06 かいじん著 馬 『日曜日。平穏な朝、興奮の午後』
11月25日(日曜日)
・・・
朝食の後、とりあえずリビングでテレビをつけて、ぼんやりとした。
窓の外には、どことなく冬が近づいている事を思わせる、澄んだ青さの空が広がっていて穏やかな晩秋の朝の陽射しが地上に降り注いでいた。
「新聞を読ませてもらってもいい?」
福沢加奈が言った。
「うん」
僕が答えた。
昨日まで2013年(平成25年)11月の東京で暮らしていた彼女が、テーブルの向かい側で、今の彼女にとっての今日(僕にとっては昨日の続きの今日)……1984年(昭和59年)11月25日(日曜日)の読売新聞朝刊を食い入る様な目で読んでいる。
僕はその姿を眺めながら何とも言い様の無い不思議で複雑な気分を感じた。
彼女が今開いている2面には、確か野党第一党の社会党が親ソ反米路線
からの転換云々と言う記事が出ていた。
彼女が暮らしていた2013年の世の中と言うのはどの様なものなのか、そして、この日本と言う国や世界の情勢と言うのは現在(僕にとっての)から見てどの様に変わって行ったのだろうかと言う興味が僕の中に浮かんで来る。
彼女はその(世界)について知っている。
僕が彼女に訊ねて、彼女が答えれば、僕はそれを知る事が出来るだろう。
しかしそれは本来僕が知り得る筈の無い(世界)の(現実)だ。
僕はそれを知ってしまうと言う事について、考えてみたけど結局は好奇心が抑えられなかった。
「ねえ……」
「?」
僕が声をかけると、福沢加奈は新聞から目を離して僕の方に視線を向けた。
「君のいた2013年には、日本とか……アメリカやソ連はどうなっているんだろう?」
「ソ連? ワタシがいた世界にはソ連なんて国はとっくに無くなっていたわよ」
僕にとってはすごく衝撃的な事を彼女は事もなげに言った。
欧州から極東まで広大な国土を持ち、第2次大戦後から現在までずっと世界を二分し続け、大量の核と軍事力を保有している超大国が無くなっている?
「無くなったって……」
「何かそのソ連って言う国の体制が崩壊してから、ロシアとかウクライナとか、あと、そのまわりのいろんなややこしい名前の国に分かれた……平成の初めの頃、ワタシがまだ生まれる前の話だけど」
「じゃあ、東西ドイツは? ……東ドイツはどうなった」
「東ドイツ? ああ、昔ドイツって2つに別れてたらしいけど、何か市民が みんなで高い塀を壊しに行って、それで壁が無くなったってテレビで やってるのを見た事がある」
「へえ……」
市民がみんなで壁を壊しに行ったというのは、よく状況がわからなかった。しかし、(鉄のカーテン)はごくあっさりと取り払われる。そんな日が将来やって来るらしい事態が起こる前にわかった事に僕は複雑な思いを感じた。
「じゃあ、中国や北朝鮮とかも2013年には今とは変わっているのかな……」
「中国は2013年でもまだ一応共産党の国で、北朝鮮は(偉大な指導者)とかが
支配しているなんだかよくわかんない国だよ」
福沢加奈はそう言って眉をひそめた。
「偉大な指導者って……2013年に金日成がまだ生きてるのか!?」
「いや、キム・ジョンウン……キム・ジョンイルの息子で確かその金日成の孫なんじゃ
なかったかな? とにかくあの国は、日本の近くや太平洋に向けてミサイル発射
したりとか、いろいろと問題になってる」
「うーむ!」
僕は状況がよく飲み込めないながら思わず唸った。
テレビでは日曜日の朝に先週の出来事とかを振り返ったりするワイドショー番組を
