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クラッシュトリガー  作者: 御崎悠輔
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第十一章 人、儚き

 ラグマ・リザレックに帰還した。

 ハンガーに機体を格納したところで、どっと疲労感が奈津美を襲った。

「ブレズ1、格納完了。お帰りなさい」

 モニターに映ったのは、管制オペレータのカレン・ライバックだった。発進や着艦の指示、メカニックマンからの指示をパイロットに伝達する彼女は、メインデッキハンガーの奥にある管制室から奈津美に対して連絡をよこしたのだ。

 それを聞いて、帰ってこれた、という思いが、奈津美の奥底から泉のように湧いて出た。演習の時にはなかった感覚だ。

「カレンさん、帰ってきました!」

 思わず彼女に対して、そう返事をした。

「お帰りなさい。あなたのおかげで、当艦は無事でした。ありがとう」

 カレンはそう言って、片目でウィンクして見せた。

 見事なブロンドのカレン。フワリとウェーブのかかった豊かな髪に、小さく整った容貌。何故か管制オペレータの制服はミニスカートになっている。けれど彼女は、それがとっても似合っていて、そのスタイルは正直まるでモデルのようだ。

 あんな美人にお帰りなさい、なんて言われたら、男たちなんてイチコロだろうな、などと奈津美は考えた。

(日下さんも、そうかな)

 シートに体を預けながら、奈津美はとりとめもないことばかり考えていた。

 操縦レバーから手を放そうとする。だが、その指が強ばって、そこから離れない。

 初めての戦場は、彼女にそれだけの緊張を強いたのだ。

「あれ、なんで」

 不意に涙が流れてきた。自分の指が自分の意思で動かないのだ。唸りながら、指を動かそうとする。ようやく剥がれた右手で、今度は左手の指を一本一本伸ばしていった。

「おかしいな」

 こんな状態の自分の指がなんだか情けなく感じていながら、奈津美の顔は笑っていた。

 どんな格好にしろ、私は帰って来たんだ。帰ってきて、カレンさんにあなたのおかげだと、ありがとう、と言われたんだ。

 奈津美にとって先ほどのカレンの台詞は、とても嬉しかったのだ。


「レイビス司令。ラグマ・リザレックの新しい力、引き出せましたかな?」

 ガデルはモニターのレイビス・ブラッドに、皮肉をこめてそう言った。

「いや……」

 レイビスは顔色一つ変えずに、呟くように言った。

「巨艦ラグマ・リザレックは、私の想像以上の力を備えているのだな。感嘆した」

 冷淡な口調もなんら変わっていない。そんな態度に、逆にガデルの方が癪にさわった。

「今回の出撃で重機動要塞の実戦データが取れただけ…では、この先、心もとないですな」

 嫌味のひとつも言ってみたが、レイビスは一向に意に介していないようだ。

「空間境界面裂破。亜空間カテドラル反応。なにかがSWNサーフェスアウトする模様です」

「なに? どこだ?」

「艦隊より右舷後方六〇度。上舷七一度。距離、四〇コスモマイル」

「全艦第三級警戒体制」

 ガデルのテキパキとした指示は、すぐに全艦に行き渡り徹底された。

 既にモニターには、裂破した空間が映し出されている。

 煌めく星々が点在する宇宙空間に、わずかな歪みが生まれ、ワームホールが生成された。と同時に艦隊の像が浮かび上がった。

 それは、グレートデリバンを旗艦に置くデリバン連合王国艦隊だった。

 ガデルは、ホッと息をもらした。

 不思議なものだ。たかだか数か月前は、互いに殺意を持って砲火を交えていた相手が、今は仲間という意識を持って接している。

「デリバン連合王国艦隊、デュビル中佐、出ます」

 通信オペレータが報告した。同時に、メインモニターに彼の端正な顔が映る。久しぶりに見た彼の顔は、なにかしらやつれているように見えた。天王星の戦闘ではぐれて以来のことだが、きっと不眠不休でラグマ・リザレックを追跡してきたのだろう。それでもこうして追いついてきたのは、やはり大したものだ。

 ガデルはメインモニターを分割して、デュビルとレイビスと二人の若者を映し出した。

「レイビス司令、デリバン連合王国艦隊司令デュビル・ブロウ中佐だ」

「知っている。デリバン連合王国随一のβμなのだろう」

 ガデルとデュビルはともに顔をしかめた。

 レイビスは周りと調和しようと言う意識は、さらさらないようだ。無遠慮なもの言いに、人間として感情のどこかが欠落しているように思う。

「レイビス司令。少し言動に気をつけたまえ」

 語気を強めて、ガデルはレイビスに詰め寄った。

「私は事実を述べているに過ぎない」

「ガデル少将」とデュビルは、二人の諍いにはまるで意に介さず、涼しい顔をして言葉に割り込んできた。

「天王星の戦闘で隊列を乱し、やっと追いつきました」

「ご苦労」

「早速ですが、巨艦ラグマ・リザレックの状況は?」

 当然と言えば当然だが、デュビルにとってはそれが今一番気にかかることらしい。

「現在位置より二百コスマイル先に位置している。細かなデータはすぐに転送しよう」

 デュビルとレイビス、二人の若者は無言で敬礼を交わした。航路の途中で一度、コンタクトしている二人だが、正直馬が合うとは言いがたい。

 その後、新たにデュビル・ブロウ率いるデリバン連合王国艦隊を加えて、ラグマ・リザレックの攻撃プランの協議がなされた。


 個室で望月弥月は、自分で自分を抱きしめていた。そうしていなければ、身体がぐらついて支えていられない。それほど、動揺している。

 先の戦闘で、頭の中に飛び込んできたあの人を、私は一瞬で日下炎と認識した。でも、何故そんなことが……あの人は、一体誰なの? 私はあんな人知らない。知らないはずなのに、心の奥底に強烈な思いがあることもわかっている。

 あの人を愛している。私は、あの人を深く深く愛している。

 でも本来は、弥月シリーズの私は、アプリケーションパッケージ「慈愛」により、レイビスに向けてその思いを向けるものだ。ある意味レイビス・ブラッドを愛することを定められた女。なのに、何故?

 おそらく、答えはでない。望月弥月は、揺れ動くこの思いを一人で抱えていくしかなかった。

 

「奈津美、よくやったな。立派だったぞ」

 コクピットから降りて、メカニックマンへ機体の引き渡しを完了したとき、奈津美は日下からそう声をかけられた。

「ありがとうございます」

 一オクターブ高い声で、奈津美は答えた。張りつめていた気持ちが緩んだ反動なのか、奈津美は妙に陽気なハイテンション状態になっていた。頬が火照っている。

「初陣にしちゃ、堂々としたものだ」

 そう言ってビリーは親指を立ててみせた。

「奈津美、これからもアテにしているぞ」

 カズキもそう言ってくれた。

 戦場は確かに怖い。だが、帰還できてこうして仲間達が奈津美を誉め讃えてくれる。なんとも言えない喜びだった。こんな私でも、他人の役に立っているのだ。これが実感できたこと、そして日下に誉められたことがなにより嬉しい。

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 繰り返し繰り返し、奈津美は日下達にお礼を言った。

「遊撃戦闘班の皆さーん」

 明るい声がして、デッキの向こうからカレン・ライバックがやってきた。片手にカメラを持っている。

「初出撃と無事のご帰還おめでとうございます」ペコリと頭をさげた。「奈津美さん、初陣のの無事を祝して、写真、撮りませんか」

 そう言って彼女は、カメラを前に差し出した。

「いいね、撮ろう撮ろう」

 誰もが口々にそう言って、奈津美を中心にメンバーが集まってVサインを出した。そんなメンバーに向かって笑顔で、カメラのレンズを向けるカレン。

「お前、もうちょっとそっち行けよ」

「お前こそ、ちよっとずれろよ」

「ビリー、お前、奈津美にくっつきすぎだ」

「場所かわれ」

 戦場の雰囲気とは全く裏腹に、まるで学生気分の友達同士の会話だった。辛い日々の連続の中で、こんなことがあったっていいよな、と遊撃戦闘班のメンバーはそれぞれの思いを抱いていた。

「撮るわよ。せーの、1+1は?」

「にーー!」

 シャッターが下りたとき、誰からともなく笑い出した。その笑顔の中で、代わる代わるカメラがまわって、次々と写真が撮られた。

 中でも奈津美は大はしゃぎで、いろんなメンバーと写真を撮った。そんな彼女が最後に、「カレンさん、撮ってくださーい」とせがんだのは、日下と腕を組んだポーズだった。

 メンバーがそれをひやかすので日下はちょっと困った表情だが、奈津美は照れながらも満開の笑顔をつくった。

「お前たち、兄妹みたいだな」

 ポツリとキースが呟いた。

(兄妹か、それもいいな)

 一人っ子の奈津美は、確かに小さい頃から、兄妹に憧れていた。今はミズキが姉代わりになってくれているから、日下が兄っていうのも悪くないな……

 奈津美にとって、楽しい妄想だった。

「奈津美、こっちも撮ってくれ」

 いつの間にやら、ビリーがカレンの肩を抱いて声をかけた。不意をつかれたカレンはちょっと驚いたが、笑顔を浮かべながら、

「調子にのっちゃダメですよ」

 と言って、肩に回したビリーの手を思い切りつねった。

「イテェ!」

 と、思わず手を放した瞬間に、奈津美はシャッターを切った。

 カレンと遊撃戦闘班の男たちが撮った写真も奈津美がシャッターを切った。

 少しでもカレンの側を狙う争奪戦に、男たちがもめていた。そんな中で奈津美は

「日下さんは、カレンさんの側はダメですよ」

 と、声をかけて周囲をわかせた。

 こんなひとときもあるんだ、と奈津美は更に笑顔をつくった。

「奈津美、よくやった。休めるときには、ちゃん休めよ。それも仕事のうちだ。はしゃぎすぎるなよ」

 最後にキース・バートンが締めてきた。浮かれすぎないように、それとなく釘を指すところは、さすがベテランのアドバイスだった。

「ハイ」

 と奈津美は素直に応える。高城奈津美の素直さは、皆に愛されるべきものだった。


 加賀室長は整備班の統括責任者でもある。今もメカニックマンと一緒になって、各機の損傷、その他のデータをとっていた。

 メカニックマンチーフのスティーヴ・ハワードと二人で、RPAのブレイザムメカのコクピットに座って、各計器のチェックと戦闘データの回収を行っている時だった。

 ハワードが首を傾げながらポツリと呟いた。二十九歳の優秀なメカニックマンであるハワードは、時としてシステムの設計も行う。アリエル時代からの加賀の信頼厚い右腕だ。

「室長、武器管制システムですが、どうも非効率的な気がしませんか?」

「どうした?」

「いえ、このメカは物凄くよくできていると思うんですよ。三機の独立したメカが巨大戦闘機としての機能をフルに活用できた上で、人型の遊撃機動機甲兵器へとドッキングする。ドッキングシステムにしても、変形システムにしても実によく考えられている。でも、戦闘データで見る限り武器管制システムだけが、どうもパイロットに頼り過ぎているきらいがあるように思うんですよ。殆どマニュアルみたいなものじゃないですか」

加賀室長は「どれどれ」と言いながら、戦闘データをディスプレイに出してみた。そこには、使われた武器と頻度、それがオートで行われたものなのか、マニュアルで使われたものなのかが、モニターされた。

「確かに君の言う通りだな。オートで動いた武器管制はほんの僅かだな。殆どがマニュアル操作での照準設定だな」

「これでは、パイロットは操縦コントロールと武器コントロールをほぼ同レベルでしなければなりません。かなりの負担じゃないでしょうか」

「ま、それもあって遊撃戦闘班は六名のパイロット編成となっているんだがな」

「それも変ですよ。我々がアリエルで開発したハイブリッドアーマーでさえ、もっと武器管制システムは効率的だったじゃないですか。そもそも、その設計は室長と僕がやりましたよ」

「確かにな。よし、もう少しこのシステムに手を加えてみるか?」

「その方がいいと思います。万一、パイロットが一人欠けたとか二人欠けたとかになったら、戦闘レベルが一気に下がって、より危険になりますよね」

 加賀はしきりにモニターをチェックしながら、ハワードの言葉に相づちを打った。

「おや」と彼は急に、ディスプレイのデータ画面を切り替えた。それは全体の武器の配置を示したものだ。その中で、今回使用した武器の場所が示されていたが、それ以外の武器もあちこちに点在していた。

「このコクピットからだけでは使えない武器がまだこんなにある。これは一体どうしたら使うことができるんだ?」

 二人はあちこちの計器をチェックしたが、どうもそれらしいシステムは見当たらない。

 ハワードがドッキングシステムと、変形システムの可動状態をディスプレイに出してみた。使われていない武器は、どちらに変形しても使用ができないことが分かった。これを使えるようになるには、更にもう一段階変形をしなければならないのだ。だが、変形してそれが使えるようになったところでその武器管制システムが一体どこにあるのか、それが疑問だった。

「なにかパーツが足りないような感じだな? 武器管制システムにしろ、どこかになにかもう一つこのRPAに関するメカが積んであるのかもしれない。艦内のチェックをしているときに、なにかそれらしい物でも見つけたらすぐに連絡をくれ」

「わかりました」

 ハワードはニコリと笑顔を浮かべ、快活にそう答えて、次の作業に入った。

 タフな男だよ、と加賀は思った。戦闘からメカが帰還したとたんに、メカニックマンはそれこそ一秒を争うほどの仕事に忙殺される。それを統括するチーフのハワードは、これから寝る暇もないだろう。それでも、黙々と正確に仕事をこなすハワードはある意味でパイロットよりもタフな男だと加賀は思う。こいつのいいところは、それを笑顔でこなすことができる精神的な強さも持ち合わせているところだ。


 奈津美は、おどおどと怯え、隠れるような陰気な態度をとる轟を偶然見かけたとき、少なからず怒りを覚えた。

『誰が、誰が戦場へなんか行くもんか!』

 轟は搭乗間際にそう喚いて、出撃を拒んだのだ。

(誰だって好き好んで、戦場へなんか行かないわ)

 轟の言っていることは、わがまま以外のなにものでもないのだ。

「轟君」

 奈津美は穏やかに振る舞いながら、声をかけた。すると、轟は怯えた態度のまま奈津美を見上げた。そのまま逃げるように踵を返した。

「轟君、ちょっと」

 語気を強めて、奈津美は轟の腕を掴んでパイロットの休憩ルームへ引っ張り込んだ。奈津美はそこのソファに轟を座らせた。

 無言で座る轟の頬は、心なしかやつれていて、少年らしさが抜け落ちていた。

 奈津美は情けなく思った。十五歳の少年。幼くもあり、だが逞しさもあっていい年齢ではないか。

同級生のマシュー・ボイドを思い出した。アリエルで一緒だった男子。彼は、エンジニアになることを夢見て頑張っていて、面倒見のいい下級生のお兄ちゃん役だ。正直、恋愛の対象にはならないが、マシューのことはいい奴だし、快活でステキな男の子だと思う。

