第4話 父と子
午前最後の授業は、居眠りしようもない体育だ。
やはり、アルファにとって今日の時間割はつらい。
なぜなら体育とは――村に魔物が襲ってきた時に備え、特訓する時間。体を鍛え、戦い方を学ぶ、修行の時間に他ならないからだ。
この日はまず、校庭を走ることから始まった。延々と走った後、木刀で素振りをする。
だが、走り終わってすぐに素振りを始められるのは、アルファと、エクルぐらいだ。あとの生徒は、顔を真っ赤にしてぜぇぜぇと肩で息をしたり、死にそうな顔で座り込んでいたりする。
エクルの修行の意義はアルファにとって疑問ではあるが、こうして体力がついているの見ると、少しは甲斐があるらしい。
呼吸を整える休憩も兼ね、素振りの時間がしばらく続いた後、体育の教官に男子だけが集められた。
いつも行われている実践だ。男子が全員で、木刀を手にアルファを取り囲む。アルファも油断なく木刀を構える。
「始め!」
教官の一声で、級友たち七人が木刀を掲げ、一斉にアルファに向かって来た。
アルファはこの時間、教官の言いつけで、利き手ではない左手一本しか使ってはいけないことになっている。
しかしそれでも、次々と自分に繰り出される木刀を、軽く受け止め、あるいはひらりとかわす。反撃することも禁じられていため、ひたすら攻撃を防ぐ。
まともに勝負すれば、アルファはこの七人くらい、あっと言う間に倒せてしまう。それではお互いに修行にならない、というわけで、アルファに不利な条件が付けられているのだ。
「ジーン! そこ左! ライアン! もっと脇を閉めろ! 誰でもいい、アルファに一撃入れてやれ!」
体育教官は、アルファの敵たちに熱い声援を送る。アルファ一人が集中的に狙われる。
それもそのはず、体育の担当教官は、他でもないアルファの父、アルーラなのだ。朝の修行に引き続き、ここでも父からしごかれる。
そこへ、
「すまんすまん、遅くなった」
大工のロイや農家のジェームズなど、村の男衆が五人ほど連れ立ってやって来た。彼らも修行に参加するのだ。それぞれ自分の仕事があるので毎回は無理だが、都合をつけて日替わりで来ることになっている。
四十、五十を過ぎたその男たちも、アルファを囲む輪に加わった。今度は十数人の男たちがアルファに木刀を振るってくる。相手の数が増えようと、アルファは左手でひたすらそれを防ぐだけだ。アルーラはその間、素振りを続ける女子たちの指導に向かった。
――村を守る力を、皆が身につける。
魔物の凶暴さを思えば遠大かもしれない目標だが、それがこの修行の趣旨だ。
確かに、修行によって少しづつ腕を上げていく者もいる。だが、それを取り仕切るアルーラは、アルファを鍛えることに最も重点を置いているように見える。
授業にかこつけ息子を鍛えるのは、ある意味職権乱用で、ある意味、贔屓でもある。が、友人たちもその親たちも、誰もそのことについて指摘しはしない。みんな平等に、アルファと同じ調子でしごかれてはたまらないのだろう。
それに、きっとみんなもわかってくれているのだ。アルーラがアルファを強く育てようとするのは、結局、その強さを以って村を守ってほしいと願っているからだと。
決して、父親としての自己満足のためではないだろう。アルファはそう思っている。
そして、アルーラからの厳しい指導に、息子であるアルファが耐える姿を見せることで、他のみんなは、少々きつい課題を与えられても不平が言えない。こうしてみんなが修行に打ち込み、強くなるならば、その分村は守られる――父の願うようになる。そのためならアルファは、いくらでもしごかれ、頑張ろうと思える。
アルファと男たちの稽古はしばらく続いたが、そのうちアルファを除く全員が疲れて動けなくなり、座り込んでしまった。
「今日もいい汗かいたなー」
と、満足げに額を拭う大工のロイ。
「その割には、ちっとも痩せとらんぞー?」
と、ロイの出っ張った腹を見ながらからかうのは、アルファや父の剣も造ってくれる鍛冶職人のジャック。
みんながどっと笑う。既に修行の時間が終了したかのように、一気にのんびりした空気になった。
