第26話 ソーラレア族
余分な情報は書いていないつもりです。
伏線かもしれないと思ってください。
その晩、無事に村に帰ってきたお祝いにと、アルファの家にグレースとエクル母娘を招いて、みんなで食事をすることになった。
料理好きの母ファミリアが、腕によりを掛けて作った料理の数々が円卓を埋め尽くしている。
その中の一つ、魚の香草蒸しを指差しながら弟たちが言う。
「見て見てグレース様、あの大きいの、僕が釣ったんだよ」
「違うって! それはオレが釣ったやつだぞ」
「まあまあ。二人とも、釣りができるなんてすごいですね」
揉めるエプとデルタに、おっとりと言うグレース。
「シロンも釣りできるよー」
「何言ってんのデルタ兄! 絶対僕のだって!」
「違う! エプのはその隣のだ! グレース様も何とか言ってっ」
「……お前たち、『五十歩百歩』って言葉知ってるか?」
ガンマが呆れた顔で言えば、
「わぁ、ガンマ、難しい言葉知ってるね!」
エクルがにっこり笑って褒める。
「そ、そんなことないよ、エクルお姉ちゃん」
照れるガンマに、とにかく会話に加わりたい、注目されたいシロン。
「シロンもわかるー! 『どんぐりの背比べ』とも言うよね?」
「そうそう! シロンも物知りだねー」
「えへへ」
――ガンマ以後立て続けに生まれた子供たちの世話は、両親だけではなかなか難しかった。アルファももちろん弟たちの面倒を見たが、グレースとエクルが一生懸命手伝ってくれた。そのこともあってか、弟たちはこの母娘のことをとても慕っている。
エクルの家系には、父アルーラも子供の頃からずいぶん世話になったという。
父の両親、つまりアルファの祖父母は、早くに亡くなった。
祖母は父が十歳そこそこの時に病に倒れ、祖父も、それから一年と経たぬ内に、遠くの町に使いに出た際、道の途中で魔物に襲われている行商人たちを助け、自分は命を落としたのだそうだ。
だから、エクルの祖父母が父の親代わりになって育ててくれて、結婚の世話もしてくれ、アルファが生まれた時も、自分の孫のようにかわいがってくれたという。
残念なことに、アルファが物心つく頃にはもう、二人共他界してしまっていたが。アルファのリライト家は、エクルのオルウェイス家に支えられてきたと言って過言ではないだろう。
――それはともかく、アルファの家に居座ることになったルミナスはと言うと、騒がしい弟たちを気にも留めず、ひたすらファミリアの料理に感心していた。
「うーん、おいしい。これは食が進みますね。あ、こっちは何ですか?」
時折、様子を伺うようにエクルのほうを見る時があるが、珍しい料理が多くて気になるらしい。
「それは、微塵切りにした豚肉を、砕いた木の実と一緒に生地で包んで油で揚げたものです」
「それはまた手が込んでますね。――うん、香ばしくておいしい! 食感もいろいろ楽しめますし」
褒めながら、次の料理に手を伸ばす。羊肉をいろんな野菜や薬草と一緒に煮込んだもの。それを一口食べると、ルミナスの顔から表情が消えた。
「……これ――何て料理です?」
ソーラレア特有の調味料で味付けしてあるから、口に合わなかったのだろうか。
「……『エーム煮』って言うんですけど……」
少々心配そうにファミリアが答えると、
「そうですか」
ルミナスは微笑を浮かべた。
「とても優しい味ですね」
そしてまたエーム煮を口に運ぶ。合わなかったのではなく、特に気に入ったということらしい。早い調子で平らげ、おかわりまでもらった。
食事の間、父はほとんど口を開かなかったが、愛する妻の料理が称賛され満足そうであった。
料理の数々を大方食べ終わるかという時、母が台所からまた何かを運んできた。
「ほら、エクルの好きな林檎のタルトよ」
「わーっ! やったぁ、ファミリア先生ありがとうございますっ」
エクルが目を輝かせた。アルファの幼い弟たち以上に喜んでいる。
母は昔から、菓子をたくさん作ってはエクルの家にも分けてきたのだが、たぶん、こんなに喜ばれたらまた作ってやりたくなるのだろう。
「いただきまーす!」
おいしそうに菓子を頬張るエクルに、アルファは思わず言った。
「お前そんなに太りたいのか」
「ほ、ほんらほと――」
エクルは咽せながら何か言っているが意味不明だ。
「もう、アルファったらまたそんなイジワルなこと言って」
ファミリアがエクルの背中を叩いてやりながらアルファを窘める。
「明日の朝食、干葡萄パンにしようかしら?」
「そ、それは勘弁……!」
葡萄は生に限る。干葡萄はアルファにとって、数少ない嫌いな食べ物の一つである。
