第17話 別れ道
朝、ルミナスはサーチスワード邸の回廊を、重い足取りで歩いていた。
昨夜ネカルに呼び出された後、ルミナスは遠征の準備に追われ、エクルとアルファのことはカーラに任せて放置してしまっていた。
しかし、さすがにこのまま遠征に逃げるわけにもいかず、二人の所に向かっているのだ。カーラによると、彼らは朝食を終え、騎士団の見学に行ったそうだ。
ルミナスがサーチスワード邸を出て歩いていくと、騎士団本部の庭では、団員たちの戦闘訓練が行われていた。あの二人は、庭の隅のほうからその様子をじっと眺めていた。
「おはよう」
ルミナスが近づいて声を掛けると、
「お、ルミナス! おはよ」
「おはよう! 今日もいい天気だね」
アルファとエクルは元気に挨拶を返してくれた。
この二人が何事もなかったかのように一緒にいることに、ルミナスは少々拍子抜けしてしまった。いつの間にか仲直りしたらしい。心配して損をした。そもそも昨晩のあれは、喧嘩と呼ぶほどのものではなかったかもしれないが。
二人が騎士団の訓練に見入っていたようなので、ルミナスはアルファに言った。
「君から見たらこんなの、子供のチャンバラみたいだろう?」
「……だったら、お前から見たら余計そうってことだろ」
アルファは嫌そうな顔でそう返してきた。
「そりゃ君より僕のほうが強いからね」
「うるせー……まぁ正直、サシだとあんまり見応えねぇけど、数の迫力はあるよな。あっちの集団での訓練はもっと圧巻だけど」
手前側には、木剣を用いて一対一で斬り結んでいる団員が数百組。広大な庭の別の場所では、団員たちが数百人ずつ二組に分かれ、陣形を組んでいる。
騎士団においては、個人の能力も高いに越したことはないが、団結というものが非常に重要になる。一人では魔物一匹倒すことさえ不可能でも、十人が真に一つになれば、十どころか二十の魔物でも相手にし得る。個々の不足を、群れることで補っているのだ。
と。
ルミナスは霊力を感じ取った。一対一の訓練を行っていた者たちの一部が、霊力を高めだしたのだ。
エクルとアルファも感知したらしく、そちらを見た。その団員たちが、霊力を高めた状態で再び斬り結ぶ。
「――これって、『霊技』って言うんだよね?」
「ああ。そっか、騎士団じゃ霊技の訓練もするのか。オレも混ざりたい」
霊力の使い手は、全人口の比率からして圧倒的に少ない。猛者が集う騎士団でも、霊技を使える団員など二割までは届かないが……
「そう言えばアルファ、前に僕、君に『たぶんうちの騎士団長と戦ったら勝てる』って言ったけど……あれは団長が霊技を使わなかったらの話だから」
意地の悪い話だが、あの時ルミナスは、アルファがどんな反応をするか見てみたかったのだ。
けれど、アルファは最初からルミナスの言葉を真に受けはしなかったようだ。あの時も喜ぶ様子はなかったし、真相を聞いた今も、別段驚いたようでも、がっかりしたようでもない。
「――だろうな。でなきゃお前は化物扱いされてるよな」
今のところルミナスに全然敵わないアルファが団長に勝ってしまうくらいでは、騎士団でルミナスが圧倒的過ぎるというわけだ。
「まぁ、団長が霊技を使っても僕が余裕で勝つけどね」
「はいはいそーですか」
アルファはうんざりしたようにルミナスから顔を逸らし、エクルが苦笑いする。
――雑談はここまでだ。ルミナスは二人に、言わなければならないことがある。
「――あのさ、僕、今日から遠征に行くことになったんだ」
「え?」
「遠征?」
「うん。サーチスワードの北西にティジュラ地方ってあるよね。そこのとある山に棲みついた魔物の群れを、退治しに行かなきゃならないんだ。普通は余所の領地までは出向かないんだけど、ネカル様がティジュラ地方の領主と仲がいいから、援軍として行けって」
