表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
双星の光継者  作者: 明谷有記
第2章 サーチスワード編
61/65

第33話 好転

 サーチスワード騎士団本部では、上層部による会議が連日開かれている。

 顔ぶれはいつも同じ。領主ネカル、騎士団長、副団長、及び第一大隊から第十二大隊までの隊長。ただし、第十大隊の隊長は王都リュネットに派遣されているため不在である。

「南西のテークの町は魔族の攻撃により壊滅いたしました……派遣した第二十二部隊も町の人間も全滅です」

 第八大隊隊長の報告に、ただでさえ沈鬱だった会議室の空気が一層重くなる。

「これもラッシュ一味の仕業です。これまでは騎士団が駆けつけるとすぐに立ち去っていましたが、攻めの姿勢が強くなりましたね」

「なるほど……」

と第三大隊隊長ルミナスは唸った。

「ラッシュは騎士団に揺さ振りを掛け、あわ良くばこの町に攻め込むつもりかもしれませんね」

 ルミナスの発言に会議室がざわついた。

「まさか……ラッシュの配下は末端の魔物を含めてもせいぜい五百程度のはず」

「その数では、いくら何でもこの町を攻めるなど……」

「ですが敵の全容など把握できません。ラッシュには隠し玉があるやも」

「別の魔族たちと組むことだってあり得ますしね」

「……ラッシュの狙う町がだんだん大きくなっているのは確かかと……」

 それぞれの見解を口にする隊長たち。ルミナスは自分の発言を補足する。

「実際に攻撃してくるかは別として、ラッシュが我々の隙を執拗に狙っているのは間違いないでしょう。奴は『六鬼士ろっきし』のひとりですし、油断はなりません」

 魔神ヴェルゼブルを頂点とする魔族たち――ヴェルゼブルの側近三名を『三鬼神さんきしん』と呼ぶが、六鬼士とは、その三鬼神に次ぐ地位にある六名の魔族を指す。

 つまりラッシュは、魔族でも十本の指に入る高位魔族だということだ。地位ばかりでなく、実力もそれ相応に備えていることだろう。

「六鬼士か……」

 誰かが呟いたきり、ラッシュを恐れるように沈黙が落ち――その静寂の中に、別の呟きが湧いた。

「このまま……サーチスワードもやられてしまうのか……? よりにもよって、私の時代に……」

 ネカルだ。心労から食べることも眠ることもままならないらしく、目の下には隈ができ、すっかりやつれてしまっている。領主としては何とも頼りない姿だが、それを口にする者はない。

「閣下! お気を確かに!」

「なんとおいたわしい……」

 ネカルのそばに座る騎士団長と副団長が励ます。

 しかし、半分抜け殻のようになってしまったネカルを相手にしていては話が進まない。

 ルミナスは彼らへの苛立ちを抑えながら、会議室の面々に訴えた。

「王都の情勢も依然厳しいと聞きますが、決して魔族を恐れてはなりません。我々は守るべきものを守るだけです。騎士団の誇りに懸けて――」

 

 

 その後もサーチスワード騎士団ではしばらく緊張状態が続いたが、ある日唐突に緩和されることとなった。

 王都を攻めていた魔族軍が撤退したとの吉報が舞い込んだのだ。この一ヵ月弱の間に万に及ぶ犠牲者が出たものの、王都陥落という最悪の事態は免れた。

 サーチスワードから派遣した援軍は、まだ王都に向かう長い道の途中にあったが、戦闘終了の報を受け、そのままサーチスワードに引き返すことになった。活躍の場は与えられなかったが、むしろ幸いである。

 ただ、サーチスワードには詳しい状況は伝わっていないが、結果的に人間側が凌いだとは言え、かなり際どい戦だったらしい。

 なんと、魔族ら数体に王城への侵入まで許してしまったそうだ。ルナリル国王をはじめ要人たちは無事だったとのことで、何よりであったが。

 とにかく、心配の種は一つ減った。これでサーチスワード周辺の防衛に専念できる――

 いや、放置状態のアルファのこともどうにかしなければならないのだが……

 

 *

 

