第十二章 道連れ
銀河系より2千光年離れた位置に、ツインジュピターと呼ばれる二連星がある。この惑星は、色彩や素成分が全くといっていいほど太陽系の第五番惑星、即ち木星のそれと酷似していた。
その重力場は強大で、SWナビゲーションですら影響をうけるほどである。
SWN。即ち亜空間ワームホール航行は、重力に影響を受けにくいとされる超空間高速航行だ。現在ポイントと目標ポイントを、ワームホールによる座標で固定した時に初めて可能になる。
ツインジュピターにおいては、その座標軸さえも歪め、狂わせてしまうほどの超重力が発生していた。
そんな条件下で、SWNサーフェスアウトしたラグマ・リザレックは、まさに幸運と言えた。予定ポイントとの誤差は、距離にして〇.二光年。上出来だった。
ラグマ・リザレックは今、慎重を期すべく少し速度を落としながら航行していた。
既にラグマ・リザレックの航行艦橋のメインモニターには、ツインジュピターの全景が映し出されていた。
人々はツインジュピターの壮観な光景に、目を奪われた。
木星並みの巨大惑星が、二連星と言う構造を成して浮かんでいる姿は、壮大で宇宙の神秘そのもので、人智の及ばない力をまざまざと見せつけていた。
今、メインクルーは航行艦橋に集い、今後の航海プランの打ち合わせを行っている。
「大倉航海長、これは迂回ですかね?」
技術室長の加賀が尋ねた。
「それしか、手はありません」
「大倉航海長、状況を説明してくれ」
山村はモニターを見つめながら、大倉航海長に説明を求めた。
「わかりました」と、答えて大倉は一歩前に出た。
情報パネルの前に立ち、説明を始めた。
「これがツインジュピターの全景です。本艦ラグマ・リザレックは、現在この位置にあります」
大倉がレーザーポインターで、それを指し示すとパネルにツインジュピターとラグマ・リザレックの位置関係が表示された。
「便宜上、この二つの惑星の右をライトジュピター、左側をレフトジュピターと呼称します。これを見て解る通り、本艦はライトジュピター寄りに位置している。距離にして、2千コスモマイルです」
なるほどパネルの簡略図のラグマ・リザレックの位置は、大倉航海長が説明した通りだ。
「ツインジュピターの超重力は、半径五百コスモマイル圏内で、これ以上接近すると超重力に捕まって、圧潰する。我々は、相応の距離を保ちながら航行し、このライトジュピターを迂回する」
一度言葉を切って、大倉航海長は一同を見渡した。パネルに、設定された航路に従い進んで様子がディスプレイされた。それを見て、各クルーの表情に、緊張が漲った。
山村艦長が、ゆっくりと頷いた。
「要は、この重力圏に入らなければいいわけだ」
大倉航海長が再び言葉をつないで、最後は白い歯を見せて笑った。その笑顔を見て、皆の肩の力みが、少しだけ取れたようだった。
「なにか質問は?」
全員が、黙ったまま力強く頷いた。
「よろしい。では、全員部署につけ」
ラグマ・リザレックは、ライトジュピターに向けて、転針した。
デュビル・ブロウ中佐は、哨戒艇でギネル帝国旗艦ゴルダへと移動した。
ゴルダでツイン・ジュピターを利用した新たな作戦プランを立てようとガデルを中心に、デュビル・ブロウ、レイビス・ブラッドと望月弥月ら代表が集まることになったのだ。
案内役兵士の敵愾心剥き出しの視線を不快に思いながら、デュビル・ブロウは作戦室に通された。
そのドアをくぐると、既にガデル少将とレイビス司令そして望月弥月補佐官が、デュビルを待っていた。
デュビルは誰にともなく軽く頭を下げ、そして周囲を見渡した。
「これで揃ったな」
ガデル少将が一同を見渡すと、椅子からゆったりと立ち上がった。そしてその場にいた兵士に対して、軽く顎をしゃくって合図した。兵士はつかつかと壁ぎわに歩んで、そのスイッチを操作する。
床全体がパネルとなり、薄暗い部屋の中に淡い光が灯った。
「これより、このツインジュピターを利用した巨艦ラグマ・リザレック殲滅プランを立てようと思う。まず、僭越ではあるが、私が考案したプランの概略を説明する」
ガデルはレーザーポインターを手に持って、床のパネルへと歩み寄った。
「ツインジュピターは、諸君らも充分知っての通り、強大な超重力を持つ二連星だ。この周辺ではSWナビゲーションすら、重力で座標軸を歪められてしまう。故にここは、通常空間を迂回せざるを得ないわけだ。そこでだ」
ガデルは、パネルに示されているツインジュピターと巨艦の位置を示す光点を見比べながら、言葉を続けた。
「報告によれば、巨艦ラグマ・リザレックはライトジュピターを迂回しようとしている。我々は、まず艦載機で巨艦の動きを止めた後、右舷側と後方から砲撃を加え、しかる後にツインジュピターの重力圏に追い込む。まず、大概の艦ならば、これだけで充分なのだろうが、相手はラグマ・リザレックだ。万全を期すために、更に奥の重力圏内に追い込みたい」
そこでガデルは、ちらりとレイビスに視線を送った。そして、再びパネルへ視線を転じて、ライト、レフト両ジュピターに挟まれている中間点を指し示した。
「このポイントは、ツインジュピターの重力が最大に働く地点で、ここをヘルグラビティポイントと呼称する。ここへ巨艦を追い込めば、後はツインジュピターの超重力が巨艦を葬ってくれるだろう。幸い本艦には、超重力潜航艇が搭載されている。崩壊したラグマ・リザレックの回収はそのDSRV(潜航艇)で行うことができるだろう」
ガデルは言葉を切って、再び一同を見渡した。
「という作戦だが、如何かな?」
デュビルとレイビスは、互いに頷いた。それを受けてガデルも重々しく頷いた。
「よろしい。では、次に作戦シフトを決めよう。ギネル艦隊は右舷からの攻撃ポジションを取ろうと思う。デリバン連合王国艦隊は」
「後方からと言うわけですね」
デュビルがガデルの言葉尻を継いで答えた。
「そして、重力圏内に誘い込むのはアガレスにお願いしたい。反次元エンジンの出力ならば、可能でしょう」
レイビスは、無言のままこくりと頷く。
「では、作戦に移りたい」
ガデルの言葉が終わると同時に、レイビスと望月は作戦室を足早に出ていった。その背中に冷徹な表情とは裏腹に、気合のこもった熱い情熱が感じられた。CAきってのエリートと称される彼が、二度の作戦行動で目的を完遂できなかった。これは、彼にとって相当プライドを傷つけられたに違いない。
スライドするドアが自動で閉まると、デュビルはガデルの横顔を見直した。
「なにかね?」
ガデルがデュビルの視線に気付いて訊いた。
「いえ」
デュビルは一瞬言葉を濁したが、改めて尋ねた。
「ガデル少将、やはり、まだ記憶は戻らないんですか?」
その質問にガデルは、視線を緩めて鼻白んだ。
「……まだだ」
記憶喪失の鬼将軍。一体彼の記憶の奥底には、なにが埋もれているのだろう?
