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双星の光継者  作者: 明谷有記
第1章 召命編
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第18話 呼び声

 南門付近、大通りでの戦いはまだ続いている。

 自警団とサム、アルーラたちは健闘し、魔物の数を少しずつ減らしていった。

 だが、戦況は厳しい。

 自警団もまた、数人が負傷し、戦線離脱しているのだ。致命傷ではないが、戦うには足手まといにもなりかねないため路地のほうへと避難させられた。

 残った者たちで善戦しているが、狼もどきたちの爪や牙を完全に防ぐことはできず、やはり多少の傷は負っている。

 それでも、皆、気力を振り絞って各々の武器を振るった。

 ただ、ガフトンの町を守るために。

 町の人間であるサム、町を守るべく存在する自警団の団員たちは無論、余所者であるアルーラも。

 月に一度商売に来るだけの町のために命懸けで戦い、その剣は、この場の誰よりも町を守るのに貢献している。

 だが、昼の失血によって貧血を起こしている上に疲労が募り、無理を押して戦っているのが目に見えてわかるようになってきた。

 そんなアルーラに襲い掛かろうとする狼もどきを、ロバートがさりげなく斬り、助ける。

 施療院で負傷者の手当てをしていた時、アルーラたちに罵声を浴びせたことを、無言で詫びているかのように。

 魔物と戦う一人一人が、それぞれ恐怖や不安、様々な葛藤を持ちながらも、守るべきもののために、それを超えた。魔物の群れに挑む彼らの心は、一つだった。



 最初、人狼の霊技に驚き、翻弄されていたアルファだが、剣を受け続けているうちに、人狼の攻撃は一定の型にはまっていて単調だと気づいた。

 だが、太刀筋は読めても、霊力の乗せられた剣を防ぐのはきつい。もう腕に疲労がたまっている。

 身をかわす回数が増えるが、避けきれずに頬や腕にかすり傷を負う。

 それらは、例え小さな傷でも苦痛を与え、集中力を奪い、動きを鈍らせ、また心を挫かせる。体力も次第に削られていく。

 隙を見ながらアルファも攻撃を返す。けれど、霊力を宿した剣にいとも容易く防がれてしまう。

 どうすれば――

 人狼が狙っているのはアルファとルミナスの命だが、アルファが破れれば、この場にいる父や自警団の団員たちも襲われる可能性が高い。

 そして、人狼はルミナスを探して回り、途中で町の人々を見つければ襲うかもしれない。

 『人間を滅ぼすために魔族は存在する』。アルファの脳裏に人狼の言葉が響く。

 絶対に、そんなことをさせるわけにはいかない。

 昼の魔物の群れの襲撃によって、どれほどの悲しみが生まれただろう。これ以上、被害を拡大させたくない。

 ならば、アルファが人狼を倒すしかないのだ。

 だが、このままでは体力を奪われるばかりだ。やがて力尽きる。

 ――情けない。

 ルミナスが早くスプライガ騎士団を連れてきてほしいと、切実に思う。いや、ルミナス一人いてくれたら、どんなに頼りになるだろう。

 魔族にも名を知られるほどの彼なら、この人狼くらい、涼しい顔で倒してしまうのかもしれない。

 自分の力不足を認めるのは悔しいが、今は自尊心など何の役にも立たない。

 自分ももっと強ければ――

 そう思った時、アルファは思い出した。

『あなたは、双星そうせい光継者こうけいしゃなのです』。

 夢の中で、エクルにそっくりな少女から告げられる言葉。

 よりによって、人狼の剣を必死に防いでいるこんな状況下で思い出してしまった。

 光継者? そんなわけない。

 光継者は、かつて世界を救った双星の力を継ぐ者。

 魔族一体にこんなに苦戦する自分が、光継者であるはずがない。

 でも――

 もしも。

 その力が与えられるなら、欲しい。

 その力で父を、宿で待っているエクルを守れるのなら。この町を助けられるのなら。

 今は、そう思わずにいられない。


 *


 宿の食堂には、再び沈黙が流れている。

 避難している人々にとって、不安の中で過ごすこの静寂の時間は、ひどく長く感じられただろう。

 やがて、その不安を、逃れようのない恐怖へと引き上げる音が聴こえてきた。

 獣の咆哮ほうこう

 まだ遠いが、少なくとも二匹以上いると知れた。

「魔物だ……! 町の中に侵入してきたんだ……!」

 アルファたちは……!?

