第二十三章 クラッシュ
0999年の地球は、0444年の地球をほぼ制圧し、選ばれた者達による移民が開始された。
0444年の地球は、大塚参謀長を筆頭に多くの人間が死んでいった。それに伴い、原因不明の行方不明者が起きていたが、それがGコードを持つ民でないことを知るや、瑣末のことだとラナス皇帝は割り切った。戦時中のことだ。行方不明者など、吐いて捨てるほどおきている。タイムパラドックスのことは、無視してかまわないほど瑣末なことだ、と。
ギネル帝国のラナス皇帝、デリバン連合王国のガルフラン首相は、ともに早々に0444年の地球の中世風の城を改築して、執務拠点にした。0999年と0444年を往来することを繰り返し、0444年に向かうときは、殆どバカンス感覚だった。
一方で、移住に反対する輩の運動が、日に日に過激になり各地でテロ行為が起きていた。移住を始めた一部特権階級への不満とねたみだ。0444年の地球を制圧して、戦局が落ち着いても、両国内の情勢には火種が埋没していた。
その0999年の地球、月軌道上に正体不明の宇宙戦艦があった。球形のフォルムをしたその艦は、デブリに紛れてその存在を消していた。更に、地球の監視網の死角から死角に移動してゆく。その様子は、まるで不法入国を企てる不審船のようだった。
その戦艦からは、地球とその隣で輝くレインボーホールが見渡せた。やがて、その宇宙戦艦から、一隻の小型艇が発進し地球へと降下していった。
数時間後、小型艇は地球から宇宙へと舞い戻り、今度はレインボーホールへと突入して、0444年の地球へ向かった。
デリバン連合王国首相のガルフラン・ジュダックは、制圧戦で半壊したドイツのノイシュバンシユタイン城を執務拠点に改築していた。
今、その城は夜の帳に包まれ、見張りの警備兵が見守るばかりだ。
城を取り囲む森の半分は、戦火で焼け爛れてしまったが、残った半分の木々が緑の匂いを運ぶ。今は5月。新緑の季節だった。0999年の地球では、感じられなかった季節がここにはあった。それだけで、ガルフラン首相は満足していた。そして、その感覚は油断を招いていた。
その夜の闇の中、暗視スコープを装着し、高性能消音装置付きの狙撃銃を構えた戦闘集団がガルフランの城を取り囲んでいた。黒い戦闘服を身に纏い、黒いヘルメットを被った集団は完全に闇に溶けみ、空気の塊が蠢いているようだった。
緩やかな風がなびく中で、その戦闘集団の周りだけ空気が冷え込んでいた。戦闘集団は、リーダーの合図のもと一斉にヘルメットのスイッチを起動させた。その動きに一糸の乱れもない。そして一言たりとも喋らない。
起動させたヘルメットのスイッチは、サイコシールドだ。敵の中にβμのテレパスがいれば、脳波で発見されてしまう。それを極力抑えるものだ。
戦闘集団は更に城への距離をつめ、最初に狙撃兵が配置についた。ターゲットは城外警備兵の排除だ。闇の中、その場で銃を構える者、腹這いになる者、木々の間から狙いをつける者、様々に狙撃姿勢をとる。狙撃兵は、おもむろに狙撃を開始した。
銃の発射音は、皆無に等しかった。その銃弾は、確実に敵の警備兵を撃ち抜き、一言の声を発することなく、その場に崩れ落ちていく。狙撃されたようには思えないほどだ。まるで突然死のようだ。
次々と仕留められた敵の警備兵の数をカウントし、リーダーは前進の合図をした。
これもまた一糸乱れず、戦闘集団は城壁へロープランチャーを発射し、侵入を開始した。その一方で、あるメンバーはヘルメットを脱ぎ、精神を集中し始めた。その瞳が異様に輝いたとき、監視カメラが次々と破壊された。サイコキネシスによる破壊だった。
戦闘集団は、相当な訓練を受け、綿密な情報のもとに行動していた。
内部に侵入した。城内の見取り図は、総て頭に入っている。戦闘集団は、中にいる警備兵を鮮やかな手練の技で殺していった。しかし、敵も全くの無抵抗でいるはずもなく、やがて戦闘集団と警備兵との壮絶な殺戮戦が繰り広げられた。
戦闘集団のリーダーは、ガルフラン・ジュダックの寝室の侵入に成功した。戦闘集団も、警備兵もともに多くの者が死んだ。この男を殺すために死に、この男を守るために死んだ。その男、ガルフラン首相が目の前にいた。恐怖に目を剥き、怯えている。ガチガチと歯が鳴っていた。
しかし、その前に最後の警備兵が立ち塞がっていた。戦闘集団のリーダーと、最後の警備兵はナイフと銃を織り交ぜて、死闘を繰り広げる。
息もできないほどの緊迫した戦闘を制したのは、リーダーの方だった。
倒れこんだ警備兵が「首相、お逃げください」と叫んでいた。その背中に躊躇無くナイフを突き立てて、リーダーは立ち上がった。警備兵は絶命していた。
リーダーは、そこでようやくヘルメットを脱ぎ捨てた。
現れたのは、カルロ・ジュン大尉だった。ギネル帝国の2重スパイ。ガデルを拉致してギネルに送り、デュビルの家族を奪った。そして、轟・アルベルンの腕を拾い上げ、ギネルに送った。本人は知る由も無いが、ラグマ・リザレックのクルーに災いの種を撒き散らした男だ。
銃を構え、ガルフランに向ける。
寝間着のまま、床に尻餅をついたガルフランは「やめろ、やめろ」と意味無く片手を振っていた。その姿勢のまま後ずさりしていく。
しかし、カルロに全く躊躇はない。冷酷とさえ言える目で、ガルフランを見下ろしている。
「テ、テロリストか、貴様」
