第十八章 道化芝居
「キースさん!」
轟・アルベルンは涙を浮かべながら、キースの元ににじりよった。
ビリーがキースを抱き起こして、応急処置のための止血テープを傷口に貼っていた。更に、パイロットスーツの空気圧の調整機能を使って止血を施す。しかし、キースを撃ち抜いた傷は浅くはない。
「キースさん!」
轟の声に、キースがうっすらと瞳を開ける。
「轟、奴を殺せなかった…すまんなぁ」
ぼそりと呟くような声に、轟は勢いよく首を横に振る。
「この歳になると、お前や高城は、殆ど自分の息子や娘のように思えるよ……アリエルに来るときに別れてしまったが、俺には二人の息子がいるんだ。上の子は、出来が良くてな、自慢だった。下の子が、これが勉強もだめ、スポーツもダメでな。でも、こいつは可愛かったんだ。本当に可愛かった。俺は、こいつが心配だった。大きくなったら、一人で生きていけるか、心配だった。そのために、厳しく育てた。でも、その厳しいだけの俺の愛情は、いつしかあいつから笑顔を奪ってしまった。もっと、もっとな、優しくしてやれば良かった。轟、お前を見るたびに、そう思っていたよ。二度と会えなくなるんだったら、息子に優しくして、一緒に笑ってやればよかった」
少し意識が混濁しているのかも知れない。轟の話と、息子の話がごっちゃになりだしていた。
「だからな、お前の願いのひとつくらいは、叶えてやりたかった。あいつを殺してやりたかったんだが……」
そんなキースの言葉を、轟はうんうんと頷きながら聞いている。
「何だって?」と、突然ビリーが頓狂な声をあげた。
頭の中に、デュビルのテレパシーが届いたのだ。デュビルは、ディー・ナインがブレズ4玄武を奪い取って発進した、と伝えて寄越したのだ。それは、轟にもキースにも届いた。
「ビリー、轟、行け。クローンがラグマ・リザレックに侵入したら、轟になりすまして殺戮するつもりだ。轟が誤解される」
ばたばたと敵兵が駆け込んできた。
痛みをこらえて、キースが半身を起こす。
「行け、二人とも。ここは、俺に任せろ」
そう言って、銃を構える。
「できませんよ、そんなこと」
「行け、轟。クローンを証明するには、お前がいなきゃダメだ。お前とクローンが違うことを証明して来い。クローンの殺戮を止めて、友達を、仲間を守れ」
「でも、でも、キースさんが!」
「……高城が死んだとき、俺はいたたまれなかった。俺より若い奴が死ぬのはごめんだ。親父達にとって、若い奴はな、希望なんだよ」
キースは半身を壁から乗り出して、銃を乱射した。その銃撃で、幾人かの敵兵が倒れる。
「ビリー、行け。轟を連れて行け!」
痛みが激しいだろうに、身体を起こすだけでも大変だろうに、意識を保つことだって生半可なことじゃないだろうに……なのに、ふらつく背中は頼もしく、そして大きかった。
轟の瞳から滂沱の涙が流れている。轟に父親の思い出は、殆どない。しかし、キースの背中は父親のそれと重なった。
「あのクローンはこの世に一人ぼっちかも知れないが、轟、お前は一人じゃない。忘れるな」
「行くぞ、轟」
キースの覚悟と状態を察して、ビリーが促がす。
「行け、轟」
銃を撃ちながら苦悶の表情の中で、キースは笑った。
その笑顔を見て、轟もビリーも決心がついた。二人は、駆け出した。時々、涙で視界がかすむ。何回もかすんで、かすんで、まるで霧雨の中を走っているようだった。
ディー・ナインが放った小型ミサイルで壁が破壊され、後方にいたデュビル、カズキ、オービルと日下と十六夜弥月が分断された。
かろうじて怪我こそなかったが、瓦礫に遮断されてしまったのだ。
テンペストを操るシンディが、それを察してその瓦礫を取り除こうとアームを出したときに、後方から更なる敵の攻撃隊がやってきた。アーマードスーツに身を包んだ部隊だった。執拗な攻撃に、テンペストもこれに対処せざるをえなくなった。
「日下副長、先に行ってくれ!」
デュビルから、テレパシーが届いた。
「先に行って、ラグマ・ブレイザムを起動させろ」
「わかった」
日下は、十六夜弥月の手を引いて、更に走る。ハンガーに近づくにつれ、硝煙の臭いが濃くなってきた。戦闘機が飛び交っている。
セシリアが応戦していた。
爆発に伴って、破片や火の粉、そして兵士の阿鼻叫喚が飛び交っていた。
その中を必死の思いでかいくぐり、日下と十六夜弥月はラグマ・ブレイザムの前にようよう辿り着いた。
向かって右手にラグマ・ブレイザム、左手にはメイオウが、時折煙と火の粉を纏いながら屹立している。
ラグマ・ブレイザムは、四神モードが解除されていた。
ブレズ4玄武が、無くなっている。日下が目撃したとおり、ディー・ナインが奪ってしまったのだ。轟のクローンであるディー・ナインには、ラグマの紋章が刻まれている。そのエンブレムで、ディー・ナインは玄武のパイロットとして認識されたのだろう。そもそもは轟の右腕なのだ。カニグモも反応するに違いない。
