第二十一章 プラネノイド
星々の輝きがやたらと目立つ宙域だった。それだけ星が密集しているということだが、加賀の分析で、その輝きの殆どが人工惑星だと聞いたとき、さすがに戦慄を禁じえなかった。
ラグマ・リザレックの眼前には、その人工惑星が人型に変形したミカエル5体が立ち塞がった。その全身から、ミサイルやビームが一斉に発射される。
バリアーフィールドを突き破って、ビームがラグマ・リザレックに損傷を与えた。被害を最小に止めようと隔壁が降りるが、間に合わず炎に焼かれ、乗組員が犠牲になっていく。
ダメージコントロールに、鏑木甲板長らが奔走していた。被害が拡大していく中を必死になって消化作業や保守作業を指揮していた。しかし、その対応が追いつかない。ラグマ城壁回復まで、あと1時間はかかってしまう。今は、耐え忍ぶしかない。
日下は、ラグマ・ブレイザムに移動してブレズ4のコクピットに入った。
「ラグマ・ブレイザム、発進準備完了」
カレン・ライバック管制官が、日下の報告を聞いてコンソールを操作した。発進コースの状況確認をしている。その真剣な表情が、凛として美しい。
「発進コース、クリア。ラグマ・ブレイザム、発進どうぞ」
相変わらず、カレンは発進のときに優しく微笑む。その笑顔で、いくらかでも肩の力が抜け、ここに戻ってくる気持ちが奮い立つ。
四神モードで発進したラグマ・ブレイザムは、まず一体のミカエルにめがけてコースを辿る。惑星規模のサイズだ。まず一体の正面の懐に入れば、他の4体の死角になるはずだ。勇気を振り絞り、ラグマ・ブレイザムとラグマ・リザレックは連れ立って突入していく。
雨あられと降り注ぐ砲弾をかいくぐり、近づいていく。確かに、他の4体からの攻撃は無くなった。
轟は四神キャノンの照準をつけると、発射した。ビームが迫り来る砲弾を消失させて、そのうえでミカエルに閃光の尾をひいて向かっていく。
発射した四神キャノンは、ミカエルに命中したが絶対防壁が作用して弾かれてしまった。かすり傷をつけたに過ぎない。
「四神キャノンが効かない?」
「絶対防壁か」
「轟、パワーは良好なんだ。至近距離で、攻撃をかけるしかない」
「了解」
ブレズ1朱雀のコクピットで力強く返答すると、轟はアクセルペダルを踏み込み、エネルギーゲインのレバーを一気に解放した。
ちらりと左横を見る。そこには、3Dディスプレイに映るトニーがいた。実際の彼は、ラグマ・リザレックのシュミレーター室にいる。導入したプログラム「バイロ」により、彼は遠隔的に、ラグマ・ブレイザムを操縦している。彼の射撃能力は、日下、デュビルにひけをとらなかった。射撃管制を任せて心強い。
加速するラグマ・ブレイザムのGに耐えて、轟は宇宙を疾駆する。その後をラグマ・リザレックが追走していく。
「ラグマを寄越せ」
突然音声のみが、通信回路に流れてきた。コンピュータガイダンスのように機械的な声だ。映像はない。抑揚がなく、平坦な台詞。一方的に要求だけを突きつけてくる。
「応答せよ、我々の目的は戦闘ではない。現在、地球で起きているレインボーホール現象の停止手段を問いたい。あれは、貴国が深く関与しているはずだ。応答願う」
実はロイ通信長は、ギアザン帝国に着いてから、ずっと音声、電文、光、あらゆる通信回線で応答を試みていた。しかし、一向に返答はなかった。
ロイ通信長が山村を見上げた。目が合うと、静かに首を横に振った。
あのミカエルは完全な人工物なのかもしれない。ギアザン帝国は、人のように生きている者はいないのかも知れない、と山村は思い始めた。いや、と即座に否定する。日下が遭遇し、加賀が分析した兵士はなんだ?
「ミカエルに生体反応があります」
石動情報長が、それを見透かしたようなタイミングで報告してきた。「本当に幽かな反応です。反応は、たったひとつです」
あの巨大なミカエルにあるのは、たったひとつの生体反応? それでも、生体反応があるのなら何故応答しないのか? 数々の疑念が浮かんでくる。
「ラグマ・ブレイザム、一四〇秒先行、ミカエルに取り付きます」
「続け! リザレックウイング最大出力」
「パワー良好。リザレックウィング、エネルギー増幅」
トムソン機関長が、エネルギー流動管制をコンソールで行うと展開していたリザレックウィングに凄まじいエネルギーの奔流が生じて、翼の長さが急激に伸びていく。その長さはミカエルを一刀両断できるほどになった。
パワーがあがっているのは、ラグマ・ブレイザムも同じだった。
轟は、ミカエルに急接近するとブレークウィングを突き立てた。ビームがミカエルの腹部に刺さった。へその辺りだ。突き立てたまま、轟は垂直上昇する。惑星サイズのミカエルを縦一文字に切り裂いていく。そこに追いついたラグマ・リザレックが、ミカエルを横一文字に両断した。4つの分断されたミカエルを尻目において、最大戦速でその宙域を離脱する。
ミカエルが爆発し、閃光と化した。
ラグマ・ブレイザムとラグマ・リザレックは、そのスピードのままに、次のミカエルに対応していく。残りは4体。
同じ戦法を取るべく、ラグマ・ブレイザムとラグマ・リザレックはコースターンをして、1体に照準を定め他の3体からは死角になるように舵をとった。
1体に接近していく最中、砲弾が激しくなっていく。ラグマ・リザレックもラグマ・ブレイザムも無傷ではいられない。
それでもスピードを緩めず、突撃していく。
「後方ミカエル3体より、高エネルギー反応! 前方ミカエルナンバー2に異常発生」
突然、ジュリアが叫び声をあげた。
向かっているミカエル全体が赤く発光していた。
「急速ターン! 全速離脱!」
山村艦長の声に、即座に大倉航海長が反応し、取り舵をいっぱいにきる。