「いいえ、テロじゃありません。デリバン連合王国軍第3情報機関所属のカルロ・ジュンです。ですが、私のことなど知らないでしょうね?」
「クーデターでも起こすつもりか」
「いいえ、それとも違います。暗殺です。ギネル帝国繁栄のため、あなたを殺させていただきます」
「ギネル帝国? 貴様、スパイか」
「はい。お眠りください。永遠に」
カルロはそう言うと、その場で引き金を引いた。こめかみに一発、心臓に一発。即死だった。カルロは胸ポケットから、DNA採集キットを取り出すと、ガルフランのわずかに流れた血を採取した。それをスティック型の検査機にスキャンさせる。その表示に「DNA照合一致」の文字が出た。影武者ではない。本人を暗殺したことを確認し、カルロはその場を立ち去った。
数日後、カルロ・ジュンはデリバン連合王国から、ギネル帝国に復帰した。二階級特進で、中佐に昇進するとともに、2ヵ月間の特別休暇が与えられ、カルロは0444年のカンボジア、シアヌークビルのプライベートアイランドを借り切って、酒を飲み、美女をはべらせ、海で遊んだ。小さい島そのものがリゾートになっていて、俗世と隔離されているところが良かった。宿泊する水上コテージへは、それこそ船でしか行き来できない。襲撃者が来るコースも限定される。安心してバカンスを楽しめるというものだ。
今日も一日存分に休暇を楽しんで、水上コテージで床につく前に酒をちびりちびりとやっていた。南国の風が心地よく、今まで緊張の連続だった神経が癒されていくのがわかる。絶え間なく海鳴りが聞こえ、開放的な大きな窓の向こうにある星空は優しく煌いていた。
その星空に、一筋の光が線を描いた。一瞬、流れ星かと思ったが、それはみるみる大きくなる。それはカルロに向かってくる正体不明の飛翔体だった。酒を飲んでいたといえ、そう認識するまで、普段の倍の時間を要していた。それは、カルロ・ジュンの気の緩みだった。
慌てて拳銃を取り出し、逃げる算段を組み立てる。
飛翔体が更に接近して、なんとそれが人であることがわかった。乗り物に乗っているのではない。人そのものが背中からジェットを噴射して、飛んでくるのだ。
その人が、バズーカらしきものを構えているのがわかった。カルロは、夢中でその場から外へと逃げた。次の瞬間、バズーカが発射され、水上コテージがあっという間に破壊され火に包まれた。
寸でのところで外に逃げ出し、難を逃れた。アロハシャツが、飛んだ火の粉を浴びて少し焦げた。半袖短パンから出ている剥き出しの手足、その産毛が総毛だってちりちりと焼けていた。
飛翔体がカルロの上空に到達し、それはゆっくりと降下してきた。背中のジェット噴射が徐々に絞られていく。
黒装束を纏い、顔にはヘルメットと仮面がはめられていて、その正体は一向にわからない。体格の良いその身体は、機械でできているのであろう。アンドロイドかサイボーグかわからないが、とんだ襲撃者だ。
カルロは、降下してくる襲撃者に向かって引き金を引いた。容赦なく連発して放った。が、命中したはずのその弾丸はキンキンと軽い金属音をたてて、弾き返された。
やがて、降下したその襲撃者は地に足をつけると、ゆっくりとカルロに向かって歩き出した。
「なんだ? なんなんだ、貴様は!」
隣で水上コテージがメラメラと炎をあげて、燃えている。その紅い光が、カルロと襲撃者を照らしていた。炎のゆらめきと、襲撃者の歩調がなにかシンクロしているように見えた。
黒装束の襲撃者は、無言のまま右手をカルロに向かって突き出した。その指の先が、みるみる銃に変形していく。まるで魔法のようだ。
「俺を殺す気か?」
カルロは、そう言って後ずさりする。口走った後で自分は夢をみているのではないか、と思った。ガルフランを暗殺したときのシーンと酷似している。立場を逆転している夢なのではないのか。そうでなければ、これはあまりに非現実的ではないか。
黒装束の襲撃者は、更に歩を進め銃口をカルロに突き出す。
「誰だ? 誰なんだ、貴様」
苦し紛れに叫ぶ。少し声が裏返った。随分と人を殺してきたが、今は自分が殺される立場だ。恐ろしい、恐ろしいものなんだ、殺されるというのは。額に浮かぶ気持ち悪い汗に気付き、ふとそんな考えが過った。
「……アラストール……」不意に襲撃者は、そう呟いた。「アラストール…復讐の神、地獄の死刑執行人だ」
仮面の下から、くぐもった声が聞こえた。だが、その声には聞き覚えがあった。しかし、すぐに思い出せない。だが、聞き覚えは確かにある。カルロは記憶をまさぐった。
アラストールと名乗った男が、仮面を外し、その素顔をカルロに晒した。
「き、貴様は! 貴様は!」
顔を見て、カルロの記憶と声が合致した。その名を言わんとする前に、アラストールはその額に弾丸を撃ち込んだ。生々しい弾丸の痕から、わずかに血と脳漿が飛び散った。冷酷な殺人だった。しかし、アラストールという男はなにも動じず、まるで虫けらを殺したようにしか思っていないようだった。
アラストールは、再び背中のジェット噴射を焚いて、空に舞い上がった。
水上コテージが、まだメラメラと燃えていた。
ラグマ・リザレックは、2回目の反次元航法に入った。帰りの航海は順調だった。追ってくる敵もいないし、アンドロメダ連合との遭遇戦もない。
艦内は、メンテナンスが主に行われ、傷ついた艦が少しずつではあるが修復されていった。加賀室長が亡き後、石動情報長とスティーヴ、鏑木甲板長らが進めている。