『偽光継者』を連れてきた罰であることは、黙っておくべきだろう。
「へー、遠くまで大変だな……」
同情している風のアルファとエクルに、ルミナスはさらに、言いづらいことを言わなければならない。
「それで……あの剣のことだけど……やっぱりネカル様を説得できなかった……」
沈黙が落ち、アルファが静かに言った。
「……そっか……残念だけど、仕方ねぇかもな……」
「うん……」
とエクルも頷いた。
ルミナスは本当は、説得できなかったのではなく、何も話さなかったのだ。存外聞き分けの良い二人に、なおさら良心の呵責を覚えた。
「ルミナス。そんな顔するなって。気にすることねぇよ」
何もわかっていないアルファはルミナスに笑い掛け、何故か、
「なぁ、あの領主今どこにいる?」
と訊いてきた。
「え? ネカル様? たぶん執務室だと思うけど……」
ルミナスが答えるとアルファは、
「よっしゃ! 最後に直談判だ……!!」
と元気良く、サーチスワード邸に向かって駆け出した。
「私も行く……!!」
と追いかけるエクル。
「ちょ、ちょっと……!?」
この二人、ちっとも聞き分け良くなどなかった。
彼らの玉砕必至の特攻にルミナスは唖然とし、つい止め損ねてしまった。
*
執務室の椅子に腰掛け、ネカルは机に両肘をついて深々と息を吐いた。机上には二通の手紙が置かれている。
一方は、甥であるルミナスが書いたもの。光継者を案内するとの旨が記されている。
もう一方は――現ルナリル国王、オファール=ロブ=フィルド=ルナリルからの親書である。
昨日、ルミナスが偽光継者共をここに連れ込む少し前に届けられたものだ。ネカルはもう一度、その内容に目を通した。
時候の挨拶に始まり、サーチスワード地方の政を担うネカルを労い、また魔族の勢力拡大を憂う心情が綴られている。王の温厚な人柄を反映し、国や民を思う心に溢れた文面だ。
そしてその手紙の最後のほうには。
『我々には、光継者という希望がある。光継者がおいでになり、世を救ってくださるその時まで、我々は共にこの難局を乗り切ろうではないか。
光継者に関して、もし何か情報があれば、どんな些細なことでもかまわないので知らせてほしい。光継者にお会いできれば、私は国を挙げ、持てる力を尽くして光継者をお支えする所存だ』
と書かれている。
光継者とは、一国の王にそこまで言わしめるほど尊い存在であるのだ。
ネカルは王に返事を出さねばならない。しかし、『光継者に関する情報』を『どんなことでも』とあれど、まさか国王陛下に、『偽光継者が現れてアブレスの剣を騙し取ろうとした』などとは、とてもではないが報告できない。
ああ、あの詐欺師共め……
思い出しても怒りが沸々と込み上げる。だが、どうせもう会うこともなかろう。忘れてしまえ。
あの連中のことなぞなかったことにし、王への手紙では一切触れまい。適当に、領地の近況を報告しつつ、王の気概を褒め称える文章をしたためるとしよう。
それが、最善にして唯一の選択――
ネカルがそう決めたところへ。
「領主様……!!」
何者かに扉の外から呼ばわられた。
扉の外で警護についている騎士たちが慌てるような声で、おそらくその何者かに対し詰問する。
「一体何事だ!?」
「ここをどこと心得る!? 侯爵閣下に無礼だぞ!!」
「あっ、あなたがたはルミナス様のご友人の……!?」
ルミナスの友人? まさか……
ネカルの胃に、不快感が湧いて広がった。
何者かがまた叫ぶ。
「領主様にお話があります……!!」
「どうか聞いてください……!!」
やはりこの声は――
あの偽光継者の小僧と小娘ではないか。無遠慮な大声によって、ネカルは収まりかけていた怒りの炎に油が注がれた。
おのれ蛮族め、性懲りもなく……!
