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双星の光継者  作者: 明谷有記
第2章 サーチスワード編
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第28話 価値観

「エクル……? どうしてここに……? とっくにプロッツの町に向かったはずじゃ……」

 エクルとアルファは、光の書を探しにプロッツ法術学院を目指すと言っていたのに。

 呆然と呟きながら、ルミナスは気づいた。よく見れば、エクルの瞳は潤んで真っ赤だった。

「なっ泣いてるの? 何があったのさ……!?」

 焦って尋ねると、

「……っ」

エクルは座り込んだまま泣きじゃくり始めた。

 道行く人々が、じろじろとこちらを見ていく。

「あれ、もしかしてルミナス様じゃないか……?」

「あ、ほんとだ」

「おかーしゃまー、あのおねーしゃま、どーして泣いてるのー?」

「しっ、いいからお黙り。大人にはいろいろ事情があるのですよ」

 周囲の視線が痛い……

「エクルっ、話聞いてあげるから、どっか別のトコ行こ!? ね!?」

 おかしな誤解を生みかねない。ルミナスは慌ててエクルを引っ張っていった。

 

 

 ルミナスはとりあえず近くにあった公園に避難し、長椅子にエクルと腰掛け、その話を聞いた。

 エクルは精神的に大変な状態らしく、泣きじゃくっている上に話が前後したり、聞き取りには難があったが、それでも大体の状況はわかった。

 エクルとアルファは、ルミナスと別れた後すぐ、泥棒に所持金を奪われ、ルートホール家の夫人に借金を背負わされた。借金を返すため、エクルはルートホール家のメイドになり、アルファは別の仕事をしていたが冤罪で牢に入れられてしまった……ということらしい。

 ルミナスの横で、エクルはずっと泣き続けている。

 まさか……自分が遠征に行っている間にそんなことになっていたとは……

「それで、アルファにはもう会ったの?」

 ルミナスが訊くと、エクルはますますしゃくり上げた。

「……今、会ってきた……けど……泣かれると、鬱陶しいから帰れ……って。もう、会いに来るな、って……」

「なっ……」

 それを聞き、ルミナスは珍しく頭に血が上った。

「アルファがそんなひどいことを……!? 見損なった……!」

 牢に入れられて参っているのはわかるが、あんまり冷たいではないか。エクルを見れば、どんなにつらい目に遭っているか一目でわかるはずのに。

 エクルは肩が痩せ、頬がこけ……それでも見る者にみすぼらしいという印象は欠片も与えず、儚げな美しさを演出している。

 けれど、あのまばゆかった笑顔は、見る影もない。

 ルミナスはエクルの手に目を留めた。夏だというのに、どうすればそうなるのかわからないほど荒れ、傷だらけだ。

 ――初めて会った時、ルミナスは光継者に会えた感激で、彼女の手を握った。

 その手は、井戸の水を汲み、薬草を摘む手であり、何の労働にも従事しない貴族の娘のように、白魚のような指というわけにはいかなかった。けれどそれでも、若い娘らしく、繊細で柔らかな手だったのに――

 ルートホール夫人はあまり評判が良くない。貴族の中でも高慢で、人使いの荒さからメイドが長く居つかないらしいという噂も聞いたことがある。エクルは屋敷での自分の生活については何も語らなかったが、相当虐げられてきたのだろう。

 ルミナスはエクルの腕を掴み、その手を自分のほうへ寄せた。

 そして、自分の手をかざし、治癒の術でエクルの傷を癒した。もう片方の手も同じようにする。

 最初腕を掴まれて驚いていたエクルが、どうにかルミナスに微笑んだ。

「……ルミナス、ありが――」

 彼女の礼の言葉はそこで途切れた。また驚いたのだ。

 ルミナスがエクルの手を、そのまま両手で握り締めたから。

「つらかったね……エクル……」

 ルミナスはエクルを少しでも慰めてやりたかった。じっとエクルの目を見ると、彼女の表情は微かに揺れた。

「でも、もう大丈夫だよ」

 ルミナスはエクルに微笑んだ。

「僕の別荘を貸してあげる。サーチスワード邸から南にちょっと行った所にあるんだけど。休暇の時滞在するくらいで普段は誰もいないから、遠慮なく使っていいよ」

「え?」

 そっとエクルの手を離し、ルミナスは長椅子から立ち上がる。

「ルートホール夫人への借金なら、僕が立て替えとくから」

 九万リルくらいなら、返してもらえなくても構わない。安くはないが、サーチスワード騎士団の大隊長ともなれば高給で、貯蓄も多くある。大きな出費と言えば弟レオンの学費くらいだし、独り身であまり金の使い道がないルミナスとしては、それほど痛い金額ではないのだ。それこそ、大金持ちのルートホール家にとってははしたがねのはずなのだが……