メンテナンスを手伝っていた轟とカズキ、ビリーは休憩だと言われ、食事をとることにした。艦内食堂は、意外に空いていた。戦闘時に入らないので、きちんとしたタイムシフトで各部署が動いているから、混雑することがないのだ。
トレイを持って、今日のメニューのランチを選ぶ。これもまた戦闘時ではないので、温かい定食が選べる。キッチンの中では、ジェフ・マッケンジーが忙しそうに食材と格闘していた。ちょっと前まで、山野アヤが同じくその中にいたのだが、今は一人で切り盛りしている。
「おお、うまそう!」
トレイに盛り付けられた食事を見て、ビリーが思わず歓声をあげた。実はかなり空腹だったらしい。
その隣に、カズキが座る。カズキの場合は、飯が山盛りだ。ビリーの倍の量がある。そのカズキの隣に轟が座る。どちらかと言うと轟の食は細い。
「なんだなんだ、轟。そんなんで足りるのか。若いんだから、もっと食え」
カズキが、自分のトレイから肉をとりわけ、轟のトレイに分けてやる。強引なカズキに逡巡しながらも「あ、ありがとうございます」と言った。でも、もともと小食の轟は困り顔だった。
その3人のテーブルにジェフがやってきた。
「カズキさんの言うとおりだ。轟君は、まだまだ成長期なんだからたくさん食べた方がいい。体にも、脳にも栄養を与えないとだめだ」
そういうと、ジェフは轟の前に特製スープを置いた。「食が細くても、栄養がとれるようにした特製スープだ。試してくれないか」
轟の前に置かれたスープは穏やかな湯気がたち、野菜のいい香りがした。
思わず轟はジェフを見上げた。正直、ジェフがこんなに優しく接してくれたのは、初めてだった。その顔は笑顔ではないけれど、真剣な目だった。
轟はスープのカップを引き寄せ、一口すすった。飲みやすく、身体が温まり、美味しさに包み込まれるようだった。
「美味しい……」
ぼそりと轟が呟くように言った。あまり笑わない気難しいこの少年に浮かんでいたのは、ほっとしたような、照れくさそうなほんわかした笑顔だった。
それを見て、ジェフが思わず「よし!」と片手でガッツポーズをとった。
「このスープは、栄養満点だ。食が細くても、これだったら飲めるかい?」
「はい、飲めます。美味しいです」
「轟君、食事にきたときには、僕に合図をくれ。君には、毎回特製スープをだしてあげよう。毎回、違う味のスープを出してやるから、楽しみにしていろよ」
「ありがとうございます。なんか、元気がでてきました」
「おお、いいな。轟」
子供みたいに、うらやましげにビリーが言った。
「これは、君達へ僕からのサービスだ」
そう言って、三人の前にクリームの入ったカフェラテを置いた。
「……その、なんだ……今まで、君達に辛く当たってすまなかった。日下副長にも言っておいてくれ。今度来たときには、上手いラテを作ってやるってな」
ジェフは、照れくさそうに人差し指でポリポリと頬を掻いた。山野アヤの遺言にも似た言葉を胸に、ジェフは変わろうとしていた。簡単に割り切れるわけはないが、確かに彼らがジェフの師匠を殺したわけではない。逆恨みだ。逆恨みをもった料理人の料理が、確かに美味しいわけがない。だから、ジェフは赦そうと思った。師匠なら、たとえ自分を刺した相手にでも、腹が減っているなら美味しい料理を作ってあげようとするだろう。そんな懐の深い人だった。
しかし、そこまで言うのは照れくさい。ジェフは、踵を返して厨房に戻った。背後で、カズキとビリーが「美味い」と言っていた。
そんな中、お喋りしながら有村ななみとジュリア・ボミの二人が入って来た。緊張から解放されて、二人とも楽しげだった。
「全艦に達する。こちら副長、日下。二十分後に、本艦は反次元航法に入る。総員シートベルト着用。なお、今回が最後の反次元航法になる。到達目標は、天の川銀河外縁部。総員対空監視を厳とせよ」
日下からの艦内アナウンスが流れた。
「やばい、急いで食べないと」
「もー、お腹いっぱい食べたかったのにーっ」
口々に言い、カウンターで
「ジェフーッ!」「ジェフさーん」
口を揃えて、まるでアイドルみたいに有村とジュリアに呼ばれ、ジェフはちょっと照れて頬を掻いた。
ラグマ・リザレックの地球への帰還が近づいていた。
ガルフラン・ジュダックが暗殺されたことで、デリバン連合王国は大混乱に陥っていた。副首相が立ち、表面的に政治的な空白は生まれていないが、その内情はズタズタだろう。
デリバンもギネル同様、殆ど独裁に近い政治体制だ。
ギネル帝国皇帝ラナス・ベラは、その模様を0999年の地球の執務室で見ていた。その顔は満足げだ。
「これで、名実ともにギネル帝国が全地球を支配するのも遠くない。カルロ中佐は、よくやってくれた」
切れ長の目に笑みを浮かべて、ラナスはテレビから視線を外した。カルロ中佐に出たガルフラン暗殺は、ラナスからの勅令だったのだ。だが、そんな証拠はなにひとつ残していない。カルロの軍籍は、デリバンになっているからだ。
その執務室に、緊急事態だと側近の一人がやってきた。
側近は「お耳を」と言うと、ラナスの傍に駆け寄って耳打ちした。
「なに?」
それを聞いて、ラナスの顔色が一変する。「カルロ中佐が、殺された?」
ラナスは側近の顔を見直すと、側近はそれが間違いではないことを伝えるために力強く頷いてみせた。
「暗殺か?」
それについては、側近は静かに首を振った。そして「まだ調査中です」と付け加えた。
「調査に全力をあげなさい」
