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双星の光継者  作者: 明谷有記
第2章 サーチスワード編
31/65

第3話 青年の煩悶

「炎( く)使いよ とく来たれ 

 高く尊き主の権能 今、我と共にここに示さん」


 早朝、アミットの町の宿屋の裏庭にて、エクルは聖術に挑戦している。祈りの形に組んだ手に見えざる力が集い、赤い光が灯った。

 ――昨日ソーラの村から旅立ったわけだが、道すがら襲ってくる魔物たちをアルファやルミナスが退治するのを、エクルはただ見ているだけだった。そしていつもながら、アルファのかすり傷の一つも治してあげられなかった。

 自分は光継者のはずなのに、何もできないのがつらい。初めて来た町で慣れていないせいもあるだろうけれど、昨夜はよく眠れなかった。朝から落ち着かずに、聖術の練習を繰り返している。

 エクルも光の天使の霊輝光を使えるのだとエステル王女から言われたが、一度は光を操ったアルファでさえ今はできないという。そんなことでは、自分はいつになるかわからない。

 では今何ができるのか――結局、聖術の修練しか思いつかなかった。やはり、魔法が使えるに越したことはない。

 

「我らが力は烈火と成りて けがれしこの地を焼き清む――」

 

「『浄化の炎』!」

 

 エクルの手で揺れていた赤い光が、静かに消失した。

「……だめかぁ……」

 これは本来、巨大な炎を発する術である。失敗は失敗でも、最初のうちはまだ煙が出ていたが、練習を反復しているうちに疲労し、もうそれさえなくなってしまった。ただ息が切れるばかりで、望む結果は得られない。そもそも、今日は霊力を高めるところからうまくいかない。

 自分に魔法の才能がないことは嫌というほどわかっているけれども、やはり溜息が出てしまう。

「こんなに早くから聖術の修練ですか?」

 期せず後ろから声が掛かり、エクルは驚いて振り返った。

 そこには、金色の長い髪と青い瞳を持つ青年が微笑しながら立っていた。

「ルミナスさん……」

 エクルが呟くと、

「『ルミナス』、ですよ。エクレシア様」

また呼び方を訂正された。

 エクルには彼が不思議だった。彼は何故、エクルのことは光継者だと認めてくれているのだろう。

 もし理由があるのなら、エクルには一つしか思い浮かばない。ルミナスの夢に現れて光継者の所在を知らせてくれたという女性――おそらくはエステル王女――が、エクルとそっくりだったから。ただそれだけだ。

 ルミナスが見ていなかったとは言え、アルファは一度は光継者の所以ゆえんである聖なる光、霊輝光を使えたし、ルミナスにはかなわないとは言え、かなりの剣の腕を持つ。

 そんなアルファより、エクルのほうがよほど光継者らしくない。

 なのに、エクレシア()なんて呼ばれると、ますます畏縮いしゅくしてしまうのだけど……

 エクルははっとした。こんなことじゃだめだ。

 もし、他の知らない誰かが光継者だったとしたら、自分もその人のことを敬意を表して様付けで呼ぶだろう。

 そう呼ばれて圧力を感じてしまうのは、自分に光継者としての自覚が足りないからなのかもしれない。

 もっと気をしっかり持たないと……!

 と、こぶしを握るエクルを、不思議そうな顔でルミナスが見てきた。

 

 *

 

 アミットの宿の一室で、アルファは目を覚ました。

 時間はわからないが、やけに明るい。日頃は修行もあり、暗いうちから起床するのが習慣になっていたが、どうやら朝寝坊してしまったらしい。

 昨晩はルミナスとの手合わせの後、夜更けまで霊技の修練をしてひどく疲れたのだ。よく眠ったが、どうも疲労感が抜けきらなかった。日中は歩き通しになるし魔物とも戦わなければならないし、修行に身を入れるのもほどほどにしないと危ないかもしれない。