「エクレシア。夫人が外出したぞ。これで少しは気が抜けるな」

 エクルが衣裳部屋の掃除をしていると、ルッカが声を掛けてくれた。エクルは笑って答える。

「そういうわけにも……ここが終わったら、次はお嬢様のお部屋を掃除することになってるんです」

「えぇ、ステラ嬢の? サイアク……でも、今は部屋でリタとお茶してる時間じゃないか? 掃除しに行ったって、邪魔だって怒られるだけだぞ」

「う~ん……でも、とりあえず様子見てきます」

 衣裳部屋の片付けを終えて、エクルはステラの部屋に向かった。ルッカはエクルを心配してくれているらしく、一緒についてきた。

 ステラの部屋の扉を叩こうとすると、中から声が聴こえた。

「はぁ、この香り……やっぱり紅茶はサウザット産に限りますわね……」

「そうですね、ステラお嬢様」

 ……やはり休憩中らしい。先に居間の掃除を終わらせて、それからまた来よう。

 そう決めて、エクルが部屋の前から立ち去ろうとした時、

「――それにしてもエクレシアったら」

またステラの声が聴こえた。

 え? 私?

 思わず足が止まった。ルッカも扉に近づいてくる。

「今朝、久々にあのお皿のことでお母様に怒られて謝ってましたわ! このところ図太くなって腹立たしかったからいい気味ですわ。もう可笑おかしいったら。あの子、本当に自分が絵皿を割ったと思い込んでますわね」

 ……え――?

 エクルは最初、その意味が理解できなかった。

 けれど、『思い込んでいる』と言うことは……絵皿を割ったのは、本当はエクルではなかったということか。

「あの子ったら、負い目からかバカみたいに一生懸命仕事して……これまでのメイドよりずいぶん打たれ強いし、肩揉みなんか一番上手いし、こちらとしては儲けものですわね。まったくあの子が単純で良かった」

 エクルは――

 今度こそ黙ってその場から離れた。ルッカに呼ばれた気もしたが、足を止めることはなかった。

 

 

「さぁて、今日はエクレシアに何をしてやろうかしら。いい考えはない?」

 美味しい紅茶を飲み終え、上機嫌になったところでステラはリタに尋ねたが、リタは俯き、震えながら答えた。

「……お嬢様……私……私、もうできません……」

「……できない?」

 ステラは驚いて訊き返した。リタがステラに背いたことなど、これまで一度もなかった。いつもステラによく従い、ステラを讃え、気分良くさせてくれる――だからこそ、ステラはリタをそばに置いているのに。

 リタはステラにこう言う。

「あの子は……本当にいつも一生懸命です……不平一つ言わず……仕方なしにでもなく……心からお嬢様と奥様のために働いているんです……」

ステラに逆らうことを恐れるように下を向いたまま、それでもエクレシアを庇っている。

 ステラはひどく不愉快になった。

「どうしてアナタにそんなことがわかりますの?」

「見ていたらわかります」

 ……あくまでエクレシアを援護しますの?

 一体いつ、エクレシアはリタを籠絡したのだろう。エクレシアはいつの間にかルッカを味方につけていたが、今度はリタまで……

「フン、アナタにできないならワタシがやるだけですわ」

 ステラはリタを部屋に残し、エクレシアを探しに出た。

 標的はすぐに見つかった。

 エクレシアは居間の窓拭きをしていた。手をてきぱきと動かしつつ丁寧に、しかも、どこか微笑むような表情で。

 何が楽しいんですの……?

 ステラは扉が開け放たれた居間を廊下から覗きながら、最初は不思議に思い――次に勝手な思い込みをした。

 まさかエクレシア、ルミナス様のことでも思い出してますの――?

 赦せませんわ!!