叩きつけるような口調で、側近に言いつけた。側近は、深々と一礼して退室した。
それを見届けて、ラナスは三十分間誰も取り次がないようにと、女性秘書に申し伝える。
柔らかい椅子の背もたれに体重を預けると、ラナスは天井を見上げた。豪奢なシャンデリアが目に入る。外からの光を受けて、その表面が幽かに光っていた。
カルロが殺された。その事実に、なにかとてもイヤな予感がした。少しぼんやりと宙を眺めていたラナスは意を決し、机のシークレットボタンを押した。
重厚な机が前方に移動し、その床に秘密の入り口が現れた。そこには、地下へと延々と続く階段があった。ラナスはその中に足を踏み入れた。明かりのない暗い階段だった。だが歩を進める度、ぼんやりとした優しい光が点り、その足元を照らした。ラナスが通り過ぎれば、照明はゆっくりと消えていった。
何度となく、入った階段だ。慣れた足取りで、ラナスは進んでいく。やがて、階段がなくなり、聖堂のような部屋に出た。眼前には、巨大な像が鎮座している。
頭にねじれた角、背中には大きな翼がある。その翼は時に禍々しく見え、時に天使のようにも見えた。耳は天を刺すように尖っている。なので、一見悪魔のように見えるが、その表情が仏のように静かで穏やかだった。それは、ラグマザンの神の銅像。ギネル帝国で崇められている万能の神だった。
ラナスは、その銅像の足元にあるコンソールパネルを操作した。起動させると、様々にメーターやランプが明滅する。
ラグマザンの像。それは、ラナスとインペリウム・オブ・ギアザンとが繋がる通信システムだった。起動が完了し、システムが立ち上がった。異常はない。いつもならば、その時点でラグマザンからの交信があるのだが、何故か無反応だった。
「ラグマザン、ラグマザン、応答してください」
ラナスは呼びかけを続けたが、全く反応がない。実は、この時点で既にインペリウムは、ラグマ・リザレックとの戦闘で崩壊していた。通信できる訳がなかった。しかし、それを知らないラナスは必死になって呼びかけていた。
「ラグマザン、ラグマザン、どうしたのです? 応答してください」
ラグマとギアザンの合成語であるラグマザン。ラナスは、ずっとラグマザンに指示を仰いでいた。その命令で動いていたと言っていい。その命令書が届かなくなった。それを糧にしていたラナスにとって、しがみついていた糸が切れたことを意味した。
「ラグマザン! ラグマザン! どうしたのです? 指示を! 命令を! 応答してください」
ラナスは引きつるような叫びを上げた。一国の皇帝の威厳もなにもない。みっともないくらいに慌て、取り乱していた。
ギアザン帝国プラネノイドリバースナンバーA009N。それがもともとの彼女の脳に刻印された名だ。彼女は、ギアザン帝国からラグマ捜索派遣艦隊の司令官として、この地球に赴任して、地球の殺戮と制圧を行った。それが、0522年だ。それから、アスラの雷の事件を画策し、本来の地球人類を抹殺しようとしたのも彼女だった。それもこれもインペリウムの命令があったから、その罪も被れた。
遠いギアザンから、ずっとこの辺境の星にいた。そして、ギアザン帝国との通信の糸が切れ、ラナスはたった一人異境の地に取り残された。その不安は急速に膨らみ、恐怖に近い感情へ変貌しようとしていた。
そのラナスの後頭部に、突然銃口が突きつけられた。静寂の中に、カチャリと弾装が回転する音が響いた。驚くほど乾いた音だ。それが大きく響いた。
「ヒッ!」とラナスは、小さな悲鳴を上げた。
誰かが侵入してくるなど、全く想像していなかった。そんなことは有り得ないからだ。この場所は誰も知らないはずなのだ。
しかし、現にラナスに銃が突きつけられている。おそるおそるラナスは、背後を振り返ると、そこには黒装束を纏った男が立っていた。特異なヘルメットをすっぽりと被っていて、その顔はわからなかった。
「だ、誰だ!」
ラナスは、恐怖に震えそうになるのを必死におさえながら尋ねた。
「誰なのです?」
もう一度問う。ほんの少しだけ、冷静さが戻ってきた。
「……アラストール…」
男がポツリと呟くように名乗った。
「ア、アラストール?」
「……復讐の神、地獄の刑の執行人だ」
男は、更に銃口をラナスに向けて突きつけた。その声に、聞き覚えがあった。
「ふ、復讐?」
ラナスがそう反問したとき、男のヘルメットのフェイス部分が開いた。その中には、更に仮面があった。男は、ゆっくりとその仮面を取った。その素顔が露になった。
「アッ!」とラナスが驚きの声をもらす。「お前は……お前は……」
みるみるその顔が蒼白になって、恐怖に強張る。
「お前は……ガデル…」
ラナス皇帝は、アラストールと名乗った男の正体の名前を叫んだ。
黒装束の男はガデル・ブロウだった。
「お前は、死んだはずでは?」
ラナスの言うとおり、ガデルはアンドロメダ連合の戦闘で、ゴルダとともに閃光になったはずだった。しかし、そこに立っているのは、出で立ちこそ違えど、紛れも無くガデルだった。その顎にある傷が、それを証明している。
「そうだ……私は死んだ」ガデルは、銃口を突きつけながら言った。「いや、死ねるはずだった。しかし、死ねなかった。不運だったよ、ラナス皇帝。私は、アンドロメダ連合という星間国家の辺境パトロール艦に助けられてしまった……ラナス皇帝、私は総ての記憶を取り戻したよ。貴様の差し金で家族を殺されたこと、拷問にかけられたこと、記憶を奪われたこと、そして、そのために実の息子と戦わなければならなかったこと……こんな呪わしい運命を、私は知ったのだ」