玄武を奪還しなければならないし、一刻も早くディー・ナインを捉えなければならない。
日下は、逸る気持ちのまま、十六夜弥月の手を引いて日下はラグマ・ブレイザムへ向かおうとした。しかし、そのとき十六夜弥月が、その手を強く握り返して、そして離した。
不意に立ち止まるふたり。
「どうした?」
「……あなたは、私をどうしようというの?」
「……一緒に行こう」
「一緒に? 行ってどうするの? 捕虜にするの?」
「弥月、違う。君は、君は思い出さないのか? 僕のことを」
「思い出す? わからない、わからないのよ。あなたは、私のなんなの? 何故、私のことを弥月と呼ぶの? お願い、お願いだから…これ以上、私を混乱させないで!」
十六夜弥月は、半ば叫ぶように言葉を発した。その言葉の端々に、逡巡が見え隠れしている。そして、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。その目には、ありありとためらいがあった。十六夜弥月の中で、まだ記憶が完全に覚醒していないのだ。だが、その片鱗がおぼろげに思い浮かぶ。だから、日下のことを無下に拒否できない。しかし、正体がわからないから、素直についてもいけない。そして、弥月の耳にはディー・ナインの命令が届いていた。
「私と、あなたは敵同士。そうでしょう」
ハンガーの周囲で、パチパチと炎が音をたてて燃え出していた。熱風が、時折二人に吹き付ける。その熱に、むせ返りそうになる。そんな中でも、二人は動けなくなっていた。
「弥月、違う。俺たちは違う。敵なんかじゃない。敵じゃない。君は、弥月は……俺達は…俺は、君を愛する存在で、君は、君は、俺を愛してくれるたった一人の人なんだ」
そう言った瞬間に日下は、はたと思い当たった。レイビスがいた。ずっと巡りあって愛し合ってきたが、この世界だけは違う。この世界には、レイビスがいるのだ。
俺が愛する人が、俺を愛してくれる人が、同じ魂を持つとはいえ、レイビスのもとに行ってしまうかも知れない。自分の目の前からいなくなってしまうかも知れない。
そう思ったとき、日下の胸のうちが急速に苦しくなった。
少し遠くで、炎が爆ぜた。再び襲う熱風に十六夜弥月の髪がそよいだ。
「……わからない。そんなことを言われても、わからない。私を迷わさないで。私は…」
弥月は、言葉を呑み込んだ。
「…また、レイビスのもとにいくのか?」
「レイビス?」
言ってしまって、日下は深い後悔が胸に広がるのを感じた。
「……レイビス……」
日下の言葉に刺激されて、十六夜弥月の心に、レイビスの顔が思い浮かんだ。不思議な感覚のきっかけは確かにレイビスから始まっている。
自分の気持ちがはっきりと定まらない。なんて不安なのだろう。
ふと、ディー・ナインの顔が浮かぶ。比べ物にならないかも知れないが、ディー・ナインはこんな不安感を抱えていたのだろうか?
動けない二人。しかし、ようやく弥月が動いた。
「……私は、今はあなたと一緒に行けない」
くるりと日下に背を向けた。日下がはっと、息を呑む。
「弥月!」
ひときわ大きな爆発が起きた。吹いてたきのは、ふたりがよろけるほどの爆風だ。二人がゴホゴホとむせ返り、更に咳き込む。
一瞬、二人の目が合った。それが合図となった。弥月は、メイオウに向かって駆け出した。
「弥月ッ! 弥月ーッ!」
彼女の背中に向かって叫ぶ。それが、弥月に届いたかどうかはわからない。だが彼女は、振り返らずメイオウへ走る。
「……いつもこうだ。どうして、どうして君を捕まえられないんだ、俺は」
日下は、かぶりを振るとラグマ・ブレイザムへと駆け出した。背中合わせに、正反対の方向に走る二人。互いに愛し合う魂を持ちながら。
一人残ったキース・バートンの意識が途切れようとしていた。
脚の感覚はもうない。引き金を引く指だけが、かろうじて動いていた。
トーマ、リョーマ。キースは、二人の子供の名を呼んだ。そして、レイナ。別れた妻を思い出した。
学生時代、ラグビーをやっていた。レイナともそこで知り合った。そのキースのジャージを、妻のレイナがふざけて子供達に着させてやったことがある。ぶかぶかのジャージを着てはしゃぐ子供達。ぶかぶかのジャージを着て走り回るトーマもリョーマも可愛かった。
別れる際は、憎しみすら感じたこともあるが、彼女を愛し、そして自分を愛してくれたのは事実だ。自分を愛してくれた女がいた。それで充分だ。
子供達に、父親らしいことはしてあげられなかった。
でも、最後に少しは轟の役にたったか。あんな、人付き合いの下手くそな少年も珍しい。自分があれだけ頼りにされて、そしてそれに応えることのできる可能性を持っているのに気付かず、卑屈になっている。
轟、お前は、自信をもっていいんだ。失敗したっていいんだ。
ああ、リョーマ。お父さん、お前にそう言ってやればよかったなぁ……
ノーサイド。遠くで、ホイッスルが鳴ったような気がした。キースの耳に届いた音は、どこか包み込むような優しい響きだった。
