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クラッシュトリガー  作者: 御崎悠輔
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第十七章 ファントムペイン

 CAディー・ナインとCAS十六夜(いざよい)弥月(みつき)に与えられた最初の命令は、亜空間ワームホール航行可能で最速能力をもつ巡洋艦に搭乗し、アンドロメダ銀河まで赴くことだった。そこで重機動要塞冥王(メイオウ)を受領し、その艦隊とともにラグマ・リザレックを追撃せよ、という。

 ギネル帝国が、何故アンドロメダ銀河の超恒星間距離の先で艦隊と合流できるのか、疑問は尽きる事はないが、ディー・ナインと十六夜弥月にとって命令は絶対だった。疑問をはさむ余地はない。

 重機動要塞メイオウを受領して、その船体テストを行っているときに、ディー・ナインたちは、レイビス・ブラッドの発信を捉えた。

 CAのレイビス・ブラッドのことは、記録から確認できた。

 ディー・ナインは重機動母艦とコンタクトをとり、レイビスを収容した。

たった一人、レイビスはやってきた。頬がやつれ、暗い目をしていた。だが、その奥にはなにかぎらついたものが潜んでいる。

 ディー・ナインは、十六夜弥月を連れて格納庫脇の休憩室へとレイビスを通した。そっけない部屋だ。壁にドリンクサーバーが並んでいて、真ん中にテーブルと椅子が並んでいるだけの部屋だ。

 正直ディー・ナインは戸惑っていた。こんなケースは想定外だ。そもそも、CAに課せられた任務は絶対で、その遂行に失敗は有り得ない。なので、同じ作戦でCAが交わることなどないのだ。

 それが、このレイビス・ブラッドという男はなんだ? 記録によれば、その能力はCAのなかでもトップではないか。それが自分の前にいる男は、やつれた表情で口を噤んでいる。顔に大きな火傷と生々しい裂傷の痕。まるで負け犬ではないか。

 巨艦ラグマ・リザレックと交戦して敗北し、望月弥月を失い、アンドロメダ連合に身を寄せ、更に負けた。この男は無能なのか。

 そんなことに思いを巡らせつつ、ディー・ナインは、テーブルを挟んだ向かいの椅子を彼に促した。

「重機動要塞メイオウ司令、CAのディー・ナインです」

 ディー・ナインは、腰をかけつつレイビス・ブラッドの顔を見た。

「レイビス・ブラッドだ。救済に感謝する」

 短くそう応える。その口振りになんの感情の起伏も感じられなかった。だが、ディー・ナインにとっては、それが逆に心地よく感じられた。

 CAの訓練を受けたとはいえ、ディー・ナインは十五歳の少年だ。顔立ちも幼い。それが艦隊司令の任を負う。そのアンバランスさに、周りからは稀有な眼で見られていた。それが正直煩わしい。だが、レイビスにはそれがない。

 傍らから、十六夜弥月が、飲み物をトレイに載せて運んできた。それを丁寧な所作で、レイビスの前に置き、静かに「どうぞ」と言った。

 レイビスの視線が十六夜弥月のボブカットの髪、その耳元に止まった。そこに、望月弥月と同じ束ねた髪の房があったからだ。

「君は?」

 レイビスの問いに笑顔をつくり、十六夜弥月はトレイにのせた飲み物をディー・ナインと自分の前に置いた。

「私はCASの十六夜弥月です。ディー・ナイン司令の補佐官です」

 そう言って、椅子に腰を下ろした。

「……十六夜弥月…」

 ポツリと呟く。レイビスには、その答えだけで充分だった。

 弥月なのだ。望月弥月の記憶を受け継いだ弥月シリーズの十六番目。顔立ちも身長も体型も違う。けれど、弥月なのだ。

 自分がサンジェルマンの末裔であることを、日下の輪廻転生であることを、そして同じく輪廻転生を繰り返す運命を背負った弥月であることを知っているレイビスにとって、それで充分に理解できた。同じ魂をもつ弥月と会えたことは、苦しくもあり、そして嬉しくもあった。

(…十六夜弥月。俺は、この人を守らなければならない)

 レイビスは、心に誓う。

 しかし、そこにいる弥月の魂は、そんな背景に気付いていない。まだ、彷徨う魂の航跡を知らない。かといって、教えるつもりもない。

 十六夜弥月は、優しいレイビスの眼差しにきょとんとして、首を傾げた。


 重機動要塞メイオウは、レイビスがかつて乗ったアガレスのほぼ2倍の巨体を誇った。その内部には、最新鋭の補給システムが完備されている。

 艦載機が一新され、新型機ゲイブル・バーノンが三百機搭載されていた。メイオウは空母としての機能を今までにないほどに充実させている。

 そして、最大の特徴が、艦底に装備された円筒形の巨大な砲門だった。前衛にひとつ、後衛にひとつ装備されている高エネルギー砲。円筒形の一見巨大な砲門に見えるが、これは分割された砲塔が集合している状態のものだ。

 前衛ヒュドラ、後衛オロチと呼称されるこの砲門は起動時に分割して展開し、ヒュドラは9門、オロチは8門の砲塔として敵を攻撃、防衛するものだ。1門1門が船体に固定されておらず、砲塔が大蛇のように自由に可動することから、この名前を冠された。

 ヒュドラとオロチのシステムにより、メイオウは全方位の攻撃と防衛が可能になっているのだ。

これにRPAメイオウが搭載されている。

 艦隊には、機動要塞ザゴンの進化型ザゴンSGが配備されていた。

 ディー・ナインと十六夜弥月は、レイビスの重機動母艦とRPAアフリートの収容と整備を命じた。このタイミングで、レイビスはマーキングシステムネットワークへのアクセスを条件に、アンドロメダ連合の数少ない乗組員を解放した。

 マーキングシステムのおかげで、レイビスの重機動母艦はラグマ・リザレックを捕捉することができた。これにより、レイビスとディー・ナインの艦隊は、共闘としてラグマ・リザレックにしかけるべく、亜空間ワームホール航行に入った。


 ラグマ・リザレックの医務室で、ミズキ・朝倉がデュビル・ブロウの治療を終えた。

 本人は大したことはない、と言い張っていたが、殆ど全身打撲であちこちが内出血して腫れていた。これで痛くないはずがない。肋骨には、ひびが入っていた。

「これで大したことがないなんて、良く言いますね」

 ベッドで半身を起こしているデュビルに湿布と鎮痛剤の貼り薬を身体のあちこちに貼って、肋骨にサポーターを巻き付けた。

 ミズキが、薬を貼る度デュビルは、その口元を歪めていた。仮面をしているから、その表情は読み取れないが、きっと痛んでいるに違いない。

 本当に男というのは、何故こうも痩せ我慢をするのだろうか? 

「他に痛むところはないですか?」

「……ない」

「出血しているところがないだけマシですが、痛みは我慢しないでくださいね。それだけ治療が遅れるんですから。治療が遅れれば、出撃にも影響がある訳でしょ?」

 子供を叱るような口調で、そう言うとベッドのカーテンから外に出た。同時に、カーテンの前に佇んでいたセシリアと出くわした。

「……あの…」

 と、なにかを言いかけたセシリアに、ミズキは白衣のポケットから痛み止めの貼り薬を取り出した。

「全身打撲で、肋骨2本にひびが入っています。本当なら寝返りうつだけでも、あちこちが痛いはずです。痛み止めを貼って少し落ち着いていますが、三時間たったら、新しいものに貼り変えてください。なんか、無茶をしそうな人だから少し見ていてください」

「エ? あ、わかりました」

 戸惑うセシリアに、ミズキは少し強引に貼り薬を手渡し、微笑んでその場を去った。

 それを確認してから、セシリアは、

「デュビル、大丈夫?」

 と声をかけた。

「セシリア?」

 デュビルの声を聞き、セシリアはそっとカーテンを開いた。

 顔を少し向け、デュビルはセシリアを見た。仮面のせいで、その表情はよくわからないが、口元が僅かに緩んだようにセシリアには見えた。

「痛む?」

「いや、大したことはない」

 そう言って、デュビルは半身をベッドから起こそうとした。が、身体を動かしたとたん右の肋骨に痛みが走った。思わず、そこを手で押さえる。

「もう、無理しないで、寝ていて」

 セシリアは、デュビルの両肩に手をやり、そっとベッドに押し戻した。

 ベッドに身を沈め、デュビルは、ふぅと大きく息を吐いた。

「セシリアは、怪我はないのか?」

「私は、大丈夫。怪我ひとつないわ」

「そうか、良かった……君がテンペストで出撃してくれたおかげだ。礼を言う」

「私こそ、あなた達に守ってもらった。ありがとう」

 いつになく、セシリアは素直にそう言えた。

 あのとき、セシリアはアフリートの間に割って入ったデュビルの声が聞こえたような気がしていた。

 唐突にセシリアは昔を思い出した。

 セシリアの両親は、離婚した。あんなに仲が良かったはずなのに。セシリアが中学生の頃の話だ。人の心はうつろいやすく、そして嘘つきだ。両親の心の真実がわかったとき、家族は破綻した。以来、セシリアは自分にも、他人にも心を開くことがなくなった。

 気付けば、人の心の真実を知ることを極度に恐れていた。どんなに、仲がよくてもその心の中には、裏切りが潜んでいるように思えた。発現したアレルギーのようなものだ。

 だからなのだろう、セシリアは人の心を読み取ってしまうβμを憎んでしまうのは。人の本心を晒してしまうテレパシーは、不幸を呼び込む。知らなくていいことを知って諍いを起こす元凶のようなものだ。そう思っていた。デュビルに辛く当たっていたのは、そのためだ。

 だが、そのテレパシーを使うデュビルに、セシリアは教えられた。心の中には、誠実もあるのだ。そして、それに触れ合うことができることがとても幸せなことだということを。

 

 十六夜弥月は、補佐官として重機動要塞メイオウのブリッジの席に着いた。

 その後ろの席には、艦隊司令のディー・ナインが座っている。

 亜空間ワームホール航法を使って、捕捉したラグマ・リザレックを追尾するのは簡単なことだった。既に正面のモニターには、そのラグマ・リザレックを示す輝点が示されている。

 そのモニターを、司令官席の斜め前にあるレーダー観測席でレイビスが見上げていた。アンドロメダ連合のマーキングシステムで捉えたラグマ・リザレックをじっと見つめていた。

 十六夜弥月は、レイビスにチラリと目線を移した。あれからレイビスと言葉をかわす機会はない。しかし、最初に出会ったときの、彼がほんの一瞬寄越した優しい眼差しが、十六夜弥月の心に何故か焼き付いてしまった。

 それをきっかけに、ざわざわとした胸騒ぎが起きるようになった。不快ではない、むしろある意味心地よい。ディー・ナインには、起きなかった心のさざなみだ。

「一番の問題は、ラグマ城壁(ウォール)か」

 レイビスからの情報で、ラグマ・リザレックの絶対防壁が、自分達のものより数段上でいかなる攻撃も通用しないことがもたらされた。その防壁の前では、かすり傷ひとつ負わせられない。宇宙創生エネルギーの片鱗を見せ付けられる。

 だが、その効果が二〇分だということもわかった。

 レイビスと合流したことで、ディー・ナイン達はある意味多彩な攻撃オプションを手に入れた。そして最新補給システムを誇るメイオウの特徴を生かし、彼らは圧倒的な物量作戦を行うことにした。敵の城壁がもつか、ディー・ナインたちの攻撃力が勝るか。それが勝負の分かれ目だ。

「短距離の亜空間ワームホール航行で、ラグマ・リザレックの前方三〇コスモマイルに出る。出ると同時に、反物質ミサイルの第一次を発射する。それを機に攻撃を開始する」

 ディー・ナインは、少年特有の高い幼い声で命じた。しかし、それは良く通る声だ。

「無限波状攻撃作戦、開始する」

 ディー・ナインの号令のもと、艦隊は、亜空間カテドラルを形成してフォールインした。


 ラグマ・リザレックのSICで、石動さとみが交代勤務まで、あと5分というところで、監視レーダーが熱源体を捉えた。

 警戒態勢を発令し、各員が戦闘配置についた。

「大型ミサイルです。迎撃準備」

「距離は?」

「落日弓モード、最大射程距離内」

「ラミウス砲雷長、落日弓モード起動」

「了解、落日弓モード、広目天オンライン! ソノブイ放出!」

 シンディ戦務長の指示で、ラミウス砲雷長が落日弓モードを立ち上げた。

 ラグマ・リザレックの超長距離砲撃システムが稼動し、そのターゲットを定めた。

「落日弓モード、ターゲットスコープオープン。1番砲塔、2番砲塔、3番砲塔、落日弓モード、セット完了」

「発射」

「発射」

 ラミウス砲雷長の、号令でラグマ・リザレックの各砲塔から、エネルギーを収束した高エネルギー弾が発射された。

 その照準は、見事にミサイルをインターセプトしたが、その瞬間強大な爆発が生じた。反物質ミサイルだ。

 そのミサイルの中に、反物質とは違うものが搭載されていた。ガンマ線を乱反射させる特殊チャフだった。そのチャフに、対消滅の膨大なエネルギーで発生したガンマ線が滞留され、しかもそれがラグマ・リザレックに向かってゆらゆらと動いていた。

「山村艦長、高エネルギーのガンマ線の滞留帯が前方に形成されました。あの中に入ったら、人間は内部破壊してしまいます」

 石動さとみからの緊迫した声に、山村が大倉航海長に指示を出した。

「コースターン、面舵いっぱい、ヨーソロー」

 高エネルギーガンマ線の中に入るということは、人間が電子レンジに入るようなものだ。電子の振動で内部から爆発してしまう。

 ラグマ・リザレックが、左に大きく舵をきった。

 その方向から再び、反物質ミサイル群が飛来していた。

「右舷前方、十四時の方向より巨大ミサイル接近」

「撃ち落とせ」

 ラミウス砲雷長の正確な照準で、反物質ミサイルは再び撃墜することができたが、ガンマ線滞留帯が、また更に形成された。

 だんだんラグマ・リザレックの航路が限定されていく。

 その限定された航路の隙間から、再度ミサイル群が襲ってきた。

「左舷よりミサイル群、接近!」

「落日弓モード、エネルギー収束システム再起動まで、あと十秒。間に合いません」

「通常砲撃に切り替えろ! 発射と同時にラグマ城壁(ウォール)展開」

 落日弓モードから通常砲撃に切り替えて、砲撃が開始された。

 ミサイル群の数が多く、何発かが砲撃の隙間をかいくぐって飛来する。

 しかし、それもラグマ城壁(ウォール)に遮られ、ラグマ・リザレックに損傷はない。

 安堵したのも束の間、索敵要員のジュリアが、艦影と同時に艦載機群の襲来を捉えた。

「敵艦載機編隊接近、艦隊も捕捉しました。映像、投影します」

 司令艦橋の正面モニターに、艦隊と迫り来る艦載機の編隊が映し出された。

「敵編隊、数五〇。敵艦隊、砲撃しつつ接近します」

「敵の国籍はなんだ?」

「艦識別不明、ですが照合合致するものが1艦あります。アンドロメダ連合、重機動母艦です」

「なら、敵はアンドロメダ連合なのか?」

「いえ、それは1艦だけです。艦の照合合致しませんが、艦にエンブレムが見受けられます。拡大投影します」

 モニターに拡大された映像に映ったのは、2世代目のザゴンSGだ。細部が変わっているが全体のフォルムは踏襲されているため、それが機動要塞だとラグマ・リザレックのクルーの誰もが判った。そして、それを裏付けるように、その船体にギネル帝国のエンブレムが見受けられたのだ。