そしてそれが甦ったとき、彼はどんな行動をとるのだろう?
「過去のことは、何一つ思い出せませんか?」
「そうだが、ただ……」
「ただ?」
「夢を見る。その回数が少し増えているようだ」
「夢?」
「そう、ただ真っ白い中に私がいて、なにかに苦しめられている…拷問されているような、そんな夢だ。くだらんがな」
「拷問?」
デュビルはまじまじとガデルの顔を見た。彼の左頬にのびる傷痕が妙に生々しく思えた。
「あなたには、ご子息は…いえ、お子さんはいないのですか?」
ガデルは、無言でかぶりを振った。そして一言「わからん」と寂しげに呟いた。
しばし沈黙が流れた。
「デュビル・ブロウ、デリバン連合王国艦隊を率いて、作戦行動に入ります」
デュビルは沈黙を振り払うようにあえて大声で申告した後、ガデルの瞳をしっかりと見据えたまま、敬礼を送った。
デュビルの心の中には、ガデルが見せた左腕に真一文字についていた傷痕が脳裏に刻まれていた。
デュビルもまた作戦室から出ていった。部屋には、ガデル一人が取り残された。
「敵機襲来! 総員、戦闘配備。繰り返す。総員、戦闘配備」
ラグマ・リザレックの宿命なのだろうか? クルーに安らぎを与える事無く戦闘に巻き込まれてゆく。ギネル・デリバン両艦隊は追撃をあきらめない。
山村は、すぐさま艦長席についた。
メインモニターに映ったのは、数百はあろう艦載機の群れだ。
「前方へ、水平射撃。対空戦闘用意」
「山村艦長!」
艦長席の連絡モニターに、シンディ・キッドマンとセシリア・サムウォーカーが映っていた。
「山村艦長、八咫烏隊に出撃命令を」
「ダメだ。重力圏との距離がなさ過ぎる。艦載機戦闘は危険だ」
「しかし、艦長、敵機があれだけ襲来しているんです」
「いかん! 八咫烏隊は、貴重な戦力だ。やみくもに発進して失うわけにはいかんのだ。シンディ、セシリア両名は戦闘艦橋に行ってアイザック戦務長のサポートに入れ。他の隊員には、機銃について、対空戦闘を仰がせろ」
山村艦長は断固としてシンディ、セシリアの申し出を受け付けなかった。
「右舷後方三十コスモマイルに敵艦隊、および艦載機編隊の後ろにも艦隊を確認」
ジュリアが報告してきた。
「ファイアードレイク隊、および遊撃戦闘班は近くの機銃、対空砲について対空戦用意」
アイザック戦務長の胴間声が、全艦内に響いた。艦内の通路が人の動きでごったがえす。
カズキ・大門は銃座に着き、手早くシートベルトで体を固定すると手前のターゲットモニターに目を向け、いつでも射撃できるように態勢を整えた。
「来るなら、きやがれ」
カズキは大きく息をつくと、緊張していると自覚しながらトリガーを握る手に力を込めた。
一方で、轟・アルベルンは、左舷の銃座に着いた。
轟は山村艦長とアイザック戦務長のアナウンスから、右舷の比べて左舷の方が敵が少ないと計算していた。
轟の心の中から、恐怖という感情が遠ざかることはない。彼の胸に緊張の波が押し寄せて、鼓動が早鐘のように鳴った。
(来るなよ)
轟はターゲットモニターが敵影をキャッチしないようにと、必死に祈った。
(奈津美さん。こんな過酷な場所に行こうとしてたなんて、バカだよ。奈津美さんは誰かを守るためなら、強くなれるなんて言っていたけど、そのあなたが死んじゃったらどうするんだよ。奈津美さん、本当は、日下さんの側にいたかったんでしょう)
轟の心に奈津美の笑顔が横切った。慌てて、轟はいやいやをするように、首を振った。
(…ごめん)
奈津美のことを悪く言ってどうする。彼女は自分の気持ちに真っ直ぐに、そして正直に生きたのではないか。そんな奈津美のことを、轟は好きだったのだ。恋なんて、そんな明瞭な気持ちではないかもしれない。でも、不意に轟を抱きしめてくれたその時の感触と温もりは、轟の中に今も残っている。轟が死ななければ、その記憶は死なない。奈津美のことを記憶からも死なせないために、轟は懸命に生きるしかないのだ。
轟はターゲットモニターをキッと見据えて、トリガーに指をそえた。
日下は、司令艦橋の副長席にいて、山村艦長のサポートに入った。
ラグマ・リザレックは、宇宙船タイプのラグマ・ヒュペリオン、戦艦タイプのラグマ・クロノス、そして空母タイプのラグマ・レイアの三つの艦がドッキングして成り立つ。
先頭のラグマ・ヒュペリオンは航行に関わる中枢だ。巨艦の操艦オペレーションは基本的にこの艦の航行艦橋にて行われている。ここには、大倉航海長が責任者として全体を統率しているのだ。
「大倉航海長、重力圏外の距離だけは必ず保てよ」
山村艦長が、檄を飛ばす。
「了解」
力強く明瞭に、大倉航海長は答えた。自分たちの操艦技術が、ラグマ・リザレックの運命を左右するのだ。
「航海班全員に通達。ツインジュピターの重力圏を条件下に於いての戦闘だ。些細なミスも命取りになる。特殊な状況ではあるが、日頃の訓練通りの力を、各員が迅速にこなしてくれれば、充分に遂行出来るオペーレーションだ。諸君の健闘に期待する」
大倉航海長のアナウンスが、航海班のクルーに力を与えた。
「敵編隊接近、距離六百、五百、四百、三百」
レーダーオペレータのジュリアのカウントが続いていた。