ラグマ・ブレイザムも即座に反応し、面舵方向にターンした。ラグマ・ブレイザムとラグマ・リザレックが、きれいに左右へ分かれていく。
前方のミカエルナンバー2が爆発した。ナンバー2の後方にいた3体が、死角にいるラグマ・リザレックを葬らんと味方のナンバー2ごと破壊したのだ。
「味方ごと、破壊したのか?」
敵の冷酷ぶりにロイ通信長が呻く。
閃光と衝撃が、ラグマ・リザレックとラグマ・ブレイザムに襲い来る。激流に翻弄される木の葉のように、爆発で生じた乱流に呑み込まれた。ともすれば、コントロール不能になりそうな中、大倉航海長と轟が必死に操縦していた。
かろうじてコントロールを取り戻して艦が安定したとき、ラグマ・リザレックはミカエル3体に囲まれていた。
三方を塞がれ、攻撃を加えながら迫ってくるミカエル。その中心点に据えられて、ラグマ・リザレックは猛攻撃を受けた。ビームがバリアーを突き破り、艦のあちこちで炎が吹き上がった。砲塔が損傷し、火器がしだいに失われていく。
ミカエルが更に距離をつめてくる。このままでは押し潰される。
「艦長、このままではやられてしまいます」
「あとは次元反動砲しかありません」
悲鳴にも似た追い詰められた声が、山村のもとに聞こえてくる。しかし、山村は動じていなかった。
「艦首反転左四〇度、ミカエルナンバー3と4の間の宙域に針路をとれ」
山村の真意がわからず、一瞬司令艦橋が静まり返った。
「大倉航海長、復唱しろ。コースターン左四〇度だ。」
「り、了解。コースターン左四〇度」
慌てて、舵をとる大倉航海長に山村は続けざまに指示をだす。
「ブラックホールクリエイター、作動用意!」
「了解、ブラックホールクリエイター作動用意」
ラグマ・リザレックは、凄まじい攻撃にさらされながらも、ミカエル2体の中間へと針路をとった。ミカエル2体は、更に詰め寄り殆ど並んだ配置になった。
「今だ、ブラックホールクリエイター作動、ミカエル後方三〇〇の位置に放射。同時に次元中間子シールド展開」
「了解、ブラックホールクリエイター作動します」
ラグマ・リザレックの艦首からエネルギーが放射され、2体並んだミカエルの後方にブラックホールが生成された。宇宙に穴を開けた暗黒の天体は、2体のミカエルをその凄まじい吸引力で呑み込もうとする。
不意に開いたブラックホールに吸い込まれまいと抗い、2体のミカエルが機関出力をあげた。ノズルから最大であろう噴射を続けている。が、ともに這い上がれないでいる。
ラグマ・リザレックもその吸引力に巻き込まれながらも必死に抵抗している。
山村はそこで、攻撃に転じた。
「全砲門開け、ミカエルに向かい攻撃開始」
山村の号令のもと、吸引力に逆らいながら砲撃と雷撃をはじめる。艦が激しい揺れに右に左に振られていく。シートから投げ出されるクルーもいるほどだった。
「後方ミカエルナンバー5に向けて、錨を打ち込め」
「了解、スラスターアンカー発射」
ラグマ・リザレックの艦尾より、左右6基の錨が後方にいたミカエルに向けて発射された。各々の錨が、ミカエルナンバー5に食い込む。ブラックホールに抗うミカエルに固定されたことで、ラグマ・リザレックに急激にブレーキがかかって、艦はようやく安定を得ることができた。
「プラズマプロトン砲、ッテェー!」
シンディ戦務長の攻撃命令で、ラグマ・リザレックから発射されたプラズマプロトン砲の光の束が、ブラックホールに抗うミカエル2体に命中した。絶対防壁を展開するミカエルにビームそのものの効力はなかったが、その圧力がミカエルをブラックホールに押し込んだ。手を伸ばし、まるで助けを懇願するようなポーズでミカエルは2体ともブラックホールに落ちていった。
それを確認すると、山村はブラックホールクリエイターの作動停止の命令を出し、続いて艦を回頭させた。
スラスターアンカーでつながった残ったミカエルナンバー5との勝負だ。
「機関出力、パワーあがります。現在、通常時の四〇〇倍」
トムソンが畏怖するような声を発した。しかし、クルーにとってはそれは希望を感じられる報告だった。
そのパワーに乗じて、ラグマ・リザレックはアンカーでつながったままのミカエルを牽引した。
殆ど信じられない光景だった。たかだか2千2百メートルの艦が、惑星サイズの質量の向きを変えたのだ。
その変えた向きの方向には、ラグマ・ブレイザムが猛スピードで肉迫していた。その手に、長く長く延び続けるブレークウィングをかざしていた。
「うぉぉぉぉぉっっっっっ!」
雄叫びを発しているのは、メインパイロットの轟だった。
「仕留めろ、轟君!」
山村はあえて通話マイクで、轟に向かってゲキをとばした。
山村に鼓舞されて、轟は尚ミカエルに向かって突進する。正面にミカエルの鉄のように黒い大きな顔があった。その首元に向かいブレークウィングを閃かせた。
切れ味は鋭かった。水平に一閃したブレークウィングは、ミカエルの首をはねた。
続いて、轟は四神キャノンをその胴体部分に向けて発射した。
絶対防壁でビームが弾かれていたが、放射され続ける四神キャノンのエネルギー砲弾が徐々に勝って、やがてミカエルを灼き始めた。はねられた首の付け根から、胸元へとじわりじわりと、溶けるように胴体部が消失していく。ミカエルの両の腕が、意味無く不自然な動き方をしていたが、その腕もやがて消え失せた。
敵の戦力を奪い取ったタイミングで、ラグマ・ブレイザムは離脱した。
「全艦、第1種戦闘配備解除。第1種警戒態勢に移行。対空監視を厳とせよ」
戦局が一旦落ち着いたことを見計らって、山村は戦闘配備を解いた。
周囲を警戒していたジュリアが、ラグマ・ブレイザムがはねたミカエルの首を捉えた。レーダーで捕捉追跡し、石動情報長がその分析を試みたところ、その首に生体反応があるとの結果を導き出した。石動は、加賀とともにそれを山村に申告した。