 エクルの鼓動が、信じられないほど早くなった。

「自警団はどうなったんだ……? みんなやられちまったのか……?」

 誰かが、エクルの頭に浮かんだのと同じことを言った。

 人々は皆、狼狽ろうばいしている。どうしたら良いのかと、慌て、涙交じりの声を出す。

 長老の老婆がすっと席を立ち、静かに言った。

「みんな落ち着け。ここでおとなしくしておるんじゃぞ」

そして腰を曲げながらも、食堂の扉に向かっていく。

「長老?」

 驚いて声を上げた人々に、老婆は悠然と答えた。

「魔物はワシが相手してくれる」

「しかし長老。負傷者の治療でもう、霊力を使い果たしているのでは……」

「休んだから少しは回復しておるはずじゃ。何もせずに襲われるのを待つわけにもいかんじゃろ」

老婆は扉を開き、出て行った。

 再び扉が閉ざされると、部屋の中にいる者たちは皆、身動き一つせず、声を殺した。

 エクルもまた、どうすることもできず、膝の上でこぶしを握り締める。老婆やアルファたちの無事を祈りながら。

 どうにか自分を落ち着かせようとする。町に魔物が入ってきたことが、必ずしもアルファたちの身に何かあったこととは限らないのだと。大丈夫だと信じたい。

 今はこちらにも危険が迫っている。

 ここに多くの人間が集っているのを見つければ、魔物は真っ先に向かってくるはずだ。上の階の怪我人は、自分では身動きの取れない者も多い。逃げるにも逃げられない。

 間もなく、エクルは室内にいながらにして、魔物の邪気を感じ取った。魔物の唸り声も、徐々に近づいてくる。確実に、近づいてきている。

 数は多くはなさそうだが、ハンナ一人で大丈夫なんだろうか。

 昼の魔族たちの襲撃の際、ハンナの治癒の法術は見事だったが、敵相手に使ったのは捕縛の術のみだった。

 自分の母グレースが、治癒の術に比べ攻撃性の術を苦手としているように、ハンナもそうなのではないかと心配になる。

 何より、ハンナが既に、相当霊力を消耗していることが引っかかっている。

 そうこう思っているうちに、エクルは魔物たちの邪気とは違う力を感じ取った。

 人間の霊力。

 ハンナのものだ。

 エクルは魔物の唸り声が聴こえてくるほうの窓に近づき、ほんの少しだけカーテンをめくって外を覗いた。

 食堂に居合わせる人々から、何をするんだと、非難めいた視線を送られた。それは当然だし、申し訳ないと思ったのだけど、どうしてもそうせずにいられなかった。ジルその他数人は、一緒に覗いてきた。

 窓の外は、宿正面の小さな庭。目を凝らすと、その向こうの東西の大通りに、小柄な老婆が立っている。老婆は通りの東側を向いており、この窓からの角度では、斜め後ろ姿が見える。

 街路樹に付けられた光玉の明かりの下、老婆の前方、道の先に、大きな犬のような姿が、三つ。狼の魔物だ。

 魔物たちの唸りに混じって、はっきりとではないが、老婆が呪文を唱えているらしい声も聴こえてくる。

 狼もどきたちは老婆の魔法を警戒しているようだ。老婆と長い距離を保ったまま、その歩みを止めていた。

 理性ではなく、本能で動く魔物たちは、人間の霊力をただ恐れる。相手の魔法が発動される前に倒せばいいという考えも働かないのだ。

 でも、何かがおかしい。

 詠唱をしながら高めているはずの老婆の霊力が、なかなか高まっていかない。安定していかない。脆弱ぜいじゃくな力だ。触れれば崩れてしまいそうなほどに。

 やっぱり――

 エクルは一瞬、窓から外に飛び出そうとした。

 だが、ここに身を潜めている人々が魔物に見つかってしまうかもしれないと思いとどまった。急いで、食堂の扉を開けて出て行く。

 ジルやペーターの、焦ったような呼び声が聴こえた気もするが、答えている余裕はなかった。

 走って、かつ、極力静かに玄関を開いて庭に出ると、老婆と、対峙する狼もどきたちの姿が見えてきた。

 ほのかに光る老婆の手に、風が集っている。風の法術を使うつもりらしい。風が、老婆の白髪や服をなびかせている。

 もう発動直前の状態だろう。だが、そこから感じられる力は、やはり弱々しい。

 老婆が魔物のほうへと手を向けた。

「『風の――』」

 発動のための一句を言い終わる前に、集った風は突如として霧散してしまった。わずかながら高められていた、見えざる霊力と共に。老婆はよろめき、力なく地面に倒れた。

「長老さん……!」

 エクルは大通りに飛び出し、ハンナに駆け寄った。

「しっかりしてください……!」

「ば……馬鹿、こんな年寄りにかまうな……」

胸を押さえながら、呼吸もままならない様子で老婆は言った。

 やはり、使い果たした霊力は、回復していなかったらしい。そんな状態で魔法を使おうとしたから、肉体にも無理が生じてしまったのだ。

「ワシにかまわず……早く……逃げるんじゃ……」

 エクルは魔物を見た。狼もどきたちは、勝ち誇ったような顔をし、歩み寄ってくる。

 どうしよう……!?

