混乱の野営地
その日、オリヴィアたちは野宿をしていた。
森林地帯にオリヴィアの魔力で空き地を作り、パオラが結界を施して安全な野営地を確保する。フィンとヒューバートが材木を集めてたき火を作る。これまでにも何度も同じ手順で野営をしてきたので、皆の動きも洗練されてきていた。ちなみに料理はパオラの担当である。
野営地の近くに小川が流れているということで、順番に水浴びをすることになった。順番はいつも、最初にヒューバートで安全を確保し、髪の長いオリヴィアが次に行き、フィンが行き、最後にパオラと決まっていた。
本日もヒューバートが一番に川に行き、「ちょっと散歩でもしてくる」と言う彼を見送った後、オリヴィアが身を清めた。清水は清潔だが何しろ冷たいので、オリヴィアは魔法で水を温めて利用するのだ。
そうして髪をタオルで拭きながら野営地まで戻ってきたオリヴィアだが、たき火の前の光景を目にしてはたと動きを止めた。
(あれは……フィン殿下と、パオラね)
たき火の前に敷布を広げ、そこにフィンとパオラが並んで座っていた。そう、並んでいるのだ。
オリヴィアは目を丸くし、嫌がるわけでもなく黙ってパオラの隣に座るフィンを凝視した。
二人は、黙って寄り添っている。ただそれだけだ。
だが、オリヴィアには分かった。
パオラが、あんなにも穏やかな顔でフィンの隣に座り。
フィンもまた、落ち着いた様子でパオラに寄り添い。
(……あらまあ)
オリヴィアは口元に手をやる。それでも、笑みを堪えることができない。
そうか、そうだったのか。
(パオラ、あなたはフィンの心を解かせたのね)
婚約者の隣に、自分ではない他の娘が寄り添っている。
それなのに、オリヴィアの心は驚くほど凪いでいた。
それどころか、「よかった」と安堵していた。
パオラなら、凍り付いたフィンの心を解放してくれる。
オリヴィアではない。オリヴィアにできることではない。
自分にはできないことを、パオラはやって見せた。
それなのに、オリヴィアはこれ以上もなく嬉しかった。
しばらくそのまま時間を置いてから、オリヴィアは「今帰ってきました」とばかりに野営地に戻った。とたん、フィンはばっと立ち上がって「……行ってくる」と、水辺に向かってしまった。
あとに残されたのは、オリヴィアとパオラ。
「……あの、オリヴィア様。お茶、淹れましょうか」
オリヴィアが空いていた敷布に座ると、パオラが声を掛けてきた。前のようにおどおどした喋り方ではない、なめらかな言葉だった。
「……そうね。温かいものが飲みたい気分ね」
「かしこまりました。すぐに準備します」
パオラは立ち上がり、慣れた手つきで湯を沸かし始めた。料理関連は全てパオラ任せで、しかも彼女は料理も茶の淹れ方もうまい。オリヴィアはもちろんのこと、あのヒューバートもパオラの料理や茶には満足しているようである。
しゅんしゅんとポットから音が上がる。
「……パオラ」
「はい、オリヴィア様」
呼びかけると、茶缶を選んでいたパオラはすぐに返事をして顔を上げた。
本当に、よい子である。
まだ少しだけおどおどしている時もあるが、素直で心優しい。聖堂で修行したとのことだから慎ましくて礼儀もある。
オリヴィアは敷布に座り直し、たき火を挟んでパオラを見つめた。
「ちょっと前から気になってはいたのだけれど、聞いてもよろしくて?」
「はい。私に答えられることでしたら」
「ありがとう。……あなたって、フィンのことが好きなの?」
回りくどいのは面倒くさいので、いっそのことずばっと聞いてみた。
オリヴィアとしては、さっさと真偽のほどを確かめたいところである。
自分とフィンは形ばかりの婚約者なのだから、愛情なんて欠片もない。今あるのはせいぜい、仲間としての意識くらいだ。