 早く腕を上げたいのに、体に限界があることがもどかしい。

 とにかく、朝起きたら食堂に集合することになっている。アルファは身支度をして向かった。

 食堂の中に入ると、既にけっこう席が埋まっていた。宿泊客たちが朝食をとりながら談笑している。

 エクルとルミナスはもう来ているのだろうか。

 アルファが入り口付近からきょろきょろ見渡していると、

「ねぇねぇ、あの窓辺の席の人、超カッコいいと思わない?」

「きゃっ、ほんと!」

近くの席に座る若い女たちの会話が聴こえてきた。

「一緒にいるかわいいはやっぱりカノジョかしら?」

「うらやまし~」

 女たちの視線を追って窓際を見ると――そこにはアルファの探し人たちの姿があった。

 エクルとルミナスが窓辺の席で茶を飲んでいる。

「――この町は昔から陶芸が盛んだったのです。今から約三百年前、大陶芸家として有名なアミック=ポットを輩出し、それで彼にちなんで町の名前を『アミット』と改名したんですよ」

「へーっ、ルミナスって物知りだね。すごいなぁ」

「いやー、それほどでも」

 楽しそうに会話しているエクルとルミナス。アルファはこめかみと口の端が引きつった。

 お前ら、一体いつの間に打ち解けたんだ。

「さて、そろそろ朝食を注文しましょうか」

「えっ、でもアルファがまだだから……」

「いいですよ、あんなの放っとけば」

「おいっ!」

 アルファは二人に歩み寄り、卓をバンと強く叩いた。

「こらルミナス! 『あんなの』って何だよ!?」

 ルミナスは鬱陶しいと言わんばかりの顔をする。

「残念。もーちょい寝ててくれたらこの町に置いてったのに」

「あのなぁっ! いい加減信じろよっ!! オレは本物の光継――」

「あーうるさい。朝っぱらから騒がないでくれる?」

 ルミナスは全く取り合わない。

「ちょっと、二人とも~」

 エクルはアルファとルミナスを交互に見ながらオロオロしている。

「何があったのかしら……?」

「三角関係のもつれとか?」

 周りから意味不明な発言が聴こえてきた気もするが、アルファはあまりにもルミナスに腹が立って他のことは気に留められなかった。

 

 *

 

「さすが焼物の町だな。どーりで皿とか壷ばっか売ってるわけだ」

 アミットの町の商店街を歩きながら、アルファが感嘆する。

「あ! 見てアルファ、あの壷すっごく大きい!」

「おおっ! 中にシロンが入れそうだな」

 アルファとエクレシアの二人は、何か少しでも珍しいものを見つけると、いちいち関心を示した。ルミナスは内心、早く次の町に向かいたかったが、旅慣れていない彼らの気持ちもわからないではないし、彼らも長く足を止めたりはしなかったので注意はしなかった。

 三人は今、町の南側に向かって歩いている。南門から町をち、さらに南下して次のマージの町を目指すのだ。マージの町で、サーチスワード騎士団の馬車と正午に待ち合わせしているが、ここからはそう遠くもないし充分間に合うだろう。

 歩きながら、ルミナスはふと思った。

 自分は何を意地になっているのだろうか、と。自分で自分を不思議に思う。

 ――数日前、ルミナスはスプライガ騎士団を率いてガフトンの町の救援に向かう途中で、町の方角からとてつもない霊力を感じていた。

 ルミナス自身は直接見ていないゆえ、それが光の天使の力を借りたアルファのものであるとは断定しきれないが、アルファが光を放って魔族を消滅させたのを見た目撃者は多数おり、ほぼ確実だろう。

 剣術はルミナスのほうがまさっているが、アルファの才能が非凡であることは間違いない。

 ――ルミナスは、十五歳で正式にサーチスワード騎士団に入団する前から見習いとして訓練を受け、魔物の群れ退治にも随行してきた。これまでに何百何千という魔物、魔族と戦い、倒してきた。

 ルミナスとアルファの力の差は、その経験の差でもあるが、アルファはルミナスと剣を交えるごとに、身のこなしを向上させていく。短い一戦一戦の中で、驚嘆すべき成長を見せるのだ。