やっていたが、CMの後、スポーツコーナーになって今日の午後に行われるジャパンカップと言う、世界から競走馬を招待して行われる国際招待のG1レースの話題が取り上げられていた。
話題の中心は、昨年と今年の4歳(現在の換算だと3歳)クラシックレース(皐月賞日本ダービー、菊花賞)で3冠を制した2頭の馬が出走する事で実現した、史上初の三冠馬対決と、開催第4回目で日本の馬がこのレース初優勝の期待が高まっている事だった。
昨年(1983年)、シンザン以来、19年ぶりとなる史上3頭目の三冠馬になった ミスターシービー(11戦8勝)。
先月28日、東京競馬場で行われた天皇賞(2000m)では、レース中1頭離れた最後方を走り一時、先頭から20馬身離されながら、最後の直線で大外から一気に全頭を抜き去り、1分59秒3のコースレコードで優勝。昨年の皐月賞、ダービーも16.7番手、菊花賞は最後方からのレースでの優勝でその驚異的な末脚は、天衣無縫、常識破りと称され現在今日のレースの1番人気に支持されている事が紹介された。
一方、今月の11日に、京都競馬場で行われた菊花賞(3000m)に優勝し、史上初の無敗での三冠馬になったシンボリルドルフ(8戦8勝)。
馬名が神聖ローマ帝国の皇帝にちなんでいる事から、(皇帝)の異名を持ち古馬(5歳以上)との初対決になるこのレースでは、現在、ミスターシービー英国のベッドタイム、米国のマジェスティーズプリンスに次ぐ4番人気に支持されている事が紹介されていた。
僕と福沢加奈はしばらくの間、テレビ画面を見るとも無く、何となく眺めていたのだけど、突然彼女は新聞を手にとって何だか慌てた様子で、紙面をパラパラと めくりはじめた。
そして真ん中位の所で手を止めると、彼女は紙面の下の方の一点を真剣な目で凝視しはじめた。
「40.1倍」
しばらくしてから彼女が言った。
「40.1倍?」
僕は驚いて聞き返した。
「今、テレビでやってるレースで優勝する馬の倍率」
彼女はそう言って新聞を手にテーブルの向かい側から僕の隣に近寄って来た。
彼女の顔が僕のすぐ目の前まで近寄って来て僕は少しドキッとした。
「このレース、この10番の馬が優勝する」
彼女はそう言ってスポーツ欄が開かれた新聞の紙面を差し出した。
そこに目をやると、左下の隅の方に今、テレビで取り上げられているジャパンカップ の出走表とその横に前売り単勝オッズと言うのが出ている。
競馬新聞やスポーツ新聞と違って全国紙のスポーツ欄にはそれだけが
小さく載っているだけだ。
僕は出走表で10番の馬に目を向けた。
・・・
6枠10番 カツラギエース(日本)
・・・
前売り単勝オッズは40.1倍で倍率の低い方から数えて行くと、日本の出走馬4頭と
世界8ヶ国からの招待馬10頭の全14頭中、10番目の支持率だった。
ミスターシービーやシンボリルドルフと言う馬の名前は競馬の事なんて殆ど
何も知らない僕でも新聞やテレビで何度か見たり聞いた事がある位有名
だったが、カツラギエースと言う馬の名前は今はじめて目にした。
「なんでこの馬が優勝するって知ってるんだ?」
僕は福沢加奈に聞いてみた。
「このレースをDVDで見た事があるから」
彼女が答えた。
「見た事がある?」
DVDと言うのが何なのかよくわからなかったがとりあえずそれは無視した。
「友達のお父さんが競馬好きで、そのコの家に遊びに行った時、家に過去の競馬の
名場面を集めたDVDがあるのを暇つぶしに見た事がある」
彼女が答えた。
「なるほど」
朝からずっと心の中でこれから先の事について考え続けてずっと何も思い浮かばないで
いたのだけど、思わぬ形で少しだけ光が見えて来た様な気がした。
これだ!
