04 やあ 著 雪解け 『親子』
ひとつの季節が終わったのだと思った。
父の再婚から、丁度、四十年の歳月が経っていた。
義母と次姉夫婦を乗せた長姉の車を追うように、二台の車が続いた。
雛子の子どもたちを乗せた甥の車と、義母の弟夫婦の車だ。
雛子夫婦は叔父夫婦の車に同乗させて貰っていた。
「いいお天気ですね」
静かに叔母が口を開いた。
暑くもなく寒くもない11月の昼下がり。
先頭の車の義母の膝には、小さくなった父の遺骨が大切に抱えられている筈であった。
「雛子ちゃんも章さんもおつかれさまでした」
叔母は穏やかな口調で雛子夫婦を労った。
「いえ、何から何までお世話になってしまって……」
雛子はそっと頭を下げた。
一行は火葬場から父が義母とふたりで暮らしていた市営住宅へと向かっていた。
父が亡くなって三日目を迎えていた。
.
ここに来るのは実に十数年ぶりのことであった。
裏庭には何時の間に植えたのか、夏みかんがたわわに実り、午後の陽射しを浴びていた。
みかん狩りしようか、と誰からともなく言い出して、次姉の夫と叔父がオレンジ色の実を摘み始めた。
全員が喪服であることを除けば、まるでのどかな休日のような光景であった。
義母を伴って屋内に入った長姉だけが、てきぱきと父の遺骨を部屋に安置していた。
.
父は学歴こそ高かったが、自由奔放に生きた人であった。
末っ子の雛子が物心つく頃には家庭はすっかり破綻していた。
家族とは名ばかりの形骸だけが残り、その中を覗き込むと荒涼とした冬の海が広がっていた。
それは火葬場で見た父の遺骨そのものであった。
ばらばらに砕けたひとかけらを、まず義母と長姉が一緒につまんで骨壺に移した。
おそらくふたりにとって、最初で最後の共同作業になるに違いなかった。
義母は雛子が初めて見る笑顔で朗らかによく笑った。
その日、雛子は叔父夫婦から義母が認知症を患い、身の周りのこともままならなくなっていることを聞かされた。
.
晩年の父は義母に隠れて雛子によく電話をかけてきたものであった。
長い話に辟易しながらも、雛子には何故か父の話が遮れなかった。
病気治療の為に病院近くに借りた雛子の部屋にも頻々と訪れ、暗くなるまで腰をあげようとしなかった。
父にも雛子に逢いに来る理由が必要であったのだろう。
古本屋で購入した本を何冊か、必ず小脇に抱えて来るのであった。
その習慣は雛子が幾度、手ぶらで来て貰うほうが助かると言っても変わらなかった。
.
「雛子から借りたお金はいくら踏み倒したかなぁ」
いつものように雛子の部屋を訪れた父が、ふっと呟いたことがある。
「もう時効やから気にしなくていいよ」
確か雛子はそう答えたのだと思う。
「俺が雛子をごりごりと、すり潰してしもたからなぁ」
小声で呻くように続けた父。
「娘というより、すり胡麻みたいなものやねー」
敢えて間延びした口調で笑って見せた雛子。
あの時、父は自分がもう長くないことに気付いていたのだろうか。
雛子はその会話を振り返ると、いつも心臓を雑巾のように絞られている気持ちになるのであった。
.
子どもの頃の記憶は、未だに雛子には直視出来ないままだ。
うんと丈夫な箱に入れて幾重にも紙で包み、心のずっと奥のほうへ押しやっている。
目を向けなければないものと同じ。そう考えている時点で、その存在に捕われていることはわかっていた。
だが心身共に壊れていた思春期に逆戻りする訳にはいかなかった。
章と出逢い、三人の子どもたちの母となった雛子には、かけがえのない家族がいるのだから。
.
義母の今後のことを考えると暗澹とした気持ちになった。
おそらくそう遠くないうちに、ひとり暮らしも困難になるであろう。
その時、義母の面倒を誰がみたらいいのか……。
雛子にとっては義母もふたりの姉たちも、赤の他人以上に遠い存在であった。
結局、結論を出せないまま、途方に暮れるしかなかった。
.
年が明けてから、雛子は叔父夫婦に土地のものを少し送った。
葬儀の折に世話になった礼のつもりであった。
折り返し、叔母からきれいな草書で書かれた封書が届いた。
そこには雛子の体調を案じる言葉と共に、父と再婚した義母が子どもたちと養子縁組をしていなかったということが書かれていた。
法的にも雛子たち姉妹には義母の扶養義務は一切ないから何も心配なさらないで下さいね、とあった。
末尾には、困ったことがあればいつでも連絡をしてくるように、とまで書き添えられていたのである。
父が最後に遺していった縁。
丁寧に便箋を畳み直しながら、ようやく雛子は気がついた。
長い長い冬は知らぬ間に過ぎていたのである。
辺りを重く塗り込めていた雪はすっかり解けて、雛子はやわらかな春の陽だまりの中に佇んでいた。
(了)




