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自作小説倶楽部 第8冊/2014年上半期(第43-48集)  作者: 自作小説倶楽部
第45集(2014年3月)/「雪解け」&「詐欺」
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02 真珠 著  詐欺 『しゃっくりが止まらない24時』

 俺は山下徹、今年30になる。俺には絶対音感ならぬ、絶対美感がある。できることなら、美しいものだけに取り囲まれて生きていたい。だから今の職場にたどり着いたのだと思う。

 高校を卒業して、美大には入り損ねたが、デザインの仕事に就きたくてグラフィックの専門学校に入学した。その後、不景気ゆえの安定志向で就職先を探したが、専門学校卒の俺は箸にも棒にも掛からず、大きな企業はまるで振り向いてくれなかった。正社員採用が無理だと思った俺は、契約社員として百貨店で働くことになった。紳士服のフロアで働きたかったが、実際に配属されたのは〈きものサロン〉だった。呉服の知識がまるでなく、俺は落胆したが持ち前のガッツで勉強し、誠実に客に接することで売り上げを伸ばしていった。

 朝のミーティングが終わると、開店1分前のアナウンスが鳴り響いた。俺は店の奥で、先日まで開催していた「春のご恩返し会」で売れ残った商品を本店に送る準備にとりかかった。

 〈きものサロン〉は百貨店独自の呉服屋ではなく、カミヤホールディングスという和装品を中心としたアパレル関連の事業を展開している企業の支店だ。

 カミヤホールディングスは他にも宝飾、ゴルフ用品などのスポーツ事業、美容関連の商品も扱っている超大企業といえる。年に数回あるイベントで、本部から商品が回ってきて、それをできる限り売りさばき、残りはまた本部へ送り返すのだ。

 俺が伝票と反物を見比べていると、売り場からテンションの高い声が聞こえた。

「あらぁ、よくお似合いですよぉー!これなんて、お祝いの席でも、お友達とお食事に行くときなんかにも着られて、重宝しますのよぉー!」

 開店間もない時間にお客が来るなんて珍しいなと思い、のれんの隙間から売り場を覗いた。

「おいおい……」

 朝からパワー全開で客を落としにかかっているのは、60近いオバハンの佐藤だ。

「え?お友達のお茶会ですかー、ええ、大丈夫ですよぉ。それでしたら、こちらの帯の方が華やかですわよぉー」

 小柄で気の弱そうな客は、体に若草色にピンクの花々をあしらった京友禅の訪問着を巻き付けられ、金糸銀糸をふんだんに使った西陣の袋帯をあてられている。歳は佐藤と同じくらいなのに、成人式かとツッコミたくなるようなコーディネートだ。

 俺は佐藤のやり方が嫌いだった。とにかく高いものが売れればいいというやり方で、客の目的・年齢を無視するだけでなく、似合わないものを平気で売りつける。

 俺の絶対美感がそんな事は許さない。

「いらっしゃいませ」

 俺はのれんをくぐると、売り場へ出た。

「おぉ、とても華やかですね」

 客に笑顔をむけてから、佐藤の方を見た。

 佐藤は手に桃色の帯締め帯揚げを持ちながら、客にわからないように俺を睨みつけた。

「でしょー、とても華やかでお似合いよねぇー」

「そ、そうですか……私着物ってわからなくって……」

 客は、何十万もする反物を体に巻き付けられて、困り顔を紅潮させている。

「結婚式か何かに出席されるんですか?」

「いえ……着物の好きなお友達とお食事に行きたくて……あと、お茶会にも呼ばれてしまって……」

(おい……じゃあそんなの着て行ったら、恥かくぞ)

 俺は心の声を顔に漏らさずに笑顔を作った。

「あぁ、僕もたまに着物で食事に行ったりするんですけど、結構楽しいですよね。店員さんの反応とか。ええと、こちらもお似合いになると思いますよ」

 何か言いたげな佐藤を目で制すると、俺は本部へ送り返す反物の中から1反取り出した。

「これは江戸小紋なんですが、遠くから見ると無地にみえますけどね、近くで見ると、ほら。可愛くないですか?」

「あら、ほんと」

 客の興味をひいたようだ。

 上品な淡藤色が草木染特有の深い色合いで、獅子唐草紋は本物の伊勢型で染められた物だ。色白で小柄なこの客には、これくらい品のあるものを着てほしい。値段だって、イベントの目玉だからお手頃だった。

「それに、江戸小紋でしたら、帯あわせ次第でカジュアルにもセミフォーマルにもお召いただけますよ?」

「あら、そうなの?」

「はい。えっと、佐藤さん、これ、いいですか?」

 佐藤は獲物をとられた猛禽のように俺をにらむと、客の体に巻き付けたド派手な反物を片付け、小物の棚の前で何かする振りをしながらこちらを伺っている。

 俺は何本かの帯をもってくると、反物を少し広げて説明した。

「この博多帯だとカジュアルになりますから、お食事にいいとおもいますよ。あと、お茶席だったらこんな感じも素敵ですね。さっきの帯も、この着物ならもっと締めやすいですね」