 アルファが本当に光継者である可能性は、かなり高い。確率にして九割五分以上と見てよいだろう。

 しかし、一方ではそう思いながら自分は何故、こんなにもかたくなにアルファを認めようとしないのか。

 ――例え、本物かどうか疑わしいとしても、おだてて機嫌を取っておいたほうが扱いやすい。偽者ならば、そうと確定した時点で切り捨ててしまえばいいだけだ。そのほうがずっと簡単なはずだが、何故自分は、あえて話を複雑にしてしまっているのだろう。

 ルミナスは何かにつけて年下の少年をからかい、手玉に取っているつもりが、実は、自分のほうもアルファに調子を狂わされている。

「なぁ、サーチスワードってどんなトコだ?」

 引き続き町の通りを歩きながら、アルファが訊いてきた。今いる町の情景に感心しつつ、さらなる目的地のことも気になるらしい。

 ルミナスはその質問を適当にあしらうことにした。

「ま、行けばわかるさ」

「……領主ってどんな人なんだ?」

「会えばわかる」

「お前、こっちが田舎者だと思ってバカにしてるだろ」

 アルファは不満そうにルミナスを凝視してくる。しかし、朝から宿で怒りを爆発させて疲れたのか、むきにはならない。あるいはルミナスからの冷遇に慣れたのかもしれない。りずにまた訊いてくる。

「――そういや、お前はどこの出身なんだ?」

 サーチスワード騎士団には、生活の糧を得るため、あるいは立身出世を夢見て、各地から入団希望者が集まる。だがルミナスの場合は。

「僕は生まれも育ちもサーチスワードさ」

「そうなのか? だったら町のことかなり詳しいだろーに」

「……サーチスワードは、人口も経済も王都リュネットに次ぐ規模を誇り、王宮騎士団に次ぐ大騎士団を抱え、ルナリル王国第二の王都と呼ばれる大都市――ってとこかな」

 ルミナスはわざとらしく、誰でも知っていそうなことを説明した。

「やっぱバカにしてんな……大都市が何だよ」

 アルファはげんなりした顔をし、それから思い出したように言った。

「あ、でも、サーチスワードって昔、魔族の襲撃受けたことあったんじゃねぇか? 確かオレが八歳の時だったから――八年前か」

 ルミナスはどきりとした。

 それは、ルミナスが最も避けたかった話題であり、最も思い出したくない傷であるのだ。

 そんなことは露知らず、エクレシアがアルファに続いた。

「そう言えばそうだね。小さかったからあんまり覚えてないけど……騎士団も大きな被害を受けて、当時の領主様も亡くなったって……その噂が流れてきた時、ソーラの村でも大騒ぎになったっけ」

 当時、ルミナスもまだ幼かったが――鮮烈に覚えている。彼らと違い、ルミナスは当事者だったからだ。生まれた町を襲った悲劇を目の当たりにした。

 ……アルファたちがサーチスワードの事情にうといのは、当時の年齢のせいだけでなく、地理的な問題もあるだろう。

 アルファたちの故郷ソーラもサーチスワードの町も、同じ『サーチスワード地方』に属し、大きくはサーチスワード領主の管轄下にある。だが、ソーラはサーチスワードの町からは遠く、街道からも大きく外れた田舎であるし、詳細な情報は伝わりにくかろう。