「ギネル帝国? バカな。こんな宇宙までギネル帝国が追いかけてくるのか?」

 ロイ通信長が、声を荒げた。

「しかも、あの機動要塞ザゴンは新型だ」

「艦隊最後方に、大型艦。重機動要塞です」

「ズームしてくれ」

 映しだされたのは、重機動要塞メイオウだ。

「あれも新型の重機動要塞か?」

 日下がポツリと呟いた。

 山村は、無言でかぶりを振った。ギネル帝国は、国力が限界に達して疲弊していたはずだ。こんな新型が次々と開発できるはずがない。ラナス皇帝の面影がふと頭をよぎる。ギネル帝国に、山村は大いなる欺瞞を抱かざるを得なかった。

「対艦隊戦用意。ラグマ城壁(ウォール)を展開したまま、突入する。二〇分でカタをつける」

「山村艦長、敵編隊に対し、八咫烏を発進させます」

「シンディ戦務長、まかせる」

「フライトデッキオープン、八咫烏隊全機発進準備。発進後、敵編隊を叩け」

「八咫烏、発進準備完了」

「面舵いっぱい、ラグマ城壁(ウォール)左舷解除。八咫烏、セシリア隊発進。続いて、取り舵いっぱい。ラグマ城壁(ウォール)、右舷解除、ゼラー隊発進させろ」

 ラグマ・リザレックは、大きく蛇行しながら交互にラグマ城壁(ウォール)を解除しながら、両舷のフライトデッキから艦載機八咫烏を発進させた。

 セシリア率いる編隊は左を、ウィルバー・ゼラーが率いる編隊は右に展開し、迫り来る敵艦載機に対して突入していった。

「八咫烏隊、敵編隊と交戦に入りました」

「各砲塔、対空戦闘用意」

 司令艦橋が緊迫した空気に包まれた。

「山村艦長、遊撃戦闘班、ラグマ・ブレイザムで出ます」

 日下が進言した。が、山村は首を縦に振らなかった。

「いや、日下副長、遊撃戦闘班は出撃態勢で待機だ。敵のRPAが捕捉できていない。新型の重機動要塞の動きも気になる。しばし待て」

「了解。遊撃戦闘班、出撃態勢で待機」

「正面、新型機動要塞接近、数八」

「シンディ戦務長、プラズマプロトン砲用意。最大範囲で砲撃しろ。石動情報長、ラグマ城壁(ウォール)、正面を開けろ。プラズマプロトン砲を発射する」

 新型の機動要塞ザゴンSGが肉迫してくる。そのスピードは驚異的だった。

「プラズマプロトン砲、発射準備完了。ターゲット自動追尾システム作動」

「目標、前方機動要塞。最大広範囲で発射せよ」

「プラズマプロトン砲、発射」

 ラミウス砲雷長が、プラズマプロトン砲を発射した。

 前面のラグマ城壁(ウォール)のエネルギーブロック体が部分的に消失し、その開いた間隙から白いエネルギーの奔流が放射された。奔流は、機動要塞に向かって放出されたが、ザゴンSGの六隻中三隻の撃沈に終わった。残りの三隻は、その機動力で見事にかわし、ラグマ・リザレックに急襲してきた。砲撃、雷撃が嵐のように降り注いでくる。

 ラグマ城壁(ウォール)を展開していて、その攻撃が殆ど通用しないとわかっていながら、クルーの中に不安が芽生えだしてきた。

 ラグマ城壁(ウォール)を展開して、既に五分が経過していた。


「ザゴンSG、第二陣出撃。各艦、突撃隊形。ラグマ・リザレックを包囲する」

 ディー・ナインの声が、艦隊にこだましていた。

 十六夜弥月が、それをサポートしている。

「艦載機編隊第1中隊を帰投させます。第2中隊、出撃準備」

「補給を急がせろ。レイビス・ブラッドに打電、アフリートを出撃させろ。敵を撹乱させると同時に敵のRPAを引っ張り出す」

「了解。アフリート、レイビス司令、聞こえますか?」

 十六夜弥月の呼びかけに、レイビスがモニターに出た。

「こちらレイビス」

「アフリート、出撃よろし?」

「アフリート、フルアーマーで出撃準備完了している」

「では、出撃願います。敵の撹乱と同時に、敵のRPAがまだ確認されていません。陽動に動いて、RPAを巨艦から引き離してください」

「任務了解した。レイビス・ブラッド、出る」

 モニター越しではあるけれど、真っ直ぐに十六夜弥月を見るレイビスに対し、命令以外のことをつい言ってしまいそうになった。がんばって、と。死なないで、と。

 十六夜弥月の中で、徐々に何かが覚醒し始めているようだ。レイビスのことが、日下のことが記憶の中にちらつき始めていた。 


「高速で接近する物体あり。RPAです」

 ジュリアの報告に、日下が反応した。

「ライブラリーと照合してくれ」

「ライブラリー照合、アンドロメダ連合アフリートです」

「山村艦長、ラグマ・ブレイザム、出ます」

 山村が頷くのを見届けて、日下は脱兎のごとく駆け出した。

「敵艦載機編隊、第3陣がきます」

「敵は、どれだけの艦載機を積んでいるんだ?」

 ロイ通信長が苦渋の表情を浮かべた。

 敵の波状攻撃は熾烈を極めた。息を継がせぬほど、攻撃の手が緩まない。艦載機の編隊、ザゴンSG、アフリートの攻撃、そして艦隊からの砲撃と雷撃。ガンマ線の滞留帯があるおかげで、航路が限定されいてるから余計に、攻撃が集中されてしまう。

 今はいい。ラグマ城壁(ウォール)が機能しているから被害もない。だが、それもタイムアップがあるのだ。ラグマ城壁(ウォール)消失まで、あと3分。


 ラグマ城壁(ウォール)が機能しているうちに、と八咫烏隊が補給に帰投した。

 ヘルメットを外して、結んだ髪をほどいて、セシリアは首を振った。ブロンドの髪がしなやかに広がり、少しだけ緊張が緩んだ。

「補給がすんだら、すぐに出る。全機、疲労回復に努めろ」

 コクピットでマイクに声を張り上げながら、セシリアはパイロットスーツをまくり上げ、白い二の腕を晒す。そこに無針注射で疲労回復剤を打ち込んだ。


 八咫烏隊が補給に入ったタイミングで、ファイアードレイクが出撃した。

 広瀬隊長に対して、カレン・ライバックが発進許可を出す。

 次々と発進していくファイアードレイク隊は、その火力を最大限に生かしつつ編隊を組む。その様は、あたかも戦艦の砲塔が移動しているようなものだ。

 敵の艦載機が閃光と化す。その閃光が瞬く間に拡大していく。しかし、その間隙を縫って、更に敵機が押し寄せてくる。

「全機、撃って撃って撃ちまくれ!」

 隊長の広瀬は部下を鼓舞するため、ひときわ大きな声を出した。


 ラグマ・ブレイザムが出撃して、やはりその前に立ち塞がるのは、レイビス・ブラッドのフルアーマーアフリートだった。全身に火力を纏ったアフリートは、殆どそれひとつで機動要塞と肩を並べるほどだ。

ブレズ1のコクピットには、再びデュビルと日下が乗り込んでいる。キース・バートンとビリー・レックスがブレズ2、カズキ・大門がブレズ3、ブレズ4に轟だ。

 四神モードで出撃したラグマ・ブレイザムは、すぐさまアフリートの攻撃に晒された。 

 閃光の中をかいくぐり、ラグマ・ブレイザムは四神キャノンの双肩の2門を斉射しながら、突進する。

四神モードが活用できるようになって、轟・アルベルンは武器管制とエネルギー流動管制を司るブレズ4玄武に搭乗することが多くなった。ラグマ・ブレイザム自体のコントロールではないけれど、四神キャノンをコントロールしているのは、轟の働きが大きい。

 敵の艦載機の編隊と戦艦、そして機動要塞の1機を破壊して、ラグマ・ブレイザムはアフリートに肉迫する。

 日下は、アフリートにレイビスを重ねて見ている。いつも立ち塞がる、輪廻転生した魂を同じくするもう一人の自分。

 そしてデュビルとも因縁浅からぬ敵だ。ブレークウィングを展開して、ラグマ・ブレイザムは、アフリートに斬りかかった。

 その間に高速で迫る物体があった。RPAメイオウ。そのコクピットには、ディー・ナインが搭乗していた。


「ラグマ城壁(ウォール)。消失します」

 石動さとみが、悲痛な叫びを上げた。

 鉄壁を誇る城壁が一瞬で、消えた。

「バリアーフィールド、全開。冷静になれ、我々は何も失っていないのだ!」

 山村艦長が叫ぶ。

「シンディ戦務長、前方に火力を集中。プラズマプロトン砲用意。左右弾幕展開! 補給の終わった八咫烏隊をだせ」

「前方より、高エネルギー反応!」

「上昇角いっぱい、速度いっぱい、全速回避」

 敵の重機動要塞から発射された高エネルギー砲、ヒュドラとオロチだった。

 回避運動をとったものの、それはラグマ・リザレックのバリアーフィールドを貫通してその艦底に爪痕を残した。

「右舷、艦底装甲損傷! 隔壁閉鎖」

「鏑木甲板長、ダメージコントロール」

 艦底の閉鎖した隔壁の周辺で火災が生じていた。その炎に立ち向かう、甲板員たち。その身を呈して、被害を食い止めていた。

 その現場に、鏑木甲板長が到着して指揮に入る。炎と格闘して数分。見事に鎮火して、鏑木甲板長は肩から力を抜いた。それも束の間、すぐに表情を引き締めた。

「ラグマ城壁(ウォール)が消失した。こりゃあ、忙しくなるぞ。全員、艦内機構モニターを注視!」

 

 再度出撃したセシリア隊の先に、閃光を交し合うラグマ・ブレイザムとアフリートがいた。

 その2機に更に接近する巨大な機体があった。RPAメイオウ。そのサイズは、ラグマ・ブレイザムの3倍ほども大きく、まるで大人と子供の差に見えた。

 メイオウは、その後方に艦載機の編隊を引き連れていた。アフリートに手を焼いているラグマ・ブレイザムにとって乱入してくる敵は脅威に違いない。

「RPA後方の敵編隊を叩く! 続け!」

 スティックを倒し、セシリアの八咫烏は小隊を率いて、敵艦載機ゲイブル・バーノンの編隊に突入していった。


「大倉航海長、シンディ戦務長、3艦に分離する。敵の戦力を分散させる。各自で敵を撃破せよ」

 山村艦長の声で、ラグマ・リザレックは3つの船にドッキングアウトした。


 ラグマ・リザレックが分散したことで、自ずとギネル帝国艦隊の攻撃にも変化が生じた。特に艦載機編隊が、攻撃目標が分散したことにより入り乱れた。

 オービル・ゼラーの編隊も敵編隊を追撃するなかで、ドッグファイトのエリアを大きく移動した。再出撃して、十五機目を撃墜したときに、セシリア隊が近くにいることに気付いた。

「セシリア隊長、苦戦してるのか?」

 オービルは、隊を率いてセシリアの加勢に入った。

「セシリア隊長、援護に入りますよ」

 ヘルメットの通話回線で語りかけた。

「オービルか? よし、右の編隊を頼む」

 セシリアの返答に、オービルは少し拍子抜けした。じゃじゃ馬の、ハネッ返りの女隊長はいつもは「手助けなんていらない!」なんて言葉を返す。なのに、今はオービルの行動を認めた。ある意味、信頼された、ということか。国籍はギネルとデリバン、直接戦闘で合間見えることはなかったが、お互い敵同士だったことに変わりはない。それがこうして、今は同じチームだ。そして今、セシリアとの短い言葉に、意気が上がるのを感じている。

「素直な女は可愛いねぇ、セシリア隊長」

 そう一人ごちた。もちろん、通話回線はオフにしてからの言葉だ。

 オービルは編隊を率いて、セシリアの要請どおり敵の右編隊と交戦に入った。


 メイオウとアフリート、ふたつのRPAに攻撃をうけたラグマ・ブレイザムは苦戦を強いられた。

 RPAメイオウは、その巨体全身に武器が内蔵されているようだった。無数と思われるほどのミサイルが、ラグマ・ブレイザムに飛来する。かわしきれず、バリアーフィールドでミサイルが爆発し、爆煙で周囲が見えなくなる。その爆煙の中から、アフリートが襲い掛かってくる。ベルガカートリッジ弾を撃ち込まれ、一瞬バリアーフィールドが消失し、機体の表面装甲が焼け爛れた。

「パワーがあがらない! なんでだ?」

 ブレズ2のメインコクピットで、ビリー・レックスが叫んだ。

 ラグマ・ブレイザムが、いつもと違う。まるで、パワーがセーブされているようだ。リミッターがかかったと言ってもいい。

 コクピットの天井にあるラグマの紋章も、一定レベルから輝きが増さない。

 眼前にメイオウが迫る。

 ブレズ1のデュビルがブレークウィングを展開して、それを牽制しようとする。しかし、パワーゲインがあがらないため、ブレークウィングの展開面積が小さくて牽制にならない。

 メイオウが、その手の甲からビームの刃を展開した。ブレークウィングの倍はあろうかという長さだ。

 それを振りかざして、一気に距離をつめてくる。

 その様に、轟・アルベルンが怯えた。顔面から血の気がひく。そのくせ、全身からは汗がにじみ出る。極度の緊張にさらされたとき、轟の手の甲にあるラグマの紋章が淡く赤く輝きがともった。


