セントリーア大乱ⅠⅠⅠ
「如何なる用だエヴルイン?」
執務室にはスーキン、ベルナドットとエヴルインだけが残された。秘書サキュバスは特使の歓待に周り、事前に少しでも情報を抜く仕事を与えられた。
「コットス様とマハイ様の事は聞いていますか?」
「詳しくは知らん。ベルナドット?」
「私も知らないわ。昔は諜報活動をしていた子が教えてくれたけど、表向きの身分が身分だけに最近は遠ざけられているの」
エヴルインがサキュバスから情報を仕入れたのなら、サキュバスであるベルナドットの方が早く詳しく知っているはずとスーキンは考えた。ベルナドットがノワール教の第一人者に祭り上げられるまではそうだったので強ち間違いでは無い。顔が割れたスパイを活用できるほどテネブリスアニマは器用では無い。ベルナドット経由でスパイ網が芋づる式にバレないように諜報活動をするサキュバスはベルナドットに近寄らなくなった。
「マハイ軍が北上して、それをコットス軍が殲滅しました」
「何だと!?」
エヴルインの報告を聞いてスーキンが珍しく声を荒げた。エヴルインに続きを促すも、彼はそれ以上の情報を持っていなかった。まともな情報を持っていなかったエヴルインにスーキンが苛立ち辛らつな言葉を投げかける。エヴルインは何を言われても弁解しなかった。しないのでは無くて出来ないと察したベルナドットが言葉を挟んだ。
「現場が混乱しているのよ。味方同士で戦った場合の行動パターンは無いもの」
ベルナドットは言葉をボカしたが、両軍に付いていたサキュバスの言い分を信じて良いのか上が混乱していた。少なくてもベルナドットなら信用しないと考えた。ベルナドットより百倍は懐疑的な諜報部隊のトップなら尚更だ。ベルナドットの懸念通り、両軍のサキュバスは「相手が悪い」と言う論調を展開しており、諜報網が麻痺していた。
エヴルインとサキュバスの仲は悪く、提供される情報もその分精度が低い。エヴルインが対抗して組織したエルフの諜報部隊ではヴァンパイアに近付くのは困難だ。アサンの代理でありながら、何かが起こってもそれを知るのは手遅れになってからだ。それでも問題をまだ起こしていないスーキンの所に出向けるだけ有能だ。
「で、どうしろと? 私の軍まで動かすのか?」
「逆です。絶対に動かないでください」
「私が動けば混乱を助長するだけか」
「その通りです」
エヴルインの相手がコットスかマハイならここで話は終わっていた。エヴルインは言うべき事を言って事態を上手く収めたと自分を褒めただろう。そして数日後にコットスかマハイが独断で動いたと知らされて仰天しただろう。
「然れどなエヴルイン……私はヴァンパイアだ。ヴァンパイアの道理を優先するかもしれんぞ?」
スーキンが一瞬言い淀みながら結局最後まで言い切った。例え相手がエルフであろうとも誇り高い行動を心がけるスーキンだからこそ心の内を明かした。両軍が戦った経緯は不明だ。しかしコットスとマハイがこのまま引き下がる事は無いと知っていた。再戦ともなれば東セントリーアで行動出来る軍が一時的に無くなる。軍が不在なら敵を利する事になる。その穴を埋めると言う大義名分を使えばスーキンも戦場に立てる。
コットスとマハイの戦いは第三者から見ればただの無駄だ。それどころかテネブリスアニマへの裏切りに見えるかもしれない。しかしスーキンからすればヴァンパイアの行動理念に従った行動だ。そしてそれは少なくてもマハイに関しては正しかった。先を見据えるなら余裕がある今のうちに三人の序列を固めたい。ティファーニアの制圧では明確な差が出なかった。それなら抜け駆けしたコットスを真似て東セントリーアの武勲で決めれば良い。
「そんな事をしてはエボルグラス王国との内通を疑われます!」
