不確かなものたち ~七夕の決めごと~
「不確かなものたち」の特別編。
商店街を歩くと、笹と短冊が飾ってある光景をよく目にする季節……初夏。特に賑わうこの日は、「七月七日」であり、「七夕」という別の呼び名があると、俺の拾い主であった「久保ちゃん」から教わった。
基本的な記憶は、欠落していないと思っていたけど、どうやらそうでもないらしくて。俺には知らない世界がまだ、たくさんあるようだ。
「久保ちゃん。俺たちは短冊っていう奴つくらないのか?」
「ん? そうだね。俺は興味ないかな」
「…………やけに、納得いくわ」
俺は、秋の寒空の中でこの男、「久保田藍」に拾われた。それからというもの、相方のアパートに居候をしている。
殺風景な部屋で、白を基調とした壁に椅子。テレビは一応あるが、相方は特別テレビも見ない。そのため、光熱費は非常に安いらしい。俺は、バイトをしながら少しずつでも相方に食費くらいは出しているが、負担のほとんどを、相方がしていた。
相方は、何を考えているのかよく、分からないところが多い。
「七夕ってさ、どういう日なんだよ。別に、祝日でもないじゃん?」
「だから、特別なことをする日ではないんじゃないの?」
そう言って、相方はタバコを取り出した。此処は、公園の喫煙コーナーだ。灰皿のところで、相方はタバコを蒸かして煙を吐く。俺は未成年だからタバコは吸えない。
タバコの煙はどちらかといえば苦手だった。ただ、この男の匂いだけは……悪くない。それは、俺の唯一の居場所だからかもしれない。
このタバコの匂いが、俺を癒してくれる。
「さて、と。行こうか」
この相方以外に、俺を必要としてくれるひとは、居ない。両親のもとを離れ、独り路上暮らしをしてからしばらくして、相方が俺を拾ってくれた。昨年の秋に出会い、もう七月。結構な時間を共にしている。
しかし、相方は俺に何かを「期待」しているようには思えない。何故、俺を拾ったのかもよく、分からない。
『人間が欲しい』
そんな殺し文句だったけど、普通に考えると変な言葉にしか受け取れない。
「…………」
「秋?」
秋月零治……ただし、偽名。相方は俺を、「秋」と呼ぶ。名前を呼ばれて、ふと黙考をやめ、俺は相方の傍へ駆け寄った。黒く適当に伸ばした髪が、やけに似合う背の高い相方。タバコを蒸かしている姿は、実に様になる。ただし、相方に「美意識」などなく。服装にもこだわらない為、服装に一貫性がない。今日は、黄色の半袖Tシャツに真ん中に謎の英字が書かれている、お世辞にも「格好いい」とは言えないデザインだが、昨日は黒でゴシックに決めていた。本当に謎だ。
「ん、何でもない」
「…………そういえば」
「何? 久保ちゃん」
「思い出」
「?」
久保ちゃんは、何を思ったのか急にアパートとは違う方に向かって、歩き出した。その後を、急いで追いかける。背丈が違う為、歩幅も少し違う。久保ちゃんが早歩きするため、俺は小走りして追いかけた。
「どこ行くんだよ」
「思い出づくりしようか。秋」
「は? 思い出? 急にどうしたんだ?」
そう言い返しながらも、こころのどこかで、俺は期待しているものがあった。何もない俺の中に、またひとつ。「記憶」と「思い出」が刻まれようとしている。それがとても、くすぐったくて……嬉しかった。
相方が、それを計算しているとは思えない。相方は淡泊な人間だった。他の人間に興味を示すこともなく、彼女が居るようにも見えない。学生ということで、たまにふらりと大学へ出かけているようだが、四年生で卒論もほとんど終わっているとかなんとか。それほどの頻度で出かけることはない。
「まだ、間に合うと思う」
「何に?」
バス停まで着くと、久保ちゃんは携帯を取り出した。時間の確認をして、時刻表と見比べる。今の時刻は午後三時四十六分。
「スーパーのタイムセール」
「は!?」
思わず声が出る。てっきり、何か綺麗なものを見に行ったり、やっぱり短冊を作ったりとか、風情あるものを俺にくれるのかと思った。その期待がまるっきりはずれ、俺はこの相方に、そういったものを求めてはいけなかったと、肩を落とした。