「案内するよ。おいで、エクル」

 エクルは俯き、戸惑いを見せ――言った。

「私――帰らなきゃ、ルートホールのお屋敷に……」

「え――?」

「さすがに、ルミナスにそこまで甘えられないよ」

「そんなの気にしなくていいよ。あのお屋敷にいたら、君がもたないじゃないか」

 エクルはあえかな笑みを浮かべ、首を振った。

「牢の中にいるアルファは……逃げたくても逃げられないから……そのこと思ったら、私――」

 それを聞いた時、ルミナスの心には、何かよくわからない感情が湧いた。あえて言葉で表現するならば、モヤモヤすると言うか、おもしろくないと言うか……

「アルファなんか放っとけばいいのに……ひどいこと言われたくせに、どうして君は……」

「ううん……ひどいのは私のほう」

 エクルはまた首を振った。

「アルファのほうが私よりずっとつらい思いしてる……本当なら、私がアルファを励ましてあげなきゃいけなかったの……『私は大丈夫だから心配しないで。アルファも負けないで』――って……」

 エクルは真っ直ぐ前を――虚空を見つめ、目に溜めた涙を堪えている。

「なのに私……自分が苦しくて、どうしていいかわからなくなって……ただ泣くことしかできなかった。思い知ったの……いつもどんなにアルファのこと頼りにしてたか……」

 ルミナスは思った。

 今は、僕を頼ってくれればいいのに――

 そんなルミナスの胸中など知るはずもなく、エクルはまた言った。

「それに私、あのお屋敷で一つ決めたことがあるの」

「決めたこと?」

「……もう何度も挫けてるし、やっぱり無理だって思ったけど――今だって自信ないけど――」

 『決めたこと』が何であるのかは教えてくれず、エクルは言葉を続ける。

「でも逃げたら、自分に負けたら……この記憶はきっと、いつまでもただの傷として残る……きっと後悔する。進むのもつらいけど……進み続けて乗り越えられたらきっと――逃げることで得られる平穏より、もっと大きなものが手に入るから」

 何を言っているのか……

 ルミナスには理解できなかった。あえて苦難の道を行く必要なんてあるのだろうか。

「……本当に戻るの?」

 心配して意志を確認するも、エクルはこくりと頷く。

「うん。ルミナス、話聞いてくれて、心配してくれてありがとう」

 エクルは微笑み、

「それじゃ」

と駆け出した。

「本当に大丈夫……!?」

 その背に再度問うと、エクルは振り返って笑顔で答えた。

「うんっ、神様がついてるから!!」

 そして、迷いなく駆けていく。

 公園に取り残されたルミナスは、呆然としてしまった。

 神様……ねぇ……

 そして我知らず、くすりと笑ってしまった。

 まったく……か弱いんだか、たくましいんだか……

 

 

 ルミナスは廃墟の町リーコールでの夜のことを思い出した。

 

 

 あの夜、エクルは月明かりの下で祈りを捧げ、ルミナスにこう言った。

『神様は確かにいらっしゃるし、人間を愛してくださっていて……この悲しい世界から救おうとされてる。亡くなったお父さんがよく言ってたの。光継者は、魔族から人間を救うために神様が遣わされるんだって――』

 

 その後、ルミナスはアルファの修練に付き合わされたが、彼女の言葉がどうにも引っ掛かり、いまいち剣に身が入らなかった。

「手ぇ抜くな!! それじゃ修行にならねぇだろ……!!」

 アルファから怒鳴られた。彼はいつにも増して気合充分で、ルミナスからすればウザったさ倍増だった。

 他の者たちは既に休んでおり、ルミナスたちは皆のいる家からは距離を取った場所にいたが、大声を出さぬようアルファに注意した。

 そのまま少し休憩を挟むことになり、ルミナスは何となくアルファに訊いてみた。

「……君も『神様』ってやつを信じてるの?」

 アルファはぽかんとした顔を見せ、

「――神様は、人間にとっての親なんだと」

と事もなげに言った。つまり、答えは肯定なのだとルミナスは受け取った。

「そういう教理だってことくらいは僕も知ってるよ」

 天地と万物と人間を創造した創世神を、親として敬愛する――

 昔、母スピカからそう教わったのだ。

 アルファは無邪気な笑みを浮かべ、またさらりと言った。

「親がいなきゃ子供は存在できない――親と子の間柄って、信じるとか信じないとか言う以前の関係だろ」

 ルミナスは返事に困った。

 自分で言うのも何だが、ルミナスは頭脳には――頭脳にも、と言ったほうが正しいが――自信があった。ルナリル王国で王都のリュネット大学と一、二を争う名門、サーチスワード大学を十五歳で主席で卒業してる。剣に励んでいなければ、もっと早く卒業できたことだろう。

