第26話 限界
アルファは騎士団本部に連行された。
狭い部屋に入れられ、縄で椅子に縛り付けられた状態で、騎士団員数人と不毛な問答を延々と繰り返す。
「犯人は貴様だろう!」
「オレじゃねぇ!」
「正直に答えろ!」
「だから違うって!!」
と。
閉ざされていた部屋の扉が急に開いたかと思うと、その向こうにはなんと、アルファの見知った人物が立っていた。
金髪碧眼に整った顔立ち。上質のマントを纏った、四十代半ばの――背の低さが残念な男。
サーチスワード領主、ネカル=ティーズ=サーチスワードだ。
「閣下……!」
「何故このような場所に……!?」
五人ほどの騎士を引き連れてやって来たネカルに、アルファに聴取を行っていた騎士たちは驚いて尋ねた。
「騎士団長の屋敷で盗みを働いたという不届き者の顔を、一目見てやろうと思ってな」
ネカルは答えながら部屋の中に進み、捕縛されたアルファのほうを向き――目を見開いた。
「き、貴様は……!?」
ネカルは口をパクパクさせながら驚愕を顕わにしている。
最悪だ……こんな形で領主と再会するとは。
「この少年をご存知なのですか?」
驚く騎士たちの質問を無視し、ネカルは吼える。
「貴様が私の義兄の屋敷を襲ったというのか!?」
義兄――そう言えば、騎士団長はネカルの夫人の兄だと、サーチスワード邸の使用人カーラから聞いた。
「詐欺師であるばかりか強盗犯! は、笑わせるな!」
「違います!」
まだアルファのことを偽光継者扱いしている上に、犯人と決めつけているネカル。アルファは苦々しくてたまらなかった。
騎士団員が疲れたように、
「困ったことにこの少年、『オレはやってない』の一点張りでして……」
と言うと、ネカルは鼻先であしらうように答えた。
「――フン、丁重に訊けば白状してくれるだろう」
「白状も何もオレは犯人じゃ――」
アルファは無実を訴えるが、ネカルは取りつく島もなく、騎士たちに命じた。
「この罪人を牢へ繋いでおけ」
「そ、そんな……!!」
牢なんて冗談じゃない……!!
ネカルは動揺するアルファに背を向け、部屋から出て行く。そして出口でゆっくりと振り返り――こう吐き捨てた。
「じっくり罪を悔い改めろ、偽光継者」
「……っ!!」
アルファはただの一言も返すことができなかった。
アルファは町の北部にある『罪人収容所』なる場所に連れて行かれ、そこで苔色の制服を着た二人の看守から殴る蹴るの暴行を受けた。
「犯行を認めろ……!」
「団長宅の倉庫を襲ったのは貴様だろう!?」
「ぐ……っ」
アルファには動きを封じる法術が効きづらく、すぐ解けてしまうということで、代わりにおかしな薬を飲まされた。もちろん手枷も嵌められたままで、アルファの体はよく動かず、抵抗もできなかった。されるがまま、痛みを堪える以外になかったが、とうとう冷たい石の床にうずくまって倒れた。
「あ、あの所長……いくら何でもやり過ぎでは……? しかもまだ少年ですよ……」
脇で見ていた三人目の看守が口を挟んできた。拷問している看守たちが五十前後と見えるのに対し、そちらはまだ二十代前半で若く、ビクビクしている。
「仕方なかろう。領主様のご意向だ」
ネカルの言っていた『丁重に訊けば白状してくれる』は、つまり『拷問して吐かせろ』という意味だったのだ。
「それに少年と言えど犯行は極悪だ。盗みのみならず、倉庫番を斬った……」
所長はうずくまるアルファの髪をがしりと掴み、持ち上げるように引っ張った。もう一人の拷問担当が後ろからアルファの肩を掴み、力のない体を無理矢理起こす。既に散々痛めつけられたアルファは、呼吸さえ苦しいというのに……
「番人は一命を取り留めたものの、意識が戻らん。それだけのことをしておいて、まだシラを切るのか?」
所長はアルファに顔を近づけ、さらに問う。
「それに、貴様が盗んだ物品……大半はあの布袋の中に入っていて回収できたが、調べたところ二つほど足りない。金剛石と紅玉の指環――どこに隠した?」
「し……知るわけ……ねーだろ……オレは、犯人じゃ……ない……」
アルファは答えたそばから思い切り顔を殴られた。
「いい加減にしろ!!」
「何て強情な……!」
次に腹部に蹴りを入れられたところで、アルファはついに吐血した。一瞬目の前が真っ暗になり、意識が飛びかけた。
「しょ、所長……!」
三人目の看守が悲鳴に近い声を上げ、所長は舌打ちした。
「今日のところはこれで勘弁してやる」
拷問は中止され、アルファはすぐ近くにある牢へと、所長たちに引きずられるように連れて行かれる。アルファは呟くように声を出した。
「……一つ……こっちからも、質問だ……」
「は?」
意味がわからないという顔をする彼らを、アルファは精一杯睨みつけ、喘ぎながら問い掛けた。
