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双星の光継者  作者: 明谷有記
第2章 サーチスワード編
49/65

第21話 隊商

 エクルはルートホール家の屋根裏部屋で目を覚ました。小さ過ぎる東側の窓からわずかに朝日が射しているだけで、部屋は暗い。ゆっくりと上体を起こしたが、朝から身も心も重かった。

 昨日、綺麗に掃除したはずの応接室が何故か散らかっていた後――

 その片付けがやっと終わったら、夫人からノロマだのグズだのと怒られ、昼食抜きにされてしまった。

 その後、別の部屋を掃除した時も、少し部屋から出ている間に何故かまたひどく汚れてしまった。夫人からさらに叱られ、苦労して再び掃除し、その他いろいろ命じられた雑用をしているうちに、休む間もなく夜になってしまった。

 家の皆がとうに夕食を終えた後に、やっと食事をもらえたものの、どういうわけか『手違い』があったらしく、エクルの分はほとんど残っていなかった。小さなパン一切れと、深皿に三分の一程度のスープ、ほとんど骨しかない煮魚だけだった。昼から何も食べていなかったので、もちろん全然足りなかった。

 わずかでも食べられたことに感謝し――と言うより、感謝しようと自分に言い聞かせ、屋根裏に戻ったのだが、このあまりに汚い部屋を片付けて寝られる状態にするまで、明け方までかかってしまった。日中、埃まみれの布団を洗う時間がなかったので、旅の荷袋に入れてあった毛布に包まって床の上で寝た。

 体が痛く、疲れも取れなかった。

 でも、だるいなんて言っている場合じゃない。一日は出発が肝心だ。

 エクルは毛布のそばに置いてあった荷袋から光玉を取り出し、寝間着からメイドの制服に着替えた。身支度を整え、ここに祭壇はないが跪いて祈りを捧げる。

 神様、どうか今日も一日――

「ちょっとエクレシア!!」

「はっはいっ!?」

 突然横から大声が響き、エクルは慌てて立ち上がった。いつの間にか、屋根裏床の開口部脇にステラが立っており、腕を組みながらこちらを睨んでいた。

「何をグズグズしているんですの!? お母様がお呼びですわよ……!!」

「す……すみません……」

 ステラのあまりの怖さに、エクルは冷や汗が出た。

 

 ルートホール夫人に言われて玄関の掃除をした後、朝食の時間になった。料理は常にルッカが担当だそうで、メイドたちの食事は、夫人とステラの食事を作った余りの食材で作られる質素なものだが、美味しかったし充分だった。

 まともな食事に安心したのも束の間、大量の仕事が待っていた。

「では、まず上から下まで廊下、階段の掃除、終わったら小広間、続いて浴室の掃除、庭の草むしりとお花の水遣りも頼みますのよ」

 夫人は居間の上等なソファーに座り、くつろぎながらエクルに指令を出す。

「かしこまりました」

 使う者と使われる者の差を痛感しながら、エクルは居間を出ていく。

 それにしても、一度にいろいろと言われた。自分の記憶力はそう悪くはないとは思っているけれど、作業しているうちに忘れてしまわないか心配だ。

 居間の扉を閉めるエクルに、夫人はさらに言った。

「終わったら来るんですのよ。まだまだお仕事は山とありますの」

 心配……

 

 エクルは三階から廊下と階段を掃き、雑巾掛けをしながらやっと一階まで下りてきた。一階廊下を雑巾で拭いていると、

「ちょっと! ちゃんと見てるの? ここ汚いわよ」

通り掛かったリタに注意された。汚いも何も、そこはまだ掃除していないのだから当たり前なのだけど。

「はいっ、これからやります……!」

 答えてごしごし床をこすっていると、そこに誰かが近づいてくる気配があった。顔を上げたら――

 いきなり水と切り花が降り掛かってきた。

 えぇ!?

