってしまっている。方向感覚も狂いそうだ。

(とにかく、司令部に戻れば)

 そう思い、マリコはまた駆け出そうとした。その瞬間、前方から背後のビルに向かいビームが飛んだ。

 あっという間にビルが壊れ、頭上から瓦礫が降ってきた。

「危ない」

 キャシィを抱きかかえたまま、マリコは身を屈めた。自分のもてる最大能力を解き放って、マリコはサイコバリアーを張った。

 だが、それにも限界があった。礫程度のものは弾き返せる。しかし、それ以上の大きさのものまでは防ぎきれない。サイコバリアーを破り、倒壊した瓦礫にマリコは脚をとられて動けなくなった。

「アーッ」

 苦痛に叫び声をあげるマリコの腕の中で、キャシイが安否を問うように「おねぇちゃん」と呼んだ。

「キャシィ、大丈夫? 怪我してない? どこも痛くない?」

 キャシィはマリコの腕の中を抜け出した。どうやら、キャシィはかすり傷一つ負っていないようだ。

「キャシィ、大丈夫? よ、良かった」

 かすかに頷くキャシィの顔を見て、マリコは心底安心した。

「おねぇちゃん、痛い?」

「大丈夫よ。おねえちゃんは、強いから」

 だが、言葉と裏腹にたちまちマリコの顔は苦痛と脂汗で歪んでゆく。

 キャタピラの音が迫ってきた。こちらに近づいている。

(まずい)

 マリコの胸に言いようのない不安が広がった。このままでは、逃げ出すこともできない。かと言って、助けも期待できない。

 マリコは、自分の両足を押さえつけているコンクリートの塊から脱出しようともがいた。しかし、それは重く彼女の脚を押さえつけて離さない。ただ、幸い両脚は潰されたという訳ではないようだ。わずかに隙間があって、その中に脚が埋没しているのだ。動かせば、僅かに脚は動く。

 なんとかなる。なんとか脱出できる。そうポジティブに気持ちを切り替えたとき、それを打ち砕くように瓦礫を粉砕して、見慣れない戦車がマリコの目の前に現れた。

「キャシィ、逃げて!」

 マリコは大声で叫んだ。しかし幼い少女に、一人で逃げるのは無理な注文だった。キャシィは、そこに立ち尽くしたままだ。

「キャシィ、逃げるのよ」

 もう一度叫んだが、結果は同じだった。


 ファイアードレイクは、その場に静止していた。そのコクピットではカズキが何事かと様子を窺っていた。どうやら、女性が戦闘に巻き込まれたらしい。

 カズキはハッチを開け、外へ出た。相手も、それに気付いたらしい。

 カズキは微笑んだ。一歩踏み出すと、意に反して彼女は、

「キャシィ、逃げて! 殺される!」

 叫ぶと同時に懐より銃を取り出し、ピタリとカズキに狙いをつけた。

 カズキは、歩み寄る歩を止めて、立ち止まった。

 上空では、盛んに機銃音と爆発音と閃光が絶え間なく鳴り、そして光っていた。

 緊張感の張りつめたカズキとマリコの距離の間で、わずかに空気が動いた。

「そこから一歩でも動いてごらんなさい。撃ちます!」

 腹ばいになった姿勢で、苦痛に脂汗を滲ませながら、マリコは凛とした声でそう言った。

(立派なものだ。こんなかわいらしい女性が、こんな真似をするとはな)

 毅然とした態度をとるマリコに対して、カズキは率直にそう思った。

 一歩更に歩を進める。

「動かないで! 撃ちます」

 そう言った手は、かすかに震えていた。

 そのとき不安定に破壊されていた瓦礫が再び崩れ始めた。その破片が二人を不安げに見つめていたキャシィの上に降り掛かった。

「危ない!」

 マリコがヒステリックに叫んだ。

 咄嗟にカズキは駆け出し、キャシィの上にかぶさり少女を庇った。カズキの背中に次々と瓦礫の破片が降り掛かる。

「キャシィ!」

 やがて瓦礫の中から、カズキがキャシィを抱きかかえて立ち上がった。その額からうっすらと血が滴っている。彼は少しふらついたが、しっかりとした足取りでキャシィをマリコの前に静かに降ろした。キャシィは無事だ。怪我一つしていない。

 カズキはすぐに、マリコの下半身を押さえつけている瓦礫をどける作業に入った。

 満身の力を込め、カズキはコンクリートに手をかけそれを持ち上げようとする。

その姿をマリコはただ無言で見つめていた。

「こいつーっ!」

 その声が消えると、マリコの脚の痛みが嘘のように消えてなくなった。血まみれのカズキはどっとうつ伏せに地面に倒れ、大きく息を吐いた。

「あなた、敵なんでしょう? 何故、私やキャシィを助けてくれたの?」

 マリコは、警戒しながらカズキを覗き込みながら、そう尋ねた。

「子どもは…どこだって、どこにいたって、敵じゃないだろう。人間だったら、誰だって見捨てやしねェよ」

 マリコは黙って頷いた。だが、マリコは知っていた。子どもを平気で殺せる人間も、また世にいることを。それはデリバン連合王国の中にでも。ギネル帝国にも。でも、この人は違うのだ。例え敵であっても、子どもを助けてくれたのだ。

「ありがとう」

 マリコは、銃をしまいカズキの手当てを始めた。


 轟は、どこかでデリバンのコンピュータ端末を見つけ、データを盗み取れないか、と考えた。軍事基地のマップデータでも、手に入れることができたならば、それから作戦も立てやすくなる。ひいては、こんな戦争を早く終わらせることができるかもしれない。そう考えた。

 だが、その端末を求めてファイアードレイクを走らせているうちに、今度は轟の方が悪戦苦闘に陥った。兵士に囲まれ、四方八方からレイガンのレーザーを浴びていた。

 轟の心が、緊張と恐怖のため飽和状態になってゆく。

 レイガンの銃声が重なり、絶え間なく続いていた。

 耐えかねて三連装のビーム砲のトリガーを絞った。

 青白い光が、その進行方向にいる全ての兵士と建造物をバラバラに粉砕していった。その地獄絵に狂気を逆撫でされた兵士が、更にファイアードレイクへ接近してきた。

 ファイアードレイクが、レーザー機銃を掃射した。間近にいた兵士の内蔵や脳漿、血飛沫が、弾丸に弾け飛び、地面に散らばっっていった。たちまち地面は血と体液と肉塊で埋め尽くされた。飛び散ったその一部が、ファイアードレイクの小さな防弾ガラスにへばりついた。