 比べて、轟はどうだ。目の前の轟と言う少年。彼には何かに立ち向かう勇気も、楽しい夢もを失っているように見えるのだ。

 そんなことが余計に奈津美の心を苛立たせた。

「轟君! あなたは仮にも遊撃戦闘班のメンバーなのよ。あなたには、あなたの責任と義務があるのよ! それを何故守ろうとしないの!」

 怒鳴るように奈津美は言った。

「責任と義務? そんなの頼みもしないのに大人達が勝手に僕に押しつけたんだ」

「なに言ってるの! あなたはなにかをしようという気持ちはないの」

「ないよ!」

 わがままの発現と奈津美には思えて、呆れ返った。

「轟君、あなた、戦場に行きたくないって言ったわね。そりゃ、誰だって行きたくないわ。私だってそうよ。だけどね、誰かが行かなくちゃならないのよ」

「けど、だからってなんで僕が行かなくちゃならないんですか」

 奈津美は軽蔑するように、轟を見つめた。しばらく言葉がなくなった。

「昔の人は、十五歳で大人と見なされた。戦場にも行ったわ」

「……それは昔の話でしょう。そんな例えがなんになるんです。とにかく僕は戦いなんて、死ぬ目になんて、二度と会いたくありません。あの時だって、アリエルで反物質ミサイルを阻止する時だって必死だったんだ。その後、過呼吸になって苦しくなって…」

「轟君」

「僕はイヤです。もうイヤなんです。僕は最初からずっと大人に押しつけられてきました。おじいちゃんに、日下さんとカズキさん、無茶ばっかり言われて押しつけられてきました。だから、だから、もう、いいでしょう! 僕は、やったんだ!」

 轟はソファから立ち上がった。奈津美も同時に立ち上がると、その平手が轟の左頬にとんだ。

「そんな情けないこと言わないで!」

 奈津美は、男として意気地のない轟に腹が立って仕方なかった。

 轟は呆然として、打たれた左頬に手を当てた。その顔には何の表情も現れていなかった。だが、その後でゆっくりとかぶりを振ると、その顔に自嘲めいた笑みを唇の端に浮かべた。

「大人は、大人達はみんな同じなんだね。すぐに殴る。殴って、力を見せつけて怖がらせて、弱い奴をねじ伏せようとするんだ。みんなそうだ。そんなんだから、戦争なんてなくならないんだよ…奈津美さん、見て下さいよ、これ」

 轟は右腕の袖をまくって素肌をだした。一見、なんでもない右腕。轟はその右腕を思い切りテーブルの角にぶつけたのだ。

 その行動に奈津美はギョッとして肩をすくめた。

「ちょっと、轟君、なにをするの!」

 鈍い音がした。だが、それだけだった。轟の腕は腫れることも、折れることも、また血が出ることもなかった。

 奈津美は驚き、また不思議そうにその右腕を見た。

「わかりますか? これ、サイボーグ義手なんですよ。ただの機械なんだ」

 轟はグイと、その右腕を奈津美の前に差し出した。ぶつけた箇所は人工皮膚がうっすら剥がれていて、黒い金属がまるで塗装が剥げたように覗いている。

 奈津美は、いよいよ轟を見つめた。その瞳の色には微かだが、露悪な差別感情が浮かんでいた。同時に、奈津美は自分でそれを自覚して、そんな感情を抱いた自分に対して驚いていた。

「僕は最初、ラグマ・ブレイザムに乗ったときに至近弾を受けて、吹っ飛ばされました。デリバン連合王国の基地の戦闘で、この右腕を失いました」

 轟は改めて、右腕を指し示す。

「わかるでしょう! もう、もうイヤなんですよ。こんな目に合うには!」

 気持ちが変に昂ってしまったのか、そう叫んだ轟の瞳にはうっすら涙が浮かんでいた。

 この少年は、心と体に深い傷を負っていながら、誰にも判ってもらえず、誰にも癒されず、糧になるだけの守るべきものもないままに、たった一人で苦しんでいたのだ。

 奈津美は、轟のことをそう理解した。そうした瞬間、自分でもどうしてそう行動したのか解らない。ただ、目の前の可哀そうな少年をただ抱きしめてやらないといけないと感じた。

 奈津美に不意に抱きしめられた轟は、驚いてギョッと体を強ばらせたが、その温かく柔らかい奈津美の体温に、遠い母の記憶を思い出していた。

 高城奈津美。十八歳。母にも姉にも少女にも女にもなれる年齢だった。


「全戦闘員、警戒体制のまま待機」

「了解」

 ロイ・フェース通信長は、山村艦長の指示を手際よく艦内各所に通達した。

 山村は艦長席から離れなかった。

 敵はまた来る、と山村は確信していた。

 重機動要塞と遊撃機動機甲兵器の開発は、近年デリバン連合王国との戦争の最終兵器としてギネル帝国が独自に行ってきたものだ。あれは、デリバン連合王国の手のものではない。ギネル帝国からの、我々を追跡してきたものなのだろう。どうやら、最新鋭兵器を投入してくるほど、本国ではこのラグマ・リザレックという巨艦を重要視しているようだ。で、あれば、先の戦闘はこちらの戦力分析を兼ねた前哨戦と言ったところだろう。次は更に戦力を蓄えた状態でしかけてくるに違いない。もしかしたら、アリエルで離脱したギネル艦隊と合流しているのかもしれない。

 山村があれこれ思案を巡らせているところに、大倉航海長、アイザック戦務長、日下副長が椅子ごとせり上がってきた。

「ご苦労」

 山村はみんなを睥睨した。それぞれ多かれ少なかれ疲労を浮かべている。

「艦長」

 アイザック戦務長が、山村を振り仰いだ。

「敵はもう一度、来ると思いますか?」

 その問いに、山村は力強く頷いた。

「ウム。それも倍もの戦力でな」

 ブリッジに再び緊張が走った。

「加賀室長。艦のチェックは?」

「まもなく終了です。損傷は軽微です。整備班と鏑木甲板長が、ともにフル稼働で補修にあたっています」

「そうか。大倉航海長、航路は正常か?」

「はい。正常です」

「トムソン機関長。機関に異常は?」

「ありません」

 各責任者の行動と報告は、山村の満足するところだった。

「よろしい。総員待機」

 山村は再び皆を睥睨した。


「ナ、ツ、ミ」

 意味ありげな呼び方に顔を上げると、そこにミズキ・朝倉がいた。

 食堂でハンバーガーをほおばっているときに、彼女がドクターの制服にラフなジャケットを羽織った姿で現れたのだ。

「ミズキ先輩。どうしたんですか?」

「ヘッヘー」

 なにかもったいつけて喋るミズキに、奈津美は何事かと思案を巡らせた。こういういわくありげな喋り方をするときは、決まってミズキにからかわれるのだ。

「みーちゃった」

「へ?」

 そう言われて一瞬、浮かんだのは轟を抱きしめたことだ。あのことを言われたら、話が非常にややこしくなるし、どう説明したらいいのかわからない。

「日下さん、カレンさんとあんまりくっついちゃダメですよー」

 奈津美の口調を大げさに真似ながら、ミズキが言う。

 突然言われて、奈津美は自分の頬がカッと火照るのがわかった。

「なによ」

 あえて冷静に対処するために、一呼吸置いてアイスティを飲む。

「楽しそうだったね。奈津美」

 そう言ってミズキは、奈津美の前に写真を出した。奈津美達がいろんな表情で写っていた。その中に日下もいれば、カズキやビリー、カレンもいた。

「なに、ミズキ先輩。あそこに来たの」

「そうよ。そしたら、楽しそうに写真撮影大会してるじゃない」

「声かけてくれれれば良かったのに」

「君たちがとってもいい顔してたので、こっそり写真を撮らせてもらいました。特にこれとか、これ」

 ミズキの細い指が指した写真は、日下と奈津美が腕を組んだ写真で、カレンとは別の角度で写っていたものだ。

 自分で言うのもおかしいが、そこに笑顔で写っている奈津美は、本当にいい顔で写っていた。カメラを意識していない目線で撮られているせいか、なんとも自然な表情なのだ。日下もいい顔をしている。

 もう一枚は、その前後のシーンの写真だろう。腕こそ組んでいないが日下と奈津美が寄り添っていて、日下の照れたぎこちない表情が、まるで初々しい恋人同士のように見える。その日下の表情も奈津美には、かわいいという感想を抱かせた。

 少し顔が赤らむのがわかった。

「奈津美、日下さん、ゲットできるといいね」

「なに、言ってるんですか。仲間ですよ、仲間」

「あ、そう、仲間、ね。じゃ、この写真いらないか」

 そう言って緩慢な動作で写真を片付け始めたミズキの腕を、奈津美は反射的に止めて俯いた。その頬が本当に赤らんでいた。

「………ください」

「え?」

「写真……ください」

「そう素直にすぐに言えばいいのに」

 ミズキは優しい微笑みを浮かべながら、その写真を奈津美に向かって差し出した。それを受け取ると、奈津美はパッと明るい笑顔になってミズキに向かって「ありがとう」と言った。

 そんな奈津美を見て、ミズキは可愛い奴だ、と改めて思う。自分の感情でコロコロと表情が変わる。それだけ、自分に素直な訳だ。ある意味羨ましく思う。自分にもこんな時代があった。好きな人の一挙手一投足で一喜一憂していた時代。恋に恋していたような、微熱を抱えていたような時代。今はいつの間にやら、自分の感情を抑えて、ポーカーフェイスが上手になった。それはある意味で、大切なことを覚えたということだろうが、一方で大事なものを忘れてしまったようにも思える。奈津美を見ていると、ときどき懐かしい自分に会えるような気がする。ミズキは、そんな意味でも奈津美が好きだった。

「総員、第1級警戒態勢、パイロットは持ち場に戻れ」

 突然、サイレンとアナウンスが流れた。

 奈津美の表情がまた変わった。アイスティを飲み干すと、緩めていた戦闘服のファスナーを引き上げた。

「ミズキ先輩。ありがとうごさいました。行きます」

 二枚の写真を胸ポケットに差し込んで立ち上がった奈津美に、ミズキは頷いた。

 駆け出した奈津美の背中に「奈津美、ガンバレ。ちゃんと帰ってくんのよ」と声を投げかけた。

 奈津美は振り返って、ミズキに対して笑顔で敬礼を送った。

「ミズキ先輩、アリガト」

 踵を返して駆け出しながら、奈津美は小さく呟いた。自分のことを心配してくれているミズキのことが、奈津美にはよくわかった。初陣で出撃した奈津美が心配でならなかったから、彼女はわざわざRPAの格納デッキにやってきたのだ。

 自分を心配してくれている人がいる。その大事な人を、私は敵から守るためにパイロットとして宇宙に出る。奈津美は、そう自覚した。


 普段と変わりなく振舞っているが、日下は、訪れた異変に戸惑っている。

 頭の中に不意に飛び込んできた女性、望月弥月。その容姿が頭に焼き付いて離れない。だが、それは決して不快なものではなく、むしろその逆だった。愛おしくて、日下が守るべきもの、そう感じている。

 昔、幼い頃二人で遊んだ記憶がある。日下を大事に思ってくれる女の子で、日下も幼心に思いを寄せた女の子。その名前が、美月。新月美月だったことを思い出していた。


「山村艦長、空間境界面裂破。亜空間カテドラルです。艦隊がサーフェスアウトします」

「総員、戦闘配備。アイザック戦務長、大倉航海長、日下副長、持ち場に降りろ」

 山村の指示に、各々が床下に降下した。

「総員戦闘配備」

 ロイ・フェース通信長のアナウンスが各部に伝達される。

「敵の数は?」

 レーダーオペレータのジュリア・ボミが、各方位のレーダーをフル稼働させて索敵に努めていた。

「数、でました。総数、六十五隻です」

「なに、バカな。アリエルのときの艦隊はせいぜい二十隻位の規模だったじゃないか?」

 ロイが合点がいかないという表情で、ジュリアに目を向けた。

 ジュリアも、ロイ通信長の疑問には当然だとは思うものの、レーダーで捕捉した数は、事実なのだから仕方がない。

 どういうことだ、と山村は考えている。アガレスの隊が加わったにしても三倍とは、敵の数が多すぎる。これほど早く、しかもこれだけの規模の増援がなされたと言うことか? だがギネル帝国にこれだけの国力があるとは、にわかに信じ難い。

「トムソン機関長。いつでも最大戦速が出せるように準備しておいてくれ」

「了解」

 トムソン・ボイド機関長はマイクを切り替えると、機関室につないだ。

「機関室、エンジン出力を安定させろ。最大戦速がいつでも出せるように、迅速に仕事をこなせ」

「こちら機関室、日向。機関出力極めて良好。いつでもいけます」

 トムソンの問いかけに対して、日向応急長が頼もしい返事をよこした。

「敵艦隊、完全にサーフェスアウトしました。実体化します」

 艦隊の数はメインモニターを覆いつくすようだ。SWNアウトした艦隊は、同時にラグマ・リザレックを包囲するように展開し始めた。

「対艦隊戦用意。大倉航海長、取り舵一杯」

 辺鄙な宇宙だ。遠く輝く恒星の光だけが存在するだけの宇宙だ。小惑星も宇宙塵もない。とても平穏な宇宙だった。

 しかし、それが今はかえって仇となっていた。小惑星帯でもあれば、攻撃をかわす盾にでもすることができる。しかし、そういったハザードが全くないのでは、砲撃戦を繰り返すしか手はない。