 ステラがエクルに向かって花瓶をひっくり返したのだ。服も床もびしょ濡れになってしまった。

 ステラは花瓶を床に置き、両手で頬を押さえて叫ぶ。

「あら大変……! ()()()()()()しまいましたわ……!」

「へ……?」

 エクルの目には、どう見てもエクルを狙ってやったように見えたのだけれど。

 気のせい……なの?

 でも昨日、応接室の花瓶が床に倒れて部屋が荒れていたのは、まさか――

「ステラお嬢様! 花瓶の水換えくらい私がいたしますのに……! ご無理をなさるから……!」

「そう言えばワタシったら、さじより重いもの持ったことありませんでしたわ……! あぁ、疲れたから部屋で休みますわね」

 よろよろと歩き出すステラに、リタが寄り添う。何だか変な盛り上がり方をする二人に、エクルが呆気にとられていると、リタが振り返って水浸しの床をビシと指差した。

「そこ! ちゃんと拭いときなさいよ!」

 ……何なんだろう……

 ますます呆然としているところに、

「――ちょっとアンタ」

後ろから声が掛かった。見ると、洗濯籠を持ったルッカが怒った顔でこちらを見ていた。

「そんな所で座り込まれたら通行のジャマなんだけど」

「ご、ごめんなさい……」

 

 *

 

 朝、フロリド商会の隊商はサーチスワードの町から出発した。

 五台の馬車の周りを、騎乗した護衛たちが固めながら、トレイディールへと続くトレス街道をゆっくりと進んでいく。

 隊商の総勢は二十二名。会長であるエドガーとその部下七人、護衛がアルファを含めて十ニ人、エドガーの娘ソフィア、その侍女ベラも同行した。

 本当はもっと多くの荷を運びたかったらしいが、魔物が増えていく中で隊商の規模は縮小傾向にあるという。結局どんなに商品を積もうが、奪われたり壊されたりすれば水の泡になってしまうのだから仕方ない。

 護衛の配置は、あの卑屈な隊長が先頭に立ち、馬車の両側面に三名ずつ、最後尾に二名、残りは馬車に乗っている。アルファは二台目の馬車の、御者の横に座っている。アルファも故郷で馬に乗ったことがないではないが、こういう場で慣れないことはしないほうがいいと思ってこちらにしたのだ。

「アルファさん、寒くありませんか?」

 客室の小窓からソフィアが声を掛けてきた。五台のうち、後ろの三台は幌馬車だが、先頭の一台とアルファが乗っているのは箱馬車だ。この馬車の客室には、荷物と一緒にソフィアとベラ、一人の従業員が乗っている。

 このところずっといい天気が続いていたのだが、今日は曇りがちで、風も強かった。それでも、寒いというほどではない。そんなに気を使ってくれなくてもいいのに、と思いながらアルファは大丈夫だと答えた。

 ちなみに、今日のソフィアは動きやすいよう髪を束ね、従業員たちの作業着に近いような服装をしている。隊商の一員として、気合充分なのが伝わってくる。

 ――エドガーはソフィアの同行を渋り、出発直前に再び揉めた。

 頑として行くと言い張るソフィアにエドガーは、どうしても隊商に加わりたいなら下働き同然の扱いをすると宣告したが、ソフィアはそれでも構わないと承諾してしまった。

 従業員たちもソフィアの味方をしたため、エドガーは娘の説得を諦め、不機嫌な顔のまま、黙ってさっさと一番前の馬車に乗り込んでしまったのだった。ソフィアと顔を合わせていたくないようだ。

 それはさておき、アルファは次第に遠ざかっていくサーチスワードの市壁を振り返りながら、これから無事にトレイディールの町と往復できることを願うばかりだった。

 本当は、泥棒に金を盗まれたり無茶苦茶な理由で借金を背負わされたりするより、普通にプロッツの町に向かいたかった。

 けれど、そんなことでもなければ隊商の護衛なんて絶対にしなかっただろう。何事も経験だ。どうせなら『次』に生かせるような経験を積みたい。借金の返済で貴重な時間が奪われていくが、その時間が単なる浪費で終わるのではなく、少しでも意味のあるものにしたい。