「ゲッ」

 思わず轟は目をそむけ、ワイパーでそれが除去されるのを待った。

 死んでいった者達の凄惨な姿が、更に兵士達の狂気を呼び覚ました。攻撃が一段と強まる。

あたかも野獣の咆哮のような叫び声とともに、デリバンの兵士達が狂暴な攻撃本能を露にして、ファイアードレイクに攻撃を続ける。

「やめろ、やめてくれ。僕に人殺しなんかさせないでくれ。なんで、なんで、向かってくるんだ。なんで、反撃してくるんだ。僕は、撃ちたくなんかないんだ」

 轟は、そう叫んでいた。だがその言葉と裏腹に、轟は自分の身を守るためにトリガーを絞りビームを発射し、兵士を殺していく。その台詞は、自分を正当化するためだけの自己弁護に過ぎなかった。

「早く、端末を手に入れてラグマ・リザレックに帰るんだ。データさえとれたら帰れるんだ」

自分にそう言い聞かせて、轟はアクセルを踏み込んだ。ファイアードレイクの速度が上がった。前進する。

 ビームを連射しながら、やがて轟はデリバン連合王国軍事司令部の正面に出た。

 しかし、そこの守りは当然の如く固かった。戦車部隊がズラリと並び、その砲門が一斉に轟のファイアードレイクを狙っている。

 なにかを合図に、砲撃が始まった。

「ウゥワァーッ」

 ファイアードレイクは、全速で後退を始めた。それと同時にビームを放ち、敵戦車部隊に攻撃を加えたがそれ以上の攻撃が、襲って来る。

「カズキさん。どこにいるんですか? 助けて! 助けてください」

 体中から絞り出すようにして、轟は通信機に向かって叫んだ。


 カズキはマリコの手当てを受け、再びファイアードレイクに乗り込もうとしていた。

(かなりの時間を費やしてしまった。轟、大丈夫か)

 突然マリコが訝し気にカズキを見上げた。その心配そうな瞳に、カズキは驚いてマリコの美しい顔に、瞬間視線が固定されてしまった。

 カズキに見つめられ、今度はマリコの方がとぎまぎしてしまう。その顔は、少し紅く染まっていた。

 現実の戻ろうとして、カズキは少し首を振った。

「仲間が危ないんだ。俺は、行かなくちゃならない」

「どこへ?」

 カズキは、マリコに感じるこのふんわりとした感覚を、もっと確かめたい衝動にかられた。が、轟のことが頭を(よぎ)る。今、カズキがしなければならないことを再認識せざるを得ない。

「あんたと俺は敵同士だ。あまり、話さない方がいい」

「敵? いいえ、あなたは敵ではありません。私とキャシィを助けてくれた」

 マリコはキャシィに視線を落として、微笑んだ。そして、まるで抗議するような口調で「あなたは敵じゃありません」と繰り返した。

「どうだろうと、俺はあんたの敵なんだよ。俺は、あんたらの国の軍事施設をぶっこわさなきゃならない。敵同士だ」

「…………」

 マリコは、無言で静かに首を横に振った。カズキはそれを無視するようにして、ファイアードレイクのハッチを開けた。

「名前、教えてくれよ」

「マリコ・クロフォード。あなたは?」

「カズキ・大門。ここは、危険だ。早く逃げろ。死ぬんじゃないぞ」

「また、逢えますか?」

「生きていれば、逢えるかもな」

 そう言うと、カズキはハッチを閉じた。そして、ファイアードレイクを起動させ、荒々しいキャタピラ音を響かせてマリコ・クロフォードのいる場所から遠ざかった。

 何度もカズキは、後ろを振り向きたい衝動にかられたが、見なかった。

 前方にドーム状の一際大きな建物が見えた。そこから、激しく閃光が飛び交っていた。それを見て、胸騒ぎを覚えたカズキは轟の無事を祈った。


 至近距離で、時には直撃を受けながらも、轟の乗るファイアードレイクは良く耐えた。しかし、それにも限界があった。

 右側面のビーム砲が既に使いものにならなくなっていた。

 じりじりとした焦燥感が轟を追いつめてゆく。彼はあらゆる武器を解放したが、現状の打開には至らなかった。轟の操るファイアードレイクの動きは、素人の動かすラジコンカーのようなものだった。

 突然、右側より装甲を貫かれた。地上攻撃用の熱線砲(ブラスター)が、ファイアードレイクのキャタピラと補助タンクを貫通したのだ。

 なんとも不気味な感触を全身で感じた。不吉な予感が轟の心を占領してゆく。

コクピットの計器類が一斉に喚き出した。警告のメッセージが流れ出す。室内の照明が、赤く点った。絶え間なく計器は轟に警鐘を鳴らし続ける。

「な、何? 何が? 何が起こったんだ?」

 戸惑い、あまりの出来事にパニックに陥った轟が、甲高い声でそう喚いたとき、サポートについていたカニグモのカメラアイが大きく光った。

「ワーニングメッセージ。本機損傷度、限界性能を越えました。パイロット保護プログラム作動。コクピットを射出します」

 コンピュータの音声が、轟に伝えた。

 瞬間、上部のハッチが開き、轟はコクピットの一部ごと上空へと射出された。自動脱出装置が働いたのだ。

 上空に舞い上がり、最高上昇点で逆噴射がかかった。着地体制に入る。そのほぼ真下でファイアードレイクが、火柱を吹き上げて爆発炎上した。

 恐ろしいことだった。轟は、生身の身体一つで戦場に放り出されたのだ。

 デリバン連合王国の兵士達に容赦はなかった。敵兵達は、轟の乗った脱出カプセルを狙撃するべくレイガンを放つ。

 キャノピー越しにかすめて走るレイガンは、あまりに鮮やかな光彩を放ち、轟の命を狙っている。落下速度が、あまりに遅く感じられた。かといって、着地したら、一体どうすればよいのだろう。轟のパニック状態は続いていた。

 ガシャンと音がして、まるで「受け取れ」というように、シート脇からビームライフルが飛び出した。

 このビームライフル一丁で、この戦場を生き延びなければならない。そう考えた時、轟はあまりの緊張のため、コクピットの中で嘔吐した。しかし、状況は否も応もない。ゲェゲェと嗚咽しながら、息を整え、生死を分ける時間を待つしかなかった。