顔も見たくない。見る必要もない。ネカルは扉越しに絶叫した。
「出て行けーーーっっ!!」
*
ルミナスの予想通りではあったが、アルファたちはネカルに門前払いにされた。
しかも、ネカルに命令された騎士たちがアルファたちを追い立て、二人は急いで荷物をまとめさせられ、サーチスワード邸と騎士団本部の敷地を囲う塀の外まで出されてしまった。
もう、どうしようもない。
ルミナスも二人を見送るべく、塀の外に出た。
「やるだけのことはやったよな」
「そうだね……」
無念そうな顔をしながらも、否定的な言葉は口にしないアルファとエクル。そう思うようにする他ない、といったところだろう。
あえて無駄に足掻き、見事に散った彼らに、ルミナスは開いた口が塞がらなかった。
馬鹿だ、この二人……
良く言えば真っすぐなのだろうけれど。
この二人、こう見えて決して頭が悪いわけではない。ソーラの村の教育水準はルミナスが驚くほど高かったし、この町に来る途中、馬車の中でルミナスは二人とチェスで勝負したが、彼らは思いの他強く、特にアルファには苦戦した。もちろんルミナスが勝ったけれども、チェスでルミナスとまともに勝負できるのは、これまで弟のレオンくらいだったというのに。
だが、そういう頭の良さと、世の中を上手く渡る知恵とは別物だ。彼らは田舎者でも月に一度隣町に通っていた分、貴族の箱入りよりはまだいいだろうが、おそらく世間というものがよくわかっていないだろう。今後苦労しそうで心配だ。
「……これからどうするの?」
ルミナスが訊くと、アルファは低く唸った。
「うーん、アブレス王子から光の書を探せって言われてっけど……」
「光の書って、ソーラの教会から出てきたってやつ?」
「ああ。似たのが大聖堂の地下にもあったけど、他にあと五冊もあるらしいんだ。全部揃えなきゃならねぇんだけど……手掛かりねぇんだよなぁ」
追い出された後、早速行き詰っているらしい。
「……ルミナス、何か騎士団で噂とか聞いたことないかな……?」
エクルがわずかな期待を込めて質問してくる。
「いや、申し訳ないけど……」
そんな本の話は聞いた覚えが――
「あ……」
ふと思い当たったことがあり、ルミナスはうっかりそれを態度に表してしまった。
「心当たりがあるのか!?」
アルファが食いついてくる。
「あ、いや、心当たりってほどじゃない……」
「いいから話してくれ!」
「お願い! 何でもいいの!」
二人とも必死だ。しかし、何でもいいと言われても、いい加減なことを教えてこの二人を振り回すことになったら、さすがに気が引けるのだが……
「……僕の弟が、パスト地方の『プロッツ法術学院』ってとこにいて……だいぶ前だけど弟から聞いた話じゃ、そこの院長が何か、光継者に関する本を手に入れて大事にしてるらしいって……」
「まさか光の書!?」
またも食いついてくるアルファ。落ち着かせるべく、ルミナスは冷めた声で説明を加える。
「だから……『光継者に関する本』であって、光の書とは限らない。しかも弟も噂で聞いただけみたいだし」
ルミナスとしてはそんな不確かな情報は教えたくなかったが、アルファとエクルは頷き合う。
「でも可能性はあるよな。他に何にも当てがねぇし、とりあえずそこに行ってみるか!」
「うん!」
「……もしハズレでも僕を恨まないでよ?」
責任は持てないと逃げるルミナスに、
「わかってるって。そうだ、行ったらレオニスに会えるかもな」
とアルファ。
「でもルミナスは『レオン』って呼んでるんでしょ」
とエクルが続く。
「え? 何でそれを……」
彼らには、『弟がいる』ということくらいしか話した覚えがないが……
「カーラさんから聞いた」
「カーラに? ……なんか、変なこととか話してないよね……?」
ものすごく嫌な予感……
「いや、別に? でも――」
アルファが白々しく目を呉れてきた。
「『くーたん』には吹いた」
「……っ!?」
ルミナスは思わず呻いた。
『くーたん』とは――ルミナスが幼い頃、大事にしていた熊のぬいぐるみに付けた名前である。
アルファは『してやったり』という顔をし、エクルは斜め後ろを向いて肩を震わせている。
カーラ、なんでそんな話を……!
