11 かいじん 著 水溜り 『雨の日曜午前2時、その部屋に彼女がいた』
雨の日曜午前2時、その部屋に彼女がいた
.
夜の九時近くになっているので臨海工業地帯方面に向かう一両編成のワンマン車両には
僕の他には三人しか乗客がいない。
車内から眺める車窓の外の雨の夜の風景には段々と住宅の明かりが減って来て、倉庫と空き地が目立つ様になって来た。
この臨海鉄道と並走して埋立地に向かって伸びている道路を、一〇tトラックが、強く降り続いている雨で水浸しになったアスファルトをヘッドライトで照らし出し、水しぶきを上げながら走っているのが見えた。
列車が終点の工場前から2つ前の駅に停車すると僕以外の3人が降りて、乗客は僕一人になった。
ブサーがなってドアが閉まり車両がディーゼルエンジンの音を響かせながら、走りはじめると僕は雨滴の降りかかった車窓から暗い外の方を、見るともなく眺めていた。
やがて車両が終点から一つ前の駅に停車して、僕は今日街で買った参考書の入った、バッグを肩に掛け、傘を手にして立ち上がった。
運転席の横にある運賃箱に料金を入れ、傘を開いてホームに出る。
雨は相変わらず強く降り続けていた。
片側一面の簡素なホームを歩いている僕の横を発車した車両が通り過ぎて行った。
狭い通路をコンクリートの屋根と壁で囲っただけの無人の改札を出て、二車線の車道が
ある道路とは線路を隔てた細い道を歩いて行く。
ずっと雨が降り続いているせいで道の所々に大きな水溜りが出来ていて、薄暗い、外灯の白い光を映し出したりしていた。
水溜りを避けながら金網で囲われた小さな駐輪場の脇を過ぎて暗い夜道を、傘を差して歩いて行く。
目の前の臨海鉄道から別れた貨物線の踏切を過ぎた少し先に四階建ての各階の廊下の常夜灯が等間隔で灯っている集合住宅が三棟並んでいる。
その工場の社宅の真ん中の棟に僕は父と暮らしている。社宅の少し先の方には、終夜生産を続けている工場の大きな建物が、うっすらと照明に浮かび上がっているのが見えて、そこから振動音の様な音がここまでほんの微かに聞こえて来る。
工場の向こう側には海岸沿いの石油コンビナートの縦横に伸びたパイプが照らし出され、煙突の航空障害灯が赤く灯っているのが見える。辺りに低く垂れ込めた灰色の雨雲は地上の光で、不思議な色に、浮かび上がっていた。
僕は社宅の真ん中の棟の左端の階段を上って二階の左から二番目のドアの脇の傘立に傘を入れ、ドアに鍵を差し込んで少し軋む鉄製のドアを音を立てない様にゆっくりと開けた。
今日は父は夜勤に出ているのでドアの内側は闇に包まれている。
玄関の電気を付けて靴を脱ぎ、中に入ってリビングの照明を入れると、僕は深々とソファーに身をもたせ掛け大きな息を吐いた。
窓の外からは、雨音に混じって、どこかからしたたり落ちる雨水が何かを、打つ音が時折聞こえて来る。
ぐったりとしてぼんやりと天井を見上げる。
僕は少し疲れを感じて、そしてはっきりとした理由は思い浮かばないが、自分がひどく気分が塞いでいるのを感じた。
・・・
目の前の目覚まし時計のデジタル表示はAM1:37を表示して横の二桁の数字は一秒毎に数字が増えて行った。
僕は諦めて参考書を閉じて、右手に持ったシャープペンシルを開いたままのノートの上に投げ出した。
今日はどうにもはかどらなかったし、これ以上は全く頭の中に入って行きそうになかった。
静まりかえった部屋の中に窓の外の雨の音だけがずっと続いている。
何もしなくなると、僕は何だか訳のわからない焦燥感にとらわれ始めた。
僕はそれをうまく説明する事が出来ない。
自分が心の中で密かに感じ続けている日常の閉塞感から中々抜け出せないで
いる事への焦りと怒り、無力感……そういったものだ。
このまま、電気を消してベッドに入り眠る事も考えたが、眠気をまったく感じなかったし、無意味に昂ぶった気分を部屋を暗くして目を瞑った所でどうにか出来そうに無かった。
ベッドに入ろうが起きていようが夜の長い時間がどうしようもなくただ、空しく無意味に過ぎて行く様な気がした。
そんな時はいつもならゲームやら、ネットの動画検索やら漫画を読んだりして現実から遠ざかる事にしているけれども、どういう訳だかそんな気分が起こらない。
それでも僕はとりあえずノートパソコンを机の上に開いてアダプターを接続して起動させた。