「山村艦長、敵艦隊の2分の1はデリバン連合王国です」

 敵艦隊の構成を分析していた加賀室長が、山村に向かってそう言った。冷静で、ゆったりとした喋り方をする加賀も、今度ばかりは口調に緊急性が感じられた。

「なんだと?」

 山村艦長より先に、トムソン機関長とロイ通信長が驚愕の声をあげた。

「協同で仕掛けようというのか? 戦争し合ったもの同士で」

 トムソンの浅黒い腕が僅かに震えていた。無理もない。我々アリエルの人間はなんのために戦っていたのか。なにもかもが、無意味なものに変貌していく。

「アイザック戦務長、艦載機戦闘準備だ。全砲門開け、砲雷撃戦用意」

 山村艦長は殊更大きな声で怒鳴りつけた。敵艦隊に対する怒りもあったが、それ以上に意気消沈するクルーに、あえてムチを入れる。

 だが、それは効果があったようだ。クルーたちは自分らの役目に改めて意識を集中させた。

「八咫烏隊、タスクフォースファイアードレイク隊、発進準備」

 アイザック戦務長の指示が飛んだ。

「フライトデッキオープン」

 加賀の発令で、艦内で甲板員が慌ただしく動き出す。その先頭になって鏑木がそれを行う。

 いきなり敵艦隊から砲撃が始まった。じりじりとラグマ・リザレックを包囲しながら敵艦隊は砲撃を繰り返す。

「砲撃開始!」

 山村は振り切るように命令を下した。ラグマ・リザレックから、赤いスペクトルの光条が延びた。


 バトルスーツを脱ぐことのないままに、奈津美はRPAの格納デッキへと駆け込んだ。

「もう!」

 意味もなく腹が立った。戦闘の緊張感と同時に轟のことが頭に浮かんで、それを思い出しての苛立ちもあった。

 ヘルメットを走りながら被る。通信チャンネルを開くと、日下の声が飛び込んだ。

「奈津美、急げ。ビリーがブレズ1で出る。君はブレズ2で、俺と一緒に出撃だ」

「え? ハ、ハイ。わかりました」

(日下さんと二人だ。どーしよう)

 急に心臓のリズムが倍の速さになった気がした。だが、そんなことに戸惑っている場合ではない。

「パイロット、ビリー・レックス。識別登録完了。ブレズ1、テイクオフ! ビリーさん、グッドラック! 続いてブレズ3、発進準備。作業クルー、発進ラインまで後退完了。オールグリーン」

 タラップを駆け上がったときに、カレン・ライバックの管制指示のアナウンスが流れ、まさしくブレズ1が発進した。

コクピットに入ると、日下がメインパイロット席についていた。

「日下さん」

「奈津美、よし、コ・パイ席についてくれ。発進する。サポート、頼むぞ」

「ハイ!」

 奈津美は元気に応えた。

「ブレズ2、出るぞ」

「出撃パイロット名をどうぞ」

 モニターに、見事なブロンドのカレンが映った。

「メインパイロット、日下。コ・パイに奈津美だ」

「識別登録完了。発進準備完了。オールグリーン。ブレズ2、テイクオフ!」

 カレンの張りのある声の管制指示に基づいて、日下は発進レバーを引いた。

「日下副長、奈津美さん、グッドラック」

 カレンの笑顔とその声が、奈津美に安心感を与える。

 ブレズ2は宇宙に突出した。が、今の奈津美には発進のGさえも快いものに感じた。


 光条の集中する方向には、ラグマ・リザレックがいた。

 数にものをいわせて行った包囲作戦は功を奏したようである。

 デュビル・ブロウ中佐は、思惑通りに事が進んでいる状況に思わずほくそ笑んだ。デュビルにとっては、ラグマ・リザレックはガデルに次ぐ強敵だったのだ。それを倒せると思ったとき、熱いものがこみあげてくるのを禁じえなかった。

「ガーガン・ロッツ、発進準備」

 と、デュビルは叫ぶように命令を下した。この戦況は、一気呵成にいくべきだ。

「了解」

 各オペレータが命令を伝達する。

 そんな中、デュビルの脳裏にレイビスの言葉が蘇った。

『デリバン連合王国随一のβμなのだろう』

 レイビスは、そう言ってのけた。侮蔑でも畏怖でもまた羨望でもない表情で彼は言った。βμ能力を特別視していない、その物言いにデュビルは自分の能力にふと疑問符を持った。

(果たして、人間にとってβμ能力は、本当に必要なものなのか?)

 デュビルは、小さくかぶりを振った。

 必要なのだ。でなければ、デュビルたちは汚染された地球では生きてこれなかった。


(ウィルバー兄さん、久しぶりの出撃だね)

 と、オービルは、兄のウィルバー・ゼラーに向けてテレパシーを送った。

(ああ、腕が鳴るってもんだ)

 キャノピー越しに見た発進カタパルトには、「発艦よし」を示す青ランプが点灯した。

(行くぞ)

(おう)

 ウィルバー、オービルの心のアンテナの感度は良好である。

「発艦!」

 ウィルバーのガーガン・ロッツに続いて、オービルが飛び出る。

 ゼラー兄弟にとって、テレパシーをはじめとするβμ能力は信頼の糧であり、いわば兄弟の絆そのものでもあった。


「来るぞ、敵さんがっ! 八咫烏隊、こちらによこさんでくれよ」

 広瀬大吾は、その名の通りカズキとタイを張る巨漢だ。武道も一通りこなしており、空手、柔術、剣術、併せて十三段の猛者だ。そのためにときどきバンカラな話し方もするが、士官学校を経てきただけあって、その瞳には知性が溢れている。

 タスクフォースとして、ファイアードレイク隊の隊長として、今そのコクピットにいる。

 三門のビーム砲を備えた宇宙特殊機甲車輛ファイアードレイクは、今飛行モードでラグマ・リザレックの上空で、隊列を整えて待機していた。

「わかっているわよ。でも、退屈しのぎに少しはまわしてあげるわね」

 広瀬の無線に、八咫烏のシンディ・キッドマンが割って入った。

「おう」

 モニターでは、あっという間に八咫烏の編隊が飛び去っていく。その先で、すぐに閃光の花が咲いた。シンディとセシリアが戦闘宙域に入ったのだ。

 その閃光の奥から、物凄いスピードで敵機編隊がなだれ込んできた。

「来た! シンディめ、もう敵をまわしてきたか」

 広瀬は四角い操縦レバーを、強く握りしめ直した。

「八咫烏隊め、あまりあてにはならんな」

 と、広瀬は独りごちた。しかしそれは嫌味でも皮肉でもない。これだけの敵の数だ。編隊のひとつやふたつは、必ずかいくぐってくる。そういうことは、広瀬は充分に納得している。

「撃ちまくれ! ラグマ・リザレックには指一本触れさせるな」

 ファイアードレイク隊は両翼に展開した。右上方よりボビット・バーノン、左からはガーガン・ロッツの編隊が迫ってきた。

「行けーっ!」

 広瀬は左へ機体を流した。と同時に、三門のビームが青白い光の尾を曳いて、敵機に向かう。

 更にラグマ・リザレックの対空砲による援護射撃が、敵機を撃ち堕としていく。

 ファイアードレイクのスピードは、確かに八咫烏とは比較にならない。だが、その装甲の厚さと頑健さは、パイロット達に安心感を与える。だから、彼らはラグマ・リザレックの最終防衛線として、身を盾にして敵に立ち塞がる。

「ラグマ・リザレックが墜とされたら、俺たちは帰る場所を失う。アリエルの二の舞いはゴメンだぜ」

 ファイアードレイクは必死になって、迫り来る敵機に勇猛果敢に立ち向かっていく。


「山村艦長! 我が艦は完全に包囲されました!」

「敵の中央を突破する。全砲門射撃用意。目標、敵旗艦ゴルダ」

「了解」

 戦闘艦橋から、アイザックの声が返ってきた。

「大倉航海長、下げ舵十二度」

「了解。下げ舵十二度。トムソン機関長、出力一〇五パーセントに増幅」

「出力一〇五パーセントへ増幅。出力良好」

 ラグマ・リザレックは赤い光のビームを放ちながら、ゴルダに向けて突撃を開始した。

 だが、その前方に重機動要塞が立ちはだかった。アガレスは、超速度の一撃離脱の戦法を繰り返し始めた。

 敵重機動要塞のスピードに圧倒されたトムソン・ボイドは、その顔に深いしわを刻んで歯噛みした。

 並みのエンジンじゃ、あんな速度と瞬発力は得られん。なんなのだ、あの重機動要塞に使われているエンジンは、と。


「またか」

 アイザック戦務長は重機動要塞アガレスの急襲に苦悩していた。正直、厄介な敵だと認めざるを得ない。

「何とかして、動きを止めろ」

 とは言うものの、主砲のビームではまず追尾し切れない。

「空間弾道弾、発射用意」

 アイザックは、有線ミサイルの発射を命じた。一本でも命中すれば、敵の動きにブレーキをかけることができる。

 メインモニターに、アガレスが迫ってくる。

「撃て!」

 ラグマ・リザレックの両舷にセットされている、有線ミサイルが一斉に発射された。だが、殆どのミサイルは重機動要塞アガレスの艦尾を掠めて外れてしまった。

 有線ミサイルのメリットは、敵の動きに合わせて、ギリギリまでホーミングできることにある。命中精度が格段に高いのだ。だが、それでも追尾し切れないほど、アガレスは複雑で素早い動きを見せてかわしてしまう。その軌道を追いかけた有線ミサイルの硬質ワイヤーが、これもまた複雑に絡んでしまったようだ。

「SBMを自爆させ、ワイヤーを切れ!」

 危険と判断したアイザックは、その指示を出した。

 上空の監視レーダーが敵編隊の接近を知らせている。

「対空ミサイル、上空に弾幕」

 アイザックは、敵艦隊の動きをパネルに映してみた。ギネル・デリバン両軍の進攻が、予想以上に早い。アガレスに陽動させ、その間に包囲網を固めるつもりなのだ。

「ファイアードレイク隊、全機甲板に着鑑、対空戦闘に入れ」


「全機、着艦用意」

 広瀬隊長は、その宙域の離脱を命じた。統率のとれたファイアードレイク隊は、すぐにラグマ・リザレックへと反転した。フライトモードからタンクモードに変形して、その甲板に着いた。

「一機残らず、撃ち落とせ」

 広瀬は、ビームを放った。それは的確に敵を撃ち落とした。


「艦載機が多すぎる。このままじゃ、敵の戦艦を落とすことができない」

 ブレズ2のコクピットで、思わず日下がぼやいた。

 メインパネルには、次から次にロッツやボビットが飛び込んでくる。

「奈津美、右から来るぞ」

「ハイ」

 返事と同時にブレズ2の右からミサイルが発射されて、迫ってきた敵を撃破する。

「いいぞ、奈津美」

 日下は素直に誉めた。だが、その戦果以上に敵の数が多い。四方八方からビームが迫って来る。日下は躍起になってブレズ2を操って回避を行うが、被弾回数が増えているようだ。

「キリがない。ドッキングして一気に行くぞ」

 と、日下が呟いた瞬間に、

「日下さん、右ィ!」

 奈津美の緊迫した叫びが、日下の耳朶をうった。

 反射的に、ブレズ2が急旋回をやってのける。かろうじて、敵の火線をかわした。それは一機のガーガン・ロッツだった。

「こいつー!」

 それと対峙したブレズ2は、レーザー機銃を三射行って、敵に牽制をかけ、その隙に離脱を試みた。が、一機と思われたガーガン・ロッツのすぐ後ろに、別のガーガン・ロッツが姿を現した。二機になったガーガン・ロッツは見事なコンビネーションで、同時にブレズ2にミサイルを叩き込んできたのだ。

「重なっていた?」

 日下が悔やみながら、叫び声を上げたがもう遅かった。投げ込まれたミサイルは、コクピットの付近へと着弾し、爆発した。

「キャアー!」

 奈津美のコ・パイ席のコンソールが衝撃とともに、火を噴きあげた。その爆発で奈津美の体が、シートごと弾かれたように動いた。座席のショックアブソーバーが働いたのだが、その衝撃は相当のようだ。奈津美がぐったりと動かなくなったのが、日下の視界の隅に映った。

「奈津美ッ! ビリー、カズキさん。ドッキングフォーメーション!」

 日下の指示に基づいて、すぐさまブレズ1とブレズ3がドッキング態勢に入った。

「奈津美、大丈夫か! 奈津美」

 必死にドッキング操作を行う傍らで、日下は奈津美に向かって呼び続けたが、奈津美は反応を示さない。まさか、と思いながらも、最悪の事態を日下は想像した。心臓が、急に高鳴り出した。

「奈津美、しっかりしろ!」

 とにかくドッキングを終えるまでは、日下もどうしてもコントロールを放す訳にはいかなかった。

「奈津美、奈津美」と連呼するが、彼女からは一向に返事がない。

 長く思われたドッキングが完了して、ラグマ・ブレイザムが漆黒の宇宙の中、悠然と立ち上がった。

「ビリー、コントロールを一旦任せる。奈津美が被弾した」

「了解」

 ビリー・レックスの返事を待って、日下は操縦レバーの手を放して、奈津美の側に駆け寄った。

「奈津美、大丈夫か? しっかりしろ」

 奈津美が着ているイエローのバトルスーツは、うっすらと焼け焦げていた。慌ててヘルメットに手をかける。バイザーにはひびが入っていた。その向こうの奈津美の表情は読み取りにくかったものの、どうやら気を失っているだけのようだ。かすかに呻き声が聞こえた。日下は安堵の息を漏らした。

 奈津美を抱きかかえ、コ・パイ席からその後ろのサブシートに移してベルトで固定すると、日下はバイザーのひびを応急テープで補修した。

「日下、奈津美は?」

 パイロット席に戻ると、カズキがそう尋ねてきた。

「大丈夫、気を失っているだけだ」

「そうか、日下副長、どうする?」と、ビリーが言った。彼も奈津美のことが心配だったようだ。ほっと安堵しているのが、声の様子で解った。

「出よう。ここで退くわけにはいかない」

「了解。カズキさん、ハイパークラフターオン」

 ビリーの指示に則って、カズキは脚部の大口径のバーニアの出力を最大で点火した。

 ラグマ・ブレイザムは、猛然と加速した。敵の編隊の中央を突破する。艦載機をその腕で叩き落としながら、猪突する。しかし、その数が一向に減る気配がない。ラグマ・ブレイザムを標的にして、次々に敵編隊が群がってくる。

「二番、三番ブロック、ミサイル撃て!」

 腕のミサイル発射口から、細いロケット光が延びてゆく。その行く手で数個の閃光が花開く。

 ラグマ・ブレイザムが、更に加速した。ビリーが、それに思わず呻いた。


 ラグマ・リザレックは全身敵の砲火に包まれながらも、前進していた。

 戦況は極めて不利な状況だ。

 山村は、この宙域からの離脱を頭に浮かべた。

「大倉航海長、航路図を出してくれ」

 インカムを切り替えて、山村は大倉航海長にそう言った。

「航路図、出します」

 艦長席のモニターに、それが転送されてきた。ここから、二万光年先にツインジュピターという二連星があるのが見てとれた。

「ツインジュピターがあったか」と、山村は、ぼそりと呟いた。

 ツインジュピター。その名の通り、太陽系五番目の惑星である木星と非常に似通った惑星が、双子のように二つ連なっているのだ。問題なのは、この惑星の重力場が大きすぎるという点だ。その強力な重力場は、ワームホールの座標軸すら歪めてしまう。外宇宙の船乗りの常識として、ツインジュピター近辺での亜空間ワームホール航行は、タブーと言い伝えられている。