これで、とりあえずは何とかなるかもしれない。
僕は思った。
・・・
東京10R 第4回ジャパンカップ(G1) 芝・2400m (晴・馬場・良)
1枠 1番 ミスターシービー(日) 吉永 3.3倍 1人気
2枠 2番 エスプリデュノール(仏) ムーア 5人気
3枠 3番 ダイアナソロン(日) 田原
4番 ベッドタイム(英) カーソン 2人気
4枠 5番 ウェルノール(伊) アスムッセン
6番 ウィン(米) グレール 6人気
5枠 7番 マジェスティーズプリンス (米) マクベス 3人気
8番 キーウイ(新) キャシディ
6枠 9番 カイザーシュテルン(西独) アプター
10番 カツラギエース(日) 西浦 40.1倍 10人気
7枠 11番 ストロベリーロード(豪) ビゴット
12番 シンボリルドルフ(日) 岡部 6.5倍 4人気
8枠 13番 バウンディングアウェイ(加) クラーク
14番 バウンティーホーク(豪) ホワイト
・・・
「あっアダプターあった」
居間のこたつテーブルの脇で自分のバッグの中身をごそごそとやっていた福沢加奈がそう言って何かのACアダプターを取り出して見てそれを再びバッグの中に収めた。
それから彼女はバッグから厚さの薄い石鹸箱位の大きさの物を取り出して、2つ折になっているそれを上下に開いた。
彼女はしばらくのあいだ真剣な目つきでその開かれた部分を睨んでいたが、やがて僕がテーブル越しに興味深い視線を向けているのに気付いた。
「写真撮ってあげようか?」
福沢加奈が言った。
「それはカメラなのか?」
僕は尋ねた。
「いや、携帯電話だよ」
彼女はそれをテーブル越しに僕の方に差し出しながら言った。
「電話……電話にカメラが付いているのか」
その折り畳めば手のひらに収まるほどの小さな薄型の器具が撮影機能のついた無線電話であるらしい事に、正直、驚いた。僕がそれを手にとってみると、2つ折の上の部分が画面になっていて、下の部分には電卓の様なキーボタンが並んでいる。画面には僕の目の前のテーブルが映っていて手に持ったそれを上に向けると正面にいる福沢加奈の姿が映った。
身を乗り出して来た彼女が手を伸ばして来て下の部分のボタンを操作すると、画面に今度はその画面を睨んでいる僕の顔が映った。
「おお!」
僕は思わず驚きの声を上げた。
「やっぱりメールの文章だけじゃ、その場の雰囲気を相手に送れないからねえ」
福沢加奈が言った。
「これでメッセージや画像をその場から送る事が出来るのか!」
僕は(平成)の五百円硬貨や千円札を見せられた時以上に彼女が未来から
来た僕と同い年の少女である事を実感した。
・・・
とにかく、家の中でジッとしていても今の状況は何一つ進展しない。
昼前、僕は福沢加奈と取りあえず家を出た。演芸場通りに出て十条銀座商店街の方に歩いて行く。途中、コンビニでスポーツ新聞を買って、それから駅前のマクドナルドに入った。
僕はセットのポテトを齧りながら買ってきた新聞に目をやる。
前日の大相撲九州場所14日目に横綱千代富士が朝潮を破って1敗を守り、2敗で追っていた大関若嶋津がその日敗れて3敗目を喫した為に、史上5番目となる10度目の優勝を決めていた。
しかし紙面トップは世界の強豪馬を集めての三冠馬初対決となる(ジャパンカップ)の記事だった。このレースではじめて一番人気に支持され、2頭の三冠馬が出走する事で日本馬初優勝が期待されている。
2頭に立ちはだかる有力な外国勢として、イギリスのベッドタイム(11戦9勝)、北米でG1レース6勝を上げているアメリカのマジェスティーズプリンス、昨年のこの レースで優勝したアイルランドのスタネーラから差の無い3着に入線したフランスのエスプリデュノール等が挙げられていた。
出走表には、何人かの競馬記者の予想が◎〇▲Δで記されていた。しかし、福沢加奈が、このレースの優勝馬だと言っている10番カツラギエースの欄は無印だった。
成績表を見ると前走の天皇賞(秋)は5着となっている。とはいえ、あと3時間ほどで発走となるこのレースの模様を(実際に目にしている)彼女が言っている事なので、僕らはこれから(僕にとっての)波乱劇を見に行く事になるのだろう。
東京競馬場は遠いので僕らはこれから水道橋の後楽園場外馬券売り場に向かう事にしていた。
「そこは東京ドームのすぐ近くにあるの?」
福沢加奈が言った。
「東京ドーム? ……いや、後楽園球場のすぐ側、後楽園ホールの手前にある」
僕が答えた。
僕らはマクドナルドを出た後、国鉄の十条駅から池袋行きの電車に乗った。
池袋で赤羽線から山手線に乗り換えて新宿駅まで行ってそこから中央線で、水道橋に行くのは面倒なので池袋から地下鉄有楽町線で飯田橋に出た。
地下鉄の出口から出た後、外堀通りを水道橋に向かって歩くと15分かからない位で後楽園球場の入り口に着く。
「♪ カープ! カープ! カープ広島! 広島カープ~♪」
後楽園球場が近付いて、通りの向こうの神田川が線路の向こう側に向きを変えた辺りで突然福沢加奈が(それ行けカープ)を歌いだした。
「♪ 空を泳げと 天もまた胸を開く ♪」
少し迷ったけど、ちょっと間を置いたあと僕がその先を続けた。
「♪ 今日のこの時を確かに闘い ♪」
それを聞いて福沢加奈がその先を続けた。
「♪ 大空高く~大空高く~栄光の旗を立てよ~♪」
