第17話 長年の疑問
狼の魔物たちを食い止めるべく、自警団の団員たちは三人ないし二人で一組になり、敵一匹につき、一人が前から注意を引き、残りが横から攻撃を仕掛けるという戦法をとっている。
やぐら番も下に降りてきてそこに加わっていた。
戦闘訓練を受けつつも実践経験がほとんどない彼らは、およそ半数は怯えている。それでも懸命に立ち向かおうとしているが、数人でやっと一匹を相手にしている状態だ。隙も多い。
サムはそんな団員たちに襲い掛かろうとする狼もどきたちを斬り払う。魔物を倒すことよりも、彼らと、そしてもちろん自分の身を守ることを優先させる。
それが得策――というか、そうせざるを得なかった。
ソーラの村から来たアルーラという壮年の男も、サムと同じ役割に徹している。
アルーラは、スプライガ騎士団に所属していたサムが驚くほどの腕前だが、やはり敵の数が多いため身動きが取りづらいのだ。
自分とアルーラの二人だけでは、二十の魔物を止められない。自警団の団員たちがいくら頼りなくても、そこにいてくれれば魔物の注意を引くことになり、結果、魔物を食い止めるのに役立っている。
団員たちを死なせてしまえば、防衛線も崩れて魔物たちを町に散らしてしまうことになるし、大勢に分散されていた魔物の関心が自分に集中することになってしまう。
だからサムは、町を守るためにも、自分を守るためにも、団員たちを守る。
だが、魔物を斬りつけながら思う。守りきれるのだろうか。
騎士団にいたサムとしては当然、魔物との危険な戦いに幾度も身を投じているが、今回は、今まで一番状況が悪い気がする。
騎士団のように戦闘に慣れた仲間が少ないし、攻められているのが自分の生まれ故郷のせいかもしれないが、少なくとも、今までで一番緊張している。
何より、魔物を率いている半狼半人の魔族が相当に強い。
目の前の魔物を相手に余裕のない中、時折横を盗み見るが、天才少年アルファが、あの魔族相手には防戦一方なのだ。
もしも、少年が魔族に敗れたらどうなるか。
あの少年が敵わない相手では、サムが勝てるはずがない。
自警団の団員たちでは、束になっても止められまい。
少年の父アルーラが頼みの綱だが、どうも、昼の戦いに比べて動きに切れがない。息子を庇って負傷した時、大量に出血したことが響いているのかもしれない。
考えが悪いほうに向いてしまう。
戦うしかないとわかっているし、そうしているが、焦燥に取り憑かれそうになる。
と。
『この馬鹿もんが……死ぬんじゃないぞ……!』
別れ際の老婆の言葉が蘇った。
「わかってらぁ」
サムは小さく呟き、気合を入れ直して剣を振るいながら、亡き母のことを思い返した。
サムは早くに父親を亡くした。サムの母は、父が遺した花畑でどうにか生計を立てながら、女手一つでサムを育ててくれた。
母はサムに家業を継いでほしいと願っていたが、サムは反対を押し切ってスプライガ騎士団に入団した。
遠い昔は、貴族の子息でもなければ騎士になることは許されなかったが、今は十五歳以上で健康体ならばほとんど誰でも入団を認められるし、功を積めば出自を問わず高い地位に上ることもできる。
成功を夢見、入団後の厳しい訓練にも耐え、これでも多少は手柄を立ててきたのだが、結局不祥事を起こして首になってしまった。あまりの情けなさに、すぐにはガフトンに帰って来ることができず、しばらくスプライガでぶらぶら過ごしていた。
しかし、その間に母は死んでしまった。サムが知らない間に、病に侵されていたのだ。長年の無理が祟ったのかもしれない。
自分はなんて馬鹿だったのだろう。最後まで親に心配を掛け続けて、何もしてやれなかった。
騎士団に入る時には、こんな小さな町で一生を終えてたまるかとガフトンを飛び出した。
でも、この町はやっぱり自分の故郷だ。生まれ育った場所だ。絶対、失うわけにはいかないのだ。
だから、命を懸けても守ってみせる。
けれど、死んだりはしない。まだ亡き母に合わせる顔がないし、こんな自分でも、死んだら悲しむ人がいる。
長老の老婆ハンナ。
サムの隣の家に住むハンナは、いつも憎まれ口ばかり叩いていながら、その実、誰よりもサムを心配してくれている。ハンナも自分と同じく、家族のない身だ。
「わかってる。婆さんより先に、死にゃしねぇさ」
サムは戦いの喧騒の中、自分にしか聴こえぬ声で呟いた。
人狼が続けざまに剣を打ち込んでくる。
アルファはその一撃一撃を、自分の剣でどうにか受けている。
しかし、霊力で強化された剣を防ぐのは難儀だ。ついに、相手の力強さに押されアルファはよろめいた。
体勢を立て直そうと後ろに退こうとしたが、右肩に何かがぶつかる。
街路樹の幹。いつの間にか追い詰められていた。
しまった……!