「大倉航海長、ツインジュピター手前まで、SWNを行う。重力場の影響が受けないギリギリのポイントを割り出してくれ」

「了解」

「艦首魚雷次弾装填、対空VLS発射」

 山村と大倉航海長の会話の間、アイザック戦務長は、光渦巻く戦闘艦橋で状況を善処すべく、必死になっていた。

「左舷2時の方向、重機動要塞がきます」

「左舷、SBM発射」

 アガレスが、来る。

「日下副長、ラグマ・ブレイザム、反転だ。アガレスを撃退しろ!」

 山村艦長が、インカムを切り替えてそう言った。

「山村艦長、座標ポイント、出ました」

「よし、大倉航海長、SWN準備。アイザック戦務長、全戦闘班に帰投準備命令を出せ! 全ての戦闘班が帰投、それと同時にSWNに入り、この宙域を脱出する。ロイ通信長、全ての管制官に通達。帰投と同時にSWNだ。タイミングは、こちらで指示する」

「了解」

 ロイ・フェース通信長の声を聞いて、山村艦長はキッと前方を見据えた。

「トムソン機関長、エンジン出力全開。大倉航海長、最大戦速。敵旗艦ゴルダのラインを突破する。その三〇秒後にSWNだ。アイザック戦務長、各戦闘班のカウントを合わせろ」

「了解」という声とともに、艦長席に据えられた3Dモニターの中で、かすかにアイザック戦務長が頷くのが判った。


 ラグマ・ブレイザムは集中砲火を浴びて、その巨体が光球に包まれていた。致命傷を負わないのが、不思議なくらいだ。

 頭部のレーザー砲が、連射された。ガーガン・ロッツが3機ほど撃墜する。だが、それで敵が怯むことはない。逆にミサイルの直撃を喰らう。

「こんの野郎ー!」

 膠着状態のもどかしさと帰還命令遂行の責任感が、ビリー・レックスに叫びを与えた。

「日下副長、カズキ、しっかり捕まってろよ!」

 ビリーは通信モニターに怒鳴りつけると、その手をコンソールに走らせた。

 ラグマ・ブレイザムの全身についている各ノズルを開放、ハイパークラフターの角度調整を一瞬にして行い、ビリー・レックスはラグマ・ブレイザム自身をフィギュアスケートのように回転させた。

「ウオォーッ!」

 ビリーの叫びに応じて、ラグマ・ブレイザムの回転とスピードが上がってゆく。凄じい横Gに、日下もカズキも別な意味での叫びをあげていた。

 その回転がピークに達したとき、ビリーはラグマ・ブレイザムの全身のミサイルやレーザー、コントロールできる全ての火器を一斉に発射した。

 ラグマ・ブレイザムを中心として、渦のように火線のカーテンが遠心力さえも利用して三六〇度あらゆる方向に飛んでいった。

「消え失せろ!」

 ビリーの絶叫とともに、ラグマ・ブレイザムへと攻撃を仕掛けていた敵機は、一瞬にして光球と化していた。

 息を整え、ビリーが落ち着きを取り戻したときに、ようやくラグマ・ブレイザムの動きが止まった。

 その宙域には、敵機が完全に消えていた。


「ガデル司令、我がボビット・バーノン一二、一四、一五、一六の4つの編隊が消滅」

 その報告の声は、かすかにうわずっていた。確かに驚くべき報告だ。ガデルも敵の遊撃機甲兵器が、火器を一斉開放するのをモニターで確認した。おそるべき戦法だと言える。

 だが、それに指揮官が怖じ気づいては士気に関わる。

「怯むな! 砲撃の手を緩めてはいかん。あと少し敵を追い込めば、次のオペレーションに入る。そうすれば、我々は勝てるのだ」

 ガデルは、突進してくるラグマ・リザレックをスクリーン越しに凝視した。

 不意に、ブリッジが大きく揺れた。ガデルが思わずコンソールにしがみつくほどの、衝撃だった。

「何事だ?」

「右舷被弾」

 ゴルダが煙を吐いて、少しずつ作戦位置から外れ、左へ流され出した。

「どうした。流されているぞ」

「右舷スラスター、破壊されました」

「ここで、この位置から我が艦が後退はできんのだ。左舷スラスター全開、噴射3秒」

 ゴルダが左舷スラスターを噴射して、その動きに制動をかける。

 そのとき、兵士の一人が叫び声をあげた。

「敵RPA急速接近! Dライン突破しました」

 モニターに、ラグマ・ブレイザムが映っていた。猛然と加速して、ゴルダに向かってくる。先ほどの戦果に乗じて、一気呵成に攻め上がろうとしているに違いない。

 ふつふつとガデルの中で、体温が上がった。調子にのるな! なめるんじゃない! 声にならない声を発して、ガデルは指示をだした。

「全ミサイル、対空弾幕、攻撃始め!」

 ゴルダの全身からミサイルが飛び出した。まるでバリアのように、ゴルダを包み込むような弾道を描いて、その宙域に散開した。

 見事な弾幕の展開だ。RPAラグマ・ブレイザムはそこに、立ち止まるように停止せざるを得なかった。


「トムソン機関長、エンジン出力全開! 大倉航海長、敵旗艦ゴルダがわずかにコースから外れた。このまま、突っ込め! アイザック戦務長、各隊の帰投カウント開始だ」

 山村艦長の号令のもと、ラグマ・リザレックは一気に加速を開始した。

「SWN用意、亜空間回廊生成」

 眼前にゴルダが迫る。だが、それも一瞬だ。次には、それを掠めて通過した。

「後部ミサイル水平発射。爆雷散布、急げ」

 アイザック戦務長が、的確な指示を出した。


 カレン・ライバックたち管制オペレーターたちは、これまでにない多忙と緊張を強いられた。

 帰投タイミングは、八咫烏隊ならばシンディ隊長とセシリア副隊長、ファイアードレイクならば広瀬隊長らの統率責任者に任せていい。が、彼らが一斉に帰艦した後の指示は個別に、各パイロットに伝達を行わなければならない。中途でロイ・フェース通信長の援護があったが、そうでなければ管制室そのものがパニックを起こしていたかもしれなかった。

「八咫烏隊、全機帰投完了」

「ファイアードレイク隊、全機帰投完了しました」

 報告が次々と上がってくる。

「ロイ通信長、ラグマ・ブレイザム各機がまだ帰投していません」

 カレンの報告に、ロイが驚いて山村艦長に報告をあげた。

「ジュリア、ラグマ・ブレイザムの位置は確認できるか?」

「はい、本艦の上空五〇〇」

「日下副長、聞こえるか?」

 インカムを切り替えると、艦長席の3Dモニターにラグマ・ブレイザムのコクピットが投影される。

「聞こえます。艦長」

「もう、カウントギリギリだ。ドッキングアウトして、格納するだけの時間がない。甲板上のフライトデッキを折り畳む。空いたスペースにそのまま着艦しろ」

「了解」

「加賀室長、第一、第二、第三のフライトデッキを格納してくれ」

「わかりました」

 ラグマ・リザレックの司令艦橋が存在するラグマ・レイアは空母の役割を担っており、艦載機が発進する滑走路となるフライトデッキは、二つに折り畳まれている。今現在はそれが展開され、ラグマ・ブレイザムが甲板に降りるには障害になるのだ。

 ラグマ・ブレイザムは、フライトデッキが格納を開始したことを認めると同時に降下を始めた。

 ラグマ・リザレックの速度に合わせながら着艦するのは、口でいうほど易しいことではない。

「どうして、俺がパイロットコントロールするときに限って、こんな難しい注文がくるんだ」

 ブレズ1のコクピットで、思わずビリーがぼやいた。だが、それをやってのける技量が彼にはある。アリエルのハイブリッドアーマーの第一パイロットになったのは、伊達ではない。

「ラグマ・ブレイザム、着艦完了しました」 

 山村艦長のもとに報告が届いた。カウントギリギリだ。

「亜空間回廊生成」

 大倉航海長が、即座にSWNのシークエンスに入った。

 ラグマ・リザレック全体が、亜空間で包まれた。巨体だけに、広大な範囲の亜空間回廊が生成された。


「巨艦、亜空間回廊生成!」

 その報告に重機動要塞アガレス司令レイビス・ブラッドは、フンと鼻を鳴らした。

「全艦、亜空間回廊生成。SWN用意」

 通信モニターから、ガデル少将の指示が飛んだ。その指示に基づいて、ギネル帝国艦隊、デリバン連合王国艦隊ともに、亜空間回廊を生成し、SWNの準備に入る。

(さすがだな。全くの作戦通りだ)

 レイビスは感嘆した。

 敵が亜空間ワームホール航行で現宙域から逃げ出すことも、ガデルの作戦プランのうちだった。

 ラグマ・リザレックの乗組員の殆どはアリエル基地の人間だ。辺境の衛星基地で、今大戦から切り離されていた彼らは、戦闘経験が乏しい人間の集団である。通常宇宙空間でさえ不得手なはずの彼らが、ましてや亜空間でまともな戦いができるはずがない。この利点に目をつけたガデル少将は、ラグマ・リザレックを包囲して亜空間戦闘へと誘い込むことが、狙いだったのだ。

 ギネル、デリバン、そしてアガレスが各自亜空間回廊を生成した。ラグマ・リザレックの生成した亜空間回廊が巨大だったため、包囲した各艦の亜空間回廊が、すぐにそれに接触した。瞬時にラグマ・リザレックを中心にして、亜空間回廊が膨れ上がって全ての艦を包み込んだ亜空間カテドラルが創られた。

 ガデルが目論んだのは、そのための包囲網だったのだ。


「何?」

 ギネル、デリバン連合艦隊全てを包み込んだ亜空間カテドラルが生成された。そのことに、山村も大倉も気付いた。かといって、亜空間ワームホール航行のシークエンスは止められなかった。

「シュレゲリークォーク、インパクト!」

 大倉蔵航海長が、ワームホールを生成させた。

「大倉航海長、SWNフォールイン」

 山村の号令のもと、ラグマ・リザレックは、ギネル・デリバン、アガレス全ての艦隊を引き連れたまま、ワームホールへと落下した。


 目覚めると白く眩い光が、奈津美の瞳を刺激した。

 その傍らで、ミズキ・朝倉が奈津美の左腕の包帯を取り替えていた。

「あ、気がついた」

 彼女の優しげな声が、耳にふわりと抵抗なく入ってきた。わずかにかすむ目の中で、ミズキの艶やかな黒髪が鮮やかだった。

「私……」

 奈津美は、一旦目をつむって記憶をまさぐり整理した。そして、ようやく状況がわかりかけてきた。

「気を失っていたのよ、今まで……どう? 痛む?」

 ミズキが奈津美の顔を覗き込んだ。優しい穏やかな微笑みが、彼女の顔に浮かんでいる。なんだかとても居心地がいい微笑みだ。

「ありがとう、先輩。大丈夫です。今、戦闘はどうなっているんですか?」

「今、ワームホールに入った。敵を振り切ったようだよ。安心していい」

 ミズキの後ろから、リー・チェン医師が歩み寄ってきた。

「亜空間ワームホール航行ですか」

 起伏のない声で奈津美が呟いた。

「さあ、今はそんなことを気にしないで、ゆっくり休みなさい。幸いケガはたいしたことない。わずかに左腕に裂傷があって、出血していた。それを補う点滴をしている。ゆっくり養生すればすぐに良くなる」

 リー医師は、傷の具合を説明してにこやかに奈津美を見た。

「そうそう、傷はきちんと塞いだ。傷痕が残ることもないだろう。大丈夫、ちゃんとお嫁にいけるよ。ま、もっとも君みたいに可愛い娘だったら、傷なんて関係なくお嫁にはいけるだろうがな」

 そう言ってリー医師は豪快に笑った。それにつられて、奈津美も笑った。

 リーに言われた、お嫁という言葉になんとなく気恥ずかしさを感じた。と、同時に脳裏に日下の姿が浮かんで、更に顔が赤くなった。

ノックの音がした。どうぞ、と奈津美が答えた。

 やってきたのは、遊撃戦闘班の面々だ。

「奈津美、大丈夫か?」

 日下もカズキもビリーも、異口同音にそう言葉を発した。それぞれに心配してくれているのが、みんなの表情に浮かんでいる。

「ありがとうございます」

 奈津美はペコリと頭をさげた。

「ご心配かけてすいません。ケガはたいしたことありません。大丈夫です」

 そう言った奈津美の顔を見て、誰もが一様にホッとしたようだ。

「奈津美がケガをしたと聞いたときは、冷や汗もんだったぜ」

 カズキが、皆の気持ちを代弁した。

 自分のことを心配してくれる人がいるということが、こんなに嬉しいことだと奈津美は思わなかった。

「ありがとうこざいます」

 奈津美はもう一度そう言って、言葉につまった。ケガをして、心細かったこと、それに相対してみんなが優しくしてくれたことがないまぜになって、不意に涙がこぼれたのだ。

「さあ、カズキ君達。奈津美さんを休ませてやろう。治療もたった今、終わったばかりなのだ」

 穏やかな口調でカズキたちに諭すように、リー先生が言った。

「そうですね。じゃ、奈津美ゆっくり休めよ」

 ビリーが親指をたててそう言うと、順に医務室を出ていった。入れ替わるようにして、クラウディア看護師長がやってきて追加の点滴を持ってきた。慣れた手際で、点滴を追加すると「なにかあったら、すぐにナースコールしてくださいね」と言って、微笑んでくれた。怪我して、心細くなる気持ちを吹き飛ばし、安心させてくれる微笑みだ。

 リー・チェンとミズキは点滴の具合を確認した。やがてそれを終えると「ゆっくり休むのよ」とミズキが、奈津美の顔を覗き込みながら言った。奈津美が頷くのを見てから、リー先生とミズキも医務室を出ていった。

 パタンとドアが閉まる。急にしんとした静けさが、その部屋を満たした。耳が痛くなるほどだ。

 ぼんやりと天井を見ていると、なぜだか父親の顔が思い出された。小さい頃、奈津美は随分と父親になついていたし、正直とても好きだった。でも自分で物の道理が少しわかってくる頃から、なぜだか父親と喋らなくなった。

 奈津美の父親は、衛星アリエル開発計画、主にエネルギープラント計画の開発主任だった。開発主任などと言えば聞こえはいいが、実際はメタンガスプラントを作る建設現場の現場監督みたいなものだ。工期に間に合うように作業者に気を遣い、部品の手配から納入まで橋渡しをし、セクションとセクションのつなぎの役目も担っていたから、こっちで頭をさげ、あっちで頭をさげ、かっこいいなんて一度も思わなかった。幼少の頃にはわからなかった父親の姿が解るようになって、幻滅したといっていいのかもしれない。