「あれは本当に、サーチスワード最大の惨事でした」

 ルミナスは内心の動揺をひた隠しにしながら、エクレシアに答えた。

「ですが、騎士団の活躍で一般人にはそれほどの被害は出ませんでしたから」

 最も触れたくない話題であるが、ルミナスは自らある程度の情報を語ることで、彼らにそれ以上質問をさせないという選択を取った。そしてすかさず、

「そう言えばアルファ、領主がどんな人かって質問だけど――」

話を変えてしまう。

「現領主のネカル様は少々気難しいところがあってね。機嫌を損ねないように気をつけたほうがいい。ま、君が本物の光継者だったら歓迎してくださるだろうけど」

「だから本物だって言ってんだろがー!!」

 アルファは朝の怒りを再燃させて大声でわめいた。

 ルミナスの期待通りの反応だ。これでもう、サーチスワードが魔族に襲撃された件は吹き飛ぶだろう。それに……本当にからかい甲斐がある。

 ルミナスの態度は、アルファが本物の光継者であるなら失礼極まりないのだが、何故か改める気にはなれなかった。

「もし――君が本当に、剣神アブレスの光継者なら――」

ルミナスはアルファについ余計なことを言いかけて、止めた。

「やっぱ何でもない」

「なっ、何だよ? 気になるだろ」

 アルファは尋ねてくるが、今は教える気がしない。どうせ、サーチスワードに着いたらわかることだ。

 ルミナスは先を歩きながら、我知らず息を吐いた。

 アルファが本当に剣神ならば――

 アルファに渡すことになるのだ。サーチスワードの町が百二十年守り通した聖剣、『アブレスの剣』を。

「おいコラ! 最後まで言えよ」

 アルファは気になって仕方がないらしい。

 ――どの道、領主に会えばわかる。剣のことばかりでなく、きっと、ルミナスが隠していることは全て。

 いずればれることだが、それでも今は話す気になれない。

 ここは話を逸らしておこう。ルミナスは行く手の道沿いに建っているものを指差した。

「エクレシア様、これが、この町出身の大陶芸家アミック=ポットの銅像です」

「へー、そうなんだ」

「おいルミナス、ごまかすな――ん?」

 アルファがじっと銅像の顔を見つめた。

「どっかで見た顔だと思ったら、大工のロイさんだ……!」

「あっ! ほんとだっ」

 ……どうやら故郷の村人に似ているらしい。

「この像に髭描いたら同じ顔になるなー。おいエクル、どっかから絵の具もらって来い!」

「だめだよアルファ! そんなことしたら怒られちゃうよ」

 銅像の前で騒いだかと思ったら、アルファは道の先に武器屋を発見し、まっしぐらに走っていった。

「おー! こんなのもあるのかー」

 あれやこれや店先の武器を手にし、目を輝かせる。

「おおっ、この剣かっけー」

 まるで子供だ。世界を救う光継者――には見えない。ルミナスは呆れてしまった。

 ……アルファは黙っていれば、なかなか整った、凛々しい顔立ちをしている。

 全体的な印象は父親であるアルーラに似ており、堂々とした雰囲気を持つ。見るからに逞しくがっちりしたアルーラほどではないが、ほどほどの体格に恵まれ、合わせて、母親であるファミリアの繊細な美も受け継いでいる。アルファを盛装させて、あくまでも黙らせておけば、どこかの貴族の子息と紹介しても疑う者はあるまい。

 だが、あの性格のせいもあってか、いかんせん幼く見える。

「もー、アルファったら……」

 エクレシアが文句を言いながら、アルファを追いかけて武器屋へと歩いていく。ルミナスは仕方なくその後をついていった。

 はしゃいでいるアルファの様子を後ろから見ながら微笑むエクレシア。その視線がふと、武器店の隣の店へと移った。

 衣類の店のようだ。エクレシアは店の前面に掛けられている服をじっと眺めている。ふんわりした長いスカートと上衣とが一(つな)ぎになっており、白地に水色の縁取りがなされた可愛らしいしなである。

「きっとエクレシア様にお似合いになりますよ。ご試着してみては?」

 ルミナスが言うと、エクレシアは頬を赤らめて、ぶんぶんと思い切り首を振った。

「いいの……! 旅にはそんな服向かないし……!」

 そして、

「いい剣あった?」

何事もなかったかのようにアルファの所に行った。

 ……普通の女の子だな……

 それが、ルミナスが彼女に抱く正直な印象だ。光継者――にはやはり見えない。

 膨大な人口を抱えるサーチスワードの町でさえ、エクレシアほど美しい娘には滅多にお目に掛かれない。そして彼女は、聖職者の家系に生まれた故なのかどうか――あまりに清純な雰囲気をまとっているため、ある種の近づきがたさがある。

 が、それも黙っていればだ。多少ドジなところは、玉にきずでもあるが愛嬌があって親しみやすくもある。ルミナスに対しては、出会いが特殊だったこともあり最初は警戒していたが、すっかり硬さがとれた。元来は人(なつ)こい性格らしく、気立ても良い。アルファとのやり取りは、どうにも幼いが。