昔から――アルファとエクルが揉めると、なぜか母はいつもエクルの味方をするのだ。
それでエクルが調子に乗って、
「アルファ、これを機に好き嫌いなくそうよ」
などと言うから、アルファはつい、
「そーいうエラそうなことはお前がどんくさいのを治してから言え!」
とか返してしまい、また母に叱られる羽目になる。
「こらアルファ! 本当に干葡萄の刑を執行するわよ」
「うっ、それは……おいエクル、何とか言ってくれ」
「知ーらない」
「この薄情者!」
このやり取りで、なぜだか、
「アルファ兄とエクルお姉ちゃんは本当に仲良しだね~」
「ほんとだねぇ」
と、にこにこしている弟たち。どういう感覚をしているのか不思議だ。
「あ、エクルお姉ちゃん、そのリボンどうしたの?」
急にシロンがエクルに尋ねた。エクルは髪をいつも旋毛の辺りで束ねている。いつもは地味な紐で結ってあるが、今日は淡いピンクのリボンが結ばれている。
「これ? これはね、ガフトンの町の市場でもらったの」
「へぇ~。かわいいねぇ。シロンも髪の毛伸ばそうかなぁ」
菓子も食べ終ったシロンはエクルの横まで来て、肩までしかない自分の髪を指に巻きつけながら、しげしげとリボンを見る。
エクルはにっこり笑って、リボンを解くと、シロンの耳の上辺りの髪を一房掴んで、そこに結んでやった。
「わぁ、シロン。すごくかわいいよ!」
「え? これ……」
「そのリボン、とっても似合ってるからシロンにあげるね」
「ほんと? わぁい! ありがとうエクルお姉ちゃん!」
シロンはエクルに飛びついて喜んでいる。
弟たちは皆、エクルとグレースを慕っているが、とりわけ、シロンはエクルが大好きだ。
「わぁーい、エクルお姉ちゃんにもらったー」
「良かったねシロン」
「よく似合ってるよ」
末っ子はかわいいと言うが、シロンがはしゃぐと、みんなが笑顔になる。こうして楽しい雰囲気のまま時間は過ぎて、食事会はお開きになった。
*
「……まったく、僕としたことが……」
リライト家の客間に向かって一人廊下を歩きながら、ルミナスは小さく自己嫌悪の独り言を洩らした。
食べ過ぎた。
普段は自己管理を心掛け、満腹になるまで食べるようなことは滅多にしないのだが……
ファミリアの作る料理は美味かったし、見慣れないものが多かったので、つい手が伸びてしまったのだ。
料理など、国と言わず地域によっても違うものであるし、もっと言ってしまえば家ごとに違うが、やはりソーラレア族の料理には、ソーラレア料理としての特徴らしきものが見られた。
野菜の皮を剥く習慣がなかったり、薬草や香味野菜を好んで使い、また煮込み料理が多いようだ。
――ファミリアの料理の中には、昔、ルミナスの母が作ってくれた料理に似たものもあった。
そう。もう遠い昔のことだが――
と。
「ねぇねぇ、かわいい? シロンのリボンかわいい?」
はしゃいだ声が聴こえてきた。ルミナスが歩いている廊下の、もう少し先にある部屋からだ。
「はいはい、かわいーかわいー」
「もー、シロンったら何回聞いたら気が済むのさ?」
デルタとエプの疲れたような声も聴こえてくる。部屋の扉は閉まっているが、声を潜めることを知らない子供たちの会話はよく聴き取れる。
ずいぶん前に、親たちから「もう寝なさい」と言われていたが、聞かずに一つの部屋に集まって話をしているらしい。
「だーって、エクルお姉ちゃんからもらったんだもん。エクルお姉ちゃんから!」
再び、シロンの弾んだ声。
「シロンは本当にエクルお姉ちゃんが好きだねー」
とエプ。
「うんっ、大好き!」
即答するシロン。
「エクルお姉ちゃん、アルファ兄と結婚してくれないかなぁ。そしたらずーっとシロンのお姉ちゃんになるのに」
ルミナスは思わず、部屋の前で停止した。
……実に惜しい。この場にアルファがいたらどんな顔をしたか、ぜひ見てみたかった。きっと、かなり面白い反応をしてくれたに違いない。
「あはは、たしかにそうなったらいいけど。シロン昔『大きくなったらアルファ兄と結婚するー!』とか言ってたじゃん」
「ええっ? デルタ兄、シロンそんなこと言ったの!? そりゃあ、アルファ兄のことも大好きだけど――小さい頃の話でしょう!?」
「今も小さいけどね」
「エプ、双子のお前が言うなよ。あ、そうそう、シロンその前には『お父さんと結婚する』って言ってた」
「そうなの!? もちろんお父さんも大好きだけど――」
わいわいと騒がしい三人に、
「こらお前たち。結婚なんてこと、簡単に口にしちゃダメだぞ」