「対空砲、掃射用意」
アイザック戦務長の号令が走る。
「距離、二百」
「対空レーザー、掃射開始。続いて爆雷散布用意」
「爆雷散布、用意完了」
「敵編隊に向けて、爆雷散布」
突然ラグマ・リザレックの両舷をかすめて、敵のエネルギー弾が流れていった。
「砲撃戦用意。目標、敵艦隊」
アイザック戦務長の指令が飛んで、ラグマ・リザレックの各砲塔が一斉に目標にターゲットを据える。
「撃ち方始め!」
赤いスペクトルの砲弾が延びて、漆黒の宇宙空間を切り裂いてゆく。
「後方艦隊の動きはどうだ?」
山村艦長の問いに、ジュリアがレーダーパネルを凝視する。
「徐々に接近中です」
「後方艦隊の接近に備えろ、後部ミサイル装填」
「了解」
「敵、対艦ミサイル着弾!」
敵の艦載機が一斉に対艦ミサイルを放ち、それがラグマ・リザレックに突き刺さった。数多く撃ち落としたが、それでも押し寄せる敵機の方が多かった。
「来たか」
カズキはターゲット内に敵機を捉え、対空砲を連射する。照準をつけた敵機は見事に光球と化した。
「よし」
喜びも束の間、編隊が次々となだれ込んでくる。
カズキの闘争本能と反射神経は敏感に反応して、次々と敵を撃破していった。
射程距離内に、敵機がインサイトしてきた。
轟はターゲットに映し出される敵影を認めると、一瞬体が硬直するのが自分でも判った。
緊張が全身を支配して、息苦しい。脈が不規則に波打つようだ。
ターゲット内の敵が、あたかも轟の心臓を撃ちぬかんばかりのリアルさでレーザーを射撃してきた。
反射的に轟は対空砲の発射ボタンを押した。
「畜生、畜生、畜生」
叫び声を上げながら敵を追撃して、発射ボタンを押し続けた。
一機撃墜。それにより、ようやく冷静さを取り戻した。射撃の精度が上がって、的確になってゆく。
「対艦ミサイル、更に着弾」
ラグマ・リザレックの全身が、バリアーフィールドに包まれた。だが、どうしたことか、その出力が上がらない。先の、亜空間戦闘での影響かノーマルエンジンの吹け上りが悪い。その上、艦内のエネルギー供給が安定していない。修復は完了したはずだが、今の攻撃を機に不具合が生じたようだ。それだけ、亜空間での敵の集中攻撃は凄まじかったのだ。
「日向応急長、エネルギー供給が不安定だ。至急、安定させろ!」
「了解」
機関長席コンソールの連絡用モニターに、日向応急長の精悍な顔が映った。四十八歳。背が高く、体格もがっしりしている。見た目は、年齢よりもずっと若々しく見える。トムソンと並んで立つと、頭二つ分も違う。頭髪も黒々と豊かで、これもトムソンと逆だ。機関員としての腕はいい。若手のいいまとめ役だ。
トムソンは、機関室に通信を繋いだ。
「機関室、ノーマルエンジンの吹け上りが悪い。機関チェックだ。急げ」
「こちら、日向。供給バルブの不具合を二〇個所、発見しました。至急、対応します」
「日向応急長、バリアーフィールドが安定しない。このままでは、バリアーが破られるぞ!」
「了解」
モニター越しに頼もしく返事を寄越したが、その顔には緊張が漲っていた。トムソンへの報告以上に事態は深刻なのかもしれない。しかし日向応急長は、強い意志でやり遂げようとしている。
だが、事態はそれを許さなかった。
バリアーフィールドが破られた。敵の火力が、それを上回っていた。
ラグマ・リザレックのあちこちから、被弾状況が報告されて来る。
「艦長、前方一〇時から、二時方向に敵艦隊が展開、航路が完全に塞がれました」
大倉航海長から、司令艦橋に報告が届いた。
山村艦長の席の3Dディスプレイに浮び上がった大倉航海長の顔に、焦りの色が窺えた。
「艦長、このままでは先に進めません」
「かといって、停止するわけにもいかん。後方艦隊と左舷からの攻撃がある」
トムソン機関長が、諭すようにそう言った。
司令艦橋に慄然とした空気が流れた。その間に、敵の攻撃の明滅が繰り返される。
「左舷、二〇番から二五番、制御スラスター損傷」
「第三砲塔損傷」
「右舷、SBM三十四番ブロック、発射不能」
次々と報告される被害状況は、山村艦長の胸を掻きむしった。じりじりとした切迫感が、彼を追い詰める。
「エンジン出力の回復の目途はどうか?」
「応急長より修復タイム設定、あと五分」
トムソン機関長が、自席のカウンターに表示ざれた修復タイムを読み上げた。
「五分? いけるのか?」
「日向応急長が設定したタイムです。必ず残り5分で修復します」
トムソン機関長は,日向応急長に絶大な信頼を寄せているようだ。
「よし、修復完了と同時にプラズマプロトン砲を発射する。アイザック戦務長、プラズマプロトン砲発射準備」
山村の決断がなされた。
五分が経過した。
「機関、修復完了しました。プラズマプロトン砲、エネルギー充填します。しかし、現時点では充填に時間がかかり、連射ができません」
トムソン機関長が山村艦長を振り仰いだ。日向応急長は、設定どおり修復したのだ。だが、パーフェクトとはいかなかったようだ。それでも、指示したプラズマプロトン砲は使用できる。
「発射後の推進エネルギーはどうか?」
「推力、八〇パーセントダウン。航行最大戦速までの再臨界まで三分」
