第14話 王の血
(微修正しました。内容の変更はありません)
一瞬のことで、何がどうなったのかアルファにはよくわからなかった。
落ちる瞬間、アルファは咄嗟に残った床を掴もうとしたのだが、その前に膝を何かに打ちつけた。
底の浅い穴だったのかと思ったのも一瞬、落下は止まらなかった。頭を打ち、肩を打ち、背中を打ち、すごい勢いで転げ落ちた。
「……いってぇ……」
さんざん転げた後、アルファの体は横向きに倒れた状態でようやく停止した。周辺は暗くてよく見えない。空気はひんやりと冷たく、わずかにカビのような匂いがする。よろよろと体を起こすとあちこち痛んだが、手の甲や顔を少し擦り剥いた程度で、大きな怪我はないようだ。
「アルファ! 大丈夫……!?」
上のほうからエクルの声が聴こえ、淡い光が降ってきた。
「ああ、どうにか――」
返事をしながら見上げてみて、アルファは驚いた。床穴からエクルが顔を覗かせ、光玉で穴の中を照らしているが、床の下は階段になっていたのだ。
祭壇の下から地下へと、急角度の長い石段が続いている。両手を広げたほどの幅はあるが、両側が石壁になっており、地下の深さと暗さも相まって圧迫感が強い。
アルファは穴から落ちて、階段の一番下まで転がってしまったようだ。よく怪我をしなかったものだと自分で感心する。
ここでまた、例の声が話し掛けてきた。
「隠し階段から普通に下りてきてくれれば良かったんだが……老朽化が進んでいたようだな」
声は同情していたが、笑いを堪えているようにも聴こえた。こちらからは全く相手が見えないのに、向こうからはばっちり見えているようだ。
「ったく……罠かと思ったぞ……」
アルファはつい、どこの誰かもわからない相手に恨み言を吐いた。
エクルが階段を下りてくる。
「……アブレスの剣はこの中にあったのかな?」
エクルはたぶんアルファに言ったのだろうが、
「それは違う」
とあの声が答えた。
「あの剣は、騎士団が持ち去るまでは、先ほどの祭壇の横に安置されていた。今はもうないが、特別な台座を設けてな。この地下は大聖堂が建てられた際、魔族襲来時の避難所として造られたんだが、すぐにその存在を忘れ去られてしまった。ここには優に百年以上、人が足を踏み入れていない」
エクルが光玉を持って下りてくるにつれ、アルファは地下の様子がさらによく見えるようになった。が、階段を下りた先のほうを見ても、階段と同じ幅の狭い回廊が続いているだけで、しかもすぐ行き止まりになっている。避難所にしては狭過ぎるが――
「回廊を進んで、突き当たりの壁を押せ」
と再び声。
アルファはエクルの手から光玉を取り上げ、先立って回廊を歩いた。左手に光玉を持ったまま、行き止まりの壁に右手をついて押してみる。
壁がわずかに奥へと動いた。アルファは右腕にさらに力を込めて押した。
ずず、と音が鳴り、壁が左端を軸に扉のように開いた。
祭壇の下には地下への隠し階段があったが、この壁の向こうには――
広い部屋があった。
面積は上の階の三分の二くらいだが、これだけあれば避難所と言われて納得できる。
光玉で部屋の中を照らしながら、アルファは驚愕した。石の壁と床に囲まれているだけで何もない、だだ広い部屋の奥に、なんと鎧姿の人影が見えた。
鎧と言っても、動きやすさを考慮したような軽装で、上から白い外套を羽織っていることもあり、厳つい感じはない。だが、その全身は仄かに光っている。普通の人間ではない。
その姿を見、気配を感じるためには、アルファやエクルのように霊力の感度をそれなりに備えている必要がある。その者には肉体がない――つまり霊魂なのだ。
アルファは目を見開き、その場に立ち尽くした。
鎧の人物が幽霊だからではない。それは二十歳くらいと見られる青年であるが、顔が――アルファとそっくりだった。