 だが、エクルやアルファの言うことは難しい。やはり、知的に理解できないではなく、心で感得できなかった。

 神を尊ぶ民族の中で、生まれながらに信仰を持って生きてきた者たちの感性は、そうでない者にとっては通じにくい世界なのかもしれない。

 母はルミナスに神を教えたが、信じさせるには至らなかった。その一因に環境があっただろう。大半のルナリル国民は、信仰というものを持たないのだ。

 その昔、ルナリル国王を無力化して実権を握り、ソーラレア侵略を行った軍部は、ルナリル国内においてもあらゆる宗教を禁じ、弾圧した。

 カンバート王が復権して後、信仰の自由が認められたものの、今日に至っても復興することはなかった。

 強いて言うならば、魔族から世界を救ってくれる光継者の出現を待ち望むことが、まるで信仰のようだ。それさえ、ただの伝説として全く信じていない人々もいるが……

「……やっぱりよくわからない」

 ルミナスが正直な感想を述べると、アルファは普段よりやや真面目な顔で言った。

「でも、人間は潜在的には知ってるんだと思う。『困った時の神頼み』なんて言葉もあるし。例え普段は意識していなくても、追い詰められた時にはすがろうとする――ガフトンで魔族と戦った時は、祈りに似た気持ちだった」

 追い詰められた時――自分や大切な人たちが危機に瀕した時、神を求めるという心理はルミナスにも理解できる。自分もそうだったのだ。

 八年前、両親の死に際に、ルミナスは神に救いを求めた。

 聞き入れられはしなかったが……

 それこそが、自分が母の信じた神を認められなかった最大の要因だ。ルミナスは思わず呟いた。

「祈ったって……叶わないこともある……」

 いや、きっと、ほとんど叶わないだろう。

 アルファは遠い目をして微笑んだ。

「――……エクルも、一番の願いは叶わなかったな……」

「一番の願い……?」

「『お父さんとずっと一緒にいたい』って願いだ」

 ……エクルの父カテドラルは、五年前に亡くなった。

「ドラル様は……詳しくは聞いてないけど、どこか遠くの村で魔族とすごく無理な戦いをしたらしい。それまでもずっと体に負担を掛け続けてたから……どうにかソーラの村に帰っては来たけど、床に伏したまま、起き上がることさえできなくなって……日に日に衰弱していくドラル様を見ながら、『どうかお父さんを助けてください』って祈るエクルを……見ていられなかったな……」

「……なのに、どうしてまだ祈る?」

 聞かれないと、わかっているはずなのに。自分たちを見捨てた神を、何故信じるのだろう。

「ドラル様は亡くなる時、エクルに言ったらしいんだ。『子供が悲しむ時、親はもっと悲しむ。苦しむ人間を見て、誰よりもつらい思いをしておられるのは神様だ』――って」

 ……何を言いたいのかが、ルミナスには本当にわからなかった。

「だったら、『神様』が助けてくれればいいと思うけど?」

 大半のルナリル国民は、おそらくこれと同じ発想をするだろう。

 ルミナスの反論に、アルファは相変わらず落ち着いたまま答えた。

「祈りが届かないなら――それは自分たちの努力が足りないか、あるいはそうならざるを得ない、自分たちが払わなければならない『代価』って言われてる。『神が人間を捨てたのではなく、人間が神を裏切った』とも言われてるしな」

 それは、確か創世神話の中の話だ。ルミナスも聞いたことがあった。

 

 世の中にまだ一つしか国がなかった時――

 王が神を裏切り、悪魔と契約を結んでしまった。王が誤った故、その下にいる全ての民も悪に染まり――苦しみや罪が生じ、悲惨な世となった。いくつにも国が分裂し、争うようになった。

 人間が自ら神を捨てて悪魔を選んだ故、人間は神よりも悪魔に近い存在となり、神が人間に臨もうとする時、悪魔がそれを妨げてしまう。

 しかし、それでも神は人間を救うため、神を信じる人間を召し、その人間を通して人類の救いを成そうとする――

 

 あくまでも神話である。ルミナスは馬鹿馬鹿しく思った。それをそのまま鵜呑みにできるほど、自分は純粋ではない。

「まぁ神話だし、何かの比喩だって説もあるからよくわからないけど」

と言ったのはアルファのほうだ。意外にも盲信というわけではないらしい。

「『親の心子知らず』って言うからな……オレ、父さんと母さんの厳しさが理解できなかったけど、実は全部オレのためだったし」

 だから神にも人間にはわからない何かがあるのだろう、と言いたいわけか。

「やっぱ……よくわからないや」

 ルミナスはまた呟いた。

 この価値観の違いを、ルミナスは少し淋しく感じた。

 何故か。それはもしかしたら、心の奥にこんな思いがあるからかもしれない。

 半分は同じ民族の血が流れているはずなのに――

 

 

 リィーン……リィーン……

 サーチスワードの町の公園にて、鐘の音でルミナスは我に返った。鐘はなんと五度鳴った。

 あ……しまった……

 五時からの騎士団会議のことを、すっかり忘れていた。

 

 

 



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