05 真珠 著 切り札 『恋の切り札』
. 恋の切り札
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「俺、モテたい」
晴男は、空になったチューハイの缶をコタツに強く置いた。
いきなりの宣言に、小林はポテトチップスを口へ運ぶのを止めた。
「何、急に。好きな奴でもできたのか」
「いない。誰でもいいんだよ、とにかくモテたいんだよぉ! 童貞でいるのも飽きたんだよぉぉお!!」
「飲み過ぎじゃね?」
「酔ってねーし。あぁ、そこらじゅうの女子にモテたい…」
晴男はまた新しいチューハイをチビチビと啜り、小林は高速でポテトチップスを口ヘ運びだした。
「あ、だったらあれ使えるかも」
小林は何かを思い出したらしく、玄関に置きっぱなしていたスポーツバッグを持ってきた。
ゴソゴソと中に手を突っ込んで、動きを止めると晴男にニヤケた顔を向け、
「ふぇろばくてりあすぷれー!」
バッグから出したのは、プラスチック製のミスト容器だった。
「……ドラえもん?」
晴男は、冷たい視線を友人に注いだ。
「うん、これ、ドラえもんのひみつ道具レベルだよ」
「なんだよ」
晴男は小林から青いミスト容器を受け取ると、疑わしげに眺めた。
「俺、今研究してるのが、ヒトの皮膚に殺菌作用のあるバクテリアを加える事なんだ。汗をかいたりしてアンモニアが出るだろ?それをバクテリアが食べて、亜硝酸塩と一酸化窒素に変えるんだ。だから皮膚は常に清潔で、風呂に入らなくてもいいとゆー」
「風呂嫌いスプレーかよ。モテに関係ねーし」
「それが、そうでもないんだ。沢山のバクテリアの種類があるんだけど、皮膚につけてるうちに変なのが発生したんだ。フェロモンを出すやつ」
「……てことは、それが皮膚で増えたら、女子が寄ってくるってこと?」
「そう!YES!大せいかーい!」
春男はその日からスプレーを使い始めた。
1日2回、朝晩、顔、頭皮、全身にふりかけて、よく揉みこんだ。当然、風呂やシャワーは使わない。
1週間その生活を続けたが、バクテリアが皮膚の汗や汚れを分解してくれるから、臭いもなく、誰にも気づかれなかった。
毎日小林の研究室へ行って、皮膚のバクテリアを顕微鏡で見てもらうのだが、変化は10日目くらいから現れた。
「うん、そろそろ良い頃かもな。全身にフェロバクテリアが発生してるよ」
小林は、顕微鏡から顔を上げると満足そうに笑った。
春男もそろそろ限界だと思っていたので、安堵した。なにしろ、体臭はないものの、髪の脂っぽさが目だっていたからだ。
「いよいよだな。健闘を祈る」
小林が軍人のような敬礼で送り出してくれた。
春男は地下鉄のトイレで、整髪料を使い髪を整えると、最寄りの女子短大へ向かった。
短大への道のりは、実に楽しいものだった。
地下鉄利用の女子たちが多く、その華やかな群れが皆、春男を熱く見つめ、振り返り、ため息をつくのだ。気のせいではない。
短大の門に到着した。
午前の講義が終わった直後らしく、沢山の女子たちが校舎から出てきているのが伺えた。
春男は大きく息を吸い込むと、門をくぐった。
そして、女子たちに向かって歩みを進める。
数多くの花達は門に向かって流れてくる。
春男がその中心に立った時、その流れは止まった。
熱い目をした女子たちが春男に殺到していく。
思った以上の反応の良さに、春男は天を仰いだ。
「すっげー! モテすぎっ、ぷは――」
が、その一瞬で空気が変わった。
「うわっ」とか「おえ」とか「ぎゃー」という悲鳴とともに女子たちが、消えた。
「えっ? えっ?」
肩を落とした春男が、小林の研究室に戻ってきた。
「おっ、どうだった? カノジョできたのか?」
小林はニコニコしながらパソコンから顔を上げた。
「……ダメだった、全然……」
「なんでだよ、フェロバクテリアはスゲー増えてたのにっ?洗ってないよな?」
怪訝そうに小林は春男の腕を取った。
「どうせ、俺はフェロバクテリアにも勝ってしまう程のキモ男だよ……はぁ」
「ぶぁっ」
小林は春男の腕をぶん投げながら、飛び退った。
「お前!口臭ぇ!」
「ん?あ、歯磨いてないけど?」
「お前……風呂に入るなとは言ったが…歯ぁ磨くなって言ってねーし!」
. END




