アサンII
アサンは豪華な服を纏い戴冠式後のパーティーに出席していた。テネブリスアニマで纏っていた服は豪華さと機能を兼ね備えたものだったが、今の服はより豪華な代わりに機能性が落ちていた。アサンの数歩後ろには貴族令嬢のドレスを着たエルフのアビーシャが居た。パーティー会場を見渡しても、この場に居るエルフはアビーシャ一人だ。
「戴冠式だけあって、中々趣向を凝らしているでは無いか」
「そうですね辺境伯様」
アサンは帝国に長滞在している間に皇太子アルフォンソから辺境伯に列せられた。ザンボルト帝国は「テネブリスアニマの魔王」をどう遇して良いか迷った。そこで帝国憲章と過去の法令を調べ上げ、数百年は使用が途絶えた慣例を復活させた。それは帝国が正式に国交を樹立していない国家の元首には辺境伯の名誉貴族称号を与えるものだった。帝国の希望としては辺境伯が領土ごと帝国に恭順の意を示すのが理想だった。過去に成功例が無いために廃れた慣例であり、アサン相手にも期待は持てなかった。
辺境伯の打診を受けたアサンは迷った。ティファーニア農業国でのテネブリスアニマ軍の醜態を聞いて急ぎ戻るつもりだったが、アサンが事情を知った頃には趨勢は決していた。急ぎ戻ったところで出来る事は何も無い、と言うアビーシャの進言もあり、アサンは特に理由も無くザンボルト帝国に留まった。そうして日々が流れていったら仁の方からは皇帝崩御とその後の帝国を見てこいと密命が届いた。
葬式、そして戴冠式に出席するために辺境伯の身分は丁度良かった。両国の政治的な思惑の結果、帝国貴族の辺境伯アサンが誕生した。副官だが愛人と目されていたアビーシャには城伯の地位が与えられた。アサンの辺境伯以上に意味は無いが、それでもこのパーティーに出席出来る格としては十分だった。
アサンはアビーシャと共にパーティー会場を周り、有象無象と挨拶を交わした。アサンは挨拶が終わるとその者の事を忘れたが、アビーシャは頑張って記憶していた。偶にミスをして笑われる事もあるが、アサンが恥をかくよりは良いとアビーシャは割り切っていた。目敏い貴族はアサンに何かを頼むならアビーシャに頼むのが最善と気付き、アビーシャは仲介の恩恵で懐が潤った。
「辺境伯様、あそこに」
「ほう、あれはニコロか? それに相手はあの女か」
テネブリスアニマの食料輸送を受け持った商人のニコロと聖騎士アマンディーヌが話し込んでいた。アマンディーヌはコレンティーナ配下のサキュバスなのだが、深入りし過ぎて帝国から抜け出せないでいた。帝国もアマンディーヌが人間では無いと大凡確信していたが、泳がせておく方が得だと考えていた。
「どちらかと言うとニコロ様が熱心で聖騎士様が辟易しているのでは?」
「ほう、そう見るか」
アサンはアビーシャの考えに賛成も反対もしなかった。アマンディーヌは仮にもサキュバスだ。男相手にそんな態度を本気で取るのは種族的にあり得ない。アマンディーヌの行動は考えられた次への布石か、種族本能すら凌駕する強力な嫌悪感によるものか。そこで二人はしばし二人の会話に耳を傾けた。人間では聞き取れない会話でもアサンのスペックとアビーシャのエルフ耳なら拾う事が出来た。
「テネブリスアニマから食料を大量に運ぶだけで大儲けです。笑いが止まりません!」
「そうなのですか? しかしテネブリスアニマの食料と言う事で心配する声もあると聞いています」
「私もね、最初は心配だったんです。ですがそれは貧乏人に食わせて、私達は帝国で作られた食料を食べれば良いと思っていたんです」
「何か心変わりする事があったのですか?」
「ええ。実に残念な事ですが、ティファーニア農業国が戦場になりまして」
「陛下の大勝利を残念と言うのは……」
「おっと、失言でした。忘れて下され」
「勿論ですわ。それで」
うふふと笑うアマンディーヌ。こうやって幾人もの男を手玉に取ってきたのだろう。