ガデルは、淡々とした口調で語りながら、更にラナスに詰め寄った。ラナスは無言のまま、身体の向きを変えてガデルと向き合った。
「私に降りかかった、この運命。私は、こんなものを望んではいなかった。私が欲しかったのは、もっと平凡でささやかなものだ。家族とともに息子の成長を願い、幸せを見守る。それが欲しかったのだ。死ぬ間際で記憶を取り戻し、受け入れがたい運命を受け入れられたのは、最後の最後に息子と邂逅できたからだ。私は、それを以って人生を終えるはずだった。しかし、私は助けられてしまった。アンドロメダ連合のベッドで目覚めたとき、私は叫んだものさ。何故、助けた! とな。彼らは、私をアンドロイドの身体にしてまで助けたんだ」
「アンドロイド?」
ラナスは、ガデルの銃口から少しでも逃れようと身体をのけぞらせていた。
「そう、私の身体は総て機械だ……アンドロメダ連合の人間が、何故こんなにしてまで私を助けたと思う? ……あんたが欲しがっていたラグマのためだ。ラグマに関する情報がほしいがためだ。アンドロメダ連合という国家もまたラグマを知っていたんだ。私は何も知らないと答え続けたがね」
ガデルは、いよいよトリガーに力をこめた。銃と一体化したその手の形を見れば、彼がアンドロイドであることは明白だ。
「そして、アンドロメダ連合は治療のケアもメンテナンスも、総て途中であっさりと私を捨てた。ラグマ追跡の命令が解除になったらしい。用済みになって、私は捨てられたのだ。私には、なにも残っていなかった。しかし、時が経つにつれ、生きる屍のようになった私に脈々と育つものがあった」
ガデルは、そこで改めてラナスを睨みつけた。その目付きと表情が変わった。鬼神と怖れられた戦場時のガデルだった。
「復讐だよ。ラナス・ベラ! こんな運命を生み出した元凶である、ラナス・ベラとカルロ・ジュンに対する復讐だ! 妻を殺し、母を殺し、私を拷問し記憶を奪った。そして、息子と殺しあうことを宿命付けた貴様らに対する復讐だ。私は、それだけのために今を生きている。アンドロイドの身体でな!」
「では、お前がカルロ中佐を殺したのか?」
「そうだ…アンドロメダ連合の宇宙戦艦を奪ってここまできた。これで終わりだ!」
ガデルは、トリガーに力をこめた。
「や、やめろ! ヤメロ」
ラナスが恐怖におののきながら、声を発した。その声が、機械的な音声に変わった。その瞳が赤く光った。同時にラナスの身体が淡く輝き、機械体に変化した。その右腕がブレードに変化して、ガデルに斬りかかってきた。
反射的にガデルは、左の腕でラナスのブレードを受けた。ズンと音がして、ガデルの左腕が切り落とされた。
突然の事態に面食らったが、ガデルは冷静だった。アンドロイドの身体だから、痛みもない。
「貴様も機械の身体だったとはな」
容赦なくトリガーを引き、ガデルは銃弾をラナスに叩き込んだ。だが、そのボディには通用しなかった。
ラナスは、更にブレードを振り回す。その顔に狂気と残忍な笑みが浮かんでいる。他人のことはどうでもいい。自分の命だけを守るため、敵を抹殺する。そのことしか頭にない顔だ。
二人は激しい格闘戦を演じた。一進一退を繰り返し、それは際限なく続くかと思われた。しかし、ラナスに変化が生じた。肩で喘ぎ、息が切れ切れになってきた。体力の消耗が顕著に現れてきたのだ。プラネノイドリバースは、有機体への回帰が最終目的だ。ラナス・ベラの身体もまた、徐々に有機体に戻る過程にあった。
完全機械のガデルに対し、ラナスはところどころが肉体に変化していたため、その動きが鈍重になっていったのだ。
ガデルは、ラナスの懐に飛び込み、その首を右腕で押さえ込んだ。
首を押さえつけられ、ラナスは苦悶の表情のなか、ゲホンと激しく咳き込んだ。同時に喀血し、口元に血の筋ができた。ラナスの首から上は有機体だった。その首は柔らかく、たやすいほど簡単にへし折れそうだった。
ラナスのブレードに変化した右腕がダラリと垂れ下がった。
「ラナス!」
ガデルは、その手をかけた首に渾身の力をこめた。
「ガ…デル…私の罪は……」
掠れた、声にならないような声で、ラナスがなにかを言わんとしていたが、その前にこと切れた。ガデルが手を離すと、ぐったりと力が抜けて骸になったラナス・ベラがその場に倒れた。ガデル・ブロウの復讐の終焉だった。
ラグマ・リザレックは、反次元航法を無事に終えて、亜空間ワームホール航法に切り替えた。そして、彼らはようやく帰りついた。
「地球だ」
誰かが歓声を上げた。
0999年の地球。大気汚染、土壌汚染でかつての青い輝きはない。それでも故郷の星だった。感慨深い。
展望室、通信モニター、誰もが地球の姿を一目見ようと通路を駆け出していた。
医務室の前も慌しく、にぎやかだった。
リー・チェンは、診察台に寝る轟・アルベルンに向かって優しく微笑んだ。
「うん、大丈夫。義手と神経のつながりに異常はない。痛みはあるかい?」
義手のメンテナンスと点検を含めた定期健診みたいなものだった。こうして、いつもリー・チェンは轟を気にしては診ていた。
「大丈夫です」
「轟君、身長がまた延びたな。どんどん逞しくなっている。いいことだ。そろそろ成長にあわせて義手も交換しなければならないかな。次は、ちょっとそのことも検討しようか?」