 と。

 アルファは遠くに魔物の邪気を感知した。おそらく七体、あまり強くはないようだが、アルファは剣の柄に手を掛けた。

 それから二呼吸ほどして、隊長の声が響いた。

「出たぞ……! 魔物が七体……!!」

 五台の馬車がその場で止まり、騎乗した護衛が馬から降りる。アルファも御者台から飛び降りた。

 牛とも馬ともつかない容貌の魔物たちが、街道の先からこちらに向かってくる。

 町を発ってから最初の襲来だ。だが、護衛たちにしても商人たちにしても、ほとんどの者はこれまでにも隊商を経験しており、落ち着いていた。

「法術で迎撃を!」

 隊長の指示を受けて、団員の法術士が霊力を高め始めた。

 もう一つ、別の霊力が高まる。ソフィアが馬車の客室から外に出て、呪文を唱え始めたのだ。

 

「我が魂は 今こそ奮う 眠れる力は 今こそ目覚めん」


「お嬢様! 危険ですから中にお戻りください!」

 傍らでベラが呼び掛けるが、ソフィアは聞かない。

 

「我が力 世に満つ力と交わりて この手に集うは望むもの」

 

 だが、団員の法術のほうが先に完成したようだ。

 彼は詠唱抜きで術を発動させた。彼の手に集った人頭大の炎の玉が、魔物たちに向かって飛び、着弾と同時に爆発を起こす。

 炎の熱と爆発の衝撃に、魔物たちは悶え、踊り狂った。

 しかし、魔物たちは苦しんではいるが、殺せるほどの威力ではない。馬車のそばにいるアルファたちの所には、距離があるせいもあるが、焦げた匂いと生暖かい風がわずかに届いた程度だ。後ろで直接爆発を喰らわなかった三頭は、少しひるんだだけでこちらへの突進を続ける。それでも、とりあえず魔物たちの勢いを止め、一部でも弱らせることができれば、こちらは体勢を整えられる。

「前衛掛かれ……!」

 隊長の声で、馬車の前のほうにいた五人の護衛が武器を手に駆け出す。護衛は隊長を除いて前衛と後衛の二班に分けられている。前衛が魔物たちに向かい、アルファや法術士を含む後衛は馬車を守る。

 

「我引き絞るは 強き弓

 澄みて硬きもの 凍てつくものよ

 速く 鋭く 射て突くものよ」

 

 ソフィアはまだ詠唱の途中で、霊力は高められたままだが、出番はなさそうだ。あの魔物たちは前衛だけで問題なく退治できるだろう。ソフィアの霊力はなかなか強いようだが、これでは高めるのに時間が掛かり過ぎ――

 不意に、アルファは再び邪気を感じた。

 前方の弱った魔物たちではなく――隊列から見て左側面に向かって、複数の邪気が近づいてくる。

 まだ遠く、その姿はここからは見えない。隊長は前方ばかり見ているし、他の誰も邪気に気づいていないらしい。

「左から魔物が来ます! たぶん十体!!」

 アルファは声を張って皆に知らせた。

「えっ!?」

 動揺が広がる。

「た、確かに……! みんな警戒を!」

 隊長もやっと邪気を感じたらしく、周囲に注意を促したが、ほぼ同時に魔物の群れがこちらの視界に登場した。

 何となく猫を思わせる風貌だが、狂暴そうな顔の上、人間よりも体躯が大きい。数はやはり十匹だ。魔物たちはソフィアの霊力を感じ取ったか、初めより進攻の勢いを落としつつも、低い唸り声を上げながら迫ってくる。

 ソフィアがここで待機状態だった法術を再開した。

 

「飛びて あたりて 撃ちかん

 我が放つは――」

 

