第8話 ブラックオペレーション
午後3時半。
悠真は、水兵の制服を着た隊員の後について、狭い通路を歩いていた。
すでに「ゆうなみ」に乗艦して1時間以上が経過している。
山岳遭難者のようにロープ一本で吊り下げられままオスプレイを降ろされ、浮上してきたこの艦に乗り込んだあと、薫は艦長と話があると云って別れ、その間、悠真は誰もいない食堂に連れて行かれて、昼食をとっていたのだ。そして、食べ終わった頃に、隊員が迎えに来たのだった。
こんなこと、遠山君に話したらビビるだろうな。
この状況にすこし慣れてきて心の余裕ができたのか、ふとミリオタの友人を思い出して笑みをこぼす。
オスプレイから潜水艦にロープで乗り移るなんて、どこのハリウッド映画だって話だ。
高校生でこんな経験は誰もしたことがないだろう。マニアなら垂涎ものだ。友人たちがどれだけ驚きうらやましがるのか考えただけで、ニヤけてしまう。
そして、真顔を保とうとしながら、船首に向かって艦内をしばらく行くと、通路の突き当りにあるドアの前まで来た。
「こちらで、お待ちくださいとのことです」
隊員が分厚い扉を開けて、入るように促す。悠真より二、三才ほど年上のようだったが、どういう扱いをすべきか命令があったのか、とても丁寧だった。
「うわ、なんだこれ……」
部屋に一歩足を踏み入れ、思わず声を漏らす。
それも無理からぬ事だった。そこは数メートル四方の、潜水艦内としては相当に大きな部屋だった。
そこに、さまざまな機器が並んでいる。
だが、見るべきものはそれではない。
突き当たりの壁一面と床の一部までが透明な材質でできており、海の中が一望できるのだ。
壁の曲線的な形状から考えると、おそらく船首下部に位置するようだ。
ゆうなみはそれほど深くは潜行していないようで、光が十分に海中まで差し込んでおり、透明度も高いのか遠くまで見える。まさに絶景であった。
「ここで、しばらくお待ち下さい。中の機器にはお手を触れないようにお願いします」
「はい……」
背後で、隊員が一礼して扉を閉めるのに気づく余裕もない。
悠真は魅せられたように、前方に広がる光景を見つめていた。
しばらくして、背後から声をかけられた。
「お待たせ」
「……秋月さん」
振り返ると、薫だった。
どうやら、気がつかないうちに入ってきたらしい。
「薫でいいわよ。ここは素晴らしい見晴らしでしょ。私も、この船に乗せてもらうたびにここにくるわ」
「割れたりしませんよね」
「まさか。特殊なアクリル樹脂よ。水圧とスピードに耐えるのに厚さ50センチはあるんじゃないかしら」
薫がそばまで寄って、ドームの壁をコツコツと叩いてみせた。
やがて、艦が前方に傾くのを感じて、悠真は壁の手すりを掴んだ。
徐々に、差し込む光の量が少なくなり、海中が薄暗くなる。
潜航していくのだ。
二人は無言でその光景を見つめる。
しばらくして再び艦が水平に戻ったのを見計らって、悠真はずっと聞きたかったことを尋ねた。
「……それで、異世界に行くってどういうことですか?」
「そうね。それを説明する前に、言っておくことがあるの。この件で見聞きしたことは他言無用よ。絶対誰にも言わないって約束してくれる? ここまで来て今さらなんだけど」
「……そうですね。普通じゃないってのは、もう身にしみましたし」
たかが高校生一人迎えに来るのにオスプレイや新鋭の潜水艦を出動させるなど、尋常ではない。これが世間に露見すれば、大問題になるのは間違いない。そんなことに巻き込まれるのは、悠真自身も嫌だった。
ただ、遠山に自慢することができないのが残念ではある。もしかして、彼に言うぐらいはいいのではないかと思った時、それを見透すように、薫が云った。
「念のために言っておくと、このプロジェクトは国家機密扱いで、しかも、ブラック・オペレーションよ。……この意味がわかる?」