 第一次プラントが出来上がったときに、小学校であのプレートを書いたのだが、それ以外の派手なセレモニーもなにもなく稼働状態に入った。これが、アリエルのエネルギーを賄うのだから、本来はもっとありがたがられてもよさそうなものだが、空気みたいなもので、目に見えず、あって当たり前みたいなエネルギープラントは、なぜだか誰にも評価されているように思えなかった。

 地味で、なんだか奈津美の父親だけが貧乏くじをひいているような気がした。

「お父さん、損ばかりしているんじゃないの?」

 そう尋ねたとき父親は笑っていたが、その奥に困惑があったような気がした。

「損をしてるとか、得をしたとか、そんなことはどうでもいいんだ。お父さんのやった仕事が人様の役にたっていることがわかっていれば、そんなことはどうでもいいんだ」

 父親はそう言った。正直、理解できなかった。今時、他人のことを人様などと表現すること事態、古くさいと思ったものだ。でも不思議と思い出されるのは、父親の周りにはいつも人がいた。人をあてにし、あてにされて過ごしていた。

 それは生きていくうえで、とても大事な事だったんだと、今初めて奈津美は理解できた気がした。

 人様の役に立つ。カレンにありがとうと言われて嬉しかった。日下に誉められて嬉しかった。カズキやビリーが心配してくれているのが嬉しかった。そういう仲間がいることが嬉しかった。

「結局、私はお父さんの娘なんだなぁ…」

 奈津美の口から、そう独り言が漏れた。

 ドアがノックされた。反射的に「どうぞ」と返事をした。

 おずおずと部屋に入ってきたのは、轟・アルベルンだった。

「轟クン?……」

「……大丈夫ですか?」

「ウン、たいしたことなかった」

 言いながら、奈津美は半身を起こした。体を支えようとしたとき、ケガをした腕に痛みが走った。

「寝ててください」

 轟が慌てて言った。

「ありがとう。でも、大丈夫」

 ベッドの上に半身を起こして、轟を見た。彼は奈津美の腕にまかれた包帯を見つめていた。それにつられて、奈津美自身も自分の腕に目をやった。

 二人とも押し黙ったまましばらくそうしていたが、「怖くなかったですか?」と轟がぽつりと言葉を落とした。

「奈津美さん、怖くなかったですか?」

「……そうね。怖かったわ」

「恐ろしかったでしょう。奈津美さん。わかるでしょう。僕の言ったこと」

「……そうね。わかったみたい」

 そう言って顔をあげた奈津美は、言葉とは裏腹に何故か轟に向けて笑顔を作っていた。それは轟がドキッと胸にときめきを呼び込むほど素敵な、そして自然な笑顔だった。眩しいとさえ思うほどの奈津美の笑顔に、彼は逆に目を伏せた。

「……奈津美さん、艦長に頼みに行きませんか? 遊撃戦闘班やめたいからって、一緒に」

「一緒に? 私に遊撃戦闘班をやめろ、というの?」

「え?」

「私に、逃げ出せ、と言うの?」

「そんな、逃げるだなんて」

「そういうことなのよ。今、私が逃げたら、他のみんなはどうなるの?」

「で、でも嫌になったはずです。こんなケガをして、恐ろしくて、死ぬかも知れないんですよ」

「敵が来たら、どこにいても死ぬかもしれないわ。何もしなければ、ただその恐怖に怯えているだけなのよ。でも、私が私にできることをすれば、一人でも戦いの犠牲にならなくてもすむのよ。そして、轟君、遊撃戦闘班に選ばれた君は、それができるの。みんなを守ることができる力があるの。それは誰にでもできることじゃない。轟君にしかできないことなのよ」

「……」

「私、帰艦したときに、カレンさんにありがとうって言われたのね。なんか、それがとっても嬉しくて…私ね、お父さんが死んでから山村艦長やミズキさんや、皆に面倒みてもらってばっかりで、人に迷惑かけてばかりで、あんまり人にありがとうなんて言われたことないんだ」

「…きれいごとは止めてください。戦争なんですよ。殺し合いなんだ。殺し合いをして、感謝される。それになんの意味があるんです」轟は、そこで一旦言葉を切った。そして息を吸い込むと、一気に言葉を吐き出した。「結局、奈津美さんは日下さんが好きなんだ。その側にいたいだけなんだ」

 何故ここで日下の名前が出るのか、話が飛躍して支離滅裂だと、轟は自分でも気付いたが、既に飛び出た言葉は戻すことはできない。

 奈津美は、最初驚いたようだが、その後、微笑みを浮かべた。

「そうよ。私は日下さんが好きよ。あの人の役にたちたいし、生意気かも知れないけど、日下さんを守りたい。轟君、私は轟君のことだって好きよ」

 不意に奈津美に「好き」と言われて、轟は息を呑んだ。自分の頬が赤くなるのを意識した。表に現れたしぐさで、奈津美には全てを見透かされたと思い、轟は尚、顔が赤らんだ。まるで心が剥き出しになったようだ。

「あ、イヤ、その好きっていうのは変な意味じゃなくて、その仲間として…だけど…」

 奈津美は少し慌てて、誤解しないように言葉を紡いだ。

「難しい理屈も偉そうなことも言えないけど、私は日下さんやカズキさん、ビリーさんたち仲間が好き。ずっとアリエルから一緒で私の面倒見てくれたミズキ先輩や山村艦長が好き。あの人たちには、ケガなんかしてほしくない。ましてや、死んでなんかほしくない。守りたいの」奈津美は、視線を転じて轟に移すと、少しおどけて言った。

「轟君も私の事好きなら、仲間だと思うなら、私を守ってね」

「……勝手なこと言わないで下さい!」

 轟はいきなり立ち上がると、そのまま踵を返して慌ただしく、まるで逃げるように部屋を出て行こうとした。

「轟君、私が遊撃戦闘班に入ろうと思ったきっかけは、君なんだよ」

 轟の背中に向かって奈津美は言った。轟は、その場に立ち止まったが、振り向こうとはしない。

「君と初めて会ったとき、プレートを渡してくれた時から、私より年下なのにこんなに頑張っている、ラグマ・ブレイザムを操縦できちゃう凄い子がいる。私もなにかしなくちゃってそう思ったの……轟君、君は年下だけど私の目標なのよ」

 奈津美の言葉を背中で聞いていたが、轟はそのまま姿を消した。

「変なこと言っちゃったかな」

 なんとなしに気恥ずかしさを感じて、奈津美はベッドに横になると、そのままシーツを頭から被って丸くなった。


「いた、巨艦捕捉。間違いありません」

 亜空間ソナーを操る有村ななみ空間測定長が声をあげた。

「よし、全艦、亜空間戦闘準備、砲撃戦用意」

 デュビル・ブロウは暗黒空間の中を飛び交う光の乱舞に目を馳せつつ、戦闘準備に入った。

 やがて、その光の矢に逆らってデリバン連合王国艦隊旗艦グレートデリバンは、青い光のビーム砲を発射した。

「速度を落としつつ、前進する」

 そこへレイビス・ブラッドと望月弥月の乗艦するギネル帝国重機動要塞アガレスが巨艦に向かって突進していった。

 デュビル・ブロウは、それを静かに見ていた。


 司令艦橋が揺れに揺れた。このときになって、山村はようやくこれが巧妙にしかけられた罠だと気がついた。

 亜空間カテドラル内で戦闘を行うと考えたとき、山村は戦慄を禁じ得なかった。

 もともとワームホールは、別の閉ざされた次元空間だ。SWNは、このワームホールを目標座標まで、トンネルを掘り進むイメージだ。この空間に突入するための亜空間内で戦闘をすれば、目標座標に狂いが生じ、目的地に辿り着くことが困難になるだけではなく、場合によってとんでもない空間に弾き飛ばされる。万が一、ナチュラルワームホールにでも接触すれば何万、何百光年と違う空間へと出てしまうことだって有りうるのだ。

 空間座標軸を保ちながら戦闘を行う。こういった条件下での経験は、山村にもなかった。

 ワームホール内の独特の闇と、交錯する光の乱舞は山村達の生理的感覚の全てを鈍らせた。

 山村は不安を感じながらも、それを悟られぬよう発令した。

「総員、亜空間戦闘用意」


 医務室から飛び出した轟・アルベルンは、特に意識することもなく艦内をうろついた末、辿り着いたのはシミュレーション・コーチャーズボックスだった。

 正直言って今、轟の居場所はない。いや、椅子は用意されているのだ。ただ、轟がそれに座りたくないだけなのだ。

 遊撃戦闘班のパイロットの椅子。過酷な椅子にしか思えない。死に直面する場面の連続に、とても自分の神経が持つとは思えない。

 何故、大人達は僕にそれをやれと押しつけてくるのか? 僕以外の人間でも充分できるんじゃないのか? 何故、僕なんだ?

 今まで何度となく考えたことが、頭の中を旋回する。ふと、自分のサイボーク義手を見る。その度に喉の辺りが、息苦しくなる。

「チキショー!」「クソ!」

 悔しまぎれに発した言葉が二つ重なった。轟は、ふと顔をあげてシミュレーションボックスの入り口を見た。その入り口から、キイキイと金属音を軋ませて、車椅子の少年が姿を現した。

 轟も車椅子の少年も、突然の出会い頭に狐につままれたような顔をしてお互いを見つめた。

 そういえば、山村艦長が車椅子の男の子がいると言っていたな、と轟は思い当たった。

「こんにちは」

「こんにちは」

 互いに不器用に言葉を交わす。

「君、名前は?」

「………」

「僕は、轟・アルベルン」

「トニー・クライン・キッドマン」

「トニー君か。シミュレーション、やってたの?」

 無言のままで、トニーは頷いた。その顔に、ありありと罪悪感が浮かんでいた。叱られる、と思っているのだろう。

 考えてみれば、このシミュレーションボックスは、勝手に中に入って作動することはできない。勝手にやっていたとすれば、それはセキュリティコードをかい潜って、不正に侵入したということだ。大人、ましてやここの責任者の日下や加賀室長がこの現場を見たら、火がついたように怒り出すだろう。

「大丈夫さ。誰にも言わないよ」

 轟のその一言で、トニーは安心したのかホッとして笑みをつくった。

「でも、なんでシミュレーションなんてやってたの?」

「僕、お母さんを守りたいんだ」

「お母さん?」

「僕のお母さんは、八咫烏隊のシンディ・キッドマンなんだ」

「八咫烏隊のシンディ隊長」

 遊撃戦闘班と八咫烏隊は模擬戦闘訓練を行った。その時に、轟も参加したから覚えがある。とても、優しい顔だちをした女隊長。だけど、優しい顔で優しい声で、物凄く厳しいことを言う隊長、というのが轟の印象だった。

「逆でしょ。お母さんが、君を守ってるんだろ」

「そうだよ。だけど、お母さんだって大変じゃないか。僕が、手伝ってやりたいんだ」

「小さいから、君には無理だよ。それに…」

 言い淀んで、つい轟はトニーの脚に視線を落とした。

「小さいからって、車椅子だからってバカにすんな」

 突然、トニーは怒り出した。真っ赤になってムキになって、本気で怒っている顔を見ると、本人は車椅子のハンデを相当気にしていることがわかった。

 一瞬、悪いことを言ってしまった、謝ろうと考えたが、トニーがあんまり怒るものだから、逆に腹が立ってきた。

「無理に決まってんだろ! 戦争するんだぞ。死ぬかもしれないんだぞ。君にできるはずないじゃないか!」

「そうだよ! 戦争なんだ! お母さんが、死んじゃうかも知れないんだ。だからそうならないようにしたいんだ。なんだよ、轟。お母さんから聞いて知ってるぞ。遊撃戦闘班のパイロットのくせに出撃しない意気地なしだろ」

 こんな子どもに呼び捨てにされ、しかも意気地なしと言われた。さすがに、これには轟も傷ついた。

「お前に何がわかるんだ! 実際に戦争に出てみろよ。あの恐ろしさがわかるかよ」

「出てやるよ。僕は、意気地なしじゃない。シミュレーションだって、撃墜モードじゃ誰にも負けないんだ。どんなに戦場が怖くたって、お母さんを守るためなら我慢できるんだ。だけど、だけど誰も僕にパイロットにしてくれないんだ。車椅子だから、やりたくたってできない。なんだよ。お前なんか、ちゃんと歩けて、普通の体で、才能あって、パイロットで、僕がほしいものみんな持ってるくせに。なのに、なんで出ないんだよ」

トニーの表情から、彼の気持ちが剥き出しになって伝わってくる。本気で、轟に怒っている。大人達と違って、子供は手加減も小細工もなしだ。

 轟の体の中で怒りが湧いて、トニーに対し暴力をふるおうと咄嗟に手が動いた。だが、その手が止まった。ここで手をあげたら、轟が大人と同じになってしまう。

その拳をぎゅっと握りしめる。

 どうして、誰も僕のことをわかってくれないのだろう?

 どうして、みんな僕を戦場に出そうとするんだろう?

 それとも、僕がわかっていないのか?