 ソフィアは青みがかった光を帯びた手を前に伸ばし、発動の句を堂々と唱えた。

 

「『氷の矢』!!」

 

 それと同時に、ソフィアの手の光がまさに術名通り、氷の矢へと化した。人の腕ほどもある一本の氷塊が、魔物に向かって飛んでいく。

 氷の矢は魔物の一匹に突き刺さり、転倒させた。

 その魔物はそれきり動かない。一撃で仕留められたようだが、残りの九体はそのまま突進してくる。

「全員掛かれ……!!」

 隊長は号令を掛けると共に剣を掲げ、自ら先頭に立って魔物の群れに向かっていく。

 その声はわずかに焦りを含んでいたが、先ほどのように法術士の術で足止めできる余裕がないからだろう。団員の法術士は詠唱を必要とせず、ソフィアほど時間が掛かるわけではないが、即時に術を放つまではできないようだ。

 おそらく接近戦は苦手なのだろう法術士を馬車の脇に残し、アルファと他の後衛も隊長に続いた。

 アルファは途中で隊長を追い抜き、素早く一匹目を斬り伏せた。隊長が霊技で別の猫もどきを一刀両断にするのを横目で見ながら、自分に飛び掛かってきた二匹を一薙ぎにする。他の四人の護衛たちも、二人一組になって一匹ずつ仕留め、アルファは彼らの安全に気を配りつつ、隊長と共に残りの魔物たちも沈めた。

 前方の牛だか馬だかわからない魔物たちも、前衛たちによって全て退治されたようだ。

 アルファが剣を収めると――いつの間にか、他の護衛たちから注目されていた。

「いやぁ、さすがです! 正直、この戦闘にはもう少し苦戦すると思っていましたが、魔物相手にもやはりお強いですね! や~、わかっていたことですが私なぞ足元にも及びませんな!」

 またもアルファを持ち上げる隊長。隊員たちも、団長の卑屈さには呆れた顔を見せたものの、一人で群れの半分を倒したアルファを褒めてくれた。

 こういう時、アルファは本当に反応に困る。どれだけ賞賛されても、頭にはルミナスの不敵な顔が浮かんでしまうし、まだまだだと言えば、彼らへの皮肉になってしまうのだろうし……

 その後、アルファは一番前の馬車の御者台に移り、前衛にしてもらった。魔物が近づくと誰よりも早く気配を察知し、皆に教え、先陣を切って戦った。現れる魔物のほとんど全てを、アルファ一人で倒した。どうせなら修行も兼ねたかったのだ。

 もっとも、一度に出てくる魔物の数が五、六体までで、強さもそれほどではなかったから可能だっただけの話だし、護衛である以上、人命を守ることが最優先だということはもちろん忘れてはいない。

 

 

 昼時になり、舗装された街道から少し離れた所に馬車を停め、休憩を取った。

 町を出て最初の食事はサンドウィッチで、その包みをソフィアが一人一人に配ってくれた。

「ソフィアお嬢様がそんなことをなさらなくても……」

 ベラや商会の従業員たちは止めようとしたが、ソフィアは微笑んで言った。

「会長はわたしを下働きだとおっしゃいました。何でもしなければ」

「お嬢様……」

 護衛の中で三人ほどが見張りとして魔族の警戒に当たり、あとは馬車の脇に輪になるように座り、食事をとった。輪を作ってはいるのだが、形はいびつで、みんなで食べるという感じではない。気の合う者同士か、二、三人ずつ固まってそれぞれ会話して好きにやっている。一人で黙々と食べている者もおり、アルファもまたそうだった。

 アルファは家族や仲間が集まって、みんなでわいわい言いながら食事するのに慣れているので、これはかなり違和感がある。かと言って、自分から他の護衛や商人たちに話し掛けるのも悪い気がした。やはり皆、ルミナスの友人であるアルファに気を遣っているからだ。