 老婆の危険を感じたエクルは、ただ見ているだけはできなかった。考えもなしに、魔物に対抗できる力があるわけでもないのに、慌てて来てしまった。

 せめて、棒切れなりとも武器になりそうなものを持ってくるべきだったと後悔するが、もう遅い。例えまともな武器があっても、自分の力では魔物と渡り合えるとは思えないけれど。

 獣の速さを考えれば、自分一人でも逃げ切るのは難しい。まして、老婆を背負っては逃げ切れるはずもない。そして、自分の後ろには、宿屋の中には、多くの人々がいる。

 エクルは宿のほうをさりげなく振り返った。

 食堂の窓のカーテンは閉ざされている。遮光性が高いらしく、食堂の明かりは漏れていない。音も一切聴こえてこない。中の人々は、先ほどまでと同じように沈黙を守っているようだ。

 魔物たちは、宿の中に潜んでいる人々に気がついているのだろうか。でも、今魔物たちに見えているのは、自分とこの老婆だけ。まず自分たちを狙うだろう。

 これ以上、魔物たちを宿に近づけてはいけない。だけど。

 どうしよう!? 私はどうしたら――

 その時、エクルは思い出した。

『エクル! もし魔物が出たら呼べよ。すぐ行ってやるから!』

 それは、幼馴染の少年の言葉。

 その言葉を聞いたのは、昨日の朝だったか。

 いや、いつもいつも、彼はそう言ってくれていた。少しだけ尊大な、でも、とても優しい言葉。

 いつも助けてくれるアルファ。――いつも助けられてばかりの自分。

 アルファに負担ばかりかけている気がして、だから昨日は、本当は無謀だとわかっていたけど、自分から聖術で魔物に挑んだ。でも、結局最後に、アルファの名を呼んでしまったけれど……

 ごめんね、アルファ。

 結局、私、アルファを頼ってる。

 魔物たちが近づいてくる。それは、エクルの目にひどくゆっくりと見えた。

 今の自分にできること――恐怖に爆発しそうな心臓を落ち着かせながら、大きく深く、息を吸い込み――

 エクルは叫んだ。

「アルファ…………!!」

幼馴染の名を、声の限りに。


 *


「いい加減死ねよ! このクソガキが……!!」

 人狼がひたすら霊力を込めた剣を打ち込んでくる。アルファはひたすら受けながら、時折攻撃を織り交ぜるが、やはり防がれてしまう。

 激しく動きながら霊力も使い続け、さすがの人狼にも疲労の影が見えてきた。最初に比べて霊力が落ち、それに比して剣の威力も落ちている。

 しかし、アルファの消耗のほうが大きい。もう、息が上がってしまっている。このままだと――

 自分がもっと、強ければ。

 力が欲しい。

 もし、みんなを守れるなら、光継者の力だろうと、何だろうと――

 ……なんて意味のないことを考えているのだろう。望むだけで力が与えられるなら、誰も苦労しないのに。

 弱気になっているのか。戦いが長引いて、集中力がもたなくなっている。

 その時。


 アルファ…………!!


 自分を呼ぶ声が聴こえた。ぼんやりしかけた思考が、鐘を鳴らされたようにめた。

 アルファは斜め右から迫ってきた人狼の剣を後ろに飛んでかわし――さらに数歩下がって距離を置き、思わず周りを見回した。

 父や自警団たちが、狼もどきたちと戦っている。魔物は残り五匹まで数を減らしていた。これなら、きっと防ぎきれる。

 少し安心したが、アルファが探す者の姿はない。

 アルファを呼んだ、声のぬし

 あれは、紛れもなく幼馴染の少女の声だった。

「どうしたクソガキ、逃げ道でも探してんのかぁ!?」

 人狼が苛立たしげに喚く。

 人狼には、いや、父や他のみんなにも、エクルの声は聴こえなかったのか。

 アルファには、気のせいでは済ませられないほど、はっきりと聴こえた。耳にではなく、頭に響くような、もっと言えば――魂に直接訴えるような、切実な呼び声が。

 まさか――

 アルファは直感し、戦慄した。

 エクルのいる宿に魔物が?

 ここに駆けつけた時の状況を思い返す。自警団は既に数匹の魔物に突破されていた。大通りを北上していたそれをアルファたちが退治したが――

 もし、その前に路地のほうへ抜けていた魔物がいたとしたら。その魔物が町を回り、宿に行き着いてしまったとしたら――

「何固まってんだ!? やっと死ぬ覚悟ができたかぁ……!?」

 人狼がアルファとの距離を詰め、斬りかかってくる。

 アルファは剣をかざしてそれを防ぐ。

 それはもう、アルファと人狼の間におそらく何百回も繰り返された動作。

 だが、もう終わりにしなければならない。早く行かないと、エクルが危険だ。

 剣を交えたまま、アルファは人狼を鋭く睨みつけ、大声で怒鳴った。

「邪魔すんな……!!」


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