「ティファーニア農業国から輸入している食料がテネブリスアニマの食料と混ざりまして、見分けが付かなくなったのです」
「魔法で毒と呪いが無いのが分かれば、大丈夫と」
「念のために聖なる祝福を掛けています」
聖なる祝福は大神殿が仕切っていたが、大神殿の失陥とともに神官も統制を失った。帝国は神官の再就職先として食料の安全確認を勧めた。大神殿の力が弱まり、帝国皇帝が食の安全をコントロール出来る体制が整いつつあった。
「その様な事になっていたか」
「エルフが作った食料は健康に良いのに、失礼な事です」
ニコロがアマンディーヌを一夜の冒険に誘い出したので二人は聞き耳をやめた。エルフが作っている食料は輸出されている食料の一厘にも満たないので、アビーシャの怒りは不当だった。
「人の世はアンデッドを恐れるもの。それは変わらぬ」
「私は恐れません」
アビーシャ渾身の告白だったが、アサンはこれをスルー。二人がしばらく無言で歩いていると、パーティー会場の一部が不自然に空いていた。アビーシャは「しまった!」と思ったが既に後の祭りだった。
「あらアサン様ではありませんか」
「これはフェイリア嬢、いつもながらお美しい」
「気にも無い事を」
フェイリアはそう返したが、満更では無さそうだ。アビーシャはバレないように歯軋りした。フェイリアはカールストン家の生き残りだ。アサンの見立てではハーフ未満のクオーターヴァンパイアだ。テネブリスアニマはかつてカールストン家との密約があるとでっち上げて王国と帝国を牽制した。その嘘の密約を本当であるかの様に見せかけるためにもアサンはフェイリアに配慮する必要があった。
「それでは一曲如何ですか? 幸いこのテンポの曲なら足を踏み外す事も無いでしょう」
アサンがフェイリアをダンスに誘う。
「それは断るわけには行きませんわ」
フェイリアはその誘いに応じ、パーティー会場の中心にあるダンス場で一曲踊り出した。アビーシャは二人を見送って聞き耳を立てた。必死に「仕事だから」と自分に言い聞かせ、嫉妬心を隠そうとした。密着したダンスで二人の会話が始まった。
「一人で来られるとは少々不用心では?」
「変に取り巻きが多いと警戒されるくせに」
「帝国の動きを見れば当然の事」
「私は帝国の意のままになる気はありません」
フェイリアがそう主張したが、現在は帝国に養われている。そもそも帝国に逃げた時に討伐されなかったのも将来的な利用価値を当て込んでのものだ。アサンとテネブリスアニマと言う慮外の大物が釣れたのは奇跡に等しい。
「その気概は見事だ」
アサンとしてはそれ以上は踏み込みたく無かった。フェイリアが独自に動けば、それはエボルグラス王国に弓引く事になる。帝国とテネブリスアニマは王国と事を構える気は無かった。帝国はテネブリスアニマに王国に攻め込んで欲しい素振りを見せているが、それに乗せられるほど仁は無能では無い。となると何らかの起爆剤がいる。そしてその一つがフェイリアだ。
「アサン様がその気なれば、今すぐにでも事に及べるのに」
「前向きに検討しよう」
そう言いつつもアサンは退路が段々細くなっている事を知っていた。フェイリアはアサンの辺境伯家に嫁入りするつもりだ。そして辺境伯の力で王国に打撃を与える。以前は皇帝崩御の噂がある中では縁起が悪いと言えたが、アルフォンソが戴冠した今となっては好機と思われても仕方が無い。
アサンはテネブリスアニマに戻ってもフェイリアは追ってくるだろうと考えた。フェイリアが道中で事故に遭う可能性はあるが、そうなるとアサンの名に傷が付くかもしれない。どう言う結果になるにしろ、次に動く前にフェイリアとの関係は清算する必要があった。その結果、三カ国はまた大きく揺れる事になるだろう。
今年の最後にぎりぎり間に合った。
来年の前半でこの物語を完結させる予定。
これからもよろしくお願いします。