と諭すような、少し大人びた、けれど紛れもない子供の声が掛かった。ガンマの声だ。
「わかってるよ、ガンマ兄」
少し拗ねたようなシロンの声。
「えっと、『男性と、女性の縁、は、神様が、結ぶもの……であって、結婚とは――非常に、神聖なもの』――なんでしょう?」
子供には若干難しい表現に、たどたどしい物言い。明らかに誰かからの受売りだ。
「わかってるならいい」
とガンマ。
「でもさー、実際に結婚相手を選ぶのって、親か神官だよね」
と、デルタが言えば、ガンマがまた大人びた口ぶりで諭す。
「そういうこと言うな。親と神官は、あくまでも神様の代わりの立場で決めてるんだから」
幼い子供たちがこんなことを真面目に語っているものだから、ルミナスには少々滑稽に感じられた。
だが、子供たちは大人からそういう教育を受けているのだろう。そしておそらくは、この家の子供たちだけではなく、ソーラレア族というのは皆がそういう思想を持っているだろう。
ルミナスは以前、ソーラレア族に興味を持って調べてみたことがあるのだ。
実際、ソーラレア族は結婚というものを非常に重要視するといい、親、あるいは、それが難しい場合は神官が選んだ相手と、神の前に永遠の絆を誓って結婚する。
貴族の政略結婚などとは違い、最終的には結婚する本人たちの意思を尊重し、どうしても嫌だと言えば破談になる場合もあるそうだが、驚いたことに、大概は親に従い、相手を受け入れるのだそうだ。
また、ソーラレア族の民族性を表すものとして、『信心、忠心、孝心』という言葉や、『父母に背くことを許されるのは、父母が神や王に背いた時のみ』という言葉がある。
端的に言って、『神と、王と、父母を愛し、仕え、従うのが道理である』ということだ。
ならば、神の名の下に親が決めた相手と結婚するのは、ソーラレア族には当然のことなのかもしれない。
もっとも、余所者であるルミナスには理解し難い結婚観――人生観であるが。
いや、それはともかくとして――
ルミナスは子供たちの部屋の前から離れ、再び客間に向かって廊下を歩き出した。
これから自分は、どうするべきだろうか。
『ソーラの村に光継者がいます』
ルミナスは、夢に現れた少女にそう告げられた。
昔母から聞いた話では、自分たちの先祖には預言者がいたらしい。そのせいかルミナスは幼い頃からたびたび、予知夢の類を見てきた。だから、光継者に関する託宣のような夢を見たのも――初めは信じられなかったが、特段驚くに値しないことだったかもしれない。
そして、夢で教えられたこの村に来て、夢と同じ姿のエクレシアという少女に出会った。
彼女こそ、魔族から世界を救う光継者であるはずだ。
だが本人には、自覚もないし、今のところ何らの力もない。
なぜそうなのか。
今はもう、夢のお告げもない。自分は彼女にどう接していくべきか。
そして、『力』と言えばもう一つ謎がある。
アルファ=リライト。
彼が使ったという、赤い光と天使のことだ。
黒魔術を操る強力な魔族を、一撃で下したという、とてつもない力。
それが一体、何であるのか。なぜ彼にそんな力があるのか――
――いや。
全くわからない、というわけではない。
ルミナスの頭の中では、とうに一つの推論が成り立っている。
そしてそれは、単純かつ筋の通ったものだ。
伝承は、『魔神の封印解けし時、双星の力を継ぐ者たち、すなわち光継者もまた現る』と謳う。
現れる光継者は、一人ではないということだ。
聖なる光を操り魔神を封印した、アブレス王子とエステル王女の二人を双星と呼ぶのだから、最も単純に考えて、光継者も二人存在することになる。
アルファが使った光がもし、双星が操ったという『聖なる光』と同じならば――
だが。
自分の頭で考えておきながら、ルミナスはそれを信じられなかった。心が、それを受け入れることを拒んでいる。
剣の腕は、ルミナスのほうが上だ。
「さて……どうしたものか」
ルミナスは再び独り言を呟き――客間に向かっていた足を、別の場所に運んだ。
アルファの部屋だ。
形ばかり扉を叩き、返事を待たずに開く。
「あ? 何だよ?」
アルファは机で何やら書き物をしていたらしく、椅子に座り鉛筆を持ったまま、面倒くさそうにルミナスに視線を向けてきた。
「――何してんの?」
ルミナスが訊くと、
「数学の宿題! オレがいない間に大量に出されてたらしい!」
アルファは時間を惜しむように、帳面にせっせと鉛筆を走らせる。
存外、真面目な少年だ。
村には数日不在だったのだし、瀕死の重傷まで負ったのだ。宿題なんぞやっていなくても誰も責めはしまいに。
