第9話 月の精
光玉はランプや蝋燭の炎と違い熱を発しないため、火傷や火事の恐れもなく、便利で扱いやすい。
しかし、難点もある。明かりを必要としない時にも、消すことができないのだ。日中、太陽の光で充分明るい時間帯でも、人知れず発光している。玉に込められた照明の魔法の効力が切れるまで、ずっと光を放ち続けるのだ。
だから照明を落としたい場合には、光玉を何かで覆わなければならない。
エクルは子供部屋の箪笥の上に置いた光玉に、薄い布を被せた。すると、室内は仄暗くなった。布から淡い光が漏れ、微かに部屋を照らしている。子供たちは真っ暗では眠れないと言うのだ。
二つある小さな寝台に、幼い兄弟がそれぞれ横になった。
「お姉ちゃん、その椅子に座って」
弟のほうが、二つの寝台の真ん中に置かれた小さな丸椅子を指差した。
「ボクたちが寝るまでそこにいてほしいの」
きっと、この子たちの母親はいつもそうしてくれていたのだろう。
「うん。わかった」
エクルは微笑んで、子供たちの顔が見えるように椅子に腰掛けた。
「……ねぇお姉ちゃん」
今度は兄のほうが言った。
「ん?」
「お姉ちゃんはこんなに優しいのに、何であんな怖いお兄ちゃんと一緒にいるの?」
「え……アルファのこと?」
どうやら、アルファに怒られたのが相当こたえたみたいだ。
「あのお兄ちゃんはね、ほんとはすごく優しいんだよ。きつい言い方だったけど、あなたたちのことを想って言ったんだよ」
「……だって怖かったもん」
「うん、怖かった」
兄はそっぽを向いてしまい、弟は顔半分まで布団を被った。
「お兄ちゃんがあんなに怒ったのは――」
言いながら、エクルは迷った。アルファの知らないところで勝手に、しかもこんな幼い子供たちに、話してしまっていいのかと。
でも、アルファの本心を誤解されたままなのは嫌だった。
「……あのお兄ちゃんにはすぐ下に弟がいたんだけど……魔物に殺されてしまったの。弟と二人でいる時に、自分の目の前で……」
子供たちは言葉をなくし、顔をエクルに向けた。
「その時、ご両親も本当に悲しんだし……だから、自分たちと同じ思いをしてほしくないから、あんな言い方したんだよ」
アルファはいつも弟ベータに、自分が兄貴だからと偉ぶっていたけれど、同時にすごくかわいがっていた。アルファがエクルの前で亡き弟の話をすることは滅多にない。でもアルファは、今も弟のことで自分を責めているかもしれない。エクルにはそんな気がしてならなかった。
話を聞かされた子供たちはしばらく黙って、それから言った。
「……明日、あのお兄ちゃんに謝る……」
「あと、帰ったらお父さんにも……」
「うん……」
少し酷だったかもしれない。母を亡くした幼い兄弟たちに、お互いを失うことまで想像させてしまったかもしれない。けれど、アルファの気持ちは子供たちに届いたようだ。
やがて、子供たちは寝入った。その寝顔を見ていると、エクルは自然に涙がこぼれた。
幼くして親を亡くした子供たち。世界中に、魔族によってそんな境遇に置かれた子供たちがどんなにたくさんいることだろう。
エクルはそっと、子供たちの部屋を出た。
上着のポケットに入れた自分の光玉を握り、指で覆って光量を抑えながら取り出す。小さな明かりで廊下を進み、食事部屋を横切り、台所へと進んだ。この家には玄関とは反対側に別の出入り口がある。エクルはそこから外へ出た。
もう一度、町を見たいと思ったのだ。路地から大通りへと歩いていく。誰かに見つかってしまわないように、明かりを抑えたまま。こそこそするのもおかしいが、もし見つかったら止められてしまいそうな気がする。
この町の外壁は破壊されていて、魔物が侵入してくるかもしれない。壁があっても突破して襲ってくることがあるのだから、なければさらに危険だということくらいは当然わかっている。遠くまで行くつもりはない。
路地を少し進むと、すぐに大通りに出た。
エクルは改めて、魔族に襲撃された瓦礫の町を眺めた。
狭い部屋なら隅々まで照らせる光玉の光も、屋外では小さい。闇に包まれた廃墟の町は、日暮れ前よりさらに陰鬱さを増していた。
