表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自作小説倶楽部 第8冊/2014年上半期(第43-48集)  作者: 自作小説倶楽部
第44集(2014年2月)/「祈り」&「試験」
10/46

03 やあ 著  祈り 『神様』

     『神様』


 それは佳苗が、就学して間もない頃の出来事であった。

 佳苗の小学校入学に合わせて一家は隣の市の借家に移り住んだ。

 家族構成は佳苗と父、そしてその連れ合いの三人。父は引っ越しの直前に再婚したばかりであった。

.  

 父の女性問題が原因で母は二度の出奔の後、父との離婚を選んだ。一度目はまだ5歳になったばかりの佳苗を伴い、当時、伊東にあった児童養護施設にごく短期間だけ娘を預けている。

 だが伊東での暮らしは母子共に、日々、疲弊を募らせていくだけのものであった。元々ひとりっ子で集団生活が苦手であった佳苗は、いつしか自ら前髪を引き抜くのが癖になっていった。

 佳苗が入所した施設では就寝前になると職員が大きなトレイに歯ブラシを並べて食卓に運んで来る。どれも同じただ白いだけの歯ブラシには、まだ平仮名も読めない子どもたちにも識別出来るように個別のシールが貼られていた。

 措置児たちはひとりひとり自分のシールの貼られた歯ブラシを取って職員に適量の子ども用の練歯磨きを絞り出して貰う。

 4月生まれの佳苗にあてがわれたのは紺地に桃色のさくらのシールであった。同じ春生まれでも黄色地に赤いチューリップのシールの子もいれば、生まれた季節は判らないがオレンジの地にまっしろなうさぎのシールの子もいた。雑然と並ぶ歯ブラシを見つめる佳苗の目には、自分のシールだけがひときわ地味に映った。

 シールが貼られているのは歯ブラシだけではない。二十数名もの子どもを収容した施設内では、下駄箱やロッカー、ひとり一段ずつと決められた衣類の引き出しなど、至る所にこのシールが目印として使用されていた。

 赤いチューリップやかわいいうさぎちゃんのほうがいいなぁと心の隅で思いながらも、佳苗は従順にさくらのシールの歯ブラシを手にしては職員に差し出した。

 佳苗がもっとかわいいシールがいいと希望すれば、違うシールに変えて貰えたのかも知れない。だが与えられたものを拒否することは愚か、母が傍にいない時限り、佳苗は泣くことすら出来なかった。

 簡単にくちゅくちゅと歯をこすってぶくぶくうがいを終える頃には、和室いっぱいに布団が敷き詰められていた。入所して日が浅く勝手がわからない佳苗は、いつも職員が促す布団に潜り込んだ。母ならきっと選ばなかったであろう、子ども向けのキャラクター枕を使えることが佳苗の胸にほんの小さなあかりを灯した。

 うんと幼い頃からの指しゃぶりが治らないせいもあり、頭の上まできっちり布団を被るのが佳苗の習慣になっていた。体があたたまり、眠気を催した頃に無意識の内に前髪を引き抜いていたようだが、布団で覆われている時の仕草であったことに加えて髪が長かったことも手伝い、異変の発覚は遅れた。やがて前髪がごっそりとなくなった頃、母は職員と相談を重ねた上で、佳苗を父の元へと連れ帰っている。

.  

 佳苗はその後、離れに住んでいた父方の祖母へと託され、溺愛ともいえるほどの祖母の庇護を受けて生活した。以前から休みがちであった幼稚園にはそのまま退園手続きが取られたようであった。祖母とふたりの穏やかな時間が積み重なるにつれて前髪は再び生え揃ったが、その頃には既に母屋にいた筈の母の姿は消えていた。

.  

 父は祖母を離れに残したまま引っ越した為、佳苗は祖母と引き離された心細さの中で新しい生活を始めることとなった。見知らぬ子どもたちばかりの小学校。父の連れ合いも当初は佳苗に気を遣って子どもの好きそうな食事を作ったり、佳苗が喜ぶだろうと祖母を頻繁に家に招いたりしてくれた。しかし父の興した小さな会社が忙しくなると父と共に働き始め、その頃から文字通り、彼女は父の配偶者としてのみの存在となった。

 冬の海岸の荒涼さといえば感覚的に近いも知れない。佳苗の家庭はゆっくり、まるで砂で作ったトンネルが崩れるように破綻していった。

.

 ある放課後、下校した佳苗は矢も盾もたまらない程、祖母に会いたくなった。

 そしてふと母が伊東の施設に佳苗を預ける前に買ってくれた、小さな縮緬の巾着に入った七福神の人形のことを思い出した。

 佳苗は一体の大きさが1センチ足らずの、ころんとした焼き物の神様たちを袋から取り出すと、ハンカチを敷いた座布団の上に七体並べて祈り始めた。

 どうか今すぐおばあちゃんが来てくれますように。どうか今すぐ電話がかかってきますように。

 掌をきっちりと合わせて何度も何度も同じ言葉を小声で繰り返した。

.  

 30分ほどもそうしていたであろうか。

 突然鳴り響いた電話の呼び出し音に、佳苗はびくんと体を震わせた。

 恐る恐る受話器を上げて右耳に押し当てる。

「佳苗ちゃんか。ばあちゃんやけどな、買い物がてら近くまで来たから今から家に行くわ。そうやな。10分もすれば佳苗ちゃんちに着くよって、待っとってくれるか」

「うん。うん。おばあちゃん。今すぐ来てよ。今すぐやよ。びゅーんって飛んで来てよ」

「よしよし。ばあちゃん、今すぐ飛んでいくやいてね」

 佳苗はハンカチに並んだ七体の神様たちを大切に一体ずつ袋に戻すと両手であたためるように包んだ。

 間もなく祖母が玄関の呼び鈴を鳴らすに違いなかった。

.

     END

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