そして、その魂が日下へと飛翔する。
ブレズ1のコクピットに乗り込み、日下はラグマ・ブレイザムを起動させた。正面モニターに、既に起動して動き出したメイオウが映る。
テンペストが接近していた。その手の中に、デュビルとカズキ、オービル、ウィルバーが乗っている。
一方、足元でビリーと轟が走りこんでブレズ3に乗り込むのが見えた。
テンペストがラグマ・ブレイザムの傍らで、手の中のメンバーをおろす。
遊撃戦闘班のメンバーが乗り込む。たった一人を除いて。
「日下副長」
モニターにビリーが出た。
「キースは?」
日下の問いに、ビリーは無言で左右に首を振った。同時にデュビルのテレパシーが、悲しい事実を伝えて寄越した。
(キースの意識が消えた)
モニター越しに、轟がむせび泣く声が聞こえた。
メインモニターでは、メイオウが発進するところだった。
「こちら、ラグマ・ブレイザム、遊撃戦闘班、全員脱出した。シンディ戦務長、広瀬隊長、セシリア隊長、各機脱出してくれ」一度言葉を切った。そして、日下は気持ちを込めて「ありがとう」と言った。
モニターにそれぞれの顔が映った。広瀬が親指をたててサムズアップのサインを寄越した。
発進のハッチの前に、迎撃機が群がった。ラグマ・ブレイザムは、右の片肺からハイパーブレイザーを発射してこれを一掃する。
その破壊力は、ハッチそのものを消し去った。むき出しになった宇宙空間へ、ラグマ・ブレイザム、テンペスト、八咫烏、そしてファイアードレイクの各機が飛び立つ。
ラグマ・ブレイザムは、反転してそのブリッジに向かった。ラグマ・ブレイザムの何倍もあるブリッジに向けて、ブレークウィングをかざし、縦に一閃、両断した。同時にミサイルを一斉発射して、各砲塔を潰す。各所から爆発が相次いだ。
これで、重機動要塞のメイオウは潰したと言っていい。踵を返して、ラグマ・ブレイザムは、ラグマ・リザレックに向かう。
「山村艦長」と日下は、通信回線を開く。艦長が出る。
「こちら日下、遊撃戦闘班、脱出しました。ですが、キース・バートンが戦死しました。そして、報告があります。ブレズ4玄武が敵に奪取されました。中にいるのは、敵の司令官です。収容してはいけません」
努めて、淡々とした口調で話す。でなければ、感情の揺らぎに負けてしまう。
山村艦長の顔に、不審な表情が浮かんだ。
「ブレズ4は既に収容済みだ。乗っていたのは、轟・アルベルンだ。間違いないが」
「違います。それが、敵の司令官なんです。敵の司令官、ディー・ナインは……」
一瞬、轟のことを慮って言いよどんだ隙に、轟自身が通信に割り込んだ。
「敵は、僕のクローンです。山村艦長、奴を殺してください。お願いします。キースさんの、キースさんの仇を討ってください。ディー・ナインは、僕と同じ顔をしていますが、ラグマの紋章が右手に入っています。僕は、左手です。それが目印です。お願いします」
轟の叫ぶ顔が、モニターに映っている。と、いうことは彼が本物なのだ。で、あれば今艦内にいるのは、轟のクローンということだ。
山村の行動は素早かった。
「石動情報長、宝金班長、轟・アルベルンのクローンが侵入した。全艦内機構をモニターして、捜しだせ」
SICの画面が切り替わり、全艦のカメラが映し出された。そして、顔認識の検索をかけると、宝金が叫び声をあげた。
「いました。医療班通路」
そこに映っていたのは、轟とそっくりな男だ。それが、丁度リー先生とすれ違おうとしていた。
「リー先生、危ない」
宝金が声を上げた。
モニターの中で、二人は会話を始めた。音声は聞こえないが、一言二言の会話の後に、いきなり轟とそっくりな少年は、リー先生に向けて発砲し、そして逃走した。
お腹のあたりを押さえて崩れ落ちるリー先生。石動情報長が、ヒッと小さく悲鳴を上げた。
「山村艦長、リー先生が撃たれました」
「朝倉ドクター、リー先生が医療班通路で敵に撃たれました。処置をお願いします」
殆ど同時に、石動情報長が医療班の朝倉ドクターへ通達していた。
宝金の報告に山村は、苦渋の表情を浮かべた。
「鏑木甲板長、情報を転送する。誤解のないように言っておく。敵は轟君と同じ顔をしているが、轟君ではない。轟君のクローンだ。右腕にラグマの紋章があるのが目印だ。速やかに処理しろ」
「了解」
モニター越しに鏑木甲板長が敬礼を寄越した。
「リー先生が撃たれた?」
ラグマ・ブレイザム、ブレズ2のコクピットで、ビリーが声を上げた。
その言葉は、轟の胸を突き刺した。轟を手術し、助けてくれたリー先生。轟に一番理解を示し、優しく接してくれるリー先生。そもそも、その手術は右腕を失った轟のサイボーク義手との結合術だった。その失った右腕から生み出されたディー・ナインが、こともあろうにリー先生を撃った。
体が震えた。涙が浮かぶ。キースを失い、今またリー先生を失おうとしている。どす黒い感情が胸に渦巻く。
憎しみとは、こういうものか!
