第十九章 お伽話
粛々と任務を遂行する。
レイビスの攻撃は、一切の感情を削ぎ落としてしまったようだ。
冷徹だった。その刃の先に、味方機がいても躊躇い無くラグマ・ブレイザムに向かって振り下ろした。出力が上がっているのか、アフリートのビームサーベルは、ラグマ・ブレイザムのバリアーを破り、その装甲を灼いた。
その攻撃が繰り返されて、ラグマ・ブレイザムの全身は火傷に覆われたようになっていた。ラグマ・ブレイザムのあちこちから、煙がたなびいている。
この戦闘で仕留める。レイビスの心の中には、それしかなかった。
望月弥月を失い、アンドロメダ連合に拾われ、そして捨てられた。ディー・ナインに拾われ、そして置き去りにされた。そのうえ、レイビスの魂は、輪廻転生された日下のものだという。
俺は、なんのためにこの世にいるのだ。
この空虚な思いの元凶は、このラグマ・ブレイザムと日下炎という男だ。
ここで、けりをつけるのだ。
そして、あの十六夜弥月だけは、守ってやらなければならない。
レイビス・ブラッドのその思いが、機体に乗り移ったかのように、アフリートは猛撃を加える。
その間に、時折邪魔立てが入る。敵戦闘機編隊だった。これをビームで一蹴する。撃墜されていく火球が、まるで松明の連なりに見えた。
しかし、その僅かな時間でラグマ・リザレックが進入してきて、レイビスとラグマ・ブレイザムの間に、圧倒的な物量の弾幕が引かれて分断された。
ラグマ・ブレイザムが後退して行く。
チッと舌打ちをして、レイビスは弾幕をかわしつつ、別なコースで、ラグマ・ブレイザムに肉迫しようとした。
「轟が来た!」
ビリーが、喜びを爆発させて叫んだ。
「こちら、轟。合流します。ドッキング体勢に入ってください」
「轟、無事か? ディー・ナインは倒せたのか?」
矢継ぎ早にカズキが尋ねる。
「倒しました。詳しい話は、後で。アフリートを倒しましょう」
轟の話し方が、とても冷静だ。彼は、一皮むけたようだと遊撃戦闘班の誰もが思った。
「軸線合わせ入るぞ」
ブレズ4玄武から、四神モードパーツが射出された。
一旦ラグマ・ブレイザムはドッキングを解除して、各戦闘機に戻り、これに各パワーアップパーツが装着された。その上で再ドッキングし、ラグマ・ブレイザムは四神モードへとなる。大型ジェネレーターを搭載する玄武から、ラグマ・ブレイザムの全身へとエネルギーが駆け巡る。
パワーが漲るのがわかる。ディー・ナインと対戦したときのパワーダウンが嘘のようだ。おそらくあれは、ディー・ナインのラグマの紋章に反応し、味方と誤認してしまったためなのだろう。
しかし、今回は違う。
ラグマ・ブレイザムは、四神キャノンを展開して宇宙空間に雄々しく屹立する。
RPAメイオウのコクピットで、システムの起動スイッチを入れた。各所に電源が入り、コクピットの計器が淡い光を放ちながら点灯していく。薄暗いコクピットが明るくなった。
そして、十六夜弥月はディー・ナインの反応が消えたことを知った。
母艦である重機動要塞メイオウは、ラグマ・ブレイザムにブリッジを破壊された。
一旦、引いて戦力を立て直すか?
いや、増援は有り得ないし、間に合わない。
ここで決着をつけるしかない。幸い、アフリートがラグマ・ブレイザムを押さえている。今の内にRPAメイオウで情報収集して、艦隊を立て直そうとした。
残存艦も先のナイアガラ瀑布に落ちて、戦力はズタズタだった。
機動要塞ザゴンSGが3隻、戦艦2隻、巡洋艦5隻、それが全てだった。
「全艦、艦載機発進」
ここで、航空戦力を出し惜しんでも意味がない。総力戦だ。
各艦から、全ての艦載機ゲイブル・バーノンが発進してラグマ・ブレイザムに挑みかかる。
「全艦、砲撃戦用意!」
十六夜弥月の命令で、全艦の砲塔がラグマ・リザレックに照準を定める。
「ッ撃テェェッ!」
一挙に放たれたビームは、漆黒の宇宙空間に光の軌跡を描いて、ラグマ・リザレックに突き刺さる。全艦の照準は見事だ。全てが直撃している。しかし、ラグマ・リザレックのバリアーフィールドに無効化されている。眩い光が薄れた後、ノーダメージの巨艦がふてぶてしく、威圧的に前進していた。
それでも、バリアーフィールドが揺らいでいるのが見受けられた。敵は、ラグマ城壁を展開している訳ではないのだ。攻撃を続ければ、打開する術も見つかる。
「全艦、一斉斉射! 全ての砲弾を撃ち尽くせ!」
砲撃が更に、巨艦へと集中していく。一方で、巨艦からの反撃の砲弾が向かってくる。メイオウを即座に反応させて、敵の砲撃をかいくぐる。しかし、味方の艦が一隻、また一隻と轟沈する。
更に戦力が低下していく。じりじりと、焦燥感が胸を焦がす。
その時だった。
予期せぬ方向から、巨大な高エネルギー砲弾が接近し、巨艦へ直撃した。
重機動要塞メイオウのヒュドラの砲弾だった。ブリッジを両断され、漂流していたメイオウがまだ生きていたのだ。生き残った乗組員が、その最後の一撃を加えたのだろう。
だが、この一撃は巨艦のバリアーを弾き飛ばした。
今しかない。
十六夜弥月は、RPAメイオウと自走式大型砲門ケルベロスを従えて、巨艦ラグマ・リザレックへと突入するため、加速レバーをマックスまで引き上げた。
RPAメイオウが、巨艦ラグマ・リザレックへ肉迫する。
「高エネルギー砲弾、直撃! バリアーフィールド、消失!」
「3番砲塔、損傷」
「左舷、SBM発射口損傷」
「右舷、CIWS群、大破」
司令艦橋で、被害報告が相次いだ。
「敵、RPA接近! 大型です」
一度はラグマ・ブレイザムを捕獲した、あのメイオウだ。
「シンディ、使用可能な全砲門で弾幕を張れ。大倉航海長、取り舵二〇、同時に船体をロールさせろ! ブリッジを狙わさせるな」
山村艦長から矢継ぎ早に指示が出る。
「ロイ通信長、遊撃戦闘班に本艦の援護に向かえ、と伝えろ」
「了解」
しかし、ロイ通信長がすぐに絶望的な声で返事を寄越した。
「ダメです! ラグマ・ブレイザム、現在アフリートと交戦中」
分割されたモニターに目をやると、確かにラグマ・ブレイザムはあの難敵と膠着状態になっている。すぐに対応は無理そうだ。
「RPA、なお接近します。距離五〇〇」
この上ない緊迫感が、司令艦橋に張り詰めた。
「山村艦長」とシンディ戦務長が通信に割り込んだ。
「テンペストが発進許可を求めています」
「テンペスト? パイロットは誰だ?」
「セシリアです。八咫烏が補給中で出られません。代わりにテンペストで出ます。メイオウの足を止めてもらいます」
「…よかろう。テンペストを発進させろ。カレン、テンペストを出す。カタパルトオープン」
「了解」
カレンからの返答の後、山村はテンペストのコクピットにつないだ。
モニターにコクピット内で計器類をチェックするセシリアが映る。ヘルメットはまだ被っていない。
「セシリア、ラグマ・ブレイザムが援護に来るまででいい。メイオウの足を止めろ」
「了解」
「無茶はするなよ」
山村が一言付け足した。
「了解。セシリア・サムウォーカー、テンペストで出ます。無茶はしません」
モニター越しに映ったセシリアが、そう言って珍しく微笑んだ。
通信が切れた後で、「テンペストで出ること自体無茶だけどね」と一人ごちた。
長い金色の髪を束ねて、ヘルメットを被る。
管制官のカレン・ライバックから通信が入った。
「カタパルト準備完了。方位〇―五―二へ射出します。セシリアさん、発進準備よろしい?」
「セシリア、発進準備完了」
「了解、テンペスト発進どうぞ」
「セシリア、テンペスト出ます」
カタパルトから急激な加速とともに、フル装備したテンペストが宇宙空間に飛び出した。
レーダーサイトで、メイオウを捕捉する。
いた。それは、もうラグマ・リザレックの眼前に迫っていた。
ビームライフルを構え、照準をつけると同時に連射する。
しかし、メイオウはその巨体に似合わず、素早くかわしている。
「早い」
敵の俊敏さに舌を巻く。しかし、負けず嫌いのセシリアはそんなことで気落ちしたりしない。
「けどね!」
負けん気を言葉にして、更にビームを放つ。もとより、エネルギーや残弾を気にするつもりはない。山村艦長も言った。援護要請しているラグマ・ブレイザムがこちらに来るまでの時間を踏みとどまればいい。アディショナルタイムで交代するサッカー選手みたいなものだ。限られた僅かな時間だけを全力でやればいいのだ。
セシリアは、気丈な面持ちでビームライフルを連射した。
しかし、そのテンペストを敵が捕捉したようだ。敵から、こちらに向かってビームが飛んでくる。これをかわす。次の攻撃に備える。