「プラズマプロトン砲のエネルギー充填は八〇パーセント出力で行う。後方敵艦隊を振り切る余力を残しておく」
「了解」
プラズマプロトン砲は、陽子を一定エリアの中を激しく飛び交う状態にして、前方に圧力をかけて目標に発射するものだ。そのコース上にあるもの全てを、原子レベルで破壊してしまう兵器だ。
プラズマプロトン砲の発射に備え、ラグマ・リザレックは対空砲を除いて、全てのエネルギー火器を停止した。エンジンも出力をセーブする。
敵の攻撃が容赦なくラグマ・リザレックを揺さぶる。
「エネルギー充填八〇パーセント、臨界!」
トムソン機関長が、山村を振り仰いだ。
「戦闘艦橋アイザック戦務長、発射三十秒前」
「了解しました。ラミウス砲雷長、プラズマプロトン砲、発射三十秒前」
「わかりました」
若いが照準に絶対の自信を持つラミウス砲雷長が、そのトリガーを担当した。
前方からガーガン・ロッツが差し迫っていた。
カズキは必死になって対空砲を撃ち続けた。
ダダダッ! ダダダッ!
断続的に唸るレーザー対空砲。しかし二機のロッツはそれをかい潜り、ぐっと距離を縮めてきた。
ターゲットスクリーン内のそれが、ミサイルを放つのが見えた。
バーンッ!
近くに被弾したらしい。カズキの右側から爆風が吹き寄せて、彼の体を宙に飛ばした。
「オワーッ!」
カズキが反対側の壁にぶち当たった。左肩に激痛が走った。鎖骨にひびが入ったか、折れたかしたらしい。
「この野郎‼」
罵声を吐いて、カズキは右手で左肩を押さえながら、よろよろと立ち上がる。額に脂汗がじんわりと浮かんでいる。だが、それでもカズキは、再び対空砲の発射席へと歩んだ。
左腕は自由にならなかった。ただ痛みが体を貫くだけだ。
「俺は、死なんぞ。俺は生きるんだ。生き抜いて、地球に帰るんだ。俺にはやりたいことがたくさんあるし、待っている人だっているんだ。どんなことがあったって、死んでたまるか。くたばるものか」
カズキは右腕一本で、発射ボタンを押し続けた。
ラミウス砲雷長は、プラズマプロトン砲の発射トリガーと、今までにない緊張を同時に握りしめていた。
「発射二十秒前。目標、前方ギネル帝国艦隊」
戦闘艦橋にアイザック戦務長のアナウンスが流れる。
「誤差修正、左二度。上下角プラス三度」
スコープ内を凝視しながら、慎重に報告した。ラミウス砲雷長は、小さく息を吸い込んだ。
「発射十秒前、機関停止」
ラグマ・リザレックのメインエンジンはいまだ稼働していない。まだ不安定さを抱えるノーマルエンジンのみのエネルギー供給量では、発射後の動きに支障が出る可能性がある。この分のエネルギーを温存すべく、ラグマ・リザレックは航行のための機関を一旦停止する必要があった。
「エンジン圧力ダウン。機関停止」
「トムソン機関長、発射後すぐに機関始動だ。できるな」
「了解しました。機関部、腕の見せどころだ。しっかりやれ!」
トムソン機関長が、エンジンルームの機関部員に発破をかける。
その瞬間だった。ラグマ・リザレックに衝撃が走った。艦が大きく揺れた。
「なに?」
ラミウスは思わず各モニターに目をやって、何事が起きたのかを探った。だが、それを確認する間もなく、ラグマ・リザレックは大きくツインジュピターの重力圏に向かって引っ張られていた。
プラズマプロトン砲の発射は中止された。
「どうしたの? なにが起こったの?」
戦闘艦橋でサポートに入っていたシンディが叫んでいる間も、ラグマ・リザレックはどんどんツインジュピターへ引っ張られていく。
「機関長! トムソン機関長! エンジン始動、出力全開!」
大倉航海長が、マイクに怒鳴った。
戦闘艦橋で同じくサポートについていた広瀬大吾が、ようやく状況を把握した。
「重機動要塞だ! あいつが、アンカーを打ち込んでツインジュピターの重力圏内にラグマ・リザレックを引っ張り込んでいます」
「エンジン出力全開。このまま一気にヘルグラビティポイントへ引き込め」
メインスクリーンに前のめりになって、レイビスは指示を出した。
重機動要塞アガレスはデュビル・ブロウ中佐率いる艦隊の更に後方から、ラグマ・リザレックがエンジンを停止するのを見計らって突進し、アンカーを打ち込むと反次元エンジンの出力にものを言わせて、巨艦を引っ張り込んだ。
重機動要塞アガレスは全長二〇〇〇メートル。ラグマ・リザレックと肩を並べる巨大さだ。
故にアンカーを打ち込んで、巨艦を引っ張るというのはあながち無謀なことではない。反次元エンジンの出力を考えると尚更だ。ましてや、ラグマ・リザレックはエンジンを停止していたのだ。幸運はアガレスに作用したようだ。
ガクンと、アガレスに制動がかかった。ラグマ・リザレックが、制御ノズルを噴射して抗っているのだ。
「後部ミサイル、制御スラスターを潰せ」
「後部ミサイル照準! ッてーッ!」
望月補佐官が、発射を指示した。
「重力圏内まで、あと十秒」
アガレスは淡々と重力圏内へと進む。更に抵抗がかかった。ラグマ・リザレックのエンジンが点火したのだろう。
「だが、もう遅い!」
レイビスはモニターの巨艦に向かって叫んだ。
「重力圏、突入しました」