 客は身を乗り出して俺の説明を聞いている。

「あと、同じ着物と帯でも……ほら、小物を変えるとこんなに印象がかわりますよ」

「あら、ほんと素敵だわ」

 こんな時に俺の絶対美感は役に立つ。決して奇抜にはならないが、個性も出しつつ着姿を調和させることに、絶対の自信がある。色々組み合わせているうちに、俺の方が楽しくなってきてしまい、畳の上いっぱいに帯と小物を出しまくってしまった。

「すみません、こんなに一気に出したら、混乱しちゃいますよね。えーっと、どれが1番お似合いになりますかね……」

 俺が腕を組んで考えようとすると

「全部いただくわ」

「へ?」

 小物の棚の前で、佐藤が飛び上がったのが見えた。金額でいえば、300万ではきかないはずだ。

「えと、ぜ、全部ですか?」

「ええ、あなたのお見立て、どれも素敵なんですもの。この組み合わせ、大活躍するわよ」

 客の雰囲気が、さっきと違う。

「……お着物、よく着られるんですか?」

 客はふふと笑って俺の肩を叩くと

「大好きなの」

 俺は呆気にとられてぽかんと口を開けてしまった。着物がわからないというのは、嘘か。

「こ、こちらへどうぞ」

 佐藤がお茶を入れたらしく、店内中央のテーブル席を勧めた。

 その時、若い女性が店に入ってきた。

「お母さまー、終わったわよ」

「あら、早かったわね」

「ん、種類が少なかったから迷わなかったの。お母さま、また買ってたの?もう行かないと、お父さま待ってるわ」

 女性は、お菓子の紙袋を抱えていた。

 チョコレートだろう。

「うふふ、この方のお見立て、とても素晴らしいのよ。ええと、山下さんとおっしゃるのね。覚えておくわ」

 客は俺のネームプレートを読むと、にっこり微笑んだ。

「お支払いと送り先は、こちらに連絡してくださいね。じゃ、ありがと」

「あ、ありがとうございますっ」

 俺は名刺を受け取ると、彼女たちの後姿を見送った。

 手にした名刺にある名前は……

「神谷洋子……えっ、うちの社長の奥さんじゃないっ! 店長ぉー」

 佐藤が横から名刺をひったくると、店の奥に駆け込んでいった。俺には、そのことも衝撃的だったが、もっと驚いたことがあった。

 社長のお嬢さん……

 なんて美しいんだっ!

     ☆

 社長夫人の水戸黄門ばりのお忍び訪問から3か月、いつの間にか俺は〈きものサロン〉の契約社員から店長になっていた。

 おそらく、夫人が手配してくださったのだろう。

 俺のことを顎で使っていた佐藤とその仲間数人は退職してしまい、フレッシュな顔ぶれになったことで、さらに売り上げは伸びていった。

 そんな激動の日々の中でも、俺は忘れることができなかった、美しい、お嬢さんのことが。

 今朝、本社の総務部からメールが来た。週末に社長がゴルフをしに来県することになったので、お付き合いしろという内容だった。

 俺はゴルフなんてした事がないので、他の人に代わってもらうよう返事をした。

それでも俺をご指名ということだったので、慌てて道具を用意した、もちろん、カミヤホールディングスで扱っている商品を社員割で。

 すぐに週末はやってきた。

     ☆

 風もなく柔らかい早朝の日差しに、植込みの新芽が露を光らせている。

 俺は誰よりも早くゴルフのクラブハウスに到着して、緊張で早くも脇汗をかいていた。ここ数日で、慌てて練習場で専属のコーチを雇って練習したが、うまくラウンドをまわれるかどうか疑問だ。お偉方を怒らせてしまうかもしれない。

 車寄せに立ち、悪い想像で貧血と戦っていると、黒塗りの車が静かに入ってきた。運転手がドアを開けると、背はそれほど高くないが豊かなグレイヘアーで姿勢の良いナイスミドルが降りてきた。アーガイルのベストが、紳士を思わせる。ホームページや、社の広報誌でしか見たことのない社長だった。