しかし、敵のメイオウとは別の角度からビームが来た。かろうじて、それをかわした。正直かわせたのは、まぐれと言っていい。
「なに?」
それは、メイオウの自走式兵器ケルベロスだった。その照準が、テンペストにロックされたのだ。
針路を邪魔するテンペストは、ケルベロスに任せてメイオウは本丸のラグマ・リザレックに向かうつもりだ。
「まずい」
効果があるかどうかは定かではないが、光学迷彩を発動する。
しかし、ケルベロスは迷走する気配がない。喰いつかれた。
そう言えば、出撃前にチーフメカニックマンのスティーヴが、新しくデコイを装備したと言っていた。ただし、これを使うには勇気と決断が必要だ、と。
磁気反応、熱反応を全くテンペストと同じデータをインプットした、いわゆる囮魚雷みたいなものだ、とスティーヴは説明していた。ただし、その囮魚雷を有効にさせるためには、テンペストのエンジンを停止して、自分の反応を消さなければならない。タイミングを間違えれば、デコイに食いつかないし、戦闘中にエンジンを停止させるということは、勇気のいることだ。
しかし、現在の状況は良くない。ケルベロスを振り切れない。
「やってみるか」
セシリアは決断した。エンジンを停止した。コクピットが最低限の機能を残して、闇に包まれる。2秒待って、デコイを発射した。
ミサイルの形状をしたデコイが背中から発射された。すぐにバルーンが展開して、形状的にテンペストと同じ大きさになったデコイが、猛スピードで虚空へと失踪していく。問題はケルベロスがそれに食いつくかどうかだ。心臓がばくばくと鳴った。ケルベロスが接近する。セシリアは一瞬、目をつむった。
ケルベロスは、セシリアの乗るテンペストを追い越して、デコイに食いついてあらぬ方向へと追いかけていった。成功だ。
そして、ケルベロスがデコイを破壊した。しかし、その方向からラグマ・ブレイザムが飛来して、ケルベロスをブレークウイングで両断した。
「デュビル!」
セシリアは快哉を叫んだ。エンジンを起動させる。コクピットが明るくなり、各メーターの彩りが鮮やかになった。
「メイオウを止めるぞ」
モニター越しにデュビルが映った。
「了解」
嬉々として返答をした後で、けたたましく警報が鳴った。高速で接近する機体がある。
それは、あっと言う間にテンペストを追い越して、ラグマ・ブレイザムを追撃していた。
レイビスが駆るアフリートだった。禍々しいほどの殺意が感じられた。セシリアの肌に伝わってくる。危険。危険。アフリートは危険。
「セシリア隊長、帰投してください」
カレン管制官から、帰投命令がでた。ラグマ・ブレイザムが戻った今、セシリアは役目を果たしたのだ。
しかし、あのアフリートを見たセシリアは、すぐに帰投できなかった。あれは危険だ。ラグマ・ブレイザムを援護する必要がある。セシリアはテンペストを反転させて、アフリートの後を追った。
後方から接近する高速飛翔体アフリートに対して、ずっと警報が鳴りっぱなしだった。
それをあえて無視して、ブレークウィングを閃かせ、ラグマ・ブレイザムはメイオウへと突進した。ときに後方に向かってミサイルを発射したが、なんの足止めにもならなかった。
日下の胸の中は、言いようのないくらい感情が混沌としていた。
ラグマ・リザレックは、なんとしても守らなければならない。
十六夜弥月を、殺したくない。彼女のことを救い出したい。
レイビスは、倒したい。
どうすればそれら全てを叶えられるのか、頭の中はフル回転している。
しかし、敵メイオウは眼前だ。あれこれと思考している時間はない。
ラグマ・リザレックとメイオウの間に、ラグマ・ブレイザムが割って入った。左右からゲイブル・バーノンの編隊が飛来して、ラグマ・ブレイザムに向かって対艦爆撃魚雷を発射した。それらをビリーがAMMで対抗する。インターセプトされたミサイルが一気に閃光と化し、周囲は爆煙に包まれる。撃ちもらした魚雷が、数発ラグマ・ブレイザムを直撃した。コクピットに衝撃が走って、クルーは叫び声をあげた。
キースがいないことが痛手だ。ワンテンポ、ツーテンポ、迎撃管制が遅れる。しかし、そんな泣き言は言ってられない。
漆黒の宇宙の中、この宙域だけ光が瞬いている。なにも知らない誰かが遠目に見たら、単純に美しいと思うだろうか?
左の編隊を、不慣れながらブレズ2のウィルバー・ゼラーが編隊を撃ち落していく。
「こっちは任せてください」「日下副長は、RPAを」
ウィルバーとオービルが殆ど同時にモニター通信を寄越す。
右の編隊はセシリアが対応していた。テンペストのビームライフルを本当に遠慮なくぶっ放している。
デュビルと日下がキッと目付きを変えて、顔を上げる。
メイオウがいた。四神キャノンの右腰部の百虎と脚部の玄武で照準をとる。発射した。
サイズがラグマ・ブレイザムの3倍はあろうかというメイオウだが、これをかわした。その背後にいた敵の巡洋艦が四神キャノンのビームを受け、消失した。
メイオウは、あまりラグマ・ブレイザムに固執していない。あくまで、狙いはラグマ・リザレックのようだ。だからこそ、止めなければならない。
日下には躊躇いがある。あの中にいる、十六夜弥月がちらつく度にトリガーを引く手が縮こまる。でも、躊躇えばラグマ・リザレックが被弾する。
突如、ラグマ・ブレイザムの眼前にアフリートが現れた。RPA同士の顔が睨み合うくらいの近距離だ。
一瞬、日下とデュビルは息を呑んだ。アフリートの目が赤く輝いていた。
それを見て、ふつふつと怒りが湧いた。
「レイビス! 邪魔をするなぁぁぁぁ」
両肩に装備された四神キャノン朱雀の照準を合わせ、発射した。しかし、アフリートはそれを予想していたのか、その下方へと下がり、かわした。わずかにアンテナの一部を溶かしたに過ぎなかった。
二つのRPAのバリアーが急激に膨らみ、互いに干渉しあう。ともに懐に入ろうと拮抗してつばぜり合いになった。
上手く立ち回ったのは、レイビスの方だった。補給ユニットから大型刀剣を引き抜き、それをラグマ・ブレイザムの腰部めがけて横一文字に叩きつけた。
「日下ぁぁぁぁぁ!」
ラグマ・ブレイザムのバリアーがその刃を一度は止めた。だが、アフリートの刀剣の刃先にレイビスはエネルギーをフルパワーで集中させた。
ジリジリとバリアーの中に刀剣が入っていく。
それは、ラグマ・ブレイザムも同じだった。ブレークウィングを変形させ、鎌状にしたエネルギー翼を上から振り下ろした。
先に均衡を破ったのは、ラグマ・ブレイザムだった。振り下ろしたブレークウィングがアフリートの左腕を断ち切った。
それを認めたとき、レイビスの中にどうしようもない憎しみが沸き立った。どんなに抗ってもこのラグマ・ブレイザムを倒せない。何故、こんなものがこの宇宙に存在するのか。どんなに挑んでも挑んでも倒せない。こいつさえいなければ、その思いが憎しみになっていく。ラグマ・ブレイザムと、それに乗る日下炎と。その二つが、自分の魂までも支配していくように感じられる。
「俺はお前を許さない。俺の魂まで縛り付けるお前を!」
フルパワーの大型刀剣のエネルギーが急激にダウンした。ダメージが影響したのだろう。が、レイビスの執念が乗り移ったのか、刀剣はラグマ・ブレイザムのバリアーを突き破り、その腰部に突き刺さった。装甲の一部を焼き、徐々に食い込んでいく。しかし、それが途中で止まった。ダウンしたエネルギー量ではラグマ・ブレイザムの装甲を両断できなかったのだ。
悔しい! 悔しくて、悔しくて、レイビスの頬に涙が伝う。
大型刀剣をラグマ・リザレックに打ち付けたまま、レイビスはその場から距離をとり、別な攻撃オプションを捜す。
しかし、レイビスの一撃は、ラグマ・ブレイザム、ブレズ2のコクピットに深刻なダメージを与えた。コクピット内で、爆発が生じてビリー・レックスが負傷したのだ。
「ビリー! デュビル、ここを頼む。俺はブレズ2のコクピットに移る」
シートベルトを外して、日下が素早く動いた。
この様を見て、セシリアはラグマ・ブレイザムが、これまでにないピンチにいることを知った。
テンペストのビームライフルを、メイオウとアフリートの両方に連射しながら、ラグマ・ブレイザムの元に飛翔する。
四つ巴。狭い宙域に、4機の機体が絡み合った。
一方、メイオウのコクピットで十六夜弥月は、ラグマ・リザレックへの攻撃を妨げるラグマ・ブレイザムへのいらだちに苛まれた。それと同時に、ラグマ・ブレイザムとアフリートの戦いを見るにつれ、弥月の心の中にあらゆる苦痛が襲ってきた。