 ラグマ・ブレイザムの鈍重な動きに、メイオウのディー・ナインはここが勝機と捉えた。

 重機動要塞メイオウの十六夜弥月に通信を送る。

「十六夜補佐官、ファンクションハーデスを使う。体内モニターを頼む。それとケルベロスを射出してくれ」

「了解」

 十六夜弥月の返答を聞き、ディー・ナインは、シート脇のレバーを引き込んだ。

 するとパイロットシートがリフトアップして、後方上方へ移動していった。その先に左右から半球体の別なコクピットが作動して、ディー・ナインが座るシートが、その球体型コクピットの中に収納されていく。左右からゆっくりと迫る半球体がシートを完全に収納し、完全な球体となった。

 密閉されたコクピット、その球体の中でディー・ナインの身体の両脚、両腕、そして背中にメカニックパーツが装着された。ヘルメットが変形して、そこにもパーツが接続された。それらメカニックパーツは、細いファイバーケーブルでつながっている。

 接続が完了すると同時に、その球体の中にゲル状の液体が注入されてあっという間にその中を満たした。

 透明度が高く、それでいて粘性がある液体の中、ディー・ナインはその中心にぷかりと浮かんでいる。球体内面全面に外の光景が映し出された。全天球モニターになっているのだ。まるで宇宙空間に一人ぽつねんと浮かんでいるようだった。

 ディー・ナインは、その中にたゆたうように浮かんでいる。機能(ファンクション)ハーデス専用コクピットの中で、戦闘の極限にいながら意識が澄み切っていくのがわかった。

 ファイバーケーブルから、薬剤が投入されディー・ナインの神経は強制的に研ぎ澄まされるいく。彼を覆い包むゲル状の液体は、彼の神経パルスを拾い、モーションコントロールへと反映させる。

 このときのディー・ナインのメンタルコンディションと心拍数などの体内コンディションが、重機動要塞メイオウの十六夜弥月にモニターされており、この監視モニターでパイロットの状態に応じて、様々な投薬を行うのだ。

 ファンクションハーデスとは、パイロットを専用コクピットで操縦をモーショントレースと脳波コントロールによる機体への直接アクセス方法にし、反応速度を向上させると同時に、強制的に薬剤投入されるパイロットの負荷を重機動要塞側で監視し、パイロットのコンディションを整え、一時的にRPAメイオウの性能を三〇パーセント引き上げるものなのだ。

 更に、重機動要塞から射出されたケルベロスと名付けられた3つの砲門を持つ巨大ビーム兵器が使用できるようになる。RPAメイオウとほぼ同じ長身をもつこのビーム砲は、完全自動の自走式砲門だ。メイオウが装着するものではない。

 ロックオンした敵に対して、コマンドを解除しない限り殲滅するまで追尾攻撃する。3つの頭をもつ冥府の王ハーデスに従える冥界の番犬ケルベロスになぞらえた兵器だった。

 ファンクションハーデスが起動した。

 ケルベロスとともに、RPAメイオウがラグマ・ブレイザムに強襲する。


 急激に性能がアップしたメイオウとケルベロス、そしてアフリートに攻撃を受け、ラグマ・ブレイザムは殆どなぶり殺しだった。

 ラグマ城壁(ウォール)が消失して、バリアーフィールドで防御しているがパワーがあがらない。ラグマ・ブレイザムに、ビームが貫通して爆煙があがった。

 各ブロックで小爆発が相次ぎ、更に出力が下がる。

「日下さん、四神キャノン朱雀、白虎へのエネルギーバイパス損傷、使用不能です」

「轟、青龍だけでもいい。エネルギー流動を確保してくれ! カズキさん、ハイパークラフター出力全開」

「日下副長、だめだ。出力があがらない。六〇パーセントが限界だ」

 カズキが返答した。いつもポジティブなカズキの声に悲愴感が入り混じっている。

「日下副長、リボルブアクセルをかけるぞ。周囲に牽制をかける」

 デュビルの提案に一瞬頷きかけたが、リボルブアクセルの攻撃エリア内には、セシリアとオービル・ゼラーの編隊がいる。

「ダメだ! 八咫烏の編隊がエリア内にいる。リボルブアクセルはダメだ」

「ゼロ方向、高エネルギー反応」

 ビリーの声に、日下は咄嗟にラグマ・ブレイザムの半身を動かした。

 真上から、ケルベロスのビームがその脇を掠めていった。しかし、そのエネルギーの余波がラグマ・ブレイザムの背中を灼いていった。

 装甲が、剥がれるようにして溶け堕ちていく。四神モードの玄武のユニットに爆発が起きた。轟が乗るコクピットにも、その爆発が起きた。

 一度吹き出た爆発の煤が、轟のパイロットスーツに降りかかる。

 恐怖に、轟の顔面が蒼白になった。その眼にうっすらと涙が浮かんでいる。しかし、彼は以前の彼と違った。必死に恐怖と戦い、その場から逃げなかった。

 ちらつくのは、高城奈津美の笑顔とキッドマン少年、そしてマシュー・ボイド。それに石動さとみの顔が加わった。

 トニーとは、仲直りができた。憔悴しながらも出撃を繰り返す轟を見て、トニー・クライン・キッドマンの方が「ごめん」と言ってきたのだ。「ごめん」という年下の子供を拒否するほど、轟はひねくれていない。これをきっかけに二人は仲良くなった。

 そして、トニーの切ない願いを聞いた轟は、その願いを叶えるためにプログラムを組み始めた。もともと、コンピュータいじりは好きだったから、その作業は楽しかった。

 トニーの願いとは、パイロットになって、母であるシンディを守ること。今は、子供だし足の病気で車椅子生活になっているので、実際の戦闘機に乗り込むことはできない。だから、二人はプログラム上、ソフト上で乗り込むことができないか、という発想に至った。アバターを形成して、八咫烏に乗り込むアイディアを思いついた。これの制作を始め、ああだこうだと話は盛り上がった。

 それに、マシューが加わった。轟よりひとつ年上のマシューは、心優しい少年だった。高城奈津美のひとつ後輩にあたるらしい。轟と同様に、両親を早くに亡くし、トムソン・ボイドと暮らしていた。

 マシューの夢は、エンジニアのなることだと言う。エンジンが大好きな祖父であるトムソン機関長。齢六〇を超えて、尚元気な祖父だが、そろそろ引退の文字がチラついている。マシューもそれは敏感に感じ取っていた。いつか、じいちゃんが引退しても触りたいと思うようなエンジンをつくりたい、それが彼の夢なのだ。

 なんにも将来の目標なんかない轟にとって、マシューはとてつもなく、しっかり者に思えた。そのマシューが参加してくれたおかげで、プログラムは格段にスピードアップして、一旦完成を見た。

 喜び騒ぐ轟たち。これを、たまたま見かけた石動さとみが、そのプログラムを見てくれて、そのうえでアドバイスをくれた。「とても、よくできてる」と誉めてもくれた。更には、テストもしてくれるとも言ってくれたのだ。

 トニーの願いが一歩前進した。テストは合格だった。轟たちは、快哉を叫んだ。

 みんなで、その続きをするんだ。

「オォォぉーッ!」

 轟は、恐怖を押さえ込むためにわざと大声を出した。

 手の甲のラグマの紋章が、一瞬赤から白に変わった。だが、すぐにまた赤に戻ってしまった。

 その瞬間、ラグマ・ブレイザムの出力が急激にダウンした。

 コクピットの明るさまでもが、薄暗くなった。

 ラグマ・ブレイザムは殆ど機能停止になったのだ。


「敵の動きが止まった?」

 ディー・ナインは、ファンクションハーデスのコクピットで、ラグマ・ブレイザムの動きがどんどん鈍くなっていくのを見過ごさなかった。

 訝しく思いながらも、これはチャンスだった。

「ラグマ・ブレイザムを捕獲する」

 RPAメイオウは、その巨体を接近させ、ラグマ・ブレイザムをあっけなく捕獲した。まるで、ぐずる子供を叱りながら父親が抱えあげるような様だった。

 同時に、反転し重機動要塞に帰還するべくメイオウは飛翔した。


「ラグマ・ブレイザムが捕まった?」

 信じられない思いで、セシリアは呟いた。だが、認めたくないがそれが事実だ。

「ラグマ・ブレイザムが、敵に捕獲された。セシリア機、これを追跡する」

 管制官のカレン・ライバックに報告して、セシリアは機体を反転させ、ラグマ・ブレイザムを拿捕した敵のRPAメイオウの追跡に入った。

「セシリア隊長?」

 そのセシリア機の行動を捉えたオービル・ゼラーもまた、同様にメイオウを追う。

 凄まじいスピードで飛翔していく敵のRPAメイオウの後を、火線をかいくぐりながら、セシリア機とオービル機が追いかける。

 敵機を撃墜しながら、高加速度のなかでセシリアとオービルは、メイオウを見失わないように飛翔していくと、やがて敵の母艦である重機動要塞が視界に入ってきた。

 まるでメデューサの頭の蛇のようにうねうねとくねりながら、オロチとヒュドラの砲門がビームを乱射している。

 これをかいくぐって、敵の母艦へ突入するのは無茶もいいところだ。

 だが、セシリアにもオービルにも迷いはなかった。

 更に加速して、メイオウの後にピタリと付いた。今までに出したことの無いスピードだ。Gも半端ではない。訓練に訓練を重ねたセシリアさえもグレイアウトの症状が出始めた。耐Gスーツの性能を超えて、脳への血流が悪くなり、その影響で視野狭窄と色彩が色を失い暗くなりだした。

 このまま加速し続けたら、ブラックアウトを起こしてしまう。そんな恐怖が頭を掠めたそのときに、メイオウを収容するハッチが開いた。

 このまま、メイオウの後ろについて侵入するしかない。そうすれば、オロチとヒュドラからのビームからは逃れられる。涙目になりながら、セシリアは更に加速する。

 セシリア以上に涙目になっていたのは、オービル・ゼラーだった。

「冗談じゃないぜ、やっぱりじゃじゃ馬隊長になんかついていくんじゃなかった」

 後悔しても、もう遅い。それに、それは本心ではない。男は時々、天邪鬼のような台詞を吐いてしまうものだ。

 メイオウが僅かに減速して、ハッチの中へと侵入する。ガイドビーコンが発せられ、着艦への軸線が固定されたようだ。なお、減速がはじまった。

 メイオウの速度が落ちたので、それにあわせセシリアとオービルも速度をほんの少し落としたが、ハッチが閉じられてしまったら元も子もない。それでもグレイアウトの症状は緩和されたことがありがたかった。 

 それほどスピードは落とせない。また、こちらは無理やり侵入するのだから、ガイドビーコンも牽引ビームもあるわけがない。

 ハッチが閉じられていく。セシリアもオービルも声にならない叫び声をあげて、ハッチに向かって突入する。

 殆ど、間一髪で突入した2機は、ドーム型のハンガーの中に飛び出した。

 セシリアもオービルも艦内の激突を避けるため緊急制動装置を起動する。六基のエンジンノズルのうちの左右の各1基が百八十度回転して、緊急制動の逆噴射をかける。

 急激に速度を落としたことで、ハンガー内の状況をモニタリングできるようになった。即座に状況を確認する。

 ハンガーの中には整備した艦載機が、そのまま出撃できるように螺旋を描いた飛行ルートがあって、セシリアもオービルも、まずはそのルートにのった。そうでもしなければ、壁に激突してしまう。

 闖入者であるセシリアとオービルに対して、各所から機銃が掃射された。小銃やバズーカで応戦すもの者もいた。その攻撃は、徐々に激しさを増してくる。八咫烏の機銃で応戦する。あちこちで小爆発が相次ぎ、ハンガー内は大混乱に陥った。

 スクランブルがかかったらしい。警報が鳴り響き、敵の艦載機が飛来してきた。

「セシリア、逃げろ」

 無線から、デュビルの声が響いた。

「セシリア、逃げろ。このまま、ここにいたら不利だ。逃げろ!」

「デュビル、大丈夫?」

「大丈夫だ。こっちはこっちでなんとかするから、お前は逃げろ。一旦、退け」

「………」

 唇を噛んだあと、セシリアはスティックを傾けた。

「デュビル、絶対助けるから!」

 そう言葉を投げつけて、セシリアはハンガーから飛び去った。その後ろにオービル・ゼラーが続く。


 RPAメイオウに捕獲されて、あらゆる抵抗を試みたが完全にロックされて、ラグマ・ブレイザムは身動きひとつできないまま、このハンガーに連れてこられた。

 セシリアたちが暴れ、その行方をくらましたことで艦内はその追跡と排除命令が出て兵士達が右往左往している。

 日下もデュビルも、事の成り行きを見守ることしかできないでいた。だが、セシリアた

ちがいる。なにか打開策があるはずだ。


 その中にあって、ディー・ナインは身じろぎひとつせずにメイオウのコクピットにいた。

 やがてエレベータから、十六夜弥月が兵士を率いてやってきたのが、モニター越しに見えた。十六夜弥月の采配で、兵士はラグマ・ブレイザムのコクピットの占拠に走った。

 五分と時間を要せず、銃を構えた兵士達は、ラグマ・ブレイザムの中にいたパイロットたちを引き連れてハンガーへと出てきた。

 大した抵抗もなかったようだ。敵もこの状況では、無駄だと悟っていたのか。ある意味、賢明な判断だ。

 銃口を突きつけられながら、兵士達に促されて両手を挙げて出てくる敵のパイロットたち。各々ヘルメットをとり、不安げな表情を浮かべながら廊下へと歩かされてくる。

 その中のひとりにディー・ナインは目を止めた。明らかに、他のパイロットと体格が違う。

(子供?)