二人で声を揃えて歌った。
「春介クンも広島ファンなの?」
彼女が目を輝かせて僕に聞いた。
「うん」
僕が答えた。
その後、昭和の広島ファンの高校生の僕と平成の広島ファンの高校生の彼女は、(それぞれの広島カープ)を語り合った。
「この年(昭和59年)のカープは強かった?」
彼女が僕に聞いた。
「うん」
僕が答えた。
今年、広島カープは、山本浩二(33HR、打率293)、衣笠(102打点で打点王)や山根、北別府、大野ら投手陣の活躍でリーグ優勝、阪急ブレーブスとの日本シリーズ は4勝3敗で日本一になった。
そんな事を話している内に後楽園球場に隣接した場外馬券売り場に着いた。
気持ち良く晴れた秋の日曜日の午後で建物の内外は多くの人出で賑わっていた。これまでにその前を通った事は何度かあったけれど、建物の中にはいるのははじめてだ。勝手がわからないので、僕と福沢加奈はしばらくの間、競馬新聞と赤ペンや赤鉛筆を手にした人達で混雑している建物の中をうろうろと歩き回った。場内のあちこちにあるオッズモニターの前に人だかりが出来ていて、真剣な目で新聞とモニターを交互に見ながら考え込んだり赤ペンを走らせたりしていたが、(優勝馬)の馬券だけを買いに来た僕らにはレースを予想する必要は無かった。
・・・
オッズモニターで東京メインレースの10レースのオッズを確認する。
単勝馬券のオッズと枠番連勝式馬券のオッズが表示されたモニターをみるとその時、10番カツラギエースの単勝オッズは40.6倍だった。
「ところで2着にはどの馬が入るんだ?」
僕は福沢加奈に聞いてみた。
「優勝したのがミスターシービーでもシンボリルドルフでも無くて、カツラギエースと言う馬だったと言うのは覚えてるんだけど、2着の馬がどの馬だったかと言うのははっきり
覚えてない。………何となくこの4番のベッドタイムって言う馬だった気もするんだけど……」
スポーツ新聞の出走表を見ながらあまり自信の無さそうな表情で彼女は答えた。
僕は今自分の所持金として持っている1万3000円程の現金の内、1万円をこのレースに投資するつもりでいる。
(10番の単勝を1万円)
取りあえず40万円くらいのお金があれば、少なくともしばらくの間は彼女の(昭和59年の東京)での生活を何とか出来るだろうという気がした。
「ワタシも3-6を200円買う。今のワタシが(ここ)でこれっぽっちのお金持ってても意味がないもの」
今彼女がここで使えるお金(=昭和59年以前の硬貨)として285円を持っている福沢加奈が言った。
(勝馬投票券発売窓口)の近くで馬券の買い方を見物してから、すこし離れた窓口に買いに行く。
僕らは、そもそもが、本来馬券を購入できない高校生だし、10番人気の馬の単勝を一点で1万円も買ったりするのは目立つような気がしたので違う窓口から3回に分けて買う事にした。
「単勝10番3千円と枠連3-6200円」
内心、緊張しながら格子窓越しに発券しているおばさんに告げる。
案外すんなりと購入できた。
馬券を購入し終わった後、まだ発走時刻までは1時間以上もあったので僕らは、人でいっぱいの場外馬券場を一度出て、ぶらぶらと水道橋の駅の方に歩いて行った。
駅のガード下を抜けてしばらくあても無く歩いている内に(競馬テレビ中継中)と書かれた張り紙のある喫茶店を見つけた。
ガラス窓越しに中を除くと一つだけ空いたテーブルがあるのが見える。
人が一杯で落ち着かない場外馬券場に戻る気がしなかったので僕らは、その店に入った。
テレビでは丁度、第10レースの出走各馬がパドックから本馬場に入場して行く最中で、僕ははじめてカツラギエースと言う馬を実際に自分の目で見た。
本馬場入場の後、馬番順に出走馬が紹介されて行く。芝コースの上を足慣らしに軽く駆けて行くカツラギエースが画面に映し出されて、僕らは食い入る様にその姿を見つめた。
「さあ、いよいよ第4回ジャパンカップの発走時刻が迫ってまいりました!」
番組司会者の声に僕はだんだん心臓の鼓動が高まって来る。
僕らはレース結果がわかっているつもりだったけれども、それでも目の前で実際に(リアルタイム)のその瞬間を見るまではどうしても不安と緊張を抑える事が出来なかった。
(1万円を失う事なんてどうだっていい。しかしもしそうなったら……)
福沢加奈の方に視線を向けるとテレビを見つめる彼女の顔もこわばっている様に見えた。
テレビ画面に制服姿の係員がゆっくりと台に登って行き台上で旗を振ると、それを合図に音楽隊のファンファーレ演奏がはじまった。その後、出走馬が奇数番の馬から順番にゲートに誘導されて行って、すべての馬がゲートに納まった。
ゲートが開いてレースがスタートした。
内側の何頭かがいいスタートを切ったが、すぐに外の方から一頭の馬がするすると、前に出て来てそのまま先頭にたった。ゼッケン10を着けたカツラギエースがいきなり先頭に立ったので僕の鼓動は思わず高まった。
直線から第一コーナー第2コーナーと通過していく内に先頭のカツラギエースは少しずつ後ろとの差を広げていっている様に見えた。
(……ストロベリーロードも行きました!そのわずか前にスッと上がって行ったマジェスティーズプリンスであります! ……そしてミスターシービーはいつもの様にぽつんと一番最後から行っております!)