苦しい、頭が痛い。レイビスと、あの日下が互いに死線を行きつ戻りつしている様に、心が苦しくなっていく。それは、二人を愛するが故なのだ。しかし、十六夜弥月は、それに気付かない。彼女が不幸だったのは、愛することと憎むことを取り違えてしまったことだ。
「痛い、痛い。なんで、なんでこんなに、こんなに苦しいの!」
胸を、喉元を思わずかきむしっていた。傍目には、狂気のように見えただろう。
痛みの原因、敵はラグマ・ブレイザムだ。そう思い込んでしまった。
「日下、お前が! お前のせいか!」
アフリートが、刀剣を叩き込んで、ラグマ・ブレイザムの動きが止まった。
メイオウの大型ビームセイバーの光の刃が図らずもロックオンできた。
知らずに滂沱のように流れる涙に、十六夜弥月は気付かないままスイッチを入れる。ビームで刃が形成された。
長い、大きな光の束がメイオウから奔流のように延びて、ラグマ・ブレイザムへと向かっていく。
「デュビル!!」
セシリアはその名前を呼んだ。体が勝手に反応していた。
テンペストが、ラグマ・ブレイザムとメイオウの間に入った。ラグマ・ブレイザムの頭部めがけて振り下ろされたビームセイバー。デュビルがいるであろう、コクピットの前にテンペストがいた。
セシリアは、シールドでメイオウのビームセイバーを受け止めたが、メイオウのセイバーは強力だった。テンペストの盾を切断し、更にテンペストの右半身に刃が食い込み、コクピットを焼いた。
セシリアは叫び声を上げた。自分でもなにを叫んだか覚えていない。全身に灼熱の熱さと激痛が及んだ。
「…デュ…ビ…ル」
モニター越しに、ラグマ・ブレイザムが無事なのがわかった。セシリアの顔に微笑みが浮かぶ。しかし、意識を保てたのもそこまでだった。セシリアの意識は、暗い闇の中に落ちていった。推力を失ったテンペストも同じように虚空の闇へ静かに落ちていった。
「セシリア? セシリア! セシリアーッ!」
デュビルは、セシリアがメイオウに落とされるのを目の当たりにしてしまった。
小さな機体で、デュビルを庇って、テンペストは堕ちていった。
何故か、その後、息ができなくなった。いや、息を吸うことができても吐くことができない。あまりのことに信じられない気持ちが強すぎて、言葉が出てこない。そして、哀しみと怒りだけが、吸い込んでいく空気とともに体内に溜まっていくようだった。
その哀しみが頂点に達したとき、デュビルは雄叫びをあげていた。
「セシリアーッッッッッ!」
その叫びに呼応するようにして、ラグマ・ブレイザムが震動していた。まるで、デュビルと一緒に怒りに震えているようだった。デュビルの手の甲の紋章が光り輝いていた。その光とシンクロするようにラグマ・ブレイザムが発光している。その光がラグマ・ブレイザムの胸のハイパーブレイザーの発射口へと集中していった。
デュビルの目は、セシリアを撃墜したメイオウを睨みつけている。いや、むしろそれ以外視界に入っていないと言ってよかった。ハイパーブレイザーの照準が、ラグマの紋章を通して、自ずとメイオウにロックオンされた。
ハイパーブレイザーの発射口に今まで見たこともないほどのエネルギーが集中している。それが臨界に達した。
ブレズ2のコクピットに辿り着き、日下はビリー・レックスを助け起こした。爆発で左腕を負傷したようだが、息がある。
「ビリー、大丈夫か?」
そう呼びかけると呻き声をあげた。それを確認し、すぐにコクピット内の消火作業に入った。それが終わると、ビリーをコパイロット席につけ、自分はメインパイロット席に着いた。
そのとき、日下はラグマ・ブレイザムが異常な震動に包まれていることを知った。ラグマ・ブレイザムがハイパーブレイザーを最大級で発射しようしている。その先にはメイオウがいる。
日下は息を呑む。メイオウには十六夜弥月がいるのだ。
やめろ、やめてくれ。頼む、やめてくれ。
日下の脳裏にぐるぐると、その言葉が繰り返し繰り返し浮かんでいる。
「やめろーッッッ! 弥月ーッッッ」
しかし、その言葉は遅かった。いや、例え間に合ったにしても、セシリアを撃墜されたデュビルの意思には通じなかった。その叫びは、ハイパーブレイザーの発射の轟音と閃光にかき消された。
ラグマ・ブレイザムの胸から、光が溢れ出た。その塊がメイオウへと向かう。
しかし、そのメイオウの前に立ち塞がるものがあった。アフリートだった。
アフリートのコクピットで、レイビスは自分に呆れていた。
自分の行動が信じられなかった。
でも、納得もできた。
十六夜弥月は、守ってやらなければならない。そう思っていたのは確かなのだから。
メイオウの前に立ち塞がり、最大級のバリアーを張る。
白い光が、アフリートをレイビスを包み込んでいく。
「日下、弥月を守れよ! 俺はここまでだから、後は…お前が……」
レイビスは、叫んでいた。最後は日下への憎しみでもなく、恨みでもなく、弥月のことを託した。光の中、レイビスの身体は消滅していく。しかし、その魂が飛翔する。その魂と一緒に寄り添う魂があった。望月弥月。二つの魂が宇宙を翔んでいく。
メイオウのコクピットの十六夜弥月は、ラグマ・ブレイザムが放った光に、死を覚悟した。迫り来る白い光には、抗うことが許されない気がした。
しかし、不意にその目の前にアフリートが現れた。
なんで?
思えば十六夜弥月は、その言葉を繰り返していた。レイビスに感じたこと、日下に感じたこと。その間で揺らめく自分。なにもかもが不可解で、わからないことだらけだった。
出会ってからこっち、レイビスと会話したことなんてほんの僅かで、深いつながりなんかある訳ないのに、そのレイビスが自分の命を投げ出して自分を守ろうとしている。
十六夜弥月のコクピットの前に立ち、雄々しくバリアーを展開する。そのバリアーもやがて、光に呑み込まれ、アフリートの機体が徐々に蝕まれていく。
アフリートが守ってくれているとはいえ、そのバリアーの範囲外のメイオウの機体が、ハイパーブレイザーの光に千切れ、溶けて消滅していった。頭部が、左右の腕が、両脚が吹き飛んでいった。
コクピットの中に、激しい振動と衝撃が走る。
目の前にいたアフリートが光に包まれて、消滅していく。消えていく。
不意に、白い光が力を失い、消えた。目の前に漆黒の宇宙が広がる。静寂が甦った。
静かだった。耳鳴りがするくらいの静寂、虚空のなかに、メイオウが漂流していた。
レイビスは、十六夜弥月がいるコクピットを守り通したのだ。残ったメイオウの機体の形がアフリートの形そのままだった。
その十六夜弥月の耳に声が聞こえた。
「……十六番目の弥月。お願い、日下を愛して。思い出して…彼を愛して」
それは、望月弥月の声だった。その声が、全てを思い出させてくれた。自分が、何者なのかも、レイビスと日下のことも、彼らがとった行動も。
あぁ……。
吐息とともに、小さく声がもれた。
あぁ、私はレイビスを通し、そして日下炎を愛する運命の女なのだ。
十六夜弥月は、後から後から溢れてくる記憶と涙と声を受け止めようとするように、自分の顔を両手で覆った。
ラグマ・ブレイザムが発射したハイパーブレイザーはその宙域にいたザゴンSGを始めとする艦隊や敵編隊をも巻き込み、消滅させた。
その宙域に敵は消失していた。
ハイパーブレイザーをマックスの状態で発射したラグマ・ブレイザムは、各部の放熱板が展開し、機体に溜まった熱を強制排出していた。
静まり返った中、レーダーにひとつの輝きが点った。それは、テンペストを示す光だった。
「セシリア?」
デュビルの顔が一瞬輝く。放熱の強制排出中で、ラグマ・ブレイザムの動きは、非常に鈍くなっていたが、各所のバーニアを駆使して、テンペストに向かった。
「セシリア、セシリア」
口の中でセシリアの名を呼び続けた。その思いがテレパシーとなり、デュビルの意識は彼女の意識を探り続けた。まるで、宇宙空間の中を手探りでセシリアの意識を探していような感覚だった。
やがて、幽かな、本当に幽かな意識をデュビルは捉えた。それはおそらく、セシリアを想うデュビルでしか見つけられなかっただろう。
ラグマ・ブレイザムの鈍い動きに歯噛みしなから、デュビルはテンペストに向かう。やがて、それが視界に入ってきた。いてもたってもいられないデュビルは、バーニアを装着し、コクピットを飛び出した。
逸る気持ちを抑えつつデュビルはテンペストへと飛翔する。
テンペストは、左半身を縦に斬りつけられて、その腕が無くなっていた。コクピット周辺も損傷している。その近辺から、時折放電していた。
「セシリアー」
デュビルは、大声を張り上げた。テレパシーも送った。セシリアにほんの僅かだが意識がある。