「あいつの仇――」
人狼は霊力を高めながら、刃を突き出してくる。
「死ね……!!」
「……!」
アルファは咄嗟に左横に身をかわした。
が、服の右脇部分がわずかに裂けた。横目で追う人狼の剣は、見事に街路樹を貫通し――またあっさりと抜かれた。そこに何もなかったかのように。
人狼は大きく舌打ちし、再びアルファに襲い掛かってくる。『霊技』と呼ばれる能力を駆使しながら。
「さすがに、ただのガキじゃなかったな……! 霊技も使えねぇくせにここまで持ちこたえるたぁ。だがな、その中途半端な力を後悔させてやる! テメェはあいつの心臓を貫きやがったそうだが、俺はテメェを八つ裂きにしてやらぁ……!!」
人狼の霊力――邪気が炎のように膨れ上がる。心の憎悪がそのまま反映されたかのごとく。熱い憎しみに、アルファは背筋が冷たくなるのを感じる。
人狼は、本気でアルファを憎んでいる。
――その気持ちは、わからなくはない。
かつてアルファ自身、弟ベータを殺した魔物を恨んだのだ。魔族の存在そのものが恨めしかった。大切なものを奪われる苦痛は、よくわかる。
灰褐色の昼の人狼の、恐怖に染まった表情。恨めしそうな目。見開かれたままの瞳を思い出す。本当は、殺したくなかった。
けれど、自分たちを守るためには、ああするしかなかった。
言い訳か。動けないように捕縛するなり、他に方法はあったかもしれない。
奴らが犠牲者を出していたことを知った時には、自分が奴らを倒したことはやはり間違っていなかったのだと、自分に言い聞かせた。
だが、自分の行動は、新たな憎しみを産んでしまった。やはり自分は間違っていたのか――
アルファはたまらず、人狼に叫んだ。
「だったら、あいつらは何でこの町を襲った!? 何で人間を殺した!? 町まで襲ってこない限り、こっちだって手を出さずに済んだのに……!」
そして、続けて疑問をぶつける。
「だいたい、魔族は何のために人間を苦しめる……!? どうして殺そうとするんだ……!?」
アルファにとって、長年の疑問だった。
ソーラレアのかつての国王カストルが、敵対する国を倒すために召還した魔族たち。だが魔族たちは、召還者の意を超えて、歴史を通じて、世界中の人間に危害を及ぼしてきた。それはなぜなのか。
理性を持たず、会話もできない魔物には訊くことができなかった。だが、魔族とならば、話し合うこともできるのではないか。そして、殺し合わずに解決する道が、どこかにあるかもしれない。
現に人狼は――狼もどきたちこそ捨て駒のように使っているようにも見えるが、仲間を想う心も持っているのだ。人間のように。
ここまで憎まれている以上、この人狼との和解は難しいだろう。でも、魔族が人を襲う理由や考えは知りたいと思う。知らなければいけない気がする。
アルファの問いに、人狼は呆気に取られたように攻撃の手を止めた。
少し距離を取り、アルファも動きを止める。そして人狼の答えを待つ。
しかし。
「くっだらねぇ」
人狼は、獣の顔に嘲笑を浮かべた。
「テメェ、無知だとわかっちゃいたが救いようのねぇバカだな」
嘲笑が真顔に転じる。金色の目を冷たく光らせ、人狼は吼えた。
「人間を殺すのが魔族の存在意義だ……! 魔族は人間を滅ぼすために存在する!! そこに疑問を挟む余地なんかねぇんだよ……!!」
にべもない言葉に、アルファは愕然とした。自分の考えが、あまりにも甘かった。
カストル王がルナリルへの報復のために呼び出したものは、本当にとんでもないものだったのだと再認識させられてしまった。
「つくづく頭にくるガキが――だが、テメェのくだらねぇ質問に答えてやったんだ。こっちも一つ訊いとくか」
