婚約破棄はマカロンの味
テンプレなのであっという間に読めます。
「アネット、今日この場をもってきみとの婚約は破棄させてもらおう」
ジュリアス王子の一方的な宣言がホールに響き渡り、パーティの賑やかな談笑は衝撃的な宣言にぴたりと止んで静寂が訪れる。
私はドレスの裾を払って白孔雀の扇を口元にあて、なんの動揺も見せずに応えた。
「まあ……いったい何故ですの? 長年、献身的に殿下に尽くして参りましたわたくしをお見捨てになると仰るのですか」
ジュリアス王子の傍には、可憐で小柄な美少女、男爵令嬢マリーがいる。愛らしくて優しくて、宮中の多くの貴公子を虜にしていると噂には聞いていた。でも何故ジュリアスの傍に? 王太子と男爵令嬢が親しくなる機会はそうそうない筈だ。おまけにジュリアスは幼い頃から、従妹の私……美しい金の髪から『アーデル王国の金の薔薇』と呼ばれた私と、婚約している身なのに、何故、そんなに親し気に寄り添っているの?
……なーんてね。
私はこの後に起こる事が予想できた。別に、私が前世の記憶を持っている悪役令嬢だから、とかではありませんよ? ……あら私、何を考えているのかしら?
それはともかく、私の情報網を舐めないで頂きたい。マリーがその容姿と裏腹な腹黒で、富と地位に執着して、偶然を装ってジュリアスに近づいた事も、私の悪口を散々吹き込んだ事も、ちゃーんと知っている。私はマリーと挨拶程度の関わりしかないのに、裏庭に彼女を呼び出して、男爵令嬢風情が、と罵倒したり(何故そんな面倒な事をわざわざしなければならないの)、階段から突き落とそうとしたり(私が巻き込まれたらどうする)した事になっているのも。
「ジュ、ジュリアスさまぁ……アネットさま、お怒りですわ」
しおらしくジュリアスのマントをそっと掴んで涙目で囁くマリーに、王太子は、わたしがすぐに解決してみせるから大丈夫だよ、なんて優しく囁いている。子どもの頃、よく私にしてくれたように。ジュリアスの美しい青い目と、少年なのに紳士然とした態度にときめいたものだった。
今、その美しい青い目は、マリーだけを見ている。そなたのような美しい令嬢こそがわたしの王妃に相応しい……醜いアネットではなく。その台詞が聞こえて、私はイラっとする。ええ、傷ついてはいませんよ?
「アネット。そなたは王家の血を引く公爵令嬢、わたしの婚約者でありながら、陰ではこのような無力な乙女に非道な仕打ちの数々を行ったと聞く」
「一方的な話をお信じになられますの? 王となる者は常に公平でないとならないのではありませんの?」
「一方的ではない。わたしはそこまで愚かではないぞ。ちゃんと証拠があるのだ!」
「証拠?」
と私は眉を顰めてみせる。本当はなんなのか、知っていますけどね。
「これだ!」
とジュリアスが得意満面に取り出したのは、踏みつぶされた箱。流石にリボンはすり替えてあるけれど、私には見覚えのある箱。だってそれ、私の……。
「そなたは、この健気なマリーが、わたしの為に徹夜して作ったわたしの好物を贈り物にしようとしていたのに、配下に命じて盗み取り、台無しにしてしまったのだ。なんと底意地の悪い。こんな女を后にしようとしていたとは」
「……それ、わたくしのなんですけれど。盗んだのは、その娘ですわ」
と、一応私は言ってみる。
居並んで成り行きを見守っていた人々は、マリーに既に骨抜きにされている貴公子以外は殆どが、「……ですよね」みたいな反応をしているのに、恋に盲目になってしまった王太子には通じない。