テンペストに取り付くと、デュビルはコクピット脇にある扉の強制解除のスイッチを押した。コクピットが開いた。
「セシリア!」
コクピットが開くと同時に、玉のようになった血の飛沫がいくつも飛んできた。セシリアの出血のひどさが判った。
シートにぐったりとしたセシリアがいる。
「セシリア、セシリア、大丈夫か?」
ヘルメットごしに、セシリアの顔を覗き込む。その手を握ってやる。目をつむっていたセシリアの瞼が、ゆっくりと動いた。その瞳が、デュビルを見つめた。ほんのわずか、セシリアは微笑んだ。その唇が動く。しかし、それは声にはならなかった。
「大丈夫、大丈夫だ。ラグマ・リザレックに帰ろう、助かるぞ、絶対助けるからな」
デュビルの言葉に、セシリアが首を縦に動かした。そのあと、また目をつむる。
「デュビル」
背後から、日下の声がした。振り向くと、そこに日下が心配そうに覗き込んでいた。
「セシリア隊長は?」
「負傷している。出血がひどい。今、意識を失った。早く、手当てしてやらないと!」
デュビルの口調が早口になっている。それだけ、切羽詰まっているのだ。
眼前に、ラグマ・ブレイザムが潜水するようにゆったりと迫ってきていた。強制放熱は完了したらしい。正常の状態になっていた。
ふたりは、セシリアをテンペストのコクピットから抱え出して、ラグマ・ブレイザムへと移送した。カズキもまた、それを手伝ってくれた。
「デュビル、急いでセシリア隊長を連れてラグマ・ブレイザムで帰艦しろ」
セシリアの移送が終わり、デュビルが乗り込むのを見て日下が言った。
「俺は、テンペストを回収する」
デュビルが無言のまま頷いた。
日下は、身を翻して再びテンペストへ向かう。一方、デュビルはラグマ・ブレイザムを発進させ、ラグマ・リザレックに帰艦するべく発進した。
その光跡を横目に確認して、日下はテンペストに辿り着いた。
テンペストを回収する。半分本当だが、半分嘘だった。
日下は、メイオウを見つけたかった。弥月を、もう一度見つけるつもりだった。
幸いコクピットの計器類はかろうじて生きているし、推力もあった。武器はもうなにも使えないし、光学迷彩もできない。でも、それで全然構わなかった。
デュビルが急いでいたように、日下もまた気が気ではなかったのだ。
レーダーレンジを最大にして、テンペストはその宙域を漂う。
「弥月、どこだ? どこにいる?」
どれほどの時間をそうしていただろうか。突然レーダーに「アンノウン」の白い表示と輝点が示された。
ハッとして、日下はその方向にテンペストを向ける。
しかし、次の瞬間にそのレーダーサイトの、敵を示す赤い輝点がポツポツと表示された。最初は、2つ3つの輝点が徐々に増えていく。徐々に増え、徐々に増え、そしてブワッと赤い輝点がレーダーサイトの画面に溢れた。モニターが赤く埋め尽くされた。白い輝きが赤い色の中に埋め尽くされて見えなくなった。
日下は、正面モニターを見た。
続々とSWNサーフェスアウトする艦隊がそこにあった。大艦隊だ。それが、途切れることなく更に増加し続けている。まるで、増殖しているようだ。
目の前のモニターは、艦船で埋め尽くされた。漆黒の宇宙空間が、見えなくなるほどだ。
その艦隊の最後尾に、ひときわ大きな物体がサーフェスアウトした。それは、明らかに人工の球体だった。スケールから言うと、惑星に等しい。
宇宙空間に、人工的な機械的な声が響いた。
その人工惑星が言ったのだ。
「我々は、ギアザン帝国」…………と。
「艦長、艦隊出現、その数…」ジュリアは、一瞬ここで言葉を呑み込んでしまった。「その数、五千」
ジュリアの少し甲高くなった声を、山村艦長は聞いた。宇宙空間をくまなく埋め尽くす大艦隊。それらは、出現と同時に攻撃目標を当艦に定めていることがわかった。
艦隊構成の中にザゴンが、ゲイブル・バーノンが、そしてメイオウ、ブエル、アガレスが認められた。そして、彼らは名乗った。「ギアザン帝国」と。
「我々はギアザン帝国。貴艦に告ぐ。降伏して、その艦を我々に引き渡すことを要求する。乗組員は、全員退去。反次元航行可能な重機動要塞を1機譲渡する。その艦に乗り移り速やかに地球へ帰環せよ。要求が聞き入れられない場合、我々は貴艦を攻撃する」
通信回路に音声だけが響いている。映像が出ないので、相手が何者かもわからない。
「艦長の山村だ。我が艦は、貴君と戦闘する意思はない。だが、貴君の要求を受け入れるつもりもない。我々は、現在地球におきている危機を救いたいだけだ。それには、貴国が深く関わっていると推察する。双方で、まずは話し合いの場を持ちたい。それが我々の回答だ」
「……我々の要求は、降伏だ。それ以外の答えはない。我々は、攻撃を開始する」
「待て」と山村は言ったが、それを全く無視するように、あっけなく通信は切れた。全くこちらの話を聞き入れようとはしない。尊大で傲慢だ。
「加賀室長」
山村は、尋ねた。
「ラグマ城壁、修復完了です」
「ラグマ城壁、展開」
山村の号令と敵艦隊五千が一気に攻撃を開始するのとが、一緒だった。
眩い攻撃の光にラグマ・リザレックが包まれる。それは、容赦のない攻撃だった。
五千の艦隊から放たれる攻撃は、想像を絶する物量でラグマ・リザレックに集中した。その猛撃の最中、その最奥にいる人工惑星が変形を始めた。球形の各所からビームを放ちながら、人工惑星の表面が割れていき、あたかもミカンの皮が剥けていくように開いていく。その表皮が更に変形しながら、中から出現してくるなにかと連結していく。中からに現れたものが、更に変形をしていく。
やがて、それは人の形をとった。両腕があり、両脚があった。そして、その頭部にあたるところには顔があった。
変形した惑星の表面はその人型の背中にまわり、展開した。まるで翼のようだ。それは、所謂大天使の様相だ。惑星サイズの大天使。しかし、その大天使がもたらすのは、慈愛ではなく殺戮だった。
その大天使から、ビーム、ミサイル、あらゆる攻撃が繰り出された。
さすがのラグマ城壁も貫通されるのではないかと危ぶまれたが、耐えた。しかし、ラグマ城壁は時間制限がある。消失した瞬間、ラグマ・リザレックは沈む。
その砲撃の第一次攻撃が終了したとき、山村は言った。
「次元反動砲、用意!」
ギアザン帝国の攻撃はラグマ・リザレックに集中して、その攻撃圏外にテンペストはいたことになるが、それでもその攻撃の余波で、凄まじい爆圧が襲い掛かってきた。抗いようも無く、紙のように翻弄されるテンペストの中で、日下は叫び声をあげていた。更に、その攻撃で破壊されたスペースデブリの残骸が礫となって、テンペストに降り注ぐ。損傷したテンペストが、更にボロボロになっていく。そしてコクピットの中も小爆発が相次いだ。その爆発の破片が日下の身体を傷つけていく。
腕や脚をなにかが、貫通したようだ。激痛に顔を歪める。
近くで更に爆発があった。吹き飛ばされるテンペスト。もう殆ど自分でコントロールできなくなっている。慣性に任せ、流されるままだ。そのテンペストが、なにかにぶつかって止まった。
同じように爆発に巻き込まれ、漂流していたメイオウの胴体部だった。
「弥月!」
それは、奇蹟に思えた。日下が探していたものだ。十六夜弥月が乗っているはずのメイオウを見つけられたのだ。
「弥月」
日下は、名前を呼んだ。言うことをきかないテンペストにいらつきながらも、身をよじるようにしてテンペストの正面をメイオウに向けた。
「弥月!」
日下はテンペストのコクピットのハッチを開けた。その向こう、メイオウのコクピットのハッチが開いて、桜色のパイロットスーツが見えた。
「炎さん」
日下への呼び方が変わっていた。嬉しかった。
「弥月」
思いをこめて、その名を呼んだ。
ハッチから身を乗り出し、そしてその両腕を広げた。先ほどの痛みも、今は感じなかった。今、彼女を抱きしめる以外大切なことは他にない。十六夜弥月が、その身を日下に向かって投げ出した。宇宙空間を弥月は日下の胸元へと遊泳する。
二人は、互いにその手をとりあい、見つめ、抱きしめた。
「弥月……」
彼女の名前以外、言葉が思いつかない。バイザー越しの弥月の瞳には、涙が伝っている。その表情には愛が溢れていた。輪廻転生を繰り返す二人は、ようやく触れ合い、その愛を確かめることができたのだ。
二人はテンペストのコクピットに移り、ハッチを閉めた。ほどなくして、弥月がいたメイオウの胴体が爆発した。メイオウの胴体も、テンペストと同じように損傷を受けていたのだ。殆ど間一髪だった。