 アルファとエクレシアは――何と言おうか。強いて言うなれば、ルミナスにとって手の掛かる弟、妹のような感じかもしれない。

 ルミナスの実弟は、アルファたちと違って全く非の打ち所がないけれども。

 ……レオン、今頃どうしてるかな……

 弟のことが思い出されて、ルミナスは急に淋しさに襲われた。両親亡き後、寄り添って生きてきた弟だが、今は離れて暮らしている。

 今度会えるのはいつのことか――

 しかし、弟への思慕に浸る時間は長くは与えられず、すぐに思考の切替えを迫られることとなった。

 アミットの町に突如響いた、甲高い悲鳴によって。

 ルミナスは直感した。魔族に違いない。

「魔族か……!?」

 武器屋の品を見ていたアルファとエクレシアも顔を上げた。アルファが悲鳴の聴こえてきた南側へと駆けていき、エクレシアがそれに続く。

 ルミナスとしては、エクレシアの安全を確保することが最優先であるが、魔族を放っておくわけにもいかない。とりあえず現場に向かうことにし、エクレシアのすぐ横を走る。

 敵の数や状況によってはアルファの手を借りることになるし、かと言ってエクレシア一人でこの場に残すのも、何か起こるかもしれないと懸念がある。

 彼女を近くで守りつつ、状況を見ながら魔族を退治するしかない。

 狭い道を、反対側へと逃げる人々とぶつかりそうになりながら走る。

 そのうち、ルミナスは邪気を感じ取った。

 邪気は動かず、一つの所に留まっている。数は四体。強さは――せいぜい下の上といったところだろう。だが、魔法や霊技を使う魔族ならば、邪気が格段に上昇する場合もある。油断は禁物だ。

 進むうちに、急に道幅が倍以上になった。北側は昔ながらの古い町並みが残っているが、南側は後から町を拡張させて造られたのだ。道の石畳も、両脇に並ぶ建物も北のそれに比べて新しいが――

 今は町の景観などどうでもいい。広い道の先に異常な光景を見つけた。

 四体の魔族と、その前に群がっている大勢の人々。

 熊の顔をした魔族たちは、背はルミナスの一・五倍はあり、横幅は三倍ほどにもなる。その巨体にそれぞれ皮鎧をまとい、手には各々、棍棒や槍などを握っている。

 この体躯ならば、おそらくこの町の丸太の防護柵を破壊して侵入するのも、そう難しくはなかっただろう。

 魔族たちは向かって北側、つまりこちら側を向いているが、目の前の人間たちに気を取られて、接近つつあるルミナスたちにまだ気づいていない。

 ルミナスは走りながらも現況を把握しようと努めた。

 人間は、ざっと見て老若男女が全部で二十人ほど。何人かが石畳の上に倒れており、何人かがそれに必死に呼び掛け、残りの人々は、魔族たちを見上げながら震えている。

「さぁて、お次は誰にしようかな」

 四体の魔族のうち、大きな棍棒を持った一番手前の者が人間たちを見回す。圧倒的優位から獲物を追い詰め、もてあそぶ目だ。人々の口から恐怖のうめき声が洩れる。

 人の群れの中から一人の少女が突然、魔族たちに背を向けて駆け出した。おそらくは恐怖に耐えかねての逃走。

 しかし。

「バーカ。逃げようとする奴は真っ先に狙うって言っただろーが」

 魔族は棍棒を振り上げた。棍棒の長さは少女の腕ほどだが、殴打部の太さは少女の胴回りほどもある。

「危ねぇ……!」

 駆けながらアルファが剣を抜こうとする。魔族を斬り、少女を助けるために。

 だが、

「君はエクレシア様と目立たないように」

ルミナスはアルファを追い越した。

 目の前で、魔族の棍棒が逃げる少女の背に振り下ろされる。

 ルミナスは少女に手を伸ばし――間一髪、少女を抱え棍棒をかわした。棍棒のくうを斬る音が響く。

 ルミナスは難なく着地し、少女を地面に降ろして念のため尋ねた。

「お怪我は?」

 十四、五歳のその少女は、呆然と座り込んだまま首を振る。怪我などしていないのはルミナス予想通りだが、ここは騎士らしく、

「良かった」

と微笑んでおく。

 少女を救うだけならば、魔族を斬ったほうが早くて確実だった。しかし敵は複数いる。もし一体を殺せば、残りの魔族たちが周囲にいる人間たちに危害を加える可能性が高かった。だからルミナスは魔族たちへの刺激を最小限に抑えるために、少女を助けながらもあえて敵を傷つけなかったのだ。

