1.襲撃者 2/?
のだが、
「今の時刻は……十七時三十七分か。約束の時間から三十七分も経過していたのか」
約束の時間にターゲットはおろか人っ子一人現れなかったのである。
その後も刻々と約束の時間が過ぎていくなかで、阿音は東から西へ流れていく夕日をずっと眺めていた。
その結果、今に至るまで待ち続けていたのである。
「これ以上待っていても無駄だな……帰るとするか。」
そう考え、阿音は自宅へ歩き出す。
その時だった。
「止まりなさい。動いたら死ぬわよ?」
女性特有の高い声とは裏腹にものすごく冷徹にその声は発せられ、その声の直後に、先程まで感じなかった氷の様な殺気が遅れて感じ取れた。
やはり罠だったか、そう悟った阿音だったが時すでに遅く、銃口が後頭部に向けられている。
「……」
しばらくして、阿音は仕方なく両手を上に上げ、ちらりと横目で見たその顔は女の顔だった。
後ろで束ねられている髪は腰まで伸びており、時折吹く北風に靡いていた。
阿音を見据える瞳もまた殺気と同じく氷の様なおよそ人とは思えない程に感情の色が見えない眼をしていた。
「ん? 何、死にたいの? 動くなって言ったでしょう」
普通の人間ならこの時点で抵抗を諦めているだろう。
だが、阿音は違う。
「悪いが、この行動は既に経験済みだ。すみやかに銃を降ろすことを推奨する」
「なに訳のわからないこと言ってるの。気でもふれたかしら?」
「退く気はないか。なら、仕方ない」
阿音はその場にしゃがみこみ、女の合わせた照準から外れる。
「動くなって言ったの聞こえなかった?」
女が再び照準を自分に合わせるよりも早く、銃を持つ女の右手に狙いを定めた阿音は体を両腕と左足で支え、残った右足による渾身の後ろ蹴りを女の右手首にお見舞いする。
「……っ」
無力化したと思い込み、完全に油断していた女の手からは拳銃が零れ落ち、阿音は体を回転させつつ立ち上がり、右手でそれを地面に落下する前に拾い上げ、その流れのまま女の鳩尾に左肘による勢いの乗った肘打ちを叩き込む。
「うぐッ……!」
苦痛に体を曲げる女に対し、阿音は女奪った拳銃の引き金に躊躇なく指をかける。
「形成逆転」
そう言って女の頭頂部に構え、相手を無力化する。
その時、初めてはっきりと相手の顔を確認した阿音はある事に気付く。
「この顔……どこかで……?」
確認するまで阿音は声質と口調からすでに成人した女だと思っていたのだが、実際にそこいたのは自分と差ほど歳の変わらない、もしくは自分より年下と思われるか弱そうな少女だった。
どこでその顔を見たのかを思い出そうとし始めた阿音だったが、それは少女の声によってすぐに中断させられた。
「どうしたの? 私の覚悟なら既に決まっているわ、撃つならさっさと撃つなら撃つではっきりしてくれない?」
台詞だけなら立派な軍人のそれだが、その目には死への恐怖が見てとれる。
「悪いが、俺は利益にならない殺しはしない」
阿音は少女から取り上げた拳銃から弾倉を抜き捨てる。
この時代は自己防衛の為、簡易武装を許される時代、ナイフや拳銃程度、持っていようが何も不思議ではない。そこら辺に弾倉落ちていようとも他の危険物と一緒に処理されるだけだ。
未だに困惑している少女の左腕を掴んで無理やり立ち上がらせる。
「ちょ、ちょっと! どこに連れていくつもり――」
「俺の家だ。そこでお前の知っていることを洗いざらい話してもらう。それから舌を切ろうなんて馬鹿な真似はするな。 お前の事を殺す気はさらさら無い。場合によっては匿ってやる。」
一見、人情味にあふれた人の台詞のように思える。
だが、阿音の場合は違う。
優しそうに思わせているのは『自分はあなたの味方です』と錯覚させるため。
先ほど死を覚悟した身にその言葉はどこまでも深くしみ込んだだろう。
味方だと錯覚させられれば自然と心が開かれる。
そこからは簡単。
襲わせてきた敵グループの情報を搾れるだけ搾りきり、その情報を基にして今後の対策を練り、大体はそのグループの中に捕虜を潜りこませ、内部から徐々に潰していくのがセオリーだ。
味方の敵は必然的に自分の敵になるのだ。
潰した後はもう用済みである。
金を渡すなりして「もう、あなたは自由だ」とかなんとか言えば終わりである。
殺人なんていう任務の大体はそのグループの下っ端や離反しかけているような『後で消しても大丈夫』な奴らがやらされる仕事なのでこの方法なら大方成功する。
だが、何事にもイレギュラーは発生するものだ。
「……分かったわ。ただ、腕を掴むのはやめてくれない? 結構痛いのよ」
「おっと、失礼」
そう言って阿音が腕を離した瞬間だった。
少女は素早くコートの内側に右腕を差し込み、すぐに引き抜く。
その右手には阿音が奪った物と同型の拳銃が握られていた
「甘いわね」
銃口は阿音の眉間に向けられている。
この距離なら外しようがないだろう。
「じゃ、さような――」
が、打てなければ意味は無い。
阿音は銃口を向けられているというのに全く動揺せずに相手の懐に飛び込むと、両手で少女の右手首を掴み豪快に投げ飛ばしたのだ。
