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不審


 部屋に戻ると、案の定顔を真っ黒にしたクリアがいた。

 鼻、頬、額に至るまでが真っ黒になっており、コロニー内の基準としての十分すぎるむしろ過度な汚れ方であった。

 クリアはどこか得意げにアッシュを迎え入れると、泥の入った容器を指差したのであった。

「偽装を完了した」

「だと思った」

 アッシュは大仰にため息を吐くと化粧とは何たるかを説教しようとして、自分が化粧を生まれてこの方やったことがないどころか、化粧に使う道具の名前さえ知らないことに気が付き、しばらく沈黙したのちに、深々とため息を吐いた。泥の容器を手に取ると、布きれを腰から手元にやる。そして、クリアのもとに跪き布を指に巻きつけた。

「俺がやる。こんな真っ黒じゃ化粧以前の問題だ」

「理由がわからない。低視認性を実現している」

「そうじゃない。人前に出るにあたっての限度がなってない」

 どこか不機嫌そうに自身の化粧について語るのを、思わず苦笑いがこみ上げてきてしまう。鼻から頬まで真っ黒にしており、宝石のように青い瞳が煌めいているという風体であれば、違和感しかない。確かに戦場ならば黒化粧で済むがコロニー内ではいくらなんでも汚れすぎだった。

 布に水分を染み込ませると頬を額を拭いていき、適度な汚れだけが残るようにしていく。

 薄すぎる濃すぎず。鼻の頭、頬の一番盛り上がった箇所、額のうち髪の生え際から少し離れたところなど、自身の経験をもとに繕っていった。

 ややあって、黒髪に青い瞳のどこにでもいそうな人物が出来上がった。

「完成だ」

 様々な角度から顔を覗き込んでいると、クリアは首を振った。

「完成? 偽装率が低い」

 整いすぎた顔立ちと良いスタイル。男装。美青年のようでもあり、化粧をしてもなお美しさは損なわれていなかったが、帽子さえ深く被れば誤魔化せるだろう。

 クリアは自分がやった化粧が間違いということを認めたくないのか食い下がってきた。擬装率。連想するのは発見率。もしかして顔を黒くすれば隠れられるという意味での偽装と考えているのかもしれない。

 首を振ると、人差し指を立てた。

「そうじゃない。お前真っ黒な顔で人前に出てみろ」

「コロニー内における衛生状態を参考にすれば、顔を黒くしても何ら問題はない」

「あるんだよ。長期記録に書き込んでおけ」

「……了解」

 渋々といった様子で頷くクリアに対し、融通が利かないのは仕方がないのだろうかという思いを抱いた。

とはいえ警戒しなくてはとアッシュは表情を引き締めた。コロニー内は閉鎖的な環境だ。総人口が総人口の顔と名前を把握しているわけではないとしても、見知らぬ美少年がいれば感づかれる恐れが高い。

 幸いなことにクリアは機械だ。物を口にしないし眠ることもない。コンテナの中に居てくれさえすれば、発覚することはないだろう。

 アッシュは取りあえず椅子を引き寄せて座ると、クリアの前に来た。悩みを瞳に宿して。

「報告がある。キャラバンに潜り込むのは難しい」

「そう。それは、私の助けが欲しいという求め?」

 クリアが機械のように――機械だが――首をかくんと無機質に傾げると、宝石のような瞳を瞬かせた。さらりと前髪が流れる。

 アッシュはやれやれと肩のあたりで両手を竦ませると、背中を丸めた。

「求めよ、されどなんとやらって言うだろ。キャラバンに行って仲間になれないか聞いてみたら門前払いだ。お前に用はないと。せめて俺の経歴でも売り込めるならよかったんだけどな、門前払いで話も聞いてくれないんじゃ厳しいぞ」

