06 E.Grey 著 試験 『公設秘書・少佐』
物語の舞台は、東京オリンピックが間もなく始まろうとしている1960年代だ。
* * *
庭にはうっすらと雪が積もっているのだが、道路にはない。そこにパトカーが5台縦列駐車していた。
ツタがはった3階建ての古いビルの階段を、身長180センチ、黒縁眼鏡をかけた、黒スーツの男が昇ってゆく。
まずは2階にいった。長椅子が置かれた部屋で、背の高い白髪頭の男が応対し、
「受付係の新藤っていいます。旧軍では小隊長で、戦後は占領軍司令部・GHQがだした公職追放ってやつで、路頭に迷っているところを、元部下だった西田社長に拾われて、再就職できたってわけです。……ああ、そうそう現場はこの部屋の真上の3階。外付けの階段から上がってゆきます」
問題の部屋は3階にあって、制服警官たちが、写真をとったりして現場検証をしていた。
そこで、スーツを着た唯一の男がいて、入口のほうを振り向いた。
「あなたが高名な佐伯祐さんですね? 真田巡査は私の伯父でしてね、センセイのお膝元・長野県にゆくと『少佐』と呼ばれているのだとか――。申し遅れました、私、真田幸村と申します」
「真田幸村。真田十勇士の……」
「ええ。ふざけてるでしょ。名付け親は伯父です。名前負けです」
「いえ、そんなことはありません」
たまたま姓が同じだったため、戦国武将と洒落で名前まで同じにされてしまった男は、笑った。七三分けの髪型で四角い顔をした、大柄な男だ。
真田と名乗った男は、警察手帳をみせるのではなくて、名刺をよこした。30くらいだが、階級は警部。けっこうなエリートではないか。
真田警部が続けた。
「このマンションは、戦前につくられ、戦争にも焼け残った高級官僚とその家族用にあてられた官舎でして、現在は民間に払い下げられ、一般に賃貸されています」
「こんなところで、拳銃発砲――」
「被害者・西田博之氏は、貴男のところのセンセイと同郷で、熱心な支持者だったのだとか。東京でもいくつか店を持っているが、長野市でも歓楽街の一角すべての店のオーナーになっているときいている。最近じゃホテルやゴルフ場なんかを手掛け、左団扇だったそうじゃないですか。さぞかし、センセイにとっちゃ打撃でしょうな」
「まったくです」
「ところで、お連れさんは?」
「三輪明菜といって、僕の助手でもあり婚約者でもあります」
「ほお、婚約者さんか。なってチャーミングなんだ。笑顔が素敵だ」
私は耳まで赤くなっていたと思う。佐伯とは交際を始めていたが、まだ婚約指輪ももらうところまではいっていない。たぶん、面倒だからそういっているのだとは思うが、第三者に、そう紹介されると、やはり心臓が高鳴るものだ。
佐伯は、よく自分のことはさしおいて、私を無表情だと小馬鹿にする。だから私は、ここのところ毎日、鏡で「素敵な笑顔」をつくる特訓をしていた。眼鏡のフレームも黒縁から薄桃色の可愛いのを新調したところ。早速、成果がでたようだ。警部が褒めたのはたぶんお世辞じゃないと思う。
それはさておき――。
取り壊し寸前のマンションでは空き部屋が多い。しかし、来客者はひっきりなしだった。羽振りのいいのから、善良そうな連中までいる。警部は、容疑者というよりは、関係者というべき人々を現場に呼んで、証言をきいていた。
七三分けの警部がいった。
「被害者は、ここに住んでいたというわけじゃない。通っていたんだ」
「なるほど」
取り壊しも近い。部屋はさして高くはない。被害者・西田氏は、部屋を2つ借りていた。一つは2階にある来客者の待合室。もう一つがここ殺人現場となった、3階、オフィスだった。両方の部屋とも3LDKになっている。
小太りした警部が、黒縁眼鏡の佐伯に、各部屋を案内しながら、これまでに判ったことを話した。
「西田さんがのしあがったのは、戦後の闇市を仕切っていたからだって話ですよね。このマンションでは消費者金融・ノンバンクをやっていて、われわれ警察もガサ入れするのも秒読み段階になっていた。ある意味、政治献金をもらっていたセンセイも、西田氏が死んだおかげで、助かったわけだ」
佐伯がそのあたりのダーティーな事情を知らないわけがないし、警部もあえて権力者の懐事情にまで踏み込んで火傷などしたくはない。双方はそれぞれ苦笑していた。
佐伯がそこで話題を切り替えた。
「警部、素朴な疑問ってやつですが、西田さんの死因は拳銃をつかった、自殺ですか? 他殺ですか?」
「そうそう、それを話さなくてはならないですな。西田氏は、社長椅子にのけ反るにして死んでいた。胸に1発、手にした拳銃をあてて死んだ、恰好だった。旧軍の南部式拳銃ってやつで、戦時中に下士官だった彼は、戦後も内緒で、所持していたようだ。金融業っていうのは、人に恨まれることもあるでしょう。……戦地から復員し、闇市で一代の財をなした西田氏。そうとうあこぎな真似もしたのでしょう。われわれ善人には思いもつかぬようなストレス・罪悪感っていうのもあったでしょうし。状況からして警察捜査陣じゃ、自殺説が有力になってます」
自殺説で決定なら、佐伯がここに呼ばれる理由はない。