山村はメンバーを編成して、ミカエルの首に調査団を差し向けることにした。
青白い噴射光を曳いて、ファイアードレイク隊の編隊が、ミカエルの首に向かって飛行していた。その上空をウィルバー・ゼラーが率いる八咫烏隊が、護衛について飛行していた。
その眼前に、ミカエルの首が迫っている。首とはいえ、大きさ的には衛星並みだ。
索敵レーダーで警戒しながら、近づいていく。ミカエルの首からはなんの反応もない。
ミカエルの顔がモニター映し出されている。目や鼻梁、唇、耳の形までもが、本当に天使の表情になぞらえて、形づくられている。天使は白のイメージだが、これは黒一色の天使だ。全てが黒一色で、その濃淡で色が表現されている。しかし不思議とその表情がわかる。荘厳な仏像のようにも見えた。
近づくにつれて、ディテールも見えてきた。僅かな光の明滅とメカニックの構造線が見て取れた。改めて、それが人工物だと思わされる。
こんな巨大なものを作り上げるギアザン帝国の科学力が、脅威に感じる。
広瀬大吾隊長をリーダーに、調査団の面々はミカエルの首に接近した。
「やはり応答はなしか?」
ファイアードレイクのコクピットで操縦桿を握り締めながら、心持ち首を傾け広瀬隊長は隣にいる石動情報長に訊いた。
「ありません」
細い指でメガネの位置を直しながら、石動情報長がタブレット端末の画面を見て応えた。ロイ通信長は、変わらず信号を送っている。しかし、それにも反応はないようだ。
「周囲に敵影なし」
操縦するコクピットの後方に中2階のような格好で砲手席がある。そこにカズキが窮屈そうに座って、上空警戒に当たっていた。
「着陸しましょう」
きっぱりとした口調で、石動さとみ情報長は広瀬隊長に向かって進言した。
「いけるのか?」
「特に危険な状況は見受けられません。バリアーらしきものもないし」
「……わかった。行こう」
そう言った広瀬隊長と、石動情報長の目が不意に合った。二人ともなにかを言いたげなようだが、敢えてなにも言わない、そんなぎこちなさがあった。
「こちら、ファイアードレイク広瀬機。これよりミカエルの首に着陸する。続け」
編隊を組むファイアードレイクの後続機と、八咫烏のウィルバー・ゼラー隊長へ向かって広瀬は伝えた。
調査団の編隊は、加速してミカエルの首に着陸を敢行した。
飛行モードから戦車モードに変形させて、ファイアードレイクは地表に着陸し、這うように走行を始めた。
地表はやはり強固な金属で、見渡す限り平坦な風景だ。広瀬たちは、そのまま前進を続ける。その間に石動があらゆるセンサーを駆使して分析に入った。
当然ながら、大気はない。走行するキャタピラが金属の地表でスリップ気味だ。
「さとみ」と言いかけて、広瀬は慌てて「石動情報長」呼びかけた。ひとつ咳払いをして「生体反応の位置は特定できないのか?」と言った。
「ちょっと待ってて。もう少しでわかりそうだから」
その台詞の通り、石動情報長はそのポイントを突き止めた。どうやら、このミカエルの内部は人体構造を模していて、生体反応はその脳の位置にあるらしい。耳にあたるところから、侵入ができそうだということもわかった。
飛行モードに変形して、位置に向かう。耳朶の形をした場所は近づくにつれ、一見山の連なりのように見えた。
その周辺をくまなく調べると、耳の穴の位置に侵入口らしきものがあった。走行モードに戻って、その近くに着陸する。
「特に危険な防衛システムは動いていません。入れます」
あっさりとした石動情報長の報告に、「それじゃ、地下駐車場に入りますか」とカズキが軽口を叩いた。なんだか拍子抜けしているようだ。
「油断禁物だ、慎重に行くぞ」と、すかさず広瀬がたしなめた。
ファイアードレイク6台のうち、3台を警戒に残して、広瀬たち3台が中に侵入することにした。
列をなして、ファイアードレイクは内部に侵入した。
内部は深い暗闇で、ファイアードレイクのライトが円の形をくっきりと浮き出す。奥に行けば行くほど闇は深くなり、まるで深海に潜っていくようだった。ゆっくりとした速度で、慎重に進んでいく。通路は高さにして、五〇〇メートル。ラグマ・ブレイザムでも余裕で入れる大きさだ。ゆるやかな傾斜になっていて、中心部に向かってつながっているようだ。奥へ奥へと進んでいく。
やがて変化が生まれた。巨大な丸いシャッター式のゲートが、行く手を塞いだ。暗闇で、見上げても頂点が見えないほど聳え立つ巨大なゲートの前で立ち往生する。
石動情報長が、ゲートを空けるべく手段を講じようと別なタブレットコンピュータを手にしたとき、ふいにゲート全体が緑色に光って、ゆっくりと開いた。分厚く頑健なシャッターが、その中心点から外縁に向かって開いてゆく。
「なんだなんだ?」と思わず、カズキが声を上げた。「招待してくれるのか」
広瀬と石動は無言で状況を見守っていた。
扉が開くにしたがいゲートの向こうから、眩い光が差し込んでくる。その光が薄れるにつれ、その向こうに通路が続いていることがわかった。
「行くぞ」
意を決して広瀬が前進する。後続のファイアードレイクも後に続いた。更に進むと、同じ巨大シャッターが再び現れた。しかし、これもまた同様に緑色に光った。
「後ろのシャッターが閉じます」
石動が緊張の面持ちで声を発した。退路を断たれる心境の現われだ。
後方のシャッターが閉じきってから、正面の扉が開きだした。
「……ここから先は大気がある。成分構成は地球型です。これはエアロックだったんですね」
「それにしても、随分簡単に入れてくれるじゃないか。返ってこっちのほうが信用ならない」
「相変わらず、疑り深いわね」
「慎重だと言ってくれ」