 轟は、一度絶叫した。

 脱出コクピットが、ついに着地した。同時に、レイガンの光条が集中する。

焦る気持ちと戦いながら、もたつきながらもシートベルトを外し、轟は脱出カプセルを抜け出して外へと出た。

「カズキさん、助けて」

 轟は涙していた。

 脱出コクピットを盾にして、銃撃を試みる。だが初めて手にした銃で、命中するはずもない。そんな轟に、敵を倒す自信など持てるはずもなかった。

 何人かの兵士が、迫り来るのが見えた。轟を包囲し始めているのだ。

 このままでは捕まり、果ては殺される。そう考えが過ったとき、轟は叫び声をあげて、その場を駆け出した。

その背後から、次々と銃撃音と光条が迫り来る。何度も転びながら、彼は走った。一つの大きな瓦礫の山を見つけた。

 轟に戦意は皆無だった。ただひたすら逃げたかった。

 身を隠す瓦礫まで、後二十メートル………十メートル……五メートル……三メートル……二メートル……あと少し、と思ったその時。

 一条のレーザー光が轟の右腕を貫いた。肘の関節よりわずかに下の位置をレーザーが撃ち抜いて、そして轟の腕を引きちぎった。

 一瞬、時間が止まった。轟はスローモーションのようにゆっくりと地面へと倒れた。

 レーザーが通り抜けた瞬間は、まるで痛みを感じなかった。ただ圧力を感じて気付いたときには、腕が消失していた。

 ここに倒れていたら、僕は死ぬ。この思いだけが、轟を動かした。気丈にも彼はそのまま身体を転がして、瓦礫の山の陰へと移動した。

 陰に隠れたことを確認して、轟は瓦礫に背中をあずけ、無くなった右腕を左手で押さえていた。ドクドクと血の滴る傷口を見たとき、初めて激痛が全身によじ登ってきた。

 血が流れ出てくる。それを轟は呆けたように見た。

 本来あるべき腕が無くなった。それは一つの物体として轟の身体を離れて、地面にゴロンと転がっている。

 轟は号泣した。声をあげて泣いた。まるで泣くことでしか意志を表現できない生まれたての赤ん坊のように。

 意識が混濁してきた。激痛と嗚咽の中で、轟は酸欠状態になった。朦朧とする意識が、生と死の境界線を綱渡りしている。

 やがて轟・アルベルンは意識を失った。


 轟が意識を失ったと同時に、転がってちぎれた右手の甲に異変が生じた。

「ラグマの紋章」がその形をなぞり、黄金色に光を放ったのだ。力強い光が天を指す。天空へとどこまでも伸びた光のポイントは、当然ながら日下とカズキの目に止まった。


 カズキは、その光が轟のものだと直感した。

 即座に方向を定め、全速で光のポイントへとファイアードレイクを走らせた。途中、何度となくビーム砲を撃ち込んで、最短距離を疾駆した。

 ファイアードレイクのモニターは、出現した光のポイントを忠実に補足、そのレーダーに捉えて離さなかった。

 やがて、カズキは轟へ銃撃している兵士達を蹴散らして、ビーム砲で連射した。その瓦礫と閃光を越えて、コンクリートの山に背をあずけ、座り込んでいる轟を見つけた。

 意識のない轟の姿を見たとき、カズキは背中が凍りつくのを感じた。

 上部ハッチを開いて、外へと飛び出した。

「轟! 轟! 轟!」

 脱兎のごとく駆け出し、カズキは轟の身体を抱き起こした。すぐに息があるかどうかを確かめた。

 生きてる。カズキは、そこでほっと安堵に胸を撫で下ろした。

「轟! しっかりしろ」

 身体を抱き起こして声をかけたとき、カズキは初めて轟の右腕が無くなっていることに気付いた。

「…轟! すまない」

「カ、カズキさん」

 うっすらと轟が目を開けて、カズキの名を呼んだ。

「ガンバレ! もう大丈夫だ。だから、轟、死ぬなよ」

 カズキの頭は白い包帯で、丁寧に巻かれていた。他に怪我をした両手両足もきちんと適切な手当てがされている。それは、マリコ・クロフォードが優しく介抱してくれたからだ。

 だが、カズキがそうしている間に、轟はたった一人で戦場で戦い、あげく負傷してしまったのだ。しかも、重傷である。

 カズキの心は、これまでにない大きな自責の念にかられた。

「…轟」

 カズキは轟の身体を抱きかかえると、ファイアードレイクのコクピットへと戻った。

 知らず知らずカズキの瞳は、涙に潤んでいた。

「轟、帰るぞ。ラグマ・リザレックに」

 そう呟きながら、カズキはファイアードレイクを全速で後退させた。同時に、飛行モードへとチェンジを試みる。だが、最初のデリバン陸戦部隊との戦闘で受けた損傷が、アラームを鳴らした。

「変わってくれ。轟が死んでしまう」

 何度もチェンジレバーを引き込んだ。

「ラグマ・リザレックに帰るだけでいいんだ。変われ! 変形しろ!」

 胸が締めつけられる切ない思いを込めて、カズキは何度もレバー引いた。

だが、ファイアードレイクはなかなか飛行モードに変形してくれない。

「轟を殺す気か! 飛べ、飛んでくれ!」

 その叫びが届いたのか、システムが切り替わりファイアードレイクは飛行モードへと変形し、垂直上昇を開始した。

 逸るカズキの心そのままに、ファイアードレイクはスラスターを全開、凄じいスピードでラグマ・リザレックへと帰投した。

 その時ファイアードレイクは、轟の右腕から発せられた黄金の光に包まれていることに、カズキは気が付かなかった。


 ラグマ・リザレックの周囲では、いまだ日下がデュビル・ブロウと激烈なドッグファイトを展開していた。

日下とデュビル・ブロウの戦闘に介入できるものは誰もいなかった。二人とも最大戦速で空中戦を行っている。その腕は互角と言えた。

 日下の搭乗する巨大戦闘機ブレズ1は、日下の要求に終始答えてくれた。その安定した操縦性、そして運動性能の良さは、逆に日下の身体に絶えず加速によるGが圧迫し続け、彼の神経と体力を蝕んでいった。

 日下の心も身体も緊張の飽和状態だった。だが、デュビルの攻撃は、ほんの数秒の油断も与えてくれない。

 しかし、その膠着状態に突然、変化が生じた。

 轟の切断された右腕の「ラグマの紋章」が放つ光が、ブレズ1を押し包んだ。その光を受けて、日下の右腕の紋章もまた、それに呼応するように光り輝いたのだ。

ブレズ1の機体が黄金色の光に包まれ、信じられないスピードへと加速した。その加速のまま敵機へと突入していく。あっという間に、周囲にいた戦闘機を撃墜した。そして、ブレズ1はそのスピードそのままに、デュビルのザゴンプロトタイプへと突進していく。