「こんだけの……ことして……オレの、無実が証明……された時は……どうする――?」
看守たちは一様に絶句した。
「減らず口を叩くな……! 一晩その中でじっくり頭を冷やすんだな……!!」
アルファは牢の中に突き飛ばされ、壁に背中を打ちつけた。
牢は勢いよく閉ざされ、錠を掛けられた。去っていく看守たちを鉄格子越しに見据えながら、アルファは壁にもたれ、ずるずると座り込む。
固く冷たい石壁の、狭い牢だ。横幅も奥行きも、せいぜい両手を広げたくらいしかない。
クソ……どうしてオレがこんな目に……
アルファはそのまま、気を失ってしまった。
*
「ちょっとエクレシア!」
浴室を掃除している途中で、エクルは突然ルートホール夫人に腕を引っ張られ、客間の前へと連れて行かれた。
「一体この有様は何ですの!?」
夫人が指差す部屋の中は――鏡台と椅子がひっくり返され、寝台から布団や羽根枕がずり落ち、床の上には庭の草や土まで散らばっている。
この客間は、夫人からの指令でつい先ほどエクルが清掃したばかりだった。
まただ。
ちゃんと掃除したはずなのに散らかされている。犯人は――考えるまでもない。
エクルは夫人から甲高い声で叱り飛ばされる。
「もしやお皿代を弁償しろと言ったことに対する腹いせですの!? お門違いですのよ……!!」
「そっ、そんな、私は――」
「今晩は食事抜きですの! 誠意を見せて仕事するんですのよ!」
私がやったわけじゃない……そんなことを訴えても、この夫人には通じはしない。
立ち去っていく夫人を、取り残されたエクルは恨めしい思いで見送る。そこへ、夫人の背中を追うように、ステラがエクルの横を通り過ぎていった。ちらりとエクルを振り返り、薄い笑みを浮かべて。
ステラの意地の悪さに、エクルは声も出なかった。悔しくて、悲しくて、やるせなくて……
エクルは仕方なく、散らかされた客間を再び掃除する。
掃除したはずの部屋を荒らされるのは、もう何度目だろう。この片付けにも意味はないかもしれない。
綺麗にしたって、すぐに汚れる――まるで自分の心のように。頑張ろうと何度思っても、またすぐに挫けてしまう。ずっとその繰り返しだ。
執拗な嫌がらせが止んでほしいという思いはあるけれど、それを考えるよりは、まず夫人やステラたちのために働こうと努めてきた。
けれど、相手からは全く受け入れられない。それは相手のためを思ってした分、相手からのいびりにただ耐えるだけよりも、さらに苦しかった。
見返りを求めているつもりはない。でも、報われないことで苦しく感じるのは、求めていないはずのそれを、心のどこかでは期待してしまっているからなのだろうか。
せめて、相手が喜んでくれれば、喜ぶ顔が見られれば――とは思うけれど、それを望むこと自体が、見返りを求めていることになってしまうのだろうか。
エクルが思う『相手のために』というのは、実はステラたちからすれば押し付けがましい考えなのだろうか……
エクルにはもうわからなかった。どう考え、どうすれば良いのかが。
涙がこぼれ、頬を伝い、床を濡らした。
ああ……今日も何とか一日が終わった……
夜、エクルは全ての仕事を済ませ、屋根裏への階段を上った。たくさんの雑用で遅くなってしまったし、罰で夕食をもらえなかったため、疲労と空腹で足がふらついた。
それに、夏の入り口に差し掛かったサーチスワードの町は、故郷の同じ季節と比べて気温が高く、湿気もずいぶん多い。もう一ヵ月半もの間ここにいるけれど、エクルの体はなかなかそれに馴染めないのか、特にここ数日は調子が悪い。
それでもエクルはどうにか階段を上り切り、屋根裏部屋に戻った。
が、そこで信じられない光景が目に映り、階段から突き落とされたかのような衝撃を受けた。
エクルのただ一つの安らぎの場は、先ほど荒らされていた客間以上に滅茶苦茶にされていた。
何、これ……
机や箪笥の引き出しが一つ残らず飛び出し、中の物が床にばら撒かれていた。そしてそれに紛れ、無数の破れた紙が散らばっている。
その紙片の一枚を拾い、エクルは凍りついた。
これは――
エクルは我を忘れて床を見回し、見つけた。焦げ茶色の革表紙の、中身が破かれた本を。
それは幼い頃、父カテドラルからもらった聖術の教本。
聖術を使えないエクルにとって、実用性は無きに等しい物だ。それに、エクルは本の内容を全て記憶し、一字一句違わず諳んずることもできる。
だが、そういう問題ではなかった。
今は亡き父との思い出の詰まった、宝物だったのに……
この本があれば父がそばにいてくれる気がして、旅にも持って来ていた。
それなのに……
涙が溢れ出した。
こんなことをしたのは――
エクルの脳裏に、ステラの冷笑が浮かび上がった。この屋敷の中でも、ここまでやりそうなのはステラしかいない。
どうしてこんなことを――ひどい……!