広瀬と石動、さっきからの二人の微妙な空気のかけあいを見て、カズキがニヤニヤしていた。どうやらこの二人、訳ありらしい。
ファイアードレイクからの映像と音声は、ともにラグマ・リザレックにリアルタイムで送られている。
エアロックで後路を断たれた映像を見て、山村艦長は日下副長に指令を出した。
「ラグマ・ブレイザム、発進準備。現宙域にて待機して有事に備えよ」
ファイアードレイクは、更に前進して通路を進む。今度は眩いくらいの光に包まれた通路になっていた。なにやら、重低音の機械音が地響きのように響いていた。空気があることで、音が認識できるようになったのだ。
そうして辿り着いたところは、伽藍のように広い空間だった。その壁面には、宗教画のような絵が描かれていた。ただ、地球のものと少し違う。中に描かれている神の造形、構成が違っている。しかし、ギアザン帝国が地球と繋がりがあることが感じられた。
各種センサーを駆使して、生体反応を探していた石動情報長がそれを見つけた。彼女は伽藍の奥に生体反応があると言う。
更に調査を進めるため、カズキと広瀬が車外に出ることにした。
「私も出る」と言う石動に「君は残れ」と言う広瀬。顔を突き合わせて言い合う二人に、カズキがおろおろしながら「落ち着けって二人とも」となだめている。
結局広瀬が折れて、3人とも車外に出ることになった。
探査機器を設置して、分析に入る。様々なデータを取り始め、同時にそれをラグマ・リザレックに転送する。ラグマ・リザレックでは、加賀室長がそれを受け取って解析してくれるはずだ。
広瀬とカズキは銃を構えて、周囲の警戒に当たった。他のファイアードレイクの隊員も同様に警戒している。
ブゥゥゥーンと空気が震えるような音が響いた。何事かと誰もが、その音の方向を振り向いた。
正面の壁が左右にゆっくりと開き出した。その向こうに透明なクリスタルの壁があった。その中は同じく透明な液体が満たされていて、時折ゴボリと気泡が音を立てて発生していた。まるで巨大な水槽のようだ。
目を凝らしてその中を注視する。その奥になにやら浮遊する物体がひとつあった。その物体から、チカチカと一定間隔で細い光がパルスのように放射されていた。
それは、人の脳髄だった。
巨大な水槽の中、人の脳髄だけが浮いている。それはたゆたうように上下に左右に位置を変えながら動いている。魚がゆったり動いているようにも見える。
脳髄から発生する光が、激しく明滅するようになった。やがて、その光る間隔にシンクロしてクリスタルの壁が巨大なスクリーンよろしく、そこに映像らしきものが映りだした。ランダムなノイズ画面が、映って消えてを繰り返した。
広瀬たちは光の明滅に反応して、銃口を向けた。
クリスタルの壁はやがて像を結び、男の顔が浮かび上がった。それは、若く端正な青年の顔だった。
「キタカ」と映像が喋りだした。コンピューターが作り出した機械的な声だった。映っている男の映像と声のイメージがかけ離れていて、チグハグな印象を受ける。
「来たか」
男がまた言った。
「話しかけているのは、おそらくあの脳髄よ」
石動情報長がそう言って、ほんのちょっとだけ広瀬隊長の横に体を寄せた。巨大な壁一面に映し出された巨大な顔に圧倒されたようだ。
広瀬隊長はヘルメットに内蔵されたカメラを広角に切り替えて、その一部始終をラグマ・リザレックに転送する。
「ここはギアザン帝国なのか?」
「いかにも」
エコーをひきずって、壁面の声は抑揚のない平坦な声で答えた。
「我々は、地球からきた。私はラグマ・リザレック、タスクフォース隊長、広瀬大吾だ。この調査団の責任者だ」
「我はプラネノイド。プラネノイドナンバーGAAP9011323CP」
「プラネノイド?」
広瀬たちには聞き慣れない単語だった。チラリと横目に石動を見たが、彼女も知らないと首を横に振った。
「遥か遥か数十億年前、我々は有機生命体の中で、最高の科学水準に達してその文明は繁栄を極めた。反次元航法を確立し、この銀河団を統制し、惑星開発を始めとする機械文明は極限に達した」
機械的な声が、次第に男の肉声に近い音声に変化していった。イメージ的にも、投影されている男の容姿と声が合致する。そうなると、男の話が真実味をもった説得力のあるものに聞こえてくる。
「科学は有機生命体に長い寿命と、爆発的な人口増加をもたらした。我々はあらゆる銀河を巡り、植民星を開拓した。時には、争いと強奪によって支配した星もあった。その繁栄の陰で、局地的な戦争があとを絶たない。人口増加と戦争で、いくら開発を行っても資源は枯渇する一方だった。追いつかない。死んでいく同胞の傍らで、戦争をし続ける我々に芽生えていくのは、永遠に続く命と平和への憧れだった。我々はついに、ひとつの計画を実行する。惑星人間、即ちプラネノイド計画だ。有機体の体を捨てて、その脳髄だけを機械の体に移植する。その体はただの機械の体ではない。惑星をその規模ごと機械化し、体としたのだ。有機体の体はもってたかだか数百年。永久という言葉に最も近い命を手に入れた我々は、殆ど神となった」
画面の男は、そこで言葉を切った。彼の言うことはなにか、違う。広瀬、カズキ、石動はともにそう感じていた。彼の言うことは、メカニズムに埋もれ、自己陶酔しているようにしか思えなかった。
「ギアザン帝国の民は、全てプラネノイドに変わった」
「では、この銀河にある人工惑星は全てこんな脳髄だけで生きているというのか。それがギアザン帝国の人類だというのか」
「そうだ。この人工惑星そのものが私の体だ。そこに衰えも、苦痛もない。永遠の命を得て、我々は宇宙を支配するのだ」
「そうやって生きているのなら、何故我々の呼びかけに応じなかった」
「……演出だよ」
「演出?」