「やあ」

「おはようございますっ。山下ですっ。本日はよろしくお願いしますっ」

 車から、他の人は降りてこない。

「あれ、他の方は別の車ですか?」

「や、今日は家族だけで楽しもうと思ってね」

 無人だと思っていた右側の後部座席のドアが開くと、可愛らしい笑顔の女性が降りてきた。

 白い長そでのポロシャツの上に、ピンク地に白の水玉模様の入ったベストを着て、下は短いラップスカートだ。

 俺好みのファッションの上にちょこんと乗った黒目がちの愛らしい顔は、あの時のお嬢様だった。

「娘のるららだよ。この子も初心者だから、安心してくれたまえ」

「ということは、この3人で回るのでしょうか……」

「僕がふたりをしっかり指導してやらないとな」

 社長は人懐っこい笑みをみせたが、やはり目の奥の光の鋭さに俺はびびりまくってしまった。

「よ、よろしくお願いします」

 いざ体を動かし始めると、緊張はほぐれていった。

 練習の成果もあってか、社長が怒りだすほどひどいショットは打たずに済んだ。

 それでもアプローチになると、行ったり来たりを繰り返してしまうが、社長のアドバイスどおりにすると、なんとかグリーンに乗せることができた。

「山下君は、はじめてなのに筋がいいのかもしれないな。るららよりも、上手いかもしれないな」

「お父さま、ひどいわ。私、短大の部活で頑張ってるのにっ」

 頬を膨らませながらパターを握る るららは、ため息がでるほど綺麗だった。サンバイザーの下の横顔は凛として、伏せた長い睫に色気があり、軽く巻いた髪が風に少し揺れている。日焼けしないか、こちらが心配になるほど真っ白な肌がまぶしい。

 コロン。

「ナイスイン!」

 俺と社長の声が重なった。

 ラウンドのあと、ゴルフ場のクラブハウスの中の温泉で汗を流した。

「君、娘のことをどう思う?」

 ロッカールームでの社長の唐突な質問に、俺はなんと答えていいのかわからなかった。

「妻がね、家で君の事ばかり言うんだよ。君はモノが分かる人間だってね。あいつは人を見る目があるからね、きっとそうなんだろうと思う。それに私も1日プレイしてみてわかったよ。娘は君を気に入っている」

「えっ」

「考えてみてくれないか。るららと、付き合うことを」

     ☆

 俺がゴルフ場で社長に品定めされてから6か月、俺は本社の経営企画室にいる。

 はじめは地方から来た〈お嬢さんの婿候補〉として、周りから煙たがられたが、和装アパレル部門だけでなく、宝飾、展示会など美的感覚を駆使する仕事が評価されていった。

 るららとも、毎週のように食事や観劇のデートを重ねた。まだ若いのに、奥ゆかしく、話題も豊富だ。そして何より美しい。

 俺はるららを妻にするのだろうと思う。しかし、親公認の恋人だとはいえ、いやだからこそ、軽はずみな付き合いはできなかった。るららとは、まだキスしかしていない清らかな仲だった。現代に珍しいかもしれないが、それでいいと思っていた。

「徹さん、わたし、今夜ずっと一緒にたいわ……」

 ミュージカルを観た帰り、軽くお酒を飲んだ後、駅への道を歩いているときにるららが言った。

「え、ご両親が心配しないかい?」

「いいの。ふたりで旅行に行っているから。それに、家にいたとしても、徹さんとなら心配しないわ」

「いいのかい?」

 るららは頬を上気させ、潤んだ瞳で頷いた。

 俺たちは近くのシティホテルの最上階に部屋をとった。まさか、いきなりこんな展開になるとは予測していなかった俺は、嬉しさと緊張が混ざり合い、有頂天だった。

 部屋に入るとすぐに彼女を抱きしめ、キスをした。しばらく続けていると、少し落ち着きを取り戻した。

 俺は先にシャワーを使うと、バスルームを綺麗にしてから、交代した。

 一緒に入るのは、恥ずかしいという。とことん、可愛らしい。ついに、俺の夢が叶うのだ。美しいものに囲まれた仕事、美しい妻、これから美しい住まいも建てるだろう。

 カチャ……かすかなドアを開ける音が聞こえた。

 俺はベッドの中で期待を大きく膨らませている。

「徹さん……」

 俺は固まった。

 雌ゴリラ……? 真っ白なバスタオルを体に巻いたそれが俺に近づいてくる。

「おまたせ……」

 雌ゴリラがしゃべってる。えっと、なにかのイリュージョンですか!?

「お肌に悪いから、メイク落としちゃった」

 詐欺メイクかっ!これが噂の詐欺メイクなのかっ。

 眉がなく、目は糸のように腫れぼったく、鼻はこんなに低かったのか。唇もくすんでいる……

「印象が変わるって、お友達からも言われるのよ。メイク上手ねって」

 テヘペロと言っている彼女の言葉が頭の中でこだまする。

 上手ってレベルじゃねーよ。トリックアートだよ。一瞬で萎えちまった……

「ひっく」 

 しゃっくりだ。

 俺は驚くと、子供のようにしゃっくりをしてしまう。

「ひっ……く」

 しゃっくりが止まらない。

 るららは、ベッドの端に腰かけると、ニキビ跡がカルデラになった頬を近づけてきた。

「しゃっくりは、息を止めると止まるのよ」

 ゴリラに唇を塞がれる。

 俺は呼吸ができないままゴリラを受け止め、横隔膜が痙攣するのを感じながらベッドに倒れ込んだ。

    お わ り ♡





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