ベッドから半身を起こしながら、轟はリー・チェンを心配そうに見上げた。
「はい、お願いします。リー先生、先生の具合はどうなんですか?」
轟が逆に尋ねてきたので、リー・チャンはちょっと驚いていたが、すぐに眼鏡の奥の目を細めた。
「心配してくれるのかい? ありがとう。大丈夫。年だ、年だと思っていたが、わしもまだまだ元気だ。この分だと、そうとう長生きできそうだ」
「よかった」
轟は、ホッと胸を撫で下ろした。轟のクローンだったディー・ナインによって、リー・チェンは撃たれた。幸い処置が早かったため、リー・チェンは一命をとりとめ、こうして回復して医師の仕事に戻ることができた。クローンとはいえ、自分と同じ顔をした人間が、リー先生を襲ったということに、轟は罪悪感を覚えずにはいられなかった。本当にこれでリー先生になにかあったら、轟は一生抜けない楔を打ち込まれていただろう。
孫に心配されて嬉しい、まさにそんな気持ちでいたリーの診察デスクのモニターから、突如大きなブザーが鳴った。突然のことに、いつも冷静なリー・チェンの身体が驚きで少し浮き上がったくらいだった。
そのブザーのあとで、診察デスクのモニターに凄い勢いで、文字が羅列していく。その文字は、カルテに書かれている文字に似ていて、轟には判読できなかった。リー・チェンは、眼鏡をひょいと頭に上げて、その文字の羅列を目で追っていた。やがて、その文字を読み終わると、なんとも優しい微笑を浮かべた。
「こりゃあ、緊急事態だ」
しかし、その緊急事態、悪いものではないようだ。
そして轟の方を振り返ると、「轟君、ちょっと頼まれてくれないか」
「はい」
「カズキ君を呼んできてくれないか。カズキ・大門君。特別処方箋を出すから、至急医務室に来てくれって」
そう言ってリー先生は、悪戯っぽく笑った。
轟は、きょとんとした表情でいたが、リー先生の頼みだ。断るわけにはいかない。
「わかりました」と言って、医務室を出ていった。
やがて、ほどなくしてカズキが現れた。さほど時間がかからなかったので、割と近くにいたのだろう。
「リー先生、カズキです。轟から聞きましたけど、俺、どこか悪いところありましたか?」
怪訝な顔で、診察室に入ってきたカズキをリー・チェンは優しく迎え入れた。
「そこにかけたまえ、大門君。まったく、君は幸せ者だよ。今、君に特別処方箋を出すからな」
そういうと、リー・チェンは診察デスクのモニターを操作した。モニターに文字が羅列していく。リーが更にそれを操作すると、ザザッというノイズが走った。音声に切り替えたようだ。そのノイズに紛れて、途切れ途切れに女性の声が聞こえた。カズキにとっては、聞き覚えのある声だ。
「……カ…キ…さん、マ…コです。お帰り、待ってます」
「カズキさん、元気ですか。私もキャシィも元気です」
「カズキさん、デリバンは今雨が降っています。少し寒いけれど、大丈夫です」
「カズキさん、怪我していませんか? 心配です。心配で心配で、心配しすぎると悲しくなるから、帰りだけを信じることにします」
マリコからの一言だけのメッセージが幾通も流れてきた。
マリコ・クロフォード。カズキがデリバンで巡りあい、愛した女性。そのマリコからのメッセージだ。
驚きとともに愛しさがこみ上げてくる。
「なんで、マリコの声が」
「彼女は、デリバン連合王国の軍属医療班だ。人手がないときは、通信兵も兼任している。私も一時軍に所属していたからな。その軍医療班には、広範囲で指向性の強い特殊コードを持った通信プログラムを持っていてね。地球に近づいて、ようやくそれが受信できた、ということだ。マリコは、届く宛てもなくても、君への想いをずっと送っていたようだ。そして、さっき映像付きのメッセージを受信した」
リー先生は、コンソールを操作し、モニターにそれを映し出す準備を整えた。
「このボタンを押すとメッセージを見ることができる。ほかの患者に迷惑にならないようにな」
そう言ってリー先生は、カズキにヘッドホンを渡した。
「どれ、私はちょっとトイレに行ってこよう」
リー先生は、ぽんとカズキの肩を叩くとカーテンをあけ、医務室を出て行った。
「先生、ありがとう」
礼を言ってカズキは、ヘッドホンを着けてドキドキしながらボタンを押した。
ノイズが走ったあと、マリコ・クロフォードが映った。出会ったときと変わらない、優しい微笑みを浮かべていた。思わず「マリコ」と呼びかける。映像の中のマリコは、少しふっくらした感があった。でも、やせ細っているよりよっぽどいい。カズキの胸に愛しさがこみ上げてくる。
「カズキさん、お元気ですか。ケガなんかしていませんか? 私は、元気です。とっても、元気です…あの、あの、実はとても大事な話があるんです」
映像のマリコは、そこではにかむようにして俯いた。一方的に送られているマリコの映像に向かって、カズキは「なんだい、マリコ」と思わず返事をしている。映像のマリコが、意を決したように顔をあげ、カズキに向かってこれ以上ないような幸せな顔を見せた。
「カズキさん、私のお腹に赤ちゃんがいます。カズキさんと私の……赤ちゃん」
そう言って、彼女は自分のお腹に優しく手をやった。
「え?」とカズキは、声をもらした。そして、そのままモニターに向かってかぶりつく。
「マリコ、本当か? マリコ」
思わず勢い込んで、映像に話しかける。もちろん、返事はない。