 決めた。あの幸せそうな顔に泥水を掛けてやる。

 ステラは土を調達しに庭に向かおうとしたが――

 廊下の反対側から、ルッカが大股で足早にこちらへとやってくる。

 ステラは思わず開いたままの扉の裏に隠れた。たぶん、ルッカはこちらに気づかなかったはずだけれど……

「ちょっとアンタ!」

 ルッカの大声にステラは一瞬どきりとしたが、ルッカの足音は居間の中へと向かった。どうやらエクレシアに声を掛けたようだ。

 それはそうだ。いくら無愛想なルッカでも、メイドとしての最低限の礼儀は心得ている。ステラのことを『アンタ』などと呼ぶはずはない。

 居間からルッカの大きな声が聴こえる。

「何で何事もなかったかのように働いてるんだ!? さっきの話聞いただろう!? アンタ、ステラ嬢に騙されて利用されてるんだぞ! 悔しくないのか!?」

 ステラは背筋がひやりとした。

 どうやら、先ほどのリタとの会話を聞かれてしまったらしい。

 まずい……いや、ばれたってかまうものか。自分は彼女たちの雇い主の娘だ。どうあっても立場は自分のほうが強い。むしろ、盗み聞きをした彼女たちが悪いに決まっている。

 そんなことを思いながら、ステラはそっと居間の中を覗いた。

「ステラ嬢なんか一、二発ぶん殴ってやったってバチは当たらないぞ!」

 ルッカはもはや最低限の礼儀も忘れ、不敬かつ物騒なことを言いながら拳を握る。

「アンタにできなきゃアタシが代わりに――」

「ルッカさんっ!!」

 興奮するルッカを、エクレシアが大声で止めた。

「――そりゃ……びっくりしたし……何とも思わないって言ったら、嘘になります。借金は返せないと困るし……でも――」

 エクレシアは微笑んだ。

「私、今までお嬢様には怒られてばかりだったけど……私が一生懸命だってことはお嬢様にも伝わってたんだなって……私が少しは役に立ってたんだなって……それがわかって嬉しかった――すごく嬉しかったんです」

 負けた――

 と、ステラはその時思った。

 エクレシアの一点の曇りもない笑顔は、その言葉が虚偽でも虚勢でもなく、本心であることを物語っている。その笑顔と言葉によって、ステラは拳で殴られるより、ずっと強烈に打ちのめされた。

 息巻いていたルッカも、すっかり毒気を抜かれてしまったようだ。一つ溜息をつき、

「……あー、ほんと、呆れたお人好しだな……」

とエクレシアに微笑み返した。

 ステラはようやくわかった。エクレシアがそういう娘だからこそ、ルッカやリタが心を動かされたのだ。

 そして、あのルミナスも――

 完全に自分の負けだ。とても敵わない。

 ステラは今初めて、これまで自分のしてきたことに後悔と罪悪感を覚えるようになった。

 

 *

 

 エクルは居間の清掃を終わらせて、そろそろいいかとステラの部屋に向かったが、そこでは何故かリタが掃除していて、エクルは休憩していいと言われた。この屋敷に来て以来、『休憩』というものは寝る時間以外になかったため、エクルは戸惑ってしまった。

 本当にいいのかとステラにも確認を取ったが、ステラは「かまいませんわ……」と小さく返事をしただけだった。

 いつもの、高圧的で刺々しい態度はどこに行ってしまったのか。ステラはその後も様子がおかしく、おとなしかった。

 毎晩のように肩を揉め腰を揉めと呼び出しが掛かっていたのに、その晩はそれもなかった。代わりにステラは、母親である夫人の部屋で、何かを話しているようだった。

 エクルはステラの変化を何だか不審に思いつつも、日頃の疲れからか、その夜は早くから寝入ってしまった。

 翌朝になると、夫人の態度までいつもと違っていた。

「エクレシア、ルッカと一緒に客間のお掃除をお願いできます?」

 普段なら、仕事の依頼は有無を言わさぬ命令口調なのに、いつになく物腰が柔らかかった。あり得ないはずだが、エクルに遠慮しているようにさえ見えた。

 客間の床を掃きながらルッカが、「雪でも降るんじゃないか」なんて言いながら気味悪がっていたけれど、エクルもいよいよ不安を感じた。

 エクルとルッカが掃除を終えたと夫人に報告すると、夫人は信じられないことを言った。

「リタにケーキを買ってきてもらいましたの。一緒にいただきましょう」

「い、一緒にィ!?」

 まずルッカが上擦った声を出し、エクルも確認せずにはいられなかった。

「わっ、私もですか……!?」

 夫人は穏やかな表情で頷いた。

「もちろんですのよ」

 案内されて夫人の部屋に入ると、例によって涼しく、そして甘い匂いがした。

 普段は他の部屋に置かれている大きめの丸いテーブルが運び込まれており、その上に、紅茶のカップや切り分けられたケーキが五人分並べられている。そして、ステラとリタが並んで席に着いている。

 夫人はステラの隣の席に掛けながら、エクルたちを促して言う。

「さぁ、座って」

 エクルはルッカと顔を見合わせながら、母娘の向かい側の席に着いた。

 ここのメイドになってから早三ヵ月、エクルは大好きな甘いものと無縁の生活を送ってきた。瑞々(みずみず)しい桃の果肉が飾られた目の前のケーキは、もう、宝石のようにキラキラ輝いて見えてしまう。

 けれど……突然どういう風の吹き回しなのだろう。

 夫人はエクルにケーキを勧めた。

「さ、遠慮しないで」

「あ、ありがとうございます……」

 甘いものの誘惑には勝てない。エクルは恐縮しつつ、ケーキにフォークを入れて一口大に切り、口に運んだ。

 美味しい……!