轟は、心底ディー・ナインを憎んだ。大事な人の命を奪っていくディー・ナインが許せなかった。
「ビリーさん、僕は、僕はリー先生を撃ったあいつが許せない。これ以上、僕のクローンが人を傷つけることが許せない。あいつを殺したい。キースさんの仇をこの手で討ちたい」
鬼気迫る声で轟が放った言葉に、ビリーは思わず轟の顔を見た。
バイザー越しではあるけれど、その顔は少年の顔ではなかった。覚悟を決めた男の顔だ。自分のクローンが人を傷つけていることに、負い目を感じて自分を責めているせいもあるかも知れない。悲愴感漂う決意の顔だ。
今、ディー・ナインのことを轟に対処させてやらなければ、この少年は生涯自分を責め続けるに違いない。
「わかった、帰艦したら俺が援護してやる。だから、少し肩の力をぬけ」
ビリーの言葉に、ほんの少しだけ轟の表情が緩んだ。
だが、帰艦を急ごうとしたその時だった。ズシンと重たい衝撃が、ラグマ・ブレイザムを揺さぶった。バリアーがかろうじて弾いたが、大口径のビームが襲ってきた。閃光が、遊撃戦闘班のメンバーの視界を奪う。
ベルガ粒子砲だった。モニターに、照合された敵の名前が刻まれた。アフリート。それを放ったのは、紛れもないレイビスに違いなかった。フルアーマーアフリートが、急接近する。
「レイビス!」
日下が、憎々しげにその名を呼んだ。
一番接触したくない敵に遭遇する。タイミングが悪すぎる。四神モードを解除された状態のラグマ・ブレイザムでは、レイビスに勝てない。装甲、パワー、スピード、火力。どれをとってもレイビスに優るものがない。
遊撃戦闘班メンバー全員の背中に、冷たいものが走る。
「玄武が……四神モードにならなきゃ、勝ち目はない。日下副長!」
デュビルが畳み掛けるように言って寄越した。
「……轟、お前にまた無茶なことを言う。聞いてくれるか?」
日下が、努めて平坦な口調で言う。モニターのスミで、轟がこくりと頷くのが判った。
「俺たちが、ここでアフリートの足を止める。その隙に轟は、ラグマ・ブレイザムを出て、テンペストに拾ってもらってラグマ・リザレックに帰艦する。そして、キースの仇を討ったら、玄武でここに戻ってくる。四神モードになって、アフリートを撃退する」
緊張感が、轟の顔に走った。だが、彼はすぐに言ったのだ。
「わかりました。やります!」
頼もしく言い切った轟は、もう出会った頃の轟ではなかった。
カズキが、不安そうにしている。それは弟の身の安全を願うような思いからだろう。
「轟、俺はお前に無茶ばっかり言ってるな。でもな、それを頼めるのがお前なんだ。俺たちは、お前をできない奴だと思っていない。今、この状況突破、ブレイクスルーはお前に託す」
「行って来い、轟」
ビリーが、その拳を轟へと差し出す。その拳に、轟も拳を作ってタッチする。ビリーと轟では、拳の大きさが違う。だが、この時の轟の拳をビリーは小さいと思わなかった。
日下がシンディに状況を説明して、その作戦を伝えた。一瞬、シンディ戦務長の目が驚きに見開いた。
「この宇宙、この戦場の中で、轟君を拾えって言うの? 無茶もいいところだわ」ふぅとシンディが小さく吐息を漏らす。「こんな無茶なことを言い出すのは、私とセシリアくらいだと思っていたわ」
そう言うとシンディは、微笑んだ。
「日下副長、命令了解。テンペストで、轟君を確保して、ラグマ・リザレックに帰艦します。轟君、絶対拾ってやるから安心しなさい」
「よ、よろしくお願いします」
少しシンディに気圧された感はあるが、轟は返事して準備にかかった。
「アフリート、急速接近」
ブレズ2に乗り込んだウィルバーが、慣れないながら索敵を行って、アフリートを捕捉した。オービルは、ブレズ3へ移動中だった。
モニターに映ったアフリートは、巨大な剣を振りかざしていた。
デュビルが即座にブレークウィングを起動した。両の手にブレークウィングを持ち広範囲にビーム幕を展開させた。今のラグマ・ブレイザムの役目は、轟を無事にテンペストに拾わせることだ。
アフリートが、斬りかかってきた。これを正面から受け止める。交差する互いの剣のビームが干渉して、稲妻みたいな光が迸った。
アフリートのパワーが、優勢だった。押し込まれるラグマ・ブレイザム。各所のバーニアを噴射をして、その場を耐える。
「出力あげるぞ、日下」
「やってくれ、カズキさん」
機体に軋むような振動が起きた。ラグマ・ブレイザムが震撼している。
「轟は?」
「今、エアロックを開いた。捕捉している」とビリー。「カニグモ、頼むぞ。轟を見失うなよ」