アルファがあと数年したらこんな感じになるかもしれない、と思わせるような姿だ。年齢の他、アルファよりやや背が高く、やや髪の色が明るく、やや後ろ髪が長いという違いもあるが、本当によく似ている。
「アルファがもう一人……?」
アルファと共に部屋の手前に立っているエクルが、呆然とした表情でアルファと鎧姿の霊を見比べる。
「二人とも、本当によく来てくれた」
鎧姿の霊が、アルファとエクルに向かって嬉しそうに微笑んだ。
この声は――
やはり、さっきから聴こえていた謎の声の主はこの霊だ。ただし、今まで頭の中に響いていた声は、距離感と方向性を持って普通に耳に届くようになった。
アルファ似の幽霊は部屋の奥に立っていたが、その足が、床からわずかに浮き上がった。そして彼は、指一本分の高さだけ浮いた状態のままアルファたちに近づいてきた。空を、歩くのではなく、氷の上を滑るようにすーっと移動し、アルファたちの目の前まで来て、また床の上にそっと降り立った。
相手が霊とは言え――それに飛行の魔法だって存在するが、アルファもエクルも面食らった。だが、彼の次の言葉にはさらに驚かされた。
「初めまして。僕はアブレス。双星の片割れだ」
「アブレス王子……!?」
アルファとエクルは同時に叫んだ。
もっともアルファは彼を一目見た瞬間に、もしやそうではないかと思ったのだが。エステル王女がエクルそっくりだったこともあるし、この大聖堂には『アブレスの剣』があったのだから。
でも、自分そっくりの人間が目の前にいるのは、ものすごく変な感じだ。
「エステル王女に会った時も驚いたけど……アブレス王子とアルファもほんとに似てる……」
エクルが再び両者の顔を見比べる。
アルファもまじまじとアブレス王子を見た。……確かに自分たちは似ている。でも……
近くで見ると、アブレス王子が着ている銀色の鎧は、軽量ながらいかにも高貴な身分の者にあつらえられたような逸品だった。――幽霊が身につけている鎧なのでこの世の物質ではないのだろうが――アブレス王子にはその立派な鎧がよく似合い、ただそうして立っているだけで、王子の名に恥じぬ風格があった。相手が王子だと思うからそう見えるのかもしれないが。
アルファは変な敗北感を味わった。顔は似ているけれど、もし自分がアブレス王子と同じ格好をしたとしても、見劣りしてしまいそうな気がする。
アブレス王子は微笑を浮かべたまま、アルファたちに言った。
「僕は魔神ヴェルゼブルとの決戦で命を落として以来……ここでずっとお前たちがやって来るのを待っていた」
魔神との決戦以来ということは――
「待ってたって、ここで百二十年も……?」
アルファの問いに、アブレス王子は頷いた。
「そうだ。お前たちに話さなければならないことがあるからな」
「話――? あ、そうだっ、訊きたいことがあるんだ! オレはアブレス王子の光継者なんだろ!? なんであの剣が抜けねぇんだ……!?」
食いつくように質問をぶつけてから、アルファは急に気後れした。
王子であり世界を救った英雄でもあるアブレスに対して、この口の利き方はいかがなものか、と思ったのだ。エステル王女に会って光継者と宣告された時は余裕がなくて、こちらからはほとんど言葉を発しなかったのだが……
「その疑問の答えも、僕が話そうとしていたことの一つだ」
とアブレス王子。アルファの態度は不問らしい。よし、このまま大目に見てもらうことにしよう。申し訳ないが、自分そっくりの相手に敬語を使うのも何だか妙な感じだ。
「じゃあ、その答えって――?」
「まず、お前が僕の光継者であることは間違いない。エクレシアがエステルの光継者であることも。だが、何故あの剣を抜けないかと言うと――封印されているからだ」
「……封印?」
「百二十年前、魔神ヴェルゼブルを封印する時、エステルがあの剣にも封印を施したんだ。誰にも抜くことができないように」
「えっ?」
誰にも?
