第13話 フェリスの行方
街道沿いを歩いて数分後。
「おお……」
何事もなくフューコットについた悠真は市門をくぐり、感嘆の声を上げる。
それは、ゲームで見慣れた街そのものだった。
それほど大きな街ではない。市門から続く大通りと、そこから連なるいくつの通りがあり、それにそって住宅や店、露店が並んでいるだけだ。
石造りの建物は、特に見るべきものもなく、中世の西洋で見かけるような石作りのものばかりである。
それでも、本当にこの街に自分が立っていることに、悠真は感動していた。
お上りさんのように、きょろきょろと周りを見回しながら大通りを歩いていると、露店の一つに馴染みの人物が目に入った。ハンスである。ちょっとしたクエストで知り合いになり、彼の気さくな人柄もあって、通りかかるたびに言葉をかわす間柄だった。
彼は、売り物の串焼きを炭のコンロで炙っているところだった。
「やあ、おじさん、元気?」
話しかけると、ハンスは顔を上げた。
「お? おらあ、元気だが、おめえさん、だれだっけ?」
笑顔だが、どことなく戸惑った顔つきである。
「え、僕だよ、悠真だよ。冗談きついなあ」
だが、ハンスは串焼きをひっくり返しながらも、怪訝そうな表情で首をひねる。
「ん? おめえさんの顔は見た覚えがねえんだが……。人違いじゃねえか?」
「えっ」
彼にからかっている様子はない。
どういうことか面食らっている時に、横から客が数人やって来た。
「おやじ、串焼き三本くれ」
「あたいは、四本ちょうだい」
「へい、毎度」
ハンスが忙しそうに串焼きを紙に包みだすのを見て、悠真はその場を離れた。
(おかしい……)
ハンスは、気のいい人物で、冗談でも他人のふりをする性格ではない。
(まあ、いいや。まずはフェリスに会ってからだ)
腑に落ちなかったが、彼女に会いたい気持ちが先に立つ。悠真は、胸をときめかせながら宿屋に向かった。
だが、
「アンタ誰?」
「え……」
「それに、フェリスって言ったかい? そんな娘はここには泊まってないよ」
「そ、そんな……」
宿屋に行っても自分のことを知らないどころか、フェリスも滞在していないと言われたのだ。
ここにきて、ようやく悠真は事態の深刻さが飲み込めてきた。
呆然と立ちすくむ悠真に、宿屋のおばさんが慰め顔で話しかけてくる。
「すまないね。どこか、別の宿屋と勘違いしてるんじゃないのかい?」
「は、はい。そうかもしれません……」
絶対そんなはずはないのだが、おばさんも嘘をつく人ではない。理由はどうであれ、自分のことは知らないし、フェリスも泊まっていないのだ。
なんとか礼だけは言って、いったん宿屋を出た。
さらに何人か、食堂のおばさんやら道具屋の主人やら、自分をよく知るはずの人物に話しかけてみたが、やはり反応は同じだった。
「ごめんなさい、どこでお会いしましたっけ?」
「ん、人違いじゃねえか?」
「どちら様?」
どうやら、本当に誰も自分のことを覚えていないらしい。
(どういうことだ……?)
何度もこの街を救ったり、いろんな市民からクエストを引き受けたりして、知り合いも多く出来た。むしろ、勇者ということで自分の知らない者たちからも知られているはずだ。それなのに、見向きもされない。誰も自分のことを知らないように思える。
薫は完全なコピーと言っていたのに。
「そうか!」
悠真は思わず声を上げた。通りすぎる者たちが何事かとこちらを見る。
だが、そんな視線に構う余裕はなかった。ただ自分の発見に思いを巡らせる。
確かに、あのゲームはこの世界のコピーなのだ。
しかし、自分がゲーム上でプレイしたのは、コンピューター上にコピーされた世界であり、この世界と直接関わったわけではない。
つまり、この世界からすれば、今初めて悠真が現れたのと同じなのだ。
(セーブデータを消したようなものか……)
何もかもリセットされた状態。
それなら、まだみんな自分のことを知らないのは当然である。
悠真は、物悲しい気持ちになった。
これまで、いろんな人たちと知り合いになり、交流を深めてきたのに、全てが白紙に戻るのだから。
とはいえ、もともとゲームでも3ヶ月ほどしかプレイしていない。何年分もの思い出が消えたわけではないし、ハンスを始め、一度は仲良くなった人たちだ。すぐに打ち解けるだろう。
それに、有り体に言ってしまえば、フェリスさえいればそれでいいのだ。
そう納得し、歩き出そうとした時だった。
「!」
とんでもないことに気がついて、頭を殴られたかのような衝撃が走った。
(もしかして……。いや、間違いない、フェリスも……)
そう、彼女もまた自分のことを知らないのだ。
悠真は頭を抱えた。
背中に嫌な汗が流れる。
「どうしろっていうんだ……、こんなの……」
思わず泣き言が口から漏れる。
ここに来たのは、フェリスに会うため、その一点だけである。それも、ゲーム上で関係が良好で、彼女に誘われたからだ。