 敵のパイロットに子供がいるのか? 思わず、顔を見たくてモニターの拡大率をその子供にあわせて上げる。

 ズームした顔を見て、ディー・ナインは愕然とした。

 そのパイロット、轟・アルベルンはディー・ナインと同じ顔だったのだ。

 今まで悠然とモニターを見ていたディー・ナインは、これを見て脱兎のごとく駆け出してコクピットを出た。


 兵士達に先導されて、轟・アルベルンは足取りも重く歩を進めていた。

 日下から、一切の抵抗をするな、との命令で、轟はコクピットになだれ込んで来た兵士に対し、従順に従った。そのおかげなのか、銃こそ突きつけられたが、殴られることはなかった。自分が、子供なので手心を加えたのかも知れない。

 だが、高圧的な態度の兵士にはやはり腹が立った。それでも、その怒りを押し殺して兵士に従う。

 ラグマ・ブレイザムを出されて、兵士に囲まれて進んでいくと、やがてその先に日下たちがいることがわかった。日下たちも、同様に兵士に囲まれている。轟と同じように、両手を掲げていた。

カズキが、憤懣(ふんまん)やるかたないと言った表情で両手を挙げている。その脇に近づいたとき、「大丈夫か?」と小声で訊いてきた。轟は無言で頷く。

「そこ! 喋るな!」

 兵士の一人が、つかつかとカズキに寄ると、手にした銃を反転させてその銃床でカズキの脇腹をぐりぐりと押し付けてえぐった。

 怒りで顔を歪めるカズキ。だが、ぐっとそれを堪えていた。

 その光景を見て、轟の中に捕虜という言葉が明確に浮かんだ。なんと頼りない立場の言葉だろう。敵の胸先三寸で生死の行方があやふやだ。

 争いごとは大嫌いだ。ケンカだってしたことがないのに、轟は戦場に駆り出される。その挙句に、捕虜になってここにいる。一方的に自由を奪われ、暴力的で高圧的な立場の者に虐げられ、蹂躙される。この状況に、轟は吐き気を感じるくらいに怒りを覚えた。それは今までにない気持ちだった。

 突然、兵士たちがその場で居住まいを正して、起立の姿勢をとり敬礼を送った。

 なにごとか、とその方向を見やると、轟とさほど変わらない丈の少年が走り寄ってきていた。どうやら、敵の将校のようだ。

 日下、デュビル、キース、ビリー、カズキ、そして十六夜弥月の誰もが、ディー・ナインと轟・アルベルンを見比べて、目を見張った。

 二人の体格、顔立ちが全く同じだったからだ。世の中に自分とそっくりな人間が3人はいるというが、似ているというレベルではない。双子といったレベルでもない。ドッペルゲンガー? いや、二人は偶然で同じ顔立ちをしているのではない。なにかの因果関係があるに違いない。そう思わさざるを得ない巡り合わせだ。

 周りの驚き以上に驚いているのが、当の本人達だった。

 轟の目の前に、ディー・ナインが立ち、しげしげと轟を見つめる。

 そのディー・ナインを、轟は薄気味悪い表情で見る。

「……君は誰だ?」

 呟くような小さな声で、ディー・ナインが轟に尋ねた。その声がかすかに震えていた。

 ディー・ナインには、記憶がない。自分の名前も過去も親の記憶、友達の記憶もなにもない。ただ一人戦災に巻き込まれたと、そう言われ続けた。

 その過去が見つかるかも知れない、と言われ、言われるがままにCAの訓練を受けた。その標的ラグマ・リザレックに接触した。

 今ここに、その手がかりが現れたのだ。ディー・ナインの心が昂ぶるのも無理はなかった。

「君は、僕を知ってるか? 君は、僕の兄弟なのか?」

 矢継ぎ早の質問に、轟は面食らうばかりだった。

「なにか、知っていることがあったら教えてくれ。なんでもいい、何か知っているんだろう?」

 轟に詰め寄り、その肩を両手で掴んで、前後に揺さぶる。

しかし轟にとってディー・ナインは、不快な存在でしかなかった。身をよじって、彼の手から逃れようとする。

「君なんか、知らない! 離せ! 気持ち悪い」

「知らない? 知らないはずない! 同じ顔をして、歳だって同じくらいじゃないか? 兄弟じゃないのか? あるいは双子の」

「違う! 僕に兄弟はいない。父さんも母さんも事故で死んだ。僕を育ててくれたおじいちゃんを殺したのは、貴様達ギネル帝国だ」

「そんな、そんなはずない。君と僕は、関係無いはずない。そうだ、これに、これに見覚えはないか!」

そう言って、ディー・ナインは右手の甲を差し出した。そこにラグマの紋章が刻まれている。

 日下とカズキが、同時に息を呑んだ。まさか、あれは地球で轟が負傷した?……

「君の左手にもあるじゃないか」

 ディー・ナインが、轟の左手をとる。パイロットスーツの手の甲の部分は、半透明の強化クリスタル素材になっていて、そこからラグマの紋章が見えるのだ。

轟の顔が歪んでいた。泣きそうな、怒りで満ちているような、ただひとつ決定的な感情がそこに潜んでいた。それは憎しみだ。

「離せ! 離せ! なんで、なんでお前なんかが、目の前にいるんだ」

轟がディー・ナインの手を振り払った。そこには、(おびただ)しい嫌悪と憎悪が感じられた。

「なんで? …なんで、そんなに僕を否定するんだ?」

 今度はディー・ナインが、訳がわからず面食らっている。こんなに、自分を拒絶されたことは今までなかった。

「なんで? なんでだ?」

 ディー・ナインは、逆上する手前だった。そこにいるのは、もうCAではない。一人の十五歳の少年だった。

「全員を監禁室に連れていけ」

 このままでは収集が付かなくなるとみた十六夜弥月が、兵士に命令を下した。

兵士たちが動きだす。

 その十六夜弥月の声を聞いて、日下が思わず彼女を見た。先を促そうとする兵士に逆らい、身体を弥月の方向に向けた。

「さっさと歩け!」

 兵士が銃で小突く。その様子に気付き、十六夜弥月がチラリと日下に目をやる。ほんの一瞬だが、お互いの目があった。

 日下には、それで充分だった。


 セシリアとオービルは、一度緊急滑走路を伝って艦の外に出て、すぐに反転しその滑走路から再び艦内に突入した。

 滑走路から敵機が発進してきたら正面衝突することになるので、ひやひやだった。

 こんな再突入を行うセシリアのじゃじゃ馬を通り越した無茶振りに、オービルは心底震え上がった。でも結果オーライで、彼らは追跡してきた敵機を振り切ることに成功したのだ。

 再突入後、おそらくは管制室と見受けられるブロックがあったのでそれを攻撃して、一時的であろうが、通信の遮断を試みた。その奥に広がっていたのは、艦載機の格納庫だった。ゲイブル・バーノンが、1機ずつ整理棚のように格納されている。

 その周辺で右往左往する敵の兵士達。それを横目に、セシリアはミサイルをぶっ放して格納庫を混乱に陥れた。

 あちこちで爆発が相次ぎ、火災が発生する。隔壁が閉じられていく。

 その閉じられていく隔壁を次々と潜り抜け、セシリアとオービルは艦内を飛行する。

 急激に重機動要塞メイオウそのものが、傾いた気がした。

 なにごとかと思った瞬間、セシリアたちが飛行しているブロックそのものが艦から切り離されていることに気がついた。隔壁の先の先に宇宙空間が広がっていた。

 メイオウは火災の発生した格納庫ブロックごとを、パージしているのだ。

 このブロックを飛び越えて、メイオウ本体に乗り移らなければならない。

スロットルを三度全開にして、セシリアとオービルはパージされた格納ブロックを飛び出した。切り離した本体の隔壁が既に閉まりかけている。

 間に合わない。セシリアとオービルの脳裏にその言葉が掠めた。

 セシリアとオービル、2機前後に並んで飛翔する。このスタイルは、いつも兄ウィルバーとやっているマニューバだ。オービルにとっては得意なポジションといえる。

 セシリア機より、ほんの機体半分上にポジションをとると同時に、全ミサイルを発射した。ミサイルは隔壁を破壊して、炎と爆煙を撒き散らした。

「突っ込めェェェッ!」

 オービルが、セシリアと自分に向けて叫ぶ。

 2機が破壊した隔壁を潜り抜け、メイオウ本体に突入していく。

第1隔壁はオービルが破壊したが、その向こうに第2隔壁があり、閉まっていく。セシリア機がそれをギリギリで潜り抜けた。

 が、セシリア機より機体半分高度を高くとっていたオービル機の垂直尾翼に隔壁が触れた。突如バランスを崩す機体。オービルの機体はきりもみ状態になって、コントロールを失った。

「オービル、脱出しなさい!」

 急制動をかけるセシリア機。

 オービルの機体は変わらず、くるくると回転して右側にそれていく。

「オービル、脱出しなさい」

 セシリアが更に叫び声をあげる。 

 オービル機は、きりもみ状態のまま墜落して爆発し、右側下方に大きな穴をあけた。

「オービルゥゥゥゥウッ!」

 爆風がセシリア機を後方からあおっていく。

 バランスを保ちながら、必死に機体を保持している。そのキャノピーの端に脱出シートがものすごいスピードでセシリア機を追い抜いていった。爆風に飛ばされているのだ。

「オービル!」

 すぐさまその脱出シートを追いかける。無重力で加速しているから、まったくスピードが落ちない。

小さな目標の脱出シートを捕まえようとマニュピレーターを出すと同時に、セシリアはエンジンを切った。慣性と姿勢制御ノズルで、脱出シートを追いかける。

「オービル、返事しなさい」

 怒鳴り続けながら、セシリアは脱出シートに近づく。ようやくそれを捕まえる。シートにオービルがいることは認められた。だが、反応がない。

「オービル、オービル・ゼラー、返事をしなさい」

 声を張り続ける、その隙間に「隊長」とか細い声が入ってきた。シートの向こうで片手が挙がるのが見えた。ほっと胸を撫で下ろす。

「オービル、状況を報告しなさい」

「機体ナンバー、八咫烏032、敵艦突入時に損傷。機体コントロール不能となり墜落。パイロット、オービル・ゼラーは脱出。セシリア機により救助。負傷…ありません」

「負傷ないのね?」

「ありません!」

「…よかった…」

 セシリアの声が一瞬詰まった。

「……隊長?」

 もしかして泣いてる? とオービルが思った次の瞬間に、

「オービル・ゼラー、機体損失は貴官の腕が未熟と判断する。ラグマ・リザレック帰還ののち特別飛行訓練を実施する。覚悟しておけ」

「え? エーーッ!」

 セシリアが泣いてオービルのことを心配しているのかと思ったが、返ってきたのは訓練の通達だった。オービルはがっくりと肩を落とした。

「とにかく、デュビルたちを捜さないと」

「セシリア隊長、とりあえず全員無事ですよ」

「わかるの?」

「一応テレパスですからね。交信はできませんが、デュビル中佐のサイコウェーブは確認できました。その近くで、遊撃戦闘班の意識が感じられます。でも、中佐は特殊ヘルメットで能力を抑えられているから、精神交感は成立しません」

「でも、位置はわかるの?」

「なんとなく。ここから、右方向とかくらいなら」

「それで充分」

 セシリアは、その場に機体を着艇させた。どのみち、もうミサイは全弾ぶっ放している。ここからは、オービルの道案内で白兵だ。デュビルたちを救うには、それしかない。

 コクピット内に装備されている、小銃を2丁取り出し、1丁をオービルに渡す。

「さっ、案内して」

 普段は全く見せない笑顔で、しかもウィンクして言うセシリアに、オービルは不覚にもときめいてしまった。


 遊撃戦闘班のクルーは、乱暴な扱いで監禁室に放り込まれた。

 狭い部屋に男七名は、かなりきつい。殆ど、身を寄せ合う距離感だ。

 閉じられた分厚い鉄扉には小さな小窓しかなく、その向こうには見張りの兵士が立っている。

 後ろ手に手錠をかけられ、不自然な姿勢が続いたためか背中に鈍い痛みを感じた日下は、もぞもぞと肩や首を動かした。

 その日下にデュビルがにじり寄り、その耳元に小声で囁いた。

「日下副長、この仮面を外してくれ。帰艦したら、また被る。約束する。今だけ脱出のために、仮面を外してくれ」

 デュビルの提案に、日下は考えを巡らせた。遊撃戦闘班のメンバーが所持しているデュビルの特殊ヘルメットの爆破スイッチ。実は、日下だけがその解除方法を知っている。と言うより、日下のスイッチだけ、解除コードが入力できるようになっているのだ。

 しかし、そのスイッチは敵に押収されていた。それがどこにあるかわからない。

「解除するスイッチが敵に押収された。この場では、解除できない」

「……そうか」

 日下の返答に、珍しくデュビルは落胆したようだ。

「セシリアとオービル・ゼラーが、まだこの艦内にいる」

 ぽつりとデュビルが呟く。

「…ヘルメットをしていてもわかるのか?」

「ぼんやりと。だが、意思交換はできない。ただ、その存在が感じられるだけだ。ヘルメットがとれれば、テレパシーで精神交換できるのだが」

「そうか」

 しかし、その話だけでも希望が見えてきた。それを感じつつも、気になって轟・アルベルンに目をやった。

 轟は、扉側の部屋の角で、膝を抱えて塞ぎこんでいた。

 さきほどのやりとりがショックだったに違いない。

 その轟のそばにカズキがにじり寄った。

「轟……大丈夫か?」

 轟は,無言のままこくりと首をふる。

「轟…すまん。俺は、またお前を苦しめる原因を……」

 カズキは、轟から咎められることを覚悟で頭を下げた。

 だが、意外にも轟は、顔を上げてかすかに笑みを浮かべたのだ。ぎこちなくて、こわばった微笑みだ。

「…カズキさんのせいじゃないですよ。あんなことをするギネル帝国が悪いんです。だから、カズキさんのせいじゃないです」

 無理してる。轟は無理してる。それが痛々しいほどわかった。それでも、カズキを思いやって責め立てることをせず、許そうとしている。これは逆に、痛烈にカズキの胸に響いた。

「みなさんにも言っておきます」

 轟は、振り返って全員に向かって言った。

「皆さん、きっと気になっていると思うので…皆さんに言っておきます。さっきいた僕とそっくりな敵の司令官、あれはおそらく僕のクローンです。僕に兄弟はいません。双子でもありません。だから、あいつは僕となんの関係もない、顔がそっくりなだけの、おぞましいだけの存在です。だから、遠慮なんかいりません……あいつを、あいつを殺してください」

 殺してください。そう言い放つ轟。轟には、かなり不釣合いで物騒な言葉だった。日下とカズキはそれに面食らい、そして戸惑った。轟という少年をここまで、追い詰めてしまった、と二人の胸の内に苦しみが広がった。