「ウゥォオオオォォーッ!」

 知らず知らず、日下は叫び声を上げていた。それは、急激に加速するGの圧迫に必死に耐えようとして、全身が悲鳴をあげ、絞り出すように出てきた叫びだった。

 ブレズ1が暴走した、と日下は瞬間的に思った。と、同時に得も言われぬ恐怖感が、日下の体内に生まれ、広がっていった。

 血流を失った脳が起こすブラックアウトになりそうだ。視界が、闇に閉ざされそうになる。いまやブレズ1は日下のコントロールを離れ、稲妻と化して次々とデリバン連合王国の編隊を撃ち落とし、そして瞬く間にデュビル・ブロウの乗るザゴンに牙を向いていく。


 驚愕したのは、デュビル・ブロウもまた同じだった。

 光がブレズ1を押し包んで、こちらに接近して来る。そのスピードは、デュビルの理解を遥かに越えていた。

「貴様は、一体何者だ!!」

 デュビル・ブロウもまた叫んでいた。

 ブレズ1とすれ違った。そしてその一瞬でザゴンはブレズ1からレーザー機銃やミサイルを叩き込まれ、かつブレズ1を包んでいる黄金の光の圧倒的な力に翼をもぎ取られた。

 次の瞬間、ザゴンプロトタイプは火炎を吹き上げた。

 デュビルはすぐさま脱出カプセルの射出を指示、間一髪で炎上するザゴンプロトタイプからの脱出に成功した。


 戦場となったデリバン連合王国軍事司令部の周辺は、屍と熱風と硝煙の匂いが渦巻いていた。

 軍事司令部も今やその形を留めてはいない。

 数時間後、その戦場の跡を科学技術部の将校、カルロ・ジュン中尉を筆頭にした調査班が動き回っていた。

 そしてカルロ・ジュン中尉は無造作にゴロンと転がっている腕を見つけた。

 戦場にちぎれた腕が落ちていることには、なんの不思議もない。しかし、その腕には手の甲に不思議な文様が刻まれていたのだ。

 カルロ・ジュン中尉は、その腕に誘われるように近づいていった。しげしげと、それを観察する。腕はもう褐色に変化して、壊死し始めている。だが、カルロ・ジュン中尉は構わず、その腕を丁寧に拾い上げ、保存シートに包んだ。

「オイ!」

 カルロ・ジュン中尉は部下を呼んだ。

「これを科学技術部に持っていけ。急げよ」


 ラグマ・リザレックの医務室に到着して、カズキはすぐに轟を寝かせ、コンピュータの医療プログラムに照合し、応急処置を行った。しかし、それはあくまで応急処置であり、止血と鎮痛剤を打ったに過ぎない。

 きちんとした治療をすべきだ。だが、カズキには当然その心得がない。それは日下も同じだろう。医者に診せたい。医者が必要だ。

 轟は、か細い息をもらし、時折呻いている。このままでは、命が危険なことに変わりない。

 いくら自分を責めても足りないくらいだ。カズキは、握り拳を壁に叩き付けた。

 知らず知らずに頭に浮かんだのは、マリコ・クロフォードの姿だった。

(マリコ、助けてくれ)

(……さん)

 誰かの声が響いた気がして、カズキはふと顔をあげた。しかし、そこにはカズキ以外に誰もいない。

(……カズキ…さん)

 よもや、と思った。信じられない。だが、紛れもない。それはマリコ・クロフォードのテレパシーだった。

 轟を助けたい、その一心で思った強いカズキの念がマリコのもとに届いたのだ。

(マリコさん、助けてほしい)

 カズキは更に意識を集中した。


 黄金色の光に包まれたブレズ1は更に、舞い上がってくる戦闘機編隊とザゴンプロトタイプ一艦を撃破、そのまま対地攻撃に移行して、容赦ない弾薬の雨を降らせ、デリバン連合王国の軍事司令部をほぼ壊滅状態に陥れた。

 その攻撃が終わり、ブレズ1の金色の光が薄れていった頃、日下炎はパイロットシートでぐったりと気を失っていた。あまりに強烈な加速度に、耐え切れなかったのだ。

 ブレズ1はカニグモの自動操縦で機を反転させ、ラグマ・リザレックへと帰投した。


 轟は生命の危機を脱した。

 マリコ・クロフォードが、ラグマ・リザレックに医者を連れてきてくれたのだ。

 彼女のことを小さい頃から何かと面倒を見てくれていたという老外科医リー・チェン。白衣を纏い、痩身ながら背は高く、丸い眼鏡をかけていた。その奥には、とても優しい眼差しがあった。歳は五十を越えたくらいだろうか。その頭には、かなり白いものが目立ち始めていた。

 リー・チェンは、カズキらを見ても何一つ怪訝な表情を見せず、すぐに轟の診察を始めてくれた。大した理由も聞かされず、マリコに半ば強引に連れてこられた。聞きたい事は、山ほどあろうに、詮索する事なくリー・チェンは丁寧に轟を診てくれた。

 その背中を見て、カズキは本当に安堵に胸を撫で下ろした。この先生なら安心だ。

 カズキは、そっと彼を連れてきてくれたマリコを見た。彼女も、カズキの方を見てそっと微笑んだ。

「一旦落ち着いたとはいえ、かなり危険な状態だ。手術しなければならないだろう」

 落ち着いた声でリー・チェンが言った。

「コンピュータを借りても良いかね?」

「あ、もちろん」

 白衣のリー先生は、コンピュータの操作を開始して轟のカルテを作ると同時に、この艦の医療設備をチェックしているようだ。やがて、「ふむ」と頷いてカズキの方へと向き直った。

「カズキ君と言ったね」

「はい」

「この艦内の医療設備は、かなり充実している。必要なものは全て揃っていると言っていいだろう。轟君の状態は、現時点ではかなり危険で、彼を運び出したり動かしたりするのは、かえって危険だ。この艦の医療器具を借りて、この艦で手術をしたいがよろしいか?」

「は、はい。お願いします」

「それと轟君の処置だが、酷なようだが右腕は肘下わずかを残して、切断と言うことになる」

「…切断、ですか」

 カズキはわが身のように、苦渋の表情を浮かべた。

「だがね、この艦の医療設備の中にサイボーグ義手があった。轟君の腕の神経を全てこのサイボーグ義手と繋げる事ができたなら、その義手で従来の腕と全く変わらぬ生活ができるだろう」