「応答をしなければ、疑念に駆られて調査にくると踏んだ。見せてやろうとしたのだ。ギアザン帝国は、お前たちが敵う相手ではないということを。我々に歯向かうということは、この銀河団を敵にするということだ。それは、宇宙の半分を相手にすることに等しい。敵うはずがない。如何に愚かなことかがわかるだろう。無駄な抵抗はやめて、従順に我に従え」
「……待て、そもそも我々はギアザン帝国と戦争する意思はない。いつも戦闘を仕掛けてくるのは、君達の方じゃないか。何故、我々を攻撃する」
「…………」
「ギアザン帝国は、0522年に地球に襲来した。その時に地球人類に祖先と名乗った。貴君らは、我々の祖先であり、我々と同胞なのだろう? 何故、我々を攻撃するのだ?」
「………」
「我々は、今地球で起きている異常な状況を終わらせたい。レインボーホールで繋がった過去の地球と現在の地球が戦争をしている。この戦争を止めたい。教えてくれ、あれは貴国の仕業なのか」
「……共有メモリーに解答がある。答えよう。ギアザン帝国の廃棄星系天の川銀河太陽系第3惑星地球に起きた時空接続体、その発生現象に我々は関与していない。あれは、我々があずかり知らぬ現象だ。ただ、その状況は利用させてもらった。我々は、あの空間をホールドした。そして、我々はその発端となったエネルギーがラグマだと特定した。我々の目的は、宇宙創生エネルギーラグマを手に入れることだ」
「何故だ? 何故、そうまでしてラグマがほしいのだ?」
「その解答は、メモリーに入っていない。答えられるのは、ギアザン帝国銀河団中心部のインペリウム・オブ・ギアザンだけだ」
「……あのレインボーホールを制御しているのが貴君ではない、というならもう用はない。我々は地球に帰るだけだ」
「お前達が、どんな航路をとろうと構わない。我々はお前達を追跡して、殲滅してでもラグマを手に入れる。地球に帰るというならば、地球も同じ運命となるだろう」
「なに?」
「だから無駄な抵抗はせず、わが足元に跪き(ひざまず)ラグマを捧げるがいい」
「あの艦を渡したら、乗組員はどうするつもりだ?」
「……回答が来た。望むならば、プラネノイドにしよう」
「冗談じゃない」「冗談じゃない」
広瀬と石動の同じ言葉が重なった。
「私達は、そんなものは望んでいない。プラネノイドってなに? ただの巨大な生命維持装置じゃないの! この銀河の数字をみたわ。二千億の惑星全てがプラネノイドなのね。でも、それだけ。他の種族も生命体もそこにはいない。全てをプラネノイドにして、そのシステムのなかに取り込んで、支配していると言ってもそこには共存がない。自分の都合のいいネットワークのなかで、時間を過ごしているだけ。これは、生きているとは言わない。憎しみはないかも知れない。でも、同時に愛も無いわ」
意外なほどに石動さとみ情報長が、感情を剥き出しにして叫んでいた。
その言葉にプラネノイドが一瞬押し黙り、そして再び口を開いた。
「ラグマを渡すのか、渡さないのか」
「お前達には、断じて渡せない。俺たちは地球に帰る」
「帰す訳にはいかない。ギアザン帝国は、ラグマを手に入れるのだ」
クリスタルガラスに映った映像の男の表情が憤怒の色に変わっていた。
「逃げるぞ!」
全員がファイアードレイクに乗り込もうと走り出そうとした、その先にワラワラと大量のメカニック群がどこからともなく、湧き出てきた。それは、大小様々のカニグモだった。あっという間に、床一面がカニグモに覆いつくされた。ラグマ・リザレックにいるときは可愛げもあるカニグモだが、この夥しい数で赤い目を光らせている様は、不気味さしかなかった。
「ヒッ」と石動さとみが小さく叫び声をあげた。いつも冷静な彼女に似合わない、可愛らしい声だった。その声とともに、広瀬の背中に隠れる。それを庇うようにして、広瀬は床に向けて小銃を放った。弾丸が床に弾けて、小さなカニグモが消し飛んでいく。カズキら、他の隊員も同様に小銃を連射してカニグモを破壊していく。しかし、破壊するスピードより湧き出るカニグモの数の方が多い。
ジリジリと知らす知らずに、広瀬たちは後ずさりしていた。
一人の隊員がカニグモに捕まった。ウッと息を詰まらせる声を発して、その動作が緩慢になった。
「根本!」
根本と呼ばれた隊員は、カニグモになにかされたようだ。刺されたのか、噛まれたのか定かではないが、なにかに痺れているように見えた。あれよあれよという間に、その隊員にカニグモが一斉に纏わりついて、その体が埋め尽くされていった。
「広瀬隊長ぉぉぉ」
根本隊員は、断末魔の雄叫びを発した。その手の動きが懐をまさぐっている。
「根本ぉぉ」
「隊長ぉぉぉ」
もう一度、根本隊員は雄叫びを発した。広瀬は、それで全てを察した。
「皆、伏せろ!」
広瀬の言葉に、反射的に従う。広瀬は石動の上に覆いかぶさるように伏せた。
根本隊員は、最後の力を振り絞って榴弾のピンを引き抜き、一歩一歩とゆっくりと歩を進め、そして自爆した。
一瞬の轟音と閃光で、カニグモが消し飛んだ。
「総員、脱出だ」
根本隊員が命をかけて作った好機に、広瀬が呼びかけた。ダッシュして、ファイアードレイクへと駆け寄る。
機体に取り付き、すぐさまカズキはファイアードレイクの頭頂部の機銃を起動させ、連射した。近寄るカニグモの密集帯に向けて銃弾をぶっ放す。ファイアードレイクへ乗り込もうとする他の隊員の援護射撃も忘れなかった。
石動さとみを抱きかかえるようにして、広瀬はファイアードレイクへ駆け込む。小さく震えるその華奢な体を支えながら、広瀬は「大丈夫か?」と声をかけた。石動情報長が小さくウンウンと頷いた。
それを見て安堵したのも束の間、ふと上げた視線の向こうに、また新たなカニグモが出現していた。ファイアードレイクとほぼ同じサイズのカニグモが3機、まさに蟹のように6つの脚をゆらゆらと蠢かし、接近してくる。