「……わかった」

 一言、キース・バートンが言葉を返した。あれこれ詮索せず、反論もせず、否定もせず、ただ一言「わかった」と、轟の言葉を認めてくれた。

「……ありがとうございます。キースさん」

 轟の言葉を受け止め、肯定してくれたキースの態度が嬉しかった。

「そのためにも、生きてここをでなけりゃならん。チャンスを待とう」

 轟が小さく頷く。

 皆は、そのときのために身体を思い思いに横たえた。休めるときに休んでおこうという腹だ。

誰もが軽い眠りについた。しかし唯一人、日下だけが眠れずにいた。神経が昂ぶっているせいだ。原因は明らかだ。

 十六夜弥月。彼女もまた弥月なのだ。

 神様は、何度自分に悲しい思いをさせるつもりなのか。

 気持ちが混乱して定まらない。


菜の花畑に 入日うすれ

見渡す 山の端

かすみ深し

春風そよ吹く 空をみれば

夕月かかりて におい淡し


 日下は無意識のうちに、朧月夜を小さな声で口ずさんでいた。

 不思議と気持ちが落ち着いてきた。

 美月の顔を思い浮かべた。


 監禁室をモニターしている映像を十六夜弥月が見ていた。

 その中の一人の男が、半身を起こしている。

 その男がなにやら口ずさんでいる。どうやら、歌のようだ。か細い小さな声だが、不思議と十六夜弥月に聞こえてくる。


菜の花畑に 入日うすれ

見渡す 山の端

かすみ深し

春風そよ吹く 空をみれば

夕月かかりて におい淡し


 いつしか、十六夜弥月も小さく口ずさんでいた。

 知っている。私は、この歌を知っている。

 口ずさんでいるうちに、胸の内に温かいものが去来する。幸せな気持ちになる。

 その歌を歌う日下という男を、十六夜弥月は意識せずにいられなくなった。


 ラグマ・ブレイザムがメイオウに連れ去られたことで、ラグマ・レイアにとって、一番の脅威は、アフリートだった。

 バリアーフィールドを全開にし、対空砲でひたすら迎撃する。しかし、そのいずれも命中しない。

「日下副長とセシリア隊長から連絡はないか?」

 山村艦長は、ロイ通信長に尋ねた。

「報告、ありません」

 短い返答が返ってくる。

 彼らが死んでしまったとは、思っていない。だが、それを裏付ける確信がほしい。

「石動情報長、半径二〇光年に絞った海図をだしてくれ」

 艦長席に、拡大投影された海図を山村は凝視する。

 その航海図の中、山村はひとつの散光星雲を見つけた。それは妙に細長い形をしていた。

「石動情報長、ここから左弦二〇パーセクの位置にある散光星雲を解析してくれ」

「了解」

 ほどなくして、石動情報長が解析報告をよこした。

「解析完了しました。ここの散光星雲は少し特殊で生まれたばかりの星から放出された塵やガスが六光年にわたって激しい流れを形成しています。海流、乱流レベルではありません。例えて言うなら、これは滝、それも大瀑布です」

 石動の報告に、山村は意を決した。

「ロイ通信長、石動情報長が示した海図を大倉航海長とシンディ戦務長に送れ。同時に、ラグマ・ヒュペリオン、クロノス、レイア、ポイントK2で合流、ドッキングする」

 山村艦長の指示に従い、ラグマ・レイアは左に大きく舵をとって、速力をあげた。

 敵のアフリートも追従する。

 弾幕を張りつつアフリートに対し、牽制を図る。そのアフリートに、果敢に挑む航空隊があった。ウィルバー・ゼラー率いる小隊だ。

 RPAラグマ・ブレイザムが戦列を離れたあと、このアフリートの足を止めているのは、ウィルバーの小隊の活躍のおかげだった。

「カレン管制官、3分後に八咫烏隊、ファイアードレイク隊全機へ帰投命令を出せ」

 ラグマ・ヒュペリオンとラグマ・クロノスも悪戦苦闘しながらも、ポイントに向かって舵をきっている。

 レーダー手のジュリアが、攻撃の振動に耐えながら、味方艦を捕捉してくれている。

「八咫烏隊、ファイアードレイク隊、全機帰投してください」

カレン・ライバックが全機に対し、帰投命令を出した。

「フライトデッキ、両舷オープン。3番が使用不能だ。1番、2番でファイアードレイク、4番、5番で八咫烏隊を受け止めろ」

 さっきまで、ダメージコントロールに奔走していたが、鏑木甲板長がすぐさまその指示を出していた。艦の現場運営に彼ほど適任はいない、と改めて感心させられる。

 ブリッジの中で、指示、報告がこだまする。

 宇宙空間を疾走しながら、その中で艦載機を収容するのは並大抵のことではない。しかし、それを管制官のカレンと甲板長の鏑木が実に手際よくやってくれる。

「山村艦長、全機収容完了しました」

「艦長、ポイント到達。ヒュペリオンとクロノスと合流します」

「よし、全艦ドッキング態勢。軸線あわせ用意」

「大倉航海長、トムソン機関長、ドッキングと同時に反次元エンジン始動。航海長、海図のポイントに向けて亜空間ワームホール航行を行う。座標固定させろ。SWNサーフェスアウトのポイントは寸分の狂いも許されない。できるか?」

「こちら、大倉。ポイント確認しました。できます」

「石動情報長、散光星雲ナイアガラ瀑布の重力影響圏内を正確に割り出せ。ジュリア、亜空間航行を含めた到達点までの航路を再計測」

「ドッキング、軸線に乗りました」

「全艦、ドッキング用意」

 ラグマ・ヒュペリオン、クロノス、レイアが1直線に並び、バリアーフィールドの中でドッキングして、ラグマ・リザレックになった。

 トムソン機関長が、反次元エンジンに火を入れる。

「こちら石動、ナイアガラ瀑布の重力測定完了。大倉航海長、SWNサーフェスアウトポイント、誤差修正お願いします」

「航路再計測完了しました。大倉航海長、サーフェスアウトポイント修正しました」

 ジュリアの緊迫した声が、大倉航海長の耳朶を打った。

「待ってください。こちら航行艦橋、有村。左舷方位8時の方向にナチュラルワームホール探知!」

 そう告げたのは、元デリバン連合王国空間測定長の有村ななみだった。彼女は、航行艦橋で亜空間ソナーと航海図解析の任に就いていた。

「航路計算、もう一度再計測してください。探知したナチュラルワームホールと接続してしまう可能性があります。SWN、フォールインポイント修正の必要あり」

 その言葉を聞いて、ジュリアの顔が青ざめた。

「そんな、今から再計算なんて……」

 時間がなさすぎる。数十秒の内に、航路の再計測なんて無理だ。しかも、間違いは許されない。冷静さを失う一歩手前で、有村ななみがジュリアのコンソールのモニターに映った。

「大丈夫。ナチュラルワームホールの情報をテレパシーで送る。できるわ、あなたなら」

 小さなモニター画面の中で、にこりと有村ななみが微笑んだ。その瞬間に、ジュリアの頭の中に、ナチュラルワームホールの情報が大小もらさず、つぶさに頭の中に入り込んできた。

 ハッと息を呑む。それを見て、有村ななみはもう一度微笑んだ。セミロングの髪が、かすかに揺れた。パッチリした目に、優しさが浮かんでいる。

 ジュリアは、コクリと頷くとコンソールに指を走らせた。そして、自信を持って山村を振り仰いだ。

「航路計算、再々計測完了。フォールインポイント、コンマ三.四修正しました。大倉航海長、転送します」

「了解だ。ジュリア、有村、よくやった」

 大倉航海長の返答に、ジュリアはホッと息をついた。モニターの中の有村ななみも同じようにホッとしたようだ。その顔に、にこやかで明るい表情が浮かんでいる。それを見て、ジュリアは、なんて可愛い人だろう、と思った。元はギネルとデリバンだから、二人が言葉を交わすことなどなかったはずだ。しかし、今は彼女とは司令艦橋と航行艦橋、勤務する席は違うが、同じ航海班。不思議な縁を感じた。うまくやっていけそうだ。むしろ、同じ年頃の女性同士、一緒にガールズトークなんかができるようになったらいいな、なんて一瞬だけ呑気なことを思い描いた。

 ラグマ・リザレックは、舵を切り、再々計算したフォールインポイントに到達した。

「こちら、トムソン。反次元エンジン亜空間回廊生成臨界到達。SWN、準備完了」

「了解、亜空間回廊生成。シュゲレリークォーク、インパクト」

「ワームホーム生成完了。ラグマ・リザレック、SWNフォールイン」

 大倉航海長が、亜空間ワームホール航行装置を起動させた。

 ラグマ・リザレックが超加速をし、ワームホールに突入した。


「巨艦、ワームホールに突入しました」

 メイオウのブリッジで報告があがった。

「逃げるのか? そうはいかない。全艦SWNで巨艦を追跡する。急げ!」

「アフリートが、現在交戦中。収容、間に合いません」

「かまわん、どうせ拾い物だ。SWNを急げ!」

 ディー・ナインが指示をくだす。冷酷にも、アフリートを見捨てるつもりだ。その声が、なんだか甲高い。司令官というより、プライドを傷つけられた子供が喚く声に近い。

 心なしか、ディー・ナインが少し子供っぽく見える。十六夜弥月は、さきほどの轟とかいう少年とのやりとりを思い出していた。

 あのやりとりで、ディー・ナインの心に変化が起きてしまったようだ。彼は、徹底的に自分を否定されてしまった。打ち砕かれてしまった自尊感情を保とうとしているが、動揺が隠し切れないのだ。

 しかし、この状況は良くない。少年のように見えようとも、彼はCAであり、この艦隊の司令官なのだ。冷静な判断ができなくては、我々全員が死んでしまう。

サポートしなければならない。

「全艦、ワームホールフォールイン、追跡します」

 航海士の声に、十六夜弥月は、メインモニターを見上げる。その片隅にアフリートが映った。レイビスの顔を思い出し、不意に胸が痛んだ。

「回収しないのであれば、アフリートの武器資材一式を放出します」

 十六夜弥月は、ディー・ナインに敢て事務的に言った。

「好きにしろ」

 もう全く興味のない口振りで、ディー・ナインが返した。飽きてしまったゲームソフト以下の扱いだ。

 一方で、監禁している日下たちの動向も気になった。艦内に潜入している、敵兵もまだ掃討できていないのだ。

 前方の漆黒の宇宙の景色が、一瞬銀色に光った。レイビスになんの連絡もせず、アフリートのコンテナを放出したメイオウ以下、全艦がワームホールに突入した。


 レイビスの周りから、次々と艦隊が亜空間カテドラルを生成して、ワームホールに突入していった。しかし、アフリートを回収しようという艦は、ひとつもない。

「メイオウ、応答せよ。SWNするとは聞いていないぞ!」

 通信機の言葉を叩きつけるが、向こうからはなんの返答もない。

「……置き去りにする気か…」

 ディー・ナインにとって、レイビスはそれほどに無価値なのだ。居ても居なくてもどうでもいい。これほどの恥辱があるか、と思わずコンソールに叩き付けた拳を震わせた。

 本当にレイビスだけを残して、その宇宙空間には一艦たりともいなくなった。とてつもない静寂と漆黒の闇、そして戦闘の残骸だけがあった。

 圧倒的な孤独感が押し寄せてきた。レイビスをもってしても、叫びだしそうになるほどの絶望的な孤独だ。

 少しだけ冷静になったとき、アフリートの資材コンテナが漂っていることがわかった。十六夜弥月が、放出したものだ。

 それが、レイビスに今後の行動を考えるきっかけとなった。

 コンテナを回収する。その中に、亜空間ブースターが一基あった。一回こっきりだが、これを使えば亜空間ワームホール航行ができる。しかし、どこに向かえばいい?

 レイビスは、アンドロメダ連合のマーキングシステムを立ち上げた。ラグマ・リザレックの表示が出た。追跡できる。あとは、推進エネルギーの残量が問題だ。

 この宙域の海図を出す。あらゆる方向をつぶさに観測する。

 ここから2百コスモマイル先にひとつの可能性を見つけた。

 ナチュラルワームホール。自然発生した異次元空間へと通ずるであろう入り口だ。そのワームホールから転位すれば、亜空間ブースターの推進エネルギーは、かなり節約することができる。しかし、目的座標へ到達できるかは、不明瞭だ。

 レイビスは、腹を決めた。

 コンテナの武器弾薬を全て装備し、そして亜空間ブースターも装着した。コンソールを操作して、レイビスは一人呟いた。

「……これで、再び巡り会うことができたとしたら、俺と日下の絆は相当なものだ……」

 輪廻転生した二人の魂。その絆を皮肉っていた。そして、再度あいまみえたならば、その時は憎しみの全てを叩き込んで、その因縁を断つ。

 レイビスは、発進レバーを引いた。広大な宇宙空間をただ一機、アフリートがゆったりとした速度で、ナチュラルワームホールへと進んでいった。


 漫然と暗闇に中に身を横たえていた日下たちの耳に、何の前触れも無く乾いた銃声が鳴り響いた。

 悲鳴と同時に倒れる兵士達。短い銃撃戦ののち、再び静寂が訪れた。

 デュビルが、小さく「オービル」と呟いた。

「デュビル」

 小窓から覗いたのは、セシリアだった。

「セシリア」

「助けに来た。離れて、今鍵を壊す」

 ドアの鍵を小銃で破壊する。同時に赤い明滅と警報サイレンが鳴り響いた。

 ドアを蹴破るようにして、セシリアがなだれ込んで来た。

「みんな、大丈夫?」

「セシリア隊長?」

 相変わらずの無茶な隊長だが、今回に限っては女神に見えた。

「セシリア隊長、早くしてください」

 ドアの前には、オービルが警戒に当たっている。

「みんな、まずはここを出て」

 轟を先に出し、順に部屋を出る。

「オービル、兵士の心が読めるか?」

 デュビルが、早口で尋ねた。

「表層意識なら」

「我々から押収したものが、どこにあるのか読み取れるか?」

「やってみます」

 と、言いながらオービルは、銃を連射する。警報に基づき、兵士が押し寄せているのだ。

わらわらと部屋を出ると同時に、倒れた兵士の銃をとり、日下達は監禁室を飛び出した。しんがりに、オービルを従えて突っ走る。

 後方から銃弾が襲いかかる。オービルが手榴弾を投げた。

「伏せて」

 叫ぶと同時に、全員が床に伏せた。手榴弾の爆発で、追っ手の兵士が吹き飛んだ。

 予想以上の爆発音に、轟は耳を塞ぎ、身を硬くした。

 廊下全体に赤い光が明滅している。次々と兵士が流れ込んでくる。

「デュビル、日下副長、押収したものは十六夜補佐官という奴が知っているらしい。どこにあるかは、兵士達は知らない」

 戦闘の合間に、敵の兵士からテレパシーで読み取ったことを、オービルが言った。

「十六夜補佐官? あのときにいた女司令官みたいな奴か」

 デュビルは、轟とディー・ナインのやりとりを思い返して、そこにいた女性司令官を思い浮かべた。だが、その顔までは上手く思い出せない。

 一方、日下の場合は違う。むしろ、十六夜弥月に逢いたいと思っているのだ。

「……セシリア隊長、二手に分かれる。俺とデュビルとオービル、大門先任伍長の4人は押収されたスイッチを取り返す。いいな」

「え、ええ」

「セシリア隊長は、八咫烏でもう一度格納庫を攻撃して撹乱してくれ。キース、ビリー、轟、セシリアを援護してくれ。頼むぞ」

「了解だ」

 キースが銃を乱射し、敵をなぎ倒しながら大声で返事をよこした。ビリーも同じく「了解」と返事を寄越す。

「ラグマ・ブレイザムを奪還して、ラグマ・リザレックに絶対帰るぞ」

 日下が全員に向かって叫んだ。無言のままだったが、誰もが力強く頷いた。

「行くぞ」

 それを合図に、日下達は二手に別れた。


 轟たちが脱走したという報告を受けて、ディー・ナインの頭を瞬間的に怒りが突き抜けた。

「なにをやっているんだ! 直ちに確保しろ」

 そう言いながら艦長席から出て、自らが出ようとしている。

「ディー・ナイン司令、いけません。今は艦隊戦闘中です。司令官がここを離れてはなりません」

 十六夜弥月が、ディー・ナインの前に立ち塞がって、彼を引き止める。怒りで、我を見失っているディー・ナインの表情が更に険しくなった。

「そこをどけ」

「ディー・ナイン司令、どうか冷静に。私が、脱走した彼らを捕獲します。なので、司令は戦闘指揮を!」

 その場を動かない十六夜補佐官の、凛とした表情にディー・ナインもようやく司令官としての自分を取り戻したようだ。

「十六夜補佐官、必ず捕獲しろ。それと、あの轟という少年だけは絶対に殺すな。生きて確保するんだ」

「は、必ず」

 十六夜弥月は、敬礼を返した。

 ディー・ナインは軽くマントを翻し、艦長席へと踵を返した。それを見届けて、十六夜弥月は駆け出してブリッジを出た。


 二手に分かれた日下達は、オービルのテレパス能力を利用して、まずは解析・分析室を目指した。

 テレパス能力を長時間使い続けると、疲労感が半端なく募る。脳神経が常に緊張状態になり、感覚が研ぎ澄まされ、今まで聞こえない声までも拾い出してしまう。そのため、欲しい情報に絞り込むためには、更に集中力が必要になり、疲労する。眩暈、頭痛にも似た感覚が時折襲いかかるが、オービルは気を奮い立たせて耐える。