「ほ、本当ですか?」

 思わず勢い込んで尋ねるカズキに、リー先生は微笑んで頷いた。しかし、すぐに厳しい表情に戻り、言葉を続けた。

「ただし、全ての神経が繋がればの話だ。また、この術式は私も過去に二つの症例しか経験していない。一つは成功。一つは失敗だった」

「先生、お願いします。轟を助けてください」

 カズキは、深々と頭をさげた。

「承知した。全力を尽くします」

 リー先生も、軽く頭をさげた。

 そして、轟はリー・チェンとともに手術室内に消えた。

 その痩せたリー・チェンの後ろ姿を、頼もしく感じて、カズキは改めてお辞儀をする。横で、マリコも一緒にお辞儀していた。

 リー医師の背中を見送った後で、カズキは傍らのマリコ・クロフォードに向き直った。

「ありがとう。マリコさん。あんないい先生を連れてきてくれて。本当にありがとう」

「いいえ、あなたが、私とキャシィを助けてくれた時はもっと嬉しかった」

 二人は向き合い、そして見つめ合った。

 既に二人の間に、敵と言う感情はカケラもなかった。時代の違いも関係なかった。二人の間にあるのは、互いを尊敬し、お互いを大切に思う、純粋にその気持ちだけだった。猥雑なものは何もなかった。

 息がつまりそうなほど愛おしい気持ちが二人を包み込んで、真剣な眼差しでふとカズキが右腕を差し出した時、

「轟! カズキさん! 大丈夫か?」

 息せき切って、日下が大声をはりあげて、医務室に駆け込んできた。


事情を聞いて日下は、最初怪訝な顔をしていたが、轟を助けるためにリー・チェンという親切な医者を連れてきてくれたマリコ・クロフォードに、心から礼を言った。

 三人は医務室で、轟の手術が終わるのを待った。

 しかし、その最中に再びミサイル攻撃が始まった。

 低い唸りと振動が、艦内を揺さぶった。

 手術室からリー先生の緊迫した声が、マイクを通して流れてきた。

「何がおこったんですか?」

「ミサイル攻撃です」

「今は、まずい。わずかな振動でも今はまずい。神経縫合をやっています。これで手元がくるったら、轟君の神経と義手が繋がりません。なんとかしてください」

「なんとかって」

「わかりました。この場から、大気圏外へ避難します」

「大気圏外? 宇宙空間にでるのか。ありがたい。無重力手術ができる」

 日下とカズキ、そしてマリコは、ラグマ・レイアのブリッジへと駆け出した。

ラグマ・リザレックは上昇を開始、宇宙空間へとあっという間に消えていった。


 宇宙空間へ退避して、しばらくの時間がたった。轟は、まだ手術室の中だ。

 ラグマ・レイア後尾にある展望デッキに、カズキとマリコ・クロフォードが、二人並んで星空を眺めていた。

「あの子、キャシィと言ったか。元気か?」

「あなたに助けられて、ちゃんと安全な所に避難したわ。怪我もしていない。避難した場所には同じ年頃の子供たちもたくさんいて、走り回っているわ。あなたのおかげよ」

「君は?」

「私? 私も、ほら元気よ」

 そう言ってマリコは、ガッツポーズをした。だが、スカートから伸びた彼女の華奢な脚には痛々しいほど大きく包帯が巻かれている。

「すまない」

 ポツリと、小さくカズキは呟いた。カズキらしくない態度だった。

「なにを言ってるの。あなたのおかげで、私もキャシィも無事だったのよ。感謝しているのよ」

「確かに、俺は君とキャシィを助けた。けど、それ以上に人を殺した。そして、轟にあんな怪我をさせてしまった」

 カズキは展望デッキの手すりに身体をあずけたまま、かぶりを振った。

「カズキさんは、なんのために戦っているの?」

「何のため?」

「好きな女性、恋人はいるの?」

「いないな。しばらく、恋なんてしてないや」

 その言葉を聞いて、マリコが急にカズキの右手を握りしめた。

「どうしたの?」

 尋ねるカズキの右手を、マリコはそのか細い両の手で包み込むように握りしめた。そして、彼女の額にかざした。まるで祈るようなポーズで、彼女は瞳を閉じた。しばらく無言のままで、そうしていた。カズキも、ゆっくりと目を閉じた。

 展望デッキの窓外に広がる宇宙空間。星々の輝きが、二人の星への願いを耳を澄まして聞いている。

 不意にカズキが、「えっ」と声を漏らして目を開けた。

 その反応を感じて、カズキの手を握りしめたまま、幸せそうな微笑みを浮かべた。

「聞こえた?」

 マリコが瞳を閉じたまま悪戯っぽい声で尋ねた。

「ウン、聞こえた」

 カズキが少し面食らった顔で、ワンテンポ遅れて答えた。

「…良かった。あなたに届いて」

 顔をあげマリコはそっと目を開き、真っ直にカズキを見つめた。

「カズキさん、カズキさん、ラグマ・レイアのブリッジに来てくれ」

 日下の緊迫したアナウンスが、二人の頭上に降りかかった。

 拍子抜けした状態のカズキに、マリコは微笑んで「行ってらっしゃい」と言った。

「…行ってくる」

 カズキは、そう言ってマリコを一瞥してから、駆け出した。

 マリコは、カズキにテレパシーを送ってきた。

 カズキは、それを受け取った。

 マリコは、自分のことをちょっとズルいなと、ちょっぴり自己嫌悪する。恋愛にインサイダー取引違反があったなら、たぶん捕まっちゃうかも。

 マリコはβμだ。テレパス能力を持っている。能力ランクは、決して高くはない。けれど、何故だろう、カズキに対してはAクラス級の受発信ができる。

 世にデリバンの女性は、恋愛上手と言われている。恋に積極的で、成婚率も高い。良妻賢母型なのだそうだ。

 なんとなく、それがわかった気がした。それは、愛する者に対してテレパス能力を、より発揮できる傾向を持っているからかもしれない。

 デリバンの女性は、情が深くて良く気がつく。行動力もある。汚染された過酷な環境下で家族を守ろうとしたら、いち早く愛する者の病気や異変を察知する必要がある。そのためにテレパス能力が発達した。そして、デリバンの女性はテレパシー距離感というのを、本能的に把握しているようだ。相手の意識に触れていいこと、踏み込んではいけないこと、伝えるべきこと。その距離感を、実によく理解している。