しばらくの間、検索画面を開いたままぼんやりとしてしていたがふと、思いついて(グリーンタウン)と言うSNSを検索してそのログイン画面を開いた。
アドレスと六桁のパスワードを入力して、ログインすると(K-02さんのページ)
のホーム画面が現われた。
半年前に登録した時、僕が選んだアバターがランニングシャツと半ズボンだけの姿で表示されている。
(あなたのブログへの新着コメント)(ともだちの新着ブログ)(参加サークル)等と
いった欄が並んでいるが全てその下は空白になっている。
ブログの更新歴は無いし、プロフィールの欄も全部空白のままだ。
訪問者数の所には本日0累計0の表示があって足あとだとか書かれた所の下には真っ白なスペースがあった。
全てが半年前の高二の冬休み、ネットでたまたま(マイペースの仮想生活)と言うのが目について、無料だったので何となく気まぐれに登録して、結局、殆ど何もしないままログアウトしたあの時のままの状態だった。
試しにブログ欄をクリックしてブログ作成画面を表示させてみる。
そこに何か言葉を書き込んでみようかと思ったがその言葉が出て来ない。
何を書けばいいのかわからなかったし、書きたいと思う事が思い浮かばなかった。
そもそもが言葉を自分で選んでそれを組み立てながら文章を作って行くというのは僕が苦手に感じる事のひとつだった。
次にチャットをクリックしてチャットルーム一覧と言うのを表示させてみた。
(初心者向け)(誰でも参加)(二十代)(三十代)(映画)(芸能)(アニメ)など、やたらとカテゴリーの数が多かったがいくつかのカテゴリーに部屋が、二、三あったり一部屋だけ開かれていたりしたが殆どのカテゴリー内には
部屋数0と表示されている。
画面下の時刻を見ると「1:52」と表示されている。
(科学・宇宙)などと言うよくわからないカテゴリーまであったがそこには、部屋数1となっている。
興味本意でそのカテゴリーをクリックしてルームリストを出してみた。
.
ルーム名 「こんばんは」 ゆり44 入室者1人
.
僕はしばらくの間、迷った後、意を決して入室ボタンをクリックした。
部屋の中に入ると部屋の右の隅っこの方に置かれた椅子に質素な、青いワンピースを着た質素な髪型の少女アバターが裸足でポツンと、座っている。
その反対側の左側の隅にはランニングシャツに半ズボンと言うまるで
夏休みの小学生の様な姿の僕のアバターが裸足で立っていた。
.
こんばんは
.
僕は文字を入力して「話す」のボタンをクリックした。
「こんばんは」
僕のアバターが言った。
.
K-02 : こんばんは
.
空白だった会話履歴に表示が出た。
それから一分が過ぎ、二分が過ぎ、何分かが過ぎた。
外で降り続いている雨の音が聞こえてくる。
架空の部屋の両隅で黙り込んだまま向かい合っている架空の男女のキャラクターは何だか妙に現実味のある対峙を続けている様に見えた。
PCの左下の時刻が2:00から2:01に変わった。
僕は変な好奇心と期待感を持った事を後悔した。
何となく後味の悪い気分で、退室する為に僕はマウスを手に取った。
「こんばんは」
ゆり44と表示された女性アバターが言った。
.
ゆり44 : こんばんは
.
会話履歴が更新された。
「ごめんなさい、気がつきませんでした><」
部屋の右隅に座っているゆり44が言った。
.
ゆり44 : ごめんなさい、気がつきませんでした><
.
会話履歴が更新された。
「こんばんは」
僕はもう一度、今度はどこかでPC画面を見ている誰かに向かって
文字を入力した。
.
K-02 : こんばんは
.
部屋の左隅に立っている僕のアバターが言った後で会話履歴が更新された。
.
ゆり44 : どうぞ座ってください。
K-02 : それでは
.
僕はマウスを操作してアバターを動かして立っていた場所から少し奥の方に
あった椅子に腰掛けた。
その後しばらくの間、沈黙が続いた。
.
K-02 : 何だか眠れ無かったんです。
ゆり44 : 私もです
.
しばらく沈黙
.
ゆり44 : K-02さんは良くチャットするんですか?
K-02 : 2回目です
ゆり44 : 2回目なんですか・・・
K-02 : 半年前にここに登録した時に一度やってみたんですが
K-02 : 飛び交ってる言葉や内容がよくわからなくてついて行けなかった。
ゆり44 : わかりますw 実は私チャットは今日がはじめてなんです^^
K-02 : そうなんですか。
.