エクルは壁が破壊され崩れた家々の一軒近づき、光玉を掲げてみた。薄暗い光が、滅茶苦茶に荒らされた家の中を照らした。ぼろ切れのような衣類や食器の破片が床に散乱し、血らしき黒いものが飛び散っている。手足のもげた人形や、額縁の割れた肖像画も転がっていた。その家の住人たちを描いたものなのか、肖像画の家族たちは幸せそうに微笑んでいる。
この町の人々の、かつては平穏であったに違いない日々が偲ばれて、なおのこと痛ましかった。
どれほどの血と涙がこの町で流されたのか――
見ていられなくなり、エクルは光玉をポケットに押し込み、膝をついた。
暗闇の中、エクルは声を上げて泣いた。湧き上がってくる悲しみに、涙はとめどなくこぼれた。
こんな場面を見ると、つらくて苦しくて、逃げ出したくなる。胸が痛くて、なかったことにしてしまいたくなる。
光継者は、魔族に虐げられている人々を救うためにいるのに。
こんなことでは、光継者なんて失格だ。
エクルはひとしきり泣いて――指を組み、跪いて祈った。
神様――今の私は、本当に身も心も弱いです。でも……どうか、一日でも早く、私の中に備わっていると言う光の力を目覚めさせることができますように。
そして、一日でも早く、一人でも多くの人々を助けることができますように――
*
ルミナスは一人、光玉を手に路地を歩いていた。
先ほど窓から外を眺めていた時に、エクレシアが隣の家の裏口から外に出て、大通りの方向へと歩いていくのを見つけてしまい、後を追っているのだ。
エクレシアに声を掛けて止めれば良かったのに、何故か憚られた。そして、アルファや団員たちに話して騒ぎを大きくするほどのこともないように思えて、ルミナスはこっそりと部屋を抜け出した。
物音を立てなければ、離れた部屋にいるアルファには見つからないし、階段を降りて食事部屋を通ったが、マーシャルはソファーに横になり、馬車に積んであったらしい毛布を被ってぐっすり眠っていた。ルミナスが玄関から出ても、外の馬車のそばで番をしているカーターは違う方向を見ていて、気づかれなかった。
ルミナスは家の裏側へと回り込み、エクレシアの通った道を追った。
彼女が何を考えているのかわからない。一体、こんな廃墟の町で何をしようというのだろう。魔物が襲ってくる可能性もあるのに。
ルミナスは路地から大通りに出て――右手側に折れた少し先に、やっと見つけた。
破壊された家々を向いて、指を絡め、瞳を閉じ、膝をついて祈りを捧げているエクレシアを。
ルミナスの持つ光玉の明かりは、離れた彼女の位置までは届いていない。上空の月も半月に近く、地上に注ぐ光は乏しい。
それにも関わらず、ルミナスには彼女の姿がはっきりと見えた。
乏しいはずの月明かりが、彼女に集い、祝福するかのようにその姿を照らし出していたのだ。
ルミナスにはそう見えた。錯覚であろうと何であろうと、そう見えた。
エクレシアの金でも銀でもない髪が淡く輝き、端整な横顔を浮かび上がらせている。
彼女の姿にルミナスは目を奪われ、立ち尽くした。
美しい。
ルミナスは素直にそう思った。
月の光に照らされながら祈るエクレシアの姿は、まるでこの世の者ではないようで――もしも仮に月の精などというものが存在するとするならば、彼女こそまさにそれに違いない。そんなことまで思った。
一方で、自分はどうかしてしまったのかとも思う。通常は現実的な思考しか展開しない自分が、そんな御伽話めいたことを思い浮かべるとは。
しかしそれほどに、彼女は神聖で美しかった。
やがてエクレシアは目を開き、立ち上がった。空を見上げるその表情に、何か決意のようなものを宿して。
その瞳が、ふとルミナスを向いた。
呆然としていたルミナスは、エクレシアと目が合って我に返った。何か言わなければと思いながら何故だか焦ってしまい、言葉が出ないでいると、
「ルミナス!? いつからそこにっ!?」
エクレシアのほうが驚いて声を上げた。いたずらが見つかった子供のように慌てた顔。それは、可愛らしくはあっても、先ほどまでの神秘的な雰囲気は失われていた。
いつもの彼女だ。
ルミナスはどこか安心し、彼女に歩み寄りながら、
「たった今だけど。エクル、何祈ってたの?」
と、言ってしまってから自分に驚いた。
エクレシアと二人きりだと言うのに、礼を失した。いつの間にか、友人口調に慣れてしまっていたのだ。自分としたことが、アミットでの人質の一件に続いてまたしてもあるまじき失態である。
だが彼女は、
「神様と私の秘密」