 マリコは、カズキに想いを伝えたのだ。

『カズキさん、あなたが好きです』

 マリコは、カズキが自分に好意を持っていることを感じ取っていた。既に、彼の気持ちを知った上での告白は、インサイダー取引違反みたいなものだろう。

 でも、マリコは幸せを感じた。そういう気持ちを伝えることができる人に巡り合えた。

 恋には、躊躇しない。頑張るんだ。マリコは、一番好きな女性シンガーが唄う、恋の応援歌のワンフレーズを口ずさんだ。背中を押してくれるような気がした。


 ブリッジに着いたとき、日下は艦長席で黙ってモニターを見つめていた。

「日下さん、なにがあったんだ?」

 そう言ってカズキも、日下が見ているモニターに視線を転じた。

 そこには、地球上空を埋め尽くさんとばかりに展開している大宇宙艦隊が映っていた。

 地上は逃げ惑う人々が、右往左往している。上空に展開している宇宙艦隊はそれに容赦のない地上攻撃を加えていた。

 そしてその宇宙艦隊は言ったのだ。

「我々はギアザン帝国。我が末裔、子孫たる地球人類よ。我々は、子孫と言う関係を断ち切りに来た。降伏せよ………」

 宇宙艦隊から発せられた警告。更に加えられ、やまない攻撃。地上は火の海と化していた。あまりに徹底した破壊行動に、日下もカズキもそれに恐怖を感じたほどた。

「日下、この映像は一体何だ?」

「星間配置コンピュータという別のコンピュータが起動したらしい。同時にこの映像がモニターに映ったんだ。どうやら、これはガイア暦0522年の時代の映像らしい」

「ガイア暦0522年? ということは、未来の地球ということか」

「いや、良く整理して考えてくれ。僕たちがいた地球は0444年。この映像は0522年。そして今、我々がいる地球。ここは、0999年だ。この時代から言えば、過去になる」

「なんか、ややこしいな」

 眉間にしわを寄せて顔をしかめたカズキが、あっと声を漏らした。

「あれは、オヤジだ」

 画面が切り替わり、たくさん人々が巨大なメカニズムに避難している映像に変わっていた。その中にカズキ・大門の父、モルガン・大門がいたのだ。黒々とした髪、精悍な顔だち、背筋をシャキッと伸ばし、何事かを指示している。決してカズキのような大きな体格ではないが、若い頃のモルガン・大門は随分と逞しく見えた。

「スミス総長と、こっちはアレック・アルベルン博士だ」

 続いてモニターに現れたのは、やはり若かりし頃のバロラ・メルタとアレック・アルベルン博士だ。

「そうだ。スミス総長は、自分はガイア暦0522年からやってきたと言っていた」

 別れ際に言ったバロラ・メルタの声を思い出しながら、日下が言った。

「オヤジは俺に、そんなことは一言も言わなかった」 

 寂しげにカズキが言った。モルガンのあまりにあっけない死に様を思い出したのだ。あの状況では、ラグマの事を言うことで精一杯だったろう。

 更にモニターの映像が切り替わり、宇宙航海図が現れた。

 そして、コンピュータガイダンスの音声が続いた。

「星間配置コンピュータによる演算完了。ギアザン帝国の位置を示します」

 宇宙航海図に太陽系の第三惑星地球を示す所が丸く輝き示された。そこから光の線が伸び始めた。それは凄じい速度でみるみる銀河系を突破して、アンドロメダ銀河の方角へと光のラインが走っていった。

「おいおい、どこまで行くんだよ」

 カズキが不安そうに言う。

 光のラインは、アンドロメダ銀河を更に突破して、ようやく一つの銀河の位置で止まった。

「ここが、ギアザン帝国だと言うのか」

「ギアザン帝国の位置を示します。現在位置からの距離、500万光年。誤差、プラスマイナス十光年」

「500万光年先だと?」

 日下とカズキは、とてつも無い距離に驚いてお互いの顔を見合わせた。

「星間配置コンピュータ、アップデイトメモリーチェック完了。最終入力コマンド確認。コマンド入力者、アレック・アルベルン。本艦の航海目標、ギアザン帝国。目的、ギアザン帝国の殲滅。以上のコマンドを実行しますか?」

 コンピュータガイダンスが、抑揚のない無機質な声でいった。

 日下もカズキも、返答の仕様がなかった。


 リー・チェンから、轟・アルベルルンの手術が無事に終わったと通信が入った。麻酔からも覚めたそうだ。

 日下とカズキは、すぐに医務室に向かった。

 医務室の奥のベッドに轟は寝ていた。その傍らにはマリコがいて、甲斐甲斐しくシーツを整えていた。

 その横のデスクでリー医師がコンピュータに向かい、黙々とカルテを作っていた。日下達二人を認めると、リー医師は立ち上がり「手術は無事に終わりました」と言って、晴れやかな笑顔を見せた。

「術後の経過を見なければ断言はできないが、まず大丈夫でしょう。神経組織は全て繋げることができました」

「ありがとうございました」

 日下達二人は深々と頭を下げた。殊に、カズキは繰り返し繰り返しお礼を言った。

 だが、ベッドの上の轟の表情は暗い。沈黙したまま、天井を見つめている。

「轟、大丈夫か?」

「…………」

 日下の問いにも、返事をしようとしない。

「轟、すまん。俺が駆けつけるのが遅れたばかりに」

 カズキは心から、謝罪の言葉を述べた。

 だが、それでも轟は返事をしようとはしなかった。

「俺の責任だ」

 消え入りそうな、小さな声でカズキがそう言った。

「…………そうですよ。カズキさんさえ、早くに来てくれれば、僕はこんな目に合わずに済んだんだ。こんな目に!」

「……轟」

「カズキさん、どうしてくれるんです。僕の右腕。僕の右腕、返してください。返してくださいよ! カズキさんの詫びの言葉なんかで、僕の右腕が治るんですか? カズキさんの言葉を何百回、何千回聞いたって僕の右腕は返って来ないんです!」

 感情の昂った轟は、一気にまくしたてた。日下も、カズキも黙ってそれを聞いていた。

「日下さん、なんで、なんで僕をあんな戦場へ行かせたんですか。何故、僕が戦わなくちゃいけないんですか。僕はイヤだ。もうたくさんだ」

 轟の叫びに、日下もカズキも言うべき言葉を失っていた。

「さ、それくらいにして、轟君。あまり叫ぶと身体に触るよ。安静にしていよう」

 リー・チェンが優しく声をかけて、轟の脈拍と血圧を計った。

 それを見て二人は、医務室から無言で退去した。

 戸口が閉まったところで、二人は大きく溜め息をついた。轟が二人を責めるのは当たり前だ。だが、あれだけストレートに言われるとやはり堪えた。

 二人が無言のまま、もう一度溜め息をついたとき、リー・チェン医師が戸口から出てきた。

「自分の右腕が、戦場で切断されたんだ。ショックを受けて当たり前だ。二人とも許してやってくれ」

 リー医師は二人を見比べながら、穏やかな声で言った。その優しさが、二人にはこの上もなくありがたかった。

「カズキ君」

 リー医師は、白衣のポケットに手を入れながらカズキを見た。

「あまり、自分を責めるな。気持ちを後ろ向きにして、自分を落とし込むと今度は君が死ぬ目に会うぞ」

 そう言って、リー医師はポンとカズキの肩を叩いた。


「リー先生って、いい人だな」

 廊下を歩きながら、カズキはマリコに言った。

「そうでしょ。私も随分とお世話になったのよ」

「マリコさん」

「なに?」

「君が、好きだ」

 少し頬を紅く染め、マリコは嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見て、カズキはなおのことマリコのことを愛しいと思った。

