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双星の光継者  作者: 明谷有記
第1章 召命編
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第16話 魔族の再来

 鐘の音が響く中、宿へと避難してきた人々は、足早に食堂へと移動していく。客室は怪我人に割り当てられているため、他に居場所がないのだ。

 エクルも老婆ハンナと共に、食堂へ戻ろうと足を向ける。

 と、食堂の入り口でエクルは人と肩がぶつかってしまった。入り口の幅は充分広いのだが、みんな急ぎ足だからだ。

「すみま――」

「あ! あんた、エクルちゃんじゃないの!」

 反射的に謝ろうとしたら、相手は見知った人だった。ふっくらした体格の初老の女性。そのすぐ隣には、もう少し歳が上の小柄な男性の姿も見えるが、彼も知った顔だった。

「ジルさん! ペーターさん!」

 誰かと言うと、市場で、エクルたちの隣の台で腸詰ソーセージを売っていた夫婦だ。

「あらやだ! 村に帰り損ねちまったのかい!?」

 驚いて大声を出すジル。いや、男勝りでさばさばした性格の彼女は、普段から声が大きいのだけれど。おとなしい夫のペーターは、驚きつつも小さく呟く。

「あ、さっき、宿から飛び出していった人たち……アルーラさん親子に似てると思ったけど……」

「……本人たちなんです」

 とっくにソーラへの帰路に着いているはずだから、まさかと思ったらしい。

「おい、そんな所で話しこまないでくれ」

 エクルたちが入り口を塞いでいたので、後ろに並んでいた人に怒られてしまった。

 エクルは食堂内に入り、ハンナと、ペーター夫婦と同じテーブルに着いた。他のテーブルも、もともとの宿泊客と軽傷の怪我人、避難してきた人々で全て埋まっている。

 エクルがこれまでのいきさつをジルとペーターに話すと、二人は暖かい言葉を掛けてくれた。

「アルーラさんとアルファ君が魔物と戦いに……心配だろう」

「大変だったねぇ……こんなよその町で、こんなことに巻き込まれてねぇ」

確かにアルファたちのことは心配で仕方ないが、エクルは二人の優しさを嬉しく思った。知っている人が一緒にいてくれると心強い。

「そんなことありません……大丈夫――」

「何が大変なもんか」

 エクルの言葉を遮り、後ろから声が聴こえた。振り返ってみると、声の主は隣のテーブルの五十過ぎくらいの男性だった。

「余所者はいいじゃないか。自分の町に帰れば、何事もなかったかのような生活に戻れるだろう」

と、突き放すような、うんざりしているような口調で言った。

「ちょっとあんた。そんな言い方することないじゃないさ」

ジルが反論する。

「ああそうか、あんたは魔物に家を壊されたんだったねぇ。だからって卑屈になってんじゃないよ!」

「なんだと!? 他人事だと思って――」

男性が怒って立ち上がった。

「ジルさん……!」

「お、お、おいお前、よさないか」

 対抗して立ち上がろうとするジルを、エクルとペーターは慌てて止めた。ジルに殴り掛かりかねない勢いの男性のほうは、周囲の人が抑えてくれた。

「家なら……どうにでもなるわ……」

 涙交じりの、消え入りそうな声がした。

「……家族が、無事でいてくれたら……それだけで……」

皆の視線が、今度はそちらに向かった。別のテーブルで、俯いた女性が、肩を震わせて泣いている。

 エクルは胸がずきりとした。すぐにわかった。この女性は、魔物に家族を殺されたのだと。

 先ほどジルと口論になりかけた男性は、決まり悪そうな顔をして、黙って腰を下ろした。

 女性に同調するように、あちこちからすすり泣きが始まった。同情か、自分も誰かを失った悲しみか。

 こらえようとしたのに、エクルの目からも涙がこぼれた。

「クソ、こんなシケた町に来るんじゃなかった……!」

 突然、隅のテーブルにいる若い男性が大声を出した。エクルは彼に何となく見覚えがあった。昼、市場で店を出しているのを見かけた気がする。言葉からして、彼もエクルと同じ、行商に来ただけの余所者なのだろう。