「それにしても、アルファ君は本当に強いなー」
農夫のジェームズが、アルファのほうを向いてきた。
「サーチスワード騎士団にでも入ったらどうだい?」
「えっ?」
突然思いがけないことを言われ、アルファは絶句した。
「あー、確かに。アルファ君ならきっと大活躍さ」
と、ロイが同意する。からかわれたのを気にしているのか、無理に腹をへこめているのが妙に目に付く。
「そんなことないですよ。まだ父さんにも勝てないし」
アルファは苦笑いしながら答えた。謙遜ではなく事実だ。
村一番の剣士は、今なお父アルーラだ。
他者を大きく引き離して、二番手は自分だと自負しているが、田舎の小さな村で一二を争うとしても、サーチスワードの大騎士団で仕事が勤まるほどの腕なのかはわからない。
「親父に勝てないって、そりゃ、アルーラ先生が異常に強いからさ。それとまともに勝負できるお前も充分異常だ! サーチスワード騎士団だって、充分いけるって」
「お前なー、人の親子を異常異常言うなよ」
横から口を挟んできたジーンを、アルファはじろりと睨んでやった。
「そう言えば――」
今度は、ジャックが口を開いた。
「噂で聞いたが、そのサーチスワード騎士団に、若干十七歳で大部隊の隊長に就任したという、天才少年がいるらしい」
「へーっ、それホント?」
「すげー、オレらと歳変わんねーのに」
友人たちが感嘆の声を上げる。アルファも無言で驚いた。騎士団の階級などよく知らないが、かなりの位置のはずだ。自分と一つしか違わない少年がそんな地位を与えられたというのは、それこそ異常な出世ではないだろうか。
「アルファ君なら、その天才の最年少記録も破れるかもしれんな」
「まさか」
ジャックが付け加えた一言に、アルファはまた苦笑いするしかなかった。
「いーや、お前ならいけるかも」
「あ、でも、ちょっと待て。アルファが村からいなくなったら、誰が魔物と戦ってくれるんだよ?」
「ああっ、確かに。それは困る!」
「頼むアルファ! 行かないでくれ!」
友人たちが好き勝手言いながら、ふざけ半分に盛り上がる。だからアルファもふざけて返す。
「情けねぇこと言ってんじゃねーよ。何のために修行の時間があると思ってんだ? いっぺん森で魔物と戦って来い!」
「ひでーっ」
「死ねってことかよ~」
さらに情けない声を出す友人たち。
でも、アルファがサーチスワード騎士団に行くなど、そんな心配は無用だ。父がアルファを鍛えているのは、このソーラの村を守るため。もし、仮にアルファが騎士団に入りたいと言ったところで、父が許すはずがないのだ。
アルファ自身も村を守るつもりで修行しているし、故郷を離れてどこかに行きたいとは思わない。
……まあ、第二の王都と呼ばれる大都市を、一度見学ぐらいはしてみたいと思うけれども。
それはともかく、今は修行の時間。
アルファは校庭に父の姿を探した。自分の対戦相手たちが疲れて動けなくなった場合、一人用の課題を父から言い渡されるのだ。
見ると、少し離れた場所で、父はまだ女子たちに指導を続けているようだ。
女子たちが二人一組になり、互いに数歩の間を取って向かい合わせに立っており、その傍らにアルーラの姿がある。
女子たちは木刀を構えている。アルーラが号令すると、二人組みの一方が、もう一方目がけて木刀を振り下ろした。受け手は、さっと自分の木刀をかざし、攻め手の攻撃を防ぐ。
が、受け手のエクルは、攻め手のサラの木刀を顔面に食らってしまった。額を押さえて痛がるエクルに、サラが慌てて駆け寄る。
アルファはつい吹き出してしまった。サラの一撃は、別段速くも強くもなかったはずだが、エクルの反応が遅過ぎたのだ。エクルは、魔法の才能もないが、剣のほうもからっきしである。
「そんなに笑うなって。気づいたら怒られるぞ」
そう言ってきたトニーも笑いを堪えている。
「しょうがねーだろ。エクルがどんくさいから悪いん――」
「こらーっ!!」
答えるアルファの言葉を遮り、アルーラの怒声が響いてきた。
「アルファ! 誰が休憩していいと言った!? その怠慢が剣を鈍らせる!」
すごい勢いで駆けつけてきた父に、すごい勢いで怒鳴られる。