「だから決して抜けはしない。誰にも、僕の光継者であるお前にも」
「……それじゃ、『剣神アブレスの光継者のみが鞘から剣を抜ける』っていうのは――」
「そんな伝承は嘘だ」
アブレス王子の回答は身も蓋もなかった。
「誰にも抜くことができないから、あの剣に関わった者がそれらしい理由付けを勝手にして、それが伝わってしまっただけなんだ。伝承なんてものは、真実と虚構が入り混じっている。人の口というのはいい加減なものだからな」
……まさか、真相がそんなものだったとは。
「そのおかげでオレたち、偽光継者呼ばわりされるハメになったんだけど……」
何だかやり切れない思いが湧いてくる。
アブレス王子は苦笑いを浮かべて言った。
「知っている。僕はここにいても光継者の様子を見ることができるから。……しかし、剣が抜けなかった時のお前の慌てようときたら……見ていて気の毒だった」
同情しつつもからかっている節があり、アルファは少しムッとした。
「他人事だと思って……」
「いや、そんなことはないぞ。お前たちには何としても光継者としての使命を果たしてもらわなければならないからな」
急に真剣な表情になったアブレス王子に、
「でも、エステル王女はどうして剣に封印を?」
エクルが横から尋ねた。
「そうだ何でだ!? せっかくの最強の剣も意味ねぇし! どうにかならないのか!?」
「順を追って話すから、少し落ち着け」
再び詰め寄ったアルファを、静かに制してアブレス王子は言った。
「あの剣の力は、剣に認められた者にしか制御できないんだ。それ以外の誰かが鞘から剣を抜こうものなら、その瞬間から暴走してしまう」
「暴走……?」
「持ち手の意思に関係なく、剣が勝手に標的を見つけ斬り裂こうとする。周囲の――木でも岩でも建築物でも。滅茶苦茶に破壊してしまうんだ。人間だけは斬らずに避けてくれるが……剣はその破壊力の糧に持ち手の生命力を吸い尽くし、死に至らしめる。だからエステルは、所有者である僕の死後に剣が暴走するのを恐れ、封印したんだ」
「あれ……そんな物騒なモンだったのか……」
アルファはゾッとした。何も知らずに抜こうとしていた自分が恐ろしい。
「もちろんお前は大丈夫だ。お前ならあの剣を制御できるし、所有する資格もある。と言っても、封印を解くまでは使えないが」
解くまでは、と言うことは――
「じゃあ、解く方法があるんだな!?」
「もちろんだ。あれはエステルが霊輝光を使って封印した――だから、その光継者であるエクレシアの霊輝光で解くことができる。封印さえ解ければアルファも――いや、誰でもあの剣を抜けるようになる」
「そっそんな、私まだ霊輝光なんて使えない……!」
焦って弁明するエクルに、
「知っている。うろたえる必要はないだろう。責めてもないのに」
クスと笑うアブレス王子。
……あの剣さえ抜ければ霊輝光が使えなくても光継者と認められるはずが……結局、霊輝光が使えなければあの剣を抜くこともできないということか。
「ちなみにオレもまだ光使えねぇけど……オレの光じゃ封印解けないのか?」
「ああ。あくまでもエステルの光継者の光でないと」
「自然に解けたりしないのか? 魔神の封印は百年で解けたのに」
「魔神を封じたのは――邪気に溢れた魔神という『闇』を、属性の相反する聖なる『光』で無理に押さえつけてのこと。だから綻びが早いが、剣のほうはそうではない。何もせずに解けるのを待てば……下手をすればあと数百年掛かるかもしれないな」
「数百……」
封印よりアルファの寿命のほうが先に尽きる。それならさすがに、エクルの霊輝光習得のほうが早いだろうし、早くなければ困るが……
「つーか、伝承で言われてるみたいに、光継者にだけ剣が抜けるようにできなかったのか?」
「あの時エステルにそんな余裕はなかった。一方では魔神を封印しながらだったし、ただ剣を封印しただけでなく、その形も変えたからな」
「剣の形を、変えた――?」
「世界一の剣の割に地味な意匠だっただろう? しかしあれは本来の姿ではない。魔族に奪われないよう、光で視覚を欺いているんだ。それも、いつかエクレシアが封印を解くと同時に元の姿に戻るだろう」
「……なんか、ずいぶん厳重だな」
「それだけ危険で、それだけ大切なものなんだ」
アルファはあの剣のことを諦めきれず、いろいろ訊いてはみたが――
「結局、エクルが力に目覚めるまで、アブレスの剣はお預けってわけか……」
剣に対する期待が大きかった分、落胆も大きい。
「そうそう、『アブレスの剣』と言うのは通称で、本当の名は『命暘の剣』という」
「命暘の剣……?」
何だか硬そうな名前だ。
「剣に関連してもう少し話をしなければならないが、どこから語ればいいやら……」
アブレス王子は腕組みして少し考える素振りを見せた後、こう切り出した。
「この世に魔族を存在させたのは、ソーラレアの国王カストルだった。だが、ソーラレアにはその前に、別の王朝が存在していたことは知っているな?」
その質問に、アルファはエクルと顔を見合わせた。
カストル王は侵略してきたルナリルに復讐すべく、禁断の魔術によって異界から魔族たちを召還した。そのことはおそらく世界中の誰もが知っていることであり、とりわけソーラレア族にとっては重い枷ともなる歴史である。
けれど、カストルの前の王朝?