「しっ、黙ってたほうが……」

 連れらしい女性が止めるのを聞かず、彼は二の句を継ぐ。

「誰が死んだか知らねぇけどなぁ、今生きてる俺たちは、これからどうなるってんだ!? 帰れば普通に生活できるって!? その前に、生きて帰れる保障があるのかよ。この後全員あの世行きになる可能性だってあるだろ!?」

 まるで葬儀のようなこの場の空気に耐えかねて、わざと声を荒げているようだった。

「あんた、それは言い過ぎだろう!」

「……けどよ。確かに、自警団がもし魔物に負けて、スプライガ騎士団も助けに来てくれなかったら……」

「ちょっと、縁起でもないこと言うんじゃないよ!」

「でも、充分ありえるぞ。もしそうなったら、俺たちは、この町はやっぱり――」

ざわめく人々。

「いい加減にせんか……っ!!」

 長老の老婆が叫んだ。

 雷のような一喝で、部屋の中は静まりかえる。

「……情けない奴らじゃの。騒いでみたところで、何か解決になるか? 魔物を迎え撃ちに行った者たちの勇気を見習え」

 沈黙が流れた。嘆息や鼻をすする音が聴こえたが、口をきく者はいなかった。誰もが、不安につぶされそうになりながら、時が無事に過ぎていくのを待っていた。


 *


 南門を目指して走るアルファたちは、途中、路地を右に曲がり、さらに駆けた。その先に、北門と南門を繋ぐ大通りが見えてきた。

 南門に近づくにつれ、けたたましい鐘の音がより強く身に響き、緊張感が増す。

 そして、感じた。

 邪気――魔物の気配を。複数。

 アルファは背筋が凍った。

 な……!?

 邪気の一つが、自分たちに接近してくるのだ。いや、正確には自分たちもそれに近づいていっている。

 思考が乱れた。

 信じられない。

 念のため剣を抜いてはおいたが、こんなに近いということは、つまり――

 焦りを殺しながら、アルファは駆ける足を速め、先頭に立った。

 邪気との距離が瞬く間に縮まっていく。

 剣の柄を強く握り直し、アルファは南北の大通りに飛び出した。

 アルファの目に、南の方向から猛進してくる化物の姿が間近に映る。

 狼に似た魔物。

 狼もどきはアルファを見、駆けながら大きく口を開いて咆哮する。

 衝突する寸前、アルファは身をかわして横から狼もどきを薙ぎ払った。

 裂けた箇所から、闇色の血が噴き出す。魔物はすさまじい声を上げながら、石畳の上に倒れこむ。

 目の前にまた別の狼もどき二体が迫ったが、駆けつけた父とサムとが斬り払ってくれた。

「もう町の中に魔物が……!」

 ロバートの驚愕の叫びを聴きながら、アルファは大通りの先を見やった。

 時が止まったかのように、警鐘の音が止んだ。

 前方にある全ての視線は、闖入者ちんにゅうしゃであるアルファたちに向けられている。

 光玉が取り付けられた並木道の二十歩ほど先、自警団の制服を着た男たちが四人。各々、剣や槍を構え、体は斜めに南門に向けたままそちらを警戒しつつも、ある者は驚きの、ある者はすがるような表情をこちらに向けている。市場にいたあの二人組の団員を含んでいる。

