四人の求めるもの
オリヴィアの言葉に、しんとその場が静まりかえる。嗚咽を上げていたパオラも、唇を噛みしめて一生懸命しゃっくりを堪えていた。
フィンの目が見開かれる。その双眸に、たき火だけではない別の炎が宿っているように見える。
「……私が?」
「違いますの、殿下?」
「……私は……」
「違います、オリヴィア様。これは私が勝手に、フィン様のことを想っているだけなのです」
そう割り込んでくるのは、まだ息の荒いパオラ。
「告白します。私は……フィン様に、オリヴィア様がいらっしゃると知りながら……フィン様のことが、好きになってしまったのです。浅ましい、私の片思いです。どうか、罰するなら私一人にお願いします。旅が終わった後は、責任を持って自害いたしますので――」
「っ、だめだ!」
突如、フィンが声を上げた。これまでにないほどの声量で叫んだフィンは、オリヴィアとパオラの視線を浴びつつ、ぎりりと歯を噛みしめて言う。
「パオラ、それは許さない。自害なんて、してはならない」
「フィン様……どうして……」
「……まったく、世話の焼ける二人ですわね」
思わず笑ってしまった。
パオラとフィンに見つめられ、オリヴィアは笑顔で手を振る。
「……殿下のその態度が、全てを語っているのでは? ……いいこと、パオラ? わたくしと殿下は確かに婚約者同士ではありますが、そこにわたくしたちの意志なんてものは存在しません。周囲に迫られて仕方なく行ったこと……そうでしょう、殿下?」
「……ああ」
フィンも固い顔で頷く。パオラはきょとんとし、オリヴィアとフィンの顔を順に見やっている。
「……え? し、しかし……」
「パオラ、聖堂で清く慎ましく暮らしてきたあなたには、貴族社会の粘っこさなんて縁のないものだったでしょう。でも、わたくしも殿下も、逃げ場がなくてどうしても婚約したにすぎないの。わたくしは実家存続のため、殿下は……その――」
「……いい、オリヴィア」
さすがに口ごもったオリヴィアを制したのは、フィン。
彼は目を閉じて数秒瞑想した後、「ヒューバート」とどこへともなく呼びかける。
「……出てこい。おまえも、加わるべきだ」
「おや、気づいていたのですね」
飄々とした声。驚くオリヴィアとパオラを差し置いて、木立からぬっと姿を現したのはヒューバートだった。いつからそこにいたのだろうか。
「ヒューバート、聞いてましたの?」
「ずっと前からね。いやいや、オリヴィア嬢とパオラが取っ組み合う姿、見物でしたよ」
「見ていたの!?」
「まあ、それが俺の性分なのでしてね。……じゃ、失礼しますよ、っと」
へらりと笑ったヒューバートも、敷布に腰を下ろした。最初にオリヴィアが座っていた場所だ。
「なんかおもしろそうな展開ですね。……で、殿下。話とは?」
「……今後の――魔王討伐後の話だ」
「ふうん? でも俺には関係ないんじゃないのですか?」
「ある。おまえが、私を殺さなくてもいいようになるのだからな」
ぼそりとフィンが言ったとたん、ヒューバートの顔から表情が消えた。少し前までのフィンのようだ。
だが驚いたのはオリヴィアやパオラも同じだ。
(……え? 今、何と……?)
オリヴィアは同じく戸惑った顔のパオラを視線を合わせた後、フィンとヒューバートのやり取りに聞き入った。
「……おまえは、兄上の親衛隊だ。そんなおまえが兄上の管轄から離れて私の旅に同行する自体、おかしいと思っていた」
「……いえいえ、これはランス殿下直々のご推薦でして」
「その兄上から、私を始終監視し、魔王討伐の旅が終わったら私を始末するように命じられていたのではないか」
今度こそ、ヒューバートは言葉を失った。どんなときでも飄々としている彼が、「どうしてそれを」と語っている。
フィンは目を伏せ、裸の腕を掻きながら言う。
「……私にだって、物事を考える脳みそはある。ただ、喋るのも表情に表すのも億劫なだけだ。……兄上は、私が即位することが我慢ならないのだろう。お気持ちはよく分かる。私だって、王になんてなりたくない。兄上に譲りたいさ」
「……殿下」
「それでもいいと思っていた。私がおまえに討ち取られたなら、兄上が即位する。オリヴィアは自由になれる。……もう、疲れた。だから、おまえのもくろみが分かっても、それでいいと思っていた」
淡々としたフィンの言葉に、オリヴィアたちは沈黙していた。「抜け殻王子」と揶揄されていた彼が、無表情の仮面の下で考えていたことの重さを知り、誰も口を挟めなかった。
「でも……パオラと話していると、変わってきた。死ぬのが、怖い。もっと生きたい。……パオラと一緒に、生きたい」
「フィン様……」
掠れた声で名を呼ぶパオラに、フィンが視線を向ける。
