第2話 進路希望調査
話は4時間前にさかのぼる。
一学期の終業式が終わり、いよいよ明日から夏休みという日の放課後。長い廊下を歩きながら、悠真はため息をついていた。
向かう先は進路指導室。担任の山科先生、通称ヤマさんに呼び出されたのだ。
その理由は分かっている。
今朝提出した進路希望調査票に「異世界で勇者」と書いたからだ。
やはり書かなきゃよかったか、という後悔と同時に言い訳が頭をめぐる。
僕が悪いわけじゃない。ヤマさんが書けって言うから……。
無論、そう書けなどと言われたわけではない。
ただ、希望の進路がなければ、やってみたいことを、どんなことでもいいから書けと言われたのだ。それに近い進路を探すためらしい。
昨日のHRで、用紙を配りながら先生がそう言った時、クラスのおちゃらけた奴がニヤニヤ顔で声を上げた。
『先生、オレ、戦隊ヒーローになりたいんですけど、書いていいすか?』
ドッとクラスが受ける。だけど、ヤマさんは極めて冷静に答えた。
『ああ、かまわないぞ。俳優か、スーツアクターになって小さな子どもたちに夢を与えるっていう手もあるし、または、科学者になって、ヒーローの能力が生み出せるコスチュームを作ればいいからな』
ほう、とクラスが感心した顔になる。
『どんな夢でも、そのままでなくとも、近いものや、それを叶えるために必要な仕事がある。それを見つけて行くために、自分の思う通りのことを書いてくれ』
そんなやりとりがあったので、異世界で勇者と書いたのだ。
ロールプレイングゲームとラノベに傾倒している悠真は、異世界に転生して、ゲームの主人公みたいな生活を送ってみたいと思っていた。
もちろん、本気で目指しているわけではない。残念ながらこの世の中、そう簡単に次元が割れたり、光に吸い込まれたりしないことは重々承知している。いや、あるのかもしれないが、たぶん自分には起こらない。トラックに轢かれてみても多分本当に死ぬだけだ。
ただ、自分の進路が決まってない今、先生がせっかくそう言うなら書いてみようかと思っただけなのだ。確かに、それに近い進路でもあるのかもしれない。
が、何でも書けというヤマさんの言葉はものの例えというか、ふざけて書く奴がいなくなるように、あえて付き合っただけなのかもしれない、と今更ながらに気がついた。
事実、戦隊ヒーローになりたいと言った奴も結局は真面目に書いたようだった。
ふざけて書いたわけじゃないんだけどな……
このことが、この後どんな展開を生み出すのか、まだ悠真はまったく理解していなかった。
「失礼します」
生徒指導室の扉を開けて中に入ると、向かいのソファーに座っていた山科桂吾ことヤマさんがこちらを見上げた。
ヤマさんは今年着任した新任の教師で、担当は物理。いつもボサボサ頭に白衣を身に着けどこか飄々としている。先生というより、研究に没頭する若い科学者といったほうが近い。
そして、人は見かけによらないという格言をそのまま体現している。
十六才でケンブリッジだかオックスフォード大学だったかを主席で卒業。おまけに、三つも博士号を持っている天才である。IQが200を超えるという噂も聞く。
しかも、まだ二十歳ぐらいの極めて若い先生だ。
だが、鳥の巣のようなボサボサ頭に、だらしない格好で白衣を羽織って飄々としている様が、本来なら大学生程度の年齢には見せていない。
たしかに、顔つきは年齢相応で、高校二年生の自分たちから見れば三つ上のお兄さんに見えるが、よほど濃い人生を送ってきたのか、老成した雰囲気を持っている。いや、顔が老けているわけではないが、どこか浮世離れしているというか、仙人っぽいのだ。
そのせいか、生徒たちは、『ヤマさん』と敬称付きで呼んでいるのだった。
「ああ、神代、来たか。まあ、すわれ」
「は、はい」
促されて、向かい側に座る。
ヤマさんは机に置いたファイルを開け、尋ねた。
「早速だが、お前の進路希望調査票を見せてもらったんだがな……」
来た。
「……お前、異世界で勇者になりたいのか?」
「い、いや、これは、その……、なんというか、つい出来心っていうか、先生が、何でもいいからしたいことを書けって言ったんで、ちょっと書いてみただけで……」
悠真は、必死に弁解する。
やめておけばよかったという後悔は、もう遅い。
確かに『何でもいいから書け』と言ったのはヤマさんである。だが、「何でも」には「異世界で勇者」は入らないのが普通である。
「そうなのか」
「も、もちろんです。」
「なんだ、そうか……」
「あ、あれ?」
なぜか、ヤマさんはがっかりした顔になった。
「ふーむ、本当のところはどうなんだ?」
「え? いえ、まだ決まってなくて……。親からは大学には行けと言われているのですけど……」