しばらく沈黙
.
ゆり44 : K-02さんは何県に住んでらっしゃるんですか?
K-02 : ××県です。
ゆり44 : 私は○☆県に住んでます^^
K-02 : お茶と世界遺産の山ですね^^
ゆり44 : そうです^^
K-02 : お互い結構離れた所に住んでますね^^
.
しばらく沈黙
.
ゆり44 : 失礼かも知れないですがひとつ聞いてもいいですか?
K-02 : どうぞ
ゆり44 : K-02さんはお幾つくらいの方ですか?
K-02 : 僕は高校3年生です。
.
少し長い沈黙
.
ゆり44 : 私よりずっと年下www
K-02 : そうなんですか。
ゆり44 : 私は24才だよww
K-02 : 僕よりずっと年上ですね^^
ゆり44 : 高校生が夜眠れないなんて何か悩みでもあるの?
ゆり44 : 聞いてあげるから言ってごらん^^
K-02 : 特に悩みというのは無いですが
ゆり44 : 本当に?
K-02 : 強いて言えば
ゆり44 : 強いて言えば?
.
僕は少しの間考えた。
.
K-02 : 僕は悩みが無い事に悩んでいます。
ゆり44 : ww何それ?
K-02 : それと最近は悩みが無い事を悩んでいるのを悩んだりします。
ゆり44 : www
K-02 : やっぱり悩みが多い年頃なんでしょうね^^
ゆり44 : www キミはちょっと変わった子なのかな?
K-02 : 人間は変わろうと思えば変われるんです。
ゆり44 : Change!^^
.
仮想空間での仮想の僕は、その日そこで出会ったばかりの遠くに住む、顔も名前も知らないこの場所での仮想の彼女と夜中じゅうそんな他愛も無い会話を続けた。
長い時間の中では多少なりとも中身のある話も少しはしたりもした。
雨は相変わらず降り続けていたけど、気がついた時には夜明けの早い6月の空は、もうすかり明るくなっていた。
・・・
ログアウトした後。ログイン画面を閉じ顔を上げると少しだけ本当に自分が、どこか別の世界から現実の自分の部屋に戻ってきた様な気がした。
机の上の目覚まし時計はAm5:12を表示していた。
僕は机から立ち上がり窓の外を眺めてみる。
雨はまだ降り続いていたけど、低く垂れ込めていた雨雲はどこかに消え去って
今はうっすらとした白さの雲が高い空一面に広がっている。
下を見下ろすとすぐ真下に出来た大きな水溜りが空の白さをうっすらと写し出して
いるのが見えた。
あの世界では、こちらの世界に、直接通じる事は出来ない。だけど、そこを介して、意志を伝える事が出来る。
僕は数時間の内に心がすっかり軽くなってい爽やかな気分になっているのを感じて、心の中で遠くにいる知らない誰かに感謝した。
・・・
PCの電源を落とした後、私は少し疲れて大きな溜め息を吐いた。
しばらくぼんやりした後、カーテンを少し明けて窓の外の風景を眺めてみる。
所々青空も見えるが空は殆ど雲に覆われている。
その空の下に一面に広がる田植えが終わった水田の水面はその空の白さを写して真っ白だった。
私が東京での暮らしに嫌気が差し仕事を辞めてこの実家に戻って来てからもう半月になる。
私はまだほとんど外に出ず自宅に引き篭もったままで過ごしている。
私は一晩中、登録したばかりの仮想空間の中で過ごした。
ほとんどをチャットルームの中で過ごしたけどあんな所はもうこりごりだ。
立て続けに不愉快な思いをさせられ、余計に嫌な気分にさせられた。
だけど最後の一人とは普通に話しをする事が出来た事だけは嬉しかった。
顔も名前も知らない遠くにいる6つも年下の男の子だったけど、誰かとあんなに、たくさん話をする事が出来たのは私には本当に久しぶりの事だった。
仮想空間の中では少しだけ違う自分になれるのかも知れない。
何だかちょっと面白い所のある少し変わった所がありそうな子だった。
そう言えば少し変な事を言っていた。
K-02 : 水溜りと涙はいつかは乾く。
だけどとにかくあの子には何だか新しい一歩を踏み出すための元気を少しだけ、貰えた様な気がする。
とりあえずあの子とはあの場所での初めての(友だち)になった。
顔も名前も知らない6つも年下の男の子だけど。
私は少し可笑しくなってカーテンを閉めて少し笑った。
END