 サーチスワードの町まで、情報部のカーターたちと同行した時、彼らもやはりアルファに遠慮していた。それでも少しずつ打ち解けることができたから、今回もそうかもしれない。

 ……でもあの時は、エクルが一緒だった。

 故郷を旅立ち、自分を取り巻く環境が一変しても、エクルが一緒にいることだけは変わらなかった。だから故郷を離れた淋しさが半減し、アルファは自分らしさを保てていたのかもしれない――

 アルファは小さく、溜息をもらした。

 そこへ声が掛かった。

「アルファさん」

 ソフィアだ。皆に食事を配った後、雑用でもあったのか馬車の回りをウロウロしていたが、いつの間にかアルファの近くに来ていた。

「あの……ご一緒してもいいですか……?」

 自分のサンドウィッチの包みを手に持ちながら、恥ずかしそうに言う。ソフィアの後ろにはベラもおり、例によってアルファを睨んでくる。

 ……ソフィアはきっと、一人のアルファを気遣って声を掛けてくれたのだろう。

 ベラは嫌そうだが、ソフィアの申し出を拒む理由もないので、アルファはできるだけ当たり障りのないように答えた。

「じゃあ三人で」

「ありがとうございます」

 ソフィアは嬉しそうにアルファの隣に腰を下ろした。その横に、ベラがふて腐れた顔をして座る。

 小鳥のついばみのように、少しずつサンドウィッチをかじるソフィア。たぶん、日頃パンは小さく千切り上品に食べていて、かぶりつくという行為に慣れていないのだろう。隣のベラはがつがつと、男顔負けの食いっぷりだが。

 食べながら、ソフィアが話し掛けてきた。

「アルファさんは本当にすごいですね。わたしなんか出番はないと言うか……あ、いえ、とても頼もしいんです……! 本当にアルファさんに護衛になっていただいて良かったなって――でも」

 ソフィアは顔を赤くしながら弁明し、それから少し俯いた。

「わたし、法術を使おうにも騎士団の方と違ってきっちり詠唱をしなければならないし、まともに使える法術は先ほどの『氷の矢』と、もう一つ治癒の法術くらいで……」

「……それでもすごいと思いますよ。オレの幼馴染なんか、十年以上修練しても一つも魔法使えないし」

 エクルがこの場にいたら、ソフィアをさぞ羨むだろう。そんなことを思ってアルファはつい笑いながら答えてしまったが、ソフィアを適当に慰めようとして言ったのではない。魔法を使える人間を本当にすごいと思っている。アルファにしても、霊技は習得できそうだが、魔法は難しいだろう。

 魔法と霊技。どちらも霊力を使う技術だが、魔法の霊力操作は霊技よりずっと複雑だという。ルミナスから聞いたことだ。実際どのくらい複雑なのか、魔法の勉強をしたことのないアルファにはよくわからないけれども。

 ちなみに霊技は、体を激しく動かしながら霊力を操作するので、魔法とは違った難しさがあり、魔法を使える者が霊技を使えるかというと、全くそうではないらしい。統計上、何故か霊技に適性がある者は魔法を使えないことが多く、魔法に適性がある者は霊技が駄目だということが多いという。もちろん、最も多いのはどちらも使えない人間――霊力を操ることも、感知することさえもできない者たちであることは、今さら言うまでもない。

「霊力は強いし、ソフィアさんなら、これからもっと上達すると思います」

 アルファが言うと、ソフィアはまた嬉しそうに笑った。

「あ、ありがとうございます! わたし、頑張ります……!」

 素直で可愛い。

 ただし、アルファはソフィアの愛らしい笑顔より、その隣のベラの恐ろしい表情のほうに目がいった。鋭い眼光が、「お嬢様に近づくな」と告げている。

 ベラはノター通りでソフィアにちょっかいを出していた三人組を見てはいないが、どうやらアルファのことをそれと同類に思っているようだ。アルファとしては心外だし、一緒に食事をと言い出したのはソフィアのほうだが、侍女たる者、主のためにいろいろ気を回さなければならないらしい。