「マリコさんの気持ちを知って、俺は本当に嬉しかった。だけど俺は、君に言っておかなければならない。俺は、過去の時代の人間だ」

「過去の時代?」

「宇宙に、七色の異常空間があるだろう。俺は過去の地球から、あの空間を通ってやってきた」

 マリコは無言のまま、カズキを見つめている。

「そう、俺たちは敵同士で、そして生まれた時代が違う。隔たりがあり過ぎる」

 見つめ合う二人。不意にマリコはカズキの胸にゆっくりと近づき、そしてその身体をあずけた。カズキは、マリコを壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。

「私がここにいて、カズキさん、あなたがここにいて、こうやって話している。私を抱きしめてくれている。私には、信じられる。この時間がとても信じられるの」

「マリコ」

 二人は見つめあい、そっと唇を重ねた。

 慈しむ心が二人の間に満ち溢れてゆく。大きく気高く育まれている。

 こんなわずかな出逢いの時の中で、これだけ心を通い合わせることができる人に巡り会えた。カズキとマリコは幸せだった。

 ふとカズキは、オヤジもこんな風にオフクロのことを愛したのだろうか、と思った。

 時を飛び越えてやってきた父モルガン・大門。彼も、母と巡り会い、そして時代の違いという大きな障壁を乗り越え、ぶち破ったのだろうか。見えないくせに、確かに感じられる愛というやつで……

 父と母はやがては離婚することなる。そうなってしまった経緯は、カズキは知らない。しかし、二人が愛し合ってカズキが生まれたことは事実だ。

 きっとそのときのオヤジ以上に、俺はマリコのことを愛している。カズキはその思いを優しさにかえて、マリコを抱きしめた。

 全てのこだわりが氷解し、やがて二人はお互いの愛をその身体に記した。


 眼前で両の手を組み、日下は漫然とモニターを見つめていた。そこには、あのギアザン帝国という敵が映っている。

「最終コマンドは、ギアザン帝国の殲滅。それがこの艦の目的。そして、それを入力したのは、アレック・アルベルン博士、か。全ての発端、元凶はギアザン帝国にあるのか」

 日下は、誰かに問いかけるように一人呟いていた。

 深く目を閉じて、思案を巡らす。自分の吐息の数を数えるように、何度も何度も息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す動作を繰り返す。

長い長い時間、思案の海をたゆたい、日下はようやく決意を固めた。

 

 目の前にカズキとマリコが並んでいる。

「カズキさん、ラグマ・リザレックの進路をギアザン帝国にとろうと思う」

 日下の言葉に、カズキは無言だった。

「いろいろ考えた。いくら、この地球の軍事基地を叩いたところで、それは時間稼ぎにしかならない。今回の事件の根源は、この0522年のギアザン帝国の襲来にあると思う。先祖と子孫が何故、戦わなければならないのか、その結果、何故グランドファーザーパラドックスが起きないのか、そしてこの艦ラグマ・リザレックは一体なんなのか」

 日下はそこで、一旦言葉を切った。カズキは、穏やかな表情で日下を見つめている。

「星間配置コンピュータに入っていたメモリー。そして、そのギアザン帝国を殲滅するというコマンド。あれを入力したのはアレック・アルベルン博士だが、あれはカズキさんのお父さんのモルガン博士、そしてスミス総長…いやバロラ・メルタさん三人の総意だと思う」

「俺もそう思う」

「だとしたら、あれは三人の遺言みたいなものだ。その遺言を託されて、実行できるのは、僕らしかいない」

「ひとつ、聞いていいか?……ギアザン帝国への航海で、この地球の戦争を止めることができると思うか」

「俺は、そう信じる」

「そうか……わかった、俺も日下の意見に賛成だ」

「じゃ、このコマンドを実行する」

 日下は、星間配置コンピュータのコマンドの実行ボタンを押した。

「…ギアザン帝国」

 そう言って、カズキ・大門は昂然と顔を上げた。


 轟の経過は順調だ。ようやく半身をベッドに起こせるようになっている。これも(ひとえ)に、リー・チェン医師のおかげだ。

 日下は、轟のベッドの傍らに腰かけ、星間配置コンピュータのメモリーのことをはじめ、今までの経緯を語った。

 轟が一番衝撃を受けたのは、進路をギアザン帝国という未知の星へとる、と日下達が決めたことだった。これは、いつ果てるともない戦いの日々に身を置く、ということになる。

「轟。君にはすまないことをした。謝って済むことではないことは、重々承知しているが、今は謝る術以外、俺は知らない。許してくれ」

 轟に向かって日下炎は頭を垂れたが、彼はそれを漠とした表情で見つめているだけだった。その無言の返答に、痛いほど轟の苦渋を感じられた。

「君を知らず知らず戦争に巻き込んで、あげく負傷させてしまった。これ以上、君を戦いに強要できない。君のことをマリコさんに話したら、君を一緒に避難民収容所に連れていってもいいと言ってくれた。君さえ良ければ、ここでこの艦を降りてもいい」

 日下の言葉に、わずかに轟は視線を彼に向けた。だがすぐにまた目を伏せ、顔を俯けた。

「よく考えてくれ」

 そう言って日下は、ゆっくりと立ち上がった。日下が医務室から出ようとしたとき、轟が日下さん、と彼の背中を呼び止めた。

「そのおじいちゃんの映像と、コマンドをこの医務室のコンピュータで見れるように転送してください」

「わかった」

 日下は軽く手を挙げて、それに応えた。


 ラグマ・レイアのブリッジのメインモニターには、赤錆たガイア暦0999年の地球が映し出されていた。

 カズキとマリコ。二人は寄り添って、それを見つめていた。

 静かだった。安定したブリッジの規則正しい作動音が、その空間に満ちていた。

「マリコに見せてやりたいよ。俺たちが住んでいる時代の地球の美しさを」

「私も見てみたいわ」

「……ごめんな」

「えっ」

「マリコのそばにいることができなくて」

 カズキは、ゆっくりとマリコの方に向き直った。彼女もカズキの顔を見た。優しく視線が絡む。

「私を守るために行くんでしょ」

「えっ」

「この戦争を止めるために行くんでしょ。つまり平和を守るために行くんでしょ。それは最終的には、私を守ることになるわ」

「そうか…そうだな。俺はマリコを守るために、行ってくる」

「私、待っています。私、あなたの帰りを祈って待っています。必ず、帰ってきて下さいね、カズキさん」

「必ず、帰ってくるよ」

 カズキはマリコを抱きしめた。愛しさと優しさを力に変えて、マリコを抱きしめた。見つめ合い、キスをした。

 マリコは、幸せだと思った。

 