カニグモがピーブー音を出した。轟のラグマの紋章からの生体データをカニグモに把握させ、位置情報として捕捉する。それをテンペストにリンクさせていた。轟は、ブレズ3の脚部のハッチから外へ出ようとしている。ラグマ・ブレイザムは、その轟を守るため、アフリートの前面に立ち塞がろうと堪えているのだ。
「カウント、始める。一〇、九、八」
ビリーのカウントが進んでいく中、ラグマ・ブレイザムが押されている。劣勢だった。ここで、アフリートを押し返さないと、テンペストが背後にまわれない。
「ウィルバー、思念波を放射する。サイコシールドを張ってくれ」
デュビルがテレパシーと同時に叫んだ。ウィルバーが反応した。
デュビルは、低い唸り声をあげると前方アフリートに向けて、思念波を放射した。デリバン連合王国の思念波増幅装置があるわけではないから、その思念波のパワーは小さい。
それでも、パイロットのレイビスに苦痛を与えることはできた。問題は、その余波が味方にも影響が出てしまうことだ。それを防ぐために、デュビルはウィルバーに最低限の防御策のシールドを張らせたのだ。
アフリートのコクピットでレイビスが悶絶していた。脳へ急激な圧迫とひどい頭痛が襲った。この影響で、アフリートが後退する。
「四、三、二、一、轟、出ろ」
ハッチから、轟が宇宙空間に飛び出した。
「シンディ戦務長、頼む」
日下の祈りにも似た声に、シンディが駆るテンペストが、敵艦載機の攻撃をかわしながら轟めがけて飛翔する。
轟の位置は把握できている。ラグマ・ブレイザムの背中に守られるようにして、いる。
相対速度を同調させて、テンペストは轟をその手に捕まえた。
コクピットを開けて、シンディが叫んだ。
「轟君、大丈夫?」
轟が両手で大きな丸をつくった。
テンペストの手を引き寄せ、シンディは轟をコクピットへと少し乱暴に引っ張り込む。彼が中に入ったことを確認してコクピットを閉めると、シンディは日下へと通信を開いた。
「こちらテンペスト、轟君を無事に収容した。ラグマ・リザレックに帰投する」
「こちら、日下。了解。轟、行って来い。そして、戻って来い」
日下がモニターの中で、視線をこちらに寄越さないまま喋っていた。おそらく正面モニターから目が離せないのだ。それだけ、アフリートが猛威を奮っているのだ。日下達に余裕がない。
「こちら轟、了解」
轟が少し大きな声で言った。
「行くわよ」
シンディがフットペダルを踏み込んだ。テンペストが加速して、ラグマ・リザレックへと光跡を描いた。
ディー・ナインは、破壊活動を繰り返していた。小型だが、時限式の爆弾を多数持ち込んでいた。
玄武でこの艦に侵入して、メカニックマンが寄ってきた。メカニックマンは整備と補給のことで、頭がいっぱいだったのか、あるいは轟というパイロットに無関心なのか、一瞥をくれただけで、自分の仕事に取り掛かった。バイザー越しに見る顔は、轟と同じなので疑うこともなかったのかも知れない。
口をきかないまま、拍子抜けするほどあっけなく、そこを素通りできた。ここでばれるようなら、このハンガーで暴れるだけだ、と決意していたが、嘘のようだ。
そのまま通路を進む。不思議と艦内の方向がわかる。それは、ラグマの紋章によるものかもしれなかった。
この時点では、まだディー・ナインのことがばれていなかった。しかし、ほどなくして空気感が変わった。兵士達の動きが慌ただしくなった。
侵入者ディー・ナインのことが伝わったのだと察知して、慎重に進んでいたときに、出会い頭に、リー・チェンと遭遇した。
リーは、こともなげに「おう、轟君」と話しかけてきたのだ。優しげな口調だった。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
心配して、声をかけてくる。ディー・ナインは焦った。どうとりつくろうかと、逡巡していると、不意に口調が変わった。
「……? 君は轟君ではないな」
厳しい言葉に切り替わった瞬間、ディー・ナインは反射的にリー・チェンに向けて発砲した。ばれることをおそれたこともあるが、即座に轟と違うと言い当てたリー・チェンに、自分がクローンという事実を突きつけられる恐怖があったのかもしれない。
いずれにしても、ここで発砲したからには、艦内はディー・ナインの確保に向けて動き出すだろう。時間はなくなった。後は、ひとりでも多く殺すことだ。
慎重に艦内を進み、機関室を目指した。時折、時限爆弾をセットして、爆発させる。その度に、鳴り響く警報に混じって阿鼻叫喚が聞こえてくる。