 銃撃戦は、デュビルと日下、近接戦闘はカズキが見事に対応した。カズキは、広瀬との武術指導で格段に腕をあげたようだ。

 カズキが打ち倒した兵士から、更に情報収集を試みる。

「どうやら、十六夜って補佐官が、俺たちの確保に動いているらしい」

 オービルが日下に言った。その肩が少し喘いでいた。

「十六夜弥月の思考を捕まえることはできるのか?」とデュビルは訊いた。

「この艦内から一人の思考を捕らえるのは、難しいです。ましてや、俺はその補佐官の顔も知らない」

「そうだな……」デュビルが落胆したように、僅かに肩を落とす。

 その様子を見て、日下が兵士を二人倒した後にオービルのそばににじり寄った。疲労が本当に激しいようだ。

「でも、やってみますよ」

 そう言って、オービルは青い瞳を閉じた。

 デュビルとカズキが銃を乱射して、近づく兵士を倒していく。通路の壁から、カズキが手榴弾を放り投げた。

「……こっちに向かっている?十六夜補佐官が、こっちに向かっている?」

 オービルの言葉に、日下がはっとして顔をあげた。

「本当か?」

「兵士の通信意識をキャッチした。こっちに向かっている。俺たちをまた捕獲するつもりだ」

 頭を振りながら、オービルが応える。テレパス能力が限界に来ているのかも知れない。

「すまない、俺のために。危険な目にあわせてしまった」

 デュビルが殊勝なことを言う。

「目の前でお前が死んだら、寝覚めが悪いからな」

 素っ気無い口調で、カズキが言った。あまりデュビルとカズキはソリが合わない。が、カズキはどんな奴でも、仲間には敬意を払う性格だ。

「思考が読めた。右ブロックからきます」

 オービルの言葉通り、兵士が5人右から飛び出してきた。その後ろに、十六夜弥月がいるのがわかった。

「日下副長、かなり危険だが付き合ってくれるか?」

 デュビルの声に、日下は「なにを今更」と返した。

「……オービルとカズキは、ここから俺たちを援護してくれ。オービル、俺と日下副長をテレパシーでサポートしてくれ。やれるか?」

「……やれますよ。やってみせます」

 オービルが気を吐いた。

「なんだ? テレパシーでサポートってのは?」

「自分が兵士の思考を読みます。右を撃つとか、左から打撃が来るとか、指示を出します。反応してください。でもデュビルさんは、思考が受け取れないんじゃ?」

「感じ取れただけで、構わない。ここが正念場だ。いいか? 日下副長」

「…やるしかないだろ」

 頷き返して、日下とデュビルは、回廊の影から飛び出して、脱兎の如く駆け出した。

 銃撃が彼らを襲う。

 日下の脳裏にオービルからの指示が聞こえた。なんとも不思議に感覚だが、それは的確で、上手く敵を倒せるかは自分の反射神経、反応速度の問題だった。

 後方からのカズキの援護も功を奏した。

 敵の兵士が次々と倒れ、日下とデュビルは十六夜弥月に迫る。驚異的だったのは、デュビルだった。おそらく、特殊マスクのためオービルからの情報は殆どデュビルに届いていないはずなのに、彼は銃弾をかわし、敵を薙ぎ払っていく。

 十六夜弥月を守ろうと兵士が二人、盾の如く前を塞いだ。

(左兵士、日下を狙い、右へずれて撃つ)

 日下の頭の中に、オービルの声が響く。彼の指示に疑問を挟む余地もなく、日下は銃を撃つ。反応がほんの少し遅れた。

 兵士の銃弾が、日下の右肩をかすめた。火傷のような痛みが走る。だが、左の兵士を倒すことに成功した。残りは一人。それは、デュビルが懐に飛び込んでその腹部に銃弾を叩き込んでいた。

 日下は、躊躇無く十六夜弥月を捉えようと突進する。

 女だからといって、油断はならない。彼女はCASなのだ。十六夜弥月の顔には、表情が浮かんでいなかった。まるで能面のようだ。

 彼女は銃を構え、日下に向けて発砲する。外れた弾丸が床を跳ねた。近づけば、流麗な身のこなしで蹴りが飛んできた。それを右手でブロックする。さきほど受けた右肩の傷が痛み、日下は顔をしかめる。オービルのサポートがなければ、食らっていたかもしれない。間髪を入れずに、彼女は銃を構えなおして、日下に向けて狙いを定めた。至近距離だ。

 かわせない、と日下は一瞬目を閉じた。その目を閉じた瞬間に、十六夜弥月の無表情だった顔に苦渋の色が浮かんだ。互いに一瞬の中に、動きが止まった。

 デュビルの銃弾が間に合ったのは、そのためだ。三発撃ったデュビルの銃弾は、彼女の銃を弾き飛ばし、その左腕と左の脇腹を掠めた。十六夜弥月は、痛みに崩れ落ちた。

「弥月!」

 倒れる彼女を日下が、抱きとめた。

 苦悶に顔を歪める彼女を心配そうに覗き込む。撃たれた傷を確かめる。うっすらと血が滲んでいたが、致命傷ではない。左腕に受けた傷は、日下と同じような傷だった。

「弥月、協力してくれ。俺たちから押収したものはどこにある?」

(日下副長、解析室です。間違いありません)

 オービルの声が、頭に響く。彼女の表層意識を読み取ったようだ。

「解析室か?」

 その声に十六夜弥月は、一瞬驚いたようだった。

「弥月、案内してくれ」

 日下が彼女の頭に銃口を向けた。もちろん、撃つつもりはない。そのまま、彼女を立たせる。ふと見ると、カズキとオービルがこちらに向かっていた。オービル・ゼラーは、ふらつく足をカズキに支えられていた。テレパス能力で、疲労困憊したようだ。

 肩で息をしているオービルに、デュビルが「ありがとう」と言った。

 五人は、無言で解析室に向かった。

 

 ラグマ・リザレックは、絶妙なポイントで亜空間ワームホール航行をサーフェスアウトした。

 通常宇宙空間に出現したラグマ・リザレックの眼前には大瀑布が広がっていた。

 生まれて間もない星から、塵やガスが放出され、それが宇宙気流とあいまって巨大で激しい流れを形成していた。その幅3光年、そしてその長さは6光年に及んでいた。その激流を流れている塵やガス、小惑星のデブリなどが光を放ちながら流れている。色彩的には、茶色く濁った泥流の滝のようだ。確かに、そのスケール感を目の当たりにすると、いつしか呼称しているナイアガラ瀑布というネーミングは、あながち間違いではない。

 その滝に呑み込まれたら、浮上は不可能だろう。

「艦、回頭百八十度。全艦、砲雷撃戦用意。敵がサーフェスアウトしてくると同時に、砲撃を開始。ナイアガラ瀑布に落とし込め。ジュリア、敵の旗艦を捕捉したら報告しろ」

 山村艦長が、厳として命を下した。

 ラグマ・リザレックの各砲塔が発射準備を完了し、緊張の中、敵の出現を待っていた。シンディ戦務長とラミウス砲雷長が攻撃命令を待ちながら、モニターを凝視していた。

「重力震探知。空間境界面裂破。左右に展開。数、右舷十二、左舷十六、SWNサーフェスアウトします。続いて上下角プラス六〇に重力震十三」

 ジュリアの報告が続いた。

「各砲塔、撃ち方はじめ!」

 シンディ戦務長が、ひときわ大きな声で叫んだ。

「各砲塔、撃ち方はじめーッ!」 

 ラミウス砲雷長が復唱すると同時に、ラグマ・リザレックの各砲塔が可動して敵に向かって照準をとる。砲撃を開始した。

 次々と出現する敵艦。しかし、サーフェスアウトする出現ポイントの計測を誤ったのか、ナイアガラ瀑布の重力と気流に捕まって、自ら滝に落ちていくも少なくなかった。いや、これくらいの出現座標の誤差は、宇宙スケールでは殆ど微細なものと言える。しかし、それがこの海域では明暗を分けた。

 山村は、これを狙っていたのだ。ましてや、敵はラグマ・リザレックの追跡に気を急いで航路計測が疎かになると踏んだのだ。

 危うくナイアガラ瀑布に落ちなかった艦も、ラグマ・リザレックの砲撃に損傷をうけ、コントロールを失い、その急流に呑み込まれていった。

 形勢は逆転した。

 

 何故、馴れ馴れしくもこの男は、自分のことを「弥月」と呼ぶのか。

 不可解だった。それよりも更に不可解なのが、それを不思議と不快に思わない自分がいることだった。

 さきほど撃たれた脇腹が鈍く痛む。が、それを表情には出したくなかった。

 この男の前では、毅然としていたい。

 それに、油断すると彼らの一人はテレパスのようだ。表層意識を読み取られてしまうらしい。対βμ訓練を思い出す。集中力を保つ。

 先頭に立たされ、そのすぐ後ろに日下がいる。銃口を背中に構え、注意深く進んでいく。カズキと呼ばれた大男が、肩を担いでオービルという男を支えながら後に続く。

 最後尾にはデュビルという仮面の男が、後方を警戒していた。

 解析室の扉の前に着いた。

「開けてくれ」

 穏やかな口調で日下が促す。その声のトーンも耳に心地いい。嫌いじゃない。ふと、彼が歌っていた歌を思い出す。

 そうだ、私はあの歌を知っていた。何故だろう?

 思考を巡らせつつ、ロックを解除して扉を開ける。銃を突きつけられているとはいえ、従っている自分を、十六夜弥月は訝しく思う。

 素早い身のこなしで、5人は解析室に入った。戦闘配備中のため、室内は無人だった。解析室は、様々なコンピュータ機器に囲まれていた。ブーンという機械音が低く響いている。

 十六夜弥月は、更に奥に進み保管庫のロックを開ける。

 中には、確かに日下達がもっていたものが保管されていた。中にデュビルの特殊ヘルメットのコントロールスイッチもあった。

 日下は、十六夜弥月をそっと傍らに誘導する。中から、スイッチを取り出した。

「デュビル、解除するぞ」

「頼む」

 スイッチにコードを入力して、スイッチを押す。カチッと音がして、デュビルのヘルメットのロックが外れた。

 両手を回して、デュビルはヘルメットをとった。久しぶりに見たデュビルの素顔は、なんだか少しやつれ、髪が伸びていた。その顔に少しだけ安堵の表情が浮かぶ。

 安堵したのも束の間、その解析室に兵士がなだれ込んで来た。扉を塞がれる。

 そんなピンチにも関わらず、デュビルは一瞬不適な笑みを浮かべると低い唸り声を上げた。次の瞬間、なにかに弾かれたように次々と兵士が後方へ飛んでいった。

 デュビルのサイコキネシスだ。これを目の当たりにした、日下、十六夜、カズキが思わず立ちすくんだ。オービルだけは、喝采の笑顔だ。

「……βμのデュビル…だったのね」

 十六夜弥月が、デリバン連合王国の兵士の記録を思い出した。

 五人は解析室を出て、デッキに向かって走り出した。

 兵士達が押し寄せてくるが、デュビルの思念波、あるいは念動力で倒していく。デュビルのβμの能力は、日下の想像を超えていた。今これほど頼もしい味方はいない。逆に敵だったら、これほど恐ろしい人物もいないだろう。

「オービル、テレパスの能力はお前が上だ。ラグマ・リザレックに、俺たちのことを知らせる。捕まえられるか?」

 前方に迫る兵士に思念波を叩きつけた後で、デュビルがオービルに言って寄越した。

「無茶言わないでくださいよ、宇宙レベルの距離なんて僕のテレパシーは届きません。それに……」

 オービルは、日下、デュビルに対して、先に行ったテレパシーによる体術サポートのおかげで、その能力が一時的に枯渇しそうになっているようだ。

「オービル、俺がお前の思考を思念波でブーストしてみる。今できるだけでいい……兄貴のウィルバーに、お前が無事だと伝えてやらなきゃな、心配してるだろう」

「…恋人に伝えたい、と言いたいところですが、兄貴で我慢しますか…やりますよ」

 軽口を叩いてオービルはそう言うと、瞳を閉じて集中した。

 思いを閉じ込めたオービルの思考が、まるで野球のボールのようにデュビルには感じられた。そのボールをラグマ・リザレックに向けて届ける。そうイメージする。

 デュビルも目を閉じ、集中力を高める。オーラが全身を包んでいく感覚があった。

 そのオーラを一点に集中して、オービルの思念のボールを打ち出す。

(届けーッ!)