慌てたエヴルインが口を滑らした。本来は言ってはいけない台詞だが、スーキンが動く可能性に言及したので考えるより早く言葉が出てしまった。
「貴様、私がテネブリスアニマを裏切ると思っているのか!」
それを聞いて裏切り者と疑われたスーキンが激高したのも無理は無い。
「ちょっと二人とも、落ち着きなさい」
あわや取っ組み合いになりそうな所をベルナドットが制した。スーキンがエヴルインを八つ裂きにすると三軍を統制する代理が不在になり混乱収束が遠のく。エヴルインは居るだけで価値があるとベルナドットは考えた。ついでに今の事態はたぶんアサンも想定外だろうと思った。
「しかし!」
「内通を疑われているのは残りの二人かしらね?」
抗議するスーキンを黙らせベルナドットはエヴルインに問う。遅まきながらエヴルインは口を滑らしてしまったと気付いたが後の祭りだ。
「残念ながらその通りです」
エヴルインはサキュバスからの情報を開示した。コットスのサキュバスはマハイが帝国情報部の依頼で攻めてきたと報告した。マハイのサキュバスはコットスがティファーニア農業国の王族を秘密に囲っていると報告した。両者の報告を裏付ける客観的証拠があり、エヴルインは頭を抱えた。上に相談しようにもアサンも仁も不在だ。
「あの芸術家どもか。心配のし過ぎだ」
スーキンはエヴルインの話を聞いて多少は落ち着いた。スーキンは王国の芸術家が紐付きである事など百も承知。しかしこれまで彼らに特段の便宜を図った事も無いし、これから図る予定も無かった。それでも現地にいないエルフなら疑うのも仕方が無いと思う事にした。ヴァンパイアならこれくらい阿吽の呼吸で分かる。その阿吽の呼吸で分かるはずの同僚二人が周囲に散々迷惑を掛けて戦った事は棚上げした。
「その芸術家経由で特使様が来たじゃない」
「……そういうことなのか?」
「そうで無いならエボルグラス王国の方は想定より無能よ」
ベルナドットの発言で特使の訪問が東セントリーアの一件に関係しているかもしれないとスーキンは始めて気付いた。エボルグラス王国が何かを頼むのならちょうど良い機会ではある。
「エヴルインは良い時に来たか」
「そもそも特使なる者が来たと報告にすら上がっていませんが?」
エヴルインが口酸っぱく言う。
「今朝までは神殿見学に来た一般人だったから優先順位が低かったんでしょう」
「ベルナドット様も知っていたのですか!?」
「知っていたと言うか、この港町に滞在している人の三割はエボルグラス王国民よ?」
「な、何ですって!」
エボルグラス王国が人員を送り込んでいるだけでなく、テネブリスアニマが人員を浚っているため、港町の人口比率が大幅に変わってきている。エボルグラス王国はテネブリスアニマと戦争を望んではいないが、要衝である港町を放置する事は出来ない。そこで神殿見学とか争論要員を送り込んで宗教方面から人員を増やしている。実際はヴォーロス聖典の影響でミイラ取りがミイラになる事態になっているが、エボルグラス王国はまだそこまで把握していない。
「その程度はエルフの諜報部隊でも調べられるだろう?」
「……少し前までこの港町はケーレス様の支配下だったので」
スーキンの厳しい指摘にエヴルインはタジタジになって答えた。エルフは元々テネブリスアニマの主力種族と相性が最悪とはいえ、この場合は言い訳にはならない。
「二人とも、そろそろ特使を呼んだら? 彼の情報次第で取るべき行動が変わるでしょう?」
不毛な争いを見かねたベルナドットの発言で事態が動いた。特使の狙いは不明だがテネブリスアニマは守りに入ったら弱い。エヴルインの報告で最悪は回避出来たが、エボルグラス王国に主導権がある事態は変わらなかった。