気が付いた監視カメラは破壊した。しかし、そこには轟とそっくりな自分が映っているだろう。それでいいと思っている。それだけ、轟に嫌疑がかかるのだ。
ディー・ナインの右手の紋章が、ボウ、ボウとまるで蛍の光のように淡く光っていた。うっすらとした緑色だ。その度に、ディー・ナインの頭の中に艦内の位置情報が入ってくる。
走り続けるディー・ナインに対して、彼を捕獲しようと迫る兵士に出くわす。その度に彼は容赦なく発砲し、殺していく。
ラグマ・リザレックの中は、次第にパニックになっていった。
突如、走っていた目の前で隔壁が降り、遮断された。ハッとして背後を振り向くと、鏑木甲板長がまさに手榴弾をディー・ナインへ投げ込むところだった。
ころころ転がる手榴弾。同時に、後方の隔壁も遮断された。密閉空間の中に、取り残されたディー・ナイン。ここで手榴弾が爆発すれば、命はない。心臓の鼓動が撥ね上がった。それと同時に、右手の紋章が赤く光った。その数秒後に手榴弾が閃光とともに爆発した。
爆発が収まる頃合を見計らって、鏑木は隔壁を開けさせた。熱風が吹き出してくる。硝煙の臭いと薄くたなびく爆煙も流れてきた。
その通路の中には、ディー・ナインの死体が転がっているはずだった。
「なに? バカな」
しかし、そこにディー・ナインの死体はない。
反対側の隔壁が開いていた。
「こちら、鏑木。石動情報長、Fブロック6番通路で封じ込めたはずの敵がいない。隔壁が開いている。どういうことか、わかるか?」
小型タブレットの通信機に向かって叫ぶ。
「確認します」その返答から、ほどなくして石動情報長が、返答を寄越した。画面の中の彼女は、今日はメガネをかけている。
「鏑木甲板長、これはちょっとまずいかも知れません」
メガネの印象のせいか、石動情報長の顔がいつもより深刻そうだ。
「彼は、轟君のクローンで、その右手に我々と同じ紋章があります。おそらく、これが命の危険に反応して、彼を守るために隔壁が開いたんだと思います」
「!…ということは、この艦は奴を味方と判断しているということか?」
「そうです。紋章がありますから」
「待てよ、そうしたら…奴を殺せるとしたら……それは轟本人しかいないってことにならないか?」
「……おそらく」
沈痛な面持ちで石動さとみ情報長が頷いた。
「轟はどこだ?」
「たった今、帰艦しました」
「すぐにこっちに寄越してくれ」
「了解」
石動情報長が画面から消え、鏑木はそれを胸のポケットに押し込んだ。
「轟、あいつに人が殺せるのか? それも自分のクローンを」
轟の暗くおどおどした顔が思い浮かんだ。しかし、ここで彼にやってもらわなければ、この艦は破壊されてしまう。
「よりによって、なんであの少年に運命を託すことになるんだ」
轟という気弱な少年。思えば、ラグマ・リザレックがアリエルに来たのは、彼の治療のためではなかったか。知らず知らずに、彼はこの艦の運命を握っているのではないか。鏑木は、ふとそんなことを思い浮かべて、かぶりを振った。
広瀬隊長率いるファイアードレイクの隊も帰艦した。補給と整備をメカニック班に任せて、彼らもディー・ナインの確保に向かった。
現在の艦内の破壊状況を見ながら、広瀬は唸った。
「こいつは、スペシャリストの仕事だ」
おもむろに通信回線を開くと、トムソン機関長につないだ。
「トムソン機関長、機関室の前にバリケードを築いて侵入を阻止してください」
「もうやっとる。鏑木ボースンから隔壁操作が効かない、と連絡があった」
「了解、我々もすぐに行きます」
広瀬は班を分けると、左舷、右舷のサブ機関室とメイン機関室への配置を指示した。
メイオウから帰艦して、休む間もなく身体は疲弊しきっていた。が、不思議と頭は冴えている。
轟は、鏑木と合流した。
「リー先生は?」
「今、手術中だそうだ。それ以外は、まだわからん」
鏑木は、無言のまま轟に小銃を渡す。そして、戦闘用のナイフを自分のベルトから外して彼のベルトに装着してやった。
「敵の情報は聞いている。君のクローン、だそうだな」
轟はコクンと頷く。
「奴は紋章のため、この艦内では俺たちと同じ、味方と認識されているようだ。かなりやっかいなことになった……つまり、あいつを倒せるのはお前だけだということだ」
轟の顔に緊張が走る。
「俺たちが全力でサポートする。役目を果たせ、轟」
「……キースさんの仇です。やります。リー先生を撃ったあいつを、僕は許せません」