 一方、ソフィアの父であるエドガーは、食事が終わってもひたすら部下たちと商売の話をしているようだ。アルファたちとは離れた位置に座っているとは言え、娘に関心がないかのように一切こちらを見ない。

 ……いや、エドガーは魔物が出る度に、馬車の外に出て法術を使おうとするソフィアの様子を、心配そうにチラチラうかがっていた。少なくともアルファの目にはそう映ったのだが……

 いずれにせよ、この親子は町を発ってから一言も口を利いていなかった。商会の従業員たちの口ぶりでは、日頃からあまり仲が良くなかったようだが、どうしてそうなってしまったのだろう。アルファには不思議でならなかった。

 

 

 夕刻、隊商は街道沿いにある町に到着し、宿を取った。その名も隊商宿と言う、隊商のための宿泊施設で、主な街道にある宿場町には大抵設置されているものらしい。

 外側は堅固な壁に囲まれ、馬車ごと門をくぐると、倉庫やら馬屋やらに囲まれた中庭に続いている。フロリド商会の建物と似たような造りだ。

 驚いたことに、ここにもサーチスワード騎士団の団員たちがいた。彼らは騎士団から派遣されてここに常駐しており、宿の警護についているという。町には市壁があるが、それだけでは魔族は防げるとしても、一般人を装った盗賊の侵入は許してしまうからだ。

 荷物や馬たちを宿の警備員たちに預け、隊商の人員たちは食事をとり、二階の宿泊客用の部屋でゆっくり休む。

 ……のだがその前に、商人たちは警備員たちの立会いの下、荷物の内容と数を点検する。面倒な作業だが、警備員による横領着服や後々の揉め事を防ぐため、宿に入る時と出て行く時には必ず行われるそうだ。

 アルファも馬車から荷を下ろす作業を手伝った。だが、隊商の護衛隊員たちは、騎士団員同士、宿の警備員と結託する可能性もなきにしもあらずということで席を外され、先に食堂に行った。それに彼らはアルファと違い、仕事は護衛のみという契約のため、荷の積み下ろしをする義務はないのだ。

「ほう、これは見事な稀封石きふうせきですな」

 ある一つの木箱の中身を確認しながら、警備員の一人が感嘆の声をもらした。エドガーが頷く。

「ええ。大きさと言い、透明度と言い、これほど上質のものが揃うのは珍しいです。残念ながら魔法は入っていませんがね」

 両手で抱えられる程度の、それほど大きくはない木箱の中に、水晶のように無色透明な石がぎっしりと入っている。一辺が小指の長さほどの正八面体の結晶で、聞くところによれば、魔法の力を閉じ込めておける性質を持っているらしい。

 魔法を使える術者が、稀封石を握った手に魔法を集中させると、その力は外界に発動されず、石の中に蓄えられる。そして、その石があれば誰でも好きな時に、石に封じられた魔法を引き出し、効力を得られるという。

 稀封石は特に貴重な商品として、宝石細工や絹と共に、幌馬車ではなく箱馬車の客室のほうに積まれていた。

 宝石ほどの希少価値はないが、発掘可能な鉱山はやはり限られている。戦闘での利用価値の高さから、各地の騎士団がほぼ独占してしまうため、市場にはあまり出回らないようだ。アルファは稀封石の結晶を初めて見た。

 ただし、結晶は珍しいが、稀封石を利用した品は広く流通している。

 その最たる例が照明具として便利な光玉だ。

 小さ過ぎて魔法を閉じ込めるには用を成さない稀封石の結晶を粉末状にし、溶かした硝子ガラスと混ぜて形成したものを稀封硝子と呼ぶ。光玉は、その稀封硝子に照明の魔法を込めたものだ。結晶ではない稀封硝子は、魔法の力を封じてはおけないが、帯びることはできる。だから光玉は、込められた照明の魔法を緩やかに漏洩させながら、その効力が尽きるまで光を発し続けるのだ。