「帰りを待っています。いつまでも,待っています。カズキさんが話してくれた、黄色いハンカチを一面にバーッと掲げて待っています。カズキさん、信じています」
「マリコ、帰る。必ず帰るよ。マリコ、ありがとう」
自分をこれほど思ってくれる女性がいる。それは、なんと幸せであることか。カズキは、今すぐに飛んでいってマリコを抱きしめたい衝動にかられた。
映像は、そこでプツンと切れた。
「カズキ君、入っていいか」
背後で戻ってきた、リー先生が声をかけてきた。カズキは勢いよく立ち上がると、カーテンを開けてリー先生に抱きついた。
「おいおい」
「先生、ありがとう」
「特別処方箋、効いたかね?」
「もうこれ以上の薬はないです。一生、効く薬です」
「そうかそうか」
「先生、俺、パパになるんです。父親になるんです。マリコに子どもができたんです」
「え?」と今度は、リー先生が驚く番だった。「本当か?」
「ハイ」
「本当か」嬉しそうにリー先生が言った。「おめでとう、おめでとう、カズキくん」
「ありがとうございます」
喜びを爆発させて、巨漢のカズキがリー先生を抱きしめていた。
「マリコ君は、私の娘みたいなものだ。幸せにしてやってくれよ。カズキ君」
「はい」
「こりゃ、大変だ。君らの子どもとなれば、孫も同然だ。顔を見るまで、いや大きくなるまで長生きしなきゃ」
リー先生は、突然真剣な顔をして「男の子、女の子、どっちだろうな。いやいや、どっちでもかまわん。無事に生まれてくれりゃ言うことはない。その子が二十歳になるころは、わしは七〇か。七〇…まだまだ頑張らなきゃならんな」
急にカズキ以上に想像をめぐらせ、真剣な表情のままあれこれ考え始めた。その姿が妙におかしくて、カズキは少し吹きだしてしまった。こんなリー先生を見るのは初めてだった。
しかし、突然絶望の機運がさし始めた。
ラグマ・リザレック全艦にけたたましく警戒警報が鳴った。照明が赤く変わった。
「なんだ?」
訝しげに、リー先生が呟く。
「司令艦橋にいきます」
カズキは真顔に戻って、その場を駆け出した。
緊急発令を出したのは、トムソン機関長だった。
「何事だ?」
山村艦長が、艦長席に着くなり尋ねた。
トムソン機関長の席の傍らに日下副長が立っていた。
「エンジンコントロール制御不能。反次元エンジンのエネルギーが次元反動砲に集中してます」
トムソン機関長が、緊迫した声を発する。
「なに? どういうことだ」
「わかりません、突然、反次元エンジンから次元反動砲への回路が開きました。こちらでは、システムを動かしていません」
日下が捕捉説明をするが、事態は呑み込めない。
「機関室、機関室。次元反動砲への回路が開いているぞ。誰が開けた! そんな命令は出ていない!」
トムソン機関長が、怒鳴り散らした。
「こちら、機関室。誰も回路を開いていません。システムが勝手に動きました」
「勝手にだと! そんなバカなことがあるか! バカも休み休み言え」
「……まさか、カニグモ?」
日下がポツリと呟く。
「石動情報長、艦内カニグモの動きはわかるか」
「こちら石動、全艦カニグモの稼動認められません」
「機関室、回路閉鎖だ! 急げ」
「機関室、了解」
しかし、次の報告は絶望に近かった。
「こちら、機関室。回路閉鎖できません。現在、エネルギー充填二〇パーセント」
返事を寄越したのは、日向応急長だった。トムソン機関長が絶対の信頼を寄せる日向応急長からの応えに、艦橋には更に絶望の雰囲気が漂った。
「薬室強制注入機、緊急停止せよ」
山村艦長から、指示が出た。
「了解、薬室強制注入機緊急停止します」
トムソンがそれに従う。しかし、それも停止が効かなかった。
「こちら戦闘艦橋」とシンディ戦務長が通信を寄越した。「次元反動砲の発射システムが起動しました。司令艦橋でやってるんですか?」
「バカな、司令艦橋ではなんの操作もしていない」
日下がシンディに向かって、苛立たしげに叫び返した。
「現にシステムが動いています。こちらでは、止められません」
「こちら航行艦橋」更に大倉航海長から通信が入った。「運行システム制御不能。舵がききません。司令艦橋、どうなってるんだ?」
「全艦に達する。こちら副長、日下。現在本艦は、原因不明のコントロール不能状態にある。緊急事態だ。各部署、異常を逐一司令艦橋に報告せよ」
「こちら大倉、ラグマ・リザレック、取り舵二〇に舵が動きました」
「こちらシンディ、次元反動砲、ターゲットロックオン、目標……地球です!」
「なんだと?」
「次元反動砲、エネルギー充填三〇パーセント」
焦りの色を滲ませて、トムソン機関長が報告したとき、息せき切って、司令艦橋にカズキが飛び込んできた。
「日下副長、一体なにが起きてるんだ?」
カズキが日下に詰め寄る。襟首を摑まんとするような勢いだ。
「わからん、次元反動砲が地球にロックされた」
「ばかな、なんで? 止めろ、とめてくれ」
「わかってる。今、やっている!」
二人の諍いは、皆の胸中にある感情と同じだった。
「頼む、日下。止めてくれ。地球には、マリコがいるんだ。俺の、俺の子を身ごもったマリコがいるんだ」
そう言ってカズキは懇願するように、日下の両肩に手を置いてうなだれた。
「トムソン機関長、機関緊急停止。全艦、総てのシステムを切れ。全コンピュータ、シャットダウン」
山村艦長が、司令艦橋を睥睨しながら毅然と命令を出した。