テンペストがメイオウの爆発で、再び宇宙空間を流れ出した。バーニア制御を試みて、なんとか態勢を保つ。
漂流するテンペストの姿勢が少し安定したとき、テンペストのアラームがなり、次の瞬間、モニターが真っ白になった。モニターに納まりきらないほどの巨大なエネルギーの奔流が、宇宙空間を切り裂いたのだ。日下、弥月、ともに目をつむり、反射的に閃光から目を守った。
紛れもない、次元反動砲だった。そのエネルギーの光芒に5千の艦隊と、あの人工惑星から変形した大天使も呑み込まれていった。
次元反動砲の光は、長く放射し続けた。5千の艦隊を焼き尽くすには、一瞬では終わらないのだ。モニターを通して、白い光が日下達も圧迫するような凄まじさだった。
そして、不意にその光が消えた。後には、漆黒の闇とそして耳鳴りがするくらいの静寂が訪れた。
テンペストの推進エネルギーが、あとわずかになっている。
補助席に座っていた弥月が、ヘルメットを脱いだ。狭いコクピットだ。ほんの少し、シートを倒しただけで、ふたりは寄り添うように身を寄せた。日下もヘルメットをとり、弥月を見つめた。どちらともなく、二人は唇を寄せ合い、口付けを交わした。
弥月が、幸せそうな微笑みを浮かべた。日下自身も幸せだった。
テンペストの推進エネルギーが切れそうだ。電源がサブバッテリーに切り替わり、節約のため、計器類のライトがひとつふたつと消えていく。コクピットの中が、薄闇に包まれていく。
「少し寒い」
ポツリと弥月が言った。
「そうだな」
日下は彼女へと更に身を寄せ、その身体を抱きしめる。それで少し安心したのか、弥月は、ポツリとあったかいと言った。
推進エネルギーが切れた。テンペストはこのまま宇宙を漂流するしかない。やがては、ヒーターも切れ、更に温度が下がるかもしれない。
しかし、日下も弥月も不思議と絶望感はなかった。いまひとときのこの幸せに比べれば、二人でいることに比べれば、この状況でも絶望に値しない。
まるでそれを証明するかのように、二人の前に希望が現れた。重機動要塞メイオウだった。先の戦闘でブリッジはやられ、半壊して漂流している。
二人は吸い寄せられるように、そのメイオウへとサブバッテリーの残りのエネルギーを使い、バーニアを制御して方向を定めた。
セシリア・サムウォーカーの治療が終わった。手術を担当した、朝倉の顔が険しい。第一種戦闘態勢が解除されて半舷休息がでたので、デュビルは真っ先にセシリアのもとにやってきた。
ちょうどその頃、麻酔から醒めたらしい。朝倉は面会を許可した。セシリアの容態は深刻だと聞かされた。それをどう受け止めたらいいのか、デュビルはすぐに心の整理ができなかった。病室の扉の前で深呼吸をし、意を決して中へと歩を運んだ。
ベッドに横たわったセシリアは呼吸器をしていて、息遣いが苦しそうだった。
それなのに、デュビルを見つけたセシリアは、半開きの瞼の目尻が優しくなって微笑んでいるように見えた。
「…デュビル」
そう言ったセシリアの声は、掠れていて小さくて聞き取ることが難しいくらいだった。
「デュビルは、大丈夫?」
「大丈夫だ、怪我もない。お前のおかげだ」
「……良かった」
ベッドの端から、そろりとセシリアの手がゆっくりと持ち上がった。その手を大事に、両手で包むようにデュビルは握った。冷たい手だった。でも、可憐な手だと感じた。
「セシリア、お前も大丈夫だ。すぐに良くなる。だから頑張れ」
デュビルの言葉にコクンと頷く。その仕草が、まるで少女のようだった。
「デュビル」
セシリアが名を呼んだ。しかし、そのときのセシリアの言葉は既に声として発せられてはいなかった。しかし、デュビルにはっきりと聞き取れた。何故なら、彼はβμだから。
「デュビル、あなたが大好きよ。愛しているわ」
「あぁ、俺もだ。君を愛している。セシリア、君は父が死んで天涯孤独になった俺に寄り添ってくれた。あれから、君は俺の大切な人になった。これからも一緒にいよう」
コクンコクンと小さく頷くセシリア。その目尻から、涙の滴が伝っている。デュビルは、その滴をそっとぬぐってやった。そのデュビルの手をとり、セシリアは自分の頬に当てた。デュビルの掌の温もりを頬に感じながら、セシリアは微笑む。
「デュビル、そう言ってくれて、私、嬉しいわ。私、私ね、戦闘機乗りの女隊長だけじゃないのよ…自慢じゃないけど、料理だって結構上手いのよ。訓練しているから、スタイルだって悪くない。学生の頃は、髪が綺麗だって友達に誉められたのよ」
おどけたような口調で、セシリアは言う。それに、今度はデュビルがウンウンと頷く。
「俺は、君のこの髪が好きだ。やわらかくて、いつも綺麗だと思っていた」
セシリアの頭をなでた。
その顔が、ぱっと明るく笑顔になった。衰弱しているのに、輝くほどの笑顔だ。
「あなたに誉められると、嬉しい。とても嬉しいわ」
デュビルの無骨な手を頬ずりするようにするセシリア。まるで甘えるような仕草だった。いつも凛としたセシリアと違っている。だが、それがたまらなく愛おしかった。
「あなたと一緒にもっと生きたかった」
「セシリア、なにを言っている。生きるんだ。これから一緒に。地球に帰ったら、一緒に暮らそう」
「それってプロポーズ?」
セシリアの言葉に、コクンとデュビルが頷く。
「ありがとう、デュビル。私、幸せよ」
セシリアは、そこで一旦言葉を切った。そして、改まって言った。
「……ね、デュビル、生きてね。生きて、そして笑ってね、私、あなたの笑った顔が見たいの。あなたの笑った顔をそばで見ていたいの」
セシリアの手がゆるゆると延びて、デュビルの頬に触った。その手を支え、デュビルは自分の頬に当てる。
「デュビル…愛してる」
デュビルは、自分がβμであることを今ほど感謝したことはなかった。既に、セシリアの言葉は声として発せられていなかった。仮にふたりを見た者がいるならば、それは沈黙でのやり取りで、まるで無言劇のように見えただろう。
しかし、彼女の偽りのない愛がデュビルに届いている。セシリアとできた心の触れ合いはなにものにもかえがたいものだった。
次の瞬間、セシリアの手から力が抜けた。瞳が閉じて、穏やかな顔をしたセシリアの鼓動が止まった。
慌ててコールをする。ドクターの朝倉が駆けつけ、必死の措置を行うが、セシリアは還ってこなかった。
静かに首を横に振る朝倉の横で、デュビルは涙を流しながら、彼女の身体を抱きしめた。まだ温もりがあった。なのに、彼女はピクリとも動かなかった。それが、受け止められない。
セシリアはデュビルに、笑ってと言った。その魂が、日下のもとへ飛翔する。
身体の内側からにじみ出てくる哀しみを、押さえ込もうとしてデュビルは震えている。それでも、口元から涙声が飛び出てしまいそうだった。
ごめん、セシリア。お前は、俺に笑ってと言った。でも、できそうもない……
重機動要塞メイオウの中は、かろうじてシステムが稼動している。空気もある。航行システムは破壊されているが、機関は動いている。
二人は、医務室に行った。負傷している日下を甲斐甲斐しく、弥月が手当てをしてくれた。爆発で飛び散った破片が、日下の身体を傷つけていた。腕や、腹、右脚には破片が食い込んで、出血している。それでもひとつひとつの傷は、まだ軽症の部類だ。命に関わるような深刻なものではないのが、救いだった。
日下を気遣い、丁寧に弥月は手当てをしてくれた。「大丈夫?」と問いながら、薬を塗り、止血テープを貼ってくれた。
「大丈夫」と応えると、笑顔を見せてくれた。
いいなぁ、と日下は思う。好きな女性の笑顔ほど、幸福感を与えてくれるものはない。治療が終わると、今までの緊張感がほぐれたせいか、空腹感を覚えた。
「腹が減った」
呟くように言うと、まさに腹の虫が小さな音を立てた。
弥月が、それを聞きつけて噴き出して笑った。「私も」と言った。日下もそれにつられて笑い出す。
「待ってて、とってくる」
そう言って、弥月は踵を返し、医務室を出て行った。
日下は、ベッドに横たわった。身体を動かすたびに、あちこちの傷が痛んだが、弥月が手当てしてくれたことを思えば、それすらも幸福に感じる。
白い天井を見つめていると、新月美月、望月弥月、十六夜弥月、それぞれの顔が浮かぶ。サンジェルマンが見つけた最愛の人は、連綿と時を越えて日下へとつながっている。日下とレイビスの場合は、とてもいびつな出会いで、複雑な世界であるけれど、今は難しいことは考えないでおこう、と思った。今は、この幸福感にしばし身を委ねたい。
やがて弥月が、両手に非常用戦闘食を抱えて戻ってきた。
「どれが食べたい?」
