王子と令嬢の婚約破棄
「――私、ヘイワーズ王国第二王子フィン・バーナードは王太子位を兄に返上する。そしてオリヴィア・ウォーターズ公爵令嬢との婚約を破棄し、パオラ・クィンシーと新たに婚約することを、ここに宣言する」
第二王子の言葉に、会場は戦慄した。
今宵、ヘイワーズ王国王城の大広間で、魔王を討伐した勇者一行の慰労会が開かれていた。
第二王子フィンが勇者の選定を受け、三人の仲間と共に旅立って約半年。彼らはとうとう魔王を討伐し、王城に凱旋してきたのだ。
そうして、皆の羨望の眼差しを受けて登壇した王子。きらきら強い軍服を纏った彼は今、とんでもない発言をした。
衝撃発言を投下した第二王子は、シャンデリアの元で燦然と輝く金髪を揺らして顔を上げる。はっとするほど澄み渡るブルーの双眸が会場へ向けられ、聴衆は息を呑んだ。
王子の側には、二人の若い娘が。
片方は、派手な赤毛を高く結い上げ、赤と黒というコントラストのはっきりしたドレスを纏う令嬢。きりりとした美貌の彼女は孔雀羽根の装飾で縁取られた扇を顔の前にかざしているので、今はその表情を窺い見ることはできない。
もう片方は、美女と対照的にシンプルな白の法衣を纏った娘。癖の少ないダークブロンドの髪は色彩からして重たそうで、顔を伏せているためこちらも表情が読み取れない。
聴衆たちは、困惑の面持ちで三者を見つめている。それもそうだ。
フィン王子は今、絶世の美女である公爵令嬢オリヴィアとの婚約を破棄し、地味な平民の娘と新たに婚約すると宣言したのだから。
「殿下! それはいったいどういうことですか!」
我慢ならず声を上げたのは、でっぷりと太った男性。動くたびに腹がゆさゆさ揺れ、彼が普段どのような食生活を送っているのかを如実に語っていた。
「殿下は救国の英雄! 次期国王として認められたあなたは、オリヴィア嬢を王妃に迎えるということでは――」
「私は、王になるつもりなどない」
肥満男性の言葉を、フィンはあっさりと切り捨てた。
彼はきつくつり上がった目をさらに細め、会場に集まる面々を見渡して言う。
「私は確かに、仲間たちと共に魔王を討ち取った。だが、私にあるのは武力のみ。国を率いる才能も何も持っていない。次期国王は、兄上だ」
「いいえ! ランス殿下からフィン殿下に王太子位が移ったことは、周知の事実でございます!」
肥満男性は顔を真っ赤に染めてそう述べる。
「フィン殿下に勇者の素質が現れたあの日、陛下のご命令で全てが決まりました。フィン殿下は魔王討伐の使命を果たした後、オリヴィア様と結婚して王位を継ぐと。そうではなかったのですか!?」
「そういえばそのような話にもなっていたな」
「であれば――」
「――おまえたちは必死だったのだろう? 当時抜け殻状態だった私を王に据え、無能な私を傀儡として政治を牛耳ろうと。実家継続に難のあるオリヴィアを妃に据え、私たちを支配下に置くつもりだった――だから今こうして、必死になって兄上の即位を止めようとしている。そうだろう?」
フィンの言葉に、会場に衝撃が走る。そして、聴衆の反応がぱっくりと三つに分かれた。
まずは、王子の言葉に純粋に驚いている者。第二王子を傀儡にしようと企む者の存在に気づいていなかった者たち。
そして、明らかに顔を青ざめさせた者。「抜け殻王子」と揶揄していたフィンが己の企みに聡く気づいていたことに、動揺を隠せていない。
さらには、王子の言葉に深く頷く者たち。「よくぞ言ってくれた!」とその顔が語っている。
王子はにっこりと――そう、「抜け殻王子」だというのにたいそう幸せそうに――笑い、傍らに立っていた二人の女性を手招きした。
王子の手招きに、婚約破棄された令嬢も地味な娘も応え、王子に寄り添う。まるで、王子を守る騎士であるかのように、背筋を伸ばして。
「……詳しい話は後ほど兄上から聞くとよい。既に兄上は改めて、国王陛下から王太子位を授かっている。何か申したいことがあれば、兄上に奏上せよ」
「っ……! しかし殿下! 平民の娘と婚約なぞ――!」
「そうです! いくら聖女という身分を得ているとはいえ、その娘は平民! 殿下の婚約者になどなり得ません!」
公爵令嬢との婚約を破棄しただけではなく、次の相手に選んだのはあろうことか平民の娘。
だが王子は眉根を寄せ、法衣姿の娘の肩を抱き寄せた。
「――私はこの旅を通し、パオラの存在の大きさに気づいた。パオラは、『抜け殻』と嘲笑される私の心を開き、旅の仲間たちとも心を通わせ、魔王討伐への大きな足がかりを作ってくれた。私もオリヴィアもヒューバートも、パオラがいてくれたから今ここにいることができている。そのパオラと共に歩きたいのだ」
「……殿下! いくら聖女に恩があるといっても、あなたはオリヴィア様を捨てるというのですか!」
別の方から声がする。オリヴィアを気遣っているかのように言う彼だが、同じくよく肥えており顔色はよくない。
王子は声がした方を見やり、緩く首を横に振った。
「……違う。オリヴィアも同意したことだ。むしろ、オリヴィアは私たちの結婚に賛成してくれている。オリヴィアが、私たちの背を押してくれたのだからな」
「嘘だ! オリヴィア様、嘘でしょう!」
「……いいえ、事実です」
そこでようやっと、令嬢オリヴィアが口を開いた。
艶があり、吐息にすら色気の含まれる甘い声。彼女の声を耳にし、男性陣がはっと息を呑むのが分かった。
「わたくしは、フィン殿下のこともパオラのこともよき仲間だと思っております。かけがえのない仲間である二人が結ばれるのは、わたくしにとっての何よりの喜び。もともと、わたくしと殿下の婚約は双方も納得していなかったこと。ランス殿下のご同意も得られたことですし、わたくしの方からこれ以上何も申し上げることはございません。そういうことでわたくしはこれから、悠々と人生を歩ませていただきますわ」
オリヴィアの言葉に、皆がざわめく。
おかしい。
オリヴィア・ウォーターズは、このような女性だったのか?
いや、考えてみればオリヴィアもフィン王子も、旅から帰ってきてみて変わった。
もしかして、先ほど王子が言った「傀儡」は――
ざわめきが大きくなる。次第に会場から不穏な声が上がってきて、先ほど発言した肥満男性たちを糾弾する声へと変わっていく。
会場が混乱に包まれる中、気がつくと壇上から三人の姿は消えていた。
会場に、波乱の予感を生み出したまま。