「えっ」
悠真は驚いて、薫の顔を見返す。
ブラック・オペレーション。
国や軍隊などによって行われる任務である。通常の秘密任務よりも、さらに秘匿性が高く、その組織が行ったという証拠すら残さない状態で行われる。目的のためなら、非合法なものも含め、どのような手段を取ろうとも、組織は一切関知しないというものだ。
「……ということは、約束破ってうっかり人に漏らすと、命にかかわるってことですか?」
「ありていにいうとそうなるわね。交通事故とか、不幸な転落死とか」
「に、日本ってそんな国でしたっけ?」
ブラックオペレーション自体は、海外なら映画やゲームのネタになるぐらいだ。それで悠真も知っていたのだが、実際に、日本でも同じようなことがあるとは聞いたことがなかったのだ。
「それだけ重大な問題なのよ。この秘密が他国に渡ったらどう使われるか分かったものじゃないもの。大丈夫よ、人に言わなければ何も起こらないわ」
薫は冗談めかせて微笑んだが、本気であることは痛いほど伝わってくる。
「……分かりました」
もうこれは友達に自慢するとかそういったレベルの話ではない。
国家の大事に巻き込まれたような、圧倒的な何かに気圧され悠真はただ頷いた。
いや、事実そうなのだ。
ついさっきまでは、普通の高校生活をしていた。日常が足元から崩れ去るような感覚に陥る。
どうしてこうなった。そんな疑問が頭をめぐる。
「それじゃ、最初から順を追って説明するわね」
「は、はい」
悠真は我に返った。とにかく、ここまで来たのだ。全てを聞いておきたい。
「そもそもの始まりは、二年ほど前のことよ。この海域で大きな地震があってね。この『ゆうなみ』が海底断層を調べるために派遣されたの。ところが、水深150mの海底を調査中に、遺跡らしい巨大な人工構造物を見つけたのよ」
「こんなところでですか?」
小笠原諸島を過ぎたこの付近には、大きな陸地どころか、小島すらまるっきりない。
「もしかすると、伝説のムー大陸を見つけたのかって、それは大騒ぎだったらしいわ。私も専門外だから詳しくは知らないんだけど、もしムー大陸が実在していたら、その西端がちょうどこの辺りらしくてね」
「へえ」
「ただ、それだけならここまで極秘にする必要はないし、むしろ世紀の発見として大々的に発表すべき事案よ。人類学の関係学会はひっくり返るような大騒ぎになるでしょうけどね。ところが、内部に調査隊が入ったとき、それよりもはるかにとんでもないものを見つけてしまった。そして、その瞬間から、このプロジェクトは国家機密になったのよ」
「そのとんでもないものって……?」
薫は、一瞬のためらうような沈黙の後、静かに告げた。
「異世界転送装置よ」
「え」
悠真は思わず聞き返した。単語の意味としては理解できたが、頭に落ちて来ない。
「い、異世界……転送装置……。それって、人を異世界に送り込む装置ってことですか? まさか」
「信じてもらうしかないわね。それに、さすがにこんなところまで来て、あなたに嘘ついてもしようがないでしょ?」
薫が肩をすくめた。
「そ、そりゃそうでしょうけど……あっ!」
思わず大きな声を上げる。自分がここにいる理由を思い出したのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。も、もしかして、僕をこんなところに連れて来たのは……」
ようやく、自分が何に巻き込まれたのかを思い知って、激しく動揺した。
だが、今度は悠真の驚く顔を見ても薫は楽しそうな笑顔を見せることはなかった。そして、なぜか翳のある昏い微笑みを見せた。
「……そう。あなたにはその機械を使って向こうの世界に行ってほしいのよ。私たちが、アヴァロンと名づけた異世界にね」