 そもそも話を聞こうともしないならば、馬に聖書を読み聞かせるようなものだ。

 アッシュの表情は暗く荒廃した世界の空を思わせた。

 けれどクリアは無表情を貫いたままで、徐に手を差し出したのであった。その手の意味が分からず黙って手の皺を数えていると、手をずい、と突き出してくるではないか。

「資料が欲しい。コロニー総人口、議会の状態、コミュニティ全体の情報、なんでもいい」

 指を折りつつクリアは語った。なるほど情報分析ならば機械の得意分野だろう。機械に情報を突っ込むだけなら意味をなさないが、高度な知性があるというなら話は別である。

 意図せず能動的な提案をしてくるクリアへと、さりげなく聞いてみた。

「情報ねぇ……そいつは俺の手助けをしてくれるっていう……」

「違う。目的達成のための手段」

「だと思ったよ。自分のためでもいい。俺一人でやれることには限度がある。クリア、おまえも手を貸せ」

「承知した」

 クリアは相も変わらず無表情で頷く。

 アッシュは、ふと部屋の片隅に乱暴に積まれた紙の束を見た。いわゆるコロニー内部での仕事募集やらニュースやらを記した情報用紙――新聞である。古紙回収に出すべきそれを何かに役に立つと思い積んであったのだ。鷲掴みにすると、座っているクリアの腿にどしんと渡す。

 そして扉に手をかけた。振り返ると、クリアの顔を見つめる。

「図書館に行ってくるから、そいつを読んでおけ。もし誰か来たら喋るな動くな。鍵をこじ開けて来たら……」

「心配はいらない」

 クリアは机の上に置かれた拳銃を指差すと、ぱったりと興味を失ったとでも言わんばかりに目線をアッシュから離し、腿の上に積み重なった新聞を見つめて貪欲に吸収し始めた。

 ふとクリアが頭を上げた。自分の口を指差して。

「アルコールを検知。アルコールは正常な判断を……」

 面倒な。話も聞かず扉の外に出ると鍵をかけて市場とは別の場所へと向かった。

 コロニーはいくつかの区画に別れている。居住区、制御区、保管区……など。生命維持に関わる区域には一般人は立ち入れない。図書館は居住区とは異なる区、保管区にある。保管区は物置のような場所であり、資材や資源を補完する場所でもある。書物、その他情報もここに集められる。

 階段を下っていき、登り、しばらく鋼鉄製の通路を歩いていくと、鉄製の門が現れた。いざとなった場合に封鎖して内部を守るために頑丈なシャッター。消火設備。

 門をくぐると、埃と乾いた匂いの漂う広大な室内が眼前に広がった。

 図書館に入るためにIDの刻まれたドッグタクを係員に見せる。係員は怪訝な瞳で出てくると壁にかかった条件を指差した。

 武器禁止。ライター類禁止。飲食禁止。その他、うんざりする物量の文字列がある。

 万が一火事になればという危惧が規律を作り上げたのだ。もし万が一火事が起こった場合、図書館のシャッターは封鎖されて、内部には人間にとって毒性を持つ不燃性ガスが注入される。例え誰が入っていようとも。そういった意味では書物というものは人一人のいのちよりも重いのだ。

 係員の腰には拳銃がぶら下がっていた。もし不埒な真似をすれば9mmが脳天に運ばれるだろう。

 アッシュは係りの指示の下で体の埃を落とし、手も洗浄してから、やっと中に入ることができた。

 多くの市民が口も聞かずに本をめくっており、アッシュが入るや否や視線が集中するということもなく、一種の殺伐とした静寂が立ち込めていた。皆が皆、気が立っているとも言える。日々の暮らしに疲れて糧食を得るためだけの労働に従事するものもいれば、図書館で貪欲に知識を吸収して財産を増やし少しでも贅沢な生活ができるように苦闘するものもいる。

 アッシュは足音さえも気になる静寂を縫い、図書館の中でも分厚い本が並ぶ区域へと足を踏み入れた。

 一応、市民に対して統計データは公開されている。ただし最新の調査結果や、コロニーの機密にかかわる部分などは、ぼかされている。

 分厚い記録を内包する本の列の前で立ち尽くす。最新の記録を追い求め目録を指で辿り、本を目で追っていく。

「……あれ? クリアに必要な情報って……なんだ」

 アッシュは唐突に指を止めると自分の阿呆らしさに頭を抱えたくなった。クリアはなんの情報を求めていたのか忘れてしまった。暫し腕を組んで天井をイライラと見つめていたが、ややあって手を打った。

「そう、たしか……」

「おや、これはこれは。確かアッシュ君と言いましたね」

 まず社会情勢を調査した本から情報を抜こうとして、横合いから声をかけられて引っ込めた。

「……あんたは」

 振り返ってみれば、ごくごく平凡な布服を着込んだ筋肉質な目の細い短髪の男が立っていた。布服の上からでも肉食獣を思わせる筋肉と太骨からなる無骨な体格が浮き出ており、優しげな細い瞳とのギャップな強烈な印象を与える。

