奄美剣星 著 『回遊魚に捧ぐ物語』
―― 回遊魚に捧ぐ物語 ――
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夏だった。じりじりと陽射しが照りつける房総半島・九十九里浜の海岸道路だ。陽炎ゆらめくアスファルトの上を自転車に乗った青年がゆく。
シュロの街路樹。ホテル、民宿、サーファーが週末にだけつかうアパートが、点々と続いていた。
横をみると、砂浜には白い波が打ち上げられ、ボードに乗った人影が、海鵜のように、プカプカ浮いていた。
自転車の若者は東京にある学生寮からやってきた。彼はペダルを漕ぐのをやめて、バス停の前に停まって、地図を開いた。
すると、先にいっていた自転車が、引き返してきた。
「おい、恋太郎、なにしてる?」
「肩で息をしているんだ、愛矢。それがなにか?」
「みれば判る」
「判ったなら、ここで引き返そう」
「なぜそうなる?」
流し髪の青年は田村恋太郎。平均よりもやや背が高い細身の学生だ。
横に自転車を停めているのは川上愛矢。相棒よりも頭一つ高く、長髪を後ろで結わえている。
赤いエンジン付きパラグライダーが、波打ち際の上空を飛んできて、そのまま北上していった。
二人が飛んでいったやつを目で追いかけていると、ママチャリに乗った日に焼けた小母さんが、「すいーん」と、叫びならこっちに走ってきたではないか。それでだ。ちょっと引いている、学生たちの手に、チケットを渡したのだ。
「スーパーの割引券か?」
「いや、違うぞ」
「マリンパークの招待券じゃないか」
二人は地図をみやると、潮風でビラビラ鳴った。
それで……二人は、シャチだのイルカだのアザラシだのが芸をやる、マリンパークの改札口をくぐったというわけだ。古代ギリシャの円形劇場みたいな施設で、すり鉢に例えるなら観客席が胴部、プールが底部となる。観客席はがらがらだ。
盛況とはいい難い会場のプールを、五メートルくらいはあるだろうシャチが、ぐるぐる泳いでいた。
プールの縁には透明プラスチックのガードフェンスが巡っていて、注意書きがあり、「演技中に、近寄らないでください。水しぶきがかかることがあります」とあった。
恋太郎は夢見がちで惚れっぽい。
先日、同期の女子学生に恋をして見事にフラれた。
悪友の愛矢は、みるにみかねて、落ち込んでいた彼を、サイクリングに誘ったという経緯があった。
「いい子だった。おまえが好きになるのも無理はない」
「いい子だったろ。しかしフラれた」
若者二人がとりとめもなく同じ言葉を繰り返していると、スピーカーから、音質の悪いBGMが流れてきて演目が始まった。
横に流れる黒の背に白の腹。水に潜ってぐるぐる水槽を泳ぎ回っているシャチが通りかかろうとしたときのことだ。ウェットスーツの女性が、ジャンプ台から水中に飛び込み小さな水しぶきを上げた。するとどうだ。
ザブン……。
シャチが大波を上げて姿を現した。背中にはサーフボード宜しく、ウェットスーツ女性が立っていて、観客席に向って、愛想よく手を振っているではないか。
シャチは彼女を乗せたまま、プールを回ったり、沈んでからジャンプしてみたり、はたまた、プールサイドに乗り上げてみたりしていた。
流し髪の青年が、「人魚だ」とつぶやいた。
「人魚? 違うぞ、恋太郎。さっきのママチャリ小母さんだよ」
「違うぞ、愛矢。あれこそ麗しのマーメイドだあ!」
恋太郎が席から立ち上がり、階段になった通路を駆け下りて、透明プラスチックのフェンスに身を乗りだした。
シャチがまた女性を乗せて、水中を回遊し、そしてまた半ばジャンプした。
ザバーン。
夢見がちな傷心の青年はびしょ濡れになって目を醒ました。
牧師の息子である、ノッポな親友は、彼のために十字を切った。
END
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それでは、第8冊はこれにて。第9冊でまたお会いしましょう。