人狼は構え直そうとした剣をまた引き、尋ねた。
「ルミナス=トゥルスはどこにいる?」
「ルミナス? ルミナスを知ってるのか?」
驚いて、逆にこちらが訊いてしまう。
「この辺の魔族だったらみんな名前を知ってるぜ! サーチスワード騎士団第三大隊隊長ルミナス=トゥルス。奴が指揮する部隊に魔族の集団がいくつも壊滅させられてんだからな!」
苛立たしげに言う人狼。
「そんな奴が騎士団なしでこんなちっぽけな町に来てるとなりゃ、始末する絶好の機会だ。魔族としての格も上がるってもんだろ!」
どうやら、人狼はアルファへの復讐だけでなく、ルミナスの命も狙ってここに来たらしい。狼もどきたちに探せと命じていた『金髪碧眼の男』は、ルミナスのことだったのだ。
だが、ルミナスは今、この町にはいない。
「さぁ、ルミナス=トゥルスはどこにいる?」
同じ問い。けれど、答えられない。
正直に、ルミナスがスプライガ騎士団に応援を要請に行ったと答えたら、人狼がどんな反応をするかわからないのだ。
恐れをなして逃げてくれればいいが、悪くすれば、自棄になって手近な人間を殺し回るとか、とんでもない暴挙に出ないとも限らない。
スプライガ騎士団が本当にこの町に向かってくれているのかもわからない。下手なことは言えなかった。
アルファが黙ったままでいると、人狼は痺れを切らして再び邪気を増幅させた。
「かぁっ、時間のムダだったぁ! このクソガキが、とっとと死ね……!!」
邪気を乗せた剣で襲い掛かってくる。
アルファはそれをまた、どうにか受け止めていく。
*
宿の食堂に避難している人々は、先ほどの長老の喝の後、沈黙を守っていた。皆、おとなしくテーブルに着いている。警鐘も鳴り止んで久しい。
だが、そんな中、誰かが小さく呟いた。この静寂がもたらす恐怖を、少しでも和らげようとするかのように。
「こんな時は、伝説にすがりたくなる……『光継者』が現れて救ってくれたら、どんなにいいか……」
『光継者』。それは、かつて魔族から世界を救った『輝望の双星』の力を受け継ぐ者。
その呟きに、誰かが答えた。
「そんなもの、ただの伝説だろ。願掛けするだけ無駄だ」
と、何の期待もない、冷めた口調で。
エクルは光継者という単語にどきりとした。
自分が光継者だと、ルミナスという青年に言われているから。
不思議な夢のことも……
自分が光継者だなんて、そんなことあるはずないのに。こんな時でさえ、何もできないのだ。
胸が痛んだ。
――でも、自分が光継者だなどとは到底思えないけれど、光継者の伝説は、本当だと信じて疑わない。
光継者は、この世界のどこかに、きっといる。
だけど。
例え光継者が、いつか現れて世界を救ってくれるとしても――今この場に現れて町を救ってくれるのでないなら、この町の人々にとっては、意味のない存在なのかもしれない。
「ああ……でも本当に光継者がいたら……」
また誰かが言った。
「いや、そこまで高望みしないが、七年前のように、あの人がまた来てくれたら……」
七年前? あの人?
町の人々は何人か頷いていたが、エクルには何の話かさっぱりわからない。
別の何人かは、難しい顔をして首を振った。
「なんだ、知らないのか。あの人よりはまだ、光継者が現れるほうが望みがあるぞ。あの人は、もう五年も前に亡くなってるんだからな」
「え、そうなのか? ずいぶん早くに……」
『知らなかった』人々の驚きの声は、落胆の響きも帯びている。
「まぁどっちにしろ、そんな都合よく来てくれるわきゃないだろうけど……」
……五年前に亡くなった?