重力の影響でアガレスも、徐々にツインジュピターへ加速を始め、不規則な震動が艦を揺さぶり始めた。超重力の掌の中に入り始めたのだ。
その中心点ヘルグラビティポイントに入れば、いかにラグマ・リザレックであろうと押し潰されるのは必至だろう。
「アンカーを切れ! 脱出態勢」
レイビスの指示により、アガレスのアンカーが切断された。
「上昇角七〇、反次元エンジン最大パワー。速度一杯」
アガレスは上昇を開始した。ツインジュピターの重力は、それすら逃がさないようにその圏内の中に引き込もうとしている。
しかしアガレスのパワーは、それを振り切った。
だが、ラグマ・リザレックはそうはいかない。メインモニターに、重力に翻弄され引き込まれていくラグマ・リザレックが映っている。
「浮上させるな、ミサイルを撃て」
レイビスは、万に一つもラグマ・リザレックに生き延びる可能性を与えようとはしない。
だが、その重機動要塞に衝撃が伝わった。艦が揺れ、次に急激な抵抗が加わり艦が停止した。
「巨艦が本艦にアンカーを打ち込みました」
「切断しろ」
ラグマ・リザレックが、アガレスにアンカーを打ち込んで、しがみついてきたのだ。
アンカーは次々打ち込まれた。巨艦ラグマ・リザレックは、3本、4本と打ち込んでくる。
まるで「カルネアデスの板」だ。海に浮かんだ一枚の板。一人であればそれにつかまり、沈まずにすむ板に、二人がしがみついた。生きるためには、どちらかが蹴落として一枚の板を独占しなければならない。まさにそんな状態だ。
ずりずりとアガレスとラグマ・リザレックが、重力の底へと落ちていく。このままだと、アガレスも同じ穴のむじなとなっていまう。かといって、浮上に全力を尽くせば尽くすほど、それは巨艦を救い上げることになってしまう。
「私がRPAで出て、敵のアンカーを切除します」
望月弥月が、レイビスに向かって進言した。その瞳には、決意が溢れていた。
「しかし、それはあまりに危険だ」
望月補佐官は、ツカツカと艦長席のレイビスの脇へと歩んできた。
重機動要塞アガレスが震動する。ラグマ・リザレックの抵抗に危険度が上がっている。
望月はレイビス脇に立ち、前方のモニターを凝視する横顔に向かって呟くように言った。
「牽引ビームで、私を捕まえてフォローしてください」
状況から言って、彼女の言う方法が最も現実的だ。だが、牽引ビームでフォローしてもこの重力下では、それは殆ど気休めだ。
レイビスが、その場に立ち上がり、望月と向かい合った。その瞳を見つめ返した。
「わかった。フォローに全力を尽くす。RPAによる切断を頼む」
そのレイビスの言葉に、望月弥月はにっこりと笑った。その言葉を待っていたようだ。不意に望月はその右手を伸ばして、レイビスの頬に触れた。
「レイビス、私はCAS。あなたをサポートするためにアプリケーションパッケージ慈愛の処置を受けた。その慈愛のせいなのかしら……レイビス、あなたを愛しているわ。あなたのためなら、死ぬことだって怖くないわ」
彼女の瞳が潤んでいた。その瞳の奥には、覚悟と同時にそれこそ慈愛が溢れている。彼女の言葉は真実だ。
「…レイビス」
望月はレイビスの名を呼び、そしてその唇に口付けた。突然のことで、レイビスはその目を閉じることもできなかった。身体に電撃が走った。
唇を離し、頬に触れていた右手もゆっくりと離した。そして、敬礼をすると望月弥月は、その場を駆け出し、RPAのもとに向かった。
やがて、オペレータからアナウンスが流れる。
「RPAアガレス、発進準備完了。発進します」
突然の口づけに硬直していたレイビスだが、その声に我に返った。
「牽引ビーム照射、RPAを捕捉しろ。絶対に離すな」
発したその言葉に熱がこもっている。自分でもそれが不思議だった。望月補佐官を見捨てる訳には行かない。自分の下に生還させなければならない。レイビスに初めて芽生えた感情だ。それが愛だと知るのは、まだずっと後の話だった。
たった一人で乗り込んだアガレスのコクピットは、機械音だけが響き渡り、心なしか肌寒さも感じた。しかし、それを寂しいとか、そんな後ろ向きな感情は湧き起こらなかった。全てはレイビス・ブラッドのため、そのためならばこの危険なミッションも厭わない。それは偽りのない自分の気持ちだ。だが、そう追い詰めなければ、もう一人の男性、日下炎への気持ちに望月弥月は揺れ動いてしまう。
発進と同時にアガレスは重力に掴まり、引き込まれそうになる。それをギリギリで繋ぎ止めているのが、重機動要塞から放射されたドッキングをサポートするための牽引ビームだ。
震動が常に襲い来るコクピットの中で、望月弥月はラグマ・リザレックが放ったアンカーの鎖を、アガレスのハサミ型マニュピレーターで一本ずつ切断していく。
レイビスをお前の道連れにさせない。
その思いが、望月弥月を包み込んでいた。
重力に抗いながら2本、3本と切断が完了するたびに、巨艦が翻弄されながらツインジュピターに向かって落ちていく。
最後の1本を切断した。これで、巨艦はヘルグラビティポイントへ落下する。
ほっと安堵の息をついたとき、警報が響いた。