アブレスの剣――いや、命暘の剣との関連性がある話には思えない。エクルも怪訝な顔をしている。ともあれ、訊かれたことにアルファは答えた。
「ああ。カストルは一代限りだったけど、その前のリードレイト朝は何百年も続いたんだよな。二十六代目のアドアース王が死ぬまで」
ソーラレア王国は長らく、リードレイト家の統治下にあった。それが隣国ルナリルから侵略を受けるようになり、とうとう王都にまで攻め入られた。先陣を切って戦った勇敢なる国王アドアースはルナリル軍の手によって殺され、王家は滅んだ。
王を失った後も、ソーラレアの民たちは各地でルナリルの支配に抵抗を続けていたが、そんな中、地方の有力な豪族であったカストル=ベーシスが台頭してきた。彼は禁呪である黒魔術を使いこなし、私兵にもそれを広め、ルナリル軍に奪われていた王都エテリアルムを取り戻した。ソーラレアの民衆はカストルを救国の英雄と崇め、新たな王として担いだ。
しかし、ルナリルとの戦争はますます激化していき……やがてカストルは、魔神召還という取り返しのつかない愚を犯し、英雄どころか、歴史上最大の罪人とさえ呼ばれるようになってしまった。
アドアース王が死なずにソーラレアを守れていれば、カストルが王になることも、魔族を呼び出すこともなかったのだろうが――
「けど、何でそんな話を?」
アルファが問い返すと、アブレス王子は淋しげな表情でぽつりと言った。
「僕は、二十七代目になり損ねたんだ」
……え?
「僕の本名は、アブレス=アース=リードレイト=ソーラレア。リードレイト朝最後の王、アドアースの息子だ」
「な……っ」
アブレス王子の告白に、アルファとエクルは言葉を失ってしまった。
……確かにソーラレア族の間には、『双星はソーラレア族だった』という言い伝えもあったが――
「本当はソーラレアの王子だったってことか!? なんでルナリルの王子になったんだ!?」
「ルナリル国王カンバートに育てられたからだ」
「養子に――? でも、実の父親はルナリル軍に殺されたんだろ? カンバートはなんでアブレス王子を生かしたんだ?」
敵国の王子を養子として迎え入れ、自国の優位を示すため――? ならば歴史は最初から、アブレスをソーラレアの王子として伝えていたはずだが……もしかして、後にアブレス王子が世界を救ったからか? だからそれをルナリル王室の手柄にするために、ルナリルは双星のソーラレア族説を弾圧し、事実を隠蔽したのでは――
しかし、アブレス王子の返答は意外なものだった。
「そうだな……実際には養子だったが、カンバート王は僕を実子として扱ってくれた。僕の命を救うために」
「へ? なんで侵略した国の王子を……?」
「ソーラレアへの侵略を企てたのは、ルナリル国王から政権を奪ったレインズをはじめとする軍部で……王の願いではなかった。王は軍部の暴虐に心を痛めていたんだ」
「そうだったんだ……でも、だからって敵国の王子を育てるなんて、軍部が許してくれたの……?」
エクルが尋ねると、アブレス王子は首を振った。
「許すはずがないな。だが、その辺りを説明すると長くなるから割愛させてもらう」
「はぁ……」
うーん、謎だ。
「それより、僕が本来の身分を明かしたのは――あの命暘の剣が、ソーラレアの代々の王位継承者に受け継がれるものだったからだ」
「えっ?」
「あの剣の力を制御できるのは、剣に認められた者だけだと言ったな。剣は何を以ってその者を認めると思う? 血統だ。リードレイト家――本来のソーラレア王の血。王の血を引く者のみが、あの剣を操れる」
「ちょっと待て、じゃあ何でオレがあの剣を操れるって――」
アルファは訊きかけて、その質問の愚かさを悟った。
その答えは、きっと――
「アルファ=リライト。お前はソーラレア王家の血を引いているんだ」