 その奥には、狼もどきたちの姿がある。数は、二十ほどだ。

 自警団は、町への魔物の侵入を既に許してしまった。

 どうにか防ごうと立ちはだかってはいるものの、さっきアルファたちが斬った数匹の魔物にすり抜けられてしまったようだ。

 自警団の館で待機していた団長たちはまだ到着していないらしい。

 が、それにしても南門にはもう少し見張りがいたはずだ。やぐらの上にも一人いるけれど――

 いた。

 自警団の男たちの足元に。仰向けに倒れている団員が二人。

 アルファの心臓が、大きく脈を打った。

 そんな、もう犠牲者が――

 彼らのうち、一人は肩から胸にかけて、一人は腹部が黒っぽく染まっている。言うまでもなく血だ。

 だが、二人はわずかに首や指を動かした。

 生きている。アルファはひとまず胸を撫で下ろす。傷の程度はわからないが、息があれば希望がある。助けなければならない。

 魔物の数はおよそ二十。意外にも昼よりは少ない。自警団の能力に不安はあるが、自分たちが頑張ればどうにかできるかもしれない。

 しかし、次に目にしたものによって、アルファの心臓は再び跳ね上がった。

 狼もどきたちのさらに奥、開け放たれた南門の前に、二本の足で直立する化物。

 鎧をまとった、人間に近い造りの体。そこに乗っかった、狼の顔。

 人狼の魔族――

 その鋭い金の瞳が、こちらを見つめる。


 アルファは目を疑った。

 あいつは昼間、自分が倒したはずだ。まさか生きていた? この手で確かに、とどめを刺したはずなのに――

「魔物が……!」

「もう門を破られたのか――!」

 背後から、数人の声と足音が迫った。

 自警団の団長と、団員たちが五人、今到着した。この状況を受け入れられず、狼狽し、あるいは愕然としている。

「人間どもが次から次へと現れるな」

 人狼が呟く。若い男の声。

 だが、アルファが倒したはずのあの人狼の声よりも、少し低いように聴こえた。

 人狼の傍らにいる真っ黒な狼もどきが、短く数回吼えた。

 すると、

「何?」

人狼は驚きの表情を見せ、その瞳をアルファに向けてきた。

「そうか。()()()を殺したのは、あのガキか……!!」

 『あいつ』? 殺したって――

 人狼は腰に帯びた大剣を抜き、狼もどきたちに言った。

「あのガキは俺がぶっ殺す。お前たちは行け。金髪碧眼の男を探してこい」

 にわかには話が見えない。

 だが、狼もどきたちはその命令を受けて一斉に駆け出した。大通りを北に、つまりこちらに向かって。

 前面にいた団員が悲鳴を上げる。

 アルファは父と共に前に駆けた。

 魔物たちは団員たちには目もくれずに突き進もうとする。どうにか南門の近くで食い止めようと、団員たちは怯えながらも武器を手に立ちはだかる。

 邪魔をするなとばかりに、先頭の一匹が団員の一人に飛び掛ったが、その刹那、アルファは団員の前に飛び出して狼もどきを斬り伏せた。父も二番手の一匹を薙ぎ払う。

 後ろから、サムにロバート、団長と残りの団員たちも武器を携えて駆けて来た。

「リックとポールはエドとドーンを連れて早く手当てを! 残り全員で必ず魔物を防ぐぞ!」

団長が団員たちに叫ぶ。

 誰の名前だかアルファにはさっぱりだが、二人の団員がそれぞれ、倒れている団員を背負い、素早く路地のほうへと消えていく。

 勢いががれた魔物たちだが、止まることはない。

 アルファは次の狼もどきに剣を振りかざした。

 が。

 ギィィィィ……ン!

 金属音が響いた。アルファの一撃は、人狼が掲げた剣によって防がれたのだ。

 憎悪を宿した金の瞳にめつけられ、アルファは後ろへ飛び退く。ちょうど、昼のいちにあった一場面を、逆の立場で繰り返したかのように。

 しかし、こうして近くで見ると、この人狼は、市で剣を交えた人狼よりわずかに体が小さい気がする。体色も、前者は灰褐色だったが、こちらはもっと濃く見える。色は街路樹の明かりでは曖昧にしかわからないのだが――こいつは、よく似た別の魔族か。

 大剣を構えながら、人狼はアルファに向かって言う。

「テメェの相手はこの俺だ。あいつの仇、討たせてもらうぜ……!」

 どうやら、あいつと言うのは、昼の人狼のことで、この人狼はアルファが奴を殺したことを知り、復讐しようとしているらしい。

 先ほど吼えていた黒い狼もどき。あれがアルファのことを教えたように見えたが……昼町を襲った魔物の一匹を、逃してしまっていたということか。

 それにしても、昼の人狼と今目の前にいる人狼、同じ鎧を着ていることを差し引いても、本当にそっくりだ。

 兄弟なんだろうか。――いや、魔族に血縁なんてもの、あるのだろうか。

 動物が種毎に、馬は馬で、牛は牛で、色や大きさに違いはあれど大差なく見えるのと同じことなのか。

 ただ一つわかるのは、この人狼は、アルファが昼の人狼を殺したのを恨んでいるということだ。

「殺してやる……!!」

 叫びと共に、人狼の邪気が膨れ上がった。今の今まで、そこらの狼もどきとさほど変わらなかった邪気が、急速に。

 アルファの鼓動が早くなる。

 邪気とは、魔物の持つ気配。人間にとっての霊力に近いものとも言われる。だから、霊力の感度が低い者は、邪気も感知できないのだが――アルファにははっきりと感じ取れた。

 人狼の邪気が、高まっていく。

 魔法を使える人間がその術を行使する時、霊力を高めるのと同様に。

 まさか、こいつは魔法を使うのか?

