ディパーチャー
コロニー外。出発の日の為に見つけておいたとある廃屋にて。
廃屋はまさに穴開きチーズだった。錆びてぼろぼろになった天井と鉄骨の赤い色は血液を彷彿とさせる。霞んだ空にかかる太陽からの光が、穴開きの天井から細いベールを作り上げている。
廃屋の中央には、一機のHWと二人の人物がいた。
AKとショットガンをHWの座席に押し込むと、食料や着替えや細々とした物資を詰め込んだ軍用リュックをHWの肩に繕った荷物入れに引っかける。汚水を純水に変換するフィルター装置。発電機。医療キット。修理用具。などである。自動拳銃のスライドを引いて中を確かめると、腰のホルスターに差しこむ。
アッシュは、軍用ブーツの靴紐を結び直すと、ざっと己の格好を検めた。ボロ布のコート。ガスマスク。ポシェット。典型的なスカベンジャーの服装だった。
「こんなもの被る必要はない。放射性物質により電子頭脳や駆動系に損傷が及ぶことはないと考えられるから」
一方、同じようにボロ布のコートを羽織ったクリアは、むすっとしていた。コートではなく、ガスマスクについてであった。彼女はガスマスクをしげしげと見つめていたが、被ってみようともせず、胸元に抱き続けていた。
たしかにロボットであるならば放射性物質を口に入れて飴のようにしゃぶっても平気だろう。だが放射性廃棄物がジリジリとガイガーカウンターを唸らせる地帯を歩いている人間が素肌を晒していたならば、それは自殺志願者か、熱心な宗教者(もし原子核を崇拝する狂信的な人種がいるとするならば)か、亡霊の類である。服装である程度偽装しなければあらぬ疑いをかけられ、最悪災難が降りかかる。
アッシュは眼前のアンドロイドもといガイノイドが柔軟なのか頭が硬いのかわからず、思わず苦笑いした。
「カモフラージュのためと思って被ってくれ」
「……了解」
渋々と言ったように、さっそくクリアがマスクを被った。わからないことを自分で解釈するのはいいが、既存の考えに無理矢理あてはめて考えたがる癖があるようと、アッシュは思った。ロボットにも個性があるらしい。
傍らには装甲を取り外して徹底的に軽量化したHWがある。戦闘ではなく荷物運び役として、無駄に燃料を消耗する装甲を取り外してきたのだった。
アッシュは、今後すべきことを記したメモを懐から取り出すと、ざっと目を通してしまい込んだ。蛇がのたうつような文字はおよそ人に解読できる代物ではなかったが、本人に限り読むことが許されている。
「まずあのクソ……じゃなくてキムのいる場所へ向かう」
アッシュは歯に挟まった肉の筋を舌で転がすような物言いをした。彼がキムを好いていないのは、火を見るよりも明らかである。
クリアが人形のように頷く。
「うん」
「奴の言うキャラバンだかなんだかと一緒にホワイトマウンテンに向かって、そこで俺が報酬をもらって帰る。シンプルで簡単なゲームだ」
「そう」
「俺が死なないと最高にいいんだ、これが」
「祈ってる」
真顔で言われ、アッシュは首を振って見せた。
「ナンセンスだな。神を信じてない癖に」
アッシュはおしゃべりはその辺にしておこうと考えたか、てきぱきと荷造りをした。荷物を積み込み、おもむろにHWの扉を開く。
HWに乗り込んでキーを回してエンジンをかける。黒煙を吐き、HWが身震いをする。エンジンはガソリンエンジンのままである。換装するための部品や時間がなかったのだった。人で言う肩と頭部にあたる位置のライトが点灯した。
後付の火器管制システムのモニタを指差し確認する。燃料計、各部油圧系統をチェック。モーターよし。
インクと鉛筆ののたうつ地図を取り出し指定規で距離を測定。赤い丸が渦巻くホワイトマウンテンと、コロニーの間を指の尺取虫が往復する。直線距離を計測、迂回路を計測する。何せ街という街が瓦礫と化しているのだ。直線距離で行けるはずがない。