攻めるのは、お門違いだ。
勝手に期待した、俺が悪い。
「…………で、遠出してまで何買うんだよ」
「何が食べたい?」
「え?」
「秋の好きなもの、作ってあげる」
「…………今日、俺が夕飯当番だけど?」
「知ってるよ。だから、思い出づくりに俺が作ってあげる」
「…………」
食べ物で釣られてたまるか。
なんて、子どもな考えは持たないことにした。
意地を張らずに、俺は正直に食べたいものを考えた。
「えっと……じゃあ、目玉焼き!」
「え?」
「あと、ウインナーと……スクランブルエッグ!」
「卵とウインナーだけでいいなら、その辺で揃っちゃうなぁ」
相方は、くすっと優しい笑みを浮かべた。くるっと向きを変えて、辺りを見渡すと、相方はある一軒の店に注目した。
「クレープだって。秋、食べる?」
「クレープ? 俺、食った記憶ないかも」
「生地は卵使ってるし。ホイップクリームも美味しいよ。あの店、行列できているし、有名なんじゃない?」
「高くない?」
「そこまでの値段はしないでしょ。バス代浮かせて、あれを買おうか」
コロコロと変わる予定。それでも、新しい店や食べ物を知るきっかけが出来て、本当に「思い出」づくりが出来ているのを感じた。
別に、特別なことをしなくたっていい。
自分が日常の中に「喜び」を感じられればそれでいい。
俺はそう、思った。
「久保ちゃん。目玉焼きとウインナー、スクランブルも忘れんなよ!」
「分かってるよ、秋」
そう言って、バスの列から離れると、俺たちは続いてクレープ屋の列に並んだ。ピンク色の屋根で、こじんまりとした店。並んでいるのは、女子かカップル。俺たちみたいな男組は居なくて、浮いている。視線がちらほら、こっちに向いていたけど、それは俺たちを異質として見る目というよりは、久保ちゃんの端麗な容姿に浮ついた女子の視線だとすぐに分かった。
「久保ちゃん、相変わらず人気者だな」
「ん?」
「なーんでもない」
敢えて、教えてやらなかった。この、人気者の久保ちゃんの相方は俺なんだっていう優越感に、ひとりで浸りたかったからだ。
三十分くらい並んで、俺たちの番が来た。久保ちゃんは、苺生クリームのアイス乗せ。俺はバナナチョコクリームのアイス乗せにした。
「お会計、六百四十円です」
店員のお姉さんひとりが会計担当。店の中にも、ふたりのお姉さんが居た。クレープを焼いている様子が見えて、なんだかワクワクした。
「意外とするもんだな、久保ちゃん」
「そう? こんなもんじゃない?」
そう言って、会計を済ませた久保ちゃんは、レシートを受け取ってから、俺にそれを渡した。いつもは、レシートは受け取らない久保ちゃんが珍しいと感じたけど、それを俺に回してくることは、これまでなかったから、余計に不思議に思った。
「ほら、今日の日付が書いてある。七夕記念」
「あ…………」
「スーパーに行けば、もう一枚レシート手に入るし。これ、短冊にする?」
「!」
俺は、勢いよく首を縦に振り、何度も頷いた。
「する、する!」
「ん、決まり」
焼きたてのクレープは、生地があったかくて、でも、中に入っているアイスが冷たくて。絶妙だった。熱くて冷たい。それが、こんなにも美味しいなんて知らなかった。
俺は、七月七日と書かれているレシートを見ながら、相方にある提案をした。
「なぁ、久保ちゃん」
「なに?」
「来年の七夕も、このクレープ屋さんに来よう?」
「うん?」
「そんでさ、同じクレープ頼んで、その後スーパー行って卵とウインナー買うんだ」
「うん」
「それ、俺たちの決めごとにしないか?」
相方はまた、優しい笑みを浮かべてくれた。一口、苺のクレープを食べてから、口元についた生クリームを舐めとる。
「そうだね。それ、いいかも。俺たちだけの、七夕か」
「そう! 七夕の決めごと!」
「覚えてられるかな」
「俺が覚えとく!」
「ん、じゃあ……大丈夫だね」
得意げに俺はどや顔をしてみせた。レシートを失くさないよう、大事にズボンのポケットにしまう。そして、クレープをアムアムとすべて食べた。それからふたりで、スーパーへ向かう。