巨艦が更に、アンカーを発射したのだ。藁をもつかむ思いで発射したのであろう、そのアンカーは重機動要塞に向かっている。
「そんなことはさせない」
望月弥月はそのアンカーに向かって、RPAの身体を投げ出した。衝撃がコクピットを揺さぶり、その激震に叫び声をあげた。
巨艦が放ったアンカーを身を呈して、レイビスの乗る重機動要塞から守った。望月弥月の顔が笑顔になる。
それも束の間のことだった。アンカーが食い込んだRPAは、それにつながれたまま重力の嵐に巨艦ともども落下していく。牽引ビームのテンションもあっという間に千切れてしまった。
「レイビス…」
望月弥月が愛しい人の名を呼んだ。
彼女が乗ったRPAは、アンカーが突き刺さったまま巻き取られ、ラグマ・リザレックのバリアーフィールドの中に取り込まれた。
「出力全開! 速度一杯!」
山村艦長の指示も空しく、ラグマ・リザレックはツインジュピターの重力の前に屈しようとしていた。
ラグマ・リザレックの両舷二基のノーマルエンジンが、悲鳴をあげてそれに抗う。しかし宇宙の作り出したこの天体の前にはあまりに無力だった。
「ダメだ。お終いだ」
誰かがそんなあきらめの声を発した。
「諦めるな!」
山村はそう叫んでいた。
グレートデリバンのメインスクリーンの中のラグマ・リザレックは、確かにツインジュピターの重力圏内に仮定したヘルグラビティポイントへと引きずり込まれつつあった。
しかし巨艦はかなうべくない超重力に、必死に抵抗している。その全身から生きることへの執着が伝わってくる。
ヘルグラビティポイントに突入したら、理屈上そこから離脱するのは不可能だ。
計算上、理屈上は確かに不可能だと判っていながら、デュビル・ブロウの胸中には、神にも等しい超重力の力に抗うラグマ・リザレックの姿に、なにか理屈を超えた予感が去来していた。
「全艦、砲撃用意。目標ラグマ・リザレック。なんとしても巨艦をヘルグラビティポイントに落とし込め」
デュビル・ブロウは不吉な胸のざわめきを感じていた。
「発射!」
その砲撃とほぼ同時に、ガデル提督率いるギネル帝国艦隊もラグマ・リザレックへ攻撃を加えていた。
何本もの光の線がラグマ・リザレックへ突進してゆく。そして、それが重力の影響で歪んだ状態になって命中してゆく。魚雷は、命中する前に重力で圧潰してしまった。
攻撃の光の中に包まれるラグマ・リザレック。だが、巨艦は怯まない。ヘルグラビティポイントまで、あとほんのわずかな距離だ。
だが、ラグマ・リザレックは更に必死にノーマルエンジンの出力を上げ、浮上しようと雄叫びをあげている。
このままでは、浮上する可能性がある。
そう思った時、デュビルの頭の中に一つの策が閃いた。
それと同じ強い意思を持ち、行動に起こした人物がいることもデュビルは感じ取った。ガテル提督だ。
ガテルの乗るギネル帝国旗艦ゴルダがラグマ・リザレックへ向かって突進していた。
デュビルは無我夢中でテレパシーをゴルダに向けて放射して、その心に触った。
(このまま巨艦ラグマ・リザレックに特攻し、奴を是が非でもヘルグラビティポイントへ追い込んでやる。私の命と引替にな)
ガデルの思考である。それはデュビルの心を鏡に映したものでもあった。
(機関出力最大。このまま巨艦に向かって突っ込め‼)
口で命令したのでは手遅れになる。デュビルは、テレパシーで己の思考を乗組員へ激流のように流し込んだ。
デュビルの乗るグレートデリバンがゴルダを追い抜き、ラグマ・リザレックに突進する。
デュビルはもう一度ガデルの思考に触れた。
(巨艦を落とす。それが私の信念だ)
その思考に触れたとき、デュビルが今まで漠然と抱いていた父のイメージとガデルが完全に一致した。
涙が溢れそうになる。デュビルはそれを悟られぬように、思考をガードして瞑想の世界に入った。
ガデル少将。本名はガデル・ブロウ。デュビル・ブロウの父。
ガデル・ブロウは0999年の地球では「反βμ論」を唱える高名な学者だった。しかし、当時その論に反するもので「βμ増強論」があった。既にギネル帝国と交戦状態に入ったデリバン連合王国政府は「βμ増強論」を採択して、それに反する学者達の虐殺が行われた。ガデル・ブロウもまたその大獄の例外ではなかった。
ある日ガデルは大怪我をして帰ってきた。そして、その夜に特別な権力を持つに至った武装した特殊部隊がブロウ家を襲撃し、デュビルの祖母を殺し、母を殺して、父であるガデルを連れ去ったのだ。当時4歳のデュビルの目に焼きついているのは、父の腕を真一文字に走る大きな傷痕だった。
デュビルはその時を境に、父は死んだものだと思っていた。
デリバン連合王国のガデルが、何故ギネル帝国へと渡ったのか、それはデュビル・ブロウにはわからない。
しかし仮説をたてることは、難くない。
デリバン連合王国は、ギネル帝国に先んじて思念波の研究に力を注いだ。そしていち早く思念波増幅装置と思念波発振装置を開発した。
が、ガデルはその兵器転用に危険を感じて「反βμ論」を唱えたのではないのか。そしてガデルは、ギネル帝国に連れ去られ、その思念波増幅装置の欠点を暴こうと拷問にかけられ、そこで記憶をなくしたのではないのだろうか?