「よし。武器よし、燃料……よし……地図、よし。合流地点までの距離……」
指がのたうち、距離を算出した。地図の端に記されている距離に目を通し再確認。
早く行こうぜと急かすエンジン音を尻目に準備を整えたアッシュは、手荷物を適当に操縦席に放り込み、手すりを起点に一気に飛び乗った。ペダルに足を乗せ、操縦席を見回す。もともと重機ということもあり余剰はかなりあるが、それは人一人分を想定した場合である。ようするに複数人乗るには狭すぎた。
アッシュは操縦席前で足を止めて見上げてる姿勢のクリアを見遣り、フームと喉を鳴らし顎を擦った。クリアと、時間通り来るならばもう一人すなわちロミオがやってくる。自分が席に座り二人を両サイドに立たせれば、乗れるかもしれない。ふと目を巡らせてみれば後付モニタやら無線装置やら荷物やらでぎっしりであった。
アッシュがため息を吐き、仕方がないと首を振ったまさにその同時に、若い張りのある声が聞こえてきた。カツ、カツ、カツ。ブーツが床を叩く音。
後付モニタに耳付き軍帽と布マントにドラグノフ狙撃銃らしき武器を背負ったロミオがあらわれた。低い身長、なだらかな肩、やんわりとした歩調。どこか柔らかく可愛らしい外見・仕草と、人を殺すための武器の組み合わせは、十字架と逆さ十字の位置にある。
彼は廃屋の扉を開けて堂々と歩んできた。おどけた仕草で軍隊式の一礼をすると、見慣れぬ人物がいることに気付いたか、首を傾げた。
「やあーアッシュ。準備は……完了してるけど、この子だれ?」
アッシュは仕方がないなとクリアに席を譲るべく操縦席を降りてロミオの横に飛び降りると、彼の顔をまじまじと見つめた。煤けた鼻先の奥に煌びやかな瞳が覗いている。
顔をじっと見つめていると、ロミオはそれとなく帽子のつばを引き下げてそわそわと髪の毛を弄った。
「コレ……じゃない。この人を無事にホワイトマウンテンに送り届けるのが任務ってわけだ。素性は聞くなよ、俺だってまともに知らないんだ。しかし本当に来るとは思わなかったぜ。背中のはドラグノフか?」
「まさか。正規品のコピーのそのまたコピーの部品をニコイチした横流し品さ」
ロミオはアッシュの視線に対し首を振ると、ドラグノフのようで細部が異なる銃のグリップを触ってみせた。
この世紀末。国家という枠組みが崩壊してしまった現代においてはもはやまともな流通は望めず、故に武器も正規品というもの自体存在するのが難しい。製造が容易なAK系列でさえ、形状と精度がまちまちで信用ならない銃も多数出回る始末である。
だろうな、と返したアッシュはクリアを操縦席に詰め込み、自分は機体の外側にある手すりと足場に掴まった。
「HWの操縦はわかるか?」
「わからない。データベースにない」
「ちなみにほかに何が操縦できる」
「二輪、三輪、四輪、重機、小型ヘリ、装甲車、戦車、小型飛行機」
「すげぇ。頼りになるな、HWの操縦が分からんことを除けば」
「私は皮肉を言われても悔しいと言う反応を返すようにできていない」
クリアが操縦席に座り、モニタやレバーの類を見回す。瞳の奥のカメラが幾度もピントを合わせては緩めてを繰り返している。まるで、人間が考え事をする際に無意識的に眼球を視野の外側に押しやろうとするように。やがて首を機械的に振り、ガラス玉のような透明度の瞳をアッシュに向ける。
データベースにないとは、つまりそもそもHWの操縦が予定されている運用とは異なるということであろう。アッシュはそう思考を張り巡らせた。
だろうな、と再び同じように言葉を繰り返すと、ぼりぼりと頭を掻いて人差し指を立てた。
