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テネブリスアニマ ~終焉の世界と精霊の魔城~  作者: 朝寝東風
第三章 ティファーニア炎上
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ニコロとジーン

「もう一杯」


「はいよ」


 ニコロはテネブリスアニマの城下町にある数少ない酒場のカウンター席で項垂れていた。数日前にテネブリスアニマの王であるアサンと非常に有利な条件でティファーニア農業国独立の後押しを得た。結果だけ見るなら、ニコロは外交の天才で人類史上にその名を残す逸材だ。


「ええい!」


 ニコロは苛立ってエールを一気飲みする。もう何杯飲んだか覚えていない。商人からすればタダより怖いものは無い。その無意識の恐怖がニコロの苛立ちを増幅していた。


 双方が合意した秘密条約ではティファーニアはテネブリスアニマに何も支払わない。テネブリスアニマは軍事力を含めティファーニアのために様々なものを提供する。テネブリスアニマに何の利も無い条約に見えるが、実際に利は無い。


 正確にはティファーニアがテネブリスアニマに提供する利は無い。ニコロが存在を知らないリンダの作戦通りに、テネブリスアニマはニコロを叩いて利を生み出す方向に舵を切った。それは最初からティファーニアと言う国に何の価値も見いだしていない事でもあった。ティファーニアが独立しようとも帝国に征服されようともテネブリスアニマには取るに足らない事態でしか無かった。


 祖国がそこまでコケにされたのにニコロは条約に調印した。ニコロが生粋のティファーニア人だったら流石に調印までもう一波乱あった。商人を外交の使者に選んだティファーニアのミスだが、そのミスの責任を取れる上層部がこの20年は迷子だ。そしてニコロを動かしたのが「宝の山」だ。


 ティファーニアの最盛期に生産された麦の量を10とすれば、テネブリスアニマで生産された麦の量は3だ。数値だけ見れば少ないが、現状と照らし合わせれば状況が変わる。商業連合国の失政続きでティファーニアの麦の量は6に落ちていた。それに津波被害で今年の分は半分近く駄目になった。そうなるとティファーニア3とテネブリスアニマ3で量だけは互角になる。更にティファーニア麦の半分が駄目になったために食糧不足からの飢饉は確実だ。


 この状況で出所が怪しいが味に問題が無い謎麦が市場に出回ればどうなるか。王侯貴族なら自領かティファーニアの麦を食うだろう。しかし中流階級以下ならこの謎麦に飛びつく。後はどれだけ値段をつり上げた上で儲けを出せるか。


 唯一の悩みは輸送手段だ。テネブリスアニマ色を雪ぐためにも彼らの軍は使えない。ティファーニア独立のために動く輩は山賊より少しマシなだけで、宝の山を目にしたらニコロから殺してでも奪い取るだろう。


 輸送しない、と言う手は無い。そうなるとテネブリスアニマの倉庫で腐り落ちるかニコロががぶ飲みしている水より安いエールになる。ニコロからすればそんな無駄は絶対に回避したい。しかし大量生産を国策としてごり押しした仁はそうなっても構わなかった。生産量はこれから数年は飛躍的に伸びる。初年度のロットが腐る心配よりも技術革新が実を結んだ方が重要だった。


「マスター、エール一つ」


 色々と考えが纏まらず唸っていたニコロの横に一人の男が座った。


「代官の兄ちゃんじゃないか。久しぶりだな」


「ああ、東の開拓地方で書類と格闘していてやっと帰ってこられた」


 代官としてのカバーストーリーを語る。必要とあれば詳細な数字を諳んじる事も出来る。幸いここのマスターはそんな細かいことは気にしない。


「がっはっは、数字なんて見るだけで頭が痛くなるぜ」


 酒場のマスターが仁にエールを渡す。


「景気はどうだ?」


「エールが安い以外はボチボチだ。エルフの製品が増えた分だけ町中では商売が活発になっている」


「と言っても足りないだろう?」


「全くだ。戦利品の再利用で今は凌げているが、来年辺りは厳しい」


 戦利品とはイーストエンドの町とイスフェリアの町で手に入れた品々を指す。そこで手に入れた鉄製品を人間の鍛治屋が日常生活の調度品に打ち直している。開拓速度による人類の拡散に追いつけない問題が発生している。それに鍛冶屋の絶対数も不足していた。