その日の夜。
殺風景だった相方の部屋のカーテンレールに、ふたつのレシートが吊るされた。
クレープふたつの伝票が書かれたレシート。
卵ひとパックと、ウインナー一袋の伝票が書かれたレシート。
その裏に、願い事は何故か俺たちは書かなかった。
「はい、出来た…………と」
「お、うまそ!」
「願い事。書かなくてよかったの?」
「あぁ、いいんだ。なんか、裏面白い方が綺麗じゃん?」
「…………そうだね」
俺たちは、手を合わせて卵だらけの机を眺めた。
「いただきまーす!」
「いただきます、と」
笹どころか、観葉植物でもなく。俺たちの短冊はレシートで、ぶら下がっているところも可笑しな場所。それでも、こうして思い出が出来たこと。また来年、俺たちの決めごとが出来て、俺は大満足だ。
みんなと同じことをする「習慣」っていうのも大事かもしれない。
でも、ふたりだけの「記憶」と「記念」のが、俺にとっては大事だと感じた。
これが俺たちだけの、「七夕」スタイル。
こんばんは、小田虹里です。
七夕……に、間に合わせようと思って書きはじめましたが、結局間に合いそうになくて。でも、「不確かなものたち」の「藍」と「秋」には、ちょっと外れた日に、七夕をアップする方が、相応しいとも思えて。敢えてもう、七夕に間に合わせることを辞めて、このように数日後にしてみました。
「不確かなものたち」は、連載ものとして「なろう」に以前投稿していて、完結した物語です。「藍」のモデルは、小田自身でして。色々と、ストーリーに被せた部分がありました。
本編では、「破滅の戦士」に登場している「ライガ」くんも、ゲスト出演しております。ちらっと登場させたかっただけでしたが、結構なキーパーソンになりました。
今回は、そんなライガくんや、女のひとの影は出さず。おじさんも出さず。とにかく、ふたりだけの世界をつくってみたつもりです。ただ、あんまり入り込めなくて……もっと、素敵なエピソードや演出は出来なかったのか、など。反省点は多いです。だけど、今の小田の感覚では、こういう話にどうしてもなるのかな、と。
毎年、実は小田。短冊に願いごとをしておりました。母がそういうイベントを大事にするひとだったので、小田も、大事にしていました。だけど、「七夕に願い?」と。疑問に思ってしまったんです。
例年、ほとんど雨だった七夕。今年はとても良い天気でしたね。織姫、彦星の話は、小田、よく知りません。なんとなくの記憶しかなくて。数年前に、プラネタリウムで見た気がするんですけど、あんまりそういうのに興味が無かったので、伝説などは頭に入りませんでした。
どちらかというと、星の出来方とか、宇宙の膨張と飽和、縮小とか……そういう天文学の方が、聞いていて楽しいです。それもあって、なんだかぽけ~っとしてしまいました。
もし、本当に年に一度。織姫と彦星が会える日だったとしたならば……そんなふたりの特別な日に、私たちが短冊に、願い事を書いて叶えてもらおうって、どうなんだろう……って。
そこは、ふたりが出会えることを願って、祝福するべきじゃないのかな、と。思いました。
もちろん、小田だって今までは自分のお願いごとをしてきました。だから、そういうことを否定するつもりは毛頭ないです。考え方も否定しません。だけど、「藍」と「秋」を描くなら、こういう思考の方が近いんじゃないかなと思って、このような話でまとめてみました。
昨年は、COMRADEで短冊書いていたんですけど……一年で、思考が変わってしまったようです。
これからも、小田的思考と主張を大切にして、作品づくりに努めていきます。ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。どうか、皆さまにとって、素敵な七夕でありましたように。そして来年、七夕を迎えて何かこころに残る出来事がありますように。
素敵な時間を、大切なひとと過ごせたら、一番幸せかもしれませんね。