半身を起こして、ベッドに腰掛ける日下に向かって、弥月はベッド脇のテーブルに、持ってきた戦闘食を、まるでマルシェのように並べた。どれも四角い銀色のパッケージに封をされているが、その表面に食べ物の名前が記されている。が、その表示を見てもどんな食べ物なのか、日下にはわからなかった。眺めていると、カレーの表示を見つけ、日下はそれを指差した。
「ギネルの戦闘食は、どれも結構美味しいのよ。カレーは美味しいわよ、私も好き。あと、私のオススメはこれ」
ひとまわり大きなパッケージのレーションを空けた。中には、いろんな種類の食べ物が小分けにされて入っていた。それを端から並べていく。ビスケット、ジャム、スープパスタ、シチューにパンにデザートのアイスクリームまであった。パッケージに小さくついているクリップを引き抜くと熱が発生して、1分ほどでほんのりと中が温められる。
それにならって、日下もクリップを引き抜く。
弥月は、隣のベッドからストールを持ってきて、日下の向かいに腰をかけた。
「飲み物も持ってきた。いろいろあるわよ。紅茶、コーヒー、グリーンティ、まずいけど栄養価とメンタル安定剤いっぱいのギネル特製のコンバットドリンク」
少しおどけた表情で言う弥月が、とても可愛らしく思えた。
「グリーンティをもらえるかい」
「オーケー」
ボトルに入ったグリーンティを日下に渡すと、自分も同じグリーンティを選んだ。1分たって、食べ物が温まったらしい。弥月が、それぞれのパッケージを開けていく。一番最初に日下のカレーを空けて、渡してくれた。
ほんのり湯気が立ち、カレーの香ばしい匂いが鼻をついた。
「うん。うまそうだ」
弥月は小分けにされたものを手際よく開封して、並べていく。テーブルの上がちょっとしたパーティのように華やいだ。
「さあ、召し上がれ。食べたいものがあったら、好きなもの食べてね」
「うん、いただきます」
日下は、両手を合わせて頭を下げる。見ると弥月も同じように、両手を合わせて「いただきます」と言った。それは、自然な振る舞いだった。0522年の日下と0999年の弥月と、同じ習慣で生きていると知ったとき、この運命の強さを知った。
好きな食べ物はなにか、嫌いなものはあるか、そんなことから始まり、たわいのない会話をしながらの食事は、ふたりにとって変え難いものだった。改めて、互いのことがわかったし、そしてなにより、その時間、弥月はよく笑った。
いいなぁ、弥月の笑顔はいいなぁ。それを穏やかな微笑みをたたえて、日下も笑っていた。
「CASになって、不思議なことがあったんだ。コスモスっていう花を知っている?」
「ウン」
「その花が、妙に気になって、気になって。今まで、そんなこと気にしたこともないし、そもそも、コスモスっていう花のこと知らなかったし。知らない花が急に気になりだして、次の休みの日に町中の花屋さんに訪ねちゃった。でも、この時代、花なんて貴重だから花屋さんに全然なくて、国営の植物園でようやく見つけた。すごく可愛らしくて、綺麗な花だった」
言われて、日下は新月美月が好きだった花を思い出した。コスモス。その花は日下が育った施設の裏に、群生となって咲いていた。白や桃色、黄色、様々な彩りで誇らしげに咲いていたコスモスを、美月はとても好きだった。月虹を見たあの日、宿泊施設の丘にもコスモスが咲き誇っていた。
「コスモスか、日本では秋桜とも言われるんだ」
「秋桜?」
「もともとメキシコの花らしいけれど、僕が子供も頃暮らしていた日本で群生になって咲いていた。きれいな花だね」
好きなものの話が噛み合うのは、嬉しい。二人とも、微笑んでいた。
しかし、そんな平和な時間も長くは続かなかった。
突然警報が鳴った。二人の表情が一変する。
「この警報は、衝突センサーだわ」
「衝突? サブブリッジみたいなものはあるのか? 状況を確認しないと」
「CICが生きているかもしれない。そこなら、状況がわかる」
「よし、行こう」
二人は駆け出し、艦中央に位置するCIC(戦闘指揮所)へ移動した。
CICは、赤い照明に照らされ、警戒レベルが深刻なことを示していた。
正面モニターを見据えると、眼前に小惑星が迫っていた。それが、メイオウの衝突コースになっていたのだ。このままだと、正面衝突してしまう。
弥月がパイロット席に座り、舵をきろうと試みた。しかし、航行システムが殆ど用を成さなさなくなって舵は効かない。
「姿勢制御スラスターで、避けるしかない。左弦、スラスター制御できるか?」
「やってみる」
弥月の指がコンソールの上を走る。ガクンと船体が揺れ、左舷スラスターが噴射した。艦が右方向に移動する。このまま噴射を続ければ、衝突コースの軌道から外れるかも知れない。そう期待したのも束の間、その噴射が息切れするように途切れ途切れになる。
「機関出力が不安定。軌道修正1.5。このままじゃ回避できない」
「機関室を見てくる」
そう言った日下を、弥月が心配そうに見上げた。
「心配するな。機関室の出力バルブを確認してくる」
「お願い」
二人は短いキスをかわし、日下は弥月に向かって小さく頷く。二人の間に、諦める気持ちはさらさらない。今この時が幸せだから、この時間を死んで失うつもりはない。生きる。生きたい。二人で一緒に。日下は、それこそ両手で抱えきれないほどの弥月への愛を胸にかき抱いて、機関室に向かった。
慣性で漂流するメイオウは、小惑星に向かって接近している。弥月は制御ノズルの噴射をコントロールして、軌道修正を続ける。噴射が切れ切れになったり、コントロールが効かないノズルもあるが、続けるしかない。
小惑星との衝突コースと回避コースがディスプレイされている。あと、三十分以内に回避コースまで軌道修正しないと、ぶつかってしまう。
「こちら日下。弥月、機関室に着いた。エネルギー伝導バルブが数箇所が損傷してる。おそらく、損傷したバルブを閉じて、無傷の予備バルブを開いてやれば、出力は安定するはずだ」
艦内通信機から流れて来た日下の声に、ほっとする。同時にもたらされた朗報に更に安堵する。
「気をつけてね」
「ああ、わかってる」
通信が切れて、ほどなくしてスラスターの出力が安定してきた。このまま、噴射を続けることができれば、回避できそうだ。
日下がCICに戻ってきた。
「上手くいきそうよ」
「よかった」
二人は慎重に制御ノズルを操作して、衝突5分前に回避コースへ軌道修正に成功した。
しかし、それも束の間だった。再び、警報が鳴った。その小惑星の影に、艦隊の残骸が広がっていたのだ。おそらくは、さきほど襲来したギアザン帝国のものだろう。デブリとなった残骸の海だ。あの中に突入したら、さながら暗礁に傷つき沈没する船と同じ運命を辿るだろう。
「逆噴射、急制動だ」
「ダメ、前面制御ノズルのコントロールが効かないわ」
日下が弥月のそばに行って、同じくコントロールスイッチを押すが、全く反応がなかった。
「急制動のノズル自体が損傷しているのか?」
「いえ、ノズルに損傷はないみたい。コントロールシステムが効かないだけ。直接、噴射装置に点火できれば、逆噴射は可能だわ」
「よし、俺がいく」
「待って、私も行くわ。直接点火できる逆噴射ノズルは全部で8つ、両舷の噴射のタイミングを合わせないと、艦のバランスがとれないわ」
「……わかった、一緒に行こう」
二人はヘルメットを被り、CICを離れる。
艦首へ向かう途中では、空気が薄くなり、重力制御もなくなっていた。無重力の空間のなか、兵士の屍が無機質に漂っていた。もしかしら、キースの遺体もこの艦のどこかで漂っているのかもしれない。そう思うと、胸が痛んだ。
メイオウほどの巨体に制動をかけるノズルは、一基あたりのサイズもかなり大きい。直接点火するためのコントロールパネルは、二つのボックスに分かれていた。強化ガラスで囲まれた右のボックスに弥月が、左のボックスに日下が入った。
噴射のための推進エネルギーを注入する。正常に起動したので、やはりCICへのコントロールが故障していたのだ。
推進エネルギーの臨界に達したとき、弥月と日下ともに目があった。互いに小さく頷く。
「一〇、九、八、七」
弥月が、カウントダウンを始めた。
「三,二.一,〇」
ゼロカウントで、二人同時に赤いボタンを押す。
最大出力で逆噴射が効く。急激な制動がかかり、艦が揺れて二人とも前に放りだされそうになった。
残骸の海に突っ込んでいくメイオウの巨体にブレーキがかかる。しかし、ギリギリだ。メイオウは、その海への突入こそ免れたが、その淵際にある残骸のひとつに衝突した。
艦首に残骸が衝突し、めり込んでくる。それは、みるみるメイオウの艦首に食い込んで、日下達のいる場所まで到達する勢いだ。