その間にも向こう正面に差し掛かったカツラギエースはただ一頭、後ろから離れた先頭を走り続けている。
(カツラギエースが果敢に10メートル……20メートルとリードを伸ばしました。2番手にはアメリカの強豪、ウィンが付けております。3番手にはフランスの、これも強豪エスプリデュノール、そしてその後の集団にシンボリルドルフがおります!)
このレース展開を見て僕は、(なるほど、この大きな差を最後まで守り切ってカツラギエースが逃げ切って勝つのだろう)と思った。
(ミスターシービーまだ最後方!さあカツラギエースがどこまで頑張る? 大逃げだ!大逃げであります!)
第3コーナーを通過する頃にはテレビからでも競馬場にどよめきが起こっているのがわかった。
しかし残り残り600メートルの標識を過ぎて4コーナーを曲がりきるまでのわずか100メートル足らずの間にその差があっという間に無くなったのを見て、僕は思わずギョッとした。
(さあ、カツラギの逃げが鈍った!カツラギ鈍った!後続馬が追い込んでくる! 世界の強豪が追い込んで来ます!)
内側から伸びて来た4番ベッドタイムが400メートル標識でついにカツラギエースの
真横を捉え、外側からも14番バウンティーホークがすぐ真後ろにまで迫り、さらにその外には12番シンボリルドルフもいた。
僕は思わず福沢加奈の方に視線を向けた。
彼女は食い入る様な目でジッとテレビの画面を見続けている。その後の展開に僕は興奮のあまり思わず声を張り上げそうになった。
前半の思い切った先行策で失速した様に見えたカツラギエースだったが、ベッドタイムに並び掛けられた後、再びじりじりとベッドタイムより前に出始めて、残り200メートル辺りでまたもや一馬身差まで差を広げた。
しかし外側からはシンボリルドルフとマジェスティーズプリンスが鋭い脚で再び迫って来ていた。
残り100メートル。
(カツラギエースが粘る!カツラギエースを追ってルドルフ!ベッドタイム! カツラギ来る!外からマジェスティーズ! ……カツラギエースが勝ちました!)
カツラギエースが先頭でゴールを駆け抜けた瞬間、僕と福沢加奈はお互い顔を見合わせた。
(結果を知っている)レースだったが僕らはどちらも歓喜と感動を抑えるのに、必死だった。
(カツラギエースが逃げ切りです! ……カツラギエースが見事日本で初、ジャパンカップを制しました!)
2着は1馬身半差でベッドタイム、シンボリルドルフはその頭差で3着、さらに、ハナ差でマジェスティーズプリンス……。
ミスターシービーは10着に敗れた。
やがてレースが確定して配当が出た。
・・・
単勝式 10番 4060円 連勝複式 3-6 8110円
・・・
僕らは店を出て払い戻しの為に場外馬券場に戻った。
僕の買った馬券で40万6千円、彼女のお金で買った馬券の1万6220円を払い戻した後、場外馬券場を出て、夕暮れが近付きはじめた中を僕らは外堀通りを飯田橋の方に向かって歩き始めた。
僕らにとってあまりに大き過ぎる深刻な問題はまったくそのままだったし、これから先の事はまだ全くわからなかったけれど、取りあえず少しは安堵した気分で今日という日を終えられそうな気がした。
END