04 E.Grey 著 馬 『公設秘書・少佐』
深夜の山道を一台のリムージン車が走る。木材運搬用のトロッコ鉄道橋脚の下を通りかかったあたりで停まる。運転していた男が、後部座席を開き、そこから死体を引きずって、道路脇の崖から落とした。
このとき男は対向車のライトで顔を照らされた。トラックがすれ違っていったのだ。
男は慌てて車に乗り、現場を離れ、逃走した。
* * *
一九六〇年代は高度経済成長期。全国で道路・鉄道といったインフラ整備事業が起り、世の中は慌ただしくなった。長野県の山村である月ノ輪村もその余波が押し寄せ、人の出入りが激しくなっていた。
東京の代議士センセイのところで公設秘書をしている佐伯裕が、「国家老」と呼ばれている私設秘書に会いに県内にある選挙事務所のあるお国許にゆくついでに、私・三輪明菜に会いにきた。事件はそのとき起きた。
サンドイッチをつくって、水筒に紅茶をいれたとこで、村の駐在・真田巡査が、ギコギコ、自転車のペダルを漕いでやってきたのだ。停年に近いひょろりとした人好きのする人だ。
明菜ちゃん、悪いな。少佐がくるんだって? 借りるよ」
「なっ!」
二人で寺巡りというか、ピクニックにでかける予定だった。佐伯祐は忙しい人で、少ない休暇を利用して、やっとのことで私に会いにきてくれているのだ。昨今の捜査陣は安易に佐伯の頭脳を拝借し楽をしようとしているように思えるのは気のせいだろうか。
村役場前のバス停に黒いスーツの男が降りた。
そして、巡査の案内で、殺人現場にむかった。まったく、とんだピクニックだ。というか、警官でもないのに、こういう状況に馴れてしまった自分が悲しい。
現場は蛇行している未舗装の県道だった。ガードレール横の崖から、被害者は落とされたような恰好だった。
佐伯は三十少し前。身長は百九十センチを超える長身だ。身をかがめて、シガレットケースから煙草を取り出し、小柄な佐伯巡査に勧めた。
「死体は?」
「県警本部の連中が片しちまいましたよ。山菜取りの夫婦が遺体をみつけましてね。司法解剖に回した結果、死後五日ばかり経っていて、車ではねられた跡がある。しかし、死斑とかの状態から、この場で跳ねられたんじゃなくて、どこかで引かれ、崖から落とされたって感じらしいのですわ」
大柄な佐伯が、かがんだり、立ち上がったり、また四つんばいになって、雑木林下草を観察していてライターをみつけた。
「S.YOSUKE……名前が彫られています。女性からの贈り物? 銀製」
「高価な品ですなあ」
「それ以上に落とし主はけっこう貢いでいる」
「金遣いが荒い。遊び人ってところ。ドラ息子でしょうかな?」
「可能性があります」
二人が煙草を吸い終わった。
「じゃ、明菜ちゃん、デートの続きを堪能してくれ」
からからと笑った真田巡査が自転車に乗ると手を振って駐在所に戻った。
「まったく、もう……」
私はこのころ、それまでトレードマークだった四角い黒縁眼鏡を、丸みをおびたピンク色のものに変えた。真田巡査に、ぷっ、と頬を膨らませてみせた。
* * *
それから一週間が経った。
自転車に乗った真田巡査が役場の前を通ったとき、事件の経過をきいてみた。
「やあ、明菜ちゃん。崖っぷちで不審な車が停まっていたのを、通りかかったトラック運転手が目撃したという証言があったんだよ。そして、指紋とイニシャルから、鈴木洋介という長野市在住の若い男が捜査線上に上がったんだ……」
「それじゃあ、逮捕も目前ですね?」
「いや、そう楽じゃない。肝心のトラック運転手が、『深夜だったから記憶違いだ』って言い張りだした」
「前言撤回ですね」
「そうだ。前言撤回だ。そして鈴木洋介のアリバイを証言する女もでてきた。鈴木がひいきにしているスナックのマダムだ。マダムのほかに馴染の客もいて、一緒に呑んでいたって証言している。そのマダムの証言では、鈴木と飲み仲間が連れだって、何度かピクニックに行ったことがあって、最後の回で、たまたま、ライターを失くして騒いでいたってことだ……」
私はたぶん上目遣いになっていただろう。自転車の老巡査に訊ねてみた。
「『少佐』に電話をしてみました?」
「もちろんだとも」
東京に住んでいる国会議員センセイのもとで佐伯は公設秘書をやっている。センセイが旧軍でいうところの大将ならば佐伯は少佐クラスの参謀だ。だから村の人たちは佐伯を『少佐』って呼んでいる。
真田巡査は続けた。
「儂は、東京にいる『少佐』に電話をかけてみた。すると『少佐』は、『鈴木はリムージンに乗っていたんですよね。その若さで、しかも地方で、鈴木は高級車を乗り回しているそうですね? 親が有力者じゃないですか? 証言者たちを張っててみてください。小切手を換金にゆくやつがでてきたら、適当にカマをかけて、そいつを強く訊問してみるといい。何かしらの反応があると思いますよ』って答えたんだ」
「それでどうなったんです?」
「『少佐』のいう通り、証言者たちに捜査員が貼りついた。何人かが持ちなれない小切手で大金を引き下ろしていたよ。鈴木の友人っていうのは博打打ちだ。マダムも見栄っ張りで舶来もののハンドバックや宝石には目がない」
「トラック運転手は?」
「似たり寄ったり」
「もしかして、全員、鈴木に買収されていた?」
「そんなところだ。正確にいえば、鈴木の『パパ』が地元有力者で、金をばらまき証言者を黙らせたり、証言者をつくったりしていたわけだ」
老巡査が首をすくめてみせた。
事件の全容は次のようなものだった。有力者の息子・鈴木は、長野市の盛り場で飲んだあと、家に帰ろうと酒気をおびたまま運転し、郊外にでたところで被害者を跳ねた。車・後部座席に被害者を乗せて山道に運びだし、道路際の崖から遺体を投げ落とす。あとは買収工作となったわけだ。口止め料を配るよりも、遺族に慰謝料を払ったほうがよほど安上がりではないか。それ以前に、金持ちだというのに、なんで任意保険に入らなかったのだ。莫迦な男だ。
佐伯の推理があたって、鈴木はあっさりと逮捕された。
* * *
老巡査が、手を叩き、思いだしたように私にいった。
「そういえば、明菜ちゃん。そのうち東京に行くだろ? ひいきの馬がいるんだ。レースのとき競馬場で買っておいてくれよ」
「え? 私が行くんですか? 松本で買えばいいでしょ」
「松本競馬場はこないだ廃止になった。知らなかったのかい? だから頼んでるんだよ。それにさあ、競馬場デートっていうのも、洒落てていいと思うよ」
そういうわけで、私が上京したときのデートは、競馬場になった。事件解決で、めだたしめでたし、といいたいところだが、そうはいかなかった。警察に捕まった鈴木という男が、東京のセンセイに企業献金してくれる地方財閥の会長だったからだ。平たくいえばセンセイのスポンサーだったのだ。そのあたりの闇にメスが入った。会長は引退。献金を受け取っていたセンセイの大事な金脈がなくなった。
佐伯はいらぬ探偵ごっこで、センセイに「大火傷」を負わせてしまったわけだ。