 心の中で感情と疑問符が氾濫してしまいそうだった。

「僕だって、意気地なしじゃないんだ」

 轟は、そう言い捨ててその場を走り去った。


 戦闘の衝撃が揺さぶるのは、医務室も例外ではなかった。

 奈津美は、反射的にベッドから飛び起きた。

「攻撃?」

 奈津美は自分で点滴の針を抜き取ると、パッと立ち上がった。

 腕に痛みがあった。体もわずかに軋むような感覚がある。ベストな状態じゃない。だが、ここでこうしていることを心が許さなかった。

 壁にかけられたバトルスーツを取り、それを着込んだ。

 ドアを開けたとき、ばったりとミズキと鉢合わせした。二人ともびっくりして一瞬立ち止まった。

「奈津美! ダメよ! 出撃なんか」

 素早くミズキが奈津美の手をとって止めに入ったが、奈津美はそれを振り払って走り出した。

「寝てなんかいられません」

「奈津美! ダメだって!」

 だがミズキの言葉も聞かず、奈津美は更に走った。

 廊下に出ると待っていたように、揺れが奈津美を襲った。

 倒れかけて、思わず壁によりかかった。

「しっかりしろ、奈津美」

 自分で自分を励まし、かつ叱りつけた。

 艦内を走る輸送軽車両、ラインシューターに乗り込んでRPAの格納庫へと急ぐ。

 発進デッキは蜂をつついたような騒ぎだった。メカマン達が右に左に奔走している。チーフメカニックマンのスティーヴ・ハワードの指示が飛んでいた。彼の容貌は一見優男なのに、いざとなるとその声が以外に大きくよく通り、迫力がある。

「ブレズ2、ブレズ3発進準備」

カレンのアナウンスに従い、2機が発進ゲートに入った。

「日下副長、はからずも亜空間戦闘に入った。亜空間の特性上、八咫烏隊とファイアードレイク隊は発進できない。機体が小さく数が多いため、レーダーで常に捕捉して空間座標軸を維持する指示が難しいからだ。RPAに限定して、ラグマ・リザレックの援護をしてくれ。負担が大きいが、それを承知で頼む。空間座標軸を維持する指示は逐一行う。専任でジュリア・ボミをつける。彼女が遊撃戦闘班の機体のみを専任でサポートするから、彼女の指示に従ってくれ。空間座標軸が維持できなかったら、別空間に弾き飛ばされてしまう。アラームが出たら、すぐに機体を安定させて戦闘宙域から離脱しろ。深追いはするな。決してはぐれるなよ」

 山村艦長から日下に対して出た命令指示だ。

「山村艦長、了解しましたが、パイロットの轟・アルベルンと連絡がつきません。高城奈津美は負傷しており、ブレズ1が発進不能です。ブレズ2とブレズ3で出ます」

「やむをえん。発進してくれ」

「了解」


「ブレズ2、ブレズ3、コンディションオールグリーン。発進スタンバイ完了。いつでもどうぞ」

 カレン・ライバックの指示に則り、二機のブレイザムメカは発進ゲートのコースに入った。

ブレズ1のコクピットにつながる通路に入ったとき、奈津美はようやくヘルメットを被った。通信回線をオープンにすると、カズキの怒声が響いてきた。その大きさに驚いて、奈津美は身をすくめて慌てて音量調整をした。

「轟はどうした?」

「つかまらない」

「一体、どうしてあいつはこうなんだ。奈津美はダメなんだろう?」

「奈津美は無理だ。俺たちだけでやるしかないだろう」

「なんであいつは、こう、歯痒いというか、もどかしいんだ。俺は轟のこと、当てにしてるんだぞ」

「それは、俺も同じだ。パイロットとしての筋はいいんだ。後はメンタリティの問題だ」

 日下とカズキのやりとりだ。

「ブレズ3、発進!」

「ブレズ2、発進します」

 2機が続いて、亜空間へと発進した。

 通信を聞いて、日下とカズキの二人が、轟に対し期待していることがよくわかる。

(轟君、あなたのことを頼りにしている人がいるのにどうして?)

 カズキの台詞じゃないが、彼のことを思うとどうしてこうもどかしい気持ちになるのか?そう思ったとき、突然「奈津美さん」と背中越しに呼び止められた。

 振り向くと、そこに轟・アルベルンが息をつきながら駆けてきていた。

「轟クン。どうしたの?」

 轟はハァハァと息を切らしながら、まじまじと奈津美を見つめていた。

(一緒にきてくれるのかしら?)

 一瞬そういう考えが頭をよぎったが、轟がバトルスーツを着込んでいないことに気付いた。

「僕は……」胸に手を当てて息を整えながら、轟は言葉を紡ぎ出そうとしている。「僕は出撃なんかしない。誰が、誰がするもんか!」

 轟の言葉に、奈津美は面食らった。

「わからない。僕には、わからないよ。何故、何故、奈津美さんは死に急ごうとするんだ! 何故、戦場になんか行こうとするんだ」

 拳に力をこめて、そう叫んでいる。

「……死に急いでなんかいない。そうじゃないの。私は、自分の気持ちに正直なだけよ」

「自分の気持ち?」

「戦場は、怖いわ。見て…私の手…少し震えてるでしょ?」

 奈津美は、轟に向かって自分の右腕を差し出した。確かに、白い綺麗な指先が、かすかに震えていた。

「私もね、きっと弱虫なんだ。でも弱虫だから、あとは強くなるだけでしょ。それしかないじゃん。私、強くなれると思うんだ。だって私、守りたいものいっぱい、いっぱいあるんだもの!」

「………」

 奈津美の台詞に触発されて、さっきのトニーの言葉が轟の心の中に甦った。トニーは、お母さんを守りたい、と言っていた。

「それにね、私は志願したの。ブレズ1のパイロットに。そんな自分から逃げられないもの。でもね、この航海が無事に終わったら、きっと私は辞めると思う。結婚だってしたいと思ってるんだぞ。でも、そんな未来の自分を掴むためには、今はこれに乗らなくちゃならないと思うの」

 奈津美はブレズ1の機体を振り仰いだ。そして、意を決して踵を返した。

「奈津美さん!」

 轟は奈津美に向かって彼女の名前を呼んだ。その言葉の中に、轟の奈津美に対する様々な感情がこめられているのが、ありありとわかった。

 だが、轟の声を背中に聞きつつも、奈津美は振り返らなった。

「轟クンの気持ち、うれしいよ。私を戦場に行かせたくないんでしょ。その気持ち、それも人を守りたいという気持ちよね。でも、ごめんね。それは私が望むのと、ちょっと違うの。それでは、私を止められないの」

 奈津美はゆっくりと、だがしっかりした足取りでコクピットに向かう。

 やがて、彼女が乗り込むと、そのハッチが静かに閉まった。奈津美が言う通り、今の轟に奈津美を止める術はない。まさしく、彼女が言う通り強さが轟に備わっていないからだ。

「…だけど、だけど」

 轟は後ずさりしながら、呟いた。

「ブレズ1、発進します」

 奈津美の凛とした声が、デッキに響いた。

「ブレズ1。発進準備完了。パイロット、高城奈津美。識別コード登録完了。コンディションオールグリーン。奈津美さん、幸運を祈ります」

 カレン・ライバックのアナウンスが、奈津美を亜空間に送り出す。

 コクピットで、奈津美は胸ポケットから、写真を取り出した。日下と二人で写っている写真だ。

「日下さん。お願い、私を守ってね」

 小声でそう言って、奈津美はその写真をコンソールの隅に貼りつけた。ふうと一息を整えて、奈津美は発進レバーをひいた。

「発艦!」

 発進するブレズ1を、轟は管制室のガラス越しに見た。


 モニターには赤や青、黄、緑、白そして言葉では言い尽くせない夥しい様々な色彩が、もの凄い速度で飛び交っている。

 その光の矢の中に紛れるようにして、敵のビームやミサイルが襲ってくる。

 単純に亜空間の光に惑わされていると、撃墜されてしまうだろう。

 ブレズ2に乗り込んだ日下は、敵機を撃破しつつ敵艦隊の群れに飛び込もうとしていたが、その度に空間座標軸のキープ状態を観測しているジュリアから抑制の指示が出る。

 亜空間戦闘は、日下にとっても初めての体験だ。正直言って、しんどい戦闘だ。

 光の交錯に目を奪われまいと神経をすり減らす。敵はそれに紛れて、破壊ビームを放ってよこす。空間座標軸の維持が気になる。思い切った操縦ができない。厳しい条件と制限を設けられた上での戦闘は、予想以上にパイロットに緊張と消耗を招いている。

 いつも以上に発汗作用が激しい自分の体に、シャツがべたついている。日下は不快感を覚えた。

 その時、日下はレーダーサイトに、ブレズ1の識別コードを捉えた。

「轟か? 来たか!」

 日下は思わず顔をほころばせて喜んだ。

「日下さん。奈津美です」

 通信回線のオープンと同時にスクリーンに映ったのは、まぎれもなく高城奈津美だった。

「奈津美? 奈津美なのか? な、なんでお前が、轟は?」

 日下は戦闘モニターの光を凝視しながら、インカムを切り替えた。

「それより、分散しているのは不利だと思います。ドッキングしましょう」

「わかった。そうしよう」

 押し問答を続けていてもしょうがない。状況的には、奈津美の言う通りドッキングした方が賢明だ。

 日下は奈津美への追求を止めて、ブレズ3へと回線を切り替えた。

「ブレズ3。ブレズ1が発進した。ドッキングする」

 光の中を敵弾をかいくぐりながら、3機のメカはドッキングのフォーメーションをとった。それが完了して、遊撃機動機甲兵器ラグマ・ブレイザムが、宙空に屹立する。

「なんで奈津美が乗ってんだ。轟は、どうした?」

 通信モニターに奈津美が映ると同時に、カズキが怒鳴り散らした。しかし、今はそのことにこだわってはいられない。

「奈津美、大丈夫なのか?」

 ビリーが、そう尋ねてよこした。

「ハイ」

 奈津美は意識して大声で、弾かれたように即答した。

「重機動要塞が、接近してくる。これを撃破する」

 日下の指令に、各パイロット達が昂然と顔をあげた。

 RPAラグマ・ブレイザムは敵重機動要塞アガレスを目標に定めた。

 ラグマ・リザレックは、亜空間のきらめきのなかに悠然とその巨体を横たえている。その両舷をアガレスが、右に左に反転しながら攻撃を加えていた。

 だが、ラグマ・リザレックはそんな攻撃も全く通じてはいないようだ。まさに圧倒的な強さをもった不沈艦だ。

 日下達にとって、それは頼もしさと安心感を与えてくれる姿だ。

 しかし、敵ギネル帝国とデリバン連合王国の両艦隊にとって、それは凄じい脅威であり、無限と言われるエネルギー「ラグマ」を擁することを指し示す証左でもあった。

「奈津美、いいか。敵の正面に出るぞ。ハイパークラフター、出力最大」

「了解」

 奈津美は、そう返事をするとそのレバーを思い切り引いた。グンと、骨が軋むほどの加速で、ラグマ・ブレイザムは、重機動要塞に向けて突進した。

 

「デュビル司令。ソナーに感。ナチュラルワームホール探知!」

 デリバン公国旗艦グレートデリバンのブリッジで、空測長の有村ななみが自席のコンソールを見つめたまま、ひと際大きな声で報告した。おそらく、現艦隊の中で、彼女が一番最初に探知したはずだ。それだけ、彼女は亜空間ソナーに関しての使い手なのだ。テレパスタイプのβμだが、なにかしら勘が働くのか、彼女の探知能力は群を抜いていた。

「探信重力波、照射して距離を測定します」

「任せる」

 ほどなくして、有村ななみ空測長が、肩までの黒髪を耳元で掻き揚げながら言った。

「ナチュラルワームホール、距離十光年。方位、空間マトリックスA67、B67、C67」

「よし、情報を全艦で共有する。データを転送しろ」

 グレートデリバンからの情報は、連合艦隊全艦に共有された。

 これを確認して、ガデルは全艦隊に向け、指示を出した。

「全艦に達する。巨艦の左舷に攻撃を集中。空間マトリックスA67、B67、C67へと追い込め。敵はそのポイントで、必ず踏み止まる。そのタイミングで集中砲火をかける」

 力を込めて、ガデルが全艦に発令した。

 

「レイビス司令、敵RPA、急速接近」

「よし、こちらもRPAアガレスで出る。望月補佐官、指揮を頼む」

「………」

 傍らの望月から、返事がない。不審に思ったレイビスは、少し声を大きくしてもう一度、彼女の名を呼んだ。そこで、ようやく望月は気付いたようだ。

「望月補佐官、重機動要塞の指揮を頼む」

 同じ台詞を繰り返して言った。

「ハイ、重機動要塞の指揮を執ります」

 艦長席を入れ替わる。なにか、妙だとレイビスは思う。的確にフォローしてくれた彼女が、あの戦闘をきっかけに、気がそぞろになるときがある。

 だが、それを深く追求する時間などない。

 レイビス・ブラッドは再び遊撃機動機甲兵器のコクピットに向かった。

 ザリガニのような特異なフォルムのRPAアガレスが重機動要塞から分離して、急激な加速度とともに、ラグマ・ブレイザムへと牙をむいて襲いかかってゆく。


「敵が重機動要塞から分離したの? ビリーさん、後方監視頼みます」

 奈津美は眼前に広がるモニターの拡大率をあげた。全神経を操縦レバーに集中すべく、握り直した。

 亜空間の光彩に紛れて、ひとつだけ違和感のある光を奈津美は捉えた。

「来る!」

 思わず叫んだと同時に、その光はみるみる接近して襲いかかってきた。それに反応して、ラグマ・ブレイザムは即座に回避運動を行った。

 ふたつのRPAは互いに弧を描きつつ、向かい合った。

 アガレスからミサイルの曳光が迸る。

 奈津美は素早くレバーを動かし、攻撃をかわした。ヘルメットのレティクルが敵をロックしようと彷徨った。だが、RPAの機動力は生半可なものではない。ロックオンできないまま、レンジの中から敵を逃した。RPAアガレスに照準をつけるのが困難だ。ましてや、今回の戦闘フィールドは亜空間だ。亜空間特有の光の乱舞が、奈津美の視覚を狂わせる。

 奈津美は、瞬時舌打ちをした。

「奈津美、左後方二〇!」

 ビリー・レックスの指示がインカム越しに飛んだ。

 機をねじらせて、敵に対して正面を向こうとする。その矢先に、再度アガレスから容赦なく火線が悪魔の触手のように忍び寄ってくる。

 奈津美はペダルを踏み込むと、ラグマ・ブレイザムを急速上昇させた。脚部のハイパークラフターが光芒を放ち、急激な加速がパイロットたちの骨を軋ませた。

 曖昧な照準ながら、奈津美はアガレスに向けてミサイルとレーザーを発射した。

 が、アガレスはそれを易々と避けてしまう。

 そうだろうと奈津美は思う。もともと期待などしていない。アガレスは、ロックオンしたミサイルさえも回避してしまう難敵だ。威嚇程度になればいい。

「ラグマ・ブレイザム、座標軸がコンマ6ほどぶれています。コース反転して本艦位置と水平角度をキープしてください」

 ジュリアから亜空間のポジショニングの指示だ。

「ええーぃ、全くなんて厄介な戦闘だ!」

 カズキが業を煮やして、思わずがなりたてた。

 アガレスとて、条件は同じはずなのに、敵には奈津美達にない大胆さがある。これが、亜空間戦闘に不慣れなものとそうでないものとの差だった。そして、それは確実に違いとなって現れている。

 アガレスのビームの照準が正確になってきた。

 二度はかわした。しかし三度目のミサイルのひとつが、ラグマ・ブレイザムの左の胴、すなわち日下のメカに直撃を加えた。

「日下さん!」

「大丈夫だ。奈津美、敵から目を離すな!」

「奈津美! 右六〇度前方、重機動要塞が来る」

 そんなビリーの言葉の羅列に、奈津美はラグマ・ブレイザムのコントロールを必死に行う。

(このままでは)