ファイアードレイクを盾にして、広瀬は石動を補助しながら、中に入れと促した。
「大門、発進させろ。彼女を中にいれてくれ」
「わかった」
機銃の操作をやめて、カズキは上部ハッチに駆け上がる石動へ手を差し伸べて、その体を引き上げた。
「早く入って」と石動を先に、コクピットへ滑り込ませるとカズキは、「広瀬隊長も早く乗れ」と促した。しかし、その視線の先にいた広瀬は、ファイアードレイクのトランクから取り出した、バズーカを抱えていた。
「俺は、あの3台のカニグモを片付ける。大門はこいつを発進させて、前方の退路を確保してくれ」
「広瀬隊長」
「心配するな。カニグモをやっつけたら、ファイアードレイクのどれかに飛び乗る」
そう言うと同時にまず一発をぶっ放し、接近するカニグモ一機を破壊した。広瀬はそのまま駆け出すと、榴弾のピンを抜いて、前方に向かって放り投げる。カニグモの集団が更に消し飛んだ。
「行け!」
大声でカズキに言うと同時に広瀬は、更に駆け出した。右手で小銃を連射して、小さなカニグモを弾き飛ばし、大型カニグモが狙える位置を確保すると、バズーカの第2射を放ち、破壊した。
散開するファイアードレイクを追うように走りながら、敵のビームを掻い潜り、次々とカニグモを破壊していく広瀬の戦いぶりは、映画に出てくるヒーローそのものだった。
最後の大型カニグモが発射してくる銃弾とビームが広瀬の体を掠めていく。戦闘用宇宙服がちぎれ、ところどころに血が滲んでいくが、それが更に闘争心に火をつけて、広瀬の動きは緩まることがない。最後の大型カニグモに向けて発射したバズーカが見事に命中し、爆発が響きわたった。
カズキが操縦するファイアードレイクが方向転換をして、広瀬に向かって走ってくる。広瀬は更に駆け出して、ファイアードレイクに飛び乗った。
カニグモが密集する中、各ファイアードレイクが全速力で発進した。小さなカニグモは踏み潰し、機銃を掃射して消し飛ばした。
しかし、その数がまだまだ続々と増え続けている。そのカニグモもビームを発射してくる。威力は小さいが、とにかく数が多い。それでも侵入してきた入り口に差し掛かった。
突然、侵入してきた入り口から、ぬっと巨大なカニグモが出現した。ビルと見紛うほどの大きさだ。
「大門、躊躇するな! ぶっ放せ!」
ヘルメットの無線に向かって、思いっきり怒鳴る広瀬に負けない声量でカズキが「おうよ!」と返した。
カズキが、ファイアードレイクの3連主砲のトリガーを引いた。発射された3本のビームは巨大カニグモを貫通した。そのうちの1本がカニグモの前脚の付け根を粉砕し、もぎ取った。脚を失ったカニグモがバランスを崩して傾いた。
その股の下を、ファイアードレイクが全速で駆け抜けた。
砲塔を旋回させて、カズキは更に巨大カニグモに砲撃を加えた。その攻撃で、カニグモは崩れ落ちた。丁度通路を塞いだ状態になって、追っ手の行く手を防ぐことになった。
僅かながら、時間が出来た。カズキはファイアードレイクを停車させ、ハッチから外に出た。石動も後に続いた。
「広瀬隊長、大丈夫か?」
カズキが訪ねると、広瀬は片手を上げて応えた。その台詞の脇で、石動さとみは脱兎の如く駆け出して、広瀬の胸に飛び込んでいった。
「大吾、大丈夫? 大丈夫?」
殆ど泣きじゃくるようにして彼女は、広瀬の胸の中に収まっていた。その瞳には、バイザー越しにも、涙がポロポロとこぼれ落ちているのがわかった。
「大丈夫、大丈夫だから」
広瀬は、石動さとみの両肩を抱いて優しくさすったり、肩をポンポンと叩いたりいる。その二人の仕草が自然で可愛らしくて、カズキは無言でそっと二人に背を向けた。
「さとみ、救急セットが車内にあるから、持ってきてくれるか? 手当て頼む」
「…あ、ゴメン、気付かなくて。わかった」
グスンと鼻を煤って、石動は広瀬に涙を溜めたまま笑顔を作って、ファイアードレイクに向かった。
そこに残ったカズキと広瀬の男二人は、微妙な空気の中、銃を構えて周囲を警戒する。
「……なんだ、広瀬隊長。ふたり付き合っているのか?」
銃を構え、広瀬に背を向けたまま、カズキが尋ねた。
「昔な、一緒に暮らしてた。結婚も考えたんだが……上手くいかなくなってな、彼女が出て行った」
「……すまん、悪いこと訊いた」
「いいさ、昔のことだ。でも、あんなに風に泣かれると、男はダメだなぁ。可愛くてしょうがない」
「あぁ、そうだな」
「マリコさんだっけ? 大門の彼女」
「ああ。あれ? よく知ってるな、俺の彼女のこと」
「よく言うよ、何回も聞いてるよ」
「そうだったな」
二人は笑い出した。
「帰らないとな、ちゃんと。地球に」
ハッチから現れた石動さとみの姿を見て、広瀬はカズキの背中に向かって呟いた。その背中から「ああ」と同意する返事が帰る。更にカズキは、「俺、あっちの方、見てくるよ」と、ファイアードレイクの反対側へと歩んで姿を消した。
「相変わらず、無茶ばかりして」
止血用テープを貼りながら、石動さとみが上目遣いに広瀬を見る。
「でも、そうしてくれなかったら、私達はこうやって生きていない。ありがとう、大吾」
彼女が広瀬の下の名前を呼ぶ度に、二人で暮らしていた時の楽しかった頃を思い出した。そして二人の恋の終止符は、ケンカの末の言い争いだった。広瀬大吾が最後に見た石動さとみは、涙をこぼして目を真っ赤にした悲しい顔をしていた。
「君と話ができてよかったよ。あの時のケンカ別れが君との最後にならなくてすんだ」
「そうね、本当に…」
上目遣いの石動さとみの目は、穏やかに微笑んでいた。
「さとみ、その、……なんだ…」
とぎまぎと言葉を濁す広瀬に、石動が「なに?」と尋ねた。
今、好きな人はいるのか?