デュビル・ブロウには、それが手に取るように解った。
それにしても、なんという巡り合わせなのか。
父と子が互いに殺し合うために巡り会い、しかもその息子は、その昔父が命を懸けて反対していたβμ能力の先兵として、思念波増幅装置を多大に使い、その父を葬ろうと執念を燃やしていたのだ。
「……父さん」
デュビル・ブロウは去来する全ての思いを込めて呟いた。
(願わくば、願わくば、父さん。あなたの記憶が戻らないことを祈ります。こんな運命、知る必要はない)
グレートデリバンは、遂にツインジュピターの重力圏に入った。そしてブリッジのメインモニターには、ラグマ・リザレックの正面が大きく映っていた。
今、デュビル・ブロウの前に皮肉な事実がさらけ出されたが、それも間もなく無となり、現世から消えてゆくだろう。
グレードデリバンの眼前で、ラグマ・リザレックの巨体がもがいている。
「艦底の乗組員は、艦橋塔へ避難せよ」
デュビル・ブロウは艦内全てにアナウンスを流した。
グレートデリバンの艦橋は、そのものが脱出ロケットになっている。それは自動的に切り離され射出されるのだが、この重力圏を脱出できる推力はない。
「速度をゆるめるな」
ブリッジに宿る静寂。
凄じい衝撃が伝わった。と、同時にブリッジは脱出ロケットに転換して、グレートデリバンから切り離されてそこから逃れる。デュビル・ブロウの艦はラグマ・リザレックの左舷の巨大砲門へ特攻し、爆発炎上した。
ラグマ・リザレックは強大な惰性を受けて、ヘルグラビティポイントへ流され出した。抵抗していた最後の力を、デュビルが命と引き替えに押し潰したのだ。
そしてデュビル・ブロウの乗ったブリッジも、同じ運命に手繰り寄せられてヘルグラビティポイントへと流されてゆく。
ラグマ・リザレックの司令艦橋は、強大な重力に翻弄されていた。もう完全にその掌に捕まったようだ。
ノーマルエンジンの出力では、脱出できない。
ラグマ・リザレックは重力に弄ばれながら、ヘルグラビティポイントに引きずられてゆく。徐々にその速度が早まってゆくのがわかった。
ドン!
ラグマ・リザレックに更に何かがぶつかったようだ。
「なんだ?…」
山村艦長が、誰にともなく尋ねた。
「敵の脱出ロケットです」
加賀が答えてよこした。
「バリアーフィールド、最大出力」
アイザック戦務長が報告した。
デュビル・ブロウの乗る脱出ロケットが、ラグマ・リザレックのバリアーフィールド内に取り込まれた。
ラグマ・リザレックの装甲の弱い部分が、引きちぎられ出した。
ヘルグラビティポイントまで、あと3コスモマイル。
「……ダメか」
誰かが呟いた。
重力の翻弄は尚激しさを増し、司令艦橋のクルーはコンソールに必死にしがみついている。中には放り出されて、床に転がる者もいた。
ヘルグラビティポイントまで、あと2コスモマイル。
突然、ラグマ・リザレックが方向転換を始めた。両舷のバーニアノズルが噴射してレフトジュピターにその艦首を向けようとしているのだ。
重力に逆らいながら、ラグマ・リザレックはようようその方向に向き直った。
この方向に艦を向けると、ドッキングジョイント部分に、ツインジュピターの容赦ない重力の影響で、もろに負荷がかかってくる。これはあまりに危険な行為といえた。
「大倉航海長、どうした? この操艦はなんだ?」
「カニグモがアクセスを開始し、操艦を始めました」
「……また、なにか始まるのか?」
その瞬間に、メインモニターの上に刻まれているラグマの紋章が発光して、眩い光を放った。
「ラグマの紋章が輝いている」
それに呼応するように、乗組員に印された左手の甲の紋章もまた光り輝き出した。
「山村艦長。両舷と艦底の巨大砲門にエネルギーが集中しています」
「なんだと?」
「山村艦長! メインエンジンが始動しました」
トムソン機関長の声に、誰もが驚嘆した。
「メインエンジンが、動いたのか?」
「動力伝達。エンジン内、圧力上昇。炉心に火が入ります。点火、用意」
今まで頑として動かなかった、メインエンジンが始動した。それと同時に巨大砲門が作動している。
山村は息を潜めて、成り行きを待った。
これから起こることは、山村達人間の遥か常識を超えた何かが突き動かしているように感じてならなかった。
戦闘艦橋内中央の床の一部から、大がかりなコンソールユニットがせり上がってきた。
セシリア・サムウォーカーは仰天したものだ。ブリッジクルーもまた同じだった。誰もが、状況を見守っていた。
セシリアの手の甲に印された「ラグマの紋章」が淡く光る。
その光に導かれるようにしてして、セシリアはゆっくりとコンソールに向かって歩き出した。
ラグマの紋章が、そして発射システムのコンソールがセシリアにそれを射て、と命じているようだ。
いつの間にかコンソールにカニグモが出現して、何事か準備を始めている。
ラグマ・リザレックの両舷と艦底の巨大砲門に白いエネルギーの光がさしてゆく。やがてそれが臨界に達したとき、両舷の砲門そのものが後方に向かってスライドを始めた。
「強制爆縮圧縮器、作動しました。砲内圧力上昇します」
石動さとみもまた、驚愕の中で状況を見守っていた。
両舷の巨大砲門そのものが圧縮器となって、砲内のエネルギーに圧力を加え、エネルギー砲弾へと変えているのだ。