「逃げろ!」
二人は、その場を離れ、艦の奥へと駆け出した。廊下に出て、全速で走り出す。凄まじい音量の警報が響く。衝突で破壊され、亀裂と爆発が日下達の背後から襲ってくる。
緊急隔壁閉鎖ボタンを押しながら、弥月を先頭にして日下は走った。次々と爆発を遮断していく隔壁を更に破壊して、亀裂が襲ってくる。その衝撃で天井がぐらぐらと揺れている。正直、パイロットスーツで走るのは、かなりつらい。息も絶え絶えになる。
弥月がよろけて、その場に転んだ。その肩がぜいぜいと喘いで上下している。弥月の体力も限界なのだろう。それは日下も同じだった。
日下が、隔壁ボタンを押す。隔壁が下がると同時に、日下は弥月の上に飛び込むようにして覆いかぶさった。
弥月を庇うその日下の背中に、ぱらぱらと小さな金属の破片が降り注いだ。
破壊の震動がなおも続く中「止まれ」と、二人はともに念じた。固く目を瞑って、この恐怖が過ぎ去るのを祈る。
日下は、弥月の華奢な身体を感じながら、てこでも動かない覚悟を決めていた。
その震動が不意に止まった。塵のように降る欠片も止まった。
ぜいぜいと息を鳴らすその音と、心臓の鼓動が響いている。激しい呼吸のために、バイザーが、吹きかかる息で白く曇っている。その曇りの大きさが、呼吸にあわせ大きくなったり小さくなったりしている。
しばらく二人はそのままの姿勢で動けないでいた。そして、ようやく日下は恐る恐ると後ろの隔壁を振り返った。隔壁は、堅牢な姿でそこにあった。ヒビも入っていない。ようやく衝突の破壊が止まったのだ。
「弥月、生きているか?」
息の下から、日下は声をかける。返事はない。その代わり、弥月は身体をひねって向き直った。彼女の顔が日下の正面にあった。
「生きているわ」
弥月は、深呼吸のような息をしながら、その腕を伸ばして日下の首にかけた。バイザーの中、息が白く曇っている。
二人は互いのヘルメットのスイッチに触れて、バイザーを開けた。見つめあい、息を整え、そして長い口付けを交わした。
漂流を続けるメイオウの中で、弥月と日下は言葉を交わし、食事をともにし、そして素肌で愛し合った。そのひとときは、なにものにも変えがたい幸福な記憶としてふたりに刻まれた。それこそ、永遠に続けばとさえ思った。
通信機器は、ブリッジが破壊されたことで既に使い物にならない。緊急救援信号は、先の衝突で発信不能になった。
ラグマ・リザレックにこちらから通信する手段がない。向こうで見つけてもらうしかない。しかし、絶望感はなかった。そばに愛する人がいるからだ。
隔壁のチェック、機関の維持、艦内機構のメンテナンス、修理、やることは山ほどあった。
ある意味、その平穏も長くは続かなかった。前触れ無く、またも警報が鳴ったのだ。
またなにか障害物が侵入してきたのかと考えたが、モニターに表示さたれのは、なんとRPAだった。 RPAアガレス。くしくも、望月弥月と巡り会った機体だ。カラーリングが違うが、それに間違いはなかった。
アガレスはメインエンジンを使っていない。サブエンジンで、おそらくエネルギーを節約して飛翔している。
CICでそれを見て、日下も弥月も緊張で身を硬くする。
「あれは、君の部隊にいた奴か?」
「…違うわ。私の部隊にアガレスは配備されなかった」
「だとすると、あれは……ギアザン帝国か?」
襲いかかってきた5千もの大艦隊。ラグマ・リザレックの次元反動砲で斉射され、消滅したかと思われていたが、かろうじて生き延びた機体なのかもしれない。この宙域で、たった1機で生き残り、エネルギーも底をつきかけたところに、メイオウの衝突事故の爆発を発見したのかも知れない。
「攻撃オプションはあるか?」
「ここからコントロールできるのは、オロチのビーム砲一門。ミサイル、左舷のみ発射可能。あとは手動の機銃だけ」
「いずれにしても、全門発射できるようにしよう。向こうの出方によっては、攻撃する」
日下が言ったそばから、アガレスが攻撃をしてきた。ビームが発射され、数発がメイオウに命中する。
「ミサイル、発射」
日下が発射ボタンを押す。弥月は、ビーム砲オロチのエネルギーを充填させた。
「ミサイル第2波、発射用意。ミサイル第2波、バーズアウェイ」
再び日下が発射した第2波のミサイルは、アガレスの牽制になったものの命中には至らなかった。ザリガニ型のフォルムのアガレスは非常に照準をつけるのが難しい。
「オロチ、充填完了。発射」
弥月が発射したビームが断続的に発射される。そのうちの数発が、アガレスに命中した。しかし、損傷を受けながらもアガレスは突進をやめない。黒煙をなびかせながら、尚こちらに向かってくる。
「機銃に行く。弥月はここで、オロチで奴を狙ってくれ」
「了解」
日下はCICを飛び出る。敵をこれ以上近づけるわけにいかない
節約していた電源を起動させ、暗かった廊下に照明が点った。その中を移動用シューターで艦首へと向かう。
攻撃の振動が激しさを増してきた。砲門に辿り着くと、日下はすぐさま起動させた。索敵モニターに映ったターゲットのアガレスは、すぐそばまで接近していた。黒煙を吐き、サブエンジンで動いているため、レイビスのときのようなスピードは出ていない。日下達にとっては、それが幸いでロックオンは可能だった。
オロチのビームが命中した。が、それでもアガレスはアガレスだ。その装甲は厚く、命中させてもなかなか致命傷にならない。
シートに着座して、日下は機銃を撃ちまくった。ビームが命中するが、殆ど効かない。この機銃のビームでは、出力レベルが小さすぎるのだ。日下は、即座に実弾モードに切り替えた。そして、慎重に狙いを定める。ロックオンでレティクルが重なった瞬間、トリガーを絞る。
発射された特殊装甲弾は、右側のハサミ型のマニュピレーターを吹き飛ばした。アガレスは大きくバランスを崩し、一時的にコースを外れた。だが、すぐに態勢を立て直し、更に突進してくる。
もう一撃と、日下は次弾を装填する。装填完了のサインが出ると同時に、照準をとる。モニターの中で、アガレスにオロチのビームが集中している。が、ビームをかわし、時には被弾しながらもアガレスはこちらに向かって飛翔する。このままでは、激突する。まるで特攻さながらだ。
「堕ちろ!」
叫びながら、日下はトリガーを絞った。
特殊装甲弾が発射され、アガレスの正面を撃ち抜いた。
「やったか」
思わず快哉を叫んだが、その実弾はアガレスを貫通した。偶然にも装甲の薄い箇所に命中したため、綺麗に突き抜けてしまったのだ。
その日下の攻撃に怒りの火がついたのか、アガレスはメインエンジンを点火し、猛然と加速した。左に残ったハサミ型のマニュピレーターをかざして更に突撃してく。そのハサミがギラリと反射して光った。その光に殺意がこめられているようだ。
アガレスは、ハサミの刃を九十度の縦向きにして、メイオウに向かってきた。そのスピードのままに、メイオウに突撃して甲板にその刃を突き立てる。ハサミ型の刃は、まるで布を切り裂くように、甲板を滑っていく。そのハサミの先には、日下の機銃があった。
恐怖を押し殺して、日下は機銃を連射する。
「堕ちろ、堕ちろ」と叫びながら、自らを鼓舞して機銃を撃つ。背後には弥月がいる。それまでには、堕とす。不退転の決意で、トリガーを引く。
アガレスのハサミは、日下の機銃を切り裂き、そのまま破壊されたブリッジの根元へ衝突して止まった。
「弥月!」
分断された機銃の中から、日下が顔を出した。アガレスのハサミは、日下の脇をかすめ、かろうじて九死に一生を得た。
しかし、そのことに安堵している暇はない。
再び日下は、艦内移動用シューターでCICへと向かう。
アガレスのパイロットが艦内に侵入して、弥月に危害を加えるようなことがあってはならない。近づくにつれ、日下は腰元のホルダーから拳銃を引き抜いた。
アガレスが衝突した付近に着いた。唾を呑み込み、自分に落ち着けと促す。
警戒しながら、廊下を伝う。足音の響きを感じた。その方向を注意する。現れたのは弥月だった。
「弥月、無事か」
「ええ、炎さんは?」
「大丈夫だ」
言葉を交わしながらも、警戒は怠らなかった。だが、敵の気配は感じない。
ふたりは、衝突したアガレスへと向かった。
辺りは静かで、空気も正常だ。それがかえって不気味だった。
角の廊下を曲がった、その先に人影があった。ゆらりゆらりと、黒い影法師が廊下の壁に映っている。
いた。二人は角の壁に身を隠し、警戒する。
負傷してるのか、影法師の動きはゆらりゆらりと動作のひとつひとつがぎこちない。歩くスピードもやたらと遅い。