「なんと、言い逃れしようとするにしても、マリーに罪を被せようとするとは、本当に腐っておるな! もういい、その顔、見ているのも腹立たしいわ! そなたなど、修道院にでも入ってしまえ!」
「あの……こうなったからには、婚約破棄はお受け入れしますけれど、王家の血を引く公爵令嬢であるわたくしをどうこうする権利は殿下にはない筈ですわ。国王陛下とわたくしの父とで話をして頂かないと」
国王陛下と私の父は仲の良い兄弟で、お二人とも、私をとても可愛がって下さっている。こんな茶番を鵜呑みにされるような低い知性の持ち主では無論ない。
「う、うるさい! とにかく帰れっ!」
「承知致しました。では、御機嫌よう、ジュリアスさま、マリー嬢。どうぞお幸せに」
そう言い捨てて、私はぱちんと扇を閉じ、しとやかな立ち居振る舞いは忘れずに、その場を後にした。
私がもっと怒ったり泣き叫んだりするかと予想していたらしいジュリアスは、やや茫然としていたようだけど、お生憎様、そんなみっともない真似は致しません。
ホールには、あちこちから溜息が洩れていた。
◆◆◆
「お嬢様、これでようやく本当のお嬢様に戻れるのですね! わたくし、我が事のように嬉しくって……あ、あら、こんな事申してはいけませんわね」
「ふふ、リンダ、あなたは長年傍にいて、わたくしの苦労も心中も全て知っていますもの。人の耳もないし、まったく構わなくてよ」
帰宅途中の馬車の中。私は侍女のリンダと談笑していた。
「ああ、これでお嬢様はジュリアスさまから解放されて、すぐにたくさんの貴公子がたが求婚に駆けつけますわね!」
「あら、『すぐに』は難しいわよ。何しろわたくしは『醜い』ですからね」
「お嬢様ったら!」
◆◆◆
半年後。
王太子から婚約破棄された惨めな女、という事で館に籠り切りだった私を、「もういいだろう、アネット」とお父さまがエスコートして下さって、私は久々に宮廷舞踏会に出席した。
私がお父さまに付いて入場すると、ホールのあちらこちらから歓声があがる。
「おお、アネットさま……! お待ち申し上げておりました!」
「ああ、やっぱり金の薔薇姫はお美しい!」
「どうか踊って下さい!」
あっという間に人だかりが出来た。
「おい、なんだ、どなただ、そのお美しい令嬢は?」
その人混みを割って近づいて来たのは、ジュリアス王太子。あら、半年お会いしない内に、また一段と……。
「お久しゅうございます、殿下。わたくしの顔など見たくないとの仰せでしたが、国王陛下からお招き頂きましたもので、お断りする訳にも行かず……」
「な……ま、まさか、そなたは、アネット?!」
私は優雅に貴婦人の礼をとる。ジュリアス王太子の美しい青い目が驚きに見開かれる。
「マ、マリー、マリー! アネットが!!」
呼び声に、未だ正式には婚約を認められてはいないけれど、王太子の恋人として宮廷の華となったと聞くマリー嬢が姿を現す。
私は吹き出しそうになるのを懸命に堪えなければならなかった。
何故なら、そこにいたのは、半年前の私とそっくりな女だったからだ!
「んまあ……アネットさま……」
マリーは、美しくなった私の姿に絶句する。
可哀相なマリー! ジュリアスに愛される為には何をしなければならないか、骨身に沁みただろう。
ジュリアスは懐から美しい小箱を取り出す。動揺した時、彼は好物……いや、最早中毒となっているある物を食べないと落ち着けないのだ。
彼は震える手で箱を開け、緑色のマカロンを数個取り出し、口に放り込む。緑は心を落ち着けたい時のもの、という事まで私はよく知っている。
……だって、半年前まで、私は毎日彼の為にマカロンを作っていたのだもの!