そして、戦闘艦橋でセシリアが、その状況をコンソールパネルで捉えていた。
「砲内圧力、百パーセント。爆縮エネルギー出力百パーセント。次元中間子シールド、放射開始。次元反動砲、発射用意。カウント開始、⒑、9、8、」
コンピュータガイダンスがアナウンスする。誰もが息を呑んだ。
「次元反動砲?」
セシリアの側にいたシンディが呟いた。
砲門内部から、特殊な光のシールドが放射された。それは、延々と伸びてレフトジュピターまで到達した。
「6、5、4、3、2、1、発射」
コンピュータガイダンスのカウントを引き継いで、セシリアが叫んでトリガーを絞った。
同時に両舷の砲門がバネに弾かれたように前面に押し戻され、それと反応して両舷と艦底の砲門から、光が巨大な塊、巨大な奔流となり、オレンジ色に似た次元中間子シールドとカニグモが呼称したシールドの中を通ってレフトジュピターへと発射された。
白色の、まるで彗星のように尾を牽いて延びてゆく光の奔流は、一つの巨大な惑星を大蛇のように呑み込むと、瞬く間にそれを光の塊へと変貌させ、そして消滅させた。
山村はこの機を逃さなかった。
「大倉航海長、速度一杯、全速離脱」
「了解」
ラグマ・リザレックは、急激に加速して重力の安全圏へと脱出を計る。誰もが皆必死だった。このチャンスを逃したら、二度とヘルグラビティポイントから脱出することはできないだろう。
「艦長、ノーマルエンジンがオーバーロードで、悲鳴を上げてます」
トムソン機関長が、不適な笑みを浮かべながら艦長を振り仰いだ。
「今は脱出に全力をあげろ。それからのことだ。エンジンの修理は、機関長と日向応急長のお手の物だろう」
山村もまた不適な笑みを浮かべて、トムソンに返した。
ラグマ・リザレックはなんとか無事に重力圏を脱出する事ができた。
誰しも安堵して全身の緊張を解いた。しかし安定した航行も束の間だった。
強大な重力の消滅と、次元反動砲の破壊エネルギーの影響だろうか、そこに唐突にブラックホールが誕生したのだ。
ラグマ・リザレックは、今度はその吸引する力に翻弄され始めたのだ。
「エンジン、出力全開だ!」
トムソン機関長が尚、声をはりあげたが、オーバーロード寸前のエンジンにブラックホールに抗うだけの力はあろうはずもなかった。
ラグマ・リザレックは、巻き取ったアンカーにつながれた望月弥月の乗るRPAと、デュビル・ブロウが搭乗している脱出ロケットをバリアーフィールドの中に取り込んだまま、殆ど抵抗らしい抵抗ができぬままにブラックホールに吸い込まれていった。
しかし、ここでラグマ・リザレックに変化が生じた。始動したメインエンジンの出力がマキシマムレベルに突入、コンピュータガイダンスがこう告げたのだ。
「反次元エンジン、最大出力。次元中間子シールド、全艦ホールドラッピング。反次元航行スタートします」
ラグマ・リザレックのメインエンジンがひときわ高い咆哮をあげ、巨艦はブラックホールの中へと自ら猛スピードで突入していったのだ。
一体どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
現在、ラグマ・リザレックが航行している空間はなんとも不思議な空間だった。
白い、白い空間だ。ただただ真っ白い空間なのだ。惑星はおろか、星の瞬きさえなかった。三六〇度方向、全てが白く、ただかげろうのようなゆらめきだけがあった。
艦内の人々は失神していた。
最初に、気を取り直したのは山村竜一だった。
山村は、呆然と窓外を見つめた。
白い空間に白いかげろうがゆらめく、ともすれば方向感覚も時間の感覚も希薄になってしまう空間をぼんやりとながめた。
「……反次元空間なのか? 聞いたことがある。我々の次元と全く反する次元空間。反物質はそこから生まれる。そして、その空間は時間軸と空間軸が混沌と融合しており、これを逆に利用するとSWNなど比較にならないほどの超空間航行が可能になる。これを反次元航法といい、それには反次元エンジンというエンジンを搭載した宇宙船が必要なのだ」
山村は暗唱するように呟いた。
やがて乗組員が次々と目覚めた。誰もが不思議な反次元空間を見て、驚嘆に息を呑んだ。
「艦長、ラグマ・リザレックのメインエンジンは、反次元エンジンだったんですね」
トムソン機関長の問いに、山村は無言で頷いた。
カニグモが忙しそうに艦内を動き回っている。
「ホワイトホールクリエイター、作動します」
コンピュータガイダンスが始まった。
ラグマ・リザレックの両舷側から、パラボラアンテナのような装置が出てきて、それが前方に向かって光を放射した。その部分がポッカリと穴が開くようにして、通常空間が見えるようになった。
ラグマ・リザレックは、ホワイトホールを作り出し、そこから通常空間へと舞い戻ったのだ。
航行艦橋の星間配置コンピュータの計算によれば、ラグマ・リザレックは一挙に銀河系から百万光年先にいることが表示された。
その報告に、全ての人々が目を見張った。
望月弥月のRPAとデュビル・ブロウ中佐の乗る脱出ロケットは、最後までラグマ・リザレックの次元中間子シールドの中にいて、その道連れとなった。
身柄は、そのまま捕獲された。