 くず石を用いた稀封硝子は結晶に比べてかなり安いため、光玉は一般家庭にも普及している。

 ちなみに、エドガーの持つ結晶には何も入っていないようだが、強力な魔法が込められている稀封石の場合、かなりの高値がつくこともあるらしい。

 珍しいお宝にアルファが感心していると。

「お嬢様! お嬢様はお止めください!」

「重いですよ! 無理しないでください」

 アルファがいる一台目の馬車の隣、二台目の馬車からソフィアが荷を下ろそうするのを、ベラや従業員が止めようとしている。

 ソフィアはどうにか一つの木箱を抱え上げたが、ふらふらしている。馬車から出してすぐ下に置くだけだが、痩身でいかにもか弱く、腕力なんてどう見たってないソフィアにはきつい作業だろう。

 それでもソフィアは、

「これくらい大丈夫ですから……!」

意地を張り、顔を真っ赤にしながら持ち上げた荷を馬車から下ろす。

 そんなソフィアに、エドガーが声を掛けた。

「さっさと動け。女だからできないという理由は通らない。それなら初めから来るべきではないからな」

 父親の厳しい言葉と表情に、ソフィアは一瞬顔を強張らせたが、

「それくらい言われなくてもわかっています」

と強気に答え、またふらつきながら次の荷物を持ち上げる。エドガーも荷物の点検作業に戻った。

 ようやく言葉を交わしたと思ったらこれだ。周囲は誰も口出しできなかった。が、皆はソフィアに負担を掛けないようにと、黙ってさりげなく作業の速度を上げていた。

 手分けして点検を終え、皆で食堂に行き夕食をとったが、ここでもやはりエドガーとソフィアは口を利かず、エドガーの部下たちは気まずい空気を誤魔化すかのように、アルファの昼の活躍を讃えた。

 夕食が終われば、あとは夜明けまで仕事はなく、自由時間だ。と言っても皆疲れているので、すぐにそれぞれの部屋に向かった。女性であるソフィアとベラは二人部屋で、男たちは三つの大部屋に六、七人ずつ分かれた。

 だが、アルファは自分の部屋と寝台だけ確認すると、一人で中庭に戻った。日課の腕立てや剣の素振りをするためだ。

 何より霊技の訓練がしたかったが、それは止めておいた。霊力を高めるとおそらく、ソフィアや隊長のような、霊力に敏感な者たちの安眠を妨げてしまうことになるからだ。

 翌日に疲れが残らぬよう、アルファはほどほどで切り上げ、その日の歩みを終えた。

 

 *

 

 サーチスワードの町からほぼ真北に徒歩数時間、連なる山々の一つに、ぽっかりと口を開いた洞窟がある。

 そんな所に洞窟が存在することなど、ましてや、そこが魔族の一団の根城となっていることなど、知る人間は誰一人としてない。

 今は深夜、月明かりも射し込まぬ洞窟の内部は当然暗闇に包まれているはずであるが、微かに光が灯っている。洞窟内には、布に包まれた光玉が一定の間隔で置かれているのだ。

 夜目が利く魔族とて、真の暗闇では何も見えない。かと言って明るい場所は好まない。それ故、光量を極力抑えた光玉を使用しているのである。

 内部は広く、ここには二百体もの魔族が棲んでいるが、そのほとんどは、魔族の本分を果たすべく破壊活動に赴いている。今洞窟に残っているのは、群れの長を含む数体に過ぎない。