『料理人の作ったものじゃ駄目だ。わたしを愛してくれる女性の手作りでないと』
マカロンに目覚めた十歳の頃、まだ煌めいた美少年だったジュリアスは私の手を取ってそう言った。
婚約者である王太子の望みを叶えるのは、将来の妻である私の務め……そう思った私は、それからせっせとマカロン作りに励む事になる。午前中いっぱいはマカロン作り、午後はずっと机に向かって王妃教育の日々。彼は味にうるさかったので、私はいちいち味見をしなければならなかった。それで、『金の薔薇姫』はいつしか、醜いと言われても仕方がない程太ってしまったのだ……。
そ・し・て。味見どころではなく、一日中そのマカロンを食べ続けたジュリアスは……『醜い』と言われたって『まず鏡を見ろ』と思われても仕方がない、ぷるんとした丸顔に中年腹の青年になってしまったのだった。
流石にこれでは健康に悪いし威厳もなくなってしまう、と途中で気づいた私は、何度かマカロンを止めるように忠告したのだけど聞き入れてもらえず……。
ジュリアスは、美少年と褒めそやされて育ったし、『太ってます』なんて誰も指摘できないので(両親が言っても、周囲のお世辞に流されてしまう)、自分が醜いとは思っていない。このままでは、樽王と樽王妃になってしまう……と真剣に憂いていた時に、婚約破棄が降って湧いたのだった。
腹黒マリー、ありがとう、ごめんなさいね。
彼女は、七年間腕を磨いた私と同等の質のマカロン作りを要求され、恋人同士の甘い語らいの度に大量のマカロンを食べさせられ……たった半年であの華奢で可憐な姿は見る影もなくなり、樽と化していた。可哀相に、いずれはジュリアスに捨てられてしまうだろう……と、思っていたら。
半年間の館籠りで必死の減量をして、元の体型を取り戻し、美しくなった私に、樽王子は、丸顔に埋もれそうな美しい青い瞳を輝かせ、
「す、すまなかったアネット。半年前は酷い事を言って……わたしはどうかしていたのだ。マリーに騙されていた。どうか、わたしとやり直して貰えないだろうか!」
などと言ってきやがられたのだ! 背後で樽マリーが蒼ざめてゆく。
でも、私は微笑んで、
「何を仰いますやら。殿下とマリー嬢はとてもよくお似合い……まるで双子のようですわ」
周囲から失笑が洩れる。それでもジュリアスは諦めずに、
「わたしの王妃になってくれ! 美しい金の薔薇! 子どもの頃、そう言ったらそなたは嬉しそうに頬を染めていたではないか!」
と追いすがる。
「子どもの頃の美しい思い出ですわね」
「マリーのマカロンはそなたの作るものには及ばない。あの頃、マリーが自分で作ったと言って持ってきたマカロンは、そなたの館の厨房からくすねたものだったそうだ!」
「そうですか。マカロンごときでいちいち責めるつもりはありませんが」
「もう一度、わたしの為にマカロンを作ってくれ!」
「嫌です」
「じゃあ世界中から有名店のマカロンを取り寄せて一緒に食べよう!」
「嫌です!!」
樽王子はがっくりと膝をつく。樽嬢が駆け寄って慰める。王子に捨てられては、ただの樽になってしまうのだから、彼女も必死だろう。
「それにわたくし、国王陛下のお計らいで、隣国の王太子殿下との婚約が調っておりますの。では、御機嫌よう」
私の言葉に、群がっていた貴公子たちは落胆の溜息をついたけれど、私は微笑みながらお父さまの腕に手を回し、国王陛下に挨拶する為に、樽王子の傍を通り抜けた。
にこにこして国王陛下は私を待っている。昔から私には甘い伯父上だ。隣国の王太子についても、念入りに調べさせ、幾人もの候補の中から、最も私を幸福にしてくれそうな人を選んで下さった。人望篤く浮いた噂のひとつもなく、しかも貴婦人の憧れの的である美青年。私と王太子は一度秘密裡に直接お会いして、お互いに良き伴侶になれると確信した。そこまで計らって頂ける私は本当に幸せだ。
「可愛いアネット、金の薔薇。手放すのは惜しいが、馬鹿な息子の為に何年も苦労させてしまったからな……隣国との懸け橋になって、幸せになっておくれ」
「有り難きお言葉ですわ、陛下」
◆◆◆
こうして私は、姉妹のように仲の良い侍女リンダを伴って、隣国に嫁いで王妃となり、優しい夫と可愛い子どもたちと、幸福な家庭を築いた。国は豊かで、生国との関係も良好、時々は大使として来られるお父さまにも会える。
暫くは見るのも嫌だったマカロンも、たまに手作りして家族や客人にふるまうと、「こんなに美味しいマカロンは食べた事がない!」と、とても喜ばれる。あのマカロン地獄の日々も、まったくの無駄ではなかった、という訳だ。
ジュリアス王子は、私に振られて更にマカロンをやけ食いし、遂には自分で起き上がれない程肥満して、廃嫡されてしまったと聞く。
マカロンが彼の人生を狂わせた。可哀相とも思えるけれど……自制心なくては王の資格はない。
マリーは今も、彼の為にマカロンを作っているのだろうか。
今日見た夢を二時間で短編にしてみました(こんなの初夢じゃなくて良かった)。