もしかして、ロボットかアンドロイドなのでは、と勘ぐった。
日下と弥月は、息を潜めて影法師の動きを見守った。
ゆっくりと歩みを運ぶ影法師がやがて姿を現した。ヘルメットは被っていない、濃紺の髪の色をした男だった。顔立ちは端正で、涼やかな目元をしていた。体格は、日下とさほど変わらない。脚を引きずっていた。やはり、負傷しているのだろうか。しかし、出血は見られなかった。
日下は意を決し、拳銃を構えて男の前に出た。
「止まれ」
狙いを定めた拳銃を前に出し、努めて冷静な声で話しかけた。しかし、男は何も応えない。
「止まれ! 貴様、ギアザン帝国の者か」
男は相変わらずゆっくりとした歩調で、日下へとにじり寄ってくる。その表情が妙にぎこちない。男は丸腰だった。拳銃の類は手にしていないし、ベルトにもそのような武器はない。
「……よこ…せ」
男は、そう声を発した。その声は、肉声に感じなかった。まるで、ボイスチェンジャーでも介しているような、機械的な声だった。
右足を引きずりながら、男はなお日下に向かって歩んでくる。ぎこちなく震える右手が、日下の顔に向かって突き出される。
「…よ…こ…せ」
発せらる声は、再びそう言っていた。
訝しげな表情で、日下は更に銃を突き出す。
「なにを、よこせというのだ?」
思わず、そう訊いた。距離が近づくにつれ男の顔が、よく見えるようになった。その顔が、なんだか作り物のように見えた。その瞳、瞳孔がシャッターのような動きをしている。
「創…生……エネルギー、ラグマを寄越せ」
男がそう言ったとたん、差し出した右手があれよあれよと機械的に変形して、銃を形成した。男はロボットなのか、サイボーグなのか、はたまたアンドロイドなのか。
「危ない!」
武器を携行していないと油断した日下に、背後から悲鳴にも似た弥月の声が響いた。それに反応して、日下は撃った。胸に数発が命中し、男は声を上げるでもなく、強張った表情のまま、ゆっくりと崩れ落ちていった。しかし、男の手が変形した銃は引き金が引かれていたらしい。倒れながら、男の右手から小さな弾丸がマシンガンのように連射され、日下の右横を掠めて、床から壁にと連続的に弾痕が打ち込まれていった。
どさりと音をたてて、男はそのまま床に倒れ動かなくなった。いや、妙に脚だけが前に歩もうと動いていた。おもちゃのロボットが倒れて、起き上がれずに空しく脚だけ動かしている様に似ていた。やがて、それも動かなくなった。銃を構え、尚警戒していた日下だったが、ようやくそこで息を吐いた。
「こいつ、ロボットなのか? なぁ、弥月」
男の様子を伺いながら、日下は後ろにいるであろう弥月に話しかけた。しかし、すぐに返事はない。かわりに、何かが倒れる気配がした。
慌てて振り返る。弥月が、膝をついている。左の脇腹を押さえていた。彼女の指の隙間から血が滴り落ちている。
「弥月!」
日下は猛然と駆けた。力尽きて床に倒れこもうとしている弥月をかろうじて、支えた。
「弥月、嘘だ、嘘だろ」
何故、彼女が銃弾に倒れているのか、理解できなかった。男の銃弾は、あらぬ方向に撃たれたはずなのに……跳弾? それしか考えられなかった。
「弥月、大丈夫。大丈夫だ。すぐに手当てしてやる」
弥月はほんの一瞬、笑顔を作ろうとしたようだ。だが、それは苦痛に歪んでしまった。
「弥月、弥月」
「炎さん…」
小さな声で、弥月は日下の名前を呼んだ。ゆるゆると右手を伸ばし、弥月は自分の束ねた髪の房を摑んだ。髪に似せているが、それはCAS弥月シリーズが、アプリケーションソフト「慈愛」をバージョンアップさせるための記憶装置だ。
「お願い、これをどのコンピュータでもいいから、接続してくれる?」
引き抜いた髪の束を日下に差し出す。
「これは私の記憶装置。これを接続するとね、特殊な通信回路が開いて地球へデータが送れるの……」
日下はそれを受け取って、わかった、わかった、と頷く。
「炎さん…私、あなたと過ごした時間、幸せだった。本当に幸せだったわ」
「俺も、俺もだよ。だから、これからも一緒にいるんだ。だから弥月、しっかり、しっかりするんだ」
今度は、弥月がウンウンと頷く。しかし、痛みと出血は容赦なく弥月の命を急速に奪おうとしている。日下は、弥月の手を強く握っていた。その手から体温が少しずつ下がっているのに気付く。
「あなたを愛した幸せの記憶が地球に翔んだら、それが、これからの弥月に宿るの……あなたを愛する弥月に、また逢えるわ」
「そんなことを言うな。弥月。大丈夫、大丈夫だから」
そうは言うものの、日下は取り乱していた。自分には、医学の知識がない。出血を抑えるくらいしか手立てがない。これほど、自分が何もできないと腹立たしくなる。涙が出てくる。悲しい涙なのか、悔し涙なのか、いやおそらくその両方なのだ。
「通信が、地球に届かなくてもいいの。通信が途中で途切れたとしても、私の思いはこの宇宙いっぱいに広がって、そしてあなたを見守るわ……お伽話みたいでしょ……でも、信じてね…きっと、そう…なるから……」
弥月の言葉が切れて、彼女の意識が一瞬とんだようだった。息が、次第に細くなる。日下は彼女を抱きしめた。彼女は、ずっと日下への愛を口にしている。そんな彼女を、今失おうとしている。
「弥月……弥月……」
なんて愛おしいのだろう。彼女の名前も、その手も、その髪も、なにもかもが愛おしい。なのに、なのに、消えていく。彼女の命が消えていく。
「弥月……弥月」
日下は嗚咽しながら、ずっと彼女の名前を呼び続けた。たった一人取り残されたメイオウの中、彼女の魂が、日下のなかに飛翔するまで……
どれほどの時間をそうしていたのか、わからない。が、ようやく日下は立ち上がった。弥月の髪の房を手にして、よろめく足取りでCICに向かう。
弥月の願いだ。やってあげなければ。その思いで、悲しみに力を削ぎ落とされた体に無理をさせる。いや、こんなのは無理でなんでもない。
辿り着いたCICのコンピュータに、弥月の記憶装置を接続する。コンピュータが記憶媒体にアクセスすると、あらゆる機器が明滅を始めた。機関室のエネルギーも集中し始めた。破壊された通信機器とは全く別の装置も起動しているようだった。
弥月の記憶、「慈愛」のバージョンアップはなによりの優先ジョブになっているようだ。
メイオウの艦全体が淡く発光している。発光が徐々に強くなり、やがて強い光になってそれが四方に放射された。強い強いエネルギーとともに、弥月の記憶が宇宙に迸る。それが、地球まで届くのかどうかはわからない。彼女が最後に言ったお伽話の方が、何故か日下には信じられた。
その強く発光した光、放射された通信エネルギーをラグマ・リザレックが探知した。
パイロットスーツを着込み、日下はメイオウの甲板に出た。その腕に弥月の遺体を抱いていた。
「…弥月…」
日下は、もう一度彼女の名前を呼んで、バイザー越しに彼女の顔を見つめた。美しい顔立ちだった。今にも眠りから醒めるのではないかと錯覚するくらいだ。
しばらく、彼女の顔を見つめていたが、やがて日下は彼女の体をふわりと宙に浮かべた。
慣性で、弥月の体はゆっくりと宇宙の海へと流れていく。
敬礼をし、じっと宇宙の彼方へと去ってゆく弥月をいつまでも見つめていた。
やがて弥月は星々のきらめきに紛れて、見えなくなった。
日下が敬礼をほどき、艦内へと戻ろうとしたときだった。弥月が消えた方向にキラリと光るものが見えた。それは、こちらに向かって接近している。光は次第に大きくなり、それがラグマ・ブレイザムだとわかった。
信じられなかった。弥月を失い、もう自分はここで死ぬものと思っていた。弥月の後を追うことを考え始めていた。それは、甘美な誘いにも思えていた。しかし、まるで弥月がそれを否定しているようだ。弥月が、日下に「生きて」と背中を押すように、ラグマ・ブレイザムと引き合わせてくれたように思えた。
ラグマ・ブレイザムも日下を見つけてくれたようだ。
「日下! 日下ァ、無事か!」
ヘルメットにカズキの声が響く。
「こちら、日下。無事だ、生きてる」
「この野郎! どんだけ心配かけやがるんだ!」
カズキの声の中に、怒りと涙が混じっていた。
「……すまない」
「……いいさ、生きてるんなら、チャラだ」
そう言うカズキの言葉のあとに、鼻水をすする音が聞こえた。
ラグマ・ブレイザムは、メイオウの甲板に降り立った。それを見上げる日下の眼前に、恒星の光がさして、ラグマ・ブレイザムを照らした。
光を受けるラグマ・ブレイザムに向かって、日下は甲板を蹴り付け、宙を泳いだ。