「基本的には重機とか車と同じだから、難しくはない。アクセルペダルとブレーキ。ギアレバー。小難しい障害物は電子機器が自動で乗り越えてくれる。マニュピレータは操縦桿にトリガーとスイッチがあるから、押せば動く。カメラとか武装は後付だから別系統なのを考慮しておけよ」
「…………」
クリアが沈黙した。瞬きこそしているものの、身動ぎ一つせず真正面を凝視している様は人形が椅子に腰かけている光景そのものであった。ややあって頷き、操縦桿を握り、ペダルに足を乗せる。
「検索終了。重機と車両の操縦プログラムを並列して運用する」
「まあわからなくなったら言ってくれ」
二人の間ならばいいが、第三者と言っても過言ではないロミオには奇妙奇天烈なやり取りに見えたらしい。ロミオがアッシュの裾を引いた。
「まるでロボットみたいな子だね」
「そ、そうだな。ウン。ちょっと変わってるだろ? 何かあったんだろうな。事情はいくら聞いても答えないと思うぞ。な?」
――鋭いな。
アッシュは服の内側に冷汗を滲ませつつ、何度も頷いて見せ、クリアに話題を振った。話の内容をHWの各モニタの確認をしながら聞いていたらしいクリアは、無言で頷きを返した。
ロミオを連れてきたのは失敗だったかもしれないという気持ちが滲むも、今更後には引けない。最後の確認ということで、アッシュはロミオの肩に手を置いた。
酒場にやってくると軽口と愚痴を垂れ流す類の客であるアッシュが真面目な顔を作るのを、ロミオはドギマギした顔で迎えた。
「死んでも知らんぞ。俺は構わんとしても、ロミオはどうなんだ? 一足先にあの世で待つつもりなのか」
「狙撃の腕は立つつもりさ。それに、ろくでなしばかりの世界でいつか死ぬなら君みたいな友達の隣で死んだ方がいいじゃないか」
花のような爽やかな笑顔が俄かに咲き誇る。
ロミオは一度言い始めたことを曲げない頑固な性質があることを知っていたアッシュは、ロミオの帽子のつばを引き下げて視界を奪い去ってやった。
「感動的だな。彼女ができたら口説き文句に使えばいい。増えよ満ちよと聖書にあるくらいだから推奨するぜ」
アッシュなりの照れ隠しと知ってか知らずかロミオは帽子のつばを引き上げて鼻を鳴らした。
「ボクは本気で言ってるんだよ!」
「うるせーって。怒鳴るな」
裏返ったキンキン声が耳元で炸裂する。たまらんと指を突っ込み頭を離して緊急的に退避。声変わりしていないらしいロミオの声帯が発する大音量は鼓膜に悪い。
アッシュはロミオと論争するつもりはないらしく、操縦席の扉を閉めて、HWの上によじ登って行った。HW上部にはライトやSマイン発射装置が並んでおり、安楽椅子のような座り心地は望めそうになかった。ひとまず腰を下ろし、身を乗り出して手を差し出す。
むくれて両手をだらんとおろしたままのロミオへ、さあ早くしろと言わんばかりに腕を振る。
「OK。掴まれ」
「話は終わってないんだけどなあ。もしもーし、聞いてますかー」
「やかましい」
アッシュがロミオを腕力と腰の引きと、本人のよじ登る力で持ち上げる。
ロミオはアッシュの横に変則的な体育座りをとった。
アッシュはHWの鉄板をノックの要領で叩いて操縦席に振動を送り、エンジン音に負けない声量を張り上げて前方を指差した。
「出発進行だ。クリア。ギアチェンジはオートのままでいい。シャッターもためしにマニュピレータで開けてみようぜ」
返事はなかったが、HWがゆっくりと一歩を踏み出すと、ローラー装甲に移った。きゅるきゅるとローラーがコンクリートを噛み、機体がぐっと腰を落とす。
振り落されてはかなわない。上に乗った二人組は手すりを強く握った。
クリアの操縦するHWは廃屋のシャッターの下部にマニュピレータをねじ込むと、半ば強引に上に持ち上げた。赤錆が悲鳴あげて粉末となり宙に舞う。差し込んでくる日光に、HW上の二人組がそろって目を細めた。