 魔法を使う魔族が存在することは話には聞いているが、どう戦えば良いのかわからない。

 人狼が呪文を詠ずる様子はない。何の術を使おうとしているのかもわからない。

 だが、この邪気――霊力が魔法として具現化し、発動する前に、こちらから仕掛けるべきか。

 などとアルファが迷っている間に、人狼が両腕で剣をかざして突進してきた。

 え!?

 完全に意表を突かれた。

 人狼は、魔法を発動させることなく向かってきた。霊力を高めたままに。

 何を考えているのか――

 人狼の活性化された霊力が、剣を握る手に集中していく。

 そして人狼は、頭上からアルファに剣を振り下ろした。

 人狼の霊力は、魔法のように自然界の力と結び付けられることなく、炎や氷などの何かに具現化することもなく、ただそのまま剣に乗せられてアルファに向かってくる。

 未知への戸惑い、もしくは恐怖かもしれないものを感じつつ、それでもアルファの体は反応してくれた。頭上に剣を構え、人狼の剣を受け止める。

 その刹那。

 剣を通じて腕に、いや、全身に衝撃が走った。

「……っつ!」

 人狼の邪気そのものによる衝撃ではない。すごい腕力なのだ。辛うじて受け止めているが、腕が痺れる。

 と。

 高められていた人狼の霊力が、徐々に小さくなっていく。それと連動するするように、人狼の腕の力が抜けていく。

 その隙に、アルファはどうにか人狼の剣を受け流し、距離を取って体勢を立て直した。

 しかし、人狼は再び霊力を高め、アルファにかかってくる。

 霊力が最も高まった瞬間に斬りかかり、霊力が下がり始めると引く。流れるようにそれを繰り返しながら、間断なく襲い掛かってくる。

 一撃一撃が重い。

 防ぐのが精一杯――

「何だ()()……!? 魔法か……!?」

 必死に人狼の剣を受けながら、アルファは叫ぶように問い掛けた。動揺を隠せない。

 殺意を持った敵に一方的に攻められるのは初めてのこと。しかも得体の知れない能力によってだ。

 人狼はその動きをわずかに鈍くし、怪訝そうな声で言う。

「何? 『霊技れいぎ』も知らねぇのか?」

 霊技? 初めて聞く単語だ。

「ちっ、あいつめ。そんなことも知らねぇガキにられるたぁ……」

 舌打ちする人狼。

「霊力ってのは何も魔法に使うだけが能じゃねぇ。身体能力や武器の威力を高めたりもできんだよ。活性化した霊力を腕に集中させれば腕力を強化できるし、剣に集中させれば切れ味を鋭くもできる――こんな風になぁ!」

 人狼は霊力を活性化させつつ、再びアルファに刃を向けてきた。

 そんな力が存在することなど、アルファは聞いたことがなかった。けれど、人狼の簡潔な解説は、アルファが人狼の能力として感じている内容と合致している。人狼の言葉に嘘はない。

 『霊技』という呼称があり、しかも、人狼の知っていて当然だという反応から、それは人狼固有の能力ではなく、技術として確立されていて、ある程度広まっているものなのだろう。

 けれど、感心している場合でも、驚いている場合でもない。

 こちらの人狼は、姿形は昼戦った魔族とそっくりだが、戦闘能力ははるか上を行っている。

 剣を交える自分と人狼の近くで、自警団とサム、そして父アルーラが、狼もどきたちの進攻を防ぐために戦っている。

 彼らはそれで手一杯で、アルファを助ける余裕などないだろう。

 アルファもまた、人狼を相手にして彼らを助けられない。それどころか、人狼の攻撃を受けるのに必死で、彼らの様子に注意を向けることさえままならない。

 心苦しいが、割り切るべきか。人狼は自分が抑え、狼もどきたちは父たちに任せると。


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