エクルがよほど不思議そうな顔をしていたのか、同席のペーターが説明してくれた。
「七年前も、この町は魔物の群れに襲われたんだよ。まあ、今回ほど魔物の数も被害も多くはなかったけど。その時は、偶然通りかかった旅人が、魔物たちを退治して助けてくれたんだ」
すると、妻のジルが思い出したように口にした。
「そうそうあの人、ソーラの人って言ってたよ。エクルちゃんも知ってるんじゃないかい? 神官で聖術士の、カテドラル=オルウェイスって」
カテドラル=オルウェイス。その名を耳にした途端――
「お父さんがこの町を!?」
エクルはつんのめるようにしてジルに聞き返してしまった。
父は確かに、いろんな場所に赴いては魔物を倒し、人々を助けていたと聞いている。でも、隣町であるガフトンでのことさえ、エクルは知らなかった。
父は、戦いについては多くを語らなかった。エクルがガフトンに来るようになったのは、この数ヶ月のことだし、市でジルたちのように仲良くなった人々もいるが、ゆっくり交流する機会はなかったから、父の話などしたことはなかったのだ。
――気づいたら、食堂は静まり返っていた。
「エクルちゃん、あんた……あのカテドラル様の娘なの?」
息を呑むように、ジルが尋ねてきた。言ってはいけないことを言ってしまったのだとエクルは気がついたが、嘘をつくわけにもいかず、恐る恐る答えた。
「はい……」
人々は驚きと歓喜にどよめき、エクルのいるテーブルを取り囲んだ。同じ卓に着いているジルやペーター、長老の老婆までも押しのけるようにして近づく。
「あの天才の娘……!? それなら早く言ってくださいよ!」
「そう言えば、その髪と目の色! あの人とおんなじだ」
「確かに顔も面影がある!」
「どうか魔物たちを倒してください……!! お願いします……!」
「上に怪我人がたくさんいるんです。早く治してあげてください」
期待、希望、哀願。人々から向けられる眼差しに、エクルは当惑し、下を向いた。
そんな……私には、何の力も――
「……ごめんなさい。私は……」
震える唇で、やっと言葉を紡ぐ。
「私は父と違って……魔法、全然だめなんです……」
「え? まさかそんなこと――」
悪い冗談でも聞かされたかのように、人々は笑った顔をわずかに引きつらせた。と、しわがれた声が聴こえてきた。
「『まさか』でもないじゃろ。その娘さんにその力があるなら、とうにしてくれているとは思わんか?」
長老のハンナだ。
その口調は、町の人々を諌めるものであって、少しもエクルを非難したものではなかった。エクルにはそれが、とてもありがたかった。これ以上、自分で弁解を口にしたら、泣いてしまいそうだった。そうしてこれ以上、情けない姿をさらして、父の名を汚してしまうのは嫌だったから。
ハンナの言葉を聞くと、もっともだと思ったか、町の人たちは押し黙って、火が消えたように静かになった。
人々の表情は、もちろん暗い。一瞬でも彼らに希望を抱かせてしまったことに、エクルは罪悪感を感じずにいられなかった。あまりにいたたまれなくて、この場から逃げ出したい思いにも駆られた。
本当に、どうして自分は、両親のように聖術の才能を持たないのだろう。
その半分でも力を受け継げていたら、どんなに良かっただろう。
どうして自分は、誰の役にも立てないのだろう……
神様――私は、ただ祈ることしかできないのでしょうか……?
幼馴染は――アルファたちは今、この町を守るために、懸命に魔物と戦っているというのに。
「ちっとも気に病むことはないからね」
ジルが、その大きな手をエクルの肩に乗せ、片目をつぶった。
「魔法なんて、大概の人間は使えやしないんだから。当たり前だって思えばいいのさ」
エクルはまた泣きそうになったが、ぐっと堪え、静かに頷いた。