 忘れられるはずがない、つい先ほど、キャラバンで門前払いをしてきた男ではないか。名前が思い出せない。聞き流してしまった。

 アッシュは引っ込めた手をポケットに突っこんで胸を張ると顎でしゃくった。

「こんなところで何の用だ。金ならないぞ」

 ぶっきらぼう極まりない早口で述べると、ポケットから手を抜かず、相手の瞳をまっすぐ見つめる。

男――キムは、演技掛かった手つきを肩で展開すると、くるりと背中を向けていき、本棚の一つに接近したところで振り返った。

「奇遇ですね。まさか図書館で出会うことになるなんて思いもよらなかった。一つ疑問なのですがメカニックであろうあなたが図書館のよりによって政治やコロニー内の情報を集約したコーナーにいるのでしょうか」

 まるでアッシュの言葉の返事にならない物言い。鼻もちにならない上からの態度がありありと滲んだ喋り方に、腹の奥底で黒い衝動がこみ上げるも、理性で押し殺して背中を向ける。なんと嫌味なやつだろうか。こんななやつのいるキャラバンはこちらから願い下げだった。

 腕を組んで鼻を鳴らすと、灰色の髪の毛をがしがしと掻いた。

「関係ないだろ。ああ、喋ってやってもいいぜ。そのかわりキャラバン入れろ」

 硬い態度で身を守り腕で拒絶を示し言葉で半ば脅迫を行うも、対するキムはどこ吹く風という顔で大げさに唇に笑みを乗せて一歩を接近してきた。

「それは無理な相談だ。私の雇用主は頭が固い。私が話を通さなくては無理難題にもほどがある。アッシュ君。君の態度はものを頼むものでもないから、通らない」

「そうだな。なら俺に構わないでくれるか。俺としては逆になんであんたが図書館に入れて、どうしてこのコーナーで鉢合わせするのかを聞きたいね」

 アッシュは怖気付くこともなく、逆にぐりぐりと顔を寄せていくと表情での威嚇に切り替えた。キムの方が身長も体格も優っている。見下ろされるような位置関係。内容はあり手の質問に対して答えるものではなかった。質問に質問を投げかけるようなもの。一介のキャラバンが図書館へとやってきて、しかもコロニー内の情報を入手しようとしているとなれば、普通ではない、なにかの意図があってのこと。

「私にもやることはあるということです。私はアッシュ君のように機械を弄っているばかりではないのですよ」

 キムは、さらっと嫌味を口にしつつあっさりと身を引くと、気色悪いとでも言わんばかりにアッシュの肩を押して向こう側に押しやり、ブーツの音を響かせて背中を向けた。

「私も暇ではないので失礼しますね」

「そうしてくれると助かる。失せな」

 キムの背中に中指を立てる。ついでに舌も出した。がっちりとした肩幅が視界から消えると指をおろし、作業を再開する。必要な本を何冊か引き出すと、その場で広げてメモを取る。数字と英文のぎっしり詰め込まれたメモを後生大事に胸にねじ込むと本を戻し、図書館のロビーへと進んだ。

 柱の陰にキムが暗殺者のように佇んでいるなど露知らず、しかし警戒の為に視線を彷徨わせながら、歩いていく。キムが潜む柱を通過しても気が付かず、図書館の外に通じる扉へと向かった。

 その背中をキムがじっと見つめているなんてわからない。アッシュには気配を読むといったオカルト染みた力はないのだから。

 アッシュは図書館の係りの者から道具を受け取ると、その場を後にした。重苦しい雰囲気漂う図書館から出ると向かった先はアルテムがいる羽の無い風車小屋である。

 アルテムの他にも作業員はおり、柵の中を自由に這いずり回る豚の世話をしていた。肝心のアルテムがいなかった。糞のかおりに噎せ返りそうになりつつも、作業員の一人へと柵越しに声をかけた。

「すいません。アルテムという男を知っていますか」

「アルテムなら休憩中だよ。宿舎に行ってみるといい」

 顔中髭まみれの熊のような大男は、外見に見合ったドスの効いた掠れ声にて、外見に似合わぬ丁寧な説明をしてくれた。節くれだった指が牧場の近場に建てられた粗末な二階建てを指し示す。