と、気にする様子もなく笑った。
……もういいや。面倒だし。
ルミナスは自分も気にしないことにした。
そもそも、友人の振りを始めた時も、自分の中であまり抵抗や罪悪感がなかった。我ながら困ったことだが、彼女が光継者であることに疑問を抱き始めてから、敬意も薄れていってしまったのだろう。
失礼ついでに、ルミナスはこんなことも言ってみた。
「よく『神様』がいるなんて思えるね。世の中、こんなにヒサンだっていうのに」
「ルミナスは……いないと思ってるの……?」
エクルはものすごく悲しそうな顔をした。
神官の娘に対してとんでもない失言――どころか暴言だ。しかし、そうとわかっていながら、何故自分はこんなことを言っているのだろう。
「――まぁ……聖術や黒魔術、天使や悪魔の力を借りる術があるわけで……そういう類の存在を認識するなら、神も存在するって認めなきゃならないかもしれないけど――」
ルミナスの母スピカも、密かに神を尊んでいた。だがルミナスには、母の教えてくれる神というものがよくわからなかった。頭で理解できないのではないが、存在を実感することはできなかった。
そして母は無残に死んでいった。神は、信じる者さえ救ってはくれなかった――
ルミナスはそんな遠い過去を回想しながら、言葉を続けた。
「でも、もし『神様』がいるとしても、世界の現状を見る限り、人間を見捨てたとしか思えないっていうか……」
「そんなことないよ」
エクルはすぐに、神を否定するルミナスの言葉を否定した。だが、感情的にではなく、嫌な顔をするでもなく、柔らかく。
「神様は確かにいらっしゃるし、人間を愛してくださっていて……この悲しい世界から救おうとされてる。亡くなったお父さんがよく言ってたの。光継者は、魔族から人間を救うために神様が遣わされるんだって――」
そう言って彼女は微笑んだ。どうしてそんなに嬉しそうな顔をするのかというくらい、嬉しそうに。
彼女の言葉は、ルミナスにはやはり理解できなかった。けれど、彼女の笑顔は――あまりにも眩しく、輝いて見えた。
この時のことを、ルミナスはずっと後から振り返る。
祈りを捧げる彼女の姿に目を奪われたこの時から――心までも奪われていたのだと。
*
アルファが借りた部屋は、子供部屋らしかった。壁には犬のような馬のような謎の生物たちの落書きがあり、部屋の隅の箱には玩具が無造作に押し込まれ、寝台の横の小さな台の上には絵本が置かれていた。絵本の題名は『輝望の双星』。魔神を封印して世界を救った、アブレス王子とエステル王女の物語――アルファが子供の頃、大好きでよく読んでいたのと同じ本だった。
寝台は子の成長を見込んで用意されたもののようで、大人が横たわっても充分な大きさだったが、アルファは横にはならず、寝台に腰を下ろし、うなだれていた。
『こんな時代にはよくあることなんだよ』
『ああいう光景は行く先々で目の当たりにする……それに耐えられないなら、旅なんて続けられはしない』
悔しいが、ルミナスに何も言い返せなかった。
そしてアルファはまた廃墟の情景を、これまで戦った魔族たちの言葉と共に思い出した。
『人間を殺すのが魔族の存在意義だ……! 魔族は人間を滅ぼすために存在する!! そこに疑問を挟む余地なんかねぇんだよ……!!』
『人間いたぶってその悲鳴聴くのが、魔族にとっちゃ最高の娯楽だからよぉ』
アルファはかつて、魔族の命を奪うことを迷ったこともあった。魔族の非道さに憤ることもあるし、殺すのもやむなしと割り切ってがむしゃらに戦い、また自己の鍛錬のためにも積極的に挑んでいるが、ふとした瞬間に心が曇ることがある。できるなら戦わずに済めばと、今でも思う。
けれど、魔族による殺戮の悲劇を繰り返させたくはない。
双星の光継者の使命は、魔族から世界を救うこと。
だから――
必ず強くなってみせる。
旅立ってから、アルファは大切なことを忘れかけていた。このところ剣の修行に特に躍起になっていたが、それはルミナスに負けるのが悔しかったから、剣神の名に相応しい自分になりたかったからだ。
けれど、強くなることよりも、強くなって何を成すのかが問題なのだ。