「轟君、コンピュータにメッセージが来たよ。日下君が、データを転送してくれたんだろう」

「リー先生。すみません。コンピュータのモニターをこっちに向けてもらえますか?」

 轟の頼みに、リーは快く応えてあげた。モニターに、星間配置コンピュータからファイルが転送されていることを告げるメッセージが表示されていた。轟は、キー操作をしてそれをスタートさせた。

 そこには、若かりし頃のアレック・アルベルンが映っていた。

 毅然とした態度で、何事かを群衆に訴えている。なにを訴えているのか、音声はわからないがその姿は、迸る情熱を感じさせた。

 轟は、黙ってその画面を見つめていた。


「なぁ、マリコ。一緒にこの艦に乗るわけにはいかないか」

 カズキの問いに、マリコは彼の顔を見上げた。

 マリコ自身、そのことを考えない訳ではなかった。いや、むしろカズキと触れ合う度に、一緒にこの艦に乗り込んで、行動を共にしたいという気持ちはしだいに膨らんでいた。

 でも、とマリコはそこで踏みとどまる。マリコはカズキに向かい、ゆっくりと、しかしはっきり首を左右に振った。

 デリバン連合王国では、キャシィをはじめ避難民が、彼女を必要としている。それを放り出す訳にはいかない。

 カズキは、自分で自分の生き方を選んだ。私もそれを選ぶ。私を、必要としている人のために。私のできることをするために。

 だが、カズキが帰ってきて、なお私を必要としていてくれるのならば、その時は何もかも捨てて、彼のもとへと行くだろう。

 そんなマリコの意図を感じとったのか、カズキは優しい微笑みを彼女に向けて、一言「そうか」と言った。


 ラグマ・リザレックは、ガイア暦0999年の地球へと降下を開始した。マリコ達を地上に帰すためだ。

 全員が医務室に集まっていた。

 別れに際して、日下とカズキは何度もリー医師にお礼を言った。本当に、いくら感謝しても足りないくらいだ。これはマリコにも言えることだ。

「さ、轟君。そろそろ支度しましょうか?」

 マリコが優しく、轟を促した。

 サイボーグ義手をつけた右腕は、今の段階ではギプスで固定されているので、轟は左腕一本で寝返りを打つようにして身体をひねり、ベッドから半身を起こした。昨日まで、起きる時は誰かが彼の背中を支えて補助していたが、自分でできるようになっていた。経過は、本当に順調なのだ。

 着替えを手伝おうと差しのべたマリコの手を静かに押し留めると、轟は、彼女とリー・チェンに向かい、深々と頭を下げた。

「リー先生、マリコさん…ごめんなさい。僕は、この艦に残ります」

 誰もが驚いて轟の顔を見た。

「轟、降りていいんだ。無理をするな」

「俺たちに遠慮なんかするな」

「私にも、遠慮しなくていいのよ」

 カズキと日下、そしてマリコの言葉に、轟は首を振った。

「無理も遠慮もしてません。何故だか、うまく説明できませんが、僕はここにいます。おじいちゃんが願いを託したこの艦から、僕は降りちゃいけない。そう思うんです」

「だけど、轟。この艦に残ると言うことは、また戦いが続くということなんだぞ」

「……わかってます」

 轟の意外な返答に逡巡する三人に、リー医師が大きな声で笑い出した。

「まあまあ、いいじゃないか。轟君の言う通りにさせてやれ。若者が、自分で自分のすべき事、とるべき行動を選んだんだ。尊重してやろう。轟君、それでいいんだな?」

 リー医師の問いに、轟は深く無言で頷いた。それを見てリー・チェンは、持っていた医療鞄を再び机に置いた。

「患者がこの艦に残ると言うのに、主治医だけが降りると言う訳にはいかないな。マリコ君、すまないが、私もこの艦に残るよ」

「エ? リー先生、そんな」

「妻に先だたれてから向こう、私は生きる力を失っていたような気がしていた。だが、今は違う。心から、轟君の治療に全力を尽くしたい。術後、リハビリを含めて完治するまでしっかりと面倒をみたいんだ。患者に敵も味方もない。今は、医者になったばかりの頃の気持ちなんだよ」

 ゆっくりとした話し方だが、その分リー先生の熱い気持ちが伝わってきた。

「それに……もしかしたら、こういう運命だったのかもしれないよ」

 そう言って、リー・チェンは右手の甲を皆に突き出した。そこには「ラグマの紋章」が刻まれていた。

 マリコには、もうそれ以上何も言えなくなってしまった。

「日下君、カズキ君、よろしいか?」

 二人が断る理由はなにもない。

「リー先生、喜んで。こちらこそ、よろしくお願いします」

 日下とカズキは、リー・チェンと固く握手をかわした。

 少し寂しげにマリコが、それを見つめていた。


 地上に降り立ち、マリコ・クロフォードは、飛び立ってゆくラグマ・リザレックを見つめていた。

 風がマリコの髪をなびかせ、通り過ぎてゆく。少し肌寒いくらいだ。

 ラグマ・リザレックが、光を発しながらしだいに小さくなってゆく。

 マリコは大きく手を振り続けた。カズキの前では、リー・チェンの前では、時にこぼれそうになる涙をこらえ、笑顔で別れた。笑顔で送ることができた自分を、このときばかりは誉めてあげたいと思った。だが、それもここまでだった。地表にひとり残ったマリコの胸を、苦しいほどの寂しさが締めつけた。

 知らず知らずに頬を伝う涙を拭いもせず、マリコは手を振り続けていた。

 ラグマ・リザレックが、遠い空に見えなくなった。

「カズキさん。お願い。無事に帰ってきて」

 マリコは空に向かい、祈りを捧げた。

 やがて彼女は意を決し、しっかりとした足取りで自分を必要としている場所へと歩き出した。


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