「ありがとう!」

 アッシュはにこやかに声を張り上げ頭を軽く下げると、小走りで宿舎へと向かった。

 宿舎は古い木材を組み合わせて作られているばかりか、外から拾ってきた古びた鉄骨も使ったハイブリッドな建物であった。出入り口だけは小奇麗な花壇が併設されているのだが、壁は薄汚れ、蜘蛛の巣がたかっていた。

 扉を潜ると、案内表示板があった。アルテムの部屋は知っている。一瞥するに留めた。

 途中、これから仕事に行くらしい作業員の男とすれ違う。アルテムの部屋がある二階へと階段を上がっていく。壁には例えば物々交換のお知らせや、新しい規則、給料が低すぎることへの不満などの情報にまみれており、見ているだけで頭痛がしそうだった。

 アルテムの部屋の前に到着した。扉をノックして、口を寄せ内部に音を浸透させる。

「おいアルテム!」

 数秒後、扉の奥でごそごそと物音がすると、あからさまな溜息と大あくびが聞こえてきた。やや間を置いて鍵が操作される金属音がし、扉が薄く開かれると、白い肌に黒い髪をした鋭い目つきの青年――アルテムが顔を覗かせた。

「………なんだ?」

「豚の話だ」

「ああ。入れ」

 アルテムはぼりぼりと頭を掻き毟り目を擦ると、扉を開けて内部へと誘った。アッシュが中に入ると扉を閉めて、自分は簡素な構造の部屋にある木箱の後ろに板を打ち付けただけの簡単すぎる椅子に腰かけた。

アッシュの座る場所は無い。よってアッシュは地面に胡坐をかいた。

「豚の件だろ。豚に関して言えばなんとか帳簿を誤魔化して一匹融通することができる。だが機会というものもある。少し待て」

 古びた鉄製の机――もといコンテナの一部を切り出したような――の上から、一枚のメモを取ると、アッシュの手元に押し付ける。内容に目を通してみると豚の重量や健康面に関する注意書きがあった。

 それを読み、自分の仕事に見合うものがやってくるのだという確信を深めた。やっててよかったスカベンジャー。

「どれだけかかるんだ。最後の審判待てと言わないよな」

 メモから目を離すと例え話を使い問いかける。

 返事は頷きと拒否あるいは肯定によるものだった。

「ラッパが吹かれるよりも千年は早く用意できる。お前がアレを調達してくれたお陰なんだ、等価交換しないとまずいだろう」

 アルテムの部屋の片隅には本棚があり、アッシュが回収したものと思しき学術書もあった。アルテムは唇を使いながら親指でそれを示すと、次にメモを指差した。

 そして、メモの内容に目を通しているアッシュを前に、アルテムは小難しい顔をして質問をぶつけた。神妙な顔となり、視線を時折宙に浮かせながらの、不安定な物言いで。

 何事かと、メモを懐にねじ込むと、姿勢を正す。

「なぁ、ときに質問がある。女とはどのようなものを好むんだろうな……」

 質問する顔はどこか不安げであり、自分でも自信がないのか、話した後で苦々しげな面となった。

「それを俺に聞くのかよ、アルテム」

 呆れた顔でアッシュは唸り声を上げた。コロニー住民にもいろいろいる。いわゆる美形の男、女もいて、異性の黄色い声をシャワーとする色気ある人間もいるのだ。しかしアッシュとアルテムともに絶世の美形というわけでもなく、異性にモテモテになった経験がなかった。

 実際のところないわけでもないアッシュだったが、他人に助言できるほど経験も無く、遠回しに聞くなと言う外になかった。

「……いまの質問は忘れろ」

 アルテムは、なぜこんなことを聞いてしまったのかと言う後悔を滲ませ、首を左右に振った。

「すると」

 アッシュはむくむくと湧き出てくる悪戯心を遊ばせずに手中におさめれば、にぃ、と口の端を持ち上げて、胡坐から起立へと姿勢を移行、箱の椅子に座るアルテムへとじりじり寄って行けば、その肩に手を置いた。

 顔を一気に近づけてひそひそと喋りかける。

「誰か好きな女の子ができたってか!? いいじゃないか。うめよ、ふえよ、ちにみちよ!」

「オイテメェ。ブッ殺して豚の餌にされたたいか。しかも酒臭い。のんべぇめ!」

「それでどうなんだよー!」

 ねちっこく詰め寄ると、がつんと肩を叩かれて痛い思いをしたという。

 酒を飲んであちこちうろついてはならないという今更な教訓を得た。


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