今度は鏑木が頷いた。
「行くぞ」
甲板員5名と轟は駆け出した。轟が先頭を走った。彼には、わかるのだ。ディー・ナインがどこにいるのか。紋章が、淡くグリーンに光を放っている。
やがて辿り着いたのは、メインエンジンルームへとつながる通路だった。
銃撃戦が行われていた。バリケードを築いたトムソン機関長が、メインエンジンへの直通路を死守している。
そのバリケードに向かって、銃撃している男がいた。ディー・ナインだ。
何故だろう。敵はたった一人だ。たった一人のはずなのに、威圧感が巨大すぎる。
後方から足音が聞こえてきた。振り向くと、広瀬隊長らが小銃を手に合流してきた
「あれか」
広瀬が呟く。
「轟、やれるか?」
「……」
無言で、轟は頷いた。しかし、その身体が震えている。キースの仇、リー先生のためといい、気を張って恐怖を押さえ込んでいるが、この局面で気持ちと身体の反応が一致していない。無理はないと思う。
不意に広瀬は、ポケットから太いスティックタイプのペイントペンを取り出した。
「轟、こっち向け」
そう言うと、その顔に迷彩用のダークグリーンの色のペンで、彼の顔を塗り始めた。轟の顔が太いラインで、真一文字に、斜めに、と緑に染まっていく。
「ジャングルでの戦闘のときにな、迷彩で塗るカムフラージュメイクってやつだ。俺も二度ほど経験した」
「ここは、ジャングルじゃないですよ」
「そうだな、でもそういう任務につくのは、精鋭のコマンド部隊なんだ」
広瀬はそう言って、タブレットのカメラ機能で轟を写して見せた。気弱な普段の顔と違う別人のような精悍な顔が、そこにあった。
「いいじゃないか、轟。お前は、まるで特殊任務につくコマンドーだ」
広瀬の言葉に、轟は少し照れて笑った。それに、ほんの少しだが違う自分に変身したような気分だ。広瀬はそうやって轟を鼓舞してくれたのだ。気付けば、身体の震えも止まっている。プラシーボ効果みたいなものかもしれない。
「よし、俺たちタスクフォース隊が飛び出す。轟、お前は俺たちの後ろに付いて来い。必ず、あのクローンの元まで連れて行ってやる。鏑木ボースンは、轟の後に続いて援護射撃を頼む」
「了解した」
「轟、俺たちが守るんだ。お前には、あいつの弾丸は一発たりともあてさせない。安心して付いて来い」
タスクフォース隊の隊員が口々に、頼もしい事を言ってくれた。思い切り、背中を叩く人もいた。
轟が頷く。広瀬と鏑木が頷き返すと、一瞬沈黙がその場を満たした。緊張が張り詰める。広瀬が、低く抑えた声で「ゴー!」と言った。それが合図となり、彼らは一斉に飛び出す。右に、左に展開し、撹乱をしながら一気呵成にディー・ナインの方向へと詰めていく。
轟は広瀬の背中に守られながら、距離を縮めていく。
ディー・ナインは、機関室側の銃撃をやめ、広瀬たちに対応していく。命の危険を感じているせいなのか、ディー・ナインのラグマの紋章が、紅く明滅し始めた。
双方の銃撃が互いに当たらなかった。信じられないくらいに当たらない。
後で思えば、味方と認識したディー・ナインに銃弾を当てないように、攻撃する彼らの手元を、ラグマの紋章が狂わせているようだった。
その場にいる人間の、ラグマの紋章が忙しく明滅していた。
まるでラグマの紋章が「味方同士でなにをやっているんだ、やめろ、やめろ」と喚いているようだった。いや、その場にいる人間は、かすかにそんな声を聴いた感覚に陥った。
しかし轟に、広瀬に、鏑木にそれをやめる術はない。ここで、ディー・ナインを倒さなければ、この艦が破壊される。
多勢に無勢のなか、ディー・ナインが必死に抵抗している。しかし、徐々に包囲網が完成しつつあった。
広瀬が、ディー・ナインの懐に入り込んだ。その間、1メートルの距離で広瀬は、ディー・ナインに向けて発砲した。
しかし、信じられないことが起こった。そんな至近距離で発砲した弾丸が、ディー・ナインに当たらなかったのだ。広瀬が、その事実に一瞬茫然自失となった。その隙に、ディー・ナインが広瀬に向かってアーミーナイフを抜いた。
寸での差で、広瀬がそれをかわした。
やはりディー・ナインは、轟でなければ殺せないのだ。そう認めざるを得なかった。
広瀬の影から、轟が飛び出した。
広瀬の死角になっていたため、ほんの僅かディー・ナインの対応が遅れた。銃弾が、ディー・ナインの脇腹を掠めた。苦痛に顔を歪めたが、同時にアーミーナイフを轟に向かって振り下ろした。
反射的に、轟はそれを右腕で庇う。キン、と甲高い金属音が鳴る。サイボーグ義手とナイフが触れたのだ。