もし、出会いから全てを一からやり直さなければならないと知っていたら、異世界転送などという危険を犯してまで来る気になったかどうか分からない。
はたして、これから、ゲームと同じくらいまで仲良くなることができるのか。
暗澹たる気持ちに沈む。
だが、フェリスは初めて会った時から悠真に好感を持っていたことを思い出した。
これは、あとになって彼女本人から聞いたことだから間違いない。
(そうだ、会ってしまえばなんとかなる)
そう思うと、少し元気が出た。
それに、ここに来た以上、泣き言を言っても始まらない。
ただ、もうひとつ別の問題があった。
どうやって彼女に会うかだ。
ゲーム内で彼女と出会ったのは、最初に引き受けたクエストがきっかけだった。
道具屋の主人にちょっとしたお使いを頼まれ、診療所に薬草を届けた時に、その道程で彼女に出会ったのだ。
だが、先ほど道具屋の主人に話しかけた時、そのクエストは発生しなかった。
というよりも、ここはゲームではない。最初から決められたシナリオなどないのだ。
つまり、自分でフェリスを探し出し、出会わなければなければならないということだ。
(困ったな。いや、まてよ……。そうだ、直接会いに行けばいいんだ)
ゲームでは、初めて会った時、彼女はこのフューコットの町外れにある修道院に住んでいたはずだ。
しかも、人助けと修行の旅に出たがっていた。それなら、こちらから会いに行って勧誘すれば済むのではないか。
(行こう。フェリスのところに)
悠真は、大通りを抜けて、修道院に向かう小道に向かった。
◆◆◆
そして、二十分後。悠真は、町外れにある石造りの大きな建物の正面に来た。修道院である。
大きなアーチ型の扉の横に、『御用の方は、呼び鈴を鳴らしてください』と書いてあり、大きな呼び鈴が取り付けられていた。
紐を振ってベルを鳴らすと、しばらくして、ギギギと重い音とともに扉が開き、修道女らしい女性が現れた。
フェリスより少し年上らしい女性は、白と黒の修道服を身につけ、清楚な佇まいである。
(確か、この人はアメリアさんだったな……)
ゲーム内で、一度悠真も会っている。身寄りのないフェリスにとっては姉のような存在だったはずだ。
「はい。どのようなご用件でしょうか?」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、アメリアが悠真に問いかけた。
「あ、あの、僕は悠真といいます。フェリスに会いに来たんです」
お久しぶりという言葉を飲み込み、これだけ出した。
彼女も自分のことは知らないはずだ。迂闊なことを言って警戒されたくない。
「え?」
ただ、悠真のセリフがよほど意外だったらしく、驚いた顔をされた。もしかして、この修道院ではないのかと不安になる。
「えっと、フェリスはこちらに住んでいると聞いたのですが」
「確かに、その通りですが……」
彼女の存在が架空のものでなかったと確認できて、悠真は安堵した。
「彼女に会いたいんです」
「でも……、あの……」
アメリアが戸惑った顔で何かを言いかけるのを遮り、悠真が熱心に言い募った。
「お願いします、僕はどうしてもフェリスに会わなくてはいけないんです」
「あなた、もしかして……」
「え?」
「あ、いえ。なんでもありませんわ」
なぜか、彼女は憐れむような表情で微笑んだ。
「……分かりました。こちらです」
彼女からは、悠真をフェリスの元に連れて行くことに、後ろ向きというか何か抵抗があるように感じられる。
だが、そんなことを気にしている場合ではない。
修道院の中に入り、長い石造りの廊下をアメリアについて歩く。
いよいよフェリスに会えるという興奮と、初対面となる邂逅がどのような結末になるのか緊張で、途中、大聖堂の脇を通ったが、あまり目に入らなかった。
そして、突き当たりまでいったところで、アメリアがドアを開け、二人は裏庭に出た。
てっきり、フェリスの部屋か何処かに連れて行かれるのかと思っていた悠真は、意外だった。
だが、ここが修道院だったということ思い出した。男子禁制なのかもしれない。
そして、裏庭のさらに奥まったところに連れて行かれた。
何かの記念だろうか、悠真の腰ほどの高さの、薄くて平べったい石碑が建てられている。その周りには花壇が設けられ、様々な花が満開になっている。
柔らかな日差しに照らされ、心が安らぐ場所であった。
だが、石碑の前まで案内され、何気なくそこに書いてある文字を見て、息が止まった。
「……っ!」
『魂よ安らかなれ』という言葉とともに刻まれていたのは、ある名前だった。
「ま、まさか……これって……」
悠真が、顔面蒼白でアメリアを振り返る。
彼女は、泣きそうな顔で微笑んで、頷いた。
「フェリスです」
その石碑。それはフェリスの墓だったのだ。