荒涼とした大地。傾いた建築物がまるで墓標のように時間の経過に身を削られ続けていた。
アッシュは事前に打ち合わせ済みのクリアに再び声をかける必要はあるまいと、ロミオの前に地図を寄越した。予定の旅路を指で追い、目的地を二度叩いて示す。
「これからキャラバンの合流地点に向かう。合流後、ホワイトマウンテンを目指す。簡単かつ困難な道程だ」
「なるほどね。キャラバンの規模がどの程度か知らないし、彼女が何者かもよくわからないけど、随分やっかいなことに首を突っ込んでるみたいだね」
怪しげな女性に不可思議な任務。何事かを隠し通そうとする雰囲気。アッシュの思惑の存在をくみ取ったロミオは深く頷くと、背中のドラグノフを手に構え、慣れた様子でマガジンをセットした。仕様弾薬は7.62x54mmR弾。ストーカーはもちろん、その他クリーチャーへ十分な打撃を与えられる威力を持つ。
ドラグノフは使い込まれていた。スコープの塗装の剥げは油性インクで固められ、ストックの削りは樹脂で補強されていた。
アッシュは自分自身のAKを出すと、レバーを引いて射撃準備を整えた。
「まあな。けど厄介ごとに首を突っ込むのは慣れてるよ」
ふと疑問が浮かんだので聞いてみた。
「依頼主が女ってよくわかったな。どんな手品だ?」
「手品なんていらないよ。化粧が下手糞すぎやしないかな? 僕ならもう少しうまく化粧する。化粧した奴の顔を見てみたいね。泥で固めりゃいいってもんでもないでしょう」
「俺も思った。下手糞な化粧だよなぁハハハ……」
ロミオが指で己の顔を擦り化粧を表現しながらもクリアの化粧を酷評する。アッシュは、他人事のように頷いてHWの表面を数度拳の裏で叩く。まったく誰が化粧したのやらと他人の仕業にでっちあげて笑う。
HWは淀みなく道を歩いていく。ひび割れたコンクリートを砕き、鉄骨の浮き出た砂地を二本足を交互に使って上手に乗り越えていく。HWは重機とはいえハイテク機器に位置づけられる。機体の重心を常に保ち、障害物を専用のカメラで捉えて回避していくプログラムを内蔵している。故に鉄骨や傾斜で速度が落ちても立ち止まることはない。
遠ざかっていくコロニーの偽装された入口。既に瓦礫や鉄骨の山に囲まれ、目視することが叶わない。
さらば故郷。アッシュは寂しさを感じため息を吐くと緩く手を振った。
「……くそ、どうせなら顔合わせとけばよかった」
遠ざかる故郷。コロニーにはフローラがいる。旅に出て帰らなかったら心配するだろう。
アッシュは出発前にフローラを探していたのだが、見つからなかった。仕事が忙しくて会えないという手紙を同僚から渡されただけだった。出発の期限は迫っていた。やむを得ず書置きを残しコロニーを出てきたのだ。心残りの重さで言うならば、重金属に等しい。
「……んー……それってフローラのこと? 気を落とさないで。絶対会えるさ。なんとなくそう思うから」
「根拠もなしに呑気なこといいやがる。明日にも俺がストーカーあたりに頭ねじ切られておもちゃ扱いかもわかんねぇってのに」
ロミオが微笑みに口元を染めて帽子を深く被り直しつつ言葉を発する。妙に楽しげな口上であり歌うような言葉の運びだった。
アッシュはHWの排気口からどるんと黒い煙の塊が噴出するのを見ていた。煙は地面すれすれを伝いながら空中に溶けて消えた。AKの銃身は冷たく金属特有の滑らかさを指先に伝えてくる。いつ敵が出てくるともわからない。喋りながらも、意識を戦闘に移行しようと強く目を閉じ、開いた。
瓦礫の街のどこかでコンクリートが崩落する轟音が響き渡ってきた。
アッシュは目標地点まで敵が出てこないようにと心の中で祈った。
腕慣らしをこめて
廃墟に愛を込めて