どうしてそんな当たり前のことさえ見失っていたのだろう。アルファは元々負けず嫌いだが、その性格が強く出過ぎて、少しずれた方向に行ってしまったのかもしれない。剣に関しては父以外相手になる人間もなかったから、ルミナスの達人ぶりにはかなりの衝撃を受けし、そのルミナスがまた、ことあるごとに嫌味を吐いて刺激してくるから余計に――いや、人のせいじゃない。
「――よし!」
アルファは立ち上がり、今夜も剣の修練につき合わそうとルミナスの部屋に行った。だが、そこに彼はいなかった。
どこに行ったのだろう。二階の他の部屋も見たが、やはりいない。
一階に降りてみても、マーシャルがソファーで鼾をかいているだけだ。アルファは玄関の扉を開けて外を見た。
隣の子供たちの家の前に、騎士団の馬車が停まっている。馬から少し離れた所にカーターが腰を下ろし、毛布に包まり焚き木をして、暖を取りながら番をしている。
アルファはカーターに近づきながら尋ねた。
「ルミナスが家の中にいないみたいなんですけど、どこに行ったか知ってますか?」
カーターは驚いた顔で答えた。
「ルミナス様が? いえ、私は見ていませんが……」
「え? じゃああいつ、どこに……」
アルファが周辺を見回していると、カーターは少し間を置いて言った。
「ルミナス様のことですから、きっと心配無用ですよ。それに今日は、そっとしておいて差し上げたほうがいいかもしれません」
「え?」
そっとしておくほうがいい?
どういうことなのか、アルファには全く話が見えなかった。
「ご両親を亡くされた時のことを思い出されているのかもしれません……あの時、ルミナス様もちょうどあの兄弟くらいのお歳でしたし……」
確かに、ルミナスの両親は魔族によって死んだと聞いている。だがアルファは、ルミナスの心を気遣うよりも驚きと疑問が湧いた。
ルミナスは家族のことを話したがらなかった。両親が魔族に殺されたということは、アルファが無理に聞き出した。
だが、どうしてカーターは知っているのだろう。カーターがどの程度知っているのかはわからないが、ルミナスは、親切にしているエクルにさえ話したくないことを、見た限りそれほど親しそうではない団員には話しているというのか。
「カーターさん、その時のことご存知なんですか?」
アルファの質問に、カーターは怪訝な顔をした。
「ご存知って……そりゃ、サーチスワードの町の人間なら、誰でも知っていますよ」
「えっ?」
わからない。いくらルミナスが最年少で大隊長に就任した有名人だからって、そんな幼い時のことまで皆が知っているというのは――
アルファがその疑問を口にする前に。
「サーチスワードがどうかしたのか?」
ルミナスがやってきた。何故か、路地を大通りの方向から。
ルミナスが来た以上、彼の過去に関する話はもうできない。そもそも本人が話したくないことを他人から聞くのも野暮だろう。それより今一番の謎は。
「お前、一体どこ行ってたんだよ?」
「散歩」
さらりと答えるルミナス。
「なるほど、お散歩ですか」
上官の言葉だからかカーターはそのまま受け入れたが、アルファは納得しかねた。
「こんな廃墟で散歩って――」
と異を唱えかけて、気がついた。ルミナスの後ろに、何故かエクルがいることに。
「……お前ら何で一緒にいるんだ……?」
「私も町の様子を見に行ったから……途中でルミナスと会って」
とエクル。
「何か不都合でも?」
とルミナス。
不都合?
そんなものはない……はずだが、どうもすっきりしない。
エクルが何だか気まずそうな顔をしているのが、アルファは余計に引っ掛かった。
……何かあったのか? いや、何かって何だ……?
と、エクルは急に表情を和らげた。
「良かったぁ。アルファのことだから、『危ないからうろつくな!』とか言って怒ると思ったけど」
「……」
ああ、それでか……
「つーか、わかってるなら行くなよ!!」
アルファが怒鳴ると、エクルはへこんでしまった。
「やっぱり怒った……」
「期待に応えてやっただけだ」
「期待してないから!」
とエクルといつもの調子で応酬したところで、アルファははたと大事なことを思い出した。
「ルミナス! 剣の相手してもらうぞ!!」
この夜、アルファは今まで以上に気合を入れてルミナスに挑み、ルミナスから今まで以上に煙たがられた。
長かった前置き的な話が一応済んで、次でやっと目的地に着きますが、多忙のため更新はまた遅くなりそうです。