「――警部は引っかかるのですね?」
佐伯がいうと、警部が、
「さよう。しかし証明できない」
といって、シガレットケースを懐からだし、煙草を二本とって、一本を先に佐伯に勧めた。当時はがっつり関税がかけらえた舶来ものだ。よほど美味いのだろう、二人して目を細めて煙をふかしていた。
「今日の午後でしたね、事件当日、このマンションのオフィスに、居合わせた皆さんがおいでになるというのは……」
「そうです。それまで間があります」
「マンション各部屋の住人に話をききたいんです」
「いいですとも」
それから、警部の案内で、佐伯と私は各部屋を回った。
* * *
マンションは前庭をコの字形に取り囲んだ恰好で、大小の部屋30室があった。ただ使用されているのは10室くらいしかない。1階から3階まである住人たちにきいてみた。
1階部屋にいたのは中年の職人だ。
「昨日の午後2時30分ごろに、確かに銃声をきいた」
それから、階段を昇って、事務所と同じフロア・2階部屋で年金暮らしをしている老婦人のところを訪ねた。
「その時間、昼ねしていたのですけれど、銃声をきいて跳び起きました」
それから佐伯は、2階と3階の部屋を何度か往復して、時計で計った。
そして3時になった。待合室に容疑者というか、たまたま同じ時刻、ここに居合わせた人たち5名だ。ワルの社長を締め上げようと午前中からここに陣取っていたというのだ。西田氏を殺す動機は全員あった。被害者の悪徳商法に引っかかって損害を被った人たちで、しかし、犯行があった時間、みな、この部屋にいたのだからアリバイがある。そこに受付の新藤氏が加わる。
真田警部がいった。
「実をいうと、社長室の隣には、亡くなった西田社長と『特別な関係にあった』美人秘書さんがいて、同じ房の隣部屋で、仮眠をとっていたというのですよ。殺人事件であるならば、アリバイとしちゃあ、この人がもっとも怪しいのですが、社長を殺す動機というものがない」
佐伯は、警部に頼み込んで、実験をしてもらった。
真田警部が、
「なんでこんなことを?」
といった。
佐伯は、
「たぶん共犯者がいます」
と答えた。
第1回めを1階の前庭で空にむけて1発、第2回めを3階で1発撃ってもらったのだ。2階部屋に集まった証言者たちに、音の違いをきいてもらうと、第1回めの音がまさにそうだといった。当時の警察拳銃は、ニュー・ナンブだった。旧軍の南部式と同じ系譜にある。おそらくは銃声も似ていることだろう。
真田警部が手を打った。
「なるほど、実験はしてみるものだ。矛盾が生じましたな、佐伯さん! 自殺説はもうナシだ。すると犯人は――」
「はい、アリバイのない受付係の新藤さんということになります」
受付の事務机の席に腰かけていた初老の男は顔をひきつらせた。
「私も皆さんとここにいた。どうしてアリバイがないと?」
佐伯が自分のシガレットケースから煙草を1本とりだしてくわえた。警視のよりは香りが少し落ちるのだという。
「拳銃を下階で発砲すると音は上階に抜ける。皆さんがきいた音はそれ。……だが真犯人は、クッションのようなものをつかって消音処置をし、西田社長を殺害した。それが2時10分。そして2時30分に、金で雇った下階の職人にもう同型の拳銃を発砲させた。――動機? ああ、そうですねえ。会社の金の使い込みとかしてませんでした? それを酷い侮辱を受けて社長に問い詰められた。その言いぐさが、かつての軍で上司だった新藤さん、あなたのプライドを傷つけるもの。そして、貴男が内緒で所持し続けた旧軍の拳銃は1挺じゃなくて2挺あった。そんなところでしょうか」
事務机に突っ伏し、それから顔を上げた新藤氏は、
「あの野郎、俺をうじ虫呼ばわりしやがったんだ。戦場じゃ、俺に何度も逃げだそうとした卑怯者だ。そのたびに俺がもみ消してやったんだ。俺はちょっと金庫から借りて、すぐに返す予定だったのに……」
「細かい事情は警察署できくよ」
真田警部が、部下の制服警官に目をやって、手錠をかけさせた。
事件が解決したので、佐伯と私が部屋をでてゆこうと、玄関の扉を開けようとした。
そのとき警視がいった。
「たぶん、この事件、警察は独力でも解決できましたよ」
なんだよお、佐伯と私が貴重なデートを返上して協力してやったのに、その言いぐさは。プンプン。
「しかし、捜査費用が70パーセントくらいカットできた。世の中は重大な事件が多い。余力をそっちにむけられる。いや、ありがたい」
癖はあるのだが、この人なりに、最大級の賛辞らしい。
「佐伯さん、結婚式の日取りは絶対に教えてくださいね。『奥さん』には今日のお詫びで、素敵な贈り物をしようと思うのですよ」
警部が自力で事件を解決できたとうそぶいたことはたぶん本当だろう。恐らくは佐伯の実力を計っていたんだ。
――でも心臓が高鳴っているのはなぜ。
私は、警部の術中にはまっているのを理解していた。私が、佐伯に、まだ正式なプロポーズを受けていないのを見抜いて、喜ぶように、『奥さん』といったに違いない。
この人、けっこう、策士だ。
END