「別に休んでたわけじゃ……」
みんなで雑談のようになってしまったとは言え、アルファは座ってもいない。父の手が空くのを待っていたのだ。でも……
「みんなが動けるようになるまで懸垂だ! いいな!?」
父の命令は絶対だ。
アルファは黙って、校庭の端っこに植えられている大樹の枝に飛びついてぶら下がると、腕の曲げ伸ばしを始めた。
*
「こっちだトニー! こっちに球よこせ!」
「アルファっ。 頼むぞ!」
「おっし、任しとけー!」
昼下がりの校庭から元気の良い声が響いてくる。
アルーラは教会の前の小路を、村の出入り口のほうへと歩きながら、校庭に目を向けた。
息子アルファとその友人たち数人が球遊びに興じている。『旗当て』という、少年たちに人気のある遊びだ。二組に分かれて、一つの球を足で奪い合いながら、相手の陣地へと蹴り進める。そうして、敵の陣地の奥に掛かっている旗に球を蹴り込むことができれば点が入り、三点先取した組が勝ちだ。
午前中の授業が終わると、生徒たちは皆、昼食をとりに自宅へと帰るのだが、アルファたちは早々に食事を済ませ校庭に集い、この旗当てをするのが日課となっている。
歓声と悲鳴が同時に上がった。
早速アルファが、相手陣地の旗を揺らしたのだ。
「よっしゃー! まずは一発!」
悔しがる敵にかまわず、味方たちと大声ではしゃいでいるアルファ。その笑顔は、まるで小さな子供のように無邪気だ。
今に始まったことではないのだが、そんな楽しそうなアルファの姿を見るたびに、アルーラは胸が締め付けられそうになる。
きっと、父親である自分に常に圧迫されているアルファにとって、昼食から午後の授業が始まるまでのこのわずかな時間が、唯一の発散の場なのだろう。
そんな息子が不憫になるのだ。
アルーラはもう八年も、アルファに修行を課してきた。寝る時間、食事の時間、勉強の時間を除くほぼ全ての時間、しごき続けてきた。幼いアルファに、大人でも到底耐えられぬ苦行を与えてきた。
我が子にこんな仕打ちをする親があるだろうか……自分にとっても、苦悩の歳月だった。
アルーラ自身、物心もつかぬ頃より、その父親から拷問のごとき剣の修練を受けさせられていた。だからこそ、自分の子には、そんな苦しみは味わわせたくないと思っていたのだが――
いくら息子を哀れに思おうとも、修行をやめるわけにはいかなかった。
アルファには才能がある。アルファ自身はあまり自覚がないようだが、剣の素質は父である自分などよりもはるかに上だ。
アルファを鍛えないわけにはいかなかった。親心によって、アルファの力を埋もれさせてしまうようなことがあれば、おそらくそれは――逆らうことになるからだ。
アルファに才を与えた、天の意思に。
そう信念を持って、あえて鬼となりアルファに接してきた。
ありがたいことにアルファは、親の理不尽なしごきに、ひねくれるでもなく、ひたすら耐えてくれた。本当に感謝している。
アルーラは思う。アルファは、剣の腕が立つのはもちろん、勉強に時間を割けないわりに頭もいい。気さくで明るいし、口は少々悪いが優しい子だ。友人たちや弟たちからも好かれている。なんて良くできた息子だろうか。
これと言うのも、母親の育て方が良かったからに違いない。そうそう、母に似てくれてアルファは顔もいいし、それに――
アルーラは思わず苦笑いした。人が聞けば、親馬鹿だと笑うかもしれない。
そして、校庭を眺めながら止めていた足を、再び動かし始めた。村に異常がないか、特に、防護柵の周辺を見て回るのが、アルーラの昼食後の日課なのだ。
歩きながらアルーラは、またアルファのことを考えた。
ここ数ヶ月で新たに発生した問題に、アルーラは頭を悩ませている。
その問題とは。
既にアルーラの腕を超えつつあるアルファに、アルーラがこれまでのように師の役割を果たせるか、ということだ。
自分では、アルファの本来持つ力を引き出せないのではないだろうか。そのことが、もどかしくてならないのだ。
村唯一の出入り口へと続く小路を下っていきながら、アルーラは溜息をもらした。
「あとどれくらい、時間が残されているのか……」