「ドワーフでも呼べれば良かったんだが……」


 鍛冶屋に関してはノワールの鍛冶技能を持つ下位ユニットを召喚の間で呼び出す算段があった。しかしノワールが神になった影響でマカンデーヤ同様に下位ユニットがリストから消滅した。


「あんな偏屈な連中を呼んでもエールが不味いって文句を言うだけだろう?」


「一応ドワーフ殺しの酒は作っているんだがな」


「兄ちゃん、試飲なら任せな!」


 仁とマスターが「わっはっは」と笑い合う。会話が途切れたのを見て、ニコロが仁に声を掛けた。商人としては聞き逃せない言葉余りにも多すぎた。そうなる様に仁が必要以上に口を軽くしたのもある。


「私はニコロと言うしがない商人です。お近づきの印に一杯奢りましょう」


「それは忝い。俺はジーン。代官と言う名の便利使いだ」


「お代官様と言えば国の重鎮でございましょう」


 ニコロの胡麻擂りは不発に終わった。


「最近は後継者が育ってきているから、俺はお役御免さ」


 仁が代官をやめる必要は無いのだが、代官娼婦が最低限の仕事を回せるだけの数になった。仁は今後の事を考え、余裕がある内に代官業から手を引いた。今なら問題発生と同時にピンチヒッターとして出向ける。これが数年後ともなると予定が立て辛くなる。


「では栄転と?」


「面倒事とセットなのがやりきれないがな」


「そこまで信用されているとは、このニコロ感服しました!」


「大袈裟だ、大袈裟」


「大業を成すのに何かご入り用でしたら是非ともこのニコロに一報を」


「分かった、分かった。その時には声を掛ける」


 仁が自ら立候補したのは内緒だ。テネブリスアニマの真の王として仕事は選び放題。それどころか働かずに食う生活を送ることも出来る。今のテネブリスアニマで商人と外交官の真似事が出来るのは仁だけだ。


「それはそうと、東の開拓地の収穫は期待出来そうなのですか?」


 ニコロが話題を変え、情報収集を開始する。


「来年の収穫量ならティファーニア最盛期の8割程度だ。ただ売り先が無いってのは問題だ」


「ほう、そんなになりますか」


 ニコロが目を細める。自分の懐が温かくなるのは良いが、ティファーニアと競合する羽目になる。ティファーニア人としては収穫が減った方が嬉しいが、商人としては収穫が増えた方が嬉しい。


「外に売れないなら中の住民を増やすって案もあるが、移民を何処から募るか」


「地産地消ですか」


「それが出来る程度には国が豊かだ」


 ニコロの肩眉がピクピク動く。テネブリスアニマは人類が想像していたよりも豊かなのかもしれない。去年までは百人規模の村が冬に餓死者を出すほど貧しかった。それが今年は麦が余って腐る心配をしている。


「それでも流石に全ては消費出来ないでしょう。幸い帝国なら食料を買うと思いますよ」


「軍が結構大きいらしいから、そっちか?」


「最初の顧客は間違いない無く。そのまま一般にも浸透すれば良いのですが……」


 ニコロは良い稼ぎになって欲しかった。


「全くだ。それはそうとティファーニアではどうだ?」


「まあ大陸の食料庫ですから。それに……」


「何かあるのか?」


「中央の州である両セントリーアを抑えている勢力が少し面倒でして」


 少し声を落としてニコロが言う。西セントリーアを支配しティファーニア公王を僭称するオットーが最近勢力を伸ばしつつあった。東セントリーアには中央市場と税として集められた麦の中央保管庫がある。大量のテネブリスアニマ麦を売るのならそこしか無い。しかしそんな動きを見せれば東セントリーアを支配しようとしているオットーが必ず動く。


 ティファーニアの独立運動が麦を巻き餌にオットーに逆撃をかませればオットーの勢力は一気に崩れる。しかしそれが出来る者はいない。だからレジスタンスはテネブリスアニマとザンボルド帝国に二股を掛けてオットーを排除する様に仕向けたかった。


「なるほどオットーをどうかすれば良いのか」


 仁は面白い情報を得た確信した。


「滅多なことは言えませんが、まあそんなところです」


「ならそこにイレーネを送ってみるか」


「えっ!?」


 仁の一言にニコロが固まる。ニコロは「私のイレーネがあの豚の慰み者に!?」としか考えられなくなった。仁は効果覿面なのを見て酒場から退去した。ニコロは自分の世界に沈み、仁が消えた事も気付かなかった。


 ティファーニア農業国の中央州、両セントリーアを巡った戦いはこうして静かに始まった。

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