そう尋ねようとした広瀬の言葉は、声になる間がなかった。
カニグモが再び襲ってきたのだ。巨大カニグモが、上方から落下してきた。その落下によって一台のファイアードレイクが踏み潰された。
警戒していたカズキが一番早く反応して、バズーカをぶっ放して一機を葬り去った。しかし、標的は続々と増えるばかりだ。
「救援は、まだ来ないのか」
不意をつかれて、対応が乱れてしまった。ファイアードレイク隊の仲間が、次々と倒れていくのを目の当たりにして、思わずカズキは泣き言を言った。
日下やウィルバー達がもたついているのは、敵の攻撃を受けているからだ。それは理解している。そして、必ず来てくれることも信じている。あとは、そのタイミングだけだ。
強烈な爆風が吹き起こった。
その爆風から石動を守るべく、広瀬は彼女を抱きしめて地に伏せた。そのとき感じたのは、想像以上にか細い彼女の体だった。この華奢な身体で懸命に生きている彼女が、やはり可愛らしくて、どうしても守らなければならないものに思えた。
「大丈夫か?」
「大丈夫」
石動さとみを抱き起こし、ファイアードレイクの残骸の陰に連れ行くと広瀬は、ここで待っていてくれ、と言った。
その顔が、とても優しかった。その優しい顔を見て、石動さとみは涙が出るくらいに悲しくなった。行こうとする広瀬の腕をギュッと摑む。
「大吾、死なないで。絶対死なないで」
無言のまま、広瀬は頷く。
石動さとみは知っていた。広瀬大吾は、優しい男だ。優しくて、強くて、そして大切なもののためなら、命を投げ出せる男だ。重大な覚悟や決意をしたときほど、広瀬大吾は優しい顔をするのだ。その優しい顔に魅かれた。思えば、高城主任の優しい笑顔に魅かれた時期もあった。でも、広瀬の笑顔は別格だった。けれど、その優しい顔が死と裏表一体となることを知ったとき、石動は彼と生きることが不安になったのだ。広瀬が優しい顔を見せるたび、彼が危険なところに行ってしまう。
広瀬が、石動に背中を向けた。逞しい大きな背中だった。
歩みだした広瀬の背中に向かって、石動さとみは思わず叫んでいた。
「いつもいつも危険なところに行って、私はあなたを心配するしかなくて、心配で心配で耐えられなかった。私が思い出すのは、いつもあなたの背中ばかり。でも、あなたの背中、大好きだった。大好きだったのよ。それに、振り返って笑った顔が好きだった!」
背中で、石動さとみの言葉を聞きながら、広瀬はほんのちょっとだけ彼女に向かって振り返り、そして笑った。
「大吾、死なないで!」
石動さとみは、祈るように両の手を組んだ。
あの頃のケンカの原因は、高城主任と広瀬とどちらが好きなのかわからなくなってしまった石動さとみの心のひだが、揺れ動いていたからだ。でも、今ははっきりと気持ちがわかる。石動さとみが、好きなのはケンカしながらも、一緒に暮らした広瀬なのだ。
広瀬を守るために、自分もなにかしなくては。石動は、持っていたコンピュータケースを開けた。操作を始める。
広瀬が走り出して、戦闘を始めていた。カニグモが一機、また一機と破壊されていく一方で、仲間達も倒れていく。
激烈な戦闘の中で、カズキは「地球に帰ろう」と言った広瀬の言葉を反芻していた。マリコ・クロフォードの優しい笑顔が脳裏に甦る。突然に出逢い、そして突然に恋に落ちた二人。異常なシチュエーションで芽生えた恋は長続きしないというらしいが、カズキは、今でもマリコとの絆を感じていた。理屈なんかではない。
生きて還る! なにがなんでも、生きて還る!
胸の中にその思いを滾らせて、カズキはカニグモを倒してく。
突如、迫り来るカニグモの赤い目が明滅して、その動きがスローモーションのように遅くなった。目の光が、赤い輝きと緑色の輝きを交互に繰り返して明滅している。かと思うと、カニグモの目が緑色に変わった。同時に、その動きを停止した。
「今よ!」
ヘルメット内の無線機から石動さとみの声が響いた。
「私のラグマの紋章とシンクロさせたの。ほんの僅かの時間だと思うけど、カニグモはこっちを味方だと認識している」
「了解。よくやってくれた」
広瀬の指示の元、ファイアードレイク隊は、反転攻勢にでた。停止したカニグモたちを、そのビームで次々と掃討していく。しかしそれも束の間、石動が言った通りカニグモの停止は、僅かな時間に終わった。
更に通路上方の排出口のようなところから、また戦車サイズのカニグモが落下してくる。このままでは、埒が明かない。
不意に、広瀬のヘルメットの無線に石動の叫び声が響いた。
「さとみ、どうした!」
振り向いて、石動の居る場所を見た。カニグモの攻撃の一部が付近を直撃したようだ。衝撃が彼女を襲った。
「さとみ、大丈夫か! 返事しろ」
「……大丈夫、大丈夫よ」
気丈に振舞っているが、その声の奥に恐怖の色が潜んでいる。
石動さとみは、もともと民間人だ。一度だけ、映画女優としてデビューしたことがある。時代が平和だったなら、彼女はもっと華やかな世界にいたかも知れないのだ。いや、平和な世こそ、彼女が必要なのだ。
広瀬は奥歯を噛み締めた。愛する者を脅かすものから、守らなければならない。
銃を乱射しながら、広瀬はカズキのそばに寄った。背中合わせで、応戦する。
「救援は、まだこないのか?」
「もうすぐだ、もうすぐ必ずくる」
カズキのぼやきに、広瀬が応える。
「しかし、このままじゃ埒があかない」広瀬はそこで、言葉を切った。そして「大門、頼みがある」と神妙なトーンで言った。