ルミナスは何となく机に近づき、アルファが解いている教科書の問題を見たのだが、面食らってしまった。
これは、ルミナスが通った、名門と呼ばれるサーチスワード大学の入試問題に匹敵する水準である。
しかも、帳面に書き殴られているアルファの解答は――正解だ。
普通、こんな田舎の村では学校自体が存在せず、子供たちは親の仕事を手伝って明け暮れ、読み書きすらできない者も多いものだが――この村では、この村で一生を過ごすのであればおよそ無用の長物としか思えないほどの知識を教えているらしい。
そう言えば、ソーラレア族の民族性として、教育熱心であることも挙げられるが、どうやらそれも本当だったようだ。
「で? 何の用なんだよ?」
問題を解きながら机に向かったまま、アルファが尋ねた。
「改まって訊きたいことがあるんだけどさ」
とルミナスは軽い調子で切り出した。しかしすぐさま核心に迫る。
「――君、何か隠してない? 『光の天使』のこと――」
「うわっ、やべっ! 世界史の宿題も出てるんだった!」
アルファは慌てたようにルミナスの質問を遮った。そして、
「悪い、忙しいから明日にしてくれ!」
ルミナスは半強制的に部屋から追い出された。
「わかりやすいね。君は」
閉ざされた部屋の扉の前で、中のアルファに聴こえるか否かの大きさで、ルミナスは呟いた。
アルファのその焦りは、宿題などのためではない。やはり、何か秘密がある。
アルファの父、アルーラのほうも何か隠しているような気がするが……
……まぁ、今日はもう時間も遅いし。
ルミナスは今度こそ客間へと向かった。
だが明日は、必ず聞き出してみせる。
*
ルミナスに光の天使のことを訊かれそうになった時、アルファは慌ててつい、ごまかしてしまった。
いや、ごまかしきれなかったと思うが……尋ねられても本当に、どう答えていいかわからないのだ。
悶々としながらもアルファは数学の問題を全て終え、世界史の宿題に取り掛かった。母ファミリア手製の問題用紙だ。
「次の空欄を埋めよ。
773年、『 』地方の領主『 』がルナリル国王を無力化、軍事権を掌握し、775年ソーラレアへの攻撃を開始した。」
「780年、ソーラレアの王都『 』がルナリル軍によって陥落……」
……ひたすら穴埋め問題が続くようだ。
アルファは早速空欄を埋めていった。
「773年、『クラウド』地方の領主『レインズ=コーズ=クラウド』がルナリル国王を無力化、軍事権を掌握し、775年ソーラレアへの攻撃を開始した」
「780年、ソーラレアの王都『エテリアルム』がルナリル軍によって陥落、第26代ソーラレア国王『アドアース=ヴァン=リードレイト=ソーラレア』の死により、『リードレイト』朝が終焉を迎えた」
「792年、豪族『カストル=ベーシス』が、禁呪である『黒魔術』を駆使し、ルナリル軍より王都を奪還、新ソーラレア国王として推戴される」
「794年、『ランダイド』共和国の介入により、ルナリル側が降伏するも、ソーラレア国王『カストル』はそれを受け入れず、ルナリルへの攻撃を続行した」
「ソーラレアがルナリルへの攻撃と禁呪の使用を中止しなかったため、『ランダイド』共和国と周辺諸国が『黒魔術士』討伐軍を編成し、ソーラレア城を攻撃、占拠した。追い詰められた『カストル』は自害し、ソーラレア・ルナリル戦争は終結した。
「ところが『カストル』は死の前に禁断の魔術を発動させ、異界から『魔神ヴェルゼブル』を頂点とする魔族たちを召還していた。魔族たちはソーラレア城を占拠、拠点とし、人間を滅ぼさんと攻撃した」
アルファは快調に解答を書き連ねた。最近の授業を復習する意味の問題で、難しくはない。
「魔族は勢力を拡大させたが、ルナリル王家の双子、比類なき剣技を誇り『剣神』と呼ばれた『アブレス』王子と、その妹『エステル』王女が魔族討伐のために立ち上がった」
「二人は聖なる『光』を操る力を持ち、『797』年、命と引き換えに『魔神ヴェルゼブル』を封印して世界を救い、『輝望の双星』と称賛された」
「なお、二人は『ソーラレア』族だったという説もある」
「百年後、封印は解け『魔神ヴェルゼブル』は復活を遂げたが、<魔神の封印解けし時、双星の力を継ぐ者たち、すなわち『光継者』もまた現る>という伝承があり、広く信じられている」
終盤、アルファは解答を書く手が震えた。
それでもどうにか宿題を終わらせて、寝台で眠りについた。
その晩、アルファは夢を見た。ガフトンに滞在している間は、一度も見なかった夢を。




