クリア
“それ”は絵にかいたような美しい少女であった。
白亜の髪はゆったりと腰まで垂らされており歪みや汚れの一片さえもない。ぱっと見開かれた瞳は大理石にナイフで切れ込みを入れてサファイアをはめ込んだようであり吸い込まれてしまう感覚を覚える。すらりと伸びた肢体は整い、女性を主張する胸元の膨らみはたまらない曲線を描いている。
それ。それが、それであることを象徴するものさえなければ、人間にしか見えなかったであろう。
腹部の一部が深く切り裂かれており、皮膚がはがれていた。あるべき肉は無く真っ白いプラスチックのような丸みを帯びたものが覗いている。足の一部も焦げており、血液らしき赤い液体もあるのだが、骨ではなく曲面のある白いプラスチックのようなものがある。
確かにこの世界にもアンドロイドはある。しかし、人間そっくりのアンドロイドがいるなど、聞いたことも無かった。
そのアンドロイドの傍らにはいくつもの弾倉が転がっており撃ち過ぎて過熱した短機関銃があった。
アンドロイドは青い瞳をぱちくりとさせると、こちらをじっと見てくる。感情のうかがえない作り物染みた美貌。気おくれする己を叱咤して、問いかける。
「お前は………なんだ?」
抽象的な問いかけに対し、白髪は唇だけを使った。
「規制がかけられている」
「じゃあ言い方を変える。お前は機械か」
「………規制により話せない」
「……」
要領を得ない返答。まるで人間のような滑らかな喋り方に驚嘆を隠せずにいたが、散弾銃を突きつけるや否や手が反応して短機関銃を握ろうとしたのを見逃さない。
少なくとも規制の範疇には人間に攻撃してはならぬという文がないらしいのだから油断はできない。いくら弾の無い銃と言えど人間以上の怪力を誇るアンドロイドが振るえば驚異的な威力を持つ鈍器となりうる。 アッシュは物陰から撃たれる予感がした。しゃがみ込んで姿勢を低くするとついでに声も低くした。大まか背後方向に倒れているであろう不審なガスマスクに親指を示した。
「撃ったのはお前だろ? なぜ撃った?」
「逃げるため。機密を守るため」
「機密?」
「規制により言うことはできない。あなたにお願いがある。聞いてくれると嬉しい」
身動ぎさえしなかったアンドロイドが首をかくんと動かすや、ゆっくりと上体を起こして足を引きつけるとその場に立ち上がった。
「私を守ってほしい」
「やなこった」
アッシュはこともなげに拒絶を示すと散弾銃を肩に担ぎむっつり唇を結んだ。何の利点にもならないからだ。利己的と嘲るなかれ。核戦争後のコミュニティでは利益第一に行動するのが美徳でさえある。見ず知らずのアンドロイドに依頼されても首を振るしかない。
アンドロイドもその答えは予想の範囲内だったのか、己の胸を指で触れて見せた。
「報酬はある。私の体。あなた方のテクノロジーでは自律してファジーな会話を行う、擬似皮膚と擬似筋肉を有するアンドロイドは存在しない」
「一ついいか。さっき俺が撃ち殺した奴はなにもんだ」
唸りそして頷いたアッシュは、その体を観察した。損傷さえなければ人間にしか見えない。このテクノロジーを持ちかえれば一山の財産にはなる。危険なスカベンジャーなどやらずに生活できるだろう。だが命を狙われるのは御免だった。つい今しがたあの世に送ったガスマスクの素性を訊ねる。
アンドロイドはアッシュと同じように屈みこむと、表情を欠片も変えずに言った。
「私を狙うもの。私は私を防衛するように命令を受けている。よって迎撃した」
「なるほど。で、俺を射殺しないという確証は」
「確証を約束できない。ただし、あの男をあなたが射殺してしまった以上、私の防衛を引き受ける引き受けない以前に命を狙われる可能性がある。そうなったとき、私という材料があれば交渉の余地となる」
アンドロイドは表情を一切変えずにそう語った。