「石動情報長を絶対生きて帰艦させろ! 石動情報長は…さとみは、俺がどうしても、なにがなんでも守りたい女だ。絶対、生きて帰艦させてくれ」
「広瀬隊長、なにを言っている。なにをするつもりだ?」
「頼むぞ」
「広瀬隊長、そいつはアンタの役目だろうが!」
「もうひとつあるんだよ、俺の役目が。援護してくれ」
神妙なトーンのまま、広瀬は言葉を吐く。その顔が、優しい笑顔に満ちていた。
広瀬は1台のファイアードレイクに向かって駆け出した。慌てて、カズキが広瀬に敵が近づかないように援護していく。
広瀬はファイアードレイクに飛び乗り、そのコクピットに滑り込んだ。砲撃システムを立ち上げ、自動照準で発射する。接近するカニグモを一掃する。そして、広瀬は飛行モードに変形させると、カニグモが落ちてくる射出口に向かって突撃する。
「さとみ…地球に帰ったら、絶対、絶対幸せになれよ」
広瀬はたった一人のコクピットの中で、呟いた。脳裏に、石動さとみのコロコロ変わる表情が思い浮かび、フラッシュバックしていく。
広瀬の大きな背中に甘えて抱きつく石動さとみ。
「大吾、好きよ」
そう言って笑う石動さとみの姿が、広瀬の浮かべた最後の場面だった。
射出口内にファイアードレイクが姿を消し、そして大きな爆発が起こった。その爆発が射出口内に向かってくるカニグモを巻き込み、更に大きな爆発となって炎がプラネノイドの深奥に向かって逆流していった。
その炎に包まれた広瀬の魂が、日下のもとへと飛翔する。
「大吾ォォォォォォォォォォ!」
石動さとみの悲痛な叫びが、響き渡った。
広瀬が起こした爆発は誘爆を招いて、プラネノイドの中に深刻な損傷をもたらした。一時的に機能がダウンして、そのシステムが混乱したようだ。防衛システムが、機能停止して攻撃がやんだのだ。
この隙に、日下達そして八咫烏隊は、プラネノイド内へと一気に進入した。
目の前の光景に呆然としたカズキだったが、すぐに気持ちを取り戻し、そして石動情報長のもとに駆け寄る。
泣き崩れる彼女を抱え上げた。飛行可能なファイアードレイクは、もう一台しか残っていない。彼女を支えながら、カズキはその一台に向かって走る。
目の前を塞いでいた頑強な壁から、光が一閃した。縦に横に光が走り、その壁が切り裂かれていく。その出来た間隙から、八咫烏が猛スピードで飛来した。続いて、ラグマ・ブレイザムが現れた。
ようやく救援が来たのだ。それはそれで、嬉しかった。安堵もした。しかし、それ以上に悲しかった。カズキの頬は涙に濡れている。
支えてあげなければ、すぐに倒れてしまいそうな石動さとみの肩を抱きながら思わずカズキは呟いた。悲しさと同じ比率で悔しさが胸に去来し、その拳をギュッと握り締めた。
「…遅ぇよ………」
突入したウィルバー率いる八咫烏隊は、その深奥に向かって飛行していく。時折、超巨大カニグモが立ちはだかった。これをミサイルで撃破しながら、更に奥へと侵入する。
そして、あの脳髄の部屋に到達した。
強化クリスタルの壁面に、男の姿が映し出されている。心なしか、その顔に恐怖が浮かんでいるように見えた。
ウィルバーは雄叫びを発して、対艦ミサイルを放った。そこに躊躇はない。続く編隊も次々とミサイルを発射した。
ヤメロォォォッ!!!!!!
ウィルバーの心の中に、大きな叫び声が響いた。それは、プラネノイドの怯えた心の叫びだった。
ミサイルの爆風が消えたとき、クリスタルの壁面に大きなヒビが入っていた。そのヒビによって、映し出されている端正な男の顔の半分が、右と左で段違いを起こしている。映像が乱れ、時折ノイズが走った。
クッと、ウィルバーは息をもらした。この攻撃で、ヒビしか入れることが出来なかったことが悔やまれたのだ。
ヒビから、わずかに液体が漏れていた。その修復に小さなカニグモが群れたっている。
「全機、正面より離脱せよ。ハイパーブレイザーを発射する」
日下からの声に、ウィルバーが編隊を反転させて離脱した。
「ハイパーブレイザー、発射」
轟が、そのトリガーをひく。
ラグマ・ブレイザムの胸のシャッターが開いて、そこからエネルギー光球が発射された。それは、クリスタルどころか、中の脳髄も一瞬にして白い光に包み込んで、消滅させていった。断末魔の叫びもその中に掻き消えた。
ラグマ・ブレイザムが放ったハイパーブレイザーは、その進行方向にあるものを全て消滅させながら、進んでいった。まるでトンネルを掘る掘削機さながらに、プラネノイドの中を抉り取るように進み、そして貫いた。
天使の顔を模す機械惑星の脳天から、ハイパーブレイザーの光が突き抜けた。
日下達は、カズキと石動の乗ったファイアードレイクを守るように周囲に展開して、ハイパーブレイザーが作った通路を通り、脱出して帰還した。
ファイアードレイクのコクピット、コンピュータの入ったトランクケースを抱え込み、隣の席で肩を震わせる石動さとみがいた。
怪我はないか、とカズキが尋ねると、大丈夫だとすすり泣く涙の下から返事をした。広瀬との約束は、果たすことができそうだ。
だが、小さく震える彼女を誰が救ってあげられるのだ。それができるはずの広瀬が、もういない。
死なない。そしてもう、誰も死なせない。生きて地球に還る。カズキは、そう意を決して正面のモニターを見据えた。
プラネノイドの恐怖は、ギアザン帝国全ての銀河団に伝播した。
「破壊せよ」
全銀河団にインペリウム・オブ・ギアザンから命令がでた。