両親亡き後、カーラはルミナスたち兄弟の母代わりになろうと努めてくれた。ルミナスはもちろんその恩義は感じているが……今は恨もう。
カーラにこの二人を任せた自分が悪いのだが。アルファに弱みを握られてしまった気分だ。顔が火照り、なかなか収まらない。
そこにアルファが訊いてきた。
「『くーたん』のことは置いといて、そのプロッツ法術学院にはどう行きゃいいんだ?」
置いておくなら言うな、とルミナスは怒りを覚えつつ、そこは華麗に受け流し、質問にだけ答えた。
「この町には七つの門があるけど、このサーチスワード邸から北東方向にある門から出ればいい。そこから伸びる街道がプロッツの町に繋がってるから、そのまんま『プロッツ門』って呼ばれてる。学校は大きいし、町に着いたらたぶんすぐ探せるよ。でも……君たちだけだと何か心許ないんだけど……」
ルミナスはつい心配を口にした。
レオンに会えるなら、自分も一緒に行きたい……いや、無理だとわかっている。遠征を投げ出すのはさすがにまずい。
「あのなぁ、見送りくらい気持ち良くできないのかよ」
アルファは不服そうに眉をしかめたが、すぐ表情を緩くして言った。
「でも何だかんだ、お前には世話になったな。剣の修練何度も付き合ってくれたし。感謝してる」
エクルも微笑んだ。
「私もだよ。ありがとう、ルミナス」
「……どう、いたしまして……」
ルミナスも笑おうとしたが、顔が強張ってしまった。
まいった。この二人、口先だけでなく、本当に感謝しているのだ。追い出される二人を、何も助けてやらないルミナスに――
まったく……ほんと馬鹿だ。
「それじゃな、ルミナス。あ、挨拶できなかったけど、カーターさんたちによろしく。また来るけどな」
「私が光を使えるようになってからだけど。今度はきっと、目の前で剣の封印解くからね」
アルファとエクルはそう言い残し、
「じゃ、また会おうな」
「またね」
背を向けて去っていった。
――ごめん……
二人の後ろ姿を見守りながら、ルミナスは心の内で詫びた。
自分は彼らから、永遠に機会を奪ってしまったわけではない。彼らが本当に光継者ならば、彼らが言う通り、力に目覚めた時にもう一度ここを訪れればいいだけのことだ。
だが、もしその時が来たら――自分もネカルも、どんな顔をしたら良いか困るだろうが……
ルミナスの胸中は罪悪感で占められた。そして、もう一つ別の感情が、罪悪感の影に隠れながらもささやかに攻撃してきた。
それは、自分でも信じられないが――淋しさだった。
まぁ、『犬も三日飼えば情が移る』って言うし……
あの二人には失礼な譬えだが、ルミナスは自分に戸惑い、自分にそう言い訳した。
――彼らに呆れることは多々あった。けれど、嫌いではなかった。
遠ざかっていく二人の背中から、ルミナスはなかなか目を離せなかった。
そこへ。
ふと、不可思議な声が聴こえてきた。
「ルミナス様ぁ……あの女……誰ですの……?」
消え入りそうな、まるで呪詛のような女の声だった。
ルミナスは周りを見回したが、後方に塀の見張り番たちがいるだけで、女性の姿など見えない。
気味が悪い。まさか幽霊……いや、空耳か。
昨晩はあまり寝ていないし、疲れが出ているのだろう。ルミナスは気に留めないことにした。
いつの間にか、あの二人の姿は見えなくなってしまっていた。
こうしてはいられない。自分も行かなければ。
それから間を置かず、ルミナスは特別編成隊千騎を率いて、ティジュラ地方への遠征に出発した。
*
「あんのバカ領主ーーーっ!!」
突如として隣から湧き上がった叫び声に、アブレスは鼓膜を思い切り刺激された。
花畑の広がる、美しく穏やかな空間には不似合いな罵声だ。
「アルファ様とエクレシア様を追い出すなんて! 身の程知らずも度が過ぎる! 身長ばかりか器も小っさい!!」
声の主はガレナ。ガレナ、ミモザの三星臣もまたアブレスと同じく、光継者の様子を頭の中で見ることができる。今三人で、霊界から光継者たちを見守っていたところだが……
「これと言うのもルミナスの奴がはっきりしないからだっ。あー、腹立つっ!! 遠征なんか行ってる場合かぁこのボケナスがっ!!」
「ガレナ……落ち着いてよ……」
両手で抱えた頭をぶんぶん振り回すガレナと、それを横からなだめるミモザ。
気性の激しいガレナを、ミモザが冷静に、時に優しく諭すという構図はやはり昔のままで、アブレスは懐かしく思った。
だがアルファたちは今後……
「どうやって落ち着けってミモザ!? くーっ、アルファ様たち物わかり良過ぎ!!」
一向に鎮まらず喚くガレナに、ミモザは閉口し、それからアブレスへと顔を向けてきた。
「確かに、思わしくない状況ですよね……」
その通りだ。
アルファたちは、ネカルとルミナスの力をどうしても得なければならなかった。アブレスはアルファに、命暘の剣のことはいったん置いておけとは言ったが、助力を得ることに関しては妥協してはならないと、念を押しておくべきだった。
まさかこうなるとは……そこに頭が回らなかった自分の粗忽さに、アブレスは嫌気が差した。
アブレスとエステルは、魔族討伐の旅に出た最初から、育ての父、ルナリル国王カンバートの全面的な援助の下にあった。自分自身の王族としての立場も利用できた。
しかし、光継者たちには何もないのだ。
「……どうあれ、僕たちには、ただ見守ることしかできない……」
アブレスはミモザにそう答えた。自分自身に言い聞かせるように。
次話はほぼ書けていますが、なかなか話が進まないので何話か書き溜めてから更新することにします。