 口の中で上品な甘さが柔らかく溶け、体中を喜びが満たす。飾り付けは少し違ってもこの味はきっと、以前サーチスワード邸で食べたものと同じ、あの名店『まーぶる』のものだろう。エクルはあっと言う間に皿のケーキを平らげた。

「おかわりもありますのよ」

「ありがとうございます!」

 エクルは疑念も遠慮も忘れ去り、リタが新たに配ってくれたケーキを夢中で頬張る。気づけば四個のケーキが胃袋に消えていた。

 夫人はそんなエクルの様子をじっと見、口を開いた。

「エクレシア、改まってなんだけど……」

 やはり何かあったのだ。エクルは緊張した。何だか怖い。

 ま、まさかこのケーキ、一個千リルで借金追加とか……!?

 が、夫人が言ったのは、思いも寄らぬことだった。

「ステラとリタから本当のことを聞きましたの。これまで二人がアナタのことをひどく苛めてきたことと、あの絵皿は……リタが不注意で割ってしまったものを、ステラがアナタに罪をなすりつけるために工作したのだと……」

「……そう、なんですか……」

 エクルは呆然と答えた。ステラに仕組まれていたことは昨日聞いてしまったので知っているけれど、最初からエクルを陥れるために皿を割ったのだと思っていたから、そこは少し違った。

 リタは涙ぐみながらエクルに詫びた。

「ごめんなさい……私のせいなのに……」

「リタさん……」

 そしてステラも――

「ワタシ……今までアナタにずいぶんひどいことをしてしまいましたわ……自分でも、よくあそこまでやったものだと思うくらい……」

切々と言い、エクルに頭を下げた。

「今さらだけど……本当にごめんなさい」

「お嬢様!? そんな――」

 エクルは慌てつつ、これは夢ではないかとも思った。あのステラがエクルに謝るなんて。ましてや頭を下げるなんて。エクルの隣ではルッカが目を丸くしている。

 だが、昨日の今日でステラの態度が変わったことに驚きこそすれ、彼女の摯実な謝罪を疑うことはできなかった。

「ワタクシも――ドレスが破れたのはアナタたちのせいじゃないのに、弁償しろだなんて……」

 まるで憑き物が落ちたかのような表情をしながら、夫人が言った。

「今思うと、何故あんな無茶苦茶なことを言っていたのか、自分でも不思議ですのよ……」

「奥様……」

 それから、ステラがエクルの前に、何かが入った布袋を置いた。

「……これは?」

 両手に収まるくらいの大きさだけれど、やけに重そうで、そっと置いたのにごとりと音がした。

「開けてみて」

 袋の口を縛ってある紐を解いて開けると、中身は――

 お金だった。それも、最も高い千リル硬貨ばかりが、何十枚も。

「こ、これ……?」

 大金にエクルが戸惑っていると、ステラはすまなそうな顔をして言った。

「……もうずいぶん前だけど、フロリド商会のエドガー会長がアナタを訪ねて来られたの。アナタはその時裏庭の掃除をしていて、ワタシは咄嗟に、接客に出たリタのことをエクレシアだと嘘をついてしまって……リタが会長からそれを受け取ったんですわ。事情がいまいちわからなかったのだけど、会長は何度も申し訳ないとおっしゃっていて。何でも、アルファという人の報酬と、慰謝料も含まれていると……でも、ワタシが今まで隠していたの……ごめんなさい……」

 それを聞いてもなお、エクルには全ての事情は把握できなかった。けれど、アルファがこれだけの金額を得られるほど懸命に仕事をしていたことと、牢にいながらもエクルのことを気に掛けてくれていたことはよくわかった。

 アルファ……

 硬貨の入った布袋を両手で握り締め、エクルは泣きそうになった。

「それから、これも受け取って欲しいですの」

 今度は夫人が、同じような布袋をエクルの前に差し出した。

「今までここで働いてくれた分のお給料ですの」

「お給料……?」

 また呆然とするエクルに、夫人は優しく笑って言った。

「アナタは本当に良くしてくれた。無理にアナタをこの屋敷に引っ張ってきて働かせましたが、それももう終わり。アナタは自由ですのよ。今までありがとう――」

 エクルはそれを聞いた瞬間、涙が溢れ出した。

 その慰労の言葉で、エクルの中ではこれまでの全てが報われたのだ。

「ありがとうございます……私……何て言ったらいいのか……」

 喜びの涙にしても、あまり泣いては夫人やステラたちに申し訳ないと思いながら目頭を拭うけれど、やはりなかなか止まらない。

「良かったなエクレシア! 本当に良かった……!」

 ルッカも自分のことのように喜んでくれる。

 そして、ステラがエクルに微笑み掛けてきた。その目に薄っすらと涙を浮かべながら。

「……ルミナス様とお幸せにね」

 ……どういうこと……?