はたして、パオラがフィンを好いているのか。そしてフィンも、パオラを好いているのか。さっくりと知りたかったのだ。
(とはいえ、パオラのことだから照れまくって教えてくれないかもしれないわね)
そう思いながらふふっと笑ったオリヴィアだが。
ことん――と、パオラの手から茶缶が落下する。幸いまだ蓋は開けていなかったので茶葉が飛び散ることはなかったが、取り落とした缶が明後日の方向へ転がっていってしまっても、パオラは動かない。
「……」
「……パオラ?」
「……っ!」
とたん、たき火を受けてほんのり赤く染まっていたパオラの顔が真っ白になり、瞳孔が開かれていく。両手がわなわな震え、唇も真っ青になった。
「……え? ちょっと、パオラ――」
「っ……申し訳ございません!」
さすがに心配になってオリヴィアが立ち上がりかけた瞬間、俊敏なフィンをも凌ぐ速度でパオラが地べたにはいつくばった。いわゆる、土下座姿勢である。
「申し訳ございません! オリヴィア様、この無礼は私の命で償います!」
「えええ!? ちょっと、おやめなさい!」
「今ここで私の命を捧げますので、どうかフィン様を咎めないでくださいませ! 私の勝手な思いでございますので、どうか!」
「やめなさいってば! 顔を上げて……いやああ! そんなもの取り出さないで!」
慌てて駆け寄ったオリヴィアだが、パオラは腰から下げていた護身用のナイフを抜き、真っ青な顔で刃を首筋に当てるものだから、はしたないとは分かっていてもパオラに飛びかかって腕を拘束するしかできなかった。
「おやめなさいって! わたくしは自害しろなんて言っておりません!」
「いいえ、いいえ! 私の罪でございます! フィン様は悪くございません! オリヴィア様を裏切った罪、ここで償わせてください!」
「待ちなさい! あああっ、振り回さないの! やめてってば――」
「……パオラ!?」
たき火の前でごろごろ転げ回る二人の元に、裂帛の声が掛かる。
木立をかき分けて飛び込んできたのは、フィン。今から水浴びするところだったのだろう、上半身は裸で、傷だらけの皮膚を露わにしていた。
そんな彼は抜き身の剣をひっさげており、血相を変えて野営地に飛び込んできた後、はたと動きを止める。
フィンの登場で、もみあっていたオリヴィアとパオラも動きを止めた。
「……パオラ? これは、何……?」
「っ……フィン殿下! パオラを止めてくださいまし!」
「……は?」
「いっ、嫌です! フィン様にも償わなければならないのですから、止めないでください!」
パオラが叫ぶが、どうやらフィンにもこの場の状況が何となく読めたのだろう。
フィンはだっと駆けだし、ナイフを振りかざすパオラの手首を掴んだ。そして素早くその手からナイフをもぎ取り、遠くへと放り投げてしまった。
「……はあ、ありがとうございます、殿下」
「……それより、これは何だ?」
フィンは怪訝そうに眉根を寄せている。それもそうだろう。
彼からすれば、パオラの悲鳴を聞いて飛んできたのに、野営地に来てみればオリヴィアとパオラが転げ回った状態。しかもナイフを持っているのはパオラの方なのだから。
興奮の糸が切れたからか、オリヴィアが抱き起こしたパオラはボロボロと泣きながらしゃっくりを上げてしまった。
「ごめっ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「おやめなさい、パオラ。わたくしはあなたに謝罪なんて求めてません」
「でも、私……」
「パオラ……ああ、それと殿下もついでに、聞いてくださいな」
オリヴィアはパオラを座らせ、ぽかんとして経ったままのフィンも座るように言い、静かに切り出した。
「……わたくしは、薄々思っていたのです。殿下、パオラ。あなたたちは、互いのことを好きあっているのではないかと」