 長い洞窟の最深部に、その長はいる。

 人間に近い体躯でありながら、蝙蝠こうもりの顔を持ち、背中に大きな漆黒の翼を生やした魔族だ。

 覆いが掛かった光玉の薄明りの中、その赤い瞳はただ一点を凝視している。岩でできた机の上に置かれた、サーチスワード地方の地図を。

 不意に、仲間の邪気が接近してくるの感じ、蝙蝠は顔を上げた。

「ラッシュ様。ただ今戻りました」

 声の主は、配下であるたぬきの魔族だ。蝙蝠――『神出鬼没のラッシュ』としてサーチスワード騎士団にその名を知られる高位魔族は、部下に尋ねた。

「コードか。何か掴めたか?」

「実は……フロムの森のラウザー様のことなのですが……」

「ラウザー!? ラウザーがどうした!?」

 部下のためらう様子から、それが悪い報告であると察するに難くはなかったが、ラッシュは気が急いて、言葉の続きを促した。

「どうも、殺されていた模様です……ラウザー様の手下も全滅したようで……」

「な……」

 最悪の知らせに、ラッシュは言葉を失った。しかし、衝撃に支配されたのは一瞬、すぐに冷静さを取り戻した。

「そうか……三日に一度は使いをよこしてたのが、急に音沙汰なくなったからな。何かあったかとは思っていたが……」

 ラッシュは配下のラウザーをフロムの森に派遣していた。フロムの森は、サーチスワード騎士団の支部があるスプライガに近く、そちらに揺さ振りを掛けるためだった。

 これまでにラッシュは、数多くの村や小さな町を襲っては姿を晦まし、サーチスワード騎士団を掻き回してきたのであるが、いずれはサーチスワード地方の攻略を目論んでいる。ラウザーを派遣したのはその足掛かりだったのだが、ラウザーはこれと言って収穫のないまま死んでしまったようだ。

「まぁラウザーは黒魔術しか能がない奴だったからな……」

 邪気の強さだけで言えばラッシュに次ぐほどであったが、接近戦は不得手だった。黒魔術を長々と詠唱している間、守ってくれる者がなければ敵に殺されるしかない――雑魚人間相手でも敗北してしまう可能性は多分にあった。

 それでも、ラウザーには手下の狼たちが数多くついていたから、うまくやれるだろうと思っていたのだが……

 ラッシュは大きく舌打ちしながら、再び部下コードに尋ねた。

「で? ラウザーたちはスプライガ騎士団にやられたのか?」

「はい、そのようで……ですが、どうもルミナス=トゥルスが絡んでいたらしいという噂が」

「何? ルミナス=トゥルスが?」

「ええ。しかし情報が少なくて、詳しいことはさっぱりわかりませんでした。スプライガ騎士団が、ガフトンの住民たちに対しても口止めしているようです」

「またか……魔族の群れがやられた話の度にその名前が挙がる……邪魔な奴だな。サーチスワードを落とすには、まずルミナス=トゥルスを消しておく必要がありそうだ。一度どんな面か拝んでみたいと思ってたが――いや待てよ」

 ラッシュには、ルミナス=トゥルスよりさらに気掛かりな存在があった。

「光継者の件はどうなってる?」

 光継者を探し出し、抹殺せよ――魔族の長、ヴェルゼブルから全魔族に発せられた指令。

 ラッシュもまた、自分の配下たちに光継者探しを急務として命じてある。

「そ、その……それこそ全く手掛かりがなく……」

 コードは申し訳なさそうに返答した。

 愚問だった。もしコードが何か情報を得たのなら、こちらから訊くまでもなく、自分の手柄として真っ先に報告していただろう。

「ヴェルゼブル様が探せとおっしゃるからには、本当に存在するのだろうが……見つからないものはどうしようもない。フロムの森までご苦労だったな、コード。引き続き光継者を捜索しろ」

「はい。では、これで」

 一礼して退出する手下を見送り、ラッシュは再びサーチスワード地方の地図を見下ろした。

 魔族の中でさらに『上』を目指すならば、光継者の抹殺こそが間違いなくその最短の道だ。しかし光継者の正体はまだ全く見えてこない。

 だから今は、光継者探しを諜報員たちに任せつつ、自身は見える敵から攻めていく。

「――さて、次はどの町を襲うかな」

 

 

 



 

 

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