 エクルには訳がわからなかったが、ステラはリタと、これまたよくわからないことを言いながら盛り上がった。

「言えた! 笑って言えましたわ!」

「ご立派です、お嬢様……!」

「ああ、さようならルミナス様……」

 ルミナスがどうかしたんだろ……?

「あのー……どういうことですか?」

 

 

「えーーーーーっ!? アナタ、ルミナス様の恋人じゃなかったの……!?」

「そんなはずないじゃないですか……」

 絶叫するステラに、エクルは唖然としながら答えた。

 恋人という言葉が使われない村で育ったエクルには、その定義が明確にはわからなかったが、ルミナスがそれでないことは間違いなかった。

「じゃ、じゃあ、公園で手を握ってたっていうのは……」

「え? 私の手が傷だらけだったので、治癒の魔法で治してくれたんですけど……」

「……そ、そんなワタシ……ただでさえひどいことをしたのに、それもカンチガイだったなんて……」

 ステラは打ちひしがれてしまい、隣にいるリタがその肩を支える。

 ……でも、誤解が解けたのは良かったはず。

 お互いのわだかまりがすっかり消えたところで、エクルは夫人にお願いをした。

「あの……さっきのお話ですけど、もう自由だと言っていただけて本当に嬉しかった……でも、旅の仲間が戻ってくるまで、私はどこにも行けないんです。もしご迷惑でなければ、それまではここで働かせていただけませんか……?」

「もちろん、こちらは大歓迎ですのよ。ただし、これまで以上に仕事を頼みますけど、覚悟はできますの?」

 夫人は真面目な顔をしたかと思うと、すぐに破顔して言った。

「こうして一緒にお茶したり、お買い物やお芝居鑑賞にも付き合ってもらいますのよ」

「――はいっ」

 エクルは夫人の心遣いに感動し、エクルがここに残ることを、ステラやルッカたちもとても喜んでくれたのが嬉しかった。

 それから、エクルの部屋は屋根裏から、先ほどエクルが掃除した客間に移動された。エクルは慣れた屋根裏で充分だと言ったのだが、他の四人がそれを許さず、無理矢理荷物を運ばれてしまったのだ。

 翌日、エクルは半日だけ休みをもらい、厨房を借りて朝から料理を作り、それを持ってアルファのいる収容所に向かった。

 

 *

 

 石切り場での仕事が休みだったこの日、アルファたちの三班は受刑所内での雑務を担当した。

 昼食の時間になり、食堂に向かって廊下を歩いていると、しばらく姿の見えなかったディックが近づいてきた。そして、彼はニヤニヤしながら、手に提げていた大きな籠をアルファに渡してきた。

「お前に差し入れだぞ」

「差し入れ?」

 アルファは重い籠を受け取り、蓋を開けて見る。中には、小麦粉の皮で包み揚げにした料理が大量に入っていた。まだ温かく、その香ばしい香りは食欲をそそり、郷愁をも掻き立てた。それはアルファの好物で――ソーラレア料理だ。

 これを作れて、ここに来れそうな人物と言えば、ただ一人しかいない。

「エクルが来たのか……!?」

 アルファが尋ねるとディックは頷いたが、残念そうな顔をした。

「それだけ置いてさっさと帰っちゃったけどな」

「えっ!?」

 顔ぐらい見せてけばいいのに――

「面会しないのかって訊いたんだけど、あの娘、『会いに来るな、って言われてますから』ってさ」

 ……そーか。言ったな、オレ……

 言ったけど……

 エクルめ、強情なくせにこういう時だけ言うこと聞くなよ――と思ってしまうのはアルファが勝手なのだろうか。

「あの娘のほうもホントは会いたそうだったぞ。お前が元気か、どうしてるかって、すごく気に掛けてたしな」

 何だか慰めるように言うディックに、アルファは訊いた。

「……元気そうだったか?」

「ああ、前よりだいぶ顔色良かったし」

 そうか。良かった……

 安心しているところに、ディックは余計なことを言った。

「もっと綺麗になってたぞ~。あれじゃますます引く手数多(あまた)だな」

 ……何の話だよ。

 でも、これはすごく嬉しい。エクルはどんくさいが料理は人並み以上にはできるし、それこそ、アルファの母ファミリアとほとんど同じ味を出せる。

 たぶん、エクルの母グレースに料理を教えたのがファミリアだからだろう。……実は意外なことにグレースは昔、料理が大の苦手だったらしく、嫁入りを前にファミリアの下で料理の猛特訓をしたとか何とか……