エクルは寝台から羽根枕を取って抱きしめ、顔を埋めてむせび泣いた。
私、もうこれ以上――
エクルは破かれた本の紙片を全て拾い集めた。そして一つ一つ、糊で丁寧に繋ぎ合わせて修正しながら、幼い頃、神官であった父に言われたことを思い起こした。
『いいかい、エクル。もし、どんなにつらいこと、悲しいこと……人から傷つけられることがあっても、決して人を憎んではいけないよ。相手のことを思いやって……赦してあげるんだ』
幼かったエクルは、父の言葉に無邪気に笑って答えた。
『どうしてそんなこと言うの? 私はみんなだーい好きだよ』
……あの時の自分は、父の言葉を理解していなかったのだ。
自分が誰も憎んだことがなかったのは、ただ自分の周りに、自分を大切にしてくれる人しかいなかったから。
ごめんなさい。お父さん……私……
自分はステラのことを、赦せないようだ。
赦したいのに赦せない、のではなく、赦そうと思えない。赦したくないのだ。
――これくらいのこと、何でもないのに。
魔族に苦しめられている人々がいるのに。生きるか死ぬかになったら、こんなこときっと、気に留めていられない程度のことなのに。
頑張ると、アルファと約束したのに。
村を出る時、何があっても負けないと母とも約束したのに。
なのに自分は、こんなことで――
知らなかった。
自分の心が、こんなにも醜いことを。
心の弱さは自覚していた。けれど自分が思っていたより、もっと弱かった。
……今最もつらいのは、きっと他者から蔑まれることではない。自分がそんな人間であるという事実だ。本当に赦せない相手はステラではなく、自分……
自分自身に打ちのめされ、エクルは止めどなく泣いた。
*
「……朝、か……?」
アルファは牢屋の中で目を覚ました。高い位置にある小窓から、わずかに光が射し込んでいる。
どうやら、気を失ったまま一晩経ってしまったらしい。
怪しげな薬は抜けたようだが、立ち上がるとふらついた。頭から足の先まで全身が痛く、動作がぎこちない。
二歩進み、枷を付けられたままの手で鉄格子を掴む。引いてもびくともしない。
腰の剣はもちろん、旅の荷も没収されているし、逃げ出すことは不可能だろう。
情けない。完全に犯罪者扱いだ。これでは誰がどう見たって、アルファを光継者とは思えないだろう。
……この町に来て以降、ネカルから偽光継者呼ばわりされたのを皮切りに、ロクな目に遭っていない。
光継者って世界一の英雄のはずだぞ……
旅立つ時から、魔族との戦いで命懸けになることは覚悟していたが、まさか同じ人間の手でこんな仕打ちを受けるとは、想像もできなかった。
『じっくり罪を悔い改めろ、偽光継者』
あの時のネカルの表情――そびやかした眉、人を蔑んだ目、吊り上った口角が、目に焼きついて離れない。そして拷問を行った看守たちの顔も、思い出せば腸が煮えくり返りそうだ。
しかし、怒りよりも空しさとやるせなさのほうが大きい。
アルファは溜息をついた。
アルファがこんなことになっていると知ったら、きっと両親は泣くだろう。弟たちも。
それに……
エクル……今頃どうしているだろう。
アルファははるか頭上の窓を見上げたが、窓の外には青い空がわずかに見えるだけだ。
本当に、どうしてこんなことになってしまったのか……
そこに足音が近づいてきた。
見ると、苔色の制服を纏った、痩せ型で背も低めの青年だった。昨日アルファが拷問を受けている時庇おうとしてくれた、二十代前半と思われる看守だ。彼は牢の前までやって来て、アルファに声を掛けてきた。
「生きてるか? 三七三」
「……サンナナサン?」
「お前の囚人番号だ。ここでは番号で呼ぶのが決まりでな」