広瀬がディー・ナインの片腕をとり、格闘戦に持ち込もうとする。しかし、その手を上手く振り払い、鋭い蹴りを入れる。
「広瀬、轟、離れろ!」
鏑木が小銃を構え、叫んだ。その言葉に、反応する2人。鏑木がディー・ナインに向けて小銃を連射する。しかし、これも当たらない。こんな至近距離でも、一発も当たらない。薬莢が空しくカラカラと音を立てて転がる。
斜め十字に腕をかざして顔を庇っていたディー・ナインが、その腕をほどいた。その奥で、不適な笑いを浮かべていた。相変わらず轟と同じ顔。でも、自分はあんな表情はしたことはない、と轟は彼を否定する。
再度、轟と広瀬がディー・ナインに対して距離を縮めていく。じりじりと詰めていく。
轟も、鏑木がくれたアーミーナイフを抜いた。右手には、そのまま銃を持っている。
先に動いたのはディー・ナインだった。轟に向かって、獰猛な獣のような勢いで斬りかかった。
かろうじて、ナイフで受ける。ディー・ナインが更に力をこめて押してくる。轟の目をじっと見つめながら、力にまかせて押してきた。年恰好は全く同じ二人だが、CSとして鍛えられたディー・ナインと轟とでは、力感が違った。
次第に押さえ込まれていく轟。
「その顔、随分勇ましいじゃないか」
ディー・ナインがからかうように言った。轟には、皮肉にしか聞こえない。
「まるでピエロだ」
ディー・ナインは言った瞬間、なぜか口を緩めた様だった。笑ったように見えた。
「うるさい!」
轟も力をこめる。左手に持った銃の引き金を引いた。その弾丸は空しく空を切った。
背後から、広瀬が忍び寄っていた。が、ディー・ナインは、それに気付いている。
広瀬が斬りかかってきた。身を反転させて、ディー・ナインがそれをかわして、広瀬に向けて斬りかかる。互いの刃先が交差して、甲高い金属音が響き渡った。殺意が火花となって飛び散っていく。
広瀬とディー・ナインが、互いに間合いを取った。
そこに向けて、鏑木が二人の間に銃撃を放った。当たらないと判っていたが、それでも広瀬を援護するために撃った。
ディー・ナインが、その銃撃に対して反射的にバックステップを踏むのと轟がナイフを構えて突進するのとが、殆ど一緒だった。
後ろに跳んだディー・ナインの背中に、轟のナイフが刺さった。それは、轟が刺したというより、ディー・ナインがナイフに向かって飛び込んできたように映った。
「あ」
ふたりとも、間の抜けた声を発した。あっけないくらいの戦闘の幕切れだった。
ピエロがおどけて、失敗して空中ブランコから落っこちるような、そんな唐突な幕切れだ。
驚くほど、抵抗なく背中に刺さったアーミーナイフの束を握ったまま、轟はその場に佇んでいる。
その轟に向けて、ゆっくりとディー・ナインは顔を向けた。何故だろう。笑っていた。
まるで憑き物が落ちたみたいに、その顔は少年の顔だった。
足から力が抜けて、ディー・ナインはそのまま崩れ落ちるようにして膝を突いた。思わず、ナイフから手を離す轟。
ディー・ナインは、自分でそのナイフを引き抜いた。血が噴出した。
「……これまでか…」
呟くと、そのまま仰向けに倒れた。みるみる血が広がり、床が赤く染まっていく。反対にディー・ナインの顔からは血の気が引いて青白くなっていった。
「轟…お前は…いいなぁ。お前のために、身体を張ってくれる仲間がいて。お前のために、戦ってくれる人がいて……いいなぁ。お前には、親がいるんだろう?」
「父さんも、母さんも事故で死んだ。僕はおじいちゃんと暮らしていた」
「でも、その両親から生まれたんだろう? それに…おじいちゃんがいたのか…いいなぁ…俺はクローンで、親もいない。たったひとつの絆のお前に、否定された俺はこの世界でひとりぼっちだ……でも、お前に殺されたのがせめてもの救いかもな……俺もまるでピエロだ……」
ディー・ナインの目から涙が溢れ出た。滴となって、一筋、二筋と伝って落ちた。そして、その瞼をゆっくりと閉じた。まるで眠るようだ。そして、その瞼は二度と開かなかった。
ディー・ナインのそばに轟が跪いた。
「…僕達は……否定ばっかで、殺しあって……本当にバカだ」
呟く轟の瞳から、涙がこぼれた。
ふたりの道化芝居のような戦いは終わったのだ。
「轟」と、鏑木が声をかけた。「リー先生の手術が終わった。リー先生、無事だ」
その言葉に、轟は笑みを浮かべ「よかった」と言った。涙をぬぐい、意を決して立ち上がる。
「僕は、玄武で出ます」
そう言った轟の顔には、戦士の片鱗が漂っていた。