てっきり進路について尋ねられたと思ったのだが、ヤマさんは首を振った。
「進路の話じゃない。お前、異世界で勇者をやりたくないのか?」
「そ、そりゃ、やりたいかやりたくないかって言われたら、やりたいですけど、小さい子供じゃないんで、さすがにそれを目指そうとかは思ってないです……」
三歳ぐらいの子供が、なんとかレンジャーになりたいとか言ってるのと同じだ。この年でそれは流石にやばいというか、そこまで無垢で夢見がちな少年ではない。
だが、次のヤマさんのセリフは、悠真の目を剥かせるのに十分だった。
「そうか……。実は、ある会社というか組織が、異世界で勇者をやれる人物を募集していてな。お前なら適任だと思っていたんだ」
「……はい?」
悠真は、ポカンと担任の顔を見た。
ある組織が、異世界で勇者を募集? 何を言っているんだ、この人は。
「ほら、こないだ、お前にゲームのテストプレイ頼んだろう? あれを作ってるところだよ」
「ああ、なるほど」
ようやく話が見えた。
新学年早々の四月に、悠真はヤマさんからUSBメモリを渡された。なんでも、知り合いの会社が作ったRPGのβ版で、極秘でテストプレイヤーを探しているということだった。それで、悠真がゲームに詳しい……というより、ありていに言えばゲームオタクだと聞いて頼んできたらしい。
教師が、一生徒にゲームを渡してテストプレイを頼むなんて変な話だが、もともとヤマさんは、経歴から見た目まで、何から何まで風変わりな科学者っぽい感じだったのでそんなには驚かなかった。
むしろ、こんな優秀な人が自分の趣味を認めてくれて、しかも当てにしてくれたのが嬉しくて引き受けた。もちろん、ゲームオタクを自認する悠真としては、まだ誰にも知られていないゲームに興味もあった。
ちなみに、『アヴァロン』という名前のそのゲームはかなり出来がよく、悠真としては高評価、というより今世紀最高と言っても過言ではないと思っている。だが、今の問題はそれではない。
「も、もしかして、VRMMOが完成して、僕がプレイヤーに選ばれたとかですか?」
それなら十分に起こりうるのではないか。というか、これは流れからいって、そうなのではないか。身を乗り出して尋ねる。
だが、ヤマさんの返事は、悠真の『ついに、僕も異世界デビューか!』という願いをあっさり打ち砕いた。
「VRMMO? 何だそれ?」
「……」
天才物理学者のヤマさんでも、最近流行のテンプレ設定はご存じないらしい。
「え、あの、ほら、ヴァーチャル・リアリティの大規模多数オンラインゲームですよ。どうやるか知らないですけど、人間をオンラインゲームの世界に送り込むみたいな」
悠真の説明に、ヤマさんは意外そうな顔を見せた。
「ほう、最近は、そんなのがあるのか?」
「あ、いや、実際にあるのかどうかは知らないですけど……」
「そうか。まあ、よく分からんが、そんな感じではなかったな」
「……そうですか」
それは同時に悠真を失望させた。それなら、この話は、本当に異世界に行けるわけではないのだ。
「……ということは、プレイヤー募集ってことですか、デバッグか何かの?」
もう考えられるのはこれしかない。ご大層なお題目をつけただけで、結局はRPGのテストプレイとか開発する人間を求めるということじゃないのか。求人広告でよくあるやつだ。
「いや、オレも詳しいことはよく分からないんだが、そうではなくて本当に勇者を探しているようだぞ」
「……はあ」
悠真はなんとも言えない微妙な声を出した。
もちろん、ヤマさんは、こんなところで悪い冗談をいう人ではない。
それでも、VRMMOでない以上、話自体が壮大な勘違いか、デタラメのような気がしてきたのだ。
「まあ、とにかく話だけでも聞いてやってくれよ」
ヤマさんは、シャツのポケットから無造作に一枚の小さな紙片を取り出して、悠真に差し出した。名刺だ。
「ほら、これが連絡先だ。興味があったら、電話してみるといい」
「はあ……」
あまり気乗りはしないが、とにかく受け取って眺める。
そこには「ロストサイエンス社 主任研究員 秋月薫」とあった。
確かに社名は、ゲームの起動時に表示されるものと同じだ。だが、研究員という肩書からみると、勇者募集というのは、科学研究の一旦なのだろうか。
「とにかく、お前の進路希望は、このまま受け取らせてもらう。夢が叶うように願ってるよ」
「ありがとうございます……」
「大丈夫だ、お前ならやっていけるさ」
「そ、それはどうも……」
何がどう大丈夫なのか、今ひとつ腑に落ちないまま席を立ち、礼を言って指導室を出たところで気がついた。
結局、異世界で勇者という進路希望は通ってしまったのだ。