 厳しく言えば、エクルの料理は母のには半歩及ばないのだが。こんな所で故郷の料理を味わえるとは思っていなかったし、エクルに感謝だ。

 よく見ると、籠の隅に手紙も入っていた。エクルの近況――借金がなくなったこと、元気でやっていることを知らせると共に、アルファのことを気遣っていた。最後の『待ってるからね』の一文に、アルファは胸が熱くなった。

 と。

「んだよ。幸せそうな顔しやがって」

 後ろにいた三班の仲間たちがやっかみの声を上げだした。

「いーなぁ……俺も彼女欲しい……」

「一度拝んでみたいよな。そのエクルって娘」

「アルファ、ガキのくせに生意気だぞー」

「お前はいい奴だけどそれだけは許せねぇ……」

「俺なんか女房に逃げられたってのによ……」

 以前からのディックの発言のせいで、アルファにはエクルという名の恋人がいる、という認識が班に浸透してしまったのだ。

 アルファが違うと言っても誰も信じてくれないし、何かある度に話題にされるので面倒くさい。

 それはともかく……囚人たちの中には、元々身寄りのない者たちや、犯罪者になったことで家族と縁を切られてしまった者たちもいる。後者は自業自得と言えるが、面会に来てくれる人がいるとか、差し入れを持って来てもらえるなんて、恵まれた立場なのだ。

 アルファは皆にエクルの料理を分けた。さすがに全囚人に行き渡らせるほどの量はないが、自分の班の仲間たちと、主に孤独な囚人たちに配った。

 珍しい料理だが美味しいと好評で――気づいたら、アルファが一つも食べられないうちになくなってしまった。

 エクルが知ったら怒るだろうか。せっかくアルファのために作ってくれたのに。でも、みんな喜んでくれたし、こういう事情だからわかってくれるだろう。

 だけど……一口くらい食べたかった。

 

 *

 

 サーチスワードの町の北方、山の薄暗い洞窟内にて。

 漆黒の翼を持つ蝙蝠こうもりの魔族ラッシュは、数名の配下たちを前にぼやいた。

「やっぱりサーチスワードの守りはなかなか堅いな。騎士団本部にでも潜入して探りを入れられれば……」

 配下のひとり、狸の魔族コードが顔を歪めてそれに答える。

「それは無理ですよ……変化の術で人間に化けたとしても、騎士団本部どころか、市壁の中にさえ入れやしません」

「その通りです。サーチスワードの市壁には、特に邪気感知に長けた人員が配置されてるらしいですからねぇ」

と、別の配下が同調する。たてがみを持つ獅子の魔族レイダーだ。

「魔族とばれたら即攻撃されて――上手く逃げおおせたとしても、魔族に対する警戒が強化されてしまうでしょうねぇ」

 残りの配下たちも頷いている。

「コードやレイダーでも無理か……」

 ラッシュは溜息をついた。

「だが正面切って戦争仕掛けるのは、もっと無謀だろうな」

「そうですねぇ……王都リュネットにおける戦いでは、結局仕掛けた魔族側が退きましたしねぇ」

とレイダー。

「魔族もただで退いたわけじゃあない。ルナリル城で守られていた『明皎めいこうの玉』の略奪には成功したからな」

「明皎の玉って……あの『王の剣』――『命暘の剣』のついになるっていう宝ですよね?」

とコード。

「そうだが」

「おー、見てみたい……」

 コードはお宝や金目の物が大好物だ。人間の血を見るよりお宝を眺めているほうがよほど楽しいという、魔族としてはかなりの変わり者である。

「ともかく……もう少しサーチスワードの情報が欲しいところだな……」

 ラッシュはできれば、王都襲撃でルナリルの国全体が混乱している間にサーチスワードを切り崩しておきたかったが、それほど甘くはなかった。

「さて、何か手があれば――」

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