その眼差しの柔らかさに、オリヴィアは緊張していた頬をゆるめてしまう。ちらと脇を見ると、ヒューバートも呆れたように小さく笑っていた。
「……だから、今の状況を変えたい。抜け殻は、もう嫌だ」
「なるほど。……殿下は王太子位をランス様に返し、オリヴィア様との婚約も円満に破棄し、パオラと一緒にいたいと。……ああ、ちなみにオリヴィア様はどのようにお考えで?」
ヒューバートに意見を求められ、オリヴィアはふふっと笑って頬杖を付く。
「別に? わたくしだって、殿下との婚約にはこれっぽっちも乗り気じゃありませんし。わたくしよりもパオラの方が、殿下には必要だと思いますの。でも……そうですね。お家断絶だけは御免被りたいところですわ」
「なるほどなるほど。では、オリヴィア様は婚約破棄したとしても、ウォーターズ公爵家の名誉が傷付けられないならばよろしいのですね」
うんうん頷いた後、ヒューバートは最後にパオラへと視線を向ける。
「……だそうですよ?」
「え?」
「我々が求める要素の確認ですよ。私はランス様が即位されれればそれでいい。ランス様の即位が確定されれば、殿下を暗殺する必要はなくなるのでね」
さらりととんでもないことを言う男である。フィンの予想は当たっていたということだ。
「で、オリヴィア様は、婚約破棄したとしてもウォーターズ家が守られるのならば納得できるとのことです。……ウォーターズ家は今ちょっとややこしい状況にあるのですよ。でも、ランス様に庇護を申請すればなんとでもなります。……それから、殿下。殿下は王太子位の辞退、オリヴィア様との円満な婚約破棄に加え――言ってしまえば、あなたとの婚約を願っている。そうでしょう?」
「……えっ」
パオラはきょとんとしているが、オリヴィアからすれば「今気づいたのか」と突っ込んでやりたい。
パオラの視線を受けたフィンは、こっくり頷いた。
「……そうだな。王太子位を兄上に返して、パオラと一緒に暮らしたい」
「フィン様……!」
「ほら、殿下もこういってますし。正直なところ、オリヴィア様と婚約破棄するならさっさとパオラと婚約し直した方が色々楽ですよ? パオラは平民ですけれど、魔王を倒したなら救国の英雄の一人。おまけに今の聖堂は現国王の王政に反駁してますからね」
「聖堂ももちろんだけれど、貴族の大半も同じよ。……重鎮の中には、フィン殿下を国王に据えて傀儡政治を行おうと企む者も少なくない。現国王の有様にも不満は募っているため、ランス殿下への期待は根強く残っておりますの」
離宮に軟禁状態だったフィンと違い、第一王子ランスは王太子として育てられた人物だ。彼が実弟のことをどう思っていたのかはオリヴィアには分からないが、ランスが非常に優秀な王子であったのは周知の事実だ。
だが、傀儡政治をもくろむ者からすればおもしろくない話だ。
現国王は実質臣下に任せっきりの状態。ここで味を占めた者も、ランスが国王になればそうもいかなくなる。ランスは、権力に媚びる者をよしとはしない。
だから、フィンが勇者の選定を受けたことに飛びついたのだ。「救国の英雄だから」という理由でフィンを担ぎ上げて国王にし、「抜け殻王」を傀儡として政治を牛耳る。妃になるのは、魔力はあるものの実家の存続も怪しいオリヴィア。どうとでも操ることができる。
「そうそう。連中は、陛下に発言権がなく、なおかつ勇者として絶大な権力を持つはずのフィン殿下が抜け殻状態だと思っているから、強気になっているんですよ。勇者ってのはそれだけすごい役職だってことです」
「……逆に言えば、私が動けば全てが変わる」
フィンは呟いた後、パオラに向き直った。
「……私は、生きたい。パオラ、私と共に生きてくれないか」
「……フィン様……」
パオラは、顔を真っ赤にして視線を彷徨わせていた。助けを求めるようにオリヴィアの方を見てきたが、オリヴィアはさっと視線を逸らして素知らぬふりをする。
(決めなさい、パオラ。ここで決めるのはわたくしではなく、あなたよ)
オリヴィアと同じく、ヒューバートも空を見上げて「星がきれいですねぇ!」とけらけら笑っている。助ける気は毛頭ないのだ。むしろ、ヒューバートだってさっさと踏ん切りを付けてほしいと思っていることだろう。
ぱきぱき、とたき火が音を立てる。
パオラは黙っている。
ぱきん、とたき火の中で薪が崩れる。
パオラは黙っている。
ヒューバートが新しい薪を火の中に放り込んだ。
パオラは黙っている。
すっかり湯が沸騰してしまったヤカンを、オリヴィアが火から下ろした。
「……あの」
パオラが喋った。
「……お慕いしています。共に、歩ませてください」
パオラが言った。とたん――
「……うん、ありがとう。パオラ」
ふんわりと、花がほころぶかのようにフィンが微笑んだ。
「抜け殻王子」と呼ばれた抜け殻でない王子の、初めての笑顔だった。