 叫ぶように念じると同時に、まるでカタパルトから射出された戦闘機のように、オービルの思念は、メイオウからラグマ・リザレックに向けて放射された。この感覚、オービルの思いをホールドして届けるこの感覚は、デュビルにとっても初めての体験だった。

 

 ラグマ・リザレックのクルー全員が波動を感じた。

 その波動は温かで、メッセージを感じた。オービルが思い描いた思念は、デュビルがブーストして、コスモマイルの距離を飛び越えて届いたのだ。

 さすがの山村も、一瞬辺りを見回した。自分の頭の中に、オービル・ゼラーとデュビルの声が聞こえ、そして日下、カズキ、轟、キース、セシリア、ビリーの懸命に戦っている姿がイメージできた。全員が無事で生きている。だが、ピンチに追い込まれている。それがわかった。

「ロイ通信長、聞こえたか?」

と山村の問いに、ロイ通信長が答える。

「は、はい。聞こえました。というより、感じました」

 ロイの答えに山村は大きく頷く。

「ジュリア、敵旗艦の捕捉はまだか?」

「敵、旗艦捕捉しました。右弦上方、3コスモマイル」

「加賀室長、ラグマ城壁(ウォール)、回復まだか?」

「まだです。回復まで、あと三〇分かかります」

「バリアーフィールドは?」

「バリアーフィールド、出力安定してます」

 その報告を聞いて、山村は肚を決めた。

「大倉航海長、バリアーフィールドを艦首に集中」

「了解」

「本艦はこれよりラグマ・ブレイザムと遊撃戦闘班をはじめ捕獲されたメンバー救出のため、敵旗艦に突撃する。タスクフォース広瀬隊長、突撃と同時に敵艦との白兵戦に入る。その指揮をとれ」

 山村艦長の指示の元、艦内のメンバーが動き出す。

 全体を包んでいたラグマ・リザレックのバリアーフィールドの後方が薄くなり、艦首に防御エネルギーが集中した。

「トムソン機関長、最大戦速。ノーマルエンジン両舷、出力全開」

 大倉航海長の要請にトムソン機関長が復唱して応える。

「最大戦速、ノーマルエンジン、両舷出力全開」

「ラミウス砲雷長、後方の残存艦を魚雷で攻撃」

 シンディ戦務長の指示に従い、加速し始めたラグマ・リザレックの後方に残った敵艦に対し、全砲門から魚雷が発射された。

 敵に襲いかかった魚雷は、命中せずともその艦の鼻先で爆発し艦のバランスを崩した。バランスを崩したが最後、ナイアガラ瀑布の激流に呑み込まれる。あれほど苦慮していたザゴンSGすらも、再浮上できずにいた。

 ラグマ・リザレックは、真っ直ぐにメイオウに向かって突進していく。

「艦長より全艦に達する。総員、衝撃にそなえろ! 本艦は、敵旗艦に突貫する」

 山村艦長の通達からほどなくして、ラグマ・リザレックはメイオウをその視界に捉えた。回避運動をとるが、もう遅い。

 メイオウ左弦のどてっぱらに、ラグマ・リザレックはその艦首を突き立てた。

 凄まじい衝撃が、両艦を襲った。衝撃に対し、姿勢をとっていてもなお投げ出される乗組員が相次いだ。

「全艦、白兵戦闘。隔壁閉鎖、加賀室長、宝金班長、全艦内機構をモニターして、鏑木甲板長に隔壁操作の指示をだせ。タスクフォース広瀬隊長、白兵の指揮は任せる」

 山村の矢継ぎ早の指示に、ラグマ・リザレックのクルー全員の血が、沸騰するほどに熱くなった。


 重機動要塞メイオウに凄まじい衝撃が走った。

 あれほどの巨艦でありながら、砲火をかいくぐり、メイオウへと突撃してきた操艦は敵ながら見事だった。敵航海長の操舵技術の高さが窺い知れる。

 だが、感心している暇はない。艦内は殆どパニックになっている。

 ディー・ナインは次々と指揮命令を出し、艦の安定を図った。しかし、混乱はそれ以上だ。

 かくいうディー・ナインも、動揺が隠せない。彼が気になるのは、轟・アルベルンの所在だ。思えば、あれから十六夜補佐官からの報告がない。

「十六夜補佐官、応答せよ」

 通信兵に呼びかけさせたが、応答がない。

「敵艦から、戦車隊および突撃兵が乱入しました」

「応戦しろ。総員、白兵戦用意。艦内に入った敵を一掃するんだ」

 言いながら、ディー・ナインは艦内のモニター画面をつぶさに見ていた。

 格納庫へ向かう通路を走る轟・アルベルンを、ようやくのことで見つけた。

 自分の分身のような存在。自分の過去に繋がる唯一の存在。その手がかりを、ディー・ナインはどうしても失いたくなかった。

 次の瞬間、また艦内が大きく揺らいだ。違和感のある震動だ。

「なにごとだ?」

「格納庫に、人型兵器が侵入しました」

「何だと? 事前に捕捉できなかったのか?」

「光学迷彩処理をした機体です」

 モニターに映った機体は、格納庫に侵入してハンガーの中で暴れまわっていた。サイズは、十五メートルくらいの機体だった。

 おそらく、捕虜の奪還に来たのだ。

 これを見てディー・ナインは矢も盾もたまらなくなった。

「ロイド副官、ブリッジの指揮をまかせる。私は、格納庫で戦闘の指揮を執る」

 そう告げると、彼はブリッジを駆け出した。


(オービル、無事か?)

 頭の中に、ウィルバーの声が聞こえた。ちょっと離れていただけなのに、安堵する声だ。無鉄砲な自分を戒める冷静な兄貴。この世でたった一人の肉親の声が届く。たったそれだけのことだが、それだけでオービル・ゼラーの口元には笑みが浮かんだ。その目元も笑っている。(無事だよ、兄さん)とテレパシーで返す。

「来てくれた。兄さんが、来てくれた」

「兄さん? ウィルバーか?」とデュビル。

「テンペストで、現在格納庫に侵入しました」

「あいつ、テンペスト操縦できたのか?」

 カズキが驚いていた。シュミレーターで、遊撃戦闘班のメンバーは一通りテンペストの操縦をやってみた。だが、カニグモのようなサポートがないテンペストは、操縦法を全て頭に叩き込まなければならない。ましてや、アリエル基地で独自に開発されたものは、独特なシステムがなされて覚えにくい。だからこそ、パイロットの第一人者はビリー・レックスだったのだが、アリエル基地で訓練をしていたメンバーの一部は操縦ができるのだ。今は、その一人がテンペストを動かしていた。いや、たぶんテンペストで出撃する、と言い出したのはきっとその人だ。オービルを救い出そうと逸る兄を同乗させて出てきたのだろう。

「操縦しているのはシンディ戦務長だ」

 オービルは、その人の顔を思い浮かべた。

「シンディ戦務長が来てくれたのか?」

「よし、いくぞ。格納庫で合流だ」

 先頭にデュビルを置いて、全員が駆け出す。

 日下は、銃をホルスターに収めた。そして、十六夜弥月のその手を掴んだ。

 少し冷たいけれど、滑らかな十六夜弥月の手に触れて、日下は自分の胸が震えるのを感じた。それは、十六夜弥月も同じようだった。

 手と手が触れて、その感触が二人の記憶をつないでいく。その手の温度、握る力の加減、指の絡み方。人と人が触れ合い、それが持つ感覚も記憶として刻まれているのだ。

 ハッとする十六夜弥月の、その表情が驚きから、徐々に穏やかに優しい微笑に変わっていった。その目元に慈愛が満ちていた。

 彼女の手を握って駆け出す日下の手を優しく握り返した。


 テンペストの狭いコクピットのメインシートに座っているシンディ戦務長は、まるで鬼神のような操縦で、ハンガーの中を破壊していた。ビームセイバーで通路をぶった切る。兵士が流れ出てくる入り口に向けて、バルカンを撃ち込んだ。

 そのメインシートのすぐ後ろ、殆ど申し訳程度に付けられた補助シートにウィルバー・ゼラーが腰をかけ、各モニターを凝視しつつ、オービル・ゼラーのテレパス反応を捜していた。

 最初、テンペストで出撃しようとそのコクピットに向かったのは、ウィルバーが先だった。しかし、少し遅れてきたシンディ戦務長が、

「あなたのテンペストの操縦評価レベルは、まだBランクでしょ。自慢じゃないけど、私の息子のレベルにも達してないわ。テンペストは、私が操縦する」

 と、言うタレ目がちのシンディ戦務長の優しい表情と、言葉は相変わらず一致しないし、その言葉にむっとしたが、ここで退くわけにいかない。

「内部に侵入したとき、どうやってオービルやセシリア隊長を見つけますか? 自分なら、オービルのテレパシーを感知できます。私も行きます」

 少し怒気を含んだウィルバーの台詞に、シンディを小さくを息を漏らした後、「行くわよ」とウィルバーを促したのだ。

 なんとしてもオービルを見つけなければならない。幼い頃から、たった二人で生きてきた。たった一人の弟で、たった一人の家族。生きるだけで精一杯だった二人の夢は、いつかその家族を増やすことだ。愛する人を見つけて、結婚して、そして子供が生まれたなら最高だ。

「見つけた! シンディ戦務長、オービルの意識を捉えました。このハンガーに誘導します」

「わかったわ、セシリアたちはいるの?」

「いえ、セシリア隊長は別行動です。でも、見つけます」

「頼むわよ」

 

 同様に広瀬隊長率いるタスクフォース、ファイアードレイク隊も、各ブロックに侵入していた。機甲部隊と歩兵部隊の混成チームを編成し、鮮やかな手際で侵攻していた。目指すは、機関部だ。

 広瀬は、ファイアードレイクの頭頂部から半身を出して情報収集に努めると、すぐに各チームへ指令を送った。

 機関部へ進めるごとに、敵の抵抗は厚くなる。

「B班、結城副隊長より暗号通信。毘沙門天、拝む」

 広瀬はこれを聞き、にやりと唇を緩めた。これは、B班がサブコンピューター室の制圧に成功したことを意味する。戦闘において、なにより重要なのは情報だ。それは財宝に匹敵する。その財宝の守護神に例えられる毘沙門天を暗号電文として使っているのだ。

 いずれにしても、コンピュータ室にアクセスできれば、艦内構成が丸わかりだ。加賀室長に情報を飛ばせば、更に詳細がわかるだろう。

「艦内情報、来ました」

「よし、A班、最短で機関部へ侵攻する」

 息巻いて、広瀬は猛然とファイアードレイクを進めた。飛行形態と戦車形態と二つのフォームを持つ、ファイアードレイクの本領発揮だった。


 セシリア、キース、ビリー、轟の面々はハンガー前に到着したが、その前に立ち塞がる敵兵集団の銃撃に、足止めされた。

 多勢に無勢の状況の中、こちらの弾薬も心もとない状態になってきた。

 ビリーが撃っていた銃の弾丸が切れて、空しく乾いた音を立てた。チッと舌打ちしてビリーは、その銃を投げ捨てた。応戦しているセシリアとキースの銃弾も間もなく切れるだろう。

 絶体絶命だ。

「八咫烏がここに呼べたなら!」

 叩きつけるような口調で、セシリアが出来もしないことを呟いた。それだけ追い詰められているのだ。

 言ってるそばから、セシリアの銃弾が切れた。

「……呼べるかもしれません。八咫烏」

 激しい爆音がするたびに、身を竦めていた轟が言った。

「トニーが気付いてくれたら」

「どういうこと?」

「説明している暇はありません。セシリアさんの八咫烏の機体ナンバーを教えてください」

 伏し目がちで消極的で、ウジウジしてて、はっきり言ってセシリアが一番嫌いなタイプの轟が、今の瞬間だけ妙に頼もしい。

 轟は、ポケットからミニサイズのタブレット端末を取り出すと、なにやらプログラムを立ち上げた。子供だと思われたのか、轟は大したチェックを受けずに監禁室に入れられ、このコンピュータも押収されなかったのだ。

「機体ナンバーは?」

 重ねて尋ねる轟、セシリアは胡乱(うろん)な気持ちを抱えつつも

「機体ナンバー、RCA00005よ」

 聞くと同時に、それを入力する。

「サポートAIの呼称は?」

「……DB」

 一瞬言い淀んでセシリアは応える。ちょっと怪訝な顔をして、轟はそれを入力した。

 その情報が送信されて、どこかに届いた。その返信情報をどきどきして轟は待った。

「少しでいいから説明して」

 業を煮やして、セシリアが詰め寄る。

「来た!」

 タブレット端末にリターン情報が入ってきた。

 轟が小さくガッツポーズをとる。

「バイロが送れる」

「バイロ?」

「僕とトニーとマシュー君とで作った八咫烏用の支援OSです。僕らが作ったから不安定ですけど」

「つ、使えんの? そんなものが」

「今はやってみるしかないでしょう?」

「それはそうだけど」

「バイロは、プログラムの名前です。もとは、トニーがシンディ戦務長を助けたいって言ってて作っていたものです。お母さんの役に立ちたいって。これは、トニーが遠隔操作できるように作ったものなんです」

「遠隔操作? それはAIをハッキングして乗っ取るってこと? 書き変えちゃうの?」

「違います。AIは、そのままです。それを支援するんです」

「よくわからない、どういうことなの?」

「今の戦闘機は殆ど単座でしょ。昔は複座が多かったらしいけど。バイロでつながった機体にプログラム上でトニーが乗り込んで遠隔で操作するんです。トニーのアバターが乗り込むって言った方がわかりやすいですか」

「?……」

「……トニーはお母さんを助けたいって、ずっと言ってました…でも、実際に戦闘機には乗れないから、プログラム上で八咫烏に乗って戦いたいって。いわば、バーチャル的に複座に乗り込むみたいな感じです」

「遠隔操作ってどうするの?」

「ラグマ・リザレックのシュミレーターとリンクさせます」

「操縦するのは、トニーなの? でも、彼は足が」

「石動さんが作ってくれた特殊シューズで、彼の脚の神経パルスを拾います。彼は、フットペダルを踏み込む筋力がないだけなんです。神経パルスでフットペダルの踏み込む加減を伝えますが、それには機体本体のAIにやってもらわなければなりません。だから、AIが、ハッキングしてなくなってもらっては困るんです。あくまで、機体のメインコントロールはしてもらわないと。だから、サポートOSなんです」

 轟は流麗に言葉を並べた。

「君達だけで、よくそんなことが出来たわね?」

「石動さんが、いろいろ教えてくれたんです。テストにも立ち会ってくれました」

 そう言ったとき、タブレット端末の画面が切り替わった。

 セシリアの八咫烏が起動して、動き出したのだ。一瞬でこのハンガーまでの飛行ルートがマッピングされた。侵入したファイアードレイクが入手した艦内構成のマップとリンクさせたのだろう。八咫烏は、最初ぎこちなかったが徐々に安定してきた。

「トニーのシュミレーターでの操縦評価は、ダブルA。撃墜モードにいたってはトリプルAですからね」

 まるで自分のことのように、誇らしげに轟は言った。彼にとってトニー・クライン・キッドマンは、いつの間にかかけがえのない友達になっていたようだ。そして、マシュー・ボイド。トムソン機関長の孫にあたる彼も、一緒になって作ってくれたのだ。エンジニアになるのが夢だというマシューの協力がなかったら、できなかったかもしれない。