 それでもやはり、魔族の怒りを買うのは必至だった。初めは少女と同様に呆然としていた魔族たちが、目をいてルミナスに罵声を飛ばしてきた。

「何だテメェは? イキナリ出てきやがって!」

「よくも邪魔を……!!」

「オレらに逆らうとはいい度胸だなぁ……!!」

 だがそれはルミナスの中に恐れも焦りも生まず、単にやかましいだけである。

 魔族よりももっと気に掛かるものがある。ルミナスは魔族たちを警戒しつつ、さりげなく後方の様子をうかがった。

「大丈夫ですか……!?」

 石畳に倒れている中の一人の男に、エクレシアが駆け寄った。男は頭から少量出血し、呻いている。

 エクレシアが祈りの形に指を組む。どうやらまた癒しの聖術を使うつもりらしいが――

「やめろバカ!」

間髪入れず、アルファが怒鳴って止めた。

「だって……! 目の前に苦しんでる人がいるのに……!」

「効かなきゃ意味ねぇだろが!!」

 大声で言い争う二人。怪我人も、周りの人々も呆気にとられている。……目立つなと言ったのに。

 ルミナスが治してやればいいのだが、ルミナスは霊力の総量が少ないため、むやみに法術を使うわけにはいかない。怪我を治すことよりも、まず魔族を倒して被害者を増やさないことが先決である。怪我人たちが致命傷を負っているのならば、そうも言っていられないのだが――

 ルミナスは妙なことに気づいた。倒れているのは全部で四人。ルミナスたちがここに駆けつける前に、魔族の棍棒を受けたと見られるが、全員生きている。そして皆、苦しそうではあるが、意識があり、多少は体を動かせる状態である。

 あの魔族の巨体と巨大な棍棒が繰り出す力ならば、並みの人間ごとき一撃で絶命させることができるはずだが――つまりは、襲ったが殺す気はなかったようだ。

 何のために――?

 ルミナスが疑問に思っていると、そこへ、

「怪我人たちはここですか……!?」

白い制服を着た初老の男が駆けつけてきた。

「あ、施療師さんだ!」

「こっちです、よろしくお願いします!」

男は負傷者に治癒の法術を施し始めた。どうやら騒ぎを聞きつけ、施療院からせ参じたようだ。

 エクレシアが安堵の表情を見せたので、ルミナスもとりあえずホッとした。彼女は怪我人たちが苦しんだままでは、アルファが止めようと無理にでも聖術で彼らを治そうとしたかもしれない。そして魔族たちから余計な注目を浴びたことだろうが、それは回避された。

 棍棒を持った魔族が、後ろを振り返った。

「邪魔が入りましたね、おかしら。どうします?」

 お頭と呼ばれた、巨体の群れの中でも特に大きな体をした魔族が、下卑げびた笑いを浮かべた。

「今日は()()以外はいたぶるだけで勘弁してやるつもりだったけどよぉ、邪魔する奴ぁ死刑だなぁ」

 品性、知性の欠片かけらも感じられない敵をある意味哀れに思いつつ、ルミナスは尋ねた。

「『標的』とは何のことだ?」

 その単語が、ルミナスには妙に引っ掛かった。魔族らを退治するのは、それを聞き出してからでも遅くない。

「知りてぇか? 気になるかぁ?」

 ニタニタ笑う『お頭』。本当に頭が悪そうだ。若干の苛立ちを感じながらも、ルミナスはそれを顔には出さずに素直に頷く。

「知りたい」

「仕方ねぇなぁ。教えてやるか。これがいわゆる、冥土の土産ってやつだなぁ。感謝しろよぉ? オレらの標的ってのはぁ――」

 さんざん勿体もったいった後、かしらは断言した。

「ズバリ、光継者だぁ!!」


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