何だか陽気に答える看守に、アルファは噛みつくように言い返す。
「冗談じゃねぇ! オレにはアルファ=リライトって立派な名前があるんだ! 第一罪人扱いされる筋合いはねぇ!!」
「お前も強情な奴だなぁ……昨日の拷問だって、あんだけやられりゃ普通、自分が犯人じゃなくても認めちまうぞ。犯罪者ながら思わず感心しちまった」
「だから違うって言ってんだろ!!」
ああ、やめよう。下っ端看守とこんなやり取りをしてみたところで無意味に違いない。
アルファは腹立たしさを抑え、彼に尋ねた。
「ところで……オレはこれからどうなる……?」
「さぁ……それは俺も聞いてない。けどまぁ、裁判に掛けられて罪が確定するまではこの『待機所』にいることになるだろうな。それが一般的だ」
裁判……
まさか自分がそんなものに……
裁判権は領主にある。どこまでネカルが出しゃばってくるのかわからないが、アルファを目の敵にしているようだから、これまたロクなことになりそうにない。
「とにかくおとなしくしてろ、三七三」
それだけ言い残し、若い看守は立ち去った。
*
強盗事件の翌日、昼前頃のこと。
「閣下、騎士団長宅の倉庫から盗まれた二つの指環が見つかりました」
サーチスワード邸執務室にいるネカルの元に、事件の調査担当者が報告にやって来た。
「何? そうか、あの小僧が自白したか」
「いえ、それが……とある宝飾店の店頭で売られていたのですよ」
「宝飾店?」
「ええ。そこの店主の話では、昨日午後五時頃、帽子を目深にかぶった怪しげな男が売りに来たとか。……これであの少年の供述にかなり真実味が出てきましたね。午後五時には少年はとうに拘束されていた。おそらく真犯人はその帽子の男でしょう」
調査担当は滔々と見解を語る。
「真犯人は騎士団長のお宅から逃走中、あの少年に行く手を阻まれ、騎士団からの追っ手に迫られてしまうので相当に慌てていたことでしょう。そしてせっかく盗んだ宝よりも、逃げることを優先しなければならなかった……あの少年を犯人に仕立て上げ自分が逃げる時間を稼ぐために、ローブを少年に投げつけ、盗品の入った袋は置いて行ったが、咄嗟に二つの指環だけは抜き取って持ち去った――あるいは最初から懐に入れていた。指環なら小さく軽いですからね」
なるほど。確かに筋は通るが……
ネカルが黙ったままでいると、調査員は意向を尋ねてきた。
「それで、あの少年の処遇ですが……」
「……今の話は推測の域を出ない。あの小僧の容疑が完全に晴れたわけでもない。このまましばらく牢に繋いでおけ」
ネカルの命令に、調査員は戸惑いの表情を浮かべた。
「え、しかし……」
「かまわん」
あの小僧は、光継者の名を語った罪だけでも充分、投獄に値する。その罪の重さを思い知らせてやるには良い機会であろう。
「……了解です」
と調査員は答えた。顔にわずかにネカルへの非難を表しつつも、それを口に出すことはない。
当然だ。一介の騎士団員ごときが、このネカルに意見できるはずもない。
彼がさらに身の程をわきまえるならば、顔にも出すべきではなかったが……見逃してやろう。自分もそこまで狭量ではないつもりだ。
しかし、真犯人とやらも大層迷惑である。騎士団がラッシュをはじめとする魔族たちに手を焼き忙しいこの時に、わざわざこんな騒動を起こしてくれたのだから。
そうなのだ。騎士団もネカルも魔族対策に邁進すべきであり、あの偽光継者にかまっている場合ではない――
と考えながら、ネカルはふと思い出した。
「……そう言えば、あやつにはエクレシアという小娘の連れがいたはずだが……」
「はい、調査いたします」