「あと1分で来ます」

 轟がそう言い放つと同時に、かすかに八咫烏の聞きなれたエンジン音が聞こえて来た。

 キース・バートンの銃弾が切れた。残るはセシリアだけだ。だが、それも言ったそばから銃弾が切れた。抵抗する銃撃が減っていくごとに、敵の兵士が距離をつめてくる。

 一瞬、全員が悲壮な表情を浮かべた。

「来た!」

 轟が大声を上げると同時に、八咫烏が機銃を放ちながら飛翔してきた。轟たちを庇うように、その前面に徐々に降下してくる。トニーが操縦する八咫烏は、敵兵士を掃討していく。その動きは熟練のパイロットさながらだった。やがて、セシリア達が見守るなか、八咫烏が目の前へと着陸した。コクピットは、一見無人だ。

「セシリア、乗れ」

 顎で促すキースの言葉にセシリアが頷く。見ると、轟も頷いていた。その顔に達成感が浮かんでいる。

 力強く頷くと、セシリアはコクピットに乗り込んで発進させた。

 キャノピーを閉めると同時に、セシリアさん、と聞き覚えのある声が流れた。トニーの声だ。いつものAI、DBの声ではない。OSの起動画面のレイアウトやデザイン、そしてカラーリングが変わっている。轟が言っていたサポートOS「バイロ」とやらが機能しているせいなのだろう。

「八咫烏、お返しします。轟たちと無事に帰ってきてください」

「トニー、見事だったわ。ありがとう。絶対、絶対みんなで帰るからね」

「待ってます」

 その声が切れると、八咫烏に搭載されているAIの起動画面がいつものものに切り替わった。バイロが起動終了したのだ。

 コントロールがセシリアの手に委ねられた。機銃を掃射して、寄り付く敵兵を払い除くと、セシリアは八咫烏を垂直離陸させて、飛翔させた。

 辛くも、再び敵の戦闘機が飛来してきた。

「来なさい、みんなのもとに1機たりとも近づけさせやしない。全部撃ち落とす!」

 セシリアは操縦桿を握り直して、その手に力をこめた。

 八咫烏が敵編隊に向かって、反転飛翔していった。

「ぼやぼやしている暇はない、行くぞ」

 セシリアが敵兵士を打ち倒して開いてくれた通路を、キースとビリーを先頭にして全力で走る。ビリーは、走りざま倒れた兵士の銃を奪い取り、両手に構えた。轟もそれに倣う。

 走り続けて、緊張が続いてメンバーの息が上がってきた。

 そのメンバーの頭の中に、ウィルバー・ゼラーのテレパシーが流れてきた。

(テンペストで助けに来た。格納庫に来い)

 その声に、3人は一瞬、怪訝な顔を見合わせた。だが、次の瞬間にその顔がほころぶ。

「やった、助けが来た」

 希望が見えた。それが、挫けそうになった彼らの心を奮い立たせた。

 更に、突然轟音がしたかと思うと、百メートルほど前方で突如壁をぶち抜いて、ファイアードレイクが1台闖入してきた。

 突然の友軍の登場に、彼らは意気揚々となる。急いで、ファイアードレイクへと走り出した。

 五十メートルも進んだときだ。ファイアードレイクの砲塔が激しく動いて、ビーム砲を発射した。更に、機銃を連射している。

 敵と遭遇したようだ。キースが促して、通路の物陰に隠れ、様子を見た。

 ファイアードレイクは、激しく応戦している。どうやら、敵に当たらず苦戦している雰囲気だ。だが、轟たちからはファイアードレイクの蔭になって、その敵が見えない。

 必死に機銃を連射しているファイアードレイクが、突如として爆発した。

 敵の砲弾か何かが命中したようだ。全壊して爆発炎上するファイアードレイク。めらめらと陽炎のように揺らめく炎の奥に、数人の人影が見えた。集団で、ゆっくりと歩んでいる。

 新たな歩兵部隊か。炎を抜けて、その姿がはっきりしてくる。先頭に立っているリーダー格の人間が、屈強な集団を率いている。周りの人間より、身長が低い。が、誰よりも威圧的だった。不意にヘルメットのバイザーをあけた。

「轟・アルベルン、出て来い」

 そう声を張り上げて、通路に立ち塞がったのはディー・ナインだった。

 彼は、アーマードスーツを着込んでいた。いや、それは着込むというより乗り込むと言った方がいいかも知れない。小型ミサイル、レーザーカッター、ガトリングガン、その他ありとあらゆる歩兵部隊が身に付ける兵器を網羅した、殆どそれ自体が攻撃型ロボットのようだ。それを装着した一番小さなディー・ナインですら、その身長が2メートルに近い。後ろに控える集団は、更に1メートルは大きかった。その武装ロボットから、特殊ヘルメットを被ったディー・ナインがバイザーを開いて叫んでいるのだ。

「轟、お前はここから返さない。お前は、僕の記憶を取り戻す最後のよすがだ!」

 ゆっくりと声を張りあげて、ディー・ナインが歩を進める。ガシャンガシャンと金属の擦れ合う足音が、雑音に紛れて近づいてくる。

 突如、そのディー・ナインのバイザーが強制的に閉じられて、警報を出した。殆ど反射的にディー・ナインは前方へと飛び出した。まさに、今ディー・ナインが居た位置に、光の塊が落ちてきた。

 それは、テンペストが振り下ろしたビームセイバーだった。集団の半分がそのビームで灼かれたが、ディー・ナインはかろうじてそれをかわしていた。むしろ、その加速で一気に、轟たちが身を潜めている通路に躍り出た。

 そのスピードにつられて、キースとビリーが銃を連射するが、ディー・ナインが乗るアーマードスーツの装甲には通用しなかった。

 そのパワーに乗じて、キースとビリーを跳ね飛ばし、ディー・ナインは一気に轟の詰め寄り、その手で轟の身体を掴んだ。

 自由を奪われて、もがく轟をディー・ナインは自分の顔の前に持ってくる。まじまじと、轟の顔を見る。見れば見るほど、自分とそっくりな少年。

「記憶がない、ということがどれだけうすっぺらで頼りないか、わかるか? 自分が何者か、いい奴なのか、悪い奴なのか、親はどんな人だったのか、兄弟はいたのか、今、ただここにいるだけの僕には、なにもわからない! 僕を知っている人間も、思い出もない! 自分の足元がいつも揺らいでいる。そんな不安な毎日が、君にわかるか? 僕は、この世界にいていいのか? それすらも自信がないんだ」

 ディー・ナインは一気にまくし立てた。轟は、あがきながらもそれを聞いている。だが、その表情に浮かんでいるのが、相変わらず嫌悪感だということがありありとわかる。その表情を見る度に、ディー・ナインは自分が、轟から受け入れられないことを知る。しかし、それでも聞かずにはいられない。ギネル帝国は、ラグマ・リザレックを追撃すればわかるかも知れない、と言ったのだ。

「教えてくれ、轟!」

 ディー・ナインが、更に轟を自分の顔の前に持っていった。

 そのとき、またアラームが鳴った。背後から匍匐前進でキースが、にじり寄っていた。そのことに反応した。ディー・ナインは、地面を這いつくばっているキースに即座に反応して、その踵で蹴り上げた。

 叫び声をあげて吹っ飛ばされるキース。殆ど、蹴られると同時に銃の引き金を引いた。いや、わずかながらにキースの銃弾が早かったようだ。

 キースの放った銃弾は、ディー・ナインのアーマードスーツの左肘ジョイント部分に命中し、轟を押さえ込んでいるアーマードスーツの力が緩んだ。

 キースは、通路の手摺にぶつかって、意識を失いかけていた。息子にも重なる轟が、ディー・ナインを殺してくれ、と言っていた。親父なら、それくらいの願いは叶えてやらなきゃな、そんな思いがキースの中に宿っていた。

「キースさん!」

 轟が叫んだ。キースは、ぐったりして動かなくなった。

 轟が、真っ直ぐにディー・ナインを見つめた。自分と同じ顔。気持ち悪い。

「教えてやる、教えてやる! お前は、僕のクローンだ。これが、証拠だ」

 轟は、自由になった右腕をディー・ナインの顔をめがけて放った。バイザーのセンサーが反応して、即座に閉まる。しかし、轟の右腕はサイボーク義手だ。バイザーを割り、ディー・ナインの額を割った。

「お前は、僕がギネル帝国で失った右腕からつくられたクローンだ。記憶がある訳がない!」

 轟は言い放った。その言葉は、ディー・ナインに額の痛みとともに、いや痛みよりも数倍も強い衝撃を与えた。

「お前は、誰からも望まれて生まれた存在じゃないんだ。この世界にいることが許された人間じゃないんだ。だから、だから、もう僕に関わるな! 僕の知らないところで、勝手に作られたクローンなんて、勝手に作られたクローンなんて気持ち悪くてしょうがない。大嫌いだ!!」

 轟の言葉が、次々とディー・ナインの心に刺さっていく。心がメッタ刺しだ。

「うぁぁぁぁぁああ」「うぁぁぁぁぁああ」

 叫びが二つ重なった。ひとつは、ディー・ナインだ。轟の言葉で、この世界そのものから拒絶されたディー・ナインの絶望の叫びだ。このまま、気が狂ってしまうかと思うほどの叫びだった。

 もうひとつは、テンペストから飛び出して走り来るウィルバー・ゼラーの雄叫びだった。彼は白兵戦用のビームセイバーを構え、突進していた。その白刃がアーマードスーツの背中を焼いた。

 ディー・ナインは、いまだに叫び声をあげたまま、床に捨てるように轟を振りほどいた。割れたバイザーの中には、額から血を流しているディー・ナインの顔があった。

 これ以上ない苦悶の表情だ。それは肉体的な痛みだけではなく、精神的な痛みとして、全世界からその存在を拒否された少年だけが浮かべた苦しみだった。

 その苦しみは誰も理解できない。そして、誰も同情すらしてくれない。それが一瞬にしてわかってしまった。轟の言葉を嘘だ、と拒否したかったが、轟の口にしたことが真実だということを、遺伝子レベルで理解してしまった。それは、自分の右腕のせいなのか。

(……クローン人間なら記憶がある訳ないじゃないか。僕は、全世界からつまはじきにされた、まるでピエロじゃないか。この世界から拒否されたのか、この僕は)

 愛してくれる者も、愛する者もいない。ただ、このラグマ・リザレックを追撃されるためだけに作られたクローン。ディー・ナインは、この宇宙でたった一人ぼっち、誰とも縁を持たない。自分を誰も認めてはくれないのだ。

 ……そういえば、自分はテロメアが短いと聞いた。自分の命は、短いのだ。

 ならば、とディー・ナインは思った。

 自分は全世界から拒否された。ならば、自分は全世界に復讐してやる。こんな自分を生み出した轟に復讐してやる。

 狂気に陥る一歩手前で、ディー・ナインは踏みとどまった。思考が冷静さを取り戻した。

「轟・アルベルン」と呼びかけて、ディー・ナインは冷酷な笑みを浮かべた。「わかったよ、僕は君のクローンだ。君が僕を拒否することもわかった。君は決して僕を受け入れないんだね。ならば、僕は復讐するだけだ。僕は、ラグマ・リザレックを破壊する。そして、乗組員全てを虐殺する。君に大事な人がいるならば、それを全部殺してやるよ」

 床に倒れこんだ轟に、ディー・ナインが宣言した。その瞳に宿る光が先ほどとは違ってみえる。相も変わらず同じ顔だ。同じ顔のはずなのに、ディー・ナインの顔が違って見えた。復讐を誓ったディー・ナインが浮かべた表情は、嘔吐感を覚えるくらい醜く見えたのだ。あんな表情をする自分と同じ顔のディー・ナイン。轟は憎しみに震えた。

 銃声が、右上方から乾いた音をたてた。銃弾のいくつかがディー・ナインに命中していた。しかし、アーマードスーツで、それは全く効果をなさない。唯一、壊れたバイザーを掠めた銃弾が2筋の擦過傷を作った。紅い血の線がディー・ナインの右頬に付いた。

 おもむろに右腕に装着された小型ミサイルを、ノールックで発射した。

 銃を発射したのは、日下達だった。彼らは、ようやく合流できたのだ。

 そして轟たちのピンチを見つけて、即座に銃で援護した。その彼らに、ディー・ナインは小型ミサイルを放った。反対側の通路を破壊した。がらがらと崩れ落ちる瓦礫と一緒に日下やデュビルたちが落ちそうになった。それを間一髪でテンペストが、両の手で掬い取って、ディー・ナインに背を向けて彼らを庇った。

 その様を見て、ディー・ナインはフンと鼻を鳴らした。ああやって、仲間を庇う行動がディー・ナインにとっては、いちいち鼻に付くようになった。

 更に近くから、銃弾がディー・ナインを襲う。さきほど蹴り飛ばしたキースだった。

 一度ならず二度も抵抗する。こいつはもう殺さずにはいられない。冷徹に、ディー・ナインは、キースに向かって銃弾を叩き込んだ。1発、2発、3発。銃弾が、血しぶきを出して、キースの身体を貫通していった。呻きともに、キースは持っていた銃を落として、力なく倒れた。

「キースさん!」

 轟の悲痛な叫びが、ディー・ナインの耳朶をうった…心地よかった。轟が泣き叫んでいた。

「キースさん! キースさん!」

 何度も叫ぶ轟の声を聞き、ディー・ナインは快哉を覚える。そうだ、こうやって轟の仲間を殺していくんだ。何人も、何十人も、何百人も殺してやる。

 ディー・ナインの顔が更に醜く歪んだ。踵を返して、アーマードスーツのバーニアを点火した。彼は、自分が轟のクローンであることを最大限に利用しようと考えた。

 敵のRPAの1機を奪い取って、敵艦に侵入する。轟を装って、近づいた人間を次々と殺していく。誰しもが、轟に殺されたと思うだろう。結果、あいつは還る居場所をなくす。そして、ディー・ナイン本人の結果が死ぬことになったとしても、満足できる気がする。いや、今はとにかく、そうしたくてたまらない。ウズウズする。

「十六夜補佐官、僕は敵のメカでラグマ・リザレックに侵入して、内部から破壊する。補佐官は、メイオウで攻撃してくれ」

 そう通信に言い残すと、ディー・ナインは加速してハンガーに向かった。通信が、十六夜弥月に届いているかいないか、その命令に彼女が従うかどうか、それはどうでも良かった。

 ファントムペイン。

 医学用語で、切断されて失ってしまったあるはずもない四肢が痛むという症例。それは別名で幻肢痛とも呼ばれる。ディー・ナインはまさに、轟のファントムペインだった。失った自分の右腕が、この上ない痛みを生み出そうとしていた。



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