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自作小説倶楽部 第8冊/2014年上半期(第43-48集)  作者: 自作小説倶楽部
第43集(2014年1月)/「馬」&「かつら」
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01 BEN.クー 著  馬 『待っとれよ!』

   「馬/待っとれよ!」


大歓声に包まれたオルフェは、ただ夢中でゴールを目指した。

後続の馬たちは、オルフェの本気の走りについていけずにどんどん離されて行くばかりである。

今のオルフェにとって、背中の騎手など単なる60kg足らずの重石でしかなく、無人の野を行くオルフェの姿は、誰の目にもこれがラストランであるとは思えず、まさしく現役最強馬の称号に相応しい走りだった。

大歓声は、いつしか叫び声から驚嘆の声に変わっていた。


一夜明けて、オルフェは、季節外れの暖かい日差しの中で遅い朝食を摂っていた。朝食を摂りながらも、彼の目はしきりに隣りの場房に注がれている。隣りには、こちらも朝食を摂っているワールドエースがいた。

オルフェがペロリと朝食を平らげたのに対し、エースはいつまでもモソモソと飼葉桶に頭を突っ込んでいた。エースは、もう1年半もレースから遠ざかっていた。


オルフェにとって、ずっと気掛かりだったのがこのエースのことだった。

オルフェの1年後輩であるエースは、隣りの場房入ってきた時から次の厩舎の看板馬になると期待されていた。

ところが、オルフェと違って気性が素直だったエースは、凄い末脚を使うことにとらわれた騎手の浅はかな騎乗のせいで、脚に負担の懸かる追い込みレースばかり覚え込まされてしまった。

どんなに強い馬でも、乗る人間が未熟ではロクな結果にならない。案の定、レースに負けただけでなく、故障を発症するハメに陥ってしまったのである。

騎手の未熟さによる敗戦はオルフェにも覚えがあったが、それでもケガをすることはなかった。これは、何もオルフェが特別に丈夫だった訳ではない。オルフェがケガをせずに済んだのは、大敗後に未熟な騎手から上手い騎手に乗り変わってくれたお陰であり、脚に余計な負担を懸けるレースをしないで済んだからだった。

エースを見るたび、いつしかオルフェは、『絶対に己の走りを曲げてはいけない』と心に期するようになっていた。

だからこそ、これからという時に騎手の犠牲になったエースの再起を誰よりも願ってやまなかった。

オルフェは、単に強いだけでなく賢い馬であり、厩舎の看板馬が易々とケガをしてはいけないことを自覚していた。そのため、未熟な騎手の指示通りに反応しないよう心掛けていた。だからこそ、ケガをすることなく引退レースを終えることができたのだ。


「おい、エース。わいの跡は自分しかおらん。あとは頼んだで」

オルフェは、もう残っていない飼葉桶に首を突っ込みながらボソリと呟いた。さすがに面と向かって声を掛けるのは辛かった。周りの誰もが、『もうエースは走れないだろう』と語っているのを何度も聞いていたからだ。

「あにさん、もうええよ。わいはもう走れんかもしれんのやから」

この覇気のないエースの言葉は、元来短気なオルフェの気持ちを逆撫でした。というより、ここで言葉を呑み込んではエースのためにならないと直感した。

「エース!われ、何バカなこと言うとんのや。苦しい思いしとんのは自分だけちゃうねんど。われ、悔しゅうないんかい!」

「悔しいに決まっとるがな。けど、今のわいにどないせえ言うねん!わいは、わいは・・・」

こう言うと、エースは自らの場房に引っ込んでしまった。

エースは、1年半前の日本ダービーにおいて1番人気に推されながら4着に敗れた。しかも、それまでのムチャな追い込みが祟って、屈腱炎という骨折よりも性質の悪いケガを負ってしまった。

不治の病と言われる屈腱炎は、少し走るとすぐに脚が腫れ上がってしまう病気である。エースは、そんな病ともう1年半も闘っているのだ。

オルフェは、一瞬エースの言葉に気圧されて言葉を詰まらせかけたが、ここで走ることを諦めるのだけは絶対にさせたくない気持ちから何とか言葉を紡ぎ出した。

「エース、たしかに自分の悔しい気持ちは分かる。でもな、走る気持ちまでなくしたらあとは肉になるしかないんがわいらの世界やで。わいは自分のそんなニュースなんか聞きとうない。だから、たとえ走れんでも走る気持ちだけはなくさんといてくれ。わいは、自分がもう一度走るのを信じとんのや」

馬房に引っ込んだエースにオルフェはこう言ったが、その日、エースが返事をするどころか、姿を見せることもなかった。


翌日、種牡馬として華々しく厩舎を離れていくオルフェはマスコミのシャッター音に包まれた。

そこには、オルフェのお陰で3冠ジョッキーとなった未熟な騎手も当然のように見送りにきていた。

その騎手を見たとたん、昨日のことを思い返したオルフェはふいに怒りがこみ上がった。

「おのれみたいな連中のせいでエースは潰れそうになっとんのやど、分かっとんのか、コラ!」

馬運車に向かう途中、通り過ぎようとしたエースの場房の前で、オルフェは後脚で立ち上がると、こう大きくいなないた。

もちろん人間にオルフェの言葉は分からない。誰もが、『住み慣れた厩舎を離れるのをイヤがっとんのやろ』と囁いた。

「ええか、エース。わいは牧場で待っとるで。自分が種牡馬になって来るのを信じて待っとるで!」

オルフェは、もう一度エースの場房の前でいなないた。

すると、それまで静かだったエースが突然、場房の壁を叩きながらいななき始めた。

そのいななきを聞いたオルフェは、一つ身震いすると、それまでの苛立ちがウソのように大人しく馬運車に乗り込んだ。

「あにさん、待っとれよ!わいは絶対にもう一度レースに出たる。レースに出て、あにさんの後を追っかけたる。だから絶対に待っとれよ!・・・待っとれよ!」

エースのいななきは、馬運車のエンジン音が聞こえなくなるまで続いた。


-おしまい-

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