 奈津美は一瞬、あらぬことを想像した。

 このままではやられる、と。


 アガレスもまた必死だ。

「敵RPAを押し戻し、ポイントへ追い込む」

 どんな状況下においてもレイビス・ブラッドの表情は冷静で冷たい。能面のように表情に変化がない。そう訓練を受けてきたのだ。コンプリートアサルトソルジャーは、生まれながらのエリート戦闘指揮官。些細な動揺も兵士達に気取られてはならない。

「敵の装甲は我々の想像以上だ。一点集中攻撃を行う。敵の顔面に攻撃を集中しろ。コントロールシステムのひとつも破壊できるはずだ。対消滅レールガン用意。出力を最大に、収束力は最小に絞れ。破壊面積よりも、貫通力をあげるのだ」

 レイビスの指令通り、アガレスは自身が持つ最大の武器の使用に踏み切った。反次元エンジンから紡ぎだされる反物質エネルギーをベルガ粒子でホールドし、形成したレール内を超高速で撃ち出す兵器、対消滅レールガン。その破壊力と貫通力は絶大だ。

 亜空間を飛び回る光彩を利用し、更に縦横無尽に機体を滑空させて、アガレスはラグマ・ブレイザムへと攻撃を加えた。


「奈津美! 来るぞ!」

「了解。一〇番から二〇番ブロック、ミサイル斉射!」

「左右に弾幕。ミサイルコース展開、一二〇度」

 ラグマ・ブレイザムの両の腕からミサイルが発射、アガレスを狙った。だが、それも牽制程度の役にしかたたなかった。アガレスはかわす。

「早い! 右から?」

 アガレスは回避運動の次には、必ず攻撃をしてくる。奈津美はレバーとフットペダルを巧みに操りながら、アガレスの放ったミサイル網に触れないように回避した。

「こォのー!」

 迫り来るアガレスに対して、ビームを撃った。その一筋のビームが、アガレスの右側面に命中した。バリアーフィールドが展開したのか直撃には至らなかったが、それはアガレスをよろけさせた。

「捕まえる!」

 レバーを押し倒し、奈津美はラグマ・ブレイザムをアガレスの懐へと突進させた。敵のビームを右に左にかわしながら、奈津美は見事な操縦でアガレスへと猪突する。

 猛スピードで、そのままアガレスにタックルする。凄じい衝撃に、コクピットそのものが激震した。

「あっ」

 コンソールの端に貼りつけた日下と奈津美の写真が、ひらりと床に落ちた。

 奈津美は小さく叫んで、それを拾おうと手を伸ばした。ズキッと左腕の傷が痛み、一瞬その腕が宙に止まった、その時だった。


 激震のコクピットは、アガレスも同様だった。だが、その局面でも敵の動きを捉えて離さなかったレイビスは、ラグマ・ブレイザムの顔面にレティクルをロックオンした。

「全ミサイル一斉発射。続いて対消滅レールガン発射!」

 レイビスの指示により、アガレスの全身からミサイルが放たれた。それはラグマ・ブレイザムを包囲してその動きを封じる形になった。更にアガレスの底部から四角く長い砲身が展開した。その発射口は、特殊な形状をしている。四角い砲口のぐるり周囲にスリット型の発射口があるのだ。そのスリット型の砲口からベルガ粒子が発射された。中が空洞の四角錐のベルガ粒子のビームだ。それだけでも破壊力は絶大だ。だが、その放射されたベルガ粒子砲の空洞内部を反物質エネルギー弾が加速して走っていく。

 動きが止まったラグマ・ブレイザムのその顔面に、貫通力を高めた超高速の反物質弾が迫った。


「あっ」と奈津美は小さく息をもらした。

 自分に向かって、危ういものが襲い掛かってくる。反射的にレバーを操作した。

 ラグマ・ブレイザムがその右手の甲で顔面を庇った形になった。しかし、その手の甲を貫通して、アガレスが放った対消滅レールガンの反物質弾とベルガ粒子が右顔面に命中した。

 次の瞬間、奈津美のいるコクピットは爆発し、業火に包まれた。それでもコクピットが消滅しなかったのは、貫通したとは言え手の甲で庇ったため、わずかにその威力が減退したからだ。

 凄じい爆発力に、奈津美のヘルメットのバイザーがひび割れた。

 何がおこったのか奈津美はわからなかった。視界がぼやける。意識が朦朧とする。全身が痛い。

 今、自分は負傷したのだ。ラグマ・ブレイザムを操縦できないんだ。そう考えたとき、奈津美は半分無意識で、ヘルメットの通信回線をまさぐった。

「日下さん…助けて…」

 思わず、日下に助けを求めた。しかし、チャンネルが日下のものに合わなかった。

「奈津美さん! 奈津美さん!」

 くぐもった声で、耳に飛び込んできたのは、なんと轟・アルベルンの声だった。

「奈津美さん! 無事ですか。返事してください」

「轟君? 轟君なの?」

「奈津美さん!?」

「…私、やられちゃった。ケガしちゃった……操縦できない。轟君、お願い。助けて……」

 通信の向こうで息づかいだけが聞こえてくる。

「轟君、お願い…戦って。私を助けて……日下さんを守って…」

 意識が急速に薄れてゆく。奈津美は必死になって、通信回線を切り替えた。

「奈津美! 大丈夫か、奈津美、奈津美、返事しろ」

 日下の声が聞こえた。

「あぁ……日下さんの声だ…」

 日下の声を聞いて、奈津美は微笑みを浮かべた。意識が更に薄れてゆく。さっきまで、あれほど痛かった全身が急に痛まなくなった。


「対消滅レールガン、第二射、撃て!」

 レイビスは、更に攻撃をたたみかけた。


 奈津美のいるコクピットが、更に第二撃を受けた。

 奈津美の体は眩い白色の光に包まれ、そしてその光にかき消されて見えなくなった。

(……日下さん…兄さん……お願い……もうちょっと…もうちょっとでいいから……そばにいさせて…)

 奈津美の人生。

 奈津美の青春。

 奈津美の心。

 奈津美の恋。 

 それが今白い光に包まれて、そして、消えた。

 高城奈津美の儚い命が散って、その魂が日下の元に飛翔した。


「奈津美! 奈津美! どうした? 奈津美ーっ!」

 奈津美の身を案じて叫ぶ日下、カズキ、ビリー。だが、その声も既に奈津美には届かなくなっていた。


「左舷からの攻撃に集中している?」

 アイザック戦務長が、訝し気に呟いた。

 ギネル・デリバン連合艦隊の攻撃が、偏っているのだ。これを不審に思ったアイザック戦務長は、大倉航海長と山村艦長に対して通信回線を開いた。

「山村艦長、大倉航海長、敵の攻撃が左舷に偏っています。なにか意図があるのでは? 索敵でなにか反応はないのか?」

「現時点、敵の反応認めず」

「アイザック戦務長の言う通り、敵の攻撃は偏っている。右舷監視態勢を厳とせよ」

 山村も、敵の攻撃の片寄りは気になっていた。しかし、ジュリアはじめ索敵要員から敵の反応報告はない。だが、敵の攻撃は左舷からの集中攻撃が、更に顕著になっていた。

 何かある、と思わざるを得ない。


 大倉航海長ほか、航海士たちが宇宙用双眼鏡を手に周囲の監視に注視した。が、敵の反応はない。

 緊張に包まれた航行艦橋で、右舷に注視して2分。変わらず、敵の姿は認められなかった。しかし、ここにきて亜空間ソナーに感があった。

「亜空間ソナーに感! ナチュラルワームホール探知! 接触すれば違う空間に飛ばされます。コース、座標維持固定に努めろ!」

 慌てて大倉航海長は、舵を固定した。万一、現在のワームホールのコースがズレてナチュラルワームホールに接触したら、とんでもないことになる。

 ラグマ・リザレックは、これ以上右方向に舵をきれないところまで、追い詰められていた。

 敵は、ずっと前からこのナチュラルワームホールを探知し、追い込むために左側だけの攻撃に特化したのだ。

 これが、亜空間戦闘の経験がある者とそうでない者の差か。

 悔しさを滲ませ、大倉航海長は自分の顎を触った。自分の髭なのに、ざわりと嫌な感触だった。


 ラグマ・リザレックの発進デッキ管制室の後ろで、轟は戦闘モニターを見つめていた。

 奈津美の事が気がかりで、出撃する勇気もないくせにヘルメットを被っていた。ヘルメットを被れば通信回線にアクセスできるからだ。ヘルメットだけをしていると不審がられるので、バトルスーツも着込んでいる。

 そうまでして奈津美のことが気になるのは、やはり彼女に対して淡い恋心をいだいているからなのだと、自分でも気付き始めた。それを気付かせてくれたのも、また奈津美だった。

 その彼女が「轟君、戦って、私を助けて」と言っている。

 そして、その後通信はプッツリと途切れた。胆の中に重く冷たいものが、落ちてくる。

 カレン・ライバックが、必死の形相で高城奈津美の名前を呼んでいた。

 彼女に、尋常ならざる事態が起こったことは間違いない。

 それでもしばらくの間、轟は動くことができなかった。呆然とその場に立ち尽くしていた。脚から力が抜けていきそうになる。まるで、落とし穴に落ちていくような感覚だ。

「ウワァァッ!」

 轟は、急に叫びをあげた。涙がはらはらと頬を伝う。後から後から涙が溢れて止まらない。

 轟の左手の甲のラグマの紋章が、急にゆっくりと点滅するように発光した。それに反応したのか、わらわらとカニグモが周辺から現れて、コンソールに触手を伸ばしてアクセスを始めた。

 驚いたのはカレンたち管制オペレータだ。突然現れた数十匹のカニグモたちにもそうだが、それらがコンソールを動かし、コンピュータガイダンスがアナウンスを開始したのだ。

「ラグマ・ブレイザム、四神モード発動。ブレズ4、発進準備。発進カタパルト、オープン」

「なに? なにが始まるの?」

 カレンは、状況を見守るだけで精一杯だった。


 ギネル・デリバン連合艦隊から、集中攻撃が始まった。その物量は想像以上だった。途切れることなく発射される敵弾は、ラグマ・リザレックの全身に渡り命中していく。バリアーフィールドで、直撃弾こそないが、それもいつ破られる時間の問題だ。

 激震に次ぐ激震が艦を襲う。もう右方向へ舵をきれない。亜空間カテドラル内で、ラグマ・リザレックは、左舷を敵に晒して踏み止まるしかない。

 司令艦橋で、艦内機構のチェックを行っていた加賀室長が、状況の異変に気付いた。

「山村艦長、司令艦橋の真下。何かがせり出してきます。ブレイザムメカ発進口の更に下です」

「なんだと」

「管制室、なにごとだ?」

「わかりません。急にカニグモが出現して、コンソールにアクセス、勝手に動かし出しました」

 カレンの声が早口になっていて、少しばかり聞き取りにくかった。これは極めて珍しいことだ。それだけ、動揺しているということなのだろう。

「さきほど、コンピュータガイタンスによるアナウンスがありました。四神モード、発動。ブレズ4なる機体が発進態勢に入ったようです」

「四神モード? 何かが発進すると言うのか?」

「加賀室長、モニターを切り替えてチェックだ。ジュリア、何か別の機体が発進準備に入ったらしい。識別信号を捕捉しろ」

 山村の指示に、ジュリアが「了解」と反応した。

「なんだ、あれは?」

 モニターをチェックしていた加賀が、思わず声をあげた。それは、ブレイザムメカの約三倍もの大きさの機体だった。ごつごつとした岩石の塊のようなフォルムに、なにより目立つのがバズーカ砲のような砲門が8門、見受けられた。拡大投影して、細部を見るとあちこちにミサイルポットとビーム砲が所せましと装備されていて、全身武器の塊のようだった。

「パイロットは誰だ?」

「轟・アルベルンが、管制室から飛び出しました。どうやら、彼が反応しているようです」

 カレン・ライバックの声が響いた。

「ようし、カレン、君は轟・アルベルンを管制誘導してくれ。何が起こるのかはわからんが、現状の打開になるはずだ」

 山村艦長はそう叫ぶと、インカムを切り替えて日下へと回線をつないだ。3Dモニターに日下が映る。その表情が凍りついていた。彼はなかなか返答しない。

「日下副長、どうした?」

 尋ねる山村に、日下が唾を呑み込んだ。日下は、狼狽している。

「日下副長、なにがあった?」

「…ブレズ1のコクピットに被弾。パイロット高城奈津美の応答がありません」

 その報告に、今度は山村が息を呑んだ。しかし、それを振り切って言葉を紡ぐ。

「日下副長、戦闘中だ。気を保て! 轟・アルベルンが搭乗した新たな機体が発進する。捕捉、連携のうえで作戦を展開、敵のRPAを退けろ。日下副長! わかったな‼」

 山村は、敢えて怒鳴りつけた。

「……了解。遊撃戦闘班、敵RPAを撃退します」

 山村の指示に、ワンテンポ遅れて日下が復唱をした。


 戦いに出ることはやっぱり嫌だし、それには納得ができなくて割り切れない。

 だが、それでも轟は、今は戦わなければならないと思った。

 奈津美は轟に「戦って。私を助けて」と言った。彼女をなんとか助けなければと、その思いが轟を突き動かしていた。思えば、アリエルで反物質ミサイルに立ち向かった時だって、彼女の顔が浮かんだのだ。

 突然カニグモがオペレーションを始めて、出現したブレズ4なる機体。それが一体どんなものなのかは、轟は知る由もない。だが、現在轟がパイロットとして搭乗できる機体は、それしかない。むしろ、ある意味でそういう機体を用意してくれたカニグモをありがたいとも思う。

 脇目もふらず、轟はブレズ4に走った。手の甲のラグマの紋章は、相変わらず発光している。これが、轟を誘導してくれているようだった。

 ブレズ4のコクピットに着いた。

 レバーを握りしめると、更にラグマの紋章が反応して、コンソールが次々と起動し始める。

 カニグモが出現して、いつかのようにサポートに入っていた。

「パイロット登録をどうぞ」

 コンピュータガイダンスが機械的に喋り出した。

「時間がないんだ! 轟・アルベルンだ。セキュリティデータならブレズ1に登録した。カニグモ、そこから転送しろ」

 轟はそう怒鳴った。カニグモはその指示に従ったようだ。

「パイロット登録完了。生体反応識別完了、本人と認めます。システムスタート、ブレズ4玄武、発進します」

 急激なGが轟の全身を圧迫して、ブレズ4という機体がラグマ・リザレックから発進した。

 その機体のフォルムは丸い岩石の塊のようであり、見方を変えるとゾウガメのようにも見えた。

 発進したブレズ4は、あっという間に戦闘宙域に突入して、敵艦隊の中央に躍り出た。それと同時に、機体のありとあらゆる場所に装備された武器が一斉に発射されて、敵艦隊の脚を止めた。その一撃だけで、デリバン連合王国艦隊の戦闘艦が2隻沈んだ。発射されたミサイルの物量が圧倒的なのだ。