「悪いが、その行動も経験済みだ」
投げ飛ばされた少女は、しばしの空中遊泳を楽しんだ後、吸い込まれるように三月のまだ冷たい川の中に落ちて行った。
その後数秒経ったが少女が浮かび上がってくる気配は無い。
「勿体ないことをしたな……俺もあいつも」
この川は流れも速ければ深さもそれなりにある。
せっかくの金ヅルを失ってしまった阿音は溜息を吐き、金ヅルが吸い込まれた川を眺めながら少しの間、感慨にふけていた。
しかし、神は阿音と少女を見捨ててはいなかったようだ。
なんと、少女が生きて水面に顔を出したのだ。
「ぷはっ、はぁはぁ……まさかあの距離で、しかも銃口を顔面に突き付けられて動ける人間がいるなんて……ってあれ? なんで私が喋ってるの……!? まだ任務の途中じゃ……あ、髪留めが……無い」
どうやら水面に落下した拍子に先程までつけていた髪留めが外れて川に流されてしまったらしい。
「あ、あぁぁ……あれがないと私は……私は……っ」
寒さとは違うなにかに体を震わせうわごとのように何かを呟き終えると、少女は気を失いまた水の中に沈んでいった。
その姿を見た阿音はある事に気付き、「やっちまった……」とつぶやきながら上着を脱ぎ捨て川に飛び込んだ。
いつもの阿音なら何も見なかったことにしてここを去り、女はこの冷たい川の中で溺死していただろう。
この少女が、『阿音の依頼された警護対象』でなければの話しだが。
争っている時は気付かなかったが、よくよく見れば顔立ちが一致しており、髪型も、束ねられているとよくわからなかったが、髪留めの取れた今はほぼ同一人物だった。
どうやらこの人物がターゲットで間違いないようだ。
阿音は、水を吸って重くなった服ごと救出した少女の事を道の草陰のところまで運び上げると、素早く上半身の衣服を脱がした。
その行為だけを見たら阿音は立派な変態……もとい犯罪者である。
だが、阿音はそんな事など一切気にせず、脱がした時と同じく素早く自分の着ていた上着を少女に着せる。
「流石に下までは貸せないからな……これでいいだろう。」
後はさっさと家に帰るだけだが、片道十分の道のりとはいえ、気を失った、しかもずぶぬれの少女をおぶって帰るにはリスクが高すぎる。
「『安心してくれ』、と言って出てきた手前、面目ないな……姉さんは許してくれるだろうか?」
阿音は冷え切った手で自分の上着のポケットからケータイの電話帳を開き、『白神冥理』を選択し電話をかける。
『は~い。冥理ですけど、って阿音くんか。どうかしたの?』
「あ、姉さん。実は……」
阿音は手短に用件を伝える。
警護対象に襲われたこと。その襲撃者が警護対象だと分からなかったので、殺す気でこの冷たい川に投げ飛ばしたこと。その後、一度は浮上した警護対象がいきなり気を失った為、自分が川から陸にあげ、とりあえず上半身だけは自分の上着を着させていること。自家用車で迎えに来て欲しいこと。
『ん。了解したわ。こっちが到着するまでその娘に変な事しちゃダメよ~』
「『変な事』とはどういう行為の事だ?」
『……うん。とりあえず、何もせずに安静にしておいて』
「了解。それで、『変な事』とはどういう――」
阿音が追求しようとすると、そこで通話は切れた。
通話が終わってから数分後、冥理は到着した。
少女を後ろの席に乗せ、自分は助手席に乗り込み一息ついた阿音はふとある事に気付いた。
「そういえば姉さん、姉さんが運転免許取ったなんて話今まで聞いたことないだが?」(※この世界の日本は十五歳から運転免許が取得可)
「そりゃそうよ。だって持ってないもの」
一度解けたはずの緊張が阿音に蘇ってきた。
「……理解できない」
「だって、阿音くんが車で来てくれって言ったんじゃない」
「そうは言ったが今の時間なら勇也が家に……いや、いい。過ぎた事はしょうがない、後は俺が運転するから代わってくれ」
「ダメよ。阿音くんは疲れてるんだから無理しちゃ」
助手席から身を乗り出して無理やりハンドルを握ろうとした阿音だったが、冥理に押し返されてしまった。
「頼むから事故は起こさないでくれよ……まだローンが残ってるのは姉さんも知ってるだろう?」
「大丈夫大丈夫。あたしにまっかせなさい!」
大丈夫じゃないから実技試験で三度も落とされてるんじゃないのか、という阿音の不安からの呟きは冥理のアクセルを踏む音により消え去った。
――――
免許未取得者の運転の為、いささか不安だった阿音だが、そこはどんな事でもそれなりにできる冥理。事故を起こさず無事に家に到着する事ができた。が、前方車両を牛蒡抜きしたり、減速せずにドリフトをしたり、果てには空を飛ぶという暴挙――もとい、テクニックを見せてくれた。
「姉さんは公私において二度と運転しないでくれ」
「まあまあ、い~じゃない。だれも怪我してないし。ほら、『終わりよければ全て良し』って言うじゃない?」
その台詞に阿音は深いため息を吐くのだった。
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