そうアッシュはあの男を射殺してしまったのだ。アンドロイドを放り出そうがなんだろうが、既に案件に首を突っ込んでしまっている。
「………」
アッシュは淡々と説明してくる女の姿をしたロボットを前に考え込んだ。割れた窓から外を見る。手元の銃に目を落とす。損得勘定の算盤をかちかちと弄り計算を行えば出力されるデータを比較検討した。
溜息を吐くと、散弾銃をおろして拳銃をホルスターから抜くと銃身を掴んで相手に銃把を向けて差し出した。
「契約成立だ。今、俺は本を探してるから手伝いをしてくれ。こいつで身を守ることくらいはやってくれよ」
「認識した。クラス9mm。対人拳銃。データにはない。適応させれば扱うことは可能」
アンドロイドは拳銃を受け取ると瞬時にスライドを操作して弾を確認すると安全装置を外した。機械だけに冷徹な表情は微動だにしなかったが、アッシュには目に微かな輝きが宿るのを感じられた。
アッシュはアンドロイドが早速司書室を出ようとするのを、その後ろ姿に声をかけた。
「待て。名前を聞いてなかった」
「クリア」
凛と通る声が、様々な意味合いを持つ単語を形成した。
「クリア?」
アッシュはおうむ返しに聞き返した。聞き間違えを危惧したのだ。
クリアは振り返ることも無く己の名前を繰り返した。
「クリア。それが私の個体識別名」
「わかった。クリア」
「ということなんだ」
「わけが分からんぞ。本は感謝するし豚はやろう。女の子を拾ったのは御し難いな」
指定の本を詰め込んだトランクを相手の手に押しやったアッシュは、アルテムの突き刺さるような視線に耐え切れなくなり表情を曇らせた。その背後には薄汚れた男物の服を着込んだ人物が立っていた。帽子といい服装と言い男そのものであるが、顔は女性なために違和感が雨の中を傘もささずに踊る紳士服姿並に浮いていた。
クリアは白髪に白いワンピースという姿格好だけに目立つ。そこでアッシュの服を貸してやった。髪の毛はどんな技術なのか色を変えられたので、服の中に詰め込んで短髪を装っていた。
しかし顔は変えられないので場違いな美少年が立ち尽くしているという風体である。
本を探す作業は大変骨の折れるものだったが、クリアという人手を得たが故に半日で遂行することができた。
三人もとい二人と一体は生臭い豚の糞の臭いに顔色一つしかめずその場にいた。
アルテムの奇異の視線を嫌いクリアは帽子のつばを目元まで落とすとそっぽを向いた。
アッシュはアルテムの視線から隠すべくクリアを背後に来るように立つと腕を組んだ。
「いろいろと込み合った事情があるんだ。黙っていてくれるとありがたい」
「女を買うのは構わんが見せびらかすのはやめろ。豚はいつでも取りに来い。無論、帳簿を誤魔化す時間はかかるがな」
「じゃあなアルテム」
アッシュは軽く手を振ると、ドアノブを捻って、豚小屋からクリアを連れ立って出ていく。アルテムの視線が背後から追いかけてきていたが、扉が閉まると消えてしまった。豚が呑気に雑草を齧っているのを躱しつつコロニーのメインホールへと進んでいく。
クリアという大荷物。どうやってコロニーの検疫を免れたと言えば、ボロ布に包んでHWの後ろに引っかけておいたからである。扱いは酷いが手段を選んでいる場合でもなかった。
クリアはコロニーが物珍しいのか、きょろきょろと視線を彷徨わせていた。
「コロニーは初めてなのか? というかお前はどこから来たんだ」
「最初の質問にはイエスと回答できる。最後の質問には機密保持のため答えられない」
「そうかい」
アッシュはすんなり引き下がると自分の部屋の方角に向かうべく、居住区に続く階段への道へ進路を取った。HWが大荷物を運んでいる。仕事終わりの男たちが談笑をしながら二人の横を通過した。
階段を下りていけば入り組んだ居住区への道が開かれる。増大する人口を飲み込むべく穿たれた大穴にあるそこは、言わば一つの部屋であり、部屋を無数に区切って人の住処としているだけあって、人ひとりがやっと通れる道もあれば、ゴミが積まれた箇所もある。スラム。だがスラムと根本的に異なるのは、国家とも呼べるコロニーの全体が貧乏であり富を共有しているという点である。
アッシュの部屋は、端的に説明すると入口から三分ほど歩いた箇所にあるコンテナの中にあった。
コンテナの扉を開きクリアを招き入れる。私物やら作業着やらで散らかった部屋に、二人分の椅子や机などない。アッシュはクリアを椅子に座らせると、自分は床に胡坐をかいた。
人差し指を立てて問いかける。
「守ってくれというのは分かった。あのガスマスクをあの世に送ってしまった以上、やるさ。けど守ってくれというのは、誰から守ってくれなんだ? 守る期間はどうなんだ」
「誰から守るのかは機密保持のため言えない。目標は私の防衛。期間は未定」
「報酬は、確かお前の体だったか」
人によっては勘違いされそうなことをアッシュが言えば、クリアは自分のこめかみを人差し指で突いた。
「そう。目標が済み次第私を解体して構わない。解体後解析すれば飛躍的な技術の上昇を見込める」
「その防衛ってのは、ここに引きこもってればいいってことなんだろうな。外出てドンパチは勘弁してほしい」
アッシュは戦々恐々として訊ねると、コンテナ内の壁に貼り付けられた地図を一瞥した。地図には赤い印が複数刻まれており、紙切れが乱雑にくっ付いていた。
「………地図を借りる」
クリアが椅子から立ち上がると、壁から地図を剥がして作業机の上に広げた。アッシュが住まうコロニー――『コロニー・サリィ』を示すと、指を紙面上を滑らせて北の方角へと移動させていき一点で止めた。
『コロニー・ホワイトマウンテン』。
クリアの青い瞳がぱちくりとする。アッシュは腰を上げると地図の全体像を把握すると難しい顔をした。
「ホワイトマウンテンに行ってほしい」
「正気か? 俺に死ねって言ってるようなもんだ」
有り得ない。首を振る。ホワイトマウンテンとは徹底して独立を貫くことを表明しているコロニーであり全貌も明らかになっていないともいう。おまけにコロニー・サリィとコロニー・ホワイトマウンテン間は数多くの街を抜けなくてはならない。敵対的なスカベンジャー、無法者、変質した動植物と戦うなど、危険が大きい。
渋い表情のアッシュにクリアは無情にも拳を固めるジェスチャーをしてみせた。
「幸運を」
「幸運がいくつあっても足りない。でもやるしかない………言っておくがお前も戦えよさもないと全滅だぜ」
「言うに及ばず自己防衛は行う」
武器さえあればと無表情で続けるクリアに、アッシュは目頭を押さえて十字架を切った。
「……神よ私をお守りください。私は貴方により頼みます」
アッシュはやるしかないのかと腹を決めると聖書の言葉を引用し呟いた。武器は、道程は、食料は、多くの難関が待ち受けているだろうが、人のように喋るアンドロイドが報酬ならば一生働かなくても済むかもしれないのだし、何より自分の命が狙われる危険性も考慮すれば、やらねばならぬ。
「詩編?」
「データベースから検索したのか、便利だな。まるで歩く辞書だ」
首を傾げて聖書の該当箇所を挙げるクリア。アッシュは僅かに口を歪めて皮肉を込めてそんなことを言うと、地図の上に別の本を広げてペンを取ると頭を悩ませ始めた。
この世紀末。旅をするというのは容易いことではない。
手元が暗い。アッシュは机の上のカンテラには目もくれず、天井から伸びる紐を引っ張った。コンテナの上に蓋があり、内側に倒れて空洞を晒す。居住区の大型照明から灯りが差し込み僅かばかりに光度が増した。
「なぁ、クリア――」
机の上の地図を見つめる作業に没頭するクリアに声をかけた、その時だった。
居住区の喧騒の中に一定のリズムを刻む音が混じって接近してくるとコンテナの扉前で止まった。クリアが身構える。片手を握り、片手の指をぴんと張って力を蓄えた。さっとアッシュは手で制し、鼻に人差し指を触れさせるジェスチャーをすると、ベッドの下に潜り込むように指で指示した。
「アッシュくーん! 遊びに来たよー!」
「フローラか。今開けるから待ってろ」
優しげなやや間延びした可愛らしい声。フローラのだと瞬時に判断すると、クリアがベッドの下に潜り込んだのを目で確認して、コンテナの扉の留め具を横に引いて解除すると、中に招き入れた。
ショートボブは変わらず。幼げな顔立ちも変わらない。服だけは作業着ではなく布服であった。ネックレス、ブレスレット。そしてほのかに甘い香りがした。香水だろうか。
花が咲くような笑み。身長差から、フローラはこちらを上目遣いしてくる。自然と頬が緩む。
「さぁどうぞ」
「お邪魔します」
部屋にフローラを招き入れると椅子を机から離しておいてやり、自分はベッドへと腰かける。ふと、何か飲物でも用意した方がいいかもしれないと考えると棚から電気ポットを取り出そうとした。
フローラは興味津々といった様子で部屋を見回していたが、電気ポットが出ると首と手を振った。
「いいよ、お構いなく。私が勝手に押しかけたんだから」
「ン。でもさ」
客人には物をお出しするものだと難しい顔をするアッシュに、フローラは口の端をやんわりと持ち上げると頷いた。椅子の上で両腿の間に手を差し入れて気恥ずかしそうに。
「いいの。話せるだけでも私は楽しいから」
「そうか。あ、そうだちょっと手ぇ見せてみろ」
アッシュは渋々といった様子でポットを仕舞い込んだ。秘蔵の紅茶をご馳走しようとたくらんでいたので、断られて無理に出すわけにもいかないと考えたのだ。
フローラの前に片膝付いて、その手を手で包み込んで見分する。荒れて切れて擦れて被れた手。皮は厚く、とても女の子の手ではない。以前見たときと比べ治癒が進んでおらず、毎日の作業の辛さを物語っていた。
彼女は、空いている方の手で顔を覆い隠していた。
アッシュはその手をじっくりと観察すると、大きく頷いて離し、彼女の目に目を合わせて言った。
「やっぱりな。実はクリームとかの物資の調達の目途が立った。確か誕生日、近かったろ。プレゼントするから楽しみに待ってろ」
「えっ………も、もうっ!」
フローラは顔の下半分を両手のマスクで覆い隠し口元が崩れるのを隠蔽した。耳は見る見るうちに赤くなっていき、手で隠しきれない目元なども赤みを帯びていった。滅多に入手できない香水が効いたのかとあれこれ考えを巡らす。純粋に嬉しくて心臓が高鳴っていた。
アッシュはまるで結婚指輪を嵌める新郎のような片膝付きから、ゆっくりと姿勢を起こして部屋の隅まで歩いていくと、踵を返してフローラの前まで戻ってきた。
「秘密にしておきたかったんだが、我慢できなかった。ああ、それから安心しろよな。無茶苦茶なことをやって手に入れるってわけじゃない」
「うん。ありがと………」
アッシュは、直射日光の元の氷のように小さくなってしまったフローラに、どんな話題をぶつけていこうかと頭を悩ませていた。
雑談はしばらく続いた。フローラとの楽しいひと時は夜まで継続した。フローラが去った後、微かな残り香を惜しむように息を吸い込むと、コンテナの扉を閉めて鍵をかけた。
もぞもぞとベッドの下からクリアが這い出てきた。服の中に隠していた長い髪の毛が零れており、黒曜石のような美しい流れが部屋に一筋の彩を添える。
クリアは扉の内側をじっとサファイア宝石のような美しいが感情の無い瞳で直視すると、かくんと首だけを傾げてこう言った。
「婚約者?」
「違うわい!」
首がもげるまで横に振ると、机につかつかと歩いていき、地図を拳で叩く。
「仕事の話しようぜ!」