 ブレズ4は続いて反転、RPAアガレスに突進、トップスピードに乗ったままターゲットを捉えると、そのままアガレスに激突して弾き飛ばした。

 そのパワー、装甲、ともに計り知れないものがあった。


「ウオォーッ!」

 さしものレイビスも叫び声を上げた。

 ブレズ4に弾き飛ばされたアガレスは、そのパワーの前に避けることもままならず、損傷を受けた。

 コクピット内に、小爆発が相次いだ。


 ブレズ4が敵を退けている間に、ラグマ・ブレイザムにも変化が起きていた。発進したブレズ4に反応して、カニグモが各コクピットでアクセスを開始、コンピュータガイダンスが始まった。

「四神モード発動、ドッキング一時強制解除します」

「強制解除?」

 誰しも驚きの声をあげた。

 だが、それに対して否も応もなかった。3機はドッキングアウトすると、横に並列してブレズ4の前に吸い寄せられるようにしてやってきた。バリアーフィールドが発生して、敵の攻撃から身を守る体制を整えると、ブレズ4のゾウガメの甲羅にあたる部分が二つに割れて、そこから武装パーツが射出された。それらはブレイザム各機に飛んでいって、合体装着された。各機は、装甲面、武装面ともに格段に強化された状態になったのだ。

 コンピュータガイダンスが、更に続ける。

「アーマードコントロール、オールグリーン。四神モード展開。ブレズ1朱雀、ブレズ2青龍、ブレズ3白虎、ブレズ4玄武、ドッキングフォーメーションに入ります」

 4機は武器を装着した状態で更に変形を開始した。頭部にブレズ1朱雀、右半身にブレズ2青龍、左半身にブレズ3白虎、そしてブレズ4玄武は背中側と腹から腰部にかけてに分割してドッキング、その上でラグマ・ブレイザムになった。

 武装が強化され、新たに両腕に盾が付き、まるで甲冑を着込んだような武骨なラグマ・ブレイザムは、亜空間カテドラルを震撼させて虚空へと屹立した。


 RPAラグマ・ブレイザムの新たな姿に驚愕したギネルデリバン両陣営の前衛艦隊は、更に距離を詰め寄り攻撃をしかけた。

 最前線にいたアガレスが損傷を受け、一時後退したこともあるが、新たに変形した敵の姿に恐怖を覚えて、独断専行に走ったからだ。

 ビーム、ミサイルを織り交ぜた殺意の光が、ラグマ・ブレイザムに襲いかかる。しかし、それは両腕に備えられた盾から発生した強力なバリアーフィールドに遮られて、全て無に帰された。

 前衛艦隊のRPAラグマ・ブレイザム四神モードに対する脅威は頂点に達した。

 速度をあげ、前衛艦隊のうちの一隻が、SWNの座標軸から完全にラグマ・ブレイザムを弾き飛ばそうと、体当たりを敢行してきた。

 

 恐怖と勇気がせめぎあうブレズ4玄武のコクピットで、轟は叫び声を上げていた。正面モニターにはラグマ・ブレイザムの何十倍もある戦艦が、押し迫っている。

「ラグマ・ブレイザムを押し潰すつもりだ」

 ビリー・レックスの声が、轟のヘルメットの中に響いてきた。そのビリーの声が掠れていた。アリエルで、ハイブリッドアーマーのパイロットだったビリー・レックスですら、この状況には恐怖を覚えているのだ。

 ちらちらと奈津美の顔が、轟の脳裏を掠める。それを思い起こす度、轟は集中力をつなぎ止め、パニック障害になってしまいそうな心を抑制していた。

 モニターいっぱいに、敵の戦艦が映し出されていた。

 離脱するタイミングは、もう完全に逃してしまった。この状態から離脱を試みると、完全に亜空間カテドラルの外に弾かれて、ラグマ・リザレックと離れ離れになってしまう。

 ラグマ・リザレックからの支援も難しい。この距離で戦艦をラグマ・リザレックが破壊すれば、その爆発に当然ラグマ・ブレイザムが巻き込まれてしまう。

 絶体絶命。それを頭の中で理解したとき、ラグマ・ブレイザムのパイロットは轟のみならず、誰もが叫び声を上げていた。

 カニグモが、更に忙しくアクセスを開始している。ブレズ4玄武のコクピットの武器管制のコンピュータが激しく明滅を繰り返していた。

「ハイパーブレイザーへのエネルギー回路、オープン」

 コンピュータガイダンスがそう告げた。

「ブレズ1朱雀、コントロールシステム損傷度七〇。武器管制コントロールは玄武へスイッチします」

 轟のコンソールレバーの一部が開いて、そこからトリガーが現れた。

「発射口、開きます」

「何をするというんだ?」

 戦艦が接近してくる。そのプレッシャーが亜空間カテドラルを激震させる。実際、轟のコクピットが細かな震動に包まれている。

 青龍と白虎、この二つの機体がラグマ・ブレイザムの胸部から脚部までを構成している。その2機に新たに装着された武器ユニットが、胸の部分に追加装備され、その装甲の一部が開き、ビーム発射口が出現した。その中が青白く光を宿していた。

 轟の左手の甲のがほのじろく光っていた。ラグマの紋章が、轟に何をすべきかを教えていた。

「轟・アルベルン、アイハブコントロール」

 トリガーを握りしめて、ターゲットを見据える。正面モニターに、激突する直前の戦艦の艦首が映っている。レティクルをその中央にセットした。

「ハイパーブレイザー、発射ァッ‼」

 トリガーを絞った。それと同時に、ラグマ・ブレイザムの胸のビーム発射口から、凄じい光の奔流が敵の戦艦を艦首から呑み込んでいった。それは一瞬で戦艦を消滅させた。それだけではなく、光の奔流は更に後方へと延びていき、前衛艦隊をも呑み込んでいったのだ。


 まさに一瞬の出来事だった。その一瞬で、ギネル・デリバン連合王国の前衛艦隊が消滅したのだ。これを目撃したガデルは、その背中に水を浴びせられたような冷たい汗をかいた。恐ろしい。あまりに恐ろしい一撃だった。

「全艦、SWNサーフェスアウトだ。一旦、戦況を立て直す」

 ガデル少将が、艦隊に向けて指令を出した。亜空間カテドラル内での戦闘で、敵を叩くという作戦はそれなりに効果をみせた。だが、敵はそれをたった一撃でひっくり返した。今ここで亜空間戦闘にこだわり、深追いすれば全滅する怖れがある。ここは屈辱にまみれても、敗走だと言われても後退すべきだった。

 デリバン連合王国のデュビルもまた同じだった。


「敵艦隊が、SWNサーフェスアウトして離脱していきます」

「ラグマ・ブレイザム、収容急げ。ジュリア、サポートしてやれ」

「山村艦長、SWNサーフェスアウト、限界点です」

 大倉航海長の報告が、山村のもとに届いた。

「RPAの収容が完了次第、サーフェスアウトする。ツインジュピターとの距離は?」

「ツインジュピターより、二〇〇万コスモマイル手前でアウト、ギリギリです」

「ラグマ・ブレイザム、収容完了しました」

「よろしい。SWNサーフェスアウトだ」

「了解」

 ラグマ・リザレックは、ワームホールから通常空間へと浮上した。


 一足先にSWNアウトしたギネル・デリバン両艦隊が辿り着いたポイントも、ツインジュピターの最大接近点だった。

 ここは宇宙空間の海峡のような場所だ。どんな艦でも、一旦はここで通常空間に出る。ラグマ・リザレックも例外ではないだろう。ラグマ・リザレックは必ず捕捉できる。

 デュビル・ブロウは、不思議とそう確信していた。

 ラグマ・リザレック。怖ろしい艦だ。それに装備されている武装、RPA、なにをとっても、デュビルの常識を超える戦闘能力だ。

 怖ろしい。だが、それを押してもなお、ラグマ・リザレックを倒すことに心が燃える。

 執念。そう言ってもいいかもしれない。これはラグマ・リザレックと最初に関わった者の宿命だ。

 デュビルは、本気でそう考えていた。


 ブレズ4玄武を、その専用格納庫に収容を終えた轟はすぐさま、ブレズ1が収容されている格納庫へと走った。

 轟の眼前にブレズ1が横たわっていた。そのコクピット周辺がひどく破損しいていた。それがただで済まないことは、一目瞭然だった。

 メカニックマンたちがブレズ1を取り囲み、修復作業を迅速にかかっている。チーフメカニックのハワードが陣頭指揮をとっていた。

 そのメカニックマンたちの間から、日下、カズキ、ビリーらが暗い影をおとして、轟の方に向かって歩みよってきた。

 奈津美の姿は見えなかった。

 日下が轟の前に、立ち塞がるように立った。

「轟……奈津美が死んだよ……」

 その言葉に轟は反射的に、日下の目を見た。しばらく視線がそこから動かなかった。その顔が、みるみる強ばり歪んでいく。

「嘘だ……」

 日下は無言で首を横に振った。

「きさまー!」

 突然カズキが轟の襟首を掴み、持ち上げた。

「轟! 何故、出なかった! 何故! ここまでわがままは通らんぞ! 奈津美はケガをしていたのに」

「僕は、出撃したじゃないですか! カズキさんは、奈津美さんのかわりに僕に死ねって言うんですか」

 背中越しにやり取りを聞いていた日下が、突然振り向いた。襟首を掴んでいるカズキの手を振りほどくなり、日下は轟の頬を平手で打った。

「そんな、そんなことを言ってるんじゃない! 誰かが死ねば良かったなんて、そんなことを言ってるんじゃない。俺たちは、死ぬために戦っているんじゃないんだ。生きるために戦っているんだ。轟、お前は解ってくれないのか! 補給部隊のジャックだって、奈津美だって、俺たちを守り、俺たちは、ここの皆を守ろうと必死だった。奈津美が一番………」

 不意に、日下は言葉を詰まらせた。奈津美を失ったんだと、その事実が日下の胸の奥を抉り取った。奈落に落ちていくような喪失感が日下を襲った。とてつもない喪失感だ。仮にも軍人だから、人より多く死に直面している。仲間を失ったことだってある。しかし、奈津美を失ったこの喪失感は、それとは次元が違った。本当に体の半分をもっていかれたような感覚だった。そして、泣けてきた。ただ、ただ泣けてきた。

「…………わかって……わかってますよ」

 轟は、よろよろと立ち上がった。

「奈津美さんは、大好きな人たちを守ろうとしていた。だけど、その大好きな人たちを残して、死んでしまった」

 誰ともなくそう言葉を残したあと、轟は涙にむせび、嗚咽の中に悲しみを封じ込めた。

 日下、カズキ、ビリー、キースらもその場に立ち尽くし、自分の無力さを改めて思い知らされた。


 銀色の巨艦ラグマ・リザレック。現在、通常の宇宙空間をゆっくりと進んでいる。

 宇宙空間は、人一人死んだところで何一つ変わらず、星が瞬き、静寂が全てを包み込んでいた。


 地球。

 0999年と0444年。過去と未来、祖先と子孫の戦争は、更に激しさを増していた。

 そんな動乱が続く中、ギネル帝国の女帝ラナス・ベラは、闇に包まれた一室にいた。

 聖堂とも言うべき、その部屋には3メートルもあろうかという、漆黒の巨大な像が厳粛な中に立っていた。

 ねじれた長く細い角。とんがった耳、背中には大きな翼。それは宗教画の悪魔を連想させた。そのくせ、その表情はとても穏やかで慈愛に満ちている

 ラナス皇帝はその像に向かい、ひざまずいた。像の名はラグマザン。ギネル帝国の一部で信仰され、崇められている神の名でもある。

「ラグマザン。巨艦ラグマ・リザレックが、銀河系を脱出しました」

 そう話しかけるラナス皇帝の口ぶりは敬虔で厳粛であった。

「ナニ?」

 ラグマザンの像の目が赤く灯り、そして厳格な声が響いてくる。

「申し訳ありません」

 ラナス・ベラはうやうやしく頭を垂れた。

「ヨイ。コチラモ、手ヲウツ」

「ハッ」

「私ハ、必ズラグマヲ手ニ入レル。創生エネルギーラグマヲナ」

 闇と静けさの中、厳格な声がラナスの頭上に降りかかった。


 暗闇の宇宙空間に棺が流れてゆく。

 ゆっくりと溶け込むように宇宙の深奥へとたゆたうように流れてゆく。

そこに眠るのは高城奈津美だった。

「高城奈津美の霊に敬礼」

 司令艦橋から全艦内に山村艦長は伝えた。そして、艦長席で起立すると、棺の流れてゆく方向へ、敬礼を送った。

(…奈津美)

 日下は奈津美の名を心の中で、そっと呟いた。

 クルーの誰しもが、奈津美に対して敬礼を送った。

「奈津美ーっ!」

 涙で顔をくしゃくしゃに歪めている女性がいた。親友であり、姉がわりでもあったミズキ・朝倉だった。その場に崩れ落ちそうになる彼女をカレン・ライバックが、やはり涙をこぼしながら支えていた。

「弔砲」

 山村が言うと、ラグマ・リザレックの主砲が奈津美に別れを告げるべく、次々と発射された。

(サヨナラ……奈津美…)

 一人日下は、奈津美の無邪気な笑顔や仕種を思い出しながら、いつまでも敬礼を送っていた。


 艦長室に戻った山村は、窓に立ち再び敬礼を送った。

 その瞳から、はらはらと涙が頬を伝っていた。

 奈津美が遊撃戦闘班に志願したと聞いたときから、山村は心中穏やかではなかった。娘と同じ思いを注いだ奈津美が、死に直面することになる。だが、彼女が自分の意思で決めたことだ。尊重しよう。そう心に決めて、顔に出さず、言葉にせず、見守っていた。

(高城さん、すまない……奈津美を守れなかった…奈津美、すまん)

 やりきれない。自分より若い命が散っていくのは、やりきれない。

 本当の自分の息子と娘と、そして妻も失っている山村にとって、奈津美はささやかな未来への希望の架け橋だった。これから彼女が成長して、結婚したり、母になったり、そんな姿を見られることを夢見て楽しみにしていた。それも叶わなくなってしまった。身近にいる人が死んでしまう、というのはそんなささやかな夢も死んでしまうということだ。

 山村は敬礼を続けていた。漆黒の宇宙に向かって……



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