「了解」と言ってトムソンは首に下げている特殊キーを手に持って、機関制御席の機関停止ボタンのロックを解除した。
「機関緊急停止します」
「全システム、ダウンだ!」
日下副長が叫んだ。数秒後、艦橋の明かりが落ちて艦内は真っ暗になった。宇宙と同化したような暗闇の中で、機械音が静まり静寂が広がってゆく。人の息遣いだけが、幽かに聞こえた。
全システムが、停止したようだ。
「止まった……?」
誰かが、ぽつりと言った。その声を聞いて、カズキが心底ホッと胸を撫で下ろした。
しかし、それも束の間だった。
暗闇の中、ポツポツと各席のコンソールに光が点り、再びシステムが起動した。
「全システム、再起動! シャットダウン受け付けません」
石動情報長が、悲鳴のような声で報告をあげた。
「反次元エンジン、火が入りました。こちらも再起動です」
「次元反動砲、薬室内再びエネルギー充填」
「何故だ? 何故こんなことが」
次々とあがってくる報告に、日下は茫然自失になりそうになった。地球に帰りついたら、レインボーホールの維持制御システムを破壊して、それで総てが終わるはずだった。子孫と先祖の戦いに終止符打ち、それを見届けたらその後は、その後は平和を確かめてから、ゆっくりと生きることを考えればいい。そんなことを考えていたのに…
「次元反動砲、両舷爆縮圧縮機作動、薬室内圧力上昇。発射態勢に入りました」
「次元反動砲、エネルギー充填四〇パーセント」
「四〇パーセントの出力だって、次元反動砲の威力なら、地球は消滅するぞ」
「大倉航海長、姿勢制御ロケット、左舷スラスター全開」
「ダメです。制御スラスター噴射しません。こちらのコントロールを受け付けません」
山村艦長の指示も大倉航海長の返答に打ち砕かれた。ラグマ・リザレックはその場から、ピクリとも動かず、砲口を地球に定めたままだった。
「次元反動砲、次元中間子シールド放射」
シンディの報告に、カズキは胸をかきむしられる思いだった。次元反動砲の発射シークエンスが着々と進んでいる。
「止めろ! 止めてくれ!!」
誰にともなく、カズキは叫んだ。おろおろと、みっともないくらい感情を露にして、ただ叫ぶしかできなしい自分を呪った。
しかし、今のラグマ・リザレックは人智を超えたものに支配されていた。止めることができない。
大倉航海長は、必死になって操縦桿を動かして舵をとろうした。
シンディ戦務長は、発射システムの中断を何度も何度も試みた。
石動情報長は、突然乗っ取られたようにコントロール不能となった原因を探った。
トムソン機関長は、反次元エンジンの緊急停止を繰り返した。
ロイ通信長は、各所からあがってくる報告を逐一まとめた。
日下副長は、全艦のシステムダウンを改めて試みた。
艦長の山村は、次元反動砲を止める、思いつく限りの方策を指示した。
そして、カズキ・大門は祈るばかりだった。、
そのカズキの悲壮な祈りを、デュビルが感じ取った。セシリアと共に住もうと思い描いた地球を失う。それはデュビルにとっても耐え難く胸を締め付けられるような思いだった。
止めろ! 誰か止めてくれ!
カズキの願いにデュビルの願いがプラスされ、溢れ出る願いはラグマ・リザレックの皆を代表するようにして、宇宙に放射されていった。
「次元反動砲、爆縮圧縮機、発射臨界点まであと十秒」
泣きそうな声でシンディ戦務長が声をあげたとき、ジュリアが叫び声を上げた。
「レーダーに感! 左弦0―9―2、所属不明艦急速接近! 本艦に向かって突撃してきます!」
全システムをシャットダウンしたことと、レーダー関係の再起動の優先順位が後になり、発見が遅れた。分割したモニターに、ラグマ・リザレックとほぼ同サイズの戦闘艦が映った。球形のフォルムには見覚えがあった。
「アンドロメダ連合の艦か?」
その艦が、真っ直ぐラグマ・リザレック向かってくる。だがラグマ・リザレックは、今現在全く動くことができない。
「ぶつかるぞ!」
「総員、衝撃に備え!」
山村艦長と日下副長の声が重なった。左弦のバリアーが発生する。
球形の戦艦が、ラグマ・リザレックに激突した。その衝撃は、ラグマ・リザレックの全艦を揺さぶった。激突し、球形の戦闘艦はその衝撃とともに破壊され、そして爆発した。それに乗っていたのは、ガデル・ブロウだった。
ラグマ・リザレックが、地球に向けて次元反動砲を発射しようとしている。その異常事態を唯一見つけたガデルは、デュビルから放射された願いを受け止め、発射を阻止せんと身を呈して激突してきたのだ。
(あいつの願いを聞き入れて、地球を守ることができるなら私の命など安いものだ。これで、やっと母さんと一緒に、ずっとあいつを見守っていられる)
その思いを抱えて、ガデルがアンドロイドの身体とともに爆発の炎に焼かれていく。その魂が日下へと飛翔した。
だが、事態は止まらなかった。
「次元反動砲、発射されます!」
シンディが報告とも悲鳴ともつかない声ををあげた。
命を賭したガデルの行為も空しく、次元反動砲は発射された。
ラグマ・リザレックから発射された白い光芒は、凄まじい速さで走り、一瞬のうちに月を、レインボーホールを、そして地球を吞み込んだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
スクリーンに映ったその光景、光の行き先を見て、カズキは絶望の叫びを上げた。がっくりと膝を床に落とし、頭を両手で抱え、狂